1918 – 『さらば靑春』 (イタラ映画社、アウグスト・ジェニーナ監督) 説明・丸山章治

Addio giovinezza! (1918, Itala Film, dir/Augusto Genina)
Japanese Benshi Narration by Maruyama Shôji (from 1986 Cassette Compilation « Oh Katsudo Dai-Shashin »)

はるばる片田舎から出てきてトリノ大學へ入學したばかりのマリオは 近眼でお人好しの友人レオンと一緒に下宿を探していました。
「あ、ここに下宿があるぜ。聞いてみやうぢやないか」
ドアをノツクすると扉を開けて美しい娘が出てきました。
「あの何か…御用ですか」
「部屋を借りたいんですがね。見せていただけますか」
「ええ、どうぞ。今母を呼んできますわ」

「おい、マリオ。僕は近眼で良く見えないんだがね。どんな人だ」
「え」
「おい、教えろよ。美人か、美人なら俺がこの部屋を借りるよ」
「まあさう興奮するなよ。この部屋は君のやうな金持ちには相応しくないから…僕が借りるよ」
たうたうマリオが部屋を借りて仕舞ひました。

この家の一人娘のドリナは新しい下宿人のマリオに心を惹かれ、用事にかこつけてはしばしばマリオの部屋に入つてきます。
「あのお、お水を持つてきました」
「ああ、ありがたう」
マリオの方でも強いて平静を装つてはいますが内心はわくわくして勉強も上の空です。
「あのお、他に何か御用御座いません」
「ええ、別に」
話の継穂もなく仕方なく出ていかうとすると「あ、ちよつと」
「御用ですか」
「あの、君に云ひたかつたんです」
「何ですか」
「君の名前…良い名前だと僕は思つて居ます」
「あの、仰りたい事はそれだけですの」
「いやつまり…云ひたかつたのは…君が好きだつて事です」

この愛の告白に始まり二人は急速に愛し合うようになつて、幸福な三年が過ぎ去りました。
ところが不図した事からマリオは金と暇を持て余している有閑夫人のエレナと親しい間柄になつてしまいました。
ドリナは自分から離れていくマリオを取り戻したい一心から、或る日マリオを訪ねてきたエレナに会ひました。

「あたし奥様にお話があります。奥様にとつてはマリオは只の遊び相手に過ぎませんけれども、あたくしにとつては命です。どうかあの人をあたしから奪らないでくださいまし。奥様はあの人をよくご存じないんです。あの人本当は貧乏な学生です。御覧ください、この下着や靴下。みんなあたくしが何遍も繕ってあげたものばかりです。奥様みたいな御身分のある方に相応しい人ではありません。お願いです、あの人を奪らないでくださいまし」
「まあ、さうだつたの。貴女、あの人を愛しているんですね。ええ、分かりました、もう二度と会いません」
このことがマリオに知れて、腹を立てたマリオは下宿を移つてしまつた。

そして二月の後、友達がドリナに「あんたのマリオさんが学位を取つたんですつてね。あら、あんた知らなかつたの。今日郷へ歸るつて話よ」。
聞いてドリナがびつくりしました。
あれ以来ドリナは一日として彼を忘れたことはなかつた。もし今彼に会わなかつたら二度と会えなくなるのではないか。さう思ふと居ても立つてもいられなくなつて足は自然にマリオの下宿へと向かひました。

おそるおそるドアを開けると、中にいたレオンが「あ、誰。あ、ドリナ。今もマリオと君の噂をしていたところだよ。よく來てくれたね。…おいマリオ、ドリナだよ。何をもじもじしているんだ。二人とも何とか云つたらいいだらう。え、どうしたんだ。…ははあ僕がいては邪魔か」、気を利かせて出てきました。


「マリオ…」
「ドリナ、もう会えないかと思つていたよ」
「あたしもよ。お郷にお歸りになるんですつて」
「父と母が待つているんだ」
「お願いです、いかないでください。あたし、貴方を愛しています」
「いや僕はまた歸つてくるよ。もう一度必ず歸つてくる積りだ」
しかし、果たしてマリオは歸つてくるであらうか。

マリオを乗せた列車が今橋の下を通り過ぎていく。ドリナは抱えていた花束を列車に投げた。列車はその花束を乗せて遠く過ぎ去つていく。過ぎ去つた靑春は二度とは戻つてこない。靑春よさらば、さらば靑春よ。

説明・丸山章治
(『⦅映画渡来90年記念⦆ おお活動大写真』 カセットテープ版 1986年)

昨年キングレコードよりCD版が復刻された『おお活動大写真』より丸山章治氏による『さらば靑春』の弁士解説。ライナーノートで触れられていたようにいわゆる弁士の語りといっても一様ではなく、丸山氏は平易な表現で穏やかに進んでいくスタイルを取っています。

1921年 『◆感想◆ あゝさらば、さらば靑春よ!』 若樹華影 (活動倶楽部・大正10年12月号)

« Addio giovinezza! : Impressions » by Wakagi Kaei, excerpts
(« Katsudou Kurabu » 1921 December Issue)

夢の樣な淡い内にも非常な華かな戀が、大學生マリオと、下宿屋の娘ドリナとの間に結ばれた戀でした。三年の間、彼等の樂しい生活が續けられた時、マリオは、ある富豪の妾をして居るエレナといふ美人の戯れに魅せられた。この結果として、彼は止むなくドリナと別れなければならなかつた。而もその間に螢雪の功は成つてマリオはあの慈愛深い父母の住む故郷に錦を飾るべく歸國する – 彼は都に於けるすべての思出や忘れやうとしうて忘れる事のできない戀人ドリナとも別れて歸國したのです。

今羅馬停車場を發して北へ北へと走つて行く列車を、陸橋の上から、悲し氣に見送りつゝ、せめてもの心盡しに一束の花を無心の列車に投げ與へる可憐の乙女ドリナ。列車の姿が遠く遠く消へて行く時、ドリナには云ひ知れない深い深い悲しみが俄に湧き起こつたのです – さらば靑春よ。もう再び靑春は永久に、永久に返らないのです。

斯うした構想を以て、劇は編み出されてあるのです。私は、私の今の境遇や、今の生活や、今の心情から『さらば靑春』を見て泣いたのです。人から見れば笑はれる程に泣いたのです。

私にも、もうあの懐かしい思出となる靑春は去る日が來ました。之から未だ幾年を靑春の夢に憧れつゝ、渡り行かうとする多くの人々は幸福です。そんな人は、必ず何時の日にか、靑春と別れる時の來る事を覺悟しなければなりません。その時こそ彼等は此映畫を思出して、少なくとも涙含まずには居られないと思います。

靑春と別れ行く、此の上ない悲しさを胸に抱きつゝ、『さらば靑春』を見て、心の奥底から滲み出る涙を禁じ得なかつた私を笑うた人々の現在は、實に羨しい程幸福に滿されて居るに違ひない。

