1926 – 高木新平・生野初子主演『傷魂』(東亜キネマ、長尾史録監督)説明本・出版者不明


京傳は、遂に此の玄右衛門を暗殺して仕舞つた、其後に残されたのが伜の銀之助である、『あゝ我が父を殺したのは京傳である、『彼れを討ち取つて父の仇を返さなければならぬ』とさまざまに苦心して居たが却つて京傳に覺られて已に危くなつて來たのを、京傳の娘なる彌生のために計らずも、助けられたのが妙な縁となつて、二人は仇同士の子と子でありながら、戀と戀との不思議な運命の仲となつてしまつた。


1926年に出版された豆本サイズの解説本で出版者の記載はなし。表紙を開くと写真が一枚あって、次ページに配役一覧、その後文章が7頁続いていきます。同時に公刊されたと思われるものを他に2冊所有しており、他に東亜の『南蛮寺の怪人』『強狸羅』が出ていたのも確認しています。

天草四郎の乱を背景とし、島原藩での権力争いに巻きこまれる形で仇の子供同士である相馬銀之助(高木新平)と久利部彌生(生野初子)が戀に落ちていく…の展開となっていきます。

物語のさわりの部分だけを紹介したものでこの後銀之助と彌生にどのような運命が待ち受けているのかは分からないままです。体裁、内容的にみて市販されたものではなく、客の興味を引くため映画館が宣材として配っていた非売品かなの印象があります。


[JMDb]
傷魂

[IMDb]
Shokon

[フォーマット]
13.2cm×9.8cm、10頁

[出版年]
1926年

都賀 静子/靜子 (1912 – 没年不詳)

「日本 [Japan]」より

Tsuga Shizuko Autographed Postcard
Tsuga Shizuko Autographed Postcard

明治四十五年宇都宮に生る。五歳で河合武雄一派の『月魄』が初舞臺、映畫では國活を振り出しに松竹、東亞と轉々とし何れも重要な子役を勤め上げ更にマキノに移つて一躍スターとなつた。主演『戀の守備兵』『村へ來た呑氣者』『狼火』『鈴蘭の唄』等あり、最近では『愛しき彼』『消ゆる舟唄』に出演してフアンの好評を博している。まだ若いから相當に前途を嘱望されてゐるし本人も早く立派な女優になりたいと念じてゐる。好きなものは映畫、雑誌。嫌ひなものは蛇と蛙。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

昭和2年(1927年)2月23日の日付入り。裏面に「髙島千代」とあり、髙島栄一氏の親族の方が所有されていた一枚と思われます。

無声期のマキノ映画娘役として名を知られるようになりましたが1910年代後半から子役として活躍していた長いキャリアの持ち主でした。この後さらに東活~宝塚キネマへと流れていき30年代半ばに引退。戦後1960年前後に東映作品の老け役で短期間カムバックしていた記録が残っています。

[JMDb]
都賀 静子

[IMDb]
Shizuko Tsuga

[出身地]
日本

[誕生日]
5月18日

[データ]
8.5 × 13.5cm

1970年代前後 スーパー8 『乱斗集』(マツダ映画社/村上プロダクション)

「阪東妻三郎関連」 & 「8ミリ 劇映画」より

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別投稿で紹介した8ミリ版『旗本退屈男』と同じ出所のフィルムで、傅次郎・阪妻・長二郎・嵐寛・千恵蔵の剣戟を中心にした編集版。80年代にVHSで市販されていた『活弁トーキー版 乱闘場面集』の原型のような内容となっています。今回は全体の2/3程に当たる大河内と阪妻の登場場面を紹介。

『素浪人忠弥』(伊藤大輔、1928年)より。右から二枚目に山田五十鈴

『薩摩飛脚 東海篇』(伊藤大輔、1932年)より

『丹下左膳 日光の巻』(渡辺邦男、1936年)より。右上に高津愛子

『血煙高田馬場』(伊藤大輔、1928年)より。右から二枚目に市川春衛

鬼気迫る『素浪人忠弥』からスタイリッシュな『薩摩飛脚』(山中貞雄監督の剣光愛欲篇とされていますが実際は前年の伊藤監督・東海篇のようです)を挟み、代表作の丹下左膳へ。

