大正5年 (1916年) パール・ホワイト主演『陸軍のパール』&エラ・ホール主演『マスター・キイ』仏語小説版

「パール・ホワイト関連 [Pearl White Related Items]」より

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1916年末に公開された連続活劇『陸軍のパール』の仏語小説版。1914年公開『マスター・キイ』と2in1の形で出版されたものです。10冊発売された冊子を合本にしたハードカバー特装版。

パール・ホワイトの連続活劇の流れは1914年『ポーリンの危難』に始まり、同年末から15年の『拳骨』、16年『鉄の爪』、17年『運命の指輪』、18年『家の呪い』へと続いていきます。本作品『陸軍のパール』は『鉄の爪』と『運命の指輪』の間に位置、公開時はかなり話題を呼んだようで、フランスだけではなく日本でも法令館キネマ文庫から小説版(1921年)が出ていました。

肝心のフィルムの大半は遺失したとされており全体像を知ることはできなくなっています。ヒロインが潜水服をまとっているスチル写真が有名であるにも関わらずどのような文脈で登場してくるのか分からない謎多き作品。


連休中に『拳骨』を読んでいる最中でこちらまで目を通している時間はなさそうなのですが、写真やキャプションを追っていったところ:

・前半は『拳骨』と同様に謎の悪党一味(静かなる脅威団 ”Silent Menace”)が登場してヒロインを危地に陥れる
・中盤以降は軍隊との連携が強調されていく
・各章での派手な立ち回りで盛り上げるのではなく大団円に向けた息の長いストーリー感がある
・潜水服姿のパールは最後の決戦の場面で登場
・全体的に愛国主義色が強い

…という特徴は伝わってきました。最後の愛国主義色はアイリーン・カッスル主演の『パトリア』(1917年)と繋がってくる感じでもあります。
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以前から何度か紹介している『ゾーズ・オウフル・レビュー』は第10章のネガを見つけたようで英語で長いレビューを書いています。またアーカイブ・フィルムの名手ビル・モリスン監督によるドキュメンタリー映画『ドーソン・シティー:凍結された時間』で描かれていた「アラスカ国境近くで土の中から発見された大量の35ミリフィルム」に『陸軍のパール』の35ミリ版が含まれているそうです。
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[出版年]
1916年

[出版者]
ロマン・シネマ社(パリ)

[翻案]
マルセル・アラン

[ページ数]
240頁(陸軍のパール) + 288頁(マスター・キイ)

[サイズ]
16.5 x 23.5 cm

米リヴェア社「エイト88型」 ダブル8 動画カメラ + Elgeet-Revere 1/2 f:2.5 & Kent Telephoto 1 1/2 f:3.5

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「ダブル8」と呼ばれる16ミリフィルムを使用した形式の8ミリ動画カメラ。16ミリ用スプールを使うためやや幅広ながら手のひらにしっくり収まるサイズ感。使われている部品の質も良く当時のシカゴ産業界の好調振りが伝わってきます。


この機種をめぐる経緯については「メイド・イン・シカゴ博物館」で詳しく説明されています

この記事では、戦中に頭角を現していた新興メーカー・リヴェア社が1940年、業界トップのベル&ハウエル社の定番カメラ「フィルモ・コンパニオン」に勝負をしかけた一台とされています。スペックや精度の点でコンパニオンに劣っていたのですが、リヴェア社は値段を32.5ドルに設定(コンパニオンは50ドルほど)することで価格競争に打って出たのです。

スペックやブランド名重視の層が一定数いるのを承知の上で、そこまでこだわらないコスパ重視の層を切り崩していく戦略となります。一定の成果を上げたようで同機はリヴェア社のロングセラー商品の一つとなりました。