けれども去り行く春の日の悲しみを、やがて味はう日を忘れてはなりません。

ドリナがマリオの下宿を尋ねつゝも、進んで入り得なかつた優しさや、エレナがドリナとマリオの間柄を知つて、優しくも自分の戯れな戀を棄てた事なども、伊太利女の或る特殊の性情の遺憾ない發現として、ほんたうに私達の内心に觸れる何物かを感ぜずには居られません。[…]

「◆感想◆ あゝさらば、さらば靑春よ!」 若樹華影
(『活動倶楽部』 大正10年12月号 52-53頁)


1910年代後半~20年代初頭に『活動画報』の同人として活躍していた若樹華影氏による『さらば靑春』講評。同性として主人公ドリナに感情移入しつつ、登場人物の情の動きに日本人と「何物か」が通底している点を強調した内容となっています。

この映画評は『さらば靑春』が当時の日本の女性に訴えかけた理由について考えるきっかけにもなりました。ヒロインの町娘ドリナは気になった男子学生に積極的にアプローチをかけ、納得できない対応があれば怒り、恋敵の出現に涙し、一対一で談判に乗り出して恋人を取り戻そうとします。社会関係、人間関係で「戦っている」感がはっきりと出ているんですよね。でも最後にはそういった凡ての喜怒哀楽、幸不幸は時に押し流され、消え去っていく「靑春」を惜しみつつ誰もが大人になっていく…

1920年前後の邦画界ではまだ「尽す女」のステレオタイプが優勢でしたし、当時の社会・文化の文脈を考慮するなら無下に否定はできないのですが、この手の固定観念を信じていない日本人女性も当然多くいた訳です。迷いと失敗を重ねつつ意志を貫いていくヒロインに彼女たちが共感、憧れを覚えたとしても不思議はありません。安易なハッピーエンドに落としこまなかったのも良かったんでしょうね。大人の鑑賞に堪えるリアリティを表現できたからこその「心の奥底から滲み出る涙」だったのでしょう。

月形龍之介 (1902- 1970)

日本・男優 [Japanese actors]より

Tsukigata Ryûnosuke Autographed Postcard

本名門田潔人。明治三十五年宮城縣で生る。元輝子ことマキノ智子と浮名を流した色男、東亜キネマが映畫俳優として振出し、マキノ主腦男優の一人で常に時代劇に主演して大向からヤンヤの喝采を博す。『討たるゝ者』が初演映畫で『怪物』『毒刄』『戦國時代』『轉落』『修羅八荒』『愚戀の巷』最近の主演では『毒蛇』『砂絵呪縛第二編』『雪の夜話』等でキビキビした胸のすくやうな演技を見せてフアンを喜ばしていゐる。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)


マキノ以来のケンゲキ俳優月形は今フリー・ランサーとなり、千惠藏映畫、阪妻映畫、下加茂映畫、新興映畫等にドシ〱出演してゐる。トーキー俳優として臺詞がうまく、ケンゲキ俳優として殺陣が鮮やかなので、各社からひつぱりだこになつてゐる。劍道三段の腕前があり、現在のケンゲキ俳優中、眞劍を使ふスターは彼を措いて外にない。その殺陣には獨特の凄味がある。何しろ眞劍を使ふので、捕手達もビクビクものだが、未だ嘗て一度も人を負傷さしたことがないといふからえらいもの。

『映画とレビュー 人氣花形大寫眞帖』
(1936年1月、『冨士』昭和11年新年號附録)

[JMDb]
月形龍之介

[IMDb]
Ryûnosuke Tsukigata

[出身地]
日本(宮城)

[誕生日]
3月18日

西條香代子 (1906 – ?)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Saijô Kayoko Late 1920s Autographed Postcard

本名は中村香代子、明治卅九年正月の元日に神奈川縣鶴見に生れる、女學校卒業後、大正十四年五月一日日活へ入社、「闇の中の顔」へ出演好評を博す。「ダンスとピアノと琴が好きでイバニエズの戯曲物の愛讀を好み、バナゝと洋食と甘いお菓子が好きで、メリーピツクフオード愛好者です」住所京都市下京區西ノ京御輿ヶ岡町十五ノ五。

『日活俳優名鑑 1926+10』
(『大日活』二周年記念附録、1926年10月)


私は此の人の、あく事なき理智に輝いた眸の色に視入る時、恋の霊魂と化したあの静御前の姿が忍ばれてならない。

「佳人佳語」
(美町淑夫『うづまさ』1927年9月号)


明治三十九年一月一日極めてお芽出度い元旦の初日の出と共に神奈川縣の鶴見で孤々の聲を揚げた。中村香代子が本名で、當年二十三才。高等女學校卒業後大正十四年五月に日活に入社する。玉麗花のかんばせ、眞紅の唇、瀟洒たるスタイルは常に幾百萬のフアンをチャームしてゐる。主演『闇の中の顔』『日輪』『死の寶庫』『大陸の彼方』で好評を得。現に同社の花形女優。

『玉麗佳集』(1928年)


昭和元年〜2年にかけて人気を博した女優さんで、1926年8月『キネマ』誌の人気投票中間報告で25位(女優では11位)になっていました。

昭和3年(1928年)に髙島栄一氏とやりとりをしていた葉書が2枚手元にあります。一枚目は年賀状で「旅行中の爲失礼を致しました」の一文あり。もう一通は同年8月の暑中見舞いで「早速お尋ねを頂きまして恐縮し存じ上げました。私恙なく過して居ります」とのこと。

Saijô Kayoko 1928 New Year Greeting Card

Saijo Kayoko 1928 Summer Greeting Card

Saijô Kayoko 1928 Summer Greeting Card

この二通の間に阪妻『坂本龍馬』(1928年5月公開)に出演、同作を最後に映画界から引退。実質3年の短い女優活動でした。引退までの経緯とその後の消息が気になっていたところ1928年1月の新聞にこんな記事を見つけました。

阪妻プロダクシヨンの女優西條香代子こと中村かよ子は今度洋行することになり、先日京都府廰へ旅券下附願ひを出した。映畫俳優の洋行といへば大ていハリウッドと相場が決まつてゐるがこの人のはアメリカではなくフランスを中心にドイツ、イタ[リ]ーへ、しかも三年間滞在しようといふのである。

日布時事日曜版 1928年1月29日付 9面
(フーバー・インスティテューション
邦字新聞デジタル・コレクションより)

自身のキャリアアップのために邦画界を離れたい旨が語られています。実際に渡欧できたかは分かりませんが、映畫界からフェイドアウトしていった背景が理解できる内容で「そういう事情であれば」と納得できました。

[IMDb]
Kayoko Saijô

[JMDB] (二項目に分かれて記載されています)
西条加代子
西条喜代子

[出身地]
日本(神奈川県横浜市)

[生年月日]
1月1日

1932 – 35mm 『凱旋』(東活、安東太郎監督作品)

