「スタヂオ日記」(『女性』誌 1927年10月号掲載)一労働者としての「女優」たち

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« My Studio Diaries » (from the magazine Josei [Woman] 1927 October issue)

大正期の邦画をよくご覧になっている方ですと小山内薫(1881-1928)の名に一度ならず触れているのではと思います。舞台での活動が本職ではありましたが、『路上の霊魂』(1921年)の制作や才能ある映画人の発掘・養成など邦画界にもひとかたならぬ功績のあった人物でした。

同氏が編集顧問として関わっていた文芸誌『女性』のある号(1927年10月号)に「スタヂオ日記」という企画が掲載されていました。当時人気のあった女優10名に寄稿を依頼し、女優業の実像を自身の手で伝えてもらおうとする内容でした。

依頼を受けたのは栗島すみ子、夏川静江、八雲恵美子、伏見直江、千早晶子、岡島艶子、柏美枝、徳川良子、酒井米子、松井千枝子の各氏。

『女性』誌 1927年10月号目次
『女性』誌 1927年10月号目次

-午後。
人はますます殖えて行く。暑さはまたぢはぢはと迫つて來る。
汗がぢつとりと流れて、顔もなにも目茶目茶になつてしまふ。
「助けて!」とほんとに云ひたくなる。

「夏の一日」 栗島 すみ子

それでもあのピカピカ光るレフを幾つもあてられると人一ばい暑がりの私は側で焚火をされてゐる程つらかった。一カツト済むと、すぐ扇風機と氷の側へ飛んで行く、飲むから汗が出る、汗が出ると猶ほ飲みたい。

「彦根行き」夏川 静江

仕方なしに、厚い冬の着物をつけ始めた。弟子達が団扇でせつせとあほいで呉れても、じりじりと汗がにぢみ出て來る。[…] あゝ今日のセツトはグラス・ステーヂ、あの百四十度もあるグラス・ステーヂへ…

「撮影所日記」松井 千枝子

暑い暑い事。南京玉の様な汗が額から背中から、ポロリポロリと落ちる氣持はだれでも、よくないと思ふ。

「私のグリンプス」 柏 美枝

職業とは言ひながら、百二十度からもあらうかと思はれるライトの前で仕事をする映畫俳優も、なかなか樂な商賣ではないとしみじみ思ふ。

「一日の仕事」 八雲 恵美子

1927年の夏は暑かったようで、灼熱のスタジオで汗だくになりながら演技を続け、仕事が終わると風呂で汗を流して息をつき、合間合間に気分転換を挟みながら会社の掲示板の予定に目をやって、明日の撮影に備えて早寝する…

何しろ砂地で馬脚が不規律に、砂の中にめり込んで、妾の身體は前後左右、四方八方に振り廻され、今にも墜落しさうなので、此處で落ちてなるものか、と鞍にシツカと 獅噛みついて、無我夢中、暑さも忘れた程。

「鳥取のロケエシヨン」伏見 直江

樂屋風呂に身體を沈めた時は、今迄の疲勞も一時に消えたよう…

「樂屋風呂の快味」酒井 米子

撮影も済んでスタジオに三時頃歸つた。そしてお湯に入つた後のすがすがしい気持に浸って明日の豫定をみて歸る。

「撮影の一日」徳川 良子

歸る路で自動車の競争をやつたら私のが一番に成つたんでうれしかった。會社に歸つたら明日の豫定が出て居る。人見組で朝七時集合。サア早く家に歸りませう。

「腹がぺこぺこ」岡島 艶子

大正期の女優とは、映画とはどうあるべきかといった抽象的な議論は一切なく、日々の経験と雑感を綴っています。雑誌の性質から考えると華やかではあっても消費されやすい「花形女優」の側面ではなく、自立して世を渡っていく「一労働者としての女優」の視点を持ちこもうとした、とも考えられます。また表現者としての思いは前面に出ていなくとも、背後にしっかり流れているのが伝わってきます。

京極はいつも乍らの澤山の人出、自分の映畫は如何かしらと不安にかられ乍ら常設館の入口まで行つて見る。大入りだ。なぜか涙ぐましい感謝の念湧く。

「自由な心」 千早 晶子

『戀は曲者』ロケ帰りの柏美枝さんが、母親への土産に羊羹やわさび漬けを買って帰っていたり、伏見直江さんが昼休憩中におかずを落として凹んでいたり、仕事もせず鎌倉でフラフラしている妹(松井潤子)の行く末を松井千枝子さんが案じていたりの貴重なエピソードも数多く含まれています。

