1927年 『國民新聞 附録 現代俳優寫眞と名鑑』

1927-11-05 Kokumin Shinbun
« Contemporary Actors & Actresses » (Kokumin Shinbun Saturday Supplement, 5th Nov. 1927)

昭和2年(1927年)11月5日付の國民新聞の付録。

一面と四面は主に広告で占められており、日活の『砂絵呪縛』、松竹『海の勇者』(電氣館)、パラマウント社『決死隊』(邦楽座)、『通し狂言 忠臣蔵』(帝劇)などの宣伝が掲載されています。城戸四郎氏による「製作者の見た最近映畫の傾向」では剣戟、喜劇、傾向映画(「社會組織に對する問題を含んだ映畫」)と母性愛映画への言及がありました。

二・三面全体を使って俳優名鑑と成し192名を収録。二面は上から歌舞伎・新派・新劇・ハリウッド映画俳優となっていました。

三面は国内映画俳優で、松竹・日活・マキノ・帝キネ・東亞・阪妻・無所属・国外組の並びです。

俳優名鑑が掲載された日刊紙を入手したのは今回が初めてです。焼けや折れ、シミ、虫食いの跡など状態は良くないものの触るとボロボロ崩れてくるほどではなかったのが幸いでした。

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泉 清子 (1909 – 1950)

「日本 [Japan]」より

Izumi Kiyoko Autographed Postcard
Izumi Kiyoko Autographed Postcard

未だ「小坂時代劇」が在つた頃、尾上紋十郎の主演映畫に出てゐたが、後アシア時代劇部に編入された年若い女優。連續映畫『孔雀の光』に重要な姫君の役を受持つてから頓にその腕を認められた。二十瞼の、髪のうつくしい、そして頬の線の整った美人である。今は、時代、現代の両刀使ひ。

『日本映画年鑑 大正十五年昭和二年 第三年版』
(大日本雄弁会講談社、1927年4月、「泉晴子[原文ママ]」)

[JMDb]
泉清子

[IMDb]
Kiyoko Izumi

[出身地]
日本(大阪府大阪市)

[誕生日]
12月21日

[データ]
8.5 × 13.5cm

1928年『日本映画年鑑 第四年版』(昭和二年・三年版、朝日新聞社)

Japan Movie Annual vol.4 (1928, Asahi-shinbun-sha)
Japan Movie Annual vol.4 (1928, Asahi-shinbun-sha)
1928-japan-movie-annual-01-umi-no-yusha
『海の勇者』より。松井千枝子と鈴木伝明

1927年(昭和2年)の内外映画界を振り返った一冊。ハリウッド作品では『第七天国』『サンライズ』『あれ』『三悪人』『ビッグ・パレード』『ボー・ジェスト』などが公開され、独ウーファ社『メトロポリス』や『ヴァリエテ』が紹介されるなど、現在まで無声映画傑作として知られている作品が軒並み名を連ねています。

邦画では帝キネ(『競艶美男』)や東亞(『王政復古』)、マキノや阪妻が気を吐き日活(『尊王攘夷』『慈悲心鳥』『忠次旅日記』)と松竹(『白虎隊』)二強体制に待ったをかけています。一方では諸口十九と筑波雪子の獨立、岡田嘉子と竹内良一の駆け落ち騒動など業界全体がやや浮ついていた印象もあり。

監督特集も充実。二川文太郎、伊藤大輔、鈴木重吉、山下秀一、廣瀬五郎氏などが次世代日本映画を支えていく存在として期待されています。

その他特筆すべき特集として、ハリウッドやドイツで活躍する日系俳優の紹介、男女優(百々乃助、伏見直江)のメーキャップ特集、映画ポスター秀作紹介が目を引きました。

時代の趨勢がまさにトーキーに移りつつある中、サイレント映画が質実共に完成されつつある様子が伝わってきます。

[出版者]
東京朝日新聞發行所

[発行]
昭和3年(1928年)3月

[定価]
一圓五十銭

[フォーマット]
B5版ハードカバー、 25.7×18.5cm、152頁

小阪 照子 (1910 – ?)

「日本 [Japan]」より

小阪照子 サイン入り絵葉書
Kosaka Teruko Autographed Postcard

やつと肩揚げの取れたばかりのおいとはん。何しろまだ取つての十八歳の若さですもの、何もかもこれからです。映畫生活の第一歩は帝キネ・スタジオに踏まれました。小坂照子の名前も其處から來るたものです。それから衣笠プロダクシヨンへ、それから東亞へ – と移つて今日の有望な地位を獲得したのでした。純粹の日本娘らしい色彩の濃厚な彼女の存在は東亞にとつてはどの位の強味かしれません。これから、何もかもかれからです。多幸な小坂照子ではあります。

『日本映画年鑑 昭和二年昭和三年 第四年版』
(朝日出版社、1928年4月)

本名は森田勝子。明治43年4月26日生まれ。趣味のひとつに乗馬を上げています。

1924年帝キネで女優デビュー。『孔雀の光』など尾上紋十郎主演作品に出演。後に東亜キネマへ移籍し、やはり時代劇で雲井龍之介作品などで活躍を見せます。東亜キネマの解消と共に映画界を離れていますが、キャリア後期はヒロイン役での登場も増え地力、人気をつけていた最中でした。

[JMDB]
p0172280

[IMDB]
nm2361872

1926年『キネマ花形』 (『活動花形』改題 11月号 花形社)

1926-11-kinema-hanagata-cover-colleen-moore
1926 Kinema-Hanagata Magazine (November Issue)