『血煙高田馬場』は殺陣の組み立て方だけではなくやじ馬連中たちの表情の切り返しが見事です。日活の老け役として活躍された市川春衛さんが飲み屋の「お勘婆」役で良い味を出しています。

『かまいたち』(東隆史、1932年)より。右から二枚目に環光子

阪妻名場面集ではコントラストの効いた『かまいたち』が目を引きます。阪妻プロで短期間ヒロインを務めた環光子さんの妖艶さよ。

『阪本竜馬』は寺田屋襲撃場面。乱闘は9.5ミリ版より若干尺が長く近藤勇との対決の前の場面が含まれています。殺陣を最小限に抑えた9.5ミリ版編集が独特だったのかな、など比べていくと色々考えさせられます。

『坂本竜馬』(枝正義郎、1928年)より。一番左森静子

情報の正確さやコンテンツの豊さでVHS版に軍配が上がるものの、コマ単位で見えてくる発見があるのが良いですね。

大河内傅次郎場面集
血煙荒神山
素浪人忠弥
薩摩飛脚
丹下左膳 日光の巻
水戸黄門 来国次の巻
血煙高田馬場

阪東妻三郎場面集
燃える冨士
かまいたち
開化異相
坂本竜馬

林長二郎傑作集
辨天小僧
侠客春雨傘
雪之丞変化
旅の陽炎
喧嘩鳶
鳥辺山心中

嵐寛寿郎傑作集
鞍馬天狗
右門一番手柄 南蛮幽霊
鞍馬天狗 江戸日記

片岡千恵蔵
放浪三昧

[フォーマット]
スーパー8 白黒 無声 1200ft
提供:マツダ映画社
編集:村上プロダクション

1931年 トーキー文庫 『無憂華』 (東亞キネマ作品)

Madame Takeko Kujo, Sorrowless tree (Muyuu-ge
« Madame Takeko Kujo, Sorrowless tree (Muyuu-ge) », a novelization based on the 1930 eponyme film.

1930年秋に公開された東亞のオールスター作品『無憂華』をノベライズした説明本。

内容は和風聖女伝。名門寺社の娘として生れ、貴族の元に嫁ぎ、歌人として、さらに社会活動家(関東大震災後の慈善活動、京都女子大創設)として名を上げながら若くして病に倒れた大正女性の生き様を描いた内容です。

聖女のイメージとは裏腹に実際の武子夫人は気さくな性格で、人間臭い悩みやトラブルを抱えていたことも知られていますが、小説版は暗黒面に踏みこむことはせず都合の悪い個所は曖昧にぼかされていました。

興味深いのは、本作が東亞キネマ後期の特作品として製作され時代劇および現代劇の俳優が数多く出演している点です。

独身時代と結婚後のヒロインをオーディションで選ばれた新人女優(鈴村京子と三原那智子)が別々に担当。若き武子の良き相談役だった籌子の方を個性派・久世小夜子が演じ、その他端役で里見明、歌川絹枝、石川秀道、千種百合子、大井正夫、冨士幸子、椿三四郎などが続々登場。

また映画中に劇中劇『洛北の秋』が挿入されていて原駒子と木下双葉、尾上紋弥が共演する仕掛けとなっています。嵐寛寿郎と羅門光三郎以外の俳優が揃っているのではないかという豪華布陣はオールスターの名に恥じないものです。

後期東亞キネマのサイン帳について調べていた時に完全版が現存しているのを知りました。機会があれば是非見てみたいと思っています。

[発行年]
昭和6年2月

[発行所]
映畫研究會

[フォーマット]
150頁 17.0cm×11.7cm

[定価]
二十銭

1930年 『東亞週報 第二八六號』

Toa Weekly No. 286
Toa Weekly No. 286 (October 17th, 1930)

昭和五年(1930年)10月半ばの東亞週報でオールスター大作『無憂華』公開時の一冊。表紙は同作からのスチル写真。モデルとなった故・九条武子夫人を称える菊池寛・久米正雄・直木三十五の歌が添えられています。