35mm « Gaisen » (1932, Tôkatsu, dir/Tarô Andô) 35mm excerpt

解散した東亞キネマの後継として設立され、短期間(1931年夏から32年後半)活動していたのが東活映画社でした。東亞の残党が多く在籍、この後に誕生した寶塚キネマの原型ともなっています。

東活映画社が活動していた時期、満州事変の影響を受け愛国的傾向を持つ作品が多く作られていました。最も有名な作品が肉弾(あるいは爆弾)三勇士で、東活からも32年3月に『忠烈肉弾三勇士』が発表されています。

その翌月に公開されたのが愛国映画『凱旋』でした。主演は帝キネ〜河合〜東亞で活躍した里見明。脚本は『忠烈肉弾三勇士』と同じ小国京二氏が担当。史実とされている出来事を元にした『忠烈肉弾三勇士』とは異なり『凱旋』は小国氏が原作を担当したフィクションです。

今回入手した35ミリ版は結末近い殉死場面のみの抜粋です。劇場公開版は7巻物の長編で女優陣(都賀静子、浅間昇子、小川雪子)の名もクレジットされており、大陸での戦闘場面だけではなく国内での家族や恋人との物語展開も含まれていたと思われます

[JMDb]
凱旋

[IMDb]
Gaisen

1920年代後半 – 9.5mm 『日光旅行』(伴野商店)

9.5ミリ 伴野商店より

« Visiting Nikko » (Late 1920s Banno 9.5mm Print)

1920年代後半に伴野商店が自社の9.5ミリ作品を展開し始めた当初、御当地物のフィルムはそこまで重要視されていませんでした。カタログ番号70番台辺りから次第に数が増え始め(74番に『日本アルプス』、78番に『日本三景』)、20年代末頃にはカタログ内で結構な比重を占めるようになってきます。『日光旅行』は同社カタログの76番となっていて初期の御当地物9.5ミリに当たります。

カタログの150番台で発売された「新日本八景」のシリーズ(華厳の滝も含まれています)は鉄道省の協力を得て製作されたものでした。文部省ではなく鉄道省扱いなのが興味深い所。1920年代の好景気を受け、整備された国内インフラを活用して旅行の内需を掘り起こしていく目的が見て取れるからです。

訪れたことのある場所を動画で追体験する、未だ見たことのない土地の風光明媚に思いを馳せる…現在「ヴァーチャルツーリズム」と呼ばれるものの雛型とも言えそうな気がします。

[タイトル]
日光旅行

[メーカー]
伴野商店

[カタログ番号]
76

[発売年]
1920年代後半(1927年頃)

[フォーマット]
120m 白黒無声 ノッチ有

1930年代中盤・日本 9.5ミリ個人撮影動画 『無題(素人劇)』

9.5ミリ 個人撮影動画 [日本]より

Mid 1920s Japanese 9.5mm Home Movie (Amateur Drama)

道端に座りこんでいた麦藁帽姿の老人。背伸びをしてふと目をやると道路に財布が落ちています。先ほど通り過ぎていった男が落としたようです。

恐々と財布を拾うと中には札束が。はてさて、どうしたものか。

料理屋に向かう男の後ろ姿。うどんを食べて腹一杯、酒も進みます。

店を出たところで、「おい待て」の声。警官に見つかったようです。慌てて逃げだした男、「逃げると撃つぞ!」。哀れ御用の身となるのでした…

…となったらさぁ大変だ。豪遊は夢想に留め、男は財布を届けることにしたのでした。

1930年代中頃~後半に制作された9.5ミリ素人劇。以前に紹介した『無題(草上の昼食)』と同じ東北で撮影された一連の動画のひとつ。短い時間内で起承転結をまとめ道徳的なオチもついています。料理屋の場面では壁の品書きも映っていますが光の加減から屋内ではないようで、戸外に簡易セットを自作したと思われます。

スーパー8 『邦画名作抄 美人女優列伝 サイレント時代・草分けの美女たち』

8ミリ 劇映画より

« Legend of The Shochiku Beauties, Chapter 1 : Pioneers from The Silent Era »
1970s Super8 Anthology


1) 伊豆の踊子(1933年、五所平之助監督) 田中絹代、若水絹子ほか [JMDb]


2)松竹スタジオ紹介他


3)不壊の白珠(1929年、清水宏監督) 及川道子、八雲恵美子ほか [JMDb]


4)与太者と海水浴(1933年、野村浩将監督) 井上雪子、光川京子、高峰秀子ほか [JMDb]


5)夜ごとの夢(1933年、成瀬巳喜男監督) 栗島すみ子、飯田蝶子ほか [JMDb]


6)金色夜叉(1937年、清水宏監督) 川崎弘子 [JMDb]

2018年初頭に入手したスーパー8版アンソロジー。トーキー篇の紹介にあわせてこちらもスキャンしました(前回は映写した画面をそのまま撮影)。

田中絹代さん主演の『伊豆の踊子』で始まり、松竹スタジオの外観などを挟みながら井上雪子さん主演の『与太者と海水浴』へ。浅瀬に着衣のまま飛びこんでしまう大胆な展開に。

名作『不壊の白珠』を挟んで『夜ごとの夢』。栗島すみ子さんキャリア後期の作品で子供に頬をつけて泣いている時の表情が圧倒的。最後に『金色夜叉』での寛一お宮のやりとりが紹介されています。どの女優さんも雰囲気ありますね。

[発売時期]
1970年代

[発売元/製作/提供]
テレキャスジャパン/大沢商会/松竹

[フォーマット]
スーパー8 白黒200フィート 磁器録音(24コマ/秒)

昭和2年(1927年)頃 パテーベビー フィルム目録(東京、三友商会)

Late 1920s Sanyu & Co. 9.5mm Film Catalogue (in Japanese)

1920年代後半、芝区の桜田本郷にあった三友商会が仏パテ社9.5ミリフィルムを輸入し各地の業者に卸していた際のカタログ。

リストは1番から始まり1050番位まで欠けの少ない形で続いていきます。タイトルの左に「×」印の付されたものは輸入予定の無い作品。時事ニュースや仏国の内政に関わるフィルムなどはこの時点で輸入予定から外されています。

裏表紙の見返しにフィルムと映写機(パテベビーD型とPB-Ex型)の定価、送料が記されています。10メートルフィルム一本の定価は2円50銭、箱入りD型映写機が250円(物価指数の差を考慮すると現在の15万円強に相当)でした。目録の発行年が明記されていないのですが120メートルリール作品が載っていないため1927~28年頃でしょうか。

戦前9.5ミリフィルムのリストは後年のものになるに従い絶版・入手不能な初期作欠番が多くなります(=連番が歯抜けになる)。三友商会版はこの欠けが少なく、輸入しない作品まで邦題を付している勝れ物でした。

戦前の映画解説本・説明本・ストーリー集(2020年度総括)

