南 光明(1895 – 1960)

「日本 [Japan]」より

Minami Koumei Autographed Postcard
Minami Koumei Autographed Postcard

本名鈴木光、明治三十年、東京市に生る。築地文海學校、立教中學。大原簿記商業科等に學び、大正九年松竹キネマ研究所に入り、蒲田スタヂオへ入社。マキノ入社は昭和三年五月。主な近作は「情恨」「次郎長旅日記」嵌り役は浪人者。身長五尺七寸體重十八貫五百目。趣味は旅行、野球、讀書等。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

以前に昭和15年(1940年)の残暑見舞いをご紹介済。

[JMDb]
南光明

[IMDb]
Kômei Minami

[出身地]
日本(東京市京橋区築地)

[誕生日]
6月30日

[データ]
8.5 × 13.5cm

石山 龍児 (1893 – 1973)

「日本 [Japan]」より

Ishiyama Ryuji Autographed Postcard
Ishiyama Ryuji Autographed Postcard

映畫俳優で知つてゐるのは蒲田の石山龍嗣だけである。それも役者として知つてゐるのではない。もう十何年も前、學生のときに偶然のことから知りあひになつて、いつしよに義太夫をききに行つたり文學論をたたかはしたりして、たいへん仲が良かつたのである。

そのころ石山龍嗣はまだ蒲田に入社してゐなかつたしどこにも勤めてゐなかつたので、下宿で暇さへあれば表情の研究をしてゐた。

[…] こないだ私は四谷の映畫館で日本もののトーキーを見て、石山君が醫者に扮し怪我をした少女を診察するところを見た。おちついてゐて厭や味がなく、人がらなところは実際の石山君の性格を見る思ひであつた。地味ではあるが蒲田では相当な俳優なのであらう。(十年七月)

「映畫と石山龍嗣」、井伏鱒二
『肩車』(昭和11年)収録

Ishiyama Ryuji in Arigatosan (1936)
『有りがたうさん』(1936年、清水宏)より
左から石山龍児、上原謙、桑野通子

[JMDb]
石山竜嗣

[IMDb]
Ryuji Ishiyama

[出身地]
青森県

[誕生日]
9月2日

[データ]
8.5 × 13.5cm

市川 市丸(1906 – 没年不詳)&大河内 伝次郎(1898 – 1962)

「日本 [Japan]」より

Ichikawa Ichimaru & Okochi Denjiro Mid 1920s Autographed Postcard
Ichikawa Ichimaru & Okochi Denjiro Mid 1920s Autographed Postcard

明治三十九年十月名古屋市に生る、野球と散歩がすキで蜘蛛と酒が嫌ひといふ變りもの。大正十年日活關西スタヂオへ入社し『憂国の少年』『姫小姓彌源太』『永樂德太郎』『水戸黄門』等に主演しフアンの好評を博し一躍スターとなる。最近退社して二三のものと日本プロダクシヨンを創設して牛耳を執り映畫の製作に從事してゐたが事志と違ひ遂に解散の憂き目を見たが近く擡頭するであらう。本名を森一太郎といふ。

「市川市丸」『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

1926年(大正15年)8月に発売された『キネマ』誌の第4回人気投票得点表で13位(男優では7位)にランクインしていたのが市川市丸でした。松之助が亡くなる(9月)直前辺りの人気勢力図は変化が見られ、森野五郎、高木新平や市川百々之助など若手が続々台頭する中で注目を浴びた一人でした。大河内傅次郎とは『修羅王』(池田富保)と『忠次旅日記 甲州殺陣篇』(伊藤大輔)の二作で共演しています。

[JMDb]
市川市丸

[IMDb]
Ichimaru Ichikawa

[出身地]
日本(愛知県 名古屋市)

[誕生日]
10月27日

[データ]
8.5 × 13.5cm

泉 清子 (1909 – 1950)

「日本 [Japan]」より

Izumi Kiyoko Autographed Postcard
Izumi Kiyoko Autographed Postcard

未だ「小坂時代劇」が在つた頃、尾上紋十郎の主演映畫に出てゐたが、後アシア時代劇部に編入された年若い女優。連續映畫『孔雀の光』に重要な姫君の役を受持つてから頓にその腕を認められた。二十瞼の、髪のうつくしい、そして頬の線の整った美人である。今は、時代、現代の両刀使ひ。

『日本映画年鑑 大正十五年昭和二年 第三年版』
(大日本雄弁会講談社、1927年4月、「泉晴子[原文ママ]」)

[JMDb]
泉清子

[IMDb]
Kiyoko Izumi

[出身地]
日本(大阪府大阪市)

