浦波 須磨子 (1909 – 没年不詳) & 千早 晶子 (1908 – 没年不詳)

「日本 [Japan]」より

Uranami Sumako & Chihaya Akiko Autographed Postcard
Uranami Sumako & Chihaya Akiko Autographed Postcard

本名浦波たま子。明治四十一年、東京市日本橋に生る。松竹樂劇部を出て永年舞臺に出演後昭和三年松竹京都撮影所に入社して現在。主な近作は「月形半平太」「天草四郎」「平出造酒」等々。妖婦役が得意。身長五尺二寸、體重十一貫。趣味は麻雀。

「浦波須磨子」『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

本名折部房枝。明治四十一年、大阪市に生る。髙等小學校卒業後松竹樂劇部に加はり、昭和元年六月松竹京都撮影所へ入社。主な近作は「血に叛くもの」「かたわ雛」「浪花かゞみ」等。身長四尺九寸、体重十貫六百目。娘役。趣味はダンス。

「千早晶子」『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDb]
浦浪須磨子

[IMDb]
Sumako Uranami

[出身地]
東京(日本橋)

[誕生日]
不明

[JMDB]
千早晶子

[IMDB]
Akiko Chihaya

[出身]
日本(大阪府 大阪市)

[生年月日]
9月27日

[データ]
8.3 × 13.3cm

市川 右太衛門 (1907 – 1999)

「日本 [Japan]」より

Ichikawa Utaemon Autographed Photo
Ichikawa Utaemon Autographed Photo

本名淺井善之助。明治卅九年、大阪市に生る。幼少より子役として舞臺に立ち、後市川右團次の門に入り、現在の藝名を名乗つて大正十五年マキノへ入社。昭和二年獨立して右太衛門プロダクシヨンを起し翌年より松竹と提携して現在。主な近作は「一殺多生剣」「雁金文七」「上州無宿陣」等、身長五尺七寸、體重十六貫二百目。趣味讀書、釣り。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDb]
市川右太衛門

[IMDb]
Utaemon Ichikawa

[出身地]
大阪府(大阪市西区)

[誕生日]
2月25日

[データ]
11.3 × 16.3cm

1927年 『國民新聞 附録 現代俳優寫眞と名鑑』

1927-11-05 Kokumin Shinbun
« Contemporary Actors & Actresses » (Kokumin Shinbun Saturday Supplement, 5th Nov. 1927)

昭和2年(1927年)11月5日付の國民新聞の付録。

一面と四面は主に広告で占められており、日活の『砂絵呪縛』、松竹『海の勇者』(電氣館)、パラマウント社『決死隊』(邦楽座)、『通し狂言 忠臣蔵』(帝劇)などの宣伝が掲載されています。城戸四郎氏による「製作者の見た最近映畫の傾向」では剣戟、喜劇、傾向映画(「社會組織に對する問題を含んだ映畫」)と母性愛映画への言及がありました。

二・三面全体を使って俳優名鑑と成し192名を収録。二面は上から歌舞伎・新派・新劇・ハリウッド映画俳優となっていました。

三面は国内映画俳優で、松竹・日活・マキノ・帝キネ・東亞・阪妻・無所属・国外組の並びです。

俳優名鑑が掲載された日刊紙を入手したのは今回が初めてです。焼けや折れ、シミ、虫食いの跡など状態は良くないものの触るとボロボロ崩れてくるほどではなかったのが幸いでした。

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都賀 静子/靜子 (1912 – 没年不詳)

「日本 [Japan]」より

Tsuga Shizuko Autographed Postcard
Tsuga Shizuko Autographed Postcard

明治四十五年宇都宮に生る。五歳で河合武雄一派の『月魄』が初舞臺、映畫では國活を振り出しに松竹、東亞と轉々とし何れも重要な子役を勤め上げ更にマキノに移つて一躍スターとなつた。主演『戀の守備兵』『村へ來た呑氣者』『狼火』『鈴蘭の唄』等あり、最近では『愛しき彼』『消ゆる舟唄』に出演してフアンの好評を博している。まだ若いから相當に前途を嘱望されてゐるし本人も早く立派な女優になりたいと念じてゐる。好きなものは映畫、雑誌。嫌ひなものは蛇と蛙。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

昭和2年(1927年)2月23日の日付入り。裏面に「髙島千代」とあり、髙島栄一氏の親族の方が所有されていた一枚と思われます。

無声期のマキノ映画娘役として名を知られるようになりましたが1910年代後半から子役として活躍していた長いキャリアの持ち主でした。この後さらに東活~宝塚キネマへと流れていき30年代半ばに引退。戦後1960年前後に東映作品の老け役で短期間カムバックしていた記録が残っています。

[JMDb]
都賀 静子

[IMDb]
Shizuko Tsuga

[出身地]
日本

[誕生日]
5月18日

[データ]
8.5 × 13.5cm

澤村 春子 (1901 – 1989)