レンズについてはウォーレンサック社の12.5mm f=3.5(高級機はf=2.5や1.9)が標準仕様だったようです。戦後となりニューヨーク拠点エルジート社のレンズも採用し、今回入手した一台も同社のレンズを備えています。
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革鞄のポケットにもう一本レンズが入っていました。「Japan」の刻印が入った「Kent Telephoto 1 1/2」でした。このレンズはほとんど情報がなく、オンラインでも二人の方が言及されている(一人はデジカメによる作例あり)のみでした。古い日本製のターレット型8ミリカメラでたまに見かける「Sun Telephoto 1 1/2 f:1.9」と同様、廉価な国産Dマウントシネレンズの一つではないかと推察されます。

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晩年のフリッツ・ラングが送ったクリスマス&新年祝いのカード

「フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]」より

フリッツ・ラング監督が晩年(1970年頃)に送ったクリスマス&ニューイヤーカード。以前、フランスの女優マドレーヌ・オズレイさんに宛てた電報をご紹介いたしました。出所が同じでおそらくオズレイさんが保管していた一点と思われます。

二つ折りで開いた大きさは22.0×15.5cm。折った時、外側に幻想的なイラストが見えるようになっていて、裏面に5か国語で説明が付されています。開くと内側に「メリークリスマス&新年おめでとう フリッツ・ラング」の印刷メッセージ。

こちらはユニセフのチャリティ用カードで晩年を合衆国で過ごしたラング監督の慈善活動の一端を伺うことができます。イラストデザインは米国の画家キャロリン・ジョブロンスキー(Carolyn Jablonsky, 1939-1992)さんが担当。似たフォントやレイアウトを使用した別画家作品が1970年前後にユニセフのクリスマスカードに使用された記録があり、時期を60年代末から70年代初頭と見ています。

1913 – スタンダード8 パール・ホワイト初期短編集(クリスタル社/ブラックホーク版)

「パール・ホワイト関連 [Pearl White Related Items]」
& 「8ミリ 劇映画」より

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Standard8 Pearl White 3 Crystal Shorts

以前にパール・ホワイトが「連続活劇の女王」として人気を博す以前の初期短編を二作紹介いたしました。ホワイト初期作品の8ミリ化については英語情報もほとんどなく二作のみと思っていたため、先日別作品がイーベイに出てきて驚きました。折角の機会ですのでデータをまとめてみます。

1912年10月 -『仕立屋請求書始末記』Her Dressmaker’s Bills
1913年3月 -『或る夜の街』A Night in Town
1913年5月 -『女探偵パール』Pearl As A Detective
1913年7月 –『紙人形(ペーパー・ドール)』 The Paper Doll
1913年7月 -『ホールルーム・ガール』The Hallroom Girls
1913年9月 -『夜に彷徨ふ女(ロスト・イン・ザ・ナイト)』 Lost in The Night
1914年1月 -『リング』 The Ring

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確認できた限りで以上7作(全作未DVD/ブルーレイ化)。制作はクリスタル社。監督はいずれもフィリップス・スモーリーで共演男優はチェスター・バーネット。今回入手したのは『或る夜の街』『女探偵パール』『ホールルーム・ガール』の三本を400フィートリールにまとめた一本。

『或る夜の街』A Night in Town

パール・ホワイトは裕福な家に使える小間使い役を演じています。夫婦が旅行で家を空けると、パールと執事はこの時とばかり勝手にクローゼットを開け高価な服をまとい、パーティーを始めます。そこに家主が不在と知らない親戚の男性がやってきてしまい、執事は慌ててパールを「旦那様の奥さん」と紹介してその場を乗り切ろうとします。ところが男性がパールに一目ぼれしてしまい…

『女探偵パール』Pearl As A Detective

パール・ホワイトは興信所の女探偵として登場。夫が机に置き忘れていた手紙から浮気を疑った妻(グレース・ダーリング)が興信所に調査を依頼。担当に指名されたのはパールでした。夫に接近し、会話を重ねる中で二人は意気投合してしまい、抱擁している場面を妻に見咎められてしまいます…

