ライラ・リー Lila Lee (1905 -1973) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(1)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」
「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Lila Lee c1920 Inscribed Photo
Lila Lee c1922 Inscribed Photo

ライラ・リー嬢はニューヨーク市で生れ、家庭教師の教育を受けた。幼くしてヴォードヴィルで活動を開始、指導はガス・エドワーズ氏によるもので、嬢の「発見」は同氏の功績が大なりと言わねばならない。氏の手による名曲『ジミー・ヴァレンタイン』の初披露時に歌っていたのがリー嬢で、また同氏の手掛けた「少女歌劇物」にも数多く出演。舞台の愛好家たちは愛情をこめて「抱っこちゃん(Cuddles)」と呼んでいる。映画界での第一歩はフェイマス・プレイヤー社の『見せかけの船路』で以後『可愛い海賊』『男性と女性』『狼の娘』『米国市民ホーソン君の冒険』と出演を重ねていく。身長は五尺三寸、體重は十三貫三百匁、黒目黒髪。

Lila Lee was born in New York City and was educated by private tutors. She started her stage career in vaudeville at an early age, under the guidance of Gus Edwards, to whom must be given the credit for « discovering » her. She was the original « Look Out for Jimmy Valentine » girl introducing that song for Mr. Edwards, and has appeared in many of his « kid » revues. She is fondly known to all theatre-goers as « Cuddles. » She started her screen career with Famous Players, making her first appearance in « The Cruise of the Make-Believe », followed by « Such a Little Pirate, » « Male and Female, » « A Doughter of Wolf, » and « Hawthornes of the U.S.A. » She is five feet three inches tall, weighs a hundred and ten pounds, and has black hair and black eyes.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

ドナルド・キース(Donald Biddle Keyes)氏は1920年初頭~1954年にかけロスアンゼルス拠点で活動していた写真家です。ラスキー・フェイマス・プレーヤー社~パラマウント社でスチル写真の撮影に携わり、ウォーレス・リードやルドルフ・ヴァレンティノ、グロリア・スワンソン等当時の花形俳優のポートレート写真を多く残しました。

その後1930年代には自身の写真スタジオを立ち上げゴールドウィン映画社やユナイテッド・アーティスト社でスチル撮影を続け、1954年の引退まで業界で高い評価を維持し続けました。

今回ご紹介するのは、キャリア初期に自身の撮影した写真にメッセージとサインを入れてもらったキース氏の個人旧蔵品です。第一弾は1920年代フェイマス・プレーヤー社の花形で、トーキー移行後も活躍を続けた実力派女優ライラ・リー。ヴァレンティノ主演作『血と砂』(1922年)でヒロインを務めた際の一枚で、当時の映画雑誌グラビアにも使用されていました。

Lila Lee in Blood and Sand
『血と砂』(1922年)より

[IMDb]
Lila Lee

[Movie Walker]
ライラ・リー

[出身地]
合衆国(ニュージャージー州ユニオン・ヒル)

[誕生日]
7月25日

[撮影]
ドナルド・ビドル・キース [Donald Biddle Keyes]

[サイズ]
17.8 × 24.1 cm (カーボン製フレーム除く)

ワンダ・ホウリー Wanda Hawley (1893 -1963) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(2)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」
「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Wanda Hawley 1922 Inscribed Photo
Wanda Hawley 1922 Inscribed Photo

ワンダ・ホウリー嬢はペンシルヴァニア州スクラントンで生を受け、幼少時に家族と共にワシントン州シアトルに居を移し同地で教育を受けた。銀幕デビュー時はフォックス映画社に在席、同社で8か月務めた後ラスキー撮影所に合流、フェアバンクス氏の『ドグラスの跳ね廻り』に女主人公として登場した。またウィリアム・S・ハート、チャールズ・レイ、ブライアント・ウォッシュバーン、ウォーレス・リード諸氏とも共演。特筆すべき役柄としては『エヴリーウーマン』で「美」を象徴的に演じた「美子(Beauty)」がある。今はリアルアート映画社に籍を置き、軽めの恋愛劇シリーズに主演中で第一弾は『ホッブス嬢』。身長は五尺三寸。体重は十三貫三百匁。金髪に灰色がかった青の瞳を有し運動も得意としている。