今年は古い解説本を探していた覚えがあって手元に25冊程のミニコレクションができました。サイト内でデータがばらけてしまったので時系列(公開順)に並べてみます。20年代半ばから30年代初頭の盛り上がりも伝わってくるのではないでしょうか。最初に入手した作品が紹介できていないのでその辺は追々。

春江堂大活劇文庫に関しては国立国会図書館、またトーキー文庫については日本大学の芸術学部にまとまったコレクションが所蔵されています。


映畫文庫(湯川明文館)

1925年7月公開『剣の舞』(東亜、市川小文治主演、松屋春翠)
1925年11月 『雄呂血』(阪妻プロ、阪東妻三郎主演、二川文太郎)
1925年12月 『落武者』(松竹蒲田、森肇主演、清水宏)
1925年12月『魔保露詩』(阪妻プロ、阪東妻三郎主演、志波西果)


出版者不明

1925年12月〜26年1月『南蠻寺の怪人』(東亞、高木新平主演、長尾史録)
1926年2月 『傷魂』(東亜、1926年 – 高木新平・生野初子主演、長尾史録)
1926年2月 『孔雀の光 前編』(マキノ、市川右太衛門主演、沼田紅緑)
1926年2月 『尊王』(阪妻プロ 、阪東妻三郎主演、志波西果)
1926年6月 『幕末』(阪妻プロ 、阪東妻三郎主演、宇澤芳幽貴)
1926年6月 『侠血』(阪妻プロ 、阪東妻三郎主演、門田清太郎)


瀧本時代堂

1929年7月 『此村大吉』(阪妻プロ、阪東妻三郎主演、山口哲平)
1929年7月 『月形半平太』(東亞、草間實主演、枝正義郎)
1929年8月 『冷眼』(右太プロ、市川右太衛門主演、悪麗之助)
1929年8月 『傳奇刀葉林』(帝キネ、市川百々之助主演、渡辺新太郎)
1929年8月 『大利根の殺陣』(東亞、嵐寛壽郎主演、後藤岱山)
1929年9月 『斬人斬馬剣』(松竹、月形龍之介主演、伊藤大輔)


トーキー文庫(映画研究会)

1930年10月 『九条武子夫人 無憂華』(東亞、鈴村京子・三原那智子主演、後藤岱山他)


大島印刷株式会社

1931年7月 『海江田譲二の高田の馬場』(日活、海江田譲二主演、辻吉朗)
1931年7月 『野に叫ぶもの』(松竹、 鈴木伝明・高田稔主演、島津保次郎)
1931年11月 『阿波十郎兵衛』 (帝キネ、雲井竜之介主演、寿々喜多呂九平)


大活劇文庫(春江堂)

1918年公開 『曲馬団の秘密』(The Iron Test、ヴァイタグラフ社)篠田緑水訳
1919年公開 『蛸の手』(The Trail of the Octopus、ユニヴァーサル社)麻生重人訳


活動文庫(榎本書店)

1921年公開 『キッド』(The Kid、チャールズ・チャップリン)
1921年公開 『ハリケンハッチ』(Hurricane Hutch、ジョージ・B・サイツ)
1922年公開 『血と砂』(Blood and Sand、フレッド・ニブロ)
1923年公開 『十八日間世界一周』(Around the World in Eighteen Days、リーブス・イーソン&ロバート・F・ヒル)


1934 – 9.5mm 日本・個人撮影動画 「鰊の話」(北海道、積丹、ニシン漁、刺網、モッコ、奇岩)長谷川久敏氏制作作品

9.5ミリ 個人撮影動画 [日本]より

« Herring Fishing in Hokkaido »
Early 1930s 9.5mm Japanese Private Documentary Film

1934年、北海道在住の9.5ミリ撮影家・長谷川久敏氏によって製作された50m物のドキュメンタリー作品。小さな漁村での鰊(にしん)漁の様子を記録した一本です。

人々が浜辺で漁の準備をしている場面で始まります。女性を中心に丁寧に網をほぐし修理していきます。

沖合の魚群に向けて船を進めていく漁師の姿。一糸乱れぬ動きで櫂を漕ぐ様子が壮観です

網起こしが始まります。ムシロをかぶせた「起し船」の男たちが網を興していきます。

舷に並んだ漁師たちが網を手繰ってニシンを網の端に寄せていきます。

学生と思われる若い漁師たちの姿も見られます。

港まで戻ってから陸揚げを行います。地元民が総出で「モッコ」と呼ばれる木製の四角い箱を背負い運搬を続けていきます。

木製のウィンチが稼働し網ごと運んでいく様子。

スタイリッシュにデザインされたの「完」の文字で動画は終了。

映像には看板など文字情報が含まれておらず、撮影場所の特定にてこずりました。ヒントになったのが一瞬姿を見せた奇岩。漁に向った船が回りこむように進んでいく中で撮影された場面。

ニシン漁が盛んな町で、漁場の近くに奇岩がある。この組みあわせであれば選択肢を絞れそうです。

調査の結果、余市郡余市町のローソク岩と判明しました。現在はもっと細い形になっているのですが、1940年代に地震の影響で割れたそうで、それ以前の姿が新聞記事に掲載されていました。

新聞記事にある「1934年」のシルエットを左右反転させたものと一致します

1932年公刊の『パテー・シネ』(大伴喜祐著、古今書院)には当時の9.5ミリ作品競技会の受賞作をまとめた「代表作品」の章があります。このリストに「北海道の鰊漁」が含まれていました(265頁)。東京ベビーシネマ倶樂部主催による昭和2年の競技会で第3等を受賞。製作者名は札幌在住の「長谷川久敏」氏。本編「鰊の話」には1934年のクレジットが含まれているため同一作品ではなく続編あるいはアップデート版でしょうか。9.5ミリ界隈で知られた実力者だったのは間違いなさそうです。

1918 – 『侠艶録』 (日活向島、田中栄三監督) 絵葉書2点 東猛夫・藤野秀夫主演

「まア、何うしたんだらう。こんなに詰まつちやつて。」と、懐紙を出して͡紙撚を撚り初めた。覺束無い手許を留守にして、ちらちらと男の顔を見てゐたが、ふと思ひついた様子で、
「アゝ、貴方も一つ撚つて下さいな。」
「僕は紙撚なんかうまく撚れないよ。」
「そんな事を云はないで。どうぞ只一本でいゝんだから。」
「下手ですよ。」
「下手でもいゝからさ。貴方が撚つたんでなくちや不可ないからさ。」
「面倒臭いね、種々の事をいふ人だなア。」と澁々ながらも、撚つて出した紙撚を力枝は受け取つて自分で撚つたのと合せて二つに折り、向かいの端を男の鼻先に突き付けて
「済みませんがね、どつちでも貴方の好きな方を結んで引いて見て下さい。」
「斯うですか」と男が結んで引いたのを見て、
「オヤ、結ばつた!」と首をすくめて鼠鳴きしたのであつた。
「夫は何です?」と男は不思議さう。
「縁結び!」
「下らん事を云つてゐる。」と男は苦笑して立上つた。

