1929 – 9.5mm 小唄映画『君戀し』(伴野プリント、断章) 河合映画版?

「伴野商店」より

Kimi Koishi (1929)
Banno Co., c1930 9.5mm Print, 2nd reel

先日、1920年代末にパテベビー映写機と撮影機を使用されていた方のフィルムコレクション一式を入手しました。そのうちの1本に伴野商会から発売されていた『君戀し』の後半部(2巻構成の第2巻のみ)が含まれていました。

宵闇せまれば 悩みは涯なし
みだるる心に うつるは誰(た)が影
君恋し 唇あせねど
涙はあふれて 今宵も更け行く

唄声すぎゆき 足音ひびけど
いずこにたずねん こころの面影
君恋し おもいはみだれて
苦しき幾夜を 誰がため忍ばん

去りゆくあの影 消えゆくあの影
誰がためささえん つかれし心よ
君恋し ともしびうすれて
臙脂(えんじ)の紅帯 ゆるむもさびしや

二村定一歌唱による「君戀し」は昭和初期の流行歌としてよく知られたもので、楽曲のヒットにあやかり昭和4年の3~7月にかけて複数の映画会社による映画版が公開されていました。

 3月2日公開:松竹蒲田版(島津保次郎監督、島田嘉七&八雲恵美子ほか出演)
 3月6日公開:森本プロ版(光田比登志監督、夢路小夜子ほか出演)
 3月8日公開:マキノ版(川浪良太監督、松浦築枝&沢田敬之助ほか出演)
 3月8日公開:河合版(丘虹二監督、環歌子&松村光夫ほか出演)
 3月8日公開:日活太秦版(三枝源次郎、滝花久子&島耕二ほか出演)
 7月6日公開:東亞版(仁科熊彦監督、雲井竜之助ほか出演)

物語は美也子という名の女性と2人の男性の恋模様を追っています。美也子は地方のカフェバーで女給をしていて、そこで客である学生・柏木に思いを寄せられます。一方お店の常連客である吉之助は許嫁のある身でありながら美也子に惚れてしまい、強引に口説こうとするのでした。

美也子と吉之助が話している様子を見た柏木は二人が仲睦まじいと勘違い、思いを断ち切って東京に帰ろうとします。やけ酒を食らい、店に足を運んだ柏木は「君戀し」のレコードが流れる店内で美也子に別れを告げます。

柏木の想いが真実であると知った美也子は港に向かいます。東京へと向かう最終便の船に乗りこもうとした柏木に追いついき、自分も一緒に東京に帰ると告げるのでした。

今回入手した第2リールの内容は以上です。9.5ミリ版の断章からも脚本やセット、衣装に贅を凝らした作品ではないと伝わってきますが途中に挿入された蓄音機の場面など小唄映画の「見せ方」を知る上で良い資料です。

制作会社や出演者・スタッフ名は明記されておらずフィルムからではどの会社の版なのかは不明。美也子を演じているのは目の輪郭や涙袋の感じからして…環歌子?吉之助を演ずる顎のほっそりした青年は葉山純之輔氏と思われるためおそらく昭和4年の河合映画版ではないか、と。

記憶違いでなければこの時期の環歌子主演の現代劇は残っていないはず。『火の車お萬』(1928年)の女侠客のように時代劇の印象が強く正直現代劇のイメージが沸かないです。この9.5ミリが河合版だとするなら、しっとりしたメロドラマ的な表情を見せる対応力も備えていたことになりますね。

映画版『君戀し』については紙資料があまり残っておらず不明な点が多いためもう少し調べてから続報をお伝えいたします。

映写機用レンズの肖像 [09]: 独メイヤー・ゲルリッツ社 キノン・スーペリアー I f=25ミリ

Meyer Görlitz Kinon Superior I F=25mm Projection Lens from Eumig P3 8mm Silent Projector

以前にf=20mm40mmの2本を紹介した独メイヤー・ゲルリッツ社の映写機用レンズ「キノン・スーペリアー」の25mmを手に入れることができました。3群4枚のペッツバール型。1930年代中盤に市販されていた墺オイミッヒ社の8ミリ映写機P3についていたものです。

映写機は配線が大きくいじられていて現状で動かないのですが、スイッチ類を変えれば使えそうな気配もあってレストアするかどうか思案中。ひとまず先にレンズの写りを試してみました。

前回同様にイハゲー社の金属製エクステンションチューブ一部を流用し、3Dプリンタで作成した樹脂リングをかませる形でExaktaマウントに変更、さらにマイクロフォーサーズに変換してミラーレスカメラに取り付けていきます。

外出ついでに試写してみたのが下のサンプル画像2枚。

f=20mmと同じくイメージセンサーより若干小さく映るため四隅がケラレています。コーティングされていない戦前レンズで逆光に弱いものの、点光源が多い被写体を選ぶと強いグルグルボケが発生。

白黒フィルムを前提に作られているにもかかわらず色の立ち具合の強いレンズでもあります。レンズ中央で色味の強い対象を捉え、周辺(今回は左半分)に点光源を置くと面白いアウトプットになります。

1952年頃のメイヤー社カタログより。キノンに関しては1.8/35mm、1.8/50mm、1.8/65mm、2.2/65mm、1.6/105mmの5種類を掲載。20mmや25mm辺りの短い焦点距離は戦後作られなくなっていたのが分かります。

試写に使用したマイクロフォーサーズのセンサーサイズであればf=25~35mmで十分な気がしました。センサーサイズの大きなカメラで使うなら50~65mmを見つけたいところです。

1925 – 9.5mm 『三人』 (トッド・ブラウンニング監督)仏フィルム・オフィス社プリント

小人症映画小史(02)

Les Trois « X » (« The Unholy Three », 1925, Metro-Goldwyn-Mayer, dir/Tod Browning) Postwar French Film Office 9.5mm Print

腹話術師のエコー(ロン・チェイニー)、小人症芸人のトウィードルディー(ハリー・アール)、怪力男のヘラクレス(ヴィクター・マクラグレン)が芸を披露している建物には今日も多くの客が集まつていた。観衆の前では愛想笑いを受かべてはいたが、彼らには裏の顔があつた。三人は手つ取り早く大金を稼ぐため奇想天外なる計画を実行するのである。

大通りに面したペットショップに変装した三人が住みこんでいた。売り物のオウムを出しにして、富裕な客の自宅を物色し貴金属を盗み出していく。計画はうまくいったかに見えた。だがエコーの情婦であるスリのロージー(メエ・ブッシュ)が店員として雇われた青年ヘクターと恋に落ちた時、三人の緻密な計画にほころびが生まれ始める…

1932年のカルト作品『フリークス』でも知られるトッド・ブラウニング監督のもう一つの代表作品。1925年のサイレント版と配役変更を行った1930年トーキー版の二つがありこちらはサイレント版。仏フィルム・オフィス社が戦後に発売していた仏語字幕物で100メートルリール4巻構成、上映時間は1時間強。

現行DVDと比べ描写が潰れており良いプリントとは言えません。ただ、今回一部をスキャンして確認したところデジタル化されているUS版とは別プリントだと判明しました。

上の2枚は仲間割れしたヘラクレスがトウィードルディーを車の助手席に押しこんで店を離れる場面です。背景に注目するとUS版DVD(左)では家から出た後の扉が完全に開ききっています。ところが仏9.5ミリ版では扉が反動で戻ってきてしまい半開きになっています(右)。

また3人組が悪だくみの相談をしている場面では9.5ミリ版(右)だと ロン・チェイニーの背後にドアノブが見えているのに対し、DVD版(左)ではカメラの角度が異なっていてドアノブが見えなくなっています。