Wanda Hawley was born in Scranton, Pa., but together with her family moved to Seattle, Washington, when she was a child. She received her education in Seattle. Wanda Hawley made her screen debut with the William Fox Company and after playing with them for eight months joined Lasky studio forces and appeared as leading lady for Douglas Fairbanks, in « Mr. Fix-it. » She has also appeared opposite William S. Hart, Charlie Ray, Bryant Washburn, Wallie Reid and others. One of her most notable screen characterizations was the symbolic role of « Beauty » in « Everywoman. » She is now being starred in Realart Features in a series of light romances, the first of which is « Miss Hobbs. » She is five feet three inches high, weighs a hundred and ten pounds, and has blond hair and greyish blue eyes. She is an able sportswoman.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

フェアバンクス作品のヒロイン(『ドグラスの跳ね廻り』)、デミル作品(『男性と女性』『連理の枝』)、ヴァレンティノとの共演(『ヤング・ラジャー』)まで1920年前後のハリウッドでシンデレラストーリーを歩んでいった女優さん。「オックスナードの思い出に(Memories of Oxnard)」の一文が付されており、ロケ地にオックスナード砂丘が選ばれた『燃ゆる砂(Burnig Sands)』撮影時の一枚と思われます。

Wanda Hawley in the Affairs of Anatol
『アナトール』(1921年)より
Wanda Hawley in the Young Rajah
『ヤング・ラジャー』(1922年)より

[IMDb]
Wanda Hawley

[Movie Walker]
ワンダ・ホウリー

[出身地]
合衆国(ペンシルヴァニア州スクラントン)

[誕生日]
6月30日

1917 – 大正6年、ルース・ローランド主演 連続活劇『ネグレクティッド・ワイフ』 宣材 印刷メッセージ付きDM

「新作の『ネグレクティッド・ワイフ』をご覧にはなられましたか。必ずやお気に召すものと信じております。これまでに自分の主演した連続物で一番の出来映えと自負しております。メーベル・ハーバート・アーナーの脚本は地に足の着いた興味深い内容で、私の演じた”寂しい女”の役どころもまことに素晴らしいものとなっています」

I want you to see « The Neglected Wife » because I know you will like it. It is the greatest serial I have ever played. « The Woman alone » is the part I play and it is truly wonderful because Mabel Herbert Urner’s story is interesting and so true to life. Ruth Roland

パテ社が自社配給作品の『ネグレクティッド・ワイフ』宣伝のため直々に製作した絵葉書で、写真面に二色刷りのイラスト、メッセージ面には主演ルース・ローランドの「手書き風」メッセージが印刷されており、下に青のインクで「1917年5月13日公開」のスタンプあり。

1917年6月12日に投函。受取人はロンドン、ブロックリー在住のエイミー・リチャードソンさん。

当時まだ俳優の公式フアンクラブなどはなく、所属会社に届けられたファンレターなどから住所氏名をリストアップしデータベースを作り、DMを送ることで効率良い宣伝をしていたのではないか、と思われます。

[サイズ]
15.5 × 11.5 cm

[IMDb]
The Neglected Wife

1917 – 9.5mm マリー・オズボーン主演 『雙兒のキッディー』(ヘンリー・キング監督)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

[

マリイ・オスボルヌはこの喜劇の中でドリイと而して偶然が接近させたゼイチイの二人の小娘の兩役を立派にやつてゐます。でその所演から二人は互ひの着物を取り替て樂しみその樣子に騙された兩親等はそれを取り違へそれでその間違ひはいろの面白さを我々に與へるのであります。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

ハリウッドの重鎮ヘンリー・キング監督が、キャリアの最初期に出演を兼ねながら監督していた短編喜劇の一つ。以前サイン入り写真を紹介した初期の子役マリー・オズボーンを主演に据えています。

内容は瓜二つの少女(オズボーン二役)の取り違えの喜劇。裕福な実業家の娘として生まれながら誰にも愛されずいつも不機嫌な顔をしている少女フェイと、母を持たず貧しくとも健気に暮らしているベッシーが水辺で出会い、戯れに服を交換したことから取り違えられてしまい…と展開していきます。