『無憂華』の粗筋、配役紹介に加えて主演・三原那智子さんの紹介とそのメッセージ「高鳴るわが胸」が掲載されています。本作以外に映画出演記録が見当たらず経歴が不明だったため略歴が助かりました。海外作品ではフリッツ・ラングの『スピオーネ』が紹介されており、裏表紙は歴史冒険譚『八荒流騎隊』の予告。

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『スピオーネ』の物語紹介の途中にリバイバル上映会の告知が挟まれています。

『明治二十八年・本場所 東京大相撲』。昨年国立映画アーカイブで上映されていた『明治二十八年の両國大相撲』(1900年)と同一作品。現在のスポーツ化した大相撲とは別物で、見世物と神事の両面が絡みあった独特な圧の作品でした。1930年頃すでに歴史的重要作として認知されていた様子が伺えます。

砂田 駒子 (1900 – 1982)

「日本 [Japan]」より

Sunata/Sunada Komako Autographed Postcard
Sunata/Sunada Komako Autographed Postcard

明治三十三年岡山縣で生る。五歳で米國加州に渡りベンソニア州の女學校を卒業。大正五年米國ユニバアザル會社に入りル[パート]・ジュリアン監督の映畫に出演して始めて映画界の第一歩を踏む。大正十三年歸朝東亞キネマに入り『愛の秘密』に主演同十四年日活に移り『街の手品師』に出演、最近『陸の人魚』『男子突喊』『僞りの都』等がある。新しいところでは日活切つて第一人者、近く再び渡米して映畫を研究して來るといふ素晴らしい意氣込みである。

「砂田駒子(すなだこまこ)」『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

各映畫会社では日本人のエキストラをさかんに募集していましたので在留邦人も競ふて應募し支那人などに扮していました。私もある人の紹介でエッセネといふ映畫會社のエクストラに採用されてフランクボザージ氏の監督で「ツルアオキ」さんや「トーマス栗原」さんなどが出演の映畫に出ましたが、そのフイルムは何かの都合で生れざる胎児同然未封切りのまゝで終つてしまいました。その日は生れてはじめて日當五弗を貰ひ喜び勇んで家に歸つたのでした。

「砂田駒子生ひ立ちの記」『日本映画年鑑 第三年版』(1927年、朝日新聞社)

直筆サイン物としては二枚目の入手。米国育ちの彼女らしくどちらもアルファベット書きで、素直な筆記体ながら頭文字の「K」に装飾が施されています。

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また両方のサインで名字が「すなた(Sunata)」となっているのも確認できました。当時の映画雑誌ではルビが振られておらず、『世界のキネマスター』や『玉麗佳集』といった名鑑では「すなだ」と濁って表記されています。

[JMDb]
砂田駒子

[IMDb]
Komako Sunada

[出身地]
日本(岡山県御津郡大野村)

[誕生日]
不詳

[データ]
8.5 × 13.5cm

1928年『日本映画年鑑 第四年版』(昭和二年・三年版、朝日新聞社)

Japan Movie Annual vol.4 (1928, Asahi-shinbun-sha)
Japan Movie Annual vol.4 (1928, Asahi-shinbun-sha)

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『海の勇者』より。松井千枝子と鈴木伝明

1927年(昭和2年)の内外映画界を振り返った一冊。ハリウッド作品では『第七天国』『サンライズ』『あれ』『三悪人』『ビッグ・パレード』『ボー・ジェスト』などが公開され、独ウーファ社『メトロポリス』や『ヴァリエテ』が紹介されるなど、現在まで無声映画傑作として知られている作品が軒並み名を連ねています。

邦画では帝キネ(『競艶美男』)や東亞(『王政復古』)、マキノや阪妻が気を吐き日活(『尊王攘夷』『慈悲心鳥』『忠次旅日記』)と松竹(『白虎隊』)二強体制に待ったをかけています。一方では諸口十九と筑波雪子の獨立、岡田嘉子と竹内良一の駆け落ち騒動など業界全体がやや浮ついていた印象もあり。