9.5ミリ版はDVD版と共通のショットの一切ないオルタネイト・バージョンでした。チャップリンのミューチャル短編や20年代のラング作品、あるいは一部のキートン主演作と同様に国外向けに用意された別ネガを基にしているようです。トッド・ブラウンニング作品で海外向けのネガが違っているという話は聞いた覚えがなく驚かされました。

ロン・チェイニーの悲哀、メエ・ブッシュの程よい透明感、ハリー・アールの振り切れた二面性など見どころが多く個人的には『フリークス』以上に優れた作品と見ています。また悪漢三人+美悪女一人のルパン三世的フォーメーションは19世紀までの小説や演劇には見られないもので、遡っていくとこの作品(原作小説は1917年)やジョン・フォードの『三惡人』(1926年)に辿りつきます。

[原題]
The Unholy Three

[IMDb]
The Unholy Three

[Movie Walker]


[公開年]
1925年

[メーカー]
仏フィルム・オフィス社

[フォーマット]
9.5ミリ 白黒無声 120メートル×4巻 ノッチ無し

1928 – スーパー8『坂本龍馬・前編』(枝正義郎監督、阪妻プロ)マツダ映画社版

「阪東妻三郎関連」より

Sakamoto Ryoma (1928, Bantsuma Production, dir/Edamasa Yoshiro)
Matsuda Film Productions Super8 Print

マツダ映画社が戦後、無声映画鑑賞会の会員向けに限定で販売していた『坂本龍馬』8ミリ版。前後編100メートルずつの構成で上映時間はトータル34分。今回入手したのは前編のみで後編用ケースに収められていました。ビネガーシンドロームが進み始めた状態だったため実写はせず一部のスキャンのみ行いました。

『坂本龍馬』に関しては以前に戦前1930年代の伴野9.5ミリ版を紹介しております。比較のため対応場面を並べていきます。

顔の細やかな陰影、衣類のひだなど8ミリ版は細部が潰れてしまっています。それでも決して悪いプリントではありませんよね。一方の9.5ミリ版は上と右のトリミング幅が大きく人物の頭が見切れてしまっています。パーフォレーション(フィルム送り用の穴)が人物の頭にかかってしまっているため映写時に構図が崩れてしまうのです。構図に関してはマツダ映画社版がオリジナルに忠実という結果になりました。

2年前にフラットベッドスキャナーで取り込んだ画像データ。上部中央の穴(パーフォレーション)が頭にかかってしまっています

画質以上の大きな違いは編集方針です。

8ミリ版は「つなぎ」の場面を多く含んでいます。薩長土の連合に向けた打ちあわせのため、龍馬が寺田屋から駕籠で薩摩藩邸に向かうところで見回り中の新選組がその姿を認め情報収集を行います。この場面は8ミリ版のみ収録。

また寺田屋襲撃の場面でも龍馬が一旦はお龍(森静子)を逃してから新選組との死闘に向かいます。その後寺田屋2階の窓から脱出し、なんとか川辺に辿りついたところをお龍らの乗った小舟によって救われる…という展開です。9.5ミリ版では最初のお龍を逃す場面が欠けています。そのためお龍たちが唐突にどこからともなく助けにやってくるやや不自然な流れになっていました。

9.5ミリ版は細かなつなぎの場面を省略する代わりに、藩邸での龍馬の弁舌や寺田屋での立ち回りを長く収録。

どちらが良いという単純な問題ではないのですが、すでにスクリーンで作品を見ていて流れを知っている視聴者にとっては名場面を長く収めた9.5ミリ版の方が見ごたえがあるのかなと思います。一方の8ミリ版は全体の流れが分かりやすく初見に優しい構成となっていました。

気になったのは龍馬が後藤象二郎に大政奉還の建白書提出を持ちかける場面。

流れ的に同じ場面なのですが8ミリ版では龍馬を単体で捉えているのに対し、9.5ミリ版では後藤象二郎の肩越しに龍馬を捉える構図になっています。どちらも元の35ミリネガに含まれていてマツダ版と伴野版では選んだ場面が異なっていたのかもしれません。そうでないとすると別テイクに差し替えられていた可能性が出てきます。

[原題]
坂本龍馬

[公開年]
1928年

[JMDb]
坂本龍馬

[IMDb]
Sakamoto Ryôma

[フォーマット]
スーパー8 白黒 100メートル 光学録音

1928 – 9.5mm『坂本龍馬』(枝正義郎監督、阪妻プロ)戦前伴野版

「阪東妻三郎関連」より

Sakamoto Ryoma (1928, Bantsuma Production, dir/Edamasa Yoshiro)
Banno Co., Early 1930s 9.5mm Print

枝正義郎氏を監督に迎えた最初期の龍馬映画9.5ミリ縮約版。100メートルリール2巻物。戦前~戦中期に信濃毎日新聞社のフィルムライブラリーが旧蔵していた品でリール側面に「貸出部」の印がありました。

前半に当たる第一リールでは薩長同盟結成から後藤象二郎らを巻きこんで大政奉還に挑むまでの流れが描かれています。前半ハイライトは新撰組による寺田屋襲撃での立ち回り。足元をとられながらも屋根伝いに逃れ、お龍らが準備していた船に乗りこんで何とか一命をとりとめます。

第二リールとなり、大政奉還を促すため二条城に赴いた象二郎の帰りが遅くなり海援隊内部に動揺が走ります。「この上は二条城に乗りこみ、慶喜討つべし」と隊員が声をあげても沈黙を貫く龍馬。業を煮やした仲間が一人、また一人と去っていく中、龍馬がまさに決断を下さんとしたその時、象二郎が吉報を持ち帰るのです。

第二リール後半は近江屋での龍馬暗殺を描いていきます。本作は京都見廻組による犯行説を採っており展開としては王道。ただ見廻組=実行犯説が定説化してきたのが大正期になってからですので、公開時にはまだ目新しい解釈だったのかなと思われます。

見廻組の佐々木只三郎(春日清)が名を偽って龍馬らに取次ぎを依頼、只三郎は返事を持ってきた下僕の藤吉(浪野光雄)を切って捨てると仲間を誘導し、龍馬と中岡慎太郎(春路謙作)を襲撃します。不意を突かれた龍馬は剣を抜く暇も与えられず、眉間に致命傷を負い、「身は死しても魂は…永久…皇国の…大海原を守護し奉る」と中岡に言い残して力尽きるのでした。

◇◇◇

伴野版の『坂本龍馬』はチャンバラと呼べる場面は前半の寺田屋しか見当たらず、それも決して派手な立ち回りではありませんでした。龍馬を剣豪、あるいはアクションヒーローとして扱おうとする意図はなかったと思われます。

また全長版でクレジットされている西郷隆盛や勝海舟は数秒のみ登場、女優陣(森静子、西條香代子、泉春子)の出演場面もカットされています。経済思想家、あるいは私人龍馬の姿はここにはありません。

30分弱に切り詰められたダイジェスト版で強調されていたのは、国の行く末を案じ、天皇主体の新たな日本を作るため組織間の調整に身を削り、夢半ばで倒れていく憂国の士、龍馬でした。

端々のセリフ(「それは皇国に殉する言葉ではなくて」「将軍家に一矢を報ひ皇国の爲に気を吐きませうぞ」)から伺えるように元々の脚本にそういった側面は含まれていたようです。その意味では戦後に流布した無頼派で、海外の諸事情に明るく、超派閥的に時代を動かしていく自由人の龍馬像とは根本的に違った設定です。9.5ミリ版編集は1930年代に行われたため、時代の要請として皇国史観や滅私奉公の要素が強調された可能性は高いと思われます。

