大正6年 (1917年) 仏連続活劇『ジュデックス』小説版

「ルイ・フイヤード関連コレクション」より

1917 Judex (Arthur Bernède & Louis Feuillade)
1917 Judex (Arthur Bernède & Louis Feuillade)

第一次大戦中の1917年に公開されて人気を博した連続活劇『ジュデックス』の小説版。

映画の各エピソード公開と同時進行で小冊子として売られていたもので、映画の完結後にハードカバー版が作られていました。こちらはそのハードカバー版で全12章、288頁あります。

同作は先行する『レ・ヴァンピール(Les Vampires)』の成功を受け、ほぼ同一キャストで作られた活劇でした。『レ・ヴァンピール』が活劇の伝統を受け継ぎ、一話一話の完結性が高く、目まぐるしいアクションを繰り出していく手法を採用していたのに対し、『ジュデックス』はより静かな復讐譚の形式を取っています。

物語はかつて冷酷な銀行家(ルイ・ルーバ)に騙されて父親を失ってしまった兄弟(ルネ・クレステとエドゥアール・マテ)による復讐物語として始まります。クレステ演じる義士「ジュデックス」は銀行家を単純に成敗はせず、とことんまで苦しめようと城の一角に軟禁。しかし銀行家の娘ジャクリーヌ(イヴェット・アンドレヨール)への恋愛感情が芽生えてくる中で自分の行為に疑問を抱くようになり始めました。一方銀行家の資産を狙い暗躍する一派(ミュジドラ)がジュデックスとジャクリーヌ双方を狙い始め、物語は南仏での死闘へなだれこんでいきます。

仏ゴーモン社にとっても大きな企画だったようで、小説版は当時人気の高かった大衆作家アルチュール・ベルネード(『ルーヴルの怪人』原作者)に依頼、けだし名文家ではないものの、こなれた筆致で映画世界を小説に落としこんでいきます。

1917-judex-cover-02

[出版年]
1917年

[出版者]
ルネサンス・ドュ・リーヴル

[ページ数]
288頁

[サイズ]
16.5 x 24.5 cm

1910年頃 古写真 スタシア・ナピエルコウスカ Stacia Napierkowska (1886 – 1945) 仏

「ルイ・フイヤード関連コレクション」より

Stacia Napierkowska c1910 Cabinet Photo (Reutlinger, Paris)
Stacia Napierkowska c1910 Cabinet Photo (Reutlinger, Paris)

1910年代を中心に活躍した踊り子・女優スタシア・ナピエルコウスカのキャビネット写真。撮影は当時ファッション写真家で名を馳せたルーランジェ写真店(Reutlinger)によるものです。

ナピエルコウスカはポーランド人の父親の娘として1886年パリで生まれています。幼少時に数年トルコに滞在、その後フランスへ戻りますが直後に父親が亡くなり、生計を立てるためオデオン座やオペラ・コミーク座に立ち始めました。この時14才。異国情緒と優雅さを兼ね備えた舞踏が話題となり、舞台雑誌やモード誌で頻繁に取り上げられていきます。

1910年コメディア・イリュストレ紙10月1日号より
1910年コメディア・イリュストレ(Comoedia Illustrée)紙10月1日号より

同時期に勃興していたのが映画産業でした。短編作品に多く出演、喜劇からミステリー、歴史物まで多彩な活躍を見せていきます。

そんな彼女の名を映画史に残したのは1915年公開の連続活劇『レ・ヴァンピール』でした。第2話で主人公(エドゥアール・マテ)の婚約者として登場、劇場で踊りを披露中に何者かに毒殺されます。登場場面は短いものの「吸血鬼の舞」の禍々しさは印象深く、同作を代表する一場面として幾度となく引用されていくこととなりました。

『レ・ヴァンピール』(1915年)第2話より
『レ・ヴァンピール』(Les Vampires、1915年)第2話より

その後映画の出演は減っていき、そのまま忘れ去られてもおかしくありませんでした。しかしながら20年代になって再度脚光を浴びます。1921年『女郎蜘蛛』での女王アンティネア役です。

『女郎蜘蛛』(1921年)より
『女郎蜘蛛』(L’Atlantide、1921年)より

第一次大戦後の仏映画はリアリズムにこだわり話のテンポが悪くなる癖が抜けず、外国映画に押されてかつての勢いを失っていました。この苦しい状況で冒険やファンタジーを強く押し出した『女郎蜘蛛』は活路として期待されたのです。ナピエルコウスカは1922年に創刊された映画雑誌『シネミロワール』創刊号の表紙を飾っています。

『シネミロワール』創刊号表紙のナピエルコウスカ
『シネミロワール』創刊号表紙のナピエルコウスカ

同時期に初めて市販されたのが家庭用映写機のパテベビーでした。初期カタログにはナピエルコウスカ主演作『ミロール・ラルスイユ』(Milord l’Arsouille、1912)も含まれています。そしてもう一本、手持ちでは『カンボジア風舞踏』にも登場。これは社会派ドラマの中編『黄金に浮かされて』(La Fièvre de l’or)の一場面を抜粋したものです。