監督特集も充実。二川文太郎、伊藤大輔、鈴木重吉、山下秀一、廣瀬五郎氏などが次世代日本映画を支えていく存在として期待されています。

その他特筆すべき特集として、ハリウッドやドイツで活躍する日系俳優の紹介、男女優(百々乃助、伏見直江)のメーキャップ特集、映画ポスター秀作紹介が目を引きました。

時代の趨勢がまさにトーキーに移りつつある中、サイレント映画が質実共に完成されつつある様子が伝わってきます。

[出版者]
東京朝日新聞發行所

[発行]
昭和3年(1928年)3月

[定価]
一圓五十銭

[フォーマット]
B5版ハードカバー、 25.7×18.5cm、152頁

1925 – スーパー8 『国定忠治』(澤田正二郎主演、マキノ省三監督)

「8ミリ 劇映画」より

1925 - 国定忠治(スーパ8)
Super8 « Kunisada Chuji »
(1925, dir.Shozo Makino, starring Shojiro Sawada)

映畫劇ではない。澤正一派が舞臺では十八番の「國定忠治」をその儘撮影したに過ぎない映畫である。然し澤田正二郎氏の忠治は立派に成功して居る。舞臺で聞く彼獨特の沈痛な臺詞こそ聞かれないが、彼一流の力強い演技は映畫に於ても充分味へられた。舞臺から映畫に移つた俳優の誰よりも巧い事は確かである。決して映畫俳優の演技ではない彼の演技が見る者に何の不自然さも感じさせず思はず拍手を惜しませぬ、彼の力強い演技には全く敬服した。その型の好き敏捷な動作は舞臺同様觀客を唸らせずに置かない。牧野省三氏の監督は映畫劇としては成功して居ないけれど澤正を活かした事は成功して居るそして舞臺俳優を使つて短日時の内にこれ丈のものを作り上げる事は恐らく氏以外にはあるまいと思はせた。老練と云ふ言葉が滿ちている監督振りである。俳優は澤正以外全くゼロで澤正ピカ一である事は止むを得ない。場面では山形屋の痛快さで唸らせ最後の落入りで十分泣かせて居る。

「主要映画批評:國定忠治」 山本綠葉
(キネマ旬報183号 大正14年1月21日付)

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赤城山と山形屋の二場面を収めた縮約版。牧野翁はひたすら職人肌の裏方に徹しています。

澤田正二郎は忠治をめぐる諸々の神話に忠実であろうとし、そこにストイックで硬質な、生々しい息吹を注ぎこもうとしています。後年の伊藤大輔が大河内というデフォルメの天才を通じて再解釈した病気がちで情けない忠治とのコントラストも興味深く思えます。
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[タイトル]
国定忠治

[公開年]
1925年

[JMDb]
ba000200

[IMDB]
tt5253540

[フォーマット]
スーパー8
白黒50メートル 18コマ/秒 約10分
株式会社サングラフ

小阪 照子 (1910 – ?)

「日本 [Japan]」より

小阪照子 サイン入り絵葉書
Kosaka Teruko Autographed Postcard

やつと肩揚げの取れたばかりのおいとはん。何しろまだ取つての十八歳の若さですもの、何もかもこれからです。映畫生活の第一歩は帝キネ・スタジオに踏まれました。小坂照子の名前も其處から來るたものです。それから衣笠プロダクシヨンへ、それから東亞へ – と移つて今日の有望な地位を獲得したのでした。純粹の日本娘らしい色彩の濃厚な彼女の存在は東亞にとつてはどの位の強味かしれません。これから、何もかもかれからです。多幸な小坂照子ではあります。

『日本映画年鑑 昭和二年昭和三年 第四年版』
(朝日出版社、1928年4月)

本名は森田勝子。明治43年4月26日生まれ。趣味のひとつに乗馬を上げています。

1924年帝キネで女優デビュー。『孔雀の光』など尾上紋十郎主演作品に出演。後に東亜キネマへ移籍し、やはり時代劇で雲井龍之介作品などで活躍を見せます。東亜キネマの解消と共に映画界を離れていますが、キャリア後期はヒロイン役での登場も増え地力、人気をつけていた最中でした。