1920年代後半 – 9.5mm 『サイゴンのフンヴーン廟/雄王庙』 戦前・アジア旅行記 2/7(ベトナム編)

「9.5ミリ動画 05b 個人撮影動画」より

1587c1930-the-hung-kings-temple-saigon-

The Hùng Kings Temple / Đền Hùng (Vietnam late 1920s)
US Tourists in South and South East Asia 02

以前に紹介したマレーシアでのペナンヒル登頂動画の続編。貴重な映像ですが、フィルムの状態があまり良くありません。汚れが多く、また以前湿気に触れた状態で放置されていたようで一部の映像が流れてしまっています。悪しからずご了承ください。

冒頭、地元の馬車が映し出され、川辺の風景が映し出されます。しばらくして登場してくるのが中華風の宗教建築物。カメラを引いていくと龍の欄干が見えます。往来を繰り返しているのはお参りしている人たちでしょうか。辮髪姿も見えます。

調べてみたところ紀元前にこの地を統治したとされるHùng王(雄王)にまつわる霊廟、フンブーン廟でした。元々はヴェトナムが仏領だった1926年に大戦の死者を弔うため建立されたもので、1975年にフンブーン廟と改名されています。隣接しているサイゴン動植物園も一瞬ですが登場しています。

[1966年頃のフンブーン廟]
vietnammoi.vnより

1931 – 16mm 『殉教血史 日本二十六聖人伝』を見る (池田富保、後半第2リール、仏語サウンド版)

「池田富保 関連コレクション」より

1931年に公開された池田富保監督の歴史物。純商業作品ではなく国内外に向け日本のキリスト教徒のイメージアップを図る目的で製作されたものです。

『殉教血史 日本二十六聖人伝』16mm 仏語サウンド版
The 26 Martyrs of Japan / Les 26 Martyrs du Japon (c1950s Kodak 16mm Print w/French Narration, 2nd and last reel)

現存は以前から知られていましたが、近年海外のサレジオ会修道院で発見されたプリントが修復され、2017年2月にヴァチカン市国で上映されています。また国内でも2017年10月に企画「シネマの冒険 闇と音楽 2017」の一環として国立映画アーカイブ所蔵のプリントが上映されていました。

本作の成立背景については『日本研究 第41巻』に収録された山科淳氏の論文(「映画『殉教血史 日本二十六聖人』と平山政十 : 一九三〇年代前半期日本カトリック教会の文化事業」 PDF)に詳しいためこちらでは割愛させていただきます。

成立過程の特殊さゆえ宗教映画・プロパガンダ映画の側面に光が当たりがちな作品です。しかし純粋に1930年代初頭の無声映画として見ても興味深い点が多いものです。

1)日活でオールスター時代劇を任される機会の多かった池田監督の作品であり、本作も同社の重要俳優が多く出演しています。普段と異なった役柄は力量ある役者(山本嘉一、澤田清)にとって実力を発揮する良いチャンスとなりました。

日本二十六聖人伝 山本嘉一
ペトロパプチスタ神父役の山本嘉一(Yamamoto Kaichi as Pedro Bautista)
日本二十六聖人伝 澤田清
ヨハネ諏訪野正道役の澤田清(Sawada Kiyoshi as Suwano Masamichi)

喜劇の印象が強い高勢実がキリスト教徒弾圧を目論む僧侶として登場、憎々しい演技で気を吐いています。また池田映画でおなじみの怪優・新妻四郎は教会に盗みに入りながら、神父の言動に心動かされ改心していく強盗・北海熊を好演しています。

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トマス小崎彦太郎役の中村政登志(Nakamura Masatoshi as Kozaki Hikotaro)
日本二十六聖人伝 片岡千恵蔵
フランシスコ大工伝吉役の片岡千恵蔵(Kataoka Chiezo as Denkichi)
日本二十六聖人伝 市川小文治
前田玄意役の市川小文治(Ichikawa Kobunji as Maeda genni)
日本二十六聖人伝 金平軍之助
高山右近太夫長房役の金平軍之助(Kanehira Gunnosuke as Takayama Ukon)
日本二十六聖人伝 山本礼三郎
コスマ竹屋吉郎兵衛役の山本礼三郎(Yamamoto Reizaburo as Takeya Kichirobei)

映画の後半は弾圧・殉教篇で、ここでは子役たち(中村英雄、中村政登志、尾上助三郎)の芸達者ぶりが目を引きます。慈悲心を備えた僧侶として市川小文治、大工役の千恵蔵がそれぞれ持ち味を出していました。