もう一点重要な指摘として、1928年版『坂本龍馬』は撮影アングルや照明を重要視した映画作りとなっています。

寺田屋立ち回りでのミドルショットでは左側からメインの照明を当てつつ、陰が出すぎないよう右側から補助の光を照射(襟元の影で分かります)。さらに黒い髪が背景と一体化しないよう背後上から光を当て後光のような輪郭を形成しています。これは「ハリウッド式の3点ライティング」を採用した典型的作例です。

殺陣の速度感や迫力は『雄呂血』に軍配があがるものの、あの立ち回りは屋外ロケの自然光下で撮影されたもので光や陰に対する配慮は感じられませんでした。カメラマンとして業界で名を成した枝正義郎氏はコントラストや構図を重視。ハリウッドでは1920年代以降スタジオ撮影の比重が上がるにつれて照明の重要性が増し「ライティングで狙った絵を作る」発想が顕著になってきます。枝正氏はそういった傾向を自作に取り込もうとしているのです。『坂本龍馬』を評価する際もそういった要素を考慮する必要があるだろうと考えられます。

[原題]
坂本龍馬

[公開年]
1928年

[JMDb]
坂本龍馬

[IMDb]
Sakamoto Ryôma

[フォーマット]
9.5ミリ 白黒無声 100メートル×2巻 ノッチ無

1933 – 9.5mm 『嵐の孤児』(パテ・ナタン社、モーリス・トゥールヌール監督) 英パテスコープ社無声版

Orphans of The Storm (« Les deux orphelines », 1933, Pathé-Nathan, dir/Maurice Tourneur) UK Pathescope 9.5mm Print

戦前フランスを代表する監督の一人、トゥールヌールによる『嵐の孤児』(1933年)の9.5ミリ版。元々トーキーとして公開されたものですがこちらは英語字幕埋めこみ版となっています。プリント状態が悪く全体に傷が目立ちます、ご了承ください。

『嵐の孤児』は革命期のフランスで生き別れとなった姉妹の運命を描いたメロドラマで、映画化作品としては1921年の無声版(グリフィス監督、リリアン&ドロシー・ギッシュ主演)がよく知られています。元々1870年代に戯曲として書かれた作品が後年小説化されたもの。グリフィス版は小説を下敷きとしつつ独自要素を多く加えていて、後半はほとんどオリジナルの展開となっていました。

ルネ・サンシール
(Renée Saint-Cyr as Henriette)

トゥールヌール版で姉アンリエットを演じたのはルネ・サンシール。戦後まで長く活躍された女優さんで、個人的にも晩年に出演した喜劇作の芸達者ぶりで記憶によく残っています。『嵐の孤児』は彼女の映画初主演作で、全盛期のダニエル・ダリューに肉薄する演技を見せています。

ジャン・フランセイとレジーヌ・ドレアン
(Jean Francey as Pierre & Rosine Deréan as Louise)

盲いた妹ルイーズを演じたのはロジーヌ・ドレアン。サッシャ・ギトリやマルク・アレグレ監督の戦前作品で活躍、化粧の仕方もあってルネ・サンシールと並ぶとリアルな姉妹感があります。

トーキー定着で俳優の入れ替えが進んでいた時期に新進女優のキャスティングに成功した一作ながら見どころは他にもあります。『嵐の孤児』には市中で拉致してきた盲目の少女(ロジーヌ・ドレアン)を物乞いにして日銭を稼がせる「貧困ビジネス」物語が含まれていました。元締めのラ・フロシャールという中年女性が登場するのですが、トゥルヌール版『嵐の孤児』ではこの女性のインパクトが姉妹の可憐さを上回っています。

イヴェット・ギルベール
(Yvette Guilbert as La Frochard)

強欲で憎々しいラ・フロシャールを演じたのはイヴェット・ギルベール。ムルナウの『ファウスト』でも存在感を見せていた戦前フランス演芸界の大物、彼女の映画女優キャリアでベストの演技になるだろうと思われます。他にも脇役で無声映画時代からのベテラン(カミーユ・ベール、ガブリエル・ガボリオ、エミー・リン)が多く出演しており演技の質全体を底上げしています。

1933年はフランスでも不況の影響が如実に表れてきた時期でした。トゥルヌール版『嵐の孤児』は小規模予算で製作されており、セットや衣装の華やかさではグリフィス版に相当見劣りします。一方で装飾がないために演技や照明・構図の重要性が否応なく増すという話でもあって、トゥルヌールの卓越したセンスが(後年のより大掛かりな作品以上に)伝わってきやすい一作になっています。

[タイトル]
Orphans of The Storm

[原題]
Les deux orphelines

[公開年]
1933

[IMDB]
Les deux orphelines

[Movie Walker]


[メーカー]
英パテスコープ社

[メーカー記号]
SB 30165

[9.5mm発売]
1935年11月

[フォーマット]
9.5mm 白黒無声 100m×4巻 ノッチ無 英語字幕

1957 – 9.5mm 『太平洋の怪獣ゴジラ』(『ゴジラ』仏編集版、東宝他) 1960年頃 仏フィルム・オフィス版

Godzilla (« Godzilla, le monstre de l’Océan Pacifique », Toho)
c1960 French Film Office 9.5mm Print

『ゴジラ』の日本初公開(1954年)から2年後の1956年、追加撮影された場面を加え設定を変更した編集版『怪獣王ゴジラ(Godzilla, King of the Monsters! )』がアメリカで公開されています。オリジナル版『ゴジラ』を英語字幕付きで正式に観ることができるようになったのは2000年代になってからで、それまでの欧米ではUS編集版を元にゴジラの受容・理解が進んでいったとされています。

実際には欧州でも国によってプリントの異同がありました。西ドイツでUS版は採用されず東宝オリジナル版を独自編集した版が公開されていました。フランスではUS版を再編集し完全吹き替え版とした『太平洋の怪獣ゴジラ(Godzilla, le monstre de l’Océan Pacifique)』が1957年にリリースされています。

今回紹介するのはこの『太平洋の怪獣ゴジラ』をベースにした9.5ミリ版です。仏フィルム・オフィス社が1958~62年頃に発売したもので100mリール4本構成、実写時の上映時間は50分程。音声は含まれておらず会話や説明が仏語字幕で画面に埋めこまれた形になっています。

US版は1)米国の観客が感情移入しやすくするため”語り部”となる米国人リポーター(レイモンド・バー)を導入し、2)当時の米国世論にそぐわない反核の要素を削除する、という二つの方針を軸に編集されたものでした。仏版ではこの版をベースとしつつも米国人記者の要素を減らし、時系列上の展開をオリジナルに近い形に戻そうとする傾向が見られます。

仏9.5ミリ版は大戸島の浜辺で物語が始まります。不漁が続き「呪いだ」「呉爾羅(ゴジラ)の仕業だ」と島民たちが噂しあうなか、ある夜民家が謎の理由で押しつぶされる災害が発生。国会で原因を調査する委員会が組織され、その会議の報告を傍聴する席に米国特派員スティーブ・マーティン(レイモンド・バー)の姿がありました。

古生物学者・山根(志村喬)の提言を受け調査団が派遣され、マーティンも同行します。放射能による汚染が確認され人々の警戒心が募る中、突如鳴り響いた半鐘。尾根の先に顔をもたげた怪獣が彷徨を轟かせ一帯はパニックに。

山根博士は撮影した写真を持ち帰り国会で怪獣の発生を報告、地元の伝承にちなみゴジラと名付けます。国会は自衛隊を派遣しゴジラ攻撃に乗り出していきます。一方山根博士の娘・恵美子(河内桃子)はかつての婚約者・芹沢(平田昭彦)から秘密裏に実験していた研究の話を聞かされます。