オリジナル版はフェイの父親が所有する炭鉱のストライキなど格差社会や労働問題にも触れられていたようですが9.5ミリ版は取り間違えの場面を中心に簡潔にまとめています。

[タイトル]
Deux Rayons de soleil

[原題]
Twin Kiddies

[公開]
1917年

[IMDB]
Twin Kiddies

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
757

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 10m *4リール

1916 – 9.5mm ダグラス・フェアバンクス主演 『電話結婚』 (The Matrimaniac)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

9.5mm Douglas Fairbanks in The Matrimaniac (1916)
9.5mm Douglas Fairbanks in The Matrimaniac (1916)

御なじみの名高いダグラスフエーヤバンクスは彼の獨得の妙技を振って演じた快味湧くが如く姿又眞に迫つた活劇である。彼は絶世の美人マルヂヨリーに戀したけれども父は頑強に反對したのである。彼は決心のほぞをきめてマルヂヨリーを奪ふやいち早く逃げた追急して來る追手からのがれんとして心膽を寒からしむる彼獨得の冒険を犯しつゝ迹け終り逸早く牧師を説得し目出度く結婚すると云ふ血沸き肉躍る活劇である。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

フェアバンクス初期主演作の9.5ミリ版。

1910年代のフェアバンクス短編は後年の長編(『奇傑ゾロ』『ロビンフッド』)と質を異にしています。十数分の枠にお笑いやアクション、恋愛劇をバランス良く詰めこみ物語は勧善懲悪で綺麗にまとまっています。

また新人女優にとって良い登竜門になっていました。ジュエル・カーメン(『火の森』)、アルマ・ルーベンス(『アメリカ人』)、ポーリーン・カーリー(『ドグラスの跳ね廻り』)、アイリーン・パーシー(『ドーグラスの蛮勇』)、マージョリー・ドウ(『ドーグラスの現代銃士』)などがフェアバンクスとの共演を通じて女優キャリアのステップアップを実現していきました。

『電話結婚』はコンスタンス・タルマッジを相手に据えた一本で、ロミオとジュリエットを念頭に「相手の親の反対にも関わらず猪突猛進するドーグラス」を楽しそうに演じています。

[タイトル]
Mariage au téléphone

[原題]
The Matrimaniac

[公開]
1916年

[IMDB]
The Matrimaniac

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
10025

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m *2リール

マリー・オズボーン Baby Marie Osborne (1911 – 2010) 米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Marie Osborne 1923 Inscribed Photo
Baby Marie Osborne 1923 Inscribed Photo

映畫界に這入つたのは數年前で、最初はパセ會社のバルボア映畫に現はれた。大正六年の春電氣館に上場されたルス・ローランド嬢出演の連續映畫「赤輪」に、オスボーン嬢も姿を見せてゐた。その映畫はバルボア撮影所の製作に係つたもので、恐らく我國に於ける最初のお目見得であつたらうと思ふ。

房々とした髪、晴れやかな頬、明るい無邪気な瞳、そして子供らしい唇、それ等は映畫劇に於ける子役として、最も適當なものであつた爲めに、嬢の出演映畫はその製作の度に多大の拍手をつて迎へられた。その結果、パセ會社は特に嬢を主人公とする映畫を作つた。「可憐なマリー・サンシャイン」「ジョートと龍」「日蔭と日向」「黄昏の物語」「雙兒のキッディー」などがそれである。その頃から嬢はサンシャインという綽名で呼ばれるようになつた。この綽名が示すやうに、嬢の子供らしい無邪氣さには、少しの厭味もなく、唯春の空のやうな明るさのみが感じられる。

『活動名優寫眞帖』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1930年代にシャーリー・テンプル、1920年代にベイビー・ペギーやジャッキー・クーガンが名を馳せる以前、無声映画の最初期に子役として人気を博した一人がマリー・オズボーンでした。ヘンリー・キング監督の作品で見せた天真爛漫な演技から「サンシャイン」のあだ名で親しまれていました。