[JMDB]
p0172280

[IMDB]
nm2361872

1926年『キネマ花形』 (『活動花形』改題 11月号 花形社)

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1926 Kinema-Hanagata Magazine (November Issue)

京都を拠点に活動していた花形社の雑誌のひとつで、こちらは1926年末に「キネマ花形」と改題後出版された新生第一号となります。

表紙を飾っているのはコリーン・ムーア。本文は全て一色刷り、数点のグラビアを除くと大半が公開された新作のスチルと粗筋紹介となっています。内容は:

日活:「シベリアお瀧」「月形半平太」「水戸黄門
松竹:「カラーボタン」「美しき禱」「若き日の罪」「いとしの我が子」「妖刀」「いかりの刄」「海人
帝キネ:「關東綱五郎」「澁川伴五郎」「海の妖婦」「自由の天地
マキノ:「どんぐり長屋」「どんどろ堀」「大江戸の丑満頃」「大尉の娘
東亜:「富士に立つ影」「逆風」「劒闘」「森の石松
阪妻:「情炎流轉」「狂へる人形師

誤植(「お瀧」→「お龍」、「丑満頃」→「丑満時」)もそのまま転記。その他海外作品として「グリード」や「バツト」「雀」「女郎蜘蛛」「滅び行く民族」なども紹介あり。

後半の下の方には小さくゴシップ欄があり、マキノ輝子の醜聞と共に日活でのリストラの話が掲載されていました。

尾上松之助氏の死とともに所内に蔓る積弊一掃の機會を早めるものと觀測されてゐたが果然拾八日午後京都市木屋町中村屋にて横田副社長根岸支配人池永所長杜重支店長等が會合協議の結果新劇部男優小村新一郎齋藤達雄宇田川寒待弓削宗貞外三拾六名女優部では宮部静子、本田歌子、衣笠みどり、松島英子、高島京子、香川満子、巽久子、橘道子外数名を解雇した。
それと同時に東坊城恭長、若葉馨、木藤茂に俳優を廃めさせ東坊城若葉の兩名は一時名目だけの脚本部附となし木藤は監督助手に祭り上げるなど大整理を行ふ[…]。

「新劇部男女俳優大整理」

1929 – スーパー 8 『嵐寛寿郎の右門捕物帖』(橋本松男)

「8ミリ 劇映画」より

昭和4年(1929年)に東亜キネマで始まった嵐寛寿郎の当たり役・むっつり右門の第一弾『一番手柄 南蛮幽霊』8ミリ版。アラカンは無口な昼行燈タイプの同心を演じていて、余興芝居の最中に殺された岡っ引きの弔い合戦に挑んでいきます。

以前に東亜キネマのサイン帳をご紹介いたしましたが、そこにも名を連ねていた同社の重要俳優が多く出演しています。お茶目なおしゃべり伝六を演じたのは頭山桂之介、右門に嫌がらせをしかけるあばたの敬四郎に尾上紋弥、誤って拷問を受ける町人役に嵐橘右衛門、そして謎の美女としてデビューしたばかりの木下双葉が登場。

殺陣に迫力が欠けるの批判があって以前DVDで見た時に同じ印象を持ちました。今回8ミリで確認してみると、確かにロングショット主体で編集のリズムも良くないのですが、決めポーズなどさすがと思わされる場面も幾つかありました。

[原題]
右門一番手柄 南蛮幽霊 

[公開]
1929年

[JMDb]
右門一番手柄 南蛮幽霊

[IMDB]
Umon ichiban tegara – Namban yûrei

[メーカー]
株式会社サングラフ

[カタログ番号]
商品 No.810

[フォーマット]
スーパー8 白黒60m 18fps 光学録音(カセットテープ付き)

1931年 – 『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』 冨士新年號附録

1931年-名流花形大寫眞帖
« Stars Photo Album » supplement to the « FUJI » magazine Vol.4, No.1 (Jan 1931) published by the Dai Nippon Yubenkai Kodansha, Tokyo, Japan.

