1931年 – 『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』 冨士新年號附録

1931年-名流花形大寫眞帖
« Stars Photo Album » supplement to the « FUJI » magazine Vol.4, No.1 (Jan 1931) published by the Dai Nippon Yubenkai Kodansha, Tokyo, Japan.

[発行年]
昭和6年1月

[発行者]
大日本雄弁会講談社

[フォーマット]
356頁 18.4cm×12.8cm

[定価]
本誌と共に七十銭

1929 – 瀧本時代堂の説明本 ~1920年代後半の説明集ブーム私見~

Benshi-narration-oriented Novelizations :
Ito Daisuke’s « Man-Slashing Horse-Piercing Sword » (Zan-jin Zan-ba Ken),
Aku Reinosuke’s « Cold Eyes » (Reigan) etc.

『斬人斬馬剣』(1929年 松竹京都 伊藤大輔)
『冷眼』(1929年 右太プロ 悪麗之助)
『此村大吉』(1929年 阪妻プロ 山口哲平)
『傳奇刀葉林』(1929年 帝キネ 渡辺新太郎)

表紙に独特な雰囲気があります。

いずれも昭和4年(1929年)の公開作品。伊藤監督の重要作の一つ『斬人斬馬剣』、悪麗之助の『冷眼』など剣戟愛好家に興味深いラインナップとなっています。14.3×10.6センチ、15ページ。紙質は荒く、表紙を開くと配役一覧があってすぐに物語が始まります。

危機一髪の眞つ最中へ馳せ付けて來たのが十時來三郎及び賴母等の正義の士であった。
『ヤアヤア臣下の身として、君家を乱し、暴擧を企て、世継の若君に危害を加へんとするなどとは言語道斷のくせ者である』

(『斬人斬馬剣』)

見る見るお千代は遂に九郎次の爲めに取られてしまつた。其日からしての甚十郎の胸中はモンモンとして悶えて居る。殊にお千代が残してある、着物などを見ると其面影が偲ばれて、悲嘆の涙が自らわき出して來る。

(『冷眼』)

4冊いずれも佐藤綠葉(綠葉山人)が文章を担当。同氏は1927年の明文館「説明集」に関わっていたことでも知られています。現物は所有していないため国立映画アーカイブ所蔵分の表紙をコピーさせていただきました。

明文館説明集
『西洋新映画説明集』『欧米特作映画説明集』『新派映畫説明集』
(明文館)国立映画アーカイブ蔵

「説明集」とは弁士の語り(説明)を念頭に置きながら映画をノベリゼーションしたものです。本来は映像を補足する存在だった弁士が次第に重要性を増し始め、時に映画以上に目立つこともあった日本無声映画期に特有の発想です。

無声映画の後期には弁士が一大人気職業となって各地で語りの才を披露していました。1910年代の『ジゴマ』二次小説ブームも同様で、日本では映画の背景や表現技法を理解して味わうより作品をネタとして楽しむ傾向が強く見られます。ツイッター全盛の現在でも本質的には変わっていないもので、日本の文化風土にあったシステムだというのは直感的に分かります。

ところがこの方向性は危険もはらんでいました。弁士の語りが前に出すぎると映像は挿絵の扱いになってしまいます。『斬人斬馬剣』を読んでいても伊藤監督の個性はかき消されていて、当時の剣戟映画界でなぜ本作が際立っていたのかが見えてきません。説明集は、視覚芸術としての映画の本質を説明していないのです。

『弁士の説明を聞くより面白い』
明文館の映画文庫の紹介ページより。仮想敵が弁士だった様子が伝わってきます。
« More exciting than benshi-narration! »

映画を作る側からすると歯痒さの残る状況でもありました。1929年は初のマキノトーキー作品(『戻橋』)が公開された年でもあります。マキノ監督は単に欧米のテクノロジーを追おうとしていた訳ではありません。観衆側の解釈や盛り上がりに依存しすぎる状況に危機感をいだき、弁士システムを終了させ業界をリセットする発想が含まれているのです。

ハリウッドでは1920年代半ば、東欧や南米でも1931~32年にトーキー移行が完了していたにも関わらず、技術力で負けていた訳ではない日本が出遅れたのには理由がありました。多くの国でトーキーへの変化はテクノロジーのアップデートに過ぎなかったのに対し、映画が魔改造されて根付いてしまった日本では変えなくてはならない前提が他にもあったのです。

ガラパゴス的な状況は1935年頃には解消されていましたし、そのおかげで後の邦画黄金時代が実現する運びとなりました。ただ、今更ではありますが、ガラパゴスのまま独自進化を遂げていたとしてもそれはそれで面白い邦画史になっていたのだろうな、と思うのです。