Marie Osborne Le Film, n°116
1918年仏ル・フィルム誌116号の表紙より

1919年には子役を引退、以後裏方として映画産業に関わっていきます(1965年のジャック・レモン主演作『女房の殺し方教えます』衣装担当他)。『活動名優寫眞帖』で挙げられていた『雙兒のキッディー(Twin Kiddies)』など出演作の幾つかが9.5mmフィルムで発売されていた記録が確認されています。

サインには役者業を引退した後の1923年の年号が付されています。この時期の直筆物を他に見たことがなく、役名で使用していた「Osborne」ではなく本名の「Osborn」を使用するなど現時点で紛れあり。

[IMDb]
Marie Osborne

[Movie Walker]
マリー・オズボーン (Marie Osborn)

[出身地]
合衆国(コロラド州デンバー)

[誕生日]
11月5日

[撮影]
エヴァンス L.A.

ネヴァ・ガーバー Neva Gerber (1894 – 1974) 米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Neva Gerber Autographed Photo
Neva Gerber Autographed Photo

ネヴァ・ガーバー嬢は、一千八百九十五年、米國のシカゴ市に生れた、同地の小學校を卒業をシカゴ聖心女學院に學んだ。その頃から演劇が好きで、學科の中でもピアノには特に秀でてゐた。

學生生活を終ると、暫く両親の膝下にあつて、家事の見習ひをしてゐたが、生來の芝居好きな心は、間もなく嬢を驅つて映畫界に身を投ぜしめた。最初に嬢が這入つたのはカレム會社であつた。同社では「探偵の妹」や「大秘密」などを撮影した。しかし、その頃は未だ大して評判にはならなかつた。カレム會社を去るとバルボア會社に移つて「分離された家」「運命の悪戯」などに出演し、更らにフェーボリット・プレイアー會社に轉じて「高壓手段」を製作した。この映畫はカーライル・ブラックウェル氏と共演したもので、嬢の役はエドナといふ娘であつた。大正五年の四月に東京倶樂部に上場された「總選擧」は、卽ちこの映畫の改題されたものである。嬢の名聲が次第に昻つて來たのは實にこの時代からの事である。

その後、同社を去つてアメリカン會社に轉じ、「雛菊」「各自の心」「家なき人」「母の忙しい日」「アニタの蝶」など數多の映畫に出演した。その中でも「家なき人」は特に評判の好かつたものである。嬢の評判が傳へられるに及んで、幸運な日が続いた。

一千九百十六年の夏、ユニヴァサル會社は辭を低うして嬢を招いた。嬢はアメリカン會社を去つてユニヴァサル會社に移つた。そして「望みなき城」「アイドル・ワイヴス」などを撮影した。「アイドル・ワイヴス」は大正六年の五月に帝國館に上場された。その映畫では、嬢は活動寫眞を見る娘を演じてゐた。嬢の入社後間もなく、ユ社は莫大な費用を投じて連續寫眞「電話の聲」を撮影したが、その時、嬢は選ばれて女主人公ポリーを演じベン・ウィルソン氏を相手にして活躍した。この映畫が大正六年の六月に帝國館に上場されて以来、嬢の名は我國にも喧傳されるやうになつた。

『活動名優寫眞帖』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1910年代中盤にカレム~バルボア社の短編劇で下積みを経た後、ユニヴァーサル社連続活劇で名を上げたのがネヴァ・ガーバーでした。『電話の聲』(1917年)を皮切りとしてベン・F・ウィルソン監督の手による活劇にヒロインとして登場、同時期の初期ジョン・フォード西部劇でハリー・ケリーとも共演を重ねています。

20年代になって大手との契約が切れた後もベン・F・ウィルソン監督作品に安定して出演を続けており、幾つかの作品の現存が確認されています。

キャリア初期に監督のウィリアム・デズモンド・テイラーと婚約していた時期があり、1922年に同監督が怪死を遂げ大スキャンダルとなった時にメディアで二人の関係(死の直前まで頻繁に金銭授受があった理由など)が取り沙汰されていました。

[IMDb]
Neva Gerber

[Movie Walker]
ネヴァ・ガーバー

[出身地]
合衆国(イリノイ州アルジェンタ)

[誕生日]
4月3日

[撮影]