自衛隊による攻撃は失敗しゴジラは東京湾から上陸。品川駅を破壊し辺り一帯を焦土と化していきます。

非常警報発令。取材を行っていた建物が倒壊し逃げ遅れたマーティンは大怪我を負います。万策尽きたかと思える中、被害に心を痛めた恵美子は約束を破って芹沢の秘密を明かし首都を救おうするのでした…

仏フィルム・オフィス版は元となったUSプリントの影響もあって原水爆の言及は一切ありません。人間関係もできるかぎり省略されていて恵美子と萩原(宝田明)の恋模様、ゴジラに対する考え方の対立、市井の人々の反応といった要素は見えなくなっています。またUS版で主役だった米国記者マーティンは被災者の一人として扱われていました。

オリジナルの完成度と比べダウンスケール感は否めないものの約50分の短い尺でゴジラそのものインパクトを伝えたい意図は伝わってきます。1950年代にオリジナル版を直輸出しても理解されにくい部分が多かったでしょうし、ワンクッション置いて広く認知してもらう戦略はあながち間違いではなかったと思います。

ちなみに9.5ミリ形式フィルムは1920代半ばから70年代半ばまで約半世紀の歴史があるのですが、欧米圏(英仏米独)で9.5ミリ化された日本の長編映画は後にも先にもこの『ゴジラ』一作だけです。

[参照リンク]
Toho Kingdom [英語] … 東宝作品に関する情報交換掲示板でイタリア語版や仏語版についての情報・画像あり
Schnittberichte [ドイツ語] … 独版と東宝オリジナル版の比較検証
Cinemore: 『ゴジラ』 原点にして異彩を放つ第一作目【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.57】 [日本語] … 海外版への言及がある訳ではないのですが要を得ていて面白かったです。


[タイトル]
Godzilla

[原題]
Godzilla, le monstre de l’Océan Pacifique

[公開年]
1957

[IMDB]
Godzilla

[メーカー]
仏フィルム・オフィス社

[フォーマット] 9.5mm 白黒無声 100m×4巻 ノッチ無

映写機用レンズの肖像 [07]: 独メイヤー・ゲルリッツ社 キノン・スーペリアー I f1.6 40ミリ

Meyer Görlitz Kinon Superior I F1:1.6 40mm for Pathex 200B Projector (Mid 1930s)

レンズ名メーカー名製造国焦点距離F値使用映写機製作時期レンズタイプレンズ構成長さ(鏡胴含む)外径(鏡胴含む)
キノン・スーペリアー Iメイヤー・ゲルリッツ社ドイツ40mm1.6パテックス200B1930年代中盤ペッツバール型3群4枚64.6529.9
前玉タイプ前玉外径前玉厚みスペーサー(間隔環)中玉タイプ中玉外径中玉厚みスペーサー(間隔環)後玉タイプ後玉外径後玉厚み
凸凹ダブレット26.19.115.25メニスカス21.14.21.621.15.0

数々の個性派レンズ(トリオプラン、オレストール、テレメゴール…)で知られている独光学メーカー、メイヤー・ゲルリッツ社が映写機用レンズの主力として製造していたのが「キノン・スーペリアー(Kinon Superior)」です。こちらの個体は焦点距離40ミリ、1930年代半ばの独パテックス社200B映写機に付属していたものです。

この時期の標準だったペッツバール型3群4枚のレンズ構成。前玉がかなりがっしりしていて厚みもあります。

フィルムの映写作例では四隅まで光量が落ちず、中心部分で細やかな質感を再現できていました。ただし画面の中央に比較的近い所から放射状に流れるような動きが見られます。

ミラーレスにマウントして撮影してみました。

キノン・スーペリアーは絞り開放で使用した際に周縁部にグルグルとしたボケが出やすいレンズとして知られています。個性的な写真を狙っている愛好家が探している一本ですが、今回テストした40ミリはそこまで極端な結果は出ませんでした。強い点光源を中央付近に集めるとバブルボケ/グルグルボケがはっきり出てくるのですが、狙い過ぎた感じになるので今回は避けました。

このレンズに関しては後年の焦点距離50ミリが有名で、ミラーレスにマウントした作例が多く紹介されています。昨今の改造レンズブームで入手しにくくなっているものの同レンズを搭載したバウアー社パンタリュクス映写機(Bauer Pantalux)が時折安く中古市場に出てくるので探している方はその辺が狙い目だと思います。

映写機用レンズの肖像 [06]: 仏エルマジ社 マジステール F1.9 45ミリ

Hermagis Magister F=1.9 45mm for Paillard Bolex Type DA Projector (Mid 1930s)

レンズ名メーカー名製造国焦点距離F値使用映写機製作時期レンズタイプレンズ構成長さ(鏡胴含む)外径(鏡胴含む)
マジステール仏エルマジ社フランス45mm1.9ボレックスDA型1930年代中盤ペッツバール型3群4枚46.025.0
前玉タイプ前玉外径前玉厚みスペーサー(間隔環)中玉タイプ中玉外径中玉厚みスペーサー(間隔環)後玉タイプ後玉外径後玉厚み
凸凹ダブレット20.08.0メニスカス22.54.60.522.44.0

パイヤール・ボレックス社の9.5ミリ/16ミリ両用DA型映写機に付属していたレンズ。同映写機はF1.9の40ミリを装備していたD型のアップデート版に当たります。鏡胴の形は他のマジステールとは異なるものの、レンズ構成はペッツバール式で変更はありません。

9.5ミリフィルムを実写してみたときのサンプル画像がこちらです。F1.6/40ミリとF1.9/40ミリがやや褐色気味の柔らかい描写をしていたのと比べ、F1.9/45ミリは彩度が低く、かっちりした印象の絵を返してきます。

ミラーレスにマウントした接写作例。被写体深度はやや深めでピントあわせがしやすいです。彩度が低いため「枯れた」感じの渋いアウトプットになりました。ピントがあっている部分の解像度はF1.9/40ミリより一段階高いものとなっています。

焦点距離40mmを装備しているボレックス社のD型映写機は250ワット光源での映写を前提とした一台です。焦点距離45mmを装備しているDA型は400ワットのランプで映写する形にアップデートされていました。無理に明るさを追求する必要がなくなり描写の精度を重視したレンズづくりに向ったのがF1.9/45mmだった、と見ることもできます。

1931 – Super8 『雪の渡り鳥』(阪妻プロ、宮田十三一監督)東映/サングラフ版

阪東妻三郎関連 [Bando Tsumasaburo Related Items]より

Koina no Ginpei: Yuki no wataridori
(1931, Bantsuma Production, dir/Miyata Tomikazu)
Early 1970s Toei/Sungraph Super8 Print

明治三十四年東京に生まれる。本名 田村伝吉。

歌舞伎から出て、大正十二年マキノ映画に入る。

チャンバラ映画史上最大のスターの一人で、昭和初期の時代劇革新運動の流れの中で、(それまでの時代劇映画は、講談本を材料としたものや、歌舞伎の引き写し的なものが大部分であったが、ここに至って、人間そのものを追究しようとする方向に向かった)尾上松之助調のおっとりとした立廻りを、すさまじい怨念のこもったスピーディーなものにつくり変え、豪放な立廻りの第一人者となる。

晩年は「破れ太鼓」等の小市民映画に出演、その重みのある演技には定評があった。「雪の渡り鳥」は、昭和六年度・阪東プロ作品で、原作は股旅物の名匠長谷川伸。人間味にあふれたヤクザ・鯉名の銀平に扮し、思い人の夫を悪徳ヤクザの手から助け、一切の罪を我身に引受けて、役人の手に引かれていく男の悲劇を、見事に演じ切っている。その他の代表作に「雄呂血」「無法松の一生」(戦前)、「素浪人罷通る」(戦後)などがある。