[発行年]
昭和6年1月

[発行者]
大日本雄弁会講談社

[フォーマット]
356頁 18.4cm×12.8cm

[定価]
本誌と共に七十銭

1934 -『處女作・出世作・代表作 映画花形大寫眞帖』 冨士新年號附録

『處女作・出世作・代表作 映画花形大寫眞帖』 表紙January 1934 Fuji Magazine Additional Issue
« Movie Stars : Film Debut and Breakthrough Performance »

1930年代前半に活躍した俳優の名鑑で1~2頁を使ってキャリア節目の作品を紹介していきます。要領を得た記事に「観たい!」が一度ならずありました。リアルタイムの評価も分かる内容で重宝しそうです。

[発行年]
昭和9年1月

[発行者]
大日本雄弁会講談社

[フォーマット]
128頁 26.2cm×18.9cm

[定価]
本誌と共に六十銭

[内容]

表紙:市川春代
口絵:入江たか子/飯塚敏子/伏見信子/夏川靜江

逢初夢子 『蝕める春』『昨日の女今日の女』『戀の勝敗』
青木富夫 『突貫小僧』『奢って頂戴』『二つ燈籠』
阿部正三郎磯野秋雄三井秀男『令嬢と輿太者』『戦争と輿太者』『輿太者と藝者』
嵐寛壽郎 『大忠臣蔵』『右門捕物帖』『磧の霧』『剣鬼三人旅』
淡路千夜子 『銭形平次捕物控』『涙の世渡り』『磧の霧』
飯田蝶子 『おかめ』『戀のままごと』『嵐の中の處女』
飯塚敏子 『淑女と髭』『白鷺往來』『二つ燈籠』『鯉名の銀平』
五十鈴圭子 『寛永豪傑總進軍』『戀慕吹雪』『半次月夜の唄』
市川右太衛門 『鳴門秘帖』『一殺多生剣』『天一坊と伊賀亮』『敵への道』
市川春代 『浅草悲歌』『受難華』『戯れに戀はすまじ』
入江たか子 『けちんぼ長者』『元祿十三年』『白蓮』『瀧の白糸』
歌川絹江 『一粒の麥』『團十郎の安』『敵への道』
江川宇禮雄 『七つの海』『暴風帯』『嬉しい頃』
及川道子 『不壊の白珠』『戀愛第一課』『頬を寄すれば』
大河内傳次郎 『續水戸黄門』『新版大岡政談』『月形半平太』
岡譲二 『上陸第一歩』『応援團長の戀』『いろはにほへど』『東京音頭』
岡田時彦 『紙人形春の囁き』『美人哀愁』『瀧の白糸』
岡田嘉子 『大地は微笑む』『日輪』『忠臣蔵』『泣き濡れた春の女よ』
尾上菊太郎 『踊子行状記』『流轉の雁』『左門戀日記』
大日向傳 『戀の長銃』『椿姫』『出來ごころ』
海江田譲二 『沓掛時次郎』『新藏兄弟』『關の佐太郎』
片岡千恵蔵 『萬華地獄』『源氏小僧』『逃げ行く小傳次』『元禄十三年』
桂珠子 『曙の歌』『ふらんす人形』『霧の夜の舗道』
川崎弘子 『女性の力』『壊けゆく珠』『不如帰』『嬉しい頃』
河津清三郎 『首の座』『益満休之助』『十二階下の少年達』
栗島すみ子 『虞美人草』『水藻の花』『嘆きの孔雀』『真珠夫人』『いろはにほへど』
小杉勇 『この太陽』『生ける人形』『警察官』
琴糸路 『青春散歩』『涙の渡り鳥』『新釋加賀見山』
小林十九二 『俄か馭者』『花嫁の寝言』『想ひ出の唄』
齊藤達雄 『珍客往来』『生れては見たけれど』『夜ごとの夢』
佐久間妙子 『嬢やの散歩街』『もだん聖書』『南地の女』
澤田清 『鬼鹿毛若衆』『龍造寺大助』
澤村國太郎 『影法師』『七人の花嫁』『平十郎小判』