『侠艶録』(佐藤紅緑著、新潮社、1912年)

Azuma Takeo as Rikie (Left) and Fujino Hideo as Fujio (Right)

Azuma Takeo as Rikie Holding Her Baby

1912年に出版された佐藤紅綠の同名小説を映像化した日活の新派映画。

一枚目の絵葉書は木橋で思いつめた表情を浮かべていた文学青年・富士雄(藤野秀夫)の自殺を女役者・力枝(東猛夫)が思いとどまらせた場面に続く「縁結びの紙撚(こより)」のエピソードに一致。

二枚目は小説版に対応する描写はないものの、単なる立姿ではなく赤子を抱えているように見えます。力枝が役者稼業との両立に苦労しつつ、富士雄との間に生まれた愛児を懸命に育てている場面に相当すると思われます。

富士雄は爵位を持つ一家の跡取り、親の決めた許婚もいる設定でした。力枝と所帯を持ち、子供を設けるも父の死をきっかけに実家に戻らざるを得なくなります。力枝は母親の画策から子供を勝手に里子に出されてしまい孤独の内に次第に正気を失っていく。物語は力枝の現状を知った富士雄がそのもとに駆けつけることで収斂していきます。

1910年代中盤~20年頃まで隆盛を誇った日活向島の新派作品は現存数が少なく映画史でもあまり大きく取りあげてこられなかった流れでした。それでも2011年末に早稲田大学において「日活向島と新派映画の時代展」が開催され、2016年に東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイヴ)がスチル写真群をまとめて紹介するなど再発見・再評価の動きも見てとれます。

日本映畫は山本嘉一、東猛夫、衣笠貞之助、藤野秀夫一派の日活向島の新派[…]が創始以來相當の年月日を經ながら只撮影技巧等に幾分かの進歩の跡を示したのみで、映画劇の要素であるべき劇筋の思想、俳優の演技、監督術といつた方面には全然無關心で只無暗矢鱈に制作をつゞけてゐたといふに過ぎない。

「日本映畫界の成長」 井關種雄、枕野流三(『映画大觀』、1924年所収)

1920年代以降の邦画近代化の途上、先行の新派映画は否定される運命を辿りました。この時期の言説(「映畫劇としては全然価値のない舞臺劇をそのまゝカメラに収めたに過ぎないといつていい低級な舊劇や新派」)は現在の映画史観にも影を落としてます。1920年代のトレンドがそのまま日本映画史の勝者=正統になったため、新派映画や連鎖劇などの敗者に復権の機会を与える言説の環境を構築しにくい、という話なのだと思います。1910年代中頃の欧米映画(アメリカ、フランス、デンマーク、ロシア、イタリア)も十分舞台がかっていますがそれはそれで別枠の評価を出来る訳ですしそれならば新派映画も同じはず。

ちなみに学究肌で誠実ではあるが心ならずも妻と子供を捨ててしまう男、夫と子供を失い理性を失っていく女の関係性は『ファウスト』と同一です。そもそも『ファウスト』自体、魔=メフィストが差して女と子供を見捨てた男とその魂の救済を描いた「下種」な物語でした。『侠艶録』では感情の機微や描かれる風景に和の感覚があって、しかも明治期の和洋折衷感覚を残した独特の混ざり方をしています。

[JMDb]
侠艶録

[IMDb]
Kyôenrokû

1957 – Super8 『松竹8mmライブラリー 日本映画史 前編』(Japanese Cinema History Part I, super8)

8ミリ 劇映画より

c1970 Super8 日本映画史 前編

« Japanese Cinema History : Part I 1887-1949 » (1957, Shochiku Ofuna, dir/Iwaki Kimio)
c1970 Sungraph Super8 Print

1957年に公開された松竹制作による短編ドキュメンタリー。同社が制作した戦前作品を中心とし、活動寫眞の到来から戦後までの映画史の展開を貴重な映像でまとめ上げた一作。

8ミリ版は1960年代末~70年代初頭に発売されたと思われ、前後編の2巻構成。前編は19世紀末の映画前史から終戦後の1949年までを扱っています。2年前の購入時に一度紹介しているのですが画質が悪く、今回綺乃九五式で再度スキャンし直しました。


1887年 『疾走中の馬の連続写真』 エドワード・マイブリッジ

Sallie Gardner at a Gallop [imdb]

まずは明治時代まで遡り「動く写真」の発明としてエジソンの功績と並びマイブリッジ作品が紹介されていきます。


1899年 『紅葉狩』 柴田常吉監督

Momijigari [imdb] [jmdb]

現存する最古の日本映画として知られた『紅葉狩』。九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎出演。現在は国立映画アーカイヴの「映像で見る明治の日本」の動画紹介ページで閲覧が可能です。


1900年 『鳩の浮巣』土屋常二撮影

Nio No Ukisu imdbjmdb

『明治二十八年の両國大相撲』(別名『回向院夏場所大相撲』)でも知られる土屋常二(ジョージ)氏が残したもう一本の映像作品。初代中村鴈治郎出演。


1911-12年 『白瀬中尉の南極探検』 記録映画 田泉保直撮影

Japanese Expedition to Antarctica imdbjmdb

明治末期に行われた白瀬矗注意による南極探検の実録もの。JMDbでは『南極実景』として登録されている一篇で、こちらも「映像で見る明治の日本」で高画質なバージョンを閲覧できます。


1911年 『ジゴマ』ヴィクトラン・ジャッセ監督

Zigomar imdb

日本で大規模な社会現象を引き起こした仏エクレール社の悪漢活劇。ジゴマの百面相を描いた紹介場面と物語途中の抜粋が収録されています。


製作年不明 『自雷也』尾上松之介主演

Jiraiya (Unidentified Version)

松之助十八番。自雷也が妖術を使う場面ながら松之助版自雷也のどれに当たるのか未特定。明治42年ではなくもう少し後年の作品と思われます。


1913年 『アントニィとクレオパトラ』 エンリコ・ガッツォーニ監督

Marcantonio e Cleopatra imdb

絢爛たる古代ローマ世界を描き出し日本でも大きな話題を呼んだ一作。8ミリ版では弁士・玉井旭洋の語りが付されていました。


1913年 『天馬』ハリー・ピール監督

Die Millionenmine imdb

第一次大戦開戦直前に輸入され、国内でのドイツ冒険活劇流行のきっかけとなった一作。ブラウン探偵(ルートヴィヒ・トラウトマン)が囚われの美女(ヘッダ・ヴェルノン)を救い出す場面で弁士・泉天嶺の語りが付されています。


1915年 『後のカチューシャ』細山喜代松監督

Nochi no Katyusha imdbjmdb

向島に新設されたばかりの初期ガラススタジオで撮影された初期日活現代劇。出演は立花貞二郎と関根達発ほか。国立映画アーカイヴやマツダ映画社にも所蔵記録のない作品で、断片を見れたのは感動でした。