昭和二十八年死去。

阪東妻三郎『雪の渡り鳥』
(活動写真名優シリーズ・解説書)

「あの…帆立一家の者…今日も散々の目にあわされ…悔しがってあの人が一人であたしを縛り上げて今…殴りこみに行ったんだよ。ねぇ、銀平さん…あの人ひとりじゃとても」
「うーむ、当たりめえのこった。卯之ひとりであれだけの大勢に敵うわけがねえ。折角幸せになったオメエもなあ。よし、俺に任してくれい。必ず卯之は連れてきてやるよ」

「…だ、だ、誰だ!」
「誰でもねぇ!やくざに戻った卯之吉でい。よくもあんな目に遭わせやがったなぁ。仕返しに来たんでい」
「何ぃ、唯一人でてめえがけい。おう、知れたこってい」

「誰だ!」
「…鯉名の銀平よ」
「て、てめえは銀平!」
「当たりめえだ。覚悟しやがれ!」

「お、お役人さん。待っておくんねえ、待っておくんねえ。お願いでござんやす。この下手人は…この卯之でございやす。あの、銀平兄貴には何の罪がねえんだ」
「いけませんぜ、お役人。それは違いやすよ。ねえ、あっしが下手人でござんすから、どうぞ。あんな野郎に何ができるもんじゃございやせんよ」

1970年代前半~中盤と思われるサングラフ版で(同梱の愛読者カードの差出有効期間が1976年2月末まで)長さは60メートル(約12分)。3年程前に一度実写のスクリーン画像を撮影。今回自作スキャナーで取りこみ直しましたが正直そこまで大きな画質の改善はなかったです。

カセットテープ付きで弁士は竹本嘯虎。喉を鳴らすような威勢の良いべらんめい口調が特徴です。

[タイトル]
雪の渡り鳥

[JMDb]
雪の渡り鳥

[IMDb]
Koina no Ginpei: Yuki no wataridori

[公開]
1931年10月15日(常盤座)

[メーカー]
東映ビデオ(製作)/サングラフ(配給)

[フォーマット] Super8、60m、白黒

1931 – Super8 『雪の渡り鳥』(阪妻プロ、宮田十三一監督)マツダ映画社版

阪東妻三郎関連 [Bando Tsumasaburo Related Items]より

Koina no Ginpei: Yuki no wataridori
(1931, Bantsuma Production, dir/Miyata Tomikazu)
Matsuda Film Productions Super8 Print

『雪の渡り鳥』の小型映画版としては東映ビデオが制作したサングラフ社版(60メートル)が有名で、何度か中古市場に出ているのを見た覚えがあります。それ以前にマツダ映画社が無声映画鑑賞会の会員向けに配布していた4巻物(240メートル)のプリントを見つけました。

語りは無声映画鑑賞会の設立者の一人でもある松田春翠氏。フィルムにあわせカセットテープも4本組になっていました。

画質的にはサングラフ版に劣るものの、前半の流れ(物語背景の説明)がしっかり含まれており、また尺が長いため弁士の語りにも余裕があって細かなニュアンスまで表現できています。

「銀平さん、卯之さんは、帆立一家へたった一人で殴りこみに…」
「何、殴りこみ?そりゃお前…本当かい」
「あの人一人を殺すわけにはいかない…わたしも一緒に死にたい…あたしも…」
「待っていなよ、カタギで通そうと我慢してきた卯之吉が男の意地を立てに出かけたというのか…なぁに、かたぎ衆には何にもさせはしねえ。こういうことを引き受けるのが渡世人だ。お市ちゃん、きっと卯之吉は連れて帰ってくるぜ」

「お、お待ちくださいまし、お役人。本当の下手人はこの…あっしでございやす。」
「何!?」
「な、何を言うんでい、馬鹿野郎。渡世人の手柄を横取りする気けい。…旦那、こんな野郎の、どうして帆立の親分などが斬れる訳のもんがありません。どうか、あっしをお引きなすって」

これまでに紹介してきたフィルムでは1931年の右太衛門主演作『旗本退屈男』がマツダ映画社のプリントでありながら市販の形跡がなく出所が分かっていませんでした。あのフィルムも限定配布されていたのでしょうね。

『雪の渡り鳥』には110~113までのナンバリングが付されていたところから同種のフィルムがまだ100本以上存在していたことも分かりました。頻繁に市場に出てくる類ではなさそうですが記憶の片隅に留めておいて良さそうです。

[タイトル]
雪の渡り鳥

[JMDb]
雪の渡り鳥

[IMDb]
Koina no Ginpei: Yuki no wataridori

[公開]
1931年10月15日(常盤座)

[メーカー]
マツダ映画社

[メーカーカタログ番号]
110~113

[フォーマット] Super8、60m×4、白黒、非売品

映写機用レンズの肖像 [03]: 仏パテ社 リュクス映写機用スタンダードレンズ

Pathé Lux Projector Standard Lens F=32mm (Early 1930s)

レンズ名メーカー名製造国焦点距離F値使用映写機製作時期レンズタイプレンズ構成長さ(鏡胴含む)外径(鏡胴含む)
パテ・リュクス映写機 スタンダードレンズ仏パテ社フランス32mm不明パテリュクス映写機1930年代前半ペッツバール型3群4枚40.030.0
前玉タイプ前玉外径前玉厚みスペーサー(間隔環)中玉タイプ中玉外径中玉厚みスペーサー(間隔環)後玉タイプ後玉外径後玉厚み
凸凹ダブレット15.65.7510.0メニスカス15.35.350.515.12.9

仏パテ社の初期カタログで「焦点距離32ミリの標準レンズ(Objectif ordinaire foyer 32mm)」と記載されているもので、30年代初頭のパテ・リュクス映写機に標準装備されていたもの。単品での市販はしておらずカタログ番号はありません。

パテベビー/キッド映写機用スタンダードレンズと同様4枚のレンズを組みあわせたペッツバール式ですが、ベビー用とは違って中玉と後玉の間に厚さ0.5ミリの薄いスペーサーが噛ませてあって3群4枚の形となっています。レンズ本体は直径で1.5倍ほど大きくなっています。

ベビー映写機用のレンズとは質感が異なり、コントラストをはっきり捉えたかっちり目の描写です。四隅が僅かに暗くなっていますが全体的に緻密な描写で歪みも小。ただし周辺部に流れるような個所も見られます。

ミラーレスカメラにマウントしてマクロ撮影で実写した結果。焦点のあっている部分は繊細かつシャープで、周辺にグルグルボケと歪みも発生。ペッツバール式レンズの癖や特徴が素直に出たアウトプットです。外に持ち運んで遊ぶ分には面白そう。

リュクス映写機用の標準レンズはもう一本所有しています。こちらは鏡胴が金属ではなく樹脂製で色が黒。筒の先端部分に欠けがあるものの映写そのものに影響はありませんでした。オマケで貰ったもので出所が不明、本当にリュクス映写機用かどうかも自信がありません。今回こちらも試し撮りして見ました。

金属鏡胴の個体と比べてややピントが甘く、背後にバブルボケが強く出ています

映写機用レンズの肖像 [01]: 仏パテ社 パテベビー/キッド映写機用スタンダードレンズ

Pathé-Baby Projector Standard Lens F=26mm ( Mid-Late 1920s)

レンズ名メーカー名製造国焦点距離F値使用映写機製作時期レンズタイプレンズ構成長さ(鏡胴含む)外径(鏡胴含む)
パテベビー映写機用 スタンダードレンズ仏パテ社フランス26mm不明パテベビー映写機1920年代前半から30年頃ペッツバール型3群4枚20.014.1
前玉タイプ前玉外径前玉厚みスペーサー(間隔環)中玉タイプ中玉外径中玉厚みスペーサー(間隔環)後玉タイプ後玉外径後玉厚み
凸凹ダブレット11.73.97.0メニスカス11.652.5511.72.2