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細川ガラシャ夫人役の伏見直江(Fushimi Naoe as Gracia Hosokawa)
右にマダレナ桜木役の山田五十鈴
日本二十六聖人伝 滝沢静子
竹屋女房お仙役の滝沢静子(Takizawa Shizuko as Osen)
右に吉松役の中村寿郎
日本二十六聖人伝 浦辺粂子
お久役の浦辺粂子(Urabe Kumeko as Ohisa)

出演場面は短いながら女優陣も健闘。伏見直江は堂々たる細川ガラシャ夫人姿を披露、その脇に山田五十鈴の姿も見えます。山本礼三郎の妻として登場する滝沢静子の豊かな感情表現。そして物語最後、十字架にかけられた我が子を探し泥だらけの姿で刑場へやってくる母親は演技派・浦辺粂子さんでした。

2)また本作からは日本無声映画の技法が成熟期に入っている様子も伝わってきます。『殉教血史 日本二十六聖人』の制作・公開された1930~31年は、欧米でカメラ移動の可能性が追及されていた時期でもあります。米キング・ヴィダー監督が映画史に残るクレーン撮影の長回しを披露した(『群衆』『街の風景』)のがこの時期でしたし、ドイツでは長尺で凝ったトラベリング撮影が好んで使用されていました(『令嬢エルゼ』『会議は踊る』)。

『日本二十六聖人』後半は聖職者と信者たちが長崎まで長距離護送されていく展開でトラベリングが多用されています。大掛かりではないものの緊張感と豊かな空間性をもたらす効果を出しており、製作陣が当時の最先端の感覚を取りこんでいる様子が伝わってくるのです。

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A martyr and his cross

また、信者たちが牢獄に閉じこめられている場面では祈りを捧げる際に格子の影が十字に浮かびあがります。『裁かるゝジャンヌ』(1928年)や『サンライズ』(1927年)にも見られた発想です。後者はキネマ旬報洋画部門の一位を取った作品でもあり、当時の邦画界もノウハウとして共有していたと思われます。

手元にあるプリントはフランスから輸入したもので後半第二リールのみ。リード部分にはフランス語でタイトルが付されています。字幕はなく音声付きの形でした。ナレーションの語り口や音楽から1940年代後半~50年代のプリントと思われます。

『殉教血史 日本二十六聖人伝』は製作者・平山政十の奮闘にもかかわらず欧州で一般公開されぬままで山科論文でもフィルムの動きは掴めていないままでした。この16ミリ版は平山氏が現地に残したプリントが何らかの形で編集され、仏語圏のキリスト教徒の集いで上映されていた痕跡と考えることができます。第一リールに含まれている内容(秀吉の変心や慶長伏見地震)は欧米人に馴染みにくいため第二リールの受難篇だけを単独で上映していたのではないでしょうか。現在Youtubeに完全版がアップロードされておりますので、興味のある方は是非一度ご覧ください。

『殉教血史 日本二十六聖人伝』

[タイトル]
殉教血史 日本二十六聖人伝

[公開年]
1931年

[JMDb]
bg004370

[IMDB]
tt0422548

[フォーマット]
16mm シングルパーフォレーション サウンド版 仏語ナレーション入り 500メートル(約45分)

及川 道子 (1911 – 1938)

「日本 [Japan]」より

Oikawa Michiko Autographed Postcard
1930s Oikawa Michiko Autographed Postcard

本名及川道子。明治四十五年東京市に生る。東京音樂學校一ツ橋分教場聲樂科三年修學。昭和三年第一外國語學校英語科を卒業その間劇研究を續けること前後六年、昭和四年松竹蒲田に入社す。主な近作は「不壊の白珠」「女よ汝の名を汚す勿れ」等々。身長五尺一寸五分。體重十一貫。趣味は音樂、讀書。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

清麗白蓮の氣高さを持つ及川は蒲田エクランが誇る永遠の處女である。彼女は熱心なキリスト教徒で、その清純無垢の娘らしさがスクリーンにもにじみ出て居り、こゝに彼女の誇りがある。東京澁谷の生れで東京音樂學校分教場で聲樂を學び、芽生座、築地小劇場を経て、昭和四年松竹蒲田に入社した。以来その典雅な風貌と巧みな演技で一作毎に人氣を博し、今や本邦の代表女優と稱されている。身長五尺一寸五分。體重十一貫五百。本名及川道子、二十三歳。

『處女作・出世作・代表作 映画花形大寫眞帖』
(1934年1月、冨士新年號附録)