1921年 『路上の霊魂』村田実監督

Souls on the Road (Rojô no reikion) imdbjmdb

日本の映画制作が新しい段階に入った様子を告げるモダンな現代劇。国外からの評価が高いことでも知られる一作です。


1921年 『虞美人草』小谷ヘンリー監督

Gubijinsô imdbjmdb

歸山教正氏と並び国産映画の近代化に功あった小谷ヘンリー監督の代表作。グリフィスの影響が濃く、戦闘場面での流動的な表現など日本映画になかった新しい試みを持ちこんでいます。


1923年 『船頭小唄』池田義信監督

Sendô kouta imdbjmdb

帝キネの『籠の鳥』と並ぶ小唄映画ブームの先駆け作品。栗島すみ子の健気で可憐なイメージ戦略をさらに一歩推し進めたものでもあります。


1923年 『関東大震災』記録映画

The Great Kantō earthquake

被災直後、瓦礫の山と化した街並みや、炊き出しに並ぶ被災者たちの姿などを生々しく記録した巨大災害の記録。首都圏を襲った未曽有の災害は初期日本映画の展開にも少なからぬ影響を与えました。


1931年 『マダムと女房』五所平之助監督

Madame and Wife imdbjmdb

斉藤達雄と田中絹代のかけあいが楽しい初期トーキー。


1938年 『愛染かつら』野村浩将監督

The Tree of Love imdbjmdb

看護婦として働くシングルマザーと医学者との悲恋を描いた戦前を代表する和製メロドラマ秀作。


1939年 『暖流』吉村公三郎監督

Warm Current imdbjmdb

高峰三枝子、水戸光子、佐分利信の入り組んだ人間模様を背景に描かれる、硬質な叙情性を帯びた恋愛ドラマ。


1943年 『花咲く港』 木下恵介監督

Port of Flowers imdbjmdb

九州の離島を訪れたペテン師二人組の行く末を軽妙に描いた木下恵介監督デビュー作。


1945年 『そよかぜ』 佐々木康監督

Soyokaze imdbjmdb

「リンゴの唄」の朗らかな響きと共に終戦直後の人々に希望を与える一作となりました。


1949年 『悲しき口笛』家城巳代治監督

Sad Whistling imdbjmdb

笠木シズ子をアップデートする形で日本歌謡を刷新した不世出の歌姫の映画デビュー作。10代前半でこの貫禄はさすが。


1949年 『晩春』 小津安二郎

Late Spring imdbjmdb

20世紀前半の(松竹版)日本映画史は小津の形式美と情緒によって完成された…とまとめたくなる編集です。


白黒110メートル(約18分)
光学録音
サングラフ/松竹

1916 – 「活動繪もの語:呪の列車」(『飛行少年』大正5年12月号所収、日本飛行研究會)

大正五年に日本で公開された『呪の列車』はキネマ文庫(榎本法令館)など当時の説明本文庫で取り扱われることはありませんでした。唯一、子供向けの読み物雑誌として人気のあった「飛行少年」誌の大正五年十二月号に「繪もの語」版6頁が掲載されています。

« The Juggernaut : Moving Picture Illustrated Story »
(1916 Illustrated adaptation for children, published in
« Hikou-Shounen [Flying Kids] » 1916 December Issue)

十章構成で紙数の都合上一部の設定(ルイズの母親をめぐる三角関係など)が削除されています。12点含まれている挿画は大正期に『科学畫報』『飛行少年』『幼年畫報』で活躍したイラストレーター・川目逹の手によるものです。

結末部の数枚は左右反転になっています。先日の投稿で触れた米Those Awful Reviewsでは『呪の列車』のロビーカード画像の左右反転例が紹介されていました。イラストレーターに渡った資料画像が元々反転していた、の仮説が成り立ちそうです。

1916 -『活動之世界』 大正5年(1916年)12月号より『呪の列車』関連記事

『呪の列車』は元々ヴァイタグラフ社が新たに立ち上げたブルーリボンレーベルの第一弾として製作・公開されたものです。ブルーリボンは4巻物以上の(当時の基準としては)尺の長い「特作長編」に特化した制作会社の位置付けをされていました。

本国では1915年3月7日にプレミア上映、翌4月に一般公開開始。日本では一年半遅れの大正5年(1916年)10月11日に淺草電氣館で封切られています。

まだ『活動画報』や『キネマ旬報』はありませんでした。雑誌では老舗『キネマ・レコード』があって、それに対抗すべく『活動之世界』が創刊されたのが大正5年。同年10月号で『呪の列車』が紹介されたと思われるのですがこちらは未見で、2ヶ月後の12月号に関連記事を二つ見つけました。

「アニタ・ステアート嬢の消息」

電氣館に上場された『呪の列車』にラスキン嬢、ルイズ嬢の二役を演じたアニタステアート嬢は、ヴアイタグラフ社撮影所の近くに、嬢のお母さんと弟と三人で住んで居る。

[…] 嬢の人氣をよんだヒルムは『女神』と『森の中のすみれ』とで今春以來風邪がもとで、嬢の氣分はあまり勝れなかつた。そして一月前までは、病氣の爲に、暫く休んで居たが、やつと快復して再びヒルムを撮ることになつた。

嬢の相手役は、アール、ウヰリアム氏で、氏は本年三十六歳、米國キネマ界の人氣俳優である。嬢の二十一歳の花盛りと相俟つて、その撮つたヒルムは人氣をよんで居る。

最近報ずるところによれば嬢は一週間一五〇〇弗(三千圓)の給料を得て、メトロ社へ移つるといふ。

「アニタ・ステアート嬢の消息」まこと
『活動之世界』1916年12月号

「映畫新舊譚」

外國の活劇や人情劇の中に、本物の列車が衝突したり、鉄橋から墜落したりする場面がある。現に、十月十一日から淺草電氣館に上場された米國ヴアイタグラフ社の『呪の列車』の最後の場面に、三臺の客車から成つてゐる列車が、腐れ鐵橋の上から河中に墜落する所がある。

[…] 列車の衝突、墜落等にも、活動寫眞が始まる以前から、米國には老朽の汽車を買ひ受けて之を衝突させたり、墜落させたりする商賣をしてゐる人がある。それが、現今では活動寫眞業者間に流行して來て、前期の樣な場面を撮影しなければならない時は、古い汽車を買ひ受けて、何月何日午前幾時から何處に假設の鐵道、鐵橋を設けて、衝突或いは墜落をせしめる、と云ふ辻ビラを街の隅々迄も貼り附ける。一人の觀覧料は五十銭から一圓位迄であるが、物見高い米國人の事であるから、忽ち數千の人々が集つて來る。それで莫大な觀覧料が得られるさうである […]。