仏パテ社の初期カタログで「短焦点レンズ(Objectif court foyer F 26mm)」と記載されているタイプで、現存しているパテベビー映写機の多くに標準装備されていたもの。単品でのカタログ番号はF22で定価は20旧フラン。

貼りあわせた2枚の前玉と、後群に凹レンズ+凸レンズを配した3群4枚のペッツバール式。後群の2枚の間にスペーサーはなく、軽く触れる形でセットされているため2群4枚と見ることもできます。

投影した9.5ミリフィルムをミラーレスカメラのセンサーで取りこんだ画像。1930年代以降のレンズと比べるとコントラストが低目で、周辺光量の落ちが目立ちます。歪みや流れは目立ちませんが、レンズの周辺部に行くほど色収差が強くなり滲んだ感じになります。9.5ミリフィルムが得意とする細やかなグラデーションもしっかり再現されており、全長2センチの小さなレンズとしては優秀なアウトプットだと思います。

レンズの向きを逆にしてミラーレスカメラに装着しカスミソウを接写した一枚。ピントが外れた部分の淡い滲み方はフィルム実写と同じ質感。

パテベビー映写機の弟機パテ・キッド用のレンズ(一番上の写真、左端のラッパ型フードが着いた一本)は鏡胴・フード一体型になっていますがレンズとその構成はパテベビー用と同じです。

1917 – 16mm 『チャップリンの勇敢』第2リール 米コダック社シネグラフ琥珀染色版

「16ミリ 劇映画」より

« Easy Street » (1917, Mutual Film Co., dir/Charles Chaplin)
Late 1920s Kodak Cinegraph 16mm Amber Tinted Print 2nd Reel

一文無しに落ちぶれ果てたチャーリー君は伝道所に迷いこんでしまひ、そこで更生を果たした。まず成し遂げた善行は、盗んだばかりの募金箱を返したことであつた。次いで警察に勤めはじめ「イージー・ストリート」を任されるに相成つた。警官が担架で自宅送りされるのが当たり前といふ町一番に治安の悪い一画である。しかしチャーリーは悪番長をやつつけてしまい、教会で自身の更生を手伝つてくれた麗しき女性を助けその心を掴むのである。誰もが好きにならずにいられないチャップリン定番喜劇で、最初から最後まで笑い転げる程に面白い。

「コダスコープ・レンタル用フィルムカタログ詳細版」(1932年、初年度版)

Charlie, a down-and-outer, wanders into Hope Mission where he is reformed, his first good act being to give back the collection plate which he had stolen. He then joins the police force and is assigned to Easy Street, the city’s worst section from which as a regular thing the policemen are brought home on stretchers. But in a characteristic manner he overcomes the ring leader of the ruffians and rescues and wins the beautiful mission worker who had reformed him. A regular Chaplin comedy of the kind everybody likes. Uproariously funny from end to end.

Descriptive Catalogue of Kodascope Library Motion Pictures (1st Edition, 1932)

米コダック社が1920年代にレンタル権を獲得して扱いを始めたコダック・シネグラフ16ミリ版の『勇敢』。このシリーズは質の高いプリントと美しい琥珀色の染色で知られています。元々2巻物で今回入手したのは後半第2リール。

ミューチャル期短編について復習しておくと現行のプリントは米国内用(Aネガ)と海外用(Bネガ)の異なった二種から派生してきたものです。コダック版の大元はAネガですが一度改編が施されたものであるため早期に派生した亜種(A’ネガ)の扱いをされることもあります。今まで入手してきた『勇敢』(仏パテ9.5ミリ版、英パテスコープ9.5ミリ版、東和スーパー8版)はいずれもBネガ由来。今回初めて戦前Aネガ系の実物が手に入ったことになります。

左がコダック版16ミリ、右が東和プリント版スーパー8。

エリック・キャンベル演じる悪番長との乱闘場面で言うとコダック版(Aネガ由来)は右に置かれたカメラから撮影されており、二人の姿を斜め前から撮っています。東和版(Bネガ)は左に置かれたカメラで撮影されており、二人の姿をほぼ真横からのアングルで撮っています。近景にある物(通りの名が入ったプレート)と遠景の事物(窓枠)との位置関係がずれているのも分かるかと思います。

2021年GWは遠出ができなかったため、家時間を利用して16ミリフィルムをデジタルスキャンする簡易装置を製作していました。白飛び/黒潰れがありますが悪くないかな、と思います。綺乃九五式とは違って単発のスキャンのみなのでここまできたら16ミリ用自動連続スキャナーを作るしかない気がしてきました。

1930年頃 – 16mm『チャップリンのスケート』抜粋 +『チャップリンの伯爵』抜粋 仏パテ・コダック社プリント

「16ミリ 劇映画」より

« Charlot Bout en Train » & « Charlot en Soirée »
(« The Rink » & « The Count » excerpts, 1916, Mutual Film Co., dir/Charles Chaplin)
c1930 French Pathé-Kodak 16mm Print, Ciné « Kodagraph »

※2021年5月にスキャンを行いスクリーンショットをアップデートしました。


1927年にジョルジュ・イーストマンとシャルル・パテの合意を元に仏「パテ・コダック社」が設立されます。コダック製のカメラや映写機の輸入は同社を介して行われるようになりました。

エクセルシオール紙1928年5月24日付掲載の広告より

1928年の仏パテ・コダック社の広告。右下を見るとチャップリン作品も引き合いに出しつつ16ミリフィルムのレンタルサービスとして「コダスコープ(Kodascope)」が紹介されており、その下に市販用16ミリフィルムのブランドとして「コダグラフ(Kodagraphs)」の名称が使用されています。

仏パテ・コダック社が実際に市販していたのがこのような外箱入りのフィルムでした。右下に「フランス製(Fabriqué en France)と印刷され、フィルム本体のパーフォレーション部分にも「仏コダック」の文字があります。

ブザンソン市の写真店フォト・コステ社のラベルが貼ってあり、薄くなったタイプライターの印字は「Charlot Bout-en-train/Charlot en Soirée」となっています。改題されているもののそれぞれ『チャップリンのスケート』と『チャップリンの伯爵』の有名な場面を100フィートずつ抜粋したものです。フォト・コステ社が16ミリのレンタル用に2本のフィルムを繋ぎあわせたと考えられます。

『スケート』『伯爵』両作品ともチャップリンがミューチャル社と契約していた時期の短編です。同社は配給時に米国内用ネガ(Aネガ)、輸出用ネガ(Bネガ)二種類を用意していたことで知られています。フランスで市販されていたこのフィルムはどちらを元にしたものでしょうか。

他のフィルムと照らしあわせてみたところ個人的な予想と裏腹にAネガを元にしていました。親会社のコダックが合衆国拠点だったため、という話なのでしょうね。一方で同時期にフランスで市販されていたパテ社9.5ミリ版『伯爵』はBネガ由来でした。同じ国で同時期に同名チャップリン作品が売られていても実はネガは違っていた(=厳密に言えば同一作品ではなかった)という興味深い結論がでてきます。

1930年代前半 – 9.5mm 『廟行鎭肉彈三勇士模擬戰』(陸軍省撮影、伴野商店版)

「伴野商店」より

”Three Human Bombs, Sham Battle of Miao Hang Zhen” (1932)
Early 1930s Banno Co. 9.5mm Print