『ナピエルコウスカ嬢のカンボジア風舞踏』
『ナピエルコウスカ嬢のカンボジア風舞踏』(Napierkowska in Danses Cambodgiennes)

フランス劇映画の始まり(1910年頃)から黄金期(1912~18年)、そして停滞期(1919年~)に関わった点で重要な役割を果たした女優だと言えます。伝記面はほとんど知られていないのですが、1922年の『シネ・ミロワール』誌に前後篇2回に分けた自伝エッセイが掲載されています。

[IMDB]
nm0621051

[Movie Walker]
スタシア・ドウ・ナピエルコウスカ

[誕生日]
12月16日

[出身]
フランス(パリ)

[サイズ]
11.0 × 16.5cm

[撮影]
ルーランジェ写真店

シュザンヌ・ビアンケッティ Suzanne Bianchetti (1889 – 1936)

「フランス [France]」より

映画に携わることになったのは全くの偶然がきっかけでございました。1917年の或る日、コメディ・フランセーズで女優をしている友達に会うためヴァンセンヌのパテ社撮影所に顔を出しました。彼女は国威高揚映画『戦中の仏蘭西女たち』を撮っていた最中で、女優が一人休んでいた代わりをしてほしいと監督に頼まれ脇役として出演したのです。監督さんが演技を気に入ってくれたのでしょうかね、数ヵ月後、『家族三様』という別な国威高揚作品の主要キャストの役を任せていただくことになり、セヴラン・マルス氏やジャン・トゥルー氏、アンリ・ボスク氏やジャラベール夫人とご一緒させて頂いたのです。

その次の年、喜劇短編二つは割愛して、デフォンテーヌ監督の下で『ラ・マルセイエーズ』に出演いたしました。それまで頂戴していた役はどれも軽喜劇でしたし、ありふれた感情だけを表現して居れば良かったのです。ところが突然、グラン・ギニョルでしかお目にかからない様な極端にドラマチックな役柄をアンドレ・ノックス氏の脇で演じなくてはならなくなったのです。映画が上映された時、それが自分だとはどうしても思えなくて、自分のあまりの経験不足に映画界から足を洗おうとすら考えました。あの時ほど自分が役者稼業を何も知らないと思い知らされたことはありません。自分の経験不足を補うため、ジャック・バロンセリ氏が監督した『フリポット』と『夢』の二作でガブリエル・シニョル氏と共演させていただきました。お二方が私の御師匠様のようなものです。

ラマルティーヌの詩を元にレオ・・ポワリエ監督が製作した『ジョスラン』でヒロインの姉役を演じました。ピエール・コロンビエ監督で撮った『大晦日の夜』という面白い作品はこの合間に作られたものです。

『ジョスラン』の撮影終了後、シャルル・ビュルゲ監督からお声がかかり、『巴里の秘密』でアルヴィル侯爵夫人の役を演じることになりました。数週間の間友人のユゲット・デュフロと撮影で一緒だったのが楽しい思い出です。彼女と私が似ていると仰られる方もおられて、二人でクスクスと面白がっています。8月1日からは再びポワリエ監督の弟子に戻って『リヨンへの密使殺害事件』に出演、ルズリュクの恋人クロチルド役を任されております。

「スター女優自身を語る:スザンヌ・ビアンケッティ」
シネ・ミロワール誌13号、1922年11月1日付

C’est tout à fait par hasard que je suis venue au cinéma. Etant allée un jour de 1917 au studio Pathé, à Vincennes, pour y trouver une amie de la Comédie-Française qui trounnait un film de propagande La Femme française pendant la guerre, j’acceptai, pour rendre service au metteur en scène de ce film, de tenir un petit rôle en remplacement d’une actrice absente. Sans doute ce metteur en scène trouva-t-il ce début satisfaisant car, quelques mois plus tard, il me confiait, à côté de Séverin Mars, de Jean Toulout, d’Henri Bosc et de Mme Jalabert, le principal rôle féminin d’un nouveau film de propagande : Trois familles.

L’année suivante, sous la direction de M.H. Desfontaines, je tournai La Marseillaise, sans parler de deux petits films comiques. Jusqu’alors, les rôles qui m’avaient été distribués étaient de pure comédie et je n’avais à y exprimer que de sentiments moyens et pour ainsi dire quotidiens. Brusqument, on me demanda d’incarrnner, à côté d’André Nox, un personnage extrèmement dramatique, comme on n’en rencontre qu’au Grand-Guignol. A la projection de ce film, je crus ne pas me reconnaître et pensai un moment à renoncer au cinéma tant j’étais effrayée par mon manque d’expérience: jamais je ne regrettai autant qu’alors de tout ignorer du métier dramatique. Pour acquérir ce qui me manquait, je tournait dans Flipotte et le Rêve, de petits rôles à côté de Gabriel Signoret et sous la direction de J. Baroncelli, qui furent ainsi mes véritables maîtres.

M. Poirier me chargea d’incarner la soeur de Jocelyn, dans l’adaptation qu’il commençait du poème de Lamartine. Entre temps, M. Pierre Colombier m’avait fait tourner son amusant Soirée de réveillon.