[誕生日]
12月21日

[データ]
8.5 × 13.5cm

1917 – 大正6年、ルース・ローランド主演 連続活劇『ネグレクティッド・ワイフ』 宣材 印刷メッセージ付きDM

「新作の『ネグレクティッド・ワイフ』をご覧にはなられましたか。必ずやお気に召すものと信じております。これまでに自分の主演した連続物で一番の出来映えと自負しております。メーベル・ハーバート・アーナーの脚本は地に足の着いた興味深い内容で、私の演じた”寂しい女”の役どころもまことに素晴らしいものとなっています」

I want you to see « The Neglected Wife » because I know you will like it. It is the greatest serial I have ever played. « The Woman alone » is the part I play and it is truly wonderful because Mabel Herbert Urner’s story is interesting and so true to life. Ruth Roland

パテ社が自社配給作品の『ネグレクティッド・ワイフ』宣伝のため直々に製作した絵葉書で、写真面に二色刷りのイラスト、メッセージ面には主演ルース・ローランドの「手書き風」メッセージが印刷されており、下に青のインクで「1917年5月13日公開」のスタンプあり。

1917年6月12日に投函。受取人はロンドン、ブロックリー在住のエイミー・リチャードソンさん。

当時まだ俳優の公式フアンクラブなどはなく、所属会社に届けられたファンレターなどから住所氏名をリストアップしデータベースを作り、DMを送ることで効率良い宣伝をしていたのではないか、と思われます。

[サイズ]
15.5 × 11.5 cm

[IMDb]
The Neglected Wife

1917 – 9.5mm マリー・オズボーン主演 『雙兒のキッディー』(ヘンリー・キング監督)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

[

マリイ・オスボルヌはこの喜劇の中でドリイと而して偶然が接近させたゼイチイの二人の小娘の兩役を立派にやつてゐます。でその所演から二人は互ひの着物を取り替て樂しみその樣子に騙された兩親等はそれを取り違へそれでその間違ひはいろの面白さを我々に與へるのであります。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

ハリウッドの重鎮ヘンリー・キング監督が、キャリアの最初期に出演を兼ねながら監督していた短編喜劇の一つ。以前サイン入り写真を紹介した初期の子役マリー・オズボーンを主演に据えています。

内容は瓜二つの少女(オズボーン二役)の取り違えの喜劇。裕福な実業家の娘として生まれながら誰にも愛されずいつも不機嫌な顔をしている少女フェイと、母を持たず貧しくとも健気に暮らしているベッシーが水辺で出会い、戯れに服を交換したことから取り違えられてしまい…と展開していきます。

オリジナル版はフェイの父親が所有する炭鉱のストライキなど格差社会や労働問題にも触れられていたようですが9.5ミリ版は取り間違えの場面を中心に簡潔にまとめています。

[タイトル]
Deux Rayons de soleil

[原題]
Twin Kiddies

[公開]
1917年

[IMDB]
Twin Kiddies

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
757

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 10m *4リール

カリン・モランデル Karin Molander (1889 – 1978) スウェーデン

「国別サインリスト 北欧諸国 [Nordic Countries]」より

Karin Molander Autographed Postcard
Karin Molander Autographed Postcard
1910年代のスウェーデンで多ジャンルに才能を発揮していたのがカリン・モランデルでした。舞台出身(初舞台は明治期の1907年)で演技の基礎がしっかりしていたこともあり、対応力の高さからスヴェンスカ・ビオグラフテアーテン社の花形の一人に躍り出ます。

Karin Molander in Kärlek och journalistik
『愛とジャーナリズム』(1916年)

とりわけスティッレル監督と相性が良くトーマス・グロール二部作(『最良の映画』『最良の子供』)ではトーマス役シェストレム相手に小気味よいやりとりの応酬を披露、作品の軽快なリズム感作りに貢献。

Karin Molander in Thomas Graals bästa film
『トーマス・グロールの最良の映画』(1917年)
Karin Molander in Synnöve Solbakken
『シヌーヴェ・ソールバッケン』(1919年)

やや趣向を変えヨン・W・ブリューニウス監督の郷土色溢れるロマンス『シヌーヴェ・ソールバッケン』(1919年)でもラーシュ・ハンソン相手に手堅い演技を見せていました。

そのキャリアの頂点となった一作が1920年『エロティコン』です。冴えない大学教授の姪として登場し、四つ巴の複雑な恋愛模様の一角を担っていきます。一見無邪気な娘でありながらも洗練された求愛の駆け引きをこなしていく難しい役柄をこなし無声映画史に名を残します。その後は舞台活動に比重を移し、映画作品のクレジットにその名を見かける機会はほとんどありませんでした。

Karin Molander in Erotikon
『エロティコン』(1920年)

[IMDb]
Karin Molander

[Movie Walker]
カリン・モランデル

[出身地]
スウェーデン(ストックホルム)

[誕生日]
5月20日

[データ]
Förlag Nordisk Konst Stockholm, 837, 1917

[サイズ]
8.4 × 13.4 cm