「映畫新舊譚」四影生
『活動之世界』1916年12月号

アニタ・スチュワートは大正4~5年頃(1915〜16年)から日本の活動愛好家に知られるようになっています。大正7年(1918年)にヴァイタグラフを退社、メイヤーの援助を受け自身の映画会社を立ち上げるものの思った成功を収めることはできませんでした。それでも大正8年(1919年)の『活動之世界』誌人気投票では全体で36位、海外女優で21位に入っています。日本でも一定数のフアンを抱えていた訳で、そういった人々は少なくとも『呪の列車』の名を知っていたと思われます。

1920年代になると映画界の勢力図は大きく変わり愛好家も入れ替わっていきます。大正10年(1921年)7月に発行された『活動花形改題 活動之世界』のヴァイタグラフ社沿革紹介で、アニタ・スチュワートは「かつての花形」の位置付けになっています。5、6年間で過去の扱いとされ作品を見たことのない人々が多数派となっていくのです。流行の慌ただしい変遷に紛れ『呪の列車』の記憶は日本でも失われていきました。

1930 – 『パテーの自家現像』(吉川新形式寫眞叢書・第一篇、吉川速男著、アルス社)

今回9.5ミリ動画カメラを実使用するに当たってまず参考にしたのは歸山教正氏の『シネ・ハンドブック』(1930年)でした。もう一冊9.5ミリ専用の書籍が欲しいな…と見つけ出したのがこちらの『パテーの自家現像』。某古書店ブログで触れられているように直線をベースにした素敵なデザイン(フォントやその配列を含む)にはバウハウス等の影響を見ることができます。

第五章と第七章だけを御覧下さるだけでも、獨りで容易に好結果を擧げる事が出來ます。

冒頭にある通り現像の具体的な流れを詳述したのが第5章(薬品の配合)と第7章(現像の手順)。吉川氏本人の自筆イラストが多くあしらわれ9.5ミリフィルム現像の実際を視覚的に追うことができます。

現像用薬品(現像液/反転液)の配合については『シネ・ハンドブック』とほぼ同じ。ただし『パテーの自家現像』には9.5ミリ用の作業時間配分の一覧が掲載されていて参考になりました。

1930年頃に撮影された9.5ミリの個人撮影動画では時々画面に液体が流れたような跡を見ることができます。長期保管による褪色や変色だと思っていたのですが、現像液や反転液の洗浄不足による現像ムラなのだと気づきました。撮影者・現像者視点からフィルムを見てみるとまた違った発見があるものですね。

自家現像時の現像ムラの一例
(『池掃除』、1929年頃、個人コレクションより)

[出版年]
1930年

[発行所]
アルス

[定価]
壹円

[ページ数]
150

[フォーマット]
13.0 × 19.5 cm、函入

1938 – 『パテータイムス 第三巻第二號』 「救國の乙女ジャンヌ・ダーク(『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』)」紹介

『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』より

Pathe Times 1938 February Issue
« Presents La Merveilleuse Vie de Jeanne D’Arc »

戦前に9.5ミリ小型映画の愛好家向けに発売されていた冊子では『パテベビー月報』、『ベビーシネマ』、『日本パテーシネ』、『パテータイムス』などが知られています。このうち『パテータイムス』昭和13年(1938年)の2月号で、「救國の乙女ジヤンヌ・ダーク」が取り上げられていました。

本文中に「パテスコープ提供」「特大二巻」「タイトル [間字幕] は英文」とあるように、英パテスコープ社が『聖ジャンヌ(St Joan the Maid)』として発売していた2巻物の英縮約版を輸入販売したものです。

齢二十に満たぬ一介の乙女が祖國フランスを救ひ世界の奇蹟として今尚人口に膾炙する聖少女ジヤンヌ・ダルクの悲壮な行為を史實に依り、叙事詩的に描いた雄篇。しかも九ミリ半愛好者に手頃な特大2巻に壓縮され乍ら些かも無理な感じのない近来の傑作です。學校用としては歴史科、修身科教材として應用でき、御家庭、アマチユアの集會には觀賞用として洋畫飢饉の昨今必ずや皆様を堪能せしめませう。

時は今純戦時状態に入り國民精神總動員愈々徹底されて居りますが、斯る崇高な祖國愛の事蹟に接するは絶對必要ではありますまいか。その意味に於ても本映畫を御觀賞されることを敢えてお奨めいたします。

以上の2段落の紹介文があった後、フィルム前半に当たる第一巻の字幕の日本語訳が丸々掲載されています。

『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』は日本で劇場公開されておらず、戦前に日本語で言及された文章を見たことはありませんでした。戦時下の「祖國愛」を鼓舞する形ではあるものの、9.5ミリフィルム経由で紹介が行われていたのを確認できたのは収穫でした。

また今年のNHK連続テレビ小説『エール』にパテベビー撮影機が登場した話は御存じかと思われます。本号のパテータイムスでは古関裕而氏を「この天才作曲家古關氏が熱心を通り越したとも評さるべき九ミリ半アマチユアであることを御承知の人はあまり多くはない。氏はコンテスト等には殆ど出品せぬが默々として素晴らしい九ミリ半映畫をつくつてゐる」と紹介しています。

時は1938年。戦時下となった緊張感や不安感が見え隠れする一冊でもあります。それでもまだ「供給に餘裕ある九ミリ半フヰルム」の見通しが述べられていました。いかに楽観的だったかを翌年思い知らされるわけで、日本における9.5ミリ文化が潰えようとするギリギリの瞬間が記録されています。

1917 – 『毒草』(井上正夫監督、小林商会) 絵葉書4点

1917 « Doku-sô » (Poison Grass, dir/Inoue Masao)
Original Promotional Postcards

1)毒草劇 井上正夫のお源

 果して母親は眞赤になつた焼火箸を焚火の中から取出すと、思ひ知れとばかり、まづお品の半身像にじウとそれを突刺した上、今度は更に二人立の寫眞の方にも突刺すのだ、さうして滅茶々々にお品の顔を潰したうえ、にたりと會心の物凄い笑を漏らした。(『毒草 お品の巻』菊池幽芳、至誠堂書店、大正5年、「寫眞」)

2)毒草劇 木下藤吉郎のお品 藤野秀夫の土手の福 葛城文子のお仙 栗島狭衣の吉蔵

 彼の髪は蓬々と伸びて額や肩に亂れかゝり、口髭も頤髭も延びるに任した様子から、頬骨の突出て居るところから、眉の太く濃いところから、一寸アイヌの容貌を思ひ出させるところがあつた。着物は木綿の布子を着て居るのが見る影もなくぼろぼろになり、ところどころ垢ずれで光つて居るのに三尺帯を巻つけ、尻からげもせず、だらしなく着流して、足は素跣足のまゝである。腰には巾着のやうなものやら煙草入やらに、小猿の髑髏を二つ括つて居るのが異樣の音を立てゝ、足拍子を取つて踊るたびにちやらちやらとなり、こつこつと響いた。

 土手の福がさも愉快さうに踊つて來る跡から、界隈の子供等がぞろぞろと囃し立てゝついて來た。(『毒草 お品の巻』「土手の福」の章)

