ナタリー・コヴァンコ Nathalie Kovanko (Наталья Ивановна Кованько 1899 – 1967)

「ロシア [Russia]」より

Nathalie Kovanko 1920s Autographed Postcard
Nathalie Kovanko 1920s Autographed Postcard

わたくしは1899年の11月9日クリミア地方のヤルタにて生を享けました。父は皇帝軍の大佐をしておりました。幼い時か舞台が好きで、それが高じて11歳の頃には時に父の、時に母の服で姿を変え、両親が隠れ家に使っていた家でちょっとした劇を暗記しては同い年の仲間と共に演じていたものでした。

私の住んでいた町のすぐ近く、正確に言うならマサンドラに皇帝が所有していた広大な公園があって、陛下がご家族と共に避暑などでお越しになる際に時折音楽会や踊りの披露が行われていて、そういった夜会は劇で終わるのが通例となっておりました。

こういった芸術の夜は地元の人々が手塩をかけて保存に努めている鍾乳洞で開かれます。ある日、光栄にもそこでレールモントフの小説を下敷きにし、ルビンシテインが作曲、ヴィスコヴァトフが歌詞をつけた三幕物のオペラ『悪魔』を演じさせていただきました。大層な評価を頂き、素人としてですがロシアの有名作品を演じようとモスクワに上京することに相成ったのです。

1916年には映画に興味を持つようになり、ビオ・フィルム社で初めての作品を撮らせていただきました。新たなキャリアで最初に引き受けた役の一つはモーパサン短編を元にした『イヴェット』でした。室内撮影はモスクワの撮影所で、屋外ロケは生まれ故郷のヤルタで撮影されております。その後コズロフスキー社で数本映画を作り、モスクワのエルモリエフ映画社の花形の一人となって人気が出て來るようになりました。

その後は…あぁ、とても辛い(と目に涙を浮かべたコヴァンコ夫人)その後は…ボルシェヴィキのために自国を追われる羽目に。たった一時間半で祖国を離れないといけなくなったのです。アテネに辿りつきしばらくそこで過ごしておりました。イタリアでの映画撮影のオフォーがあったのですが断らせていただき、旧パテ社モントルイユ撮影所で数ヵ月映画作りをしていたエルモリエフ氏に合流したのです。

「巴里のロシア映画人二人:コヴァンコ夫人とトゥールジャンスキー氏」
シネマガジン誌1921年12月9日付47号掲載

Je suis née, me déclare-elle, le 9 novembre 1899, à Yalta, en Crimée. Mon père était colonel dans l’armée du Tzar. J’adorais le théâtre à un tel point que vers les onze ans, je me déguisais soit avec les vêtements de mon père, soit avec ceux de ma mère, j’apprenais quelques petites pièces de théâtre en cachette de mes parents pour les jouer ensuite avec quelques amis de mon âge.

Or, près de notre ville, à Massandra exactement, se trouvait un immense parc qui appartenait au Tzar et, de temps en temps, lorsque sa famille y villégiaturait, on donnait quelques concerts, quelques numéros de danses et la soirée se terminait par un drame.

Ces soirées artistiques se passaient dans des haos, c’est-à-dire des espèces de grottes que l’on entretenait soigneusement tout en leur laissant leur caractère pittoresque. Un jour, j’y jouai pour mon unique plaisir dans Le Démon, opéra en trois actes d’après le remarquabre roman de Lermontf, un de nos meilleurs poètes russes et dont la musique est de notre cher Rubinstein et le livret de Wiskowatoff. Je remportai un assez grand succès et je partis à Moscow jouer -toujours en amateur- les grandes pièces du répertoire russe.

En 1916, le cinéma commençait à m’intéresser vivement et je débutai à la Bio-Film. Un de mes premiers rôles dans cette nouvelle carrière fut Yvette, dans un film tiré de la célèbre nouvelle de Guy de Maupassant. Les intérieurs avaient été tournés aux studios de Moscow et les extérieurs à Yalta, mon pay natal.

Ensuite, je tournai pour la Société Koslowsky, puis je devenais une des vedettes des Films Ermolieff de Moscow et je devins bientôt populaire en Russie.