 「映畫世界」之は少々高級すぎて一般にや解らないぜ。グラヴィアなどはどうも虫が好きまへんな。毎號どうも寫眞版がちと淋しうおすぜ。映畫春秋なんか相手にしないでしっかりおやりやす。
 「活動世界」倶樂部を水洗いした様な雑誌、だが、讀む所はうんとこあるから何番姫や、番頭さんにはもつてこい。[…]
 「映畫研究」原畫がとてもいいのがあるらしいのぢや一番だ。たゞし表紙は活動世界の兄分位まだ三號かそこら故、可愛いい所。
 「映畫春秋」之は題名丈見ておけばいいもの島淸の百分の一ぐらいの偉さの人間が遠吠ゑてゐる雑誌だ。それで大雑誌にケンカを賣る蚊みたいな奴だ。
 「キネマ世界」活氣のない、ウドの芽みたいな雑誌。内容は、あら姉さん、リリアンはいゝわねゑてな事が書き連ねてある。口繪の説明は隅こに小さくポツンポツンと書いてある。
 「蒲田」これは松竹せんもん。やうやく此處に三霜年。雑誌らしい雑誌、ただし蒲田の事ばかりだよ。お客さんは專賣局の女工さんが上得意、
 「松竹畫報」蒲田の子分で分家した奴。
 「活動之花形」ちらほら夜店の本の内にうごめいてゐる。
 「キネマ」少女などの共鳴と人氣を得んと、夢二を招き少女小説を連載す。あれまあ。
 「日活」これは紙くづにも勿體ない。

「映畫雑誌首實見」大瀧泰
キネマ旬報大正13年10月1日付 第173号

1920年代初めに雨後の筍のように現れたファン雑誌についてこんな投稿が残されています。このうち、後半の「活動之花形」は「活動花形」でしょうか(少し前にあった「活動之世界」と混ざっているようです)。同誌は京都を拠点に活動していた花形社の雑誌のひとつで、こちらは1926年末に「キネマ花形」と改題後出版された新生第一号となります。

表紙を飾っているのはコリーン・ムーア。本文は全て一色刷り、数点のグラビアを除くと大半が公開された新作のスチルと粗筋紹介となっています。内容は:

日活:「シベリアお瀧」「月形半平太」「水戸黄門
松竹:「カラーボタン」「美しき禱」「若き日の罪」「いとしの我が子」「妖刀」「いかりの刄」「海人
帝キネ:「關東綱五郎」「澁川伴五郎」「海の妖婦」「自由の天地
マキノ:「どんぐり長屋」「どんどろ堀」「大江戸の丑満頃」「大尉の娘
東亜:「富士に立つ影」「逆風」「劒闘」「森の石松
阪妻:「情炎流轉」「狂へる人形師

誤植(「お瀧」→「お龍」、「丑満頃」→「丑満時」)もそのまま転記。その他海外作品として「グリード」や「バツト」「雀」「女郎蜘蛛」「滅び行く民族」なども紹介あり。

後半の下の方には小さくゴシップ欄があり、マキノ輝子の醜聞と共に日活でのリストラの話が掲載されていました。

尾上松之助氏の死とともに所内に蔓る積弊一掃の機會を早めるものと觀測されてゐたが果然拾八日午後京都市木屋町中村屋にて横田副社長根岸支配人池永所長杜重支店長等が會合協議の結果新劇部男優小村新一郎齋藤達雄宇田川寒待弓削宗貞外三拾六名女優部では宮部静子、本田歌子、衣笠みどり、松島英子、高島京子、香川満子、巽久子、橘道子外数名を解雇した。
それと同時に東坊城恭長、若葉馨、木藤茂に俳優を廃めさせ東坊城若葉の兩名は一時名目だけの脚本部附となし木藤は監督助手に祭り上げるなど大整理を行ふ[…]。

「新劇部男女俳優大整理」

1931年 – 『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』 冨士新年號附録

1931年-名流花形大寫眞帖
« Stars Photo Album » supplement to the « FUJI » magazine Vol.4, No.1 (Jan 1931) published by the Dai Nippon Yubenkai Kodansha, Tokyo, Japan.

[発行年]
昭和6年1月

[発行者]
大日本雄弁会講談社

[フォーマット]
356頁 18.4cm×12.8cm

[定価]
本誌と共に七十銭

若葉馨、昭和3年(1928年)の転職報告ハガキ

「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

Wakaba Kaoru 1928 postcard
Wakaba Kaoru 1928 postcard announcing his career change
(« I resumed my acting career,
this time as a Jidai-geki actor at Nikkatsu » etc. )

若葉馨 (1900 – 没年不詳)

本名須田庄一。明治三十四年、前橋市に生る。東京齒科醫專を中途退學し、舞臺を經て映畫へ、日活松竹を經て昭和四年九月帝キネに入社。各社に佳作を残す。最近の作品は「曲馬團の娘」「最後の女性」「浅草紅團」等々。身長五尺四寸八分。體重十四貫。趣味は俳句寫眞、雑誌の發行。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

Wakaba Kaoru 1931

髙島栄一氏宛、昭和3年(1928年)4月16日付西陣の消印有。「先日は失礼いたしました。又御土産まで頂戴いたし誠に有りがたく御礼申上ます」の直筆メッセージが左上に残されています。

[JMDB]
p0162750

[IMDB]
nm2121629

[出身]
日本(群馬県前橋)

[サイズ]
14.0 × 9.0 cm