3)毒草劇 栗島狭衣の吉蔵 井上正夫のお源

 お源の手からバツタリ槌が落ちて、お源はよろよろと熊笹の中に尻餅を搗いた。

 「お母さん、お前、鬼になつたゞか。これ誰の形代だ。」

 母親は云知れぬ慙愧と憤怒のために、わなわなと顫へながら、吉蔵の顔を見上げて、續けさまに太い溜息を漏らした。

 吉蔵は母親を押へた腕を放すと、その猿臂を差延べて、力任せに藁人形をもぎ取り、

 「お母さん、お前はお品を祈り殺さうとするだな。お前、何でそんなにお品が憎いだ。」(『毒草 お品の巻』「三本杉」の章)

4)毒草劇 翠紅園納屋の慘劇

 いつも其卓子(テーブル)の上には煙草盆と燐寸が置いてあるので、その燐寸を探さうとしたのだ。……と燐寸と一緒に鐵の五本爪のついた除草器が觸つた。お源の頭に突然何ものかゞが閃いたらしく、その除草器を燐寸と共に取上げると、屹と中腰になつて納屋の方角を覗いた。しよんぼりと納屋の方に進んで行くお品の輪郭が闇の中に黑く見透された。(『毒草 お品の巻』菊池幽芳、至誠堂書店、大正5年、「兇行」の章)


三月浅草及び市中の各館各座は一斉に同じ毒草劇を上場して東京ツ子をあつと云はせた。(『キネマ・レコード』1917年)

日活、天活、小林の三會社で『毒草』劇を競争的に發表したことがある。この三つの作品を比較すると、各會社の技倆の程度を畧ぼ測定することが出來るのであつて、何れも各自の特色を發揮し、可なりの熱心さが認められた中にも、小林の作品は井上の扮装と、光線の巧みな應用とによつて、一際勝れてゐたといふことである。勿論日活にしてもその頃は著しき進境を示し、『毒草』を數年前の作品に比較すると、確かに凡ての點において進んで來た。(『欧米及日本の映画史』石巻良夫著、プラトン社、1925年)


『己が罪』で知られる大衆通俗作家・菊池幽芳氏が大正5年(1916年)に大阪毎日新聞、東京日日新聞に連載していたのが『毒草』でした、地方を舞台とした猟奇的な物語が評判を呼び、連載終了後すぐに舞台化、映画化が進みます。映画版は小林商会、天活、日活向島の三社競作。井上正夫氏が監督した小林商会版の販促に使用された絵葉書です。

物語は病弱で内向的な娘・お品(木下藤吉郎)が、亡き父の知人を頼り、その息子・吉蔵(栗島狭衣)の営む草木店の手伝いとして働き始めたことで幕を開けます。足が悪く閉鎖的な吉蔵は当初はお品を邪険に扱うのですが、花好きで素直な心にやがて惹かれるようになっていきます。また吉蔵の妹で、人嫌いで閉じこもりがちなお仙(葛城文子)も次第にお品へと心を開いていきます。夫婦の約束を交わした吉蔵とお品ですが、この二人の幸せを憎しみの目で見ていたのが吉蔵の母・お源(井上正夫)であった…と続いていきます。

小林商会版は邦画に女優の登場した最初期の例として知られています。「映画女優」の概念が確立されたのは1919年『深山の乙女』でしたが、そこまでに試行錯誤があって女形・女優共存の本作もその流れに位置づけられます。お仙役の葛城文子さんはこの後『七つの海』(清水宏)、『隣の八重ちゃん』(島津保次郎)、『戸田家の兄妹』(小津安二郎)等に母親役として登場、初期邦画界を底上げしていきました。放浪者・土手の福は後の好々爺俳優・藤野秀夫氏で、吉蔵役と脚本で栗島すみ子の父・狭衣氏が絡むなどその他の配役も魅力的です。

[JMDb]
毒草

[IMDb]
Dokuso

[公開年]
1917年

[原作]
『毒草 お品乃巻』(国立国会図書館デジタル版)

藤田 陽子 (1919 – 1938?)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Fujita Yoko & Takao Mitsuko 1920s Autographed Postcard


大正八年七月麻布區霞町元明治座の事務員藤田昌宏の次女に生る、大正十三年二月、姉藤田房子と共に松竹蒲田スタヂオに入る。古參役者として可愛がられ人氣がある。初舞臺は柳咲子の『猫』で鳴門のお鶴に扮して転載を認められ、引續き諸口、川田主演の『夜の一幕』にて無邪氣な姿でフアンの注目を惹く。『懐しの蒲田』『母よ戀し』『曲馬團の姉妹』にて愈々好評。好きなものは踊と三味線と甘栗。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)


1920年代に人気のあった子役二人、藤田陽子&高尾光子さんの連名サイン。両者の共演は『少女の悩み』(蔦見丈夫監督、1924年)『母よ恋し』(五所平之助監督、1926年)、『九官鳥』(野村芳亭監督、1927年)の3作があります。

[JMDb]
藤田陽子

[IMDb]
Yôko Fujita

[出身地]
日本(東京・麻布)

[サイズ]
13.6 × 8.9 cm

1931 ‐ 『活動寫眞撮影術』(歸山教正&原田三夫共著、日本教材映画 [小型映画講座1])

Katsudou Shashin Satsueijutsu [Filming Moving Pictures] – Kaeriyama Norimasa (1931)

初期日本映画の発展に大きな影響を与えた映画理論家、歸山教正氏の残した概説書シリーズの一冊。「小型映画講座」の枠組みで、9.5ミリと16ミリを中心に動画カメラの原理、フィルムの種類、映画光学の基礎、照明、間字幕の作り方などについてまとめています。

技術面に特化した書籍ながら、巻頭に置かれた48頁の写真群は歸山氏の趣味やこだわり、人脈が反映されたものとなっています。洋画では現在でも無声映画の代表作とされる諸作(『裁かるるジャンヌ』『ニーベルンゲン』『戦艦ポチョムキン』)のスチルを収録。他にも独ウーファ社の作品が目立ちます。

国産映画の珍しい画像(撮影中のショット含む)が多く含まれていました。

「或映畫場面のコンポジション(映畫藝術協會)」と題された一枚。さらっと紛れこんでいますがもしかして『深山の乙女』(歸山教正監督、花柳はるみ主演)ではないですか。

「「撮影と照明(1)松竹蒲田映畫」と題された一枚。八雲恵美子さんの姿が見えます。

「實物の室内撮影と照明(日活映畫)」。写真上、左から峰吟子、夏川静江、一人置いて中央に村田實監督でしょうか。そうだとすると『この太陽』(1930年)の撮影風景になります。

初期の日活向島が有していたグラスハウス型スタジオ。

『活動寫眞撮影術』は「小型映画講座」と題された6冊物の第1巻に当たります。他の巻も歸山氏が絡んでおり共著に村田實、夏川静江、徳川夢聲氏の名が挙がっています。