Puis… oh! non, c’est trop douloureux… ajoute mme Kovanko, les larmes aux yeux, puis, étant dans l’obligation de fuir la Russie à cause des Bolcheviki (pensez donc, en une heure et demie, je dus quitter mon cher pays) et partis à Athènes où je séjournai quelque temps. Là, on m’offrit un engagement pour tourner en Italie, mais je refusai pour revenir avec M. Joseph Ermolieff qui tournait en France depuis quelques mois aux anciens studios Pathé de Montreuil-sous-Bois.

« Deux artistes russes à Paris : Mme Kovanko & M. Tourjansky »
Cinémagazine No 47, 9 Décembre 1921

1918年のロシア革命後、帝政寄りだった一部の映画人が祖国を離れ、フランスに向かいました。モジューヒンやヴォルコフといった才能ある面々が同地でアルバトロス映画社を立ち上げ、第一次大戦後に停滞していた仏映画に衝撃と活力をもたらしていきます。

フランス亡命時代に頭角を現した女優の一人がナタリー・コヴァンコでした。ヴィクトル・トゥールジャンスキー監督のお気に入りとしてヒロイン級に昇格、1926年の秀作『大帝の密使』でもモジューヒンの相手役を務めています。

[Movie Walker]
ナタリー・コヴァンコ

[IMDB]
Nathalie Kovanko

[出身]
ロシア

[誕生日]
9月13日

[コンディション]
B+

[メーカー]
Ross Verlag

1936 – アラ・ナジモヴァ主演舞台劇『ヘッダ・ガブラー』 出演者寄せ書き Alla Nazimova

夫人が初めて米國へ渡って紐育の劇場に現はれたのは一千九百五年の事であつた。その頃は未だ花形といふ程ではなかつたが、三年間といふもの、殆ど日夜の差別も無い位に研究勉励して、やがて紐育に於ける第一位の女優となる事が出来た。今では夫人は世界的に名を成してゐる。夫人の得意な演物は主としてイブセンの作品で「人形の家」「建築士」「野鴨」「ヘッダ・ガブラー」などは何れも好評嘖々たるものであつた。

初めてレンズの前に立つたのは一千九百十七年セルツニック會社の依頼に依つて「戦争の花嫁」を撮影した時であつた。これは舞臺劇としては夫人の名を高らしめたものであつたが映畫劇としては餘り面白く行かなかった。第二回目の作品はメトロ会社のスクリーン・クラシク映畫「天啓」(卽ち今春キネマ倶樂部に上場された「奇蹟の薔薇」)で、これは極めて評判が好かつた。最近天活會社は夫人の出演映畫を全部輸入する計畫を立てたといふから、何れ續々吾々の目の前に現はれる事であらう。近く「紅燈」がキネマ倶樂部に上場される筈になつてゐる。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

昭和11年にブロードウェイで上演された舞台劇『ヘッダ・ガブラー』のパンフレットに主演ナジモヴァと他の出演者6名がサインしたもの。

ナジモヴァは1910年代にロシアから渡米し成功を収めた一人です。クセのある風貌で米女優では得難い退廃の雰囲気を見せつけました。映画では『椿姫』(1921年)と『サロメ』(1923年)がよく知られています。

プログラムの左上からグレース・ミルズ(Grace Mills)、レスリー・ビンガム(Leslie Bingham)、ナジモヴァ。右上からマッケイ・モリス(McKay Morris)、ハリー・エラーブ(Harry Elerbe)、エドワード・トレヴァー(Edward Trevor)、ヴィオラ・フレイン(Viola Frayne )。

[Movie Walker]
アラ・ナジモヴァ

[IMDB]
nm0623417

[誕生日]
5月22日

[出身]
ロシア

[コンディション]
B+

[入手年月日]
2017年9月

リナ・マルサ Rina Marsa (1904 – ?) 露/独

Rina Marsa

1920年代末に注目を集めヒロイン〜準ヒロインとして登場するも直後のトーキー化に消えていった女優さん。活動期間が短かったこともあって伝記データが少なく、引退後の動きや没年も分かっておりません。ドイツ時代のウィリアム・ディターレが監督・主演した『バイエルンの王、ルートヴィヒ2世』、主人公の婚約者役を演じた船上ミステリー『遊覧船「よしわら」号』 などが現存しています。

Rina Marsa in Ludwig der Zweite, König von Bayern (1930)
『バイエルンの王、ルートヴィヒ2世』 (1930年)より

[IMDB]
nm0550338

[出身]
ロシア(コーカサス)