1928 – 『玉麗佳集』

昭和3年(1928年)に公刊された俳優と芸妃の名鑑集。

1ページにつき2名の写真が掲載され国内外の俳優200名と芸妓20名が登場、巻末に俳優の略歴紹介が付されています。

1927~28年頃の俳優名鑑は初めてで、この時期に活躍された帝キネ女優(山下すみ子、櫻綾子、蘆屋桃子)の情報がありがたかったです。

薄手の紙を使用していますが紙質は良く劣化が少なかったのも幸いでした。中表紙や写真の背景に使用された手書きイラストも興味深く、昭和への移行期の雰囲気がよく伝わってきます。

[出版社]
中央書院

[定価]
1円80銭

[ページ数]
178p

[フォーマット]
22.2 × 15.0cm

明文館『映畵文庫』書籍一覧(1927年)

明文館・映画文庫一覧(1927年)

1927年時点で26冊が刊行されていた模様。扱われている作品の大半は1925年11月~1926年1月に公開された作品。

『御詠歌地獄』(松竹 1925年11月)
『雄呂血』(阪妻 1925年11月)
『荒木又右衛門』(日活 1925年11月)
『靑春』(松竹蒲田 1925年11月)
『上野の鐘』(松竹 1925年11月)
『辨天小僧』(帝キネ 1925年11月)
『松風村雨』(帝キネ 1925年11月)
『人間』(日活 1925年12月)
『戀の捕繩』(松竹 1925年12月)
『龍巻く嵐』(帝キネ 1925年12月)
『時勢は移る』(松竹)
『落武者』(松竹 1925年12月)
『命の懸橋』 (東亞1925年)
『お艶殺し』(東亞 1925年10月)
『寂しき道』(松竹 1925年11月)
『お初吉之助』(松竹蒲田 1926年1月)
『剣の舞』(東亞 1925年7月)
『女神の像』(帝キネ芦屋 1926年1月)
『いでゆの秋』(東亞 1925年12月)
『曲者は誰?』(帝キネ 1925年12月)
『征服者』(松竹蒲田 1925年12月)
『血刃の情火』(松竹 1926年2月)
『磯の仇浪』(東亞 1925年11月)
『魔保露詩』(阪妻 1925年12月)
『相模屋政五郎』(帝キネ芦屋 1926年2月)
『白川小天狗』(帝キネ 1925年12月)

ご丁寧に対応して下さった国立映画アーカイブ図書室のスタッフの皆様ありがとうございました。

『大正名優鑑』 (劇と映画 第一周年記念臨時増刊、大正13年)

歌舞伎と映画を扱っていた月刊誌『劇と映画』の創刊一周年を記念し大正13年に作成された俳優特集号。表紙は木版を貼りこんだもの。本体と同じ大型サイズに多数のグラビアを収録しています。

前半は歌舞伎俳優をまとめており、後半が映画編。映画編では各映画会社の首脳陣(城戸四郎、白井信太朗氏ほか)が登場、その後5つの会社(松竹蒲田、松竹下加茂、日活、東亞、帝國)の専属俳優が紹介されていきます。

蝶ネクタイにモガ帽、鼻眼鏡…手彩色の写真に写しだされたファッションに時代の雰囲気が良く出ています。

[出版者]
東京国際情報社

[出版年]
大正13年 (1924年)

[サイズ]
32.4 × 24.5 cm

[定価]
2円

千草 香子 (1900 – ?)

Chigusa_Kyoko

本名飯田千代子。明治卅一年名古屋に生る。女子商業卒業後、日活に入り後帝キネに移った。おつとりした芸風を持つて、可憐な娘に扮して毎時成功している。

『世界のキネマスター』1925年 286ページ

徳川 良子 (1906 – ?)

Tokugawa Yoshiko

1920年代前半に映画デビュー、日活現代劇を中心に活躍し30年代に帝キネ~新興キネマへと移っていきます。池田富保監督作品の『建国史 尊王攘夷』(1927年)にも出演、廓遊びに出かけた水戸藩士(谷崎十郎、新妻四郎)の相手をしている芸妓を演じていたのが桜木梅子、酒井米子、そして徳川良子の3女優でした。

Sonno Joi
『建国史 尊王攘夷』(1927年)より

喧嘩で乱れた鉄之助(新妻四郎)の髪をおあき(酒井米子)が直してあげようとしたところ、堅物の鉄之助は嫌がって両手で髪を隠します。そこで徳川良子演じる春駒が「エイ」と男の脇を突いておあきに加勢、場が笑いに包まれるという展開です。