1911年、東京に生まれる。東京音楽学校の一ツ橋分教場声楽科在学中に、小山内薫の紹介で築地小劇場に加入。初舞台は1924年。1928年には「そら豆の煮えるまで」で主役に抜擢され、次いで「青い鳥」ではチルチル役、「三人姉妹」ではハ-プ弾きの少女を好演する。

1929年、映画批評家・内田岐三雄の推薦で松竹に入社し、『不壊の白珠』で映画デビュー。『恋愛第一課』や『抱擁』では、岡田時彦の相手役として出演し、知的でスマ-トな演技をみせた。その他に鈴木傳明の妹を演じた『野に叫ぶもの』や、トーキー初期の『頬を寄すれば』『愛の防風林』『港の日本娘』などで、島津保次郎や清水宏といった有名監督の作品に出演し、活躍。田中絹代、川崎弘子と並ぶ人気を獲得したが、病身のため、せっかく出演が決まったのに、代役を立てなければならないことがあったという。

『家族会議』のヒロイン・仁礼泰子役が映画出演の最後となり、1938年に夭折した。昭和ひとケタ時代の女優の中で、インテリ層に特に人気が高かったという。松竹蒲田の映画作品に新鮮な息吹を与えたばかりでなく、稀にみる清楚なイメージのキャラクターであった。

『日本無声映画大全』
(2000年、マツダ映画社監修)

[IMDB]
nm1508894

[JMDB]
p0080800

[出身]
日本(東京)

[生年月日]
10月20日

1930年代 – 9.5mm 『時代祭 (京都平安神宮)』(伴野商店)

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Jidai Festival (1930s Kyoto, Japan. Banno Co.)

1930年代の時代祭を収めた1リール物のドキュメンタリー。

明治維新の維新勤王隊から始まり神幸列までを丁寧に捉えています。沿道に多くの客が並び、通りに面した家の二階にも行列を楽しんでいる姿が見えます。

自転車や乗用車、路面電車なども映りこんでいて、1930年代の街の風景として見ても興味深いと思います。「水月食堂 サクラビール」「藤井大丸呉服店」「ユニオンビール」など看板の文字も解読できました。

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「水月食堂 サクラビール」
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「藤井大丸呉服店」
jidai-matsuri-23.pg
「ユニオンビール」

以前、個人が撮影した時代祭の9.5mm動画をデジタル化しました。その際のアングルとほぼ同じと思われる映像も含まれています。

左が伴野商会版、右の個人撮影動画はやや低めのアングルから撮影されています。

1920年代半ば〜後半ミニチュア写真フレーム(阪東妻三郎、市川百々乃助、尾上松之助)

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正式名称は不明。これまで3度ネットオークションにかけられたのを見た覚えがあります。最初の2回は競り負けし、3度目に入手したのがこちらです。

物としては金属製の小さなフレーム(1.0 × 1.7センチ)に一回り小さな鏡と俳優ブロマイドを収め、中身が落ちないように上の輪に紐を通しています。参考までに一円玉と並べてみるとサイズ感が分かるのではないかな、と。

阪東妻三郎と市川百々乃助が複数点、尾上松之助がひとつ。残りは写真が小さすぎて特定できませんでした。俳優の選び方から20年代中盤~後半でしょうか。

興味深いのは、これまでに見かけた3度がいずれも単品ではなく10個程度の束になっていたこと。個人が収集していたというより、縁日の屋台や駄菓子屋で売るためセットにしてあった在庫がそのまま残ったような感じです。

1930年代 – 9.5mm『捕鯨の話』(第2リール)

『捕鯨の話』
Whaling in Japan (« Hogei no Hanashi » Reel No.2, 9.5mm, 1930s, Banno Company)

1930年代の捕鯨の様子を記録したドキュメンタリー動画。

元々フランスのパテベビー映写機は子供をメインターゲットの一つに据えており、初期アニメなどの娯楽作品の他にも理科や社会につながる作品を出していました。産業を扱った作品も多く、農作物の収穫や工場の様子、また狩猟や漁(イノシシ猟、牡蠣漁、ニシン漁、イワシ漁)を記録した動画を見ることができます。

日本の伴野商店が制作した『捕鯨の話』もその流れに連なる作品です。後半の第2リールのみ入手のため全体像は不明ですが、マッコウクジラの群れを見つけ、銛で仕留め、港に運びこんで解体するまでの流れが追われています。

[メーカー]
伴野商店

[カタログ番号]
196

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m*2リール(第2リールのみ)