[コンディション]
B+

[入手年月日]
2017年5月

[メーカー]
Ross Verlag

リディア・ポテキナ Lydia Potechina (Лидия Семеновна Потехина, 1883 – 1934)

「ロシア [Russia]」より

Lydia Potechina Autographed Postcard
Lydia Potechina Autographed Postcard
ロシア生まれ。10代後半から舞台で活躍、ロシア革命後に母国を離れドイツで映画女優としての新たなキャリアを積み始めます。1922年の『ドクトル・マブゼ』(フリッツ・ラング監督作品)では賭博場でマブゼ博士にだまされるロシア貴婦人として登場。1925年の『ワルツの夢』(ルドウィッヒ・ベルガー監督作品)ではオーケストラのコントラバス奏者として作品に軽快さを付け加えていました。

Lydia Potechina in Dr. Mabuse, der Spieler
Lydia Potechina in Dr. Mabuse, der Spieler (1922, Fritz Lang)

雑誌で特集を組まれるような女優さんではなかったものの一定の需要があるタイプ。私生活では独ウーファ社の大物プロデューサー夫人に収まっています。

[Movie Walker]
リディア・ポテキナ (Lydia Potechina)

[IMDB]
Lydia Potechina

[出身]
ロシア

[生年月日]
9月5日

イリーナ・レオニドフ Ileana Leonidoff (1893 – 1968) 露/伊

Ileana Leonidoff 1924 Autographed Photo
Ileana Leonidoff 1924 Autographed Photo

イタリア未来派の代表作『Thais』 (1917年)でヒロインに抜擢され注目を浴びたのがイリーナ・レオニドフでした。

Ileana Leonidoff 03
『アッチラ』(1918年)より

ロシア生まれで若くしてイタリアに移り住み当初はオペラ歌手の修業を積みます。まず映画女優として名を上げて歴史映画(『アッティラ』)や恋愛ドラマに出演、1922年を境にバレエに活動を移していきました。ローマを拠点とし自身のバレエ団を結成海外公演を行っていた記録があり、1924年にロンドン公演を行っています。このサイン入り写真はその際の一枚と思われます。

綺麗な写真ですが数か所の汚れ、右下に目立つ破れがあります。

Ileana Leonidoff 1924 Autographed Photo

[サイズ]
15.0 × 20.0 cm

[IMDB]
nm0503064

[出身]
ロシア/ウクライナ

[誕生日]
3月3日

[コンディション]
C+

ウェラ・オルロワ Vera Orlova (1894–1977)

こちらは1910年代から活動を続けていた女優ウェラ・オルロワ。以前に紹介したオリガ・クニッペル同様、1921年にモスクワ芸術座がクロアチア首都ザグレブを訪れた際に残されたサインと思われます。サイン日付は1921年1月28日。

舞台が中心ではあるものの映画でも重要な役どころを多く演じており、1916年の『スペードの女王』、1923年の『罪と罰』、1924年の『アエリータ』など現在でも評価の高いロシア・ソ連初期映画で演技力を発揮しています。

[Movie Walker]
ウェラ・オルロワ

[IMDb]
nm0650153

[誕生日]
5月27日

[撮影]
トンカ・スタジオ(ザグレブ)

大正9年のアンナ・パブロワ・バレエ団(2)ヴェラ・カラーリィ (1889 – 1972) Vera Karalli


チャールズ・トープ氏旧蔵サイン帖より

ロシア帝政期~ソヴィエト時代に活躍した舞踏家・映画女優で、1910年代半ばのエフゲニー・バウエル作品(『瀕死の白鳥』1917年など)で重用されていました。

私生活ではニコライ二世の従弟ドミトリー大公の愛人。1916年、同大公を中心にラスプーチン暗殺が決行されます。猜疑心の塊となっていたラスプーチンをおびき出すために女性が使われたという噂もありました。関与を疑われ、警察の調査対象となった女性が二人いて、その一人がヴェラだったそうです(『真説ラスプーチン』、エドワード・ラジンスキー著)。真相は現在でも不明。

サインは鉛筆書きで名前のみ。仏文化の影響を強く受けた帝政ロシア期の女性らしくヴェラの「e」にアクセント記号を付しています。

[IMDb]
nm0832977

[誕生日]
7月27日

[出身]
ロシア