日本精神の精髄を外國までも傳へんとする意圖から、十六日の廟行鎭に於ける三勇士爆死實演の模擬演習は午前十一時半開始され午後一時終了した。日本義勇隊が支部兵に假装して支那塹壕陣地に着き、これに對し碇少佐の率ゆる一個大隊の歩兵は松下大尉引率の一個中隊の工兵掩護の下に鉄條網を越えんとして攻撃を開始し、小銃と地雷火、手榴弾など列爆中を三勇士は爆弾を背負つて鐵條網破壊に突進し、爆破作業を完了し、模造の三勇士の死體が空中に吹上げられるまで實に巧妙に演出された。陸軍省撮影隊の外フオツクス、ユニバーサルその他外國撮影會社も約五會社参加し、この感激的情景は完全にフイルムに収まつた。

「三勇士」模擬戰 – 各國撮影班を前に
キネマ週報 第百三號 昭和七年三月廿五日付


「大橋幸太郎主宰の軍事劇太陽団は、(中略)二十一日から二十八日まで八日間、昼夜二回南座で開演する。だしものは軍事社会教育連鎖劇「国の光人の妻」十三場(中略)昨年度陸軍特別大演習実況映画を映写する。特等八十銭、一等六十銭、二等四十銭。」(「大阪朝日新聞(京都版)」 4.17 ) ○「呼物は(中略)肉弾三勇士の鉄条網爆破の廟行鎮における模擬戦実写等いづれも一行の統率者大橋幸太郎氏が、講演する内容の一部として上場する時局中心の劇と映画である。」(「京都日出新聞」 4.20 )

昭和七年四月二十一~(二十八)日
京都南座 軍事社会教育連鎖劇『国の光人の妻』
近代歌舞伎年表京都篇: – 270 ページ

先日ご紹介した『復興帝都御巡幸』と同じ東北在住の9.5ミリ小型映画愛好家の旧蔵品。

肉弾(あるいは爆弾)三勇士については1932年3月初頭に映画会社6社競作でフィクション作品が発表されていました。こちらは陸軍省主導により実際の兵士を動員して「再現」した模擬演習を撮影したものです。

キネマ週報の記事によると1932年3月16日の昼に1時間半ほどかけて演習を実施。中隊長から命令の下達後、決死隊の青年兵に水盃が振る舞われ、その後煙幕に紛れ敵陣(廟行鎮/びょうこうちん)に進んでいきます。「勇壮なる哉三勇士 肉弾を以つて爆破」の字幕の直後に爆破による煙が立ち上がり、それを合図に兵士たちが突撃を開始。現場に立てられた木製の碑の映像でフィルムは終了。

鉄条網への突撃の場面に関しては敵地からの銃撃を避け、破壊筒を地面に置きながらしゃがみこむようにじりじりと進んでいく形で描かれていました。三兵士が大きな筒を小脇に抱えて勇ましく突進しているイメージが強いのですが、この作品の描き方はそういった一般に流布したイメージとは異なっています。

『廟行鎭肉彈三勇士模擬戰』が強調しているのは部隊全体による複合的なオペレーションです。煙幕を張る者たち、後方で掩護射撃を担当する兵士たち、鉄条網破壊後に突入を任されている面々が連携し、敵陣からの銃撃に苦労しつつも最後は攻略を成功させた。ただ、そのために若き兵士3名の命が失われた。当時のメディアによる過剰でいびつな神格化に対し、陸軍が「公式版」でその神話の微修正を図った痕跡、と個人的に読みました。

] 映画の郷 [ 電子工作部:映写機用レンズの実写性能比較システムを作る(02)

映写機用レンズ比較システムの試作機でテストを行いました。テスト対象は仏エルマジ社のマジステール3本とメイヤー・ゲルリッツ社のキノン・スーペリアー。マジステールのF=1:1.6 40ミリは仏パテ社のリュクス映写機、F=1:1.9 40ミリはスイス製パイヤール・ボレックス社のD型映写機、F=1:1.9 45ミリはボレックス社のDA型映写機、キノン・スーペリアーF=1:1.6 40ミリは独パテックス社の200B型映写機についていたものです。

被写体は1922年公開『ちびっこギャング(Our Gang)』の英パテスコープ社抜粋版(「Fickle Flora」10240番)より犬の画像。

[エルマジ社マジステール F=1:1.6 40ミリ]

レンズ中央部付近の解像度は高く、犬の毛並みの質感や土表面の細かな陰影も綺麗に再現されています。周辺部では光量低下(ケラれ)が目立ち、流れるような感じのボケが発生しています。

[エルマジ社マジステール F=1:1.9 40ミリ]

中央で焦点を合わせているはずが何度やっても完全に結像しませんでした。レンズを一旦ばらして清掃しても結果は変わらず。他のレンズと比べて被写界深度が浅く、フィルムに発生しているわずかな凹凸でピントが外れてしまうようです。映写機で実使用する際にもピント合わせがシビアな一本ということになります。左上、左下の隅の光量低下はF=1:1.6 40ミリより大きくなっています。

[エルマジ社マジステール F=1:1.9 45ミリ]

四隅ぎりぎりはさすがに光量が落ちているもののケラレは比較的少なく、周辺部まできっちりピントがあっています。今回試した3本のレンズで実写能力は一番高かったです。画質がシャープで1:1.6 40ミリと比べてやや「硬い」感じの画質。また40ミリの2本が赤みを強調した色の出方をしているのに対し45ミリはモノクローム感が強いです。

[メイヤー・ゲルリッツ社 キノン・スーペリアー F=1:1.6 40ミリ]

「マジステール F=1:1.6 40mm」と「F=1:1.9 40mm」の中間位の画質、でしょうか。マジステールと比べて明るい部分がやや強く出ていてコントラストが強調されています。周縁部のボケ方はマジステール以上に激しく癖があります。

上に挙げたレンズの特徴(ケラれが目立つ、ピントがあいにくい…)は実写時に感覚として分かってくる話ではあります。今回のシステムを練り上げていくと複数のレンズを同一条件で並べた上で違いを可視化でき、必要ならグラフ化、数値化して定量的に比較できるようになります。

今回は試作機の位置付けで、テストによって幾つか問題がでてきました。

1)今回各レンズの焦点距離とF値から計算して3Dプリンタの補助パーツを製作したのですが、どこかで計算を間違ったようで焦点距離35ミリ以下のレンズで思っていた結果になりませんでした。

2)フィルムの平面性。フィルムは巻き癖がついてしまうためやや湾曲しがちで、しかも古い9.5ミリは湿度の影響で表面が凸凹しているものが多いです。一般的な映写機は金属(主に真鍮)のゲージ部でフィルムをサンドイッチ状に挟みこみ平面性を確保していますが、今回は2ヵ所の突起でフィルムを引っ掛けているだけなのでまだその意味で安定していません。

3)システムの精度の問題。今回のテスト方式ではレンズが僅かに斜めになっていただけでも結果が変わってきます。レンズの被写体深度を考慮しても十数ミクロン~数十ミクロンの精度が要求されており、測定ごとにピックテスターで条件を揃える必要がありそうです。

この辺をフィードバックした形で修正を施していく予定です。

ちなみに焦点距離35ミリ以下のレンズでもピントあわせには成功しています。ただし画像がセンサーの四方からはみ出る形になってしまいました。レンズの一番周辺の部分が見切れているため上のデータとは対等には扱えませんが、参考までにリュクス映写機用の32ミリレンズとパテベビー用のスタンダードレンズ、パテクソール・クラウス25ミリレンズの結果も公開しておきます。

リュクス映写機用32ミリとパテベビー用のスタンダードは解像度、ヒストグラム共に似たような結果が出ています。ただしベビー用レンズはサイズが小さいこともあって周辺部での光量低下が目立ちます。パテクソール・クラウスはサイズ的にパテベビー用レンズと同じくらいながらも光量低下が少なく全般的にクリアな映像になっています。