Jocelyn terminé, M. C. Burguet me fit appeler pour me distribuer, dans les Mystères de Paris, le rôle de la Marquise d’Harville, cce qui me donna le plaisir de travailler quelques semaines à côté de mon amie Huguette Duflos, à qui certains prétendent que je ressemble, ce qui nous amuse fort toutes deux. Depuis 1er août je suis redevenue la pensionnaire de M. L. Poirier, qui m’a confié dans l’Affaire du Courrier de Lyon, le rôle de Clotilde d’Argence, la maîtresse de l’honnête Lesurques.

Nos Vedettes par elles-mêmes : Suzanne Bianchetti
Ciné-Miroir, No 13, 1er Novembre 1922

元々演技畑の出身ではありませんでしたが温かみのある人柄や自然な動きが重宝され、この後もアンリ・ルーセルやガンスなど優れた監督の作品に次々出演していきます。1936年に惜しまれつつ早世。死後、彼女の名を冠した映画賞が作られ、現在にいたるまで若手女優の登竜門となっています。

[IMDB]
Suzanne Bianchetti

[Movie Walker]
シュザンヌ・ビアンケッティ

[出身]
フランス

[生年月日]
2月24日

[コンディション]
C+

[入手]
2013年5月18日

エドゥアール・マテ Edouard Mathé (1881 – 1934) 仏

「ルイ・フイヤード関連コレクション」より

Edouard Mathé Autographed Postcard
Edouard Mathé Autographed Postcard

今ある人気はゴーモン社とルイ・フイヤードのお陰だと思っています。適切な助言としっかりした役を頂けたことで役者稼業とは何か学ぶことができました。と言ってみたものの、まだ修業中の身な訳で、演技の場に立つとまだまだ色々と学んでいたりします。ルイ・フイヤード監督の役者一座は国内最良で粒ぞろいと言われていますが、まさにその通り、氏は私たちの良き点も悪しき点も巧みに使いこなし、役者を熟知した上でその気質にあわせて配役を分け与えていきます。スタッフ陣の仲良しぶりは国内随一ですし、同僚たちはみな魅力ある友人ばかりなので、かつて一度たりとも口論はありませんでした。配役は常に適材適所、一座はこれ以上ない位調和が取れています。ゴーモン社では様々な役を演じてきていて、時に善人、時に嫌な奴だったりもあります。観客受けするのは前者なのですが、役どころとして面白いかというとそうではなかったりします。

お気に入りの役は『レ・ヴァンピール』で演じたゲランド役でしょうかね。フイヤード監督の次回作『女孤児』では厭味ったらしい謎めいた男を演じる話になっていて、大親友のビスコにありとあらゆる嫌がらせをしてみせますよ!

「エドゥアール・マテ」
ロバート・フローリー執筆記事中のインタビューより
シネマガジン誌1921年7月22日付 27号

C’est aux Etablissements Gaumont et à Louis Feuillade que je dois ma popularité à l’écran: grâce aux bon conseils de celui-ci et aux rôles qu’il a bien voulu me confier, j’ai appris mon métier. Quand je dis « j’ai appris », j’apprends encore et, au théâtre, nous sommes tous ses éléves. Notre metteur en scène Louis Feuillade, dont la troupe passe pour être, à juste titre, une des meilleurs et des plus homogènes de France, sait admirablemet se servir de nos qualités et de nos défauts et nous connaissant à fond, il nous adapte les rôles de ses scénarios, suivant nos tempéraments. Le plus grande camaraderie règne entre tous les artistes et j’ai des partenaires qui sont pour moi des amis charmants, il n’y a jamais la moindre discussion entre nous; quant aux rôles distribués, ils nous conviennent toujours et la troupe est unie dans la plus parfaite harmonie. J’ai interprété aux Etablissement Gaumont différents rôles, les uns sympathiques les autres antipathiques, les premiers portent davantage sur le public, mais sont souvent moins intéressants.

Un de mes rôles préférés est celui de Guérande, dans Les Vampires. Dans le prochaine film de Louis Feuillade, L’Orpheline, je joue un personnage louche et équivoque et je fait toutes les misères possibles à mon grand ami Biscot!

« Edouard Mathé » interviewé par Robert Florey
Cinémagazine No 27, 22 Juillet 1921

連続活劇『ジュデックス』や『レ・ヴァンピール』出演で知られるエドゥアール・マテですが、生年生地及び本名に紛れがあります。1886年オーストラリア生れとする記述が多いのですが、ロバート・フローリーの記事にもあったようにオーストラリア系両親から生まれ、出身地はフランスだったというのが事実の様です。

Edouard Mathe - acte de naissance
日本での戸籍謄本・抄本に該当する出生記録帳
左上、32番の番号の下に「Matthyssens Edouard」

仏ウィキの注釈で示されているようにクルブヴォアの戸籍簿1881年度分に「エドゥアルド・マティサン(Edouard Matthyssens)」の出生が記録されており、こちらが本名とのことです。

[Movie Walker]

[IMDb]
Édouard Mathé

[出身]
フランス(オー=ド=セーヌ、クールブヴォア)

[誕生日]
1月25日

[データ]
Photo Studio Henri Lebrun