『ホールルーム・ガール』The Hallroom Girls

ルームメイトである仲良し女子二人組と、その二人と交際中のこれまたルームメイトの男子二人組。ところが彼氏の親友、彼女の親友に手を出し始めたことで関係が怪しくなり女性陣は取っ組みあいの大喧嘩に。警官まで巻きこんで男性二人が逮捕されてしまうのです…

概要から伺えるように3作とも軽めの恋愛喜劇です。

演出、脚本に新味はなく、本作を見た人の「がっかりした」評価も順当ではあります。ただし1913年の作品としては及第点、むしろ当時は質に無頓着なこの手の量産コメディが「普通」で、女優パール・ホワイトがそういった賑やかな現場で活躍し鍛え上げられていった(そして後に黒歴史としてなかったことにされる)雰囲気は伝わってきます。個人的には『女探偵パール』でのスーツ姿、『ホールルーム・ガール』の室内装飾や衣装、屋外撮影の空気感が気に入りました。

ホワイトのクリスタル期作品についてはオンラインで唯一「Those Awful Reviews」が分析しています。アニタ・スチュワート主演の傑作『呪の列車』35ミリ版を自力で発掘、デジタル化・リストアしている人物の手によるもので作品の良し悪しを的確に見極めています。

1917 – 「パール・ホワイト嬢の活劇宿命論」(『活動之世界』第二巻三月號 30~32頁)

「パール・ホワイト関連 [Pearl White Related Items]」より

Pearl White « Actress as A Fate » (Katsudou No Sekai « Moving Picture World » 1917 March Issue)

今から三年計り前の事、恰度、「ポーリンの危難」を撮影中、ある場面で、惡漢がポーリンの私を、地下室に落し込んで、水溜まりの掘割から水を注ぎ込んで、私を水中に沒し去らうといふ時に、四方から幾百とも知れぬ鼠を放つて私を苦しめるといふ所が御座いました。段々とやつて居りますと、水は私の首まで浸して來る、鼠は水に驚いて、わたくしの顔やら耳やらを襲ふて來る、流石の私も、可成り氣味惡く感じましたが、周圍で見て居た人ほど恐ろしいとは思ひませんでした。

又、同寫眞中、私が輕氣球に乗ると、惡漢が來て綱を切るといふ場面を撮りました。ある所から輕氣球を借りまして、ニユージヤーシー州のバラセード公園の一隅に据ゑ付け、降りる時に用ひる繩の用意など整えて、いよいよ撮影に取りかゝる事になりました。私がその輕氣球に乗ると惡漢が繩を切る、輕氣球は空へと上る、その時、私が下降用の繩の始末を忘れて居たので、球は段々と高く上つて、ハドソン河上を横切つて紐育市を越え、ロングアイランドへ向つて進んでゆく。私は珠上の眺望の見事さに、我身の危険さも忘れて飛んで居ましたが、其内球が段々大洋の上に出かゝつて來ましたので、驚いて下降用の縄を引張り、やつと水際から二三歩の沼の上に下りることが出來ました。此時は私よりも、外の人にご心配をかけた事は一通りでなく、舞臺監督のギアシニアーさんなど、まるで狂亂の姿で追かけてお出になりました。

斯んな事は、活劇女優として少しも自慢にはなりませんが、私は如何なる危險な身の毛のよだつ樣な場合にも、決して身替りを頼んだ事は御座いません。

さりとて、活劇は、實際危險です。ですから活劇を演る人は、皆んな宿命論者のやうです。[…]物事は成る樣にしか成るものではない、何うなり行くのも皆な其の人の宿命と考へまして、如何なる場合にも全力を注ぎます。

『活動之世界』の記事から5年後となる1922年の8月、休養からの再起を図った活劇『プランダー』撮影中に事故が起こりました。パール・ホワイトのスタントを担当していた男優ジョン・スティーヴンソン氏がスタントに失敗し亡くなったという出来事でした。初期作品で体を痛めていた活劇女優が実際には危険な場面を演じてはいなかった、と正式に明らかにされたのはこの時のことでした。前々から知っている人は知っていたんでしょうね。