] 映画の郷 [ 電子工作部:映写機用レンズの実写性能比較システムを作る(01)

今年になってから9.5ミリ映写機用レンズの実写性能を比較するシステム作りを始めました。運用できるレベルには達しておらず試行錯誤中ながらもある程度形が見えてきたので経過報告です。

システムのコア部分に転用した独イハゲー社のカメラ用アクセサリー2点(マクロ撮影用ベローズ & 金属製エクステンションチューブ)。どちらも本来はカメラとレンズの間にかませて使用するものです。

左の写真はイハゲー社のアナログカメラにマクロ撮影用ベローズを実際につけてみたところ。蛇腹を伸ばすと焦点距離が長くなり、小さな被写体を接写できるようになります(右は桃色のカスミソウを撮影した一枚)。

両者ともに単体ではマクロ撮影にしか使えないのですが、今回は3Dプリンタで製作した補助器具を埋めこみ別種の機器に流用していきます。

スケッチブックでイメージ作り。センサー/レンズ側とフィルム/光源側の二つのパーツに分けて作っていくことにしました。

【センサー/レンズ側】

金属製エクステンションチューブは竹の節に似た構造になっていて幾つかに分けることが出来ます。今回はこのチューブを二つに分け、一方の内側に樹脂製リングをかませたレンズを埋めこんでいきます。

映写機用レンズには共通規格としての「マウント」概念がないため外径や長さがまちまちです。レンズの外径を図り、フィットする形でリングを作っていきます。

左は仏エルマジ社のレンズF=1.6 40mm(レンズの外径30.0ミリ)を装着した時の様子。右は同社のレンズF=1.9 45mm(レンズの外径28.0ミリ)をつけた際の様子。

【フィルム/光源側】

金属製チューブの残り半分にも3Dプリンタで作ったパーツを埋めこんでいきます。9.5ミリフィルムの断片(3コマ分)を固定できるフィルムフォルダーです。二ヵ所の小さな突き出しをフィルムの穴(パーフォレーション)にはめて固定する形です。

このフィルムホルダーをセットする仕組みを作っていきます。複数の樹脂パーツを組みあわせたもので、四角い箱型の部分がランプハウスとなっており、1)LED電球、2)背面の光を反射させるお椀型のミラー、3)パテベビー映写機から取り出したコンデンサーをはめこんでいます。LEDの電圧が12Vだったので単三電池8本を外付けにして電力を供給します。

フィルムホルダーをはめこんだ金属製チューブを置きます。電源のスイッチをオンにするとフィルムが一コマ分、チューブの中央部で照らし出されます。

センサー/レンズ側パーツとフィルム/光源側パーツを向かい合わせにセットします。マクロ撮影用ベローズの土台部には2ミリ弱程の隙間があるので、光源側パーツの土台から伸びた薄い板を差し込む形になります。

組みあわせたところ。フィルム部分が光っています

同じ状態でセンサー/レンズ側から見たところ。レンズを通して見ているため天地左右が逆転しています。センサー/レンズ側にはカメラをセットするマウント(EXAKTAマウント)がありますので、マウントアダプタ(マイクロ4/3-EXAKTA)経由でミラーレスカメラ(マイクロ4/3マウント)を取りつけます。

蛇腹でレンズとの距離を調整し、映写された画像の幅とセンサー幅が一致する地点を見つけさらにピントをあわせていきます。上手くいくとミラーレスカメラの画角(3:4)一杯に拡大された映像が映り、デジタル撮影ができるようになります。

冒頭には「映写機用レンズの実写能力比較システム」と書きましたが、その実態はミラーレスカメラを土台にしたデジタルフィルムスキャナーです。

イメージ図は上のようになっています。右側からランプハウス、フィルム、距離を置いて映写機用レンズと並んでいて、この部分には簡易化した映写機が隠れています。一般的に映写機は投影された映像を「スクリーン」に映しますが、今回はスクリーンに置き換えた剥き出しのカメラセンサーで画像データを取りこんでいく訳です。

一方、映画フィルム用のスキャナーは照らし出されたフィルムをセンサーとレンズをセットにした「カメラ」で撮影するという発想になっています。

センサー~レンズ~フィルム~光源までの並びは同一。映写機で投影した画像をセンサーで取りこむ前者と光で照らされたフィルムをカメラで撮影する後者は発想こそ異なっているものの物理・光学的には同じことをしている話になるのです。

1930年 – 9.5mm 『復興帝都御巡幸』(原題『輝やく大東京』 撮影・大日本教育映画協會 伴野商店版)

小特集【関東大震災と9.5ミリ映画】
「伴野商店」より

« Imperial Visit to the Reconstructed Capital » (March 1930)
c1930 Banno co. 9.5mm Print

震災から6年半、当時の金額にして7億円以上の巨費を費やした東京の復興計画(土地区画の整備、インフラ再建)が一区切りつき、1930年3月に復興帝都祭が開催されています。3月24日の昭和天皇による首都巡幸を記録した映像がこちら。

ルートとしては皇居出発後に九段坂上~府立工藝學校~上野公園~隅田公園~震災記念堂~市立千代田尋常小學校~私立築地病院と移動し皇居に戻るもので、所要時間は4時間40分を予定していました。

原題は『輝やく大東京』、撮影は大日本教育映画協會。明記されていませんが東京市教育局による製作。大阪芸術大学、京都のおもちゃ映画ミュージアム等が35ミリ版断片を所有しており、旧東京国立美術館フィルムセンターの企画「発掘された映画たち 2009」で南湖院コレクションの一部として15分全長染色版が上映された記録も残っています。伴野9.5ミリ版は字幕を入れて7分程の長さで約半分のダイジェスト版。ちなみにフィルムセンターは『輝やく大東京』と『復興帝都御巡幸』を別作品とみているのですが、本サイトでは編集と改題を経た同一作と解釈しています。

「皇室とメディア」は戦前から戦後まで続いていく重要なテーマですし、都市デザインや都市計画の視点で見ても発見が出てきそう。何より1920年代後半期(昭和元年~5年)はまだ大正期の文化が残っていてこの昭和6、7年辺りから本格的に「昭和的なもの」が形を取ってきた感覚があります。震災からの再生、首都のリセットを意味するこのイベントも一つの節目となったのかな、と。

[原題]
輝やく大東京

[制作]
東京市教育局

[フィルム版メーカー]
伴野商店

[カタログ番号]
278

[フォーマット]
20m×2巻 無声字幕あり(第一巻の冒頭タイトル部欠)

1924 – 9.5mm 『日本、震災のその後』 (仏パテ版)

小特集【関東大震災と9.5ミリ映画】

« Au Japon : après le cataclysme » 1924 French Pathé 9.5mm Print

同時に紹介している『震災に見舞われた日本』 の続編的な一本。前作が災害の切実さ、深刻さを伝えようとしていたのに対し『震災のその後』では支援活動や復興に向けた動きなどが収められ、人々の表情にも希望と明るさが戻り始めています。

10年程前に最初に手に入れた9.5ミリの一つで、仏フィルムコレクターが日本関連の作品6本(『震災に見舞われた日本』『震災のその後』『日本の芸者』『日本冬景色』『日本の七宝焼き』『日本の象牙細工』)をポッソ社製60メートルリールにまとめた形になっています。パテ社の9.5ミリ初期カタログには日本を扱った作品が多く、確認できている限りで16~17作ほどの動画が市販されていました。外国、特にアジア圏を扱った数としては異例の多さで、前世紀のジャポニスムなどの影響で日本への関心が高かった様子を伺い取ることができます。

[原題]
Au Japon : après le cataclysme

[フィルム版メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
682

[フォーマット]
10m×1巻 無声字幕 白黒 ノッチ有