「日本 [Japan]」より

Sawamura Haruko Autographed Postcard
Sawamura Haruko Autographed Postcard

本名澤村春子。明治卅四年北海道に生る。裁縫女學校卒業。役所勤めなどの後女優を志し、松竹キネマ俳優學校を經て松竹蒲田に入社。二年の後大正十二年一月より日活に出演す。主な近作は「流轉」「斷魔閃光」「白井權八」等。身長四尺九寸五分。體重十四貫五百目。趣味は三味線、踊り、琴等。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

以前に紹介した昭和2年の残暑見舞い同様、髙島(栄一)氏に宛てられたもので時期的にも同じ頃と推察されます。切れ長の目でグッと堪えた悲劇調の役柄を得意とし、日活期の松之助作品ヒロイン(1925年『荒木又右衛門』池田富保監督)など20年代中盤の邦画界に功の大きかった女優さんでした。

『髪と女優』で紙数を割かれて述べられていたように、20年代後半の女優ブームの中で埋もれてしまい一時期は消息不明となっていました。晩年は青森で不遇な生活を送り80年代末にひっそりと亡くなっていますが、その後彼女の生涯を追った舞台劇が制作されています。

[JMDb]
稲田春子

[IMDb]
Haruko Sawamura

[出身地]
北海道

[誕生日]
1月20日

[データ]
8.6 × 13.7cm

浜口 富士子 (1909 – 1935)

「日本 [Japan]」より

Hamaguchi Fuijiko Autographed Postcard
Hamaguchi Fuijiko Autographed Postcard

美人投票に當選したのがキツカケで日活に入社、幸運と云ふべく、余りに幸運にも「蒼白きバラ」に一躍主演級に据ゑられて大カツ躍。古くは澤正一座に加はるて居り、多少の舞台度胸もあつた事とて、第一回主演に失敗もせず、續いて「一番目の女」や「摩天樓」にも現はれて、日活映畫に一脈の若さとモダーン味を加へてゐる。年も廿二歳なら、之からはしつかりした藝を見せ樣し、とまれ若手新進中では、皆から目を付けられてゐる人。

『日本映画年鑑 昭和四年昭和五年 第五年版』
(朝日出版社、1930年4月)

私が書くよりその記事の主要な部分を抜き書きしますから読んでいただきましょう。

— 富士子は九月に入って全く重態に陥った。富士子の実母がかけつけた時には、手のつけられないほどだった。もう注射と酸素吸入だけでようやく命をつないでいるだけだった。それなのに俊二はもちろん、可愛いい誠之助もいない。富士子危篤の報にようやく二十九日の朝、俊二は生母杉山ふきと誠之助を連れて病院にきた。百日目に見舞う妻は全く明日をもしれない容体なのだ。

「ホウこれならまだ大丈夫だ。それぢァまたくるよ」

と慰めの言葉一つかけるでもなくさっさと帰るのだった。無情、冷酷、富士子の母はその翌日警視庁人事相談課に出頭して泣いて訴えた。しかしそれも富士子の死は時間の問題だった。華やかなスタート、きらびやかな映画スター、彼女は夫を心から憎み、愛児の名を呼びつつ二日後哀れにも悲惨な人生の終末を告げたのでああった。

『髪と女優』 伊奈もと著(1954年)

『髪と女優』からは筆者伊奈もとさんの穏やかで人懐っこい性格が伝わってきます。それでも例外的に調子の異なった章がひとつあってそれが浜口富士子さんを扱ったものでした。「仕事の上で二、三年ばかりのおつき合い」で「二人の恋愛ざた以外これという印象はありません」と前置きしつつ、無責任な夫から見捨てられた死の様子に「深い義憤を感ぜずにはおられません」と添えてありました。

一方ではあまりにもあっけなく辿りついてしまったスターダムに安住し、肝心の芸事の修練を怠っていた慢心を批判する文章もちらほら差し挟まれています。単純な夫婦問題のもつれではなく、安易にシンデレラを量産し消費するようになっていた当時の邦画界への自戒が含まれているようにも思えます。

[JMDb]
浜口富士子

[IMDb]
Fujiko Hamaguchi

[出身地]
日本(東京市神田)

[誕生日]
9月

[データ]
8.2 × 13.3cm

平木 正之助 (生没年不詳)

「日本 [Japan]」より

Hiraki Masanosuke c1927 Autographed Postcard
Hiraki Masanosuke Autographed Postcard

1920年代後半に阪妻が立ち上げた個人プロダクションに入社、『血染の十字架』『砂絵呪縛』三部作、『鼠小僧次郎吉』など1927年作品に脇役で出演されていた俳優さん。活動期間が一年ほどと短く、翌年公開の『坂本龍馬』や『開化異相』ではクレジットから姿を消しています。

[JMDb]
平木正之助

[IMDb]
Masanosuke Hiraki

[出身地]
不明

[誕生日]
未詳

[データ]
8.5 × 13.5cm