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ニューヨークヘラルド紙1922年8月11日付記事より

パール・ホワイト Pearl White (1889 – 1938)

「パール・ホワイト関連 [Pearl White Related Items]」
& 「合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Pearl White Inscribed Photo
Pearl White Inscribed Photo

六年の間、曲馬團の女王として相當の評判を取つてゐたが、やがて活動寫眞の隆盛に赴く様を見て、自分も映畫劇に出演したいと考え、昔馴染の團員と別れて、先ずユニヴァサル會社に身を投じた。同社ではクリスタル映畫の喜劇に出演した。その頃の作品には「パールと泥棒」「新しい帽子」などを初めとして数十本の喜劇がある。

一千九百十四年の春、パセ會社の招きに應じて同社に移り、新連續映畫「ポーリンの危難」に女主人公ポーリンを演じ、次いで同じく連續映畫「拳骨」に女主人公エレンを勤めて、斯界の人氣を一身に集めるに至つた。連續映畫專門の嬢は、「拳骨」に續いて「鐵の爪」を撮影した。それが亦大好評であつた。その爲めに、遂ひには、パセ會社ニュー・ジャーセーの第一首腦女優とまでなるに至つた。以上三種の連續映畫の外に、近頃の作品では、「運命の指輪」と「呪の家」とが電氣館に上場された。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1917年公開の『運命の指環』宣伝用写真。乗馬服姿で鞭を持って毛皮に立っています。縁に数か所ダメージあり。左下には万年筆で「ミルドレッド・メイソンさんへ(To Mildred Mason)、パール・ホワイトより」の一文。ちょうど1910年代の半ば、ルービン映画社(Lubin Company)で短編アクション映画の脚本を担当していた女性に同名の方がおられます。

もう一枚は絵葉書への直筆サイン。

Pearl White

印刷にも見えるフラットな筆跡ですが光をかざすと薄いペン先の跡があります。また以前に売買のあった同一デザイン絵葉書のサインと比べ筆跡が微妙に異なっています。

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Pとtの字形が異なった一枚

裏の宛先面はアルバムからの剥離跡多数。消印が読めたのが救いでした。1914年にニューヨークで投函されています。

[IMDB]
Pearl White

[Movie Walker]
パール・ホワイト

[出身]
合衆国(ミズーリ州)

[誕生日]
3月4日

[サイズ]
19.5 × 24.5 cm(スチル写真)
13.6 × 8.6 cm(絵葉書)

1919 – 9.5mm 『百萬長者の娘ッ子』(ジョージ・アーチェインバウド監督、米)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

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マルジヨリイは氣まぐれな不思議な而して可愛いゝはすつぱな小娘でありました。それでこの娘の理想する男は今様の火の神様で鍛冶屋場の烈しい爐の上にある晩彼女に現はれたのであります。所が或る日、兄の監視を逃れるため、彼女は自動車の中へ輕率にも飛び込みました。と、其處には彼女を喜んだ顔つきで眺めてゐる一人の若い男が居りました。。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

1910年代の雑誌で時々姿を見かける女優さんにジューン・キャプリスがいます。彼女が仏パテ社と契約を結んで主演した作品が『百萬長者の娘ッ子(ダムゼル・イン・ディストレス)』でした。

お金持ちのお嬢様が偶然出会った美青年と繰り広げる軽めの恋愛劇は(当時パテ社のスタジオがあった)ニューヨークでのロケ撮影。乗用車、タクシー、街並み、ファッションや髪型など時代の雰囲気を満喫できる作品となっています。

[タイトル]
Mam’zelle Milliard

[原題]
A Damsel in Distress

[製作年]
1919年

[IMDB]
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[メーカー]
仏パテ社

[仏パテ社カタログ番号]
739

[字幕]
仏語

[フォーマット]
9.5mm 10メートル×6本 仏語字幕 12476フレーム(約15分)