杉山昌三九 『砂漠に陽が落ちて』『港の雨』『白浪れんじ格子』
鈴木澄子 『いろは假名四谷怪談』『旋風時代』『鏡山競艶録』
鈴木傳明 『塵境』『陸の王者』『熊の出る開墾地』『東京祭』
鈴村京子 『無憂華』『仇討二番ケ原』『仇討兄弟鑑』
高田浩吉 『街の勇士』『女性の切札』『鼻唄仁義』
高田稔 『快走戀を賭して』『大學は出たけれど』『アメリカ航路』『感激の人生』
高津慶子 『何が彼女をそうさせたか』『刺青奇偶』『彼女のイツト』
竹内良一 『兄さんの馬鹿』『天國に結ぶ戀』『琵琶歌』
伊達里子 『マダムと女房』『陽気な嬢さん』『三萬兩五十三次』
田中絹代 『戀と捕繩』『海國記』『絹代物語』『花嫁の寝言』
田村道美 『受難華』『彼女の道』『未來花』
千早晶子 『鬼あざみ』『十字路』『泣き濡れた春の女よ』
月田一郎 『街のルンペン』『榮冠涙あり』『結婚快走記』
坪内美子 『涙の渡り鳥』『島の娘』『女人哀樂』
中野英治 『大地は微笑む』『摩天樓』『間寛一』
中野かほる 『丸の内お洒落模様』『愉快な惡漢』『碁盤縞の女』
夏川靜江 『椿姫』『灰燼』『結婚二重奏』『東京祭』
南部章三 『愛の風景』『戀の踊子』『靑春よいずこ』
花井蘭子 『提灯』『新藏兄弟』『靑春よいずこ』
林長二郎 『稚児の剣法』『お嬢吉三』『不如帰』
原駒子 『鳴門秘帖』『嘆きの女間諜』『紅騎隊』
坂東好太郎 『生き残った新撰組』『兄貴』『蝙蝠の安さん』
阪東妻三郎 『鮮血の手形』『雄呂血』『神變麝香猫』『燃える富士』
伏見直江 『坂本龍馬』『一本刀土俵入』『女國定』
伏見信子 『春と娘』『十九の春』『東京音頭』
藤井貢 『白夜は明くる』『戀愛一刀流』『僕の丸髷』
水久保澄子 『蝕める春』『嵐の中の處女』『僕の丸髷』
水原玲子 『女給君代の巻』『モテルの女』『青島から来た女』
森静子 『異人娘と武士』『妻吉物語』『燃える富士』
八雲理惠子 『霧の中の灯』『多情佛心』『昨日の女今日の女』
山縣直代 『光・罪と共に』『ふらんす人形』
山田五十鈴 『孔雀姫』『白夜の饗宴』『月形半平太』
山路ふみ子 『満州娘』『己が罪・環』『港の雨』
羅門光三郎 『薩南大評定』『浪人の群』『紅騎隊』
若水絹子 『黒手組助六』『有憂華』『伊豆の踊子』

広告:冨士自轉車、ヘチマコロン、モダン・シャンプー、セイワ胃腸薬、アイデアル白粉、日淸生命、百万弗髪洗粉、小菅時計商店、報知新聞、ウテナクリーム

国島荘一 (國島莊一/國島昇) & 岩崎繁

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

國島昇-岩崎繁 直筆サイン

1902年、福島に生まれた。1914年、井上正夫の門下に入り、本郷座で初舞台を踏む。1922年、松竹蒲田に入社。当時の芸名は国島昇。池田義信監督の『水藻の花』では、都会の青年役で認められ、野村芳亭監督の新時代劇『雁の群』では高崎の重吉を演じ、清水宏監督の『白菊の歌』で木下千代子と共演。1924年、芸名を国島荘一と改める。

1929年、河合映画に移り、『彼女は何うなるか』で琴糸路と共演。時代劇『浅草丹次』『旗本の下に』に主演後、東亜キネマに入社。『処女戦線』で宮城直枝と、『一度はすべての女に』で岡田静江と共演。1931年、松竹蒲田に戻り、『深夜の溜息』『三太郎満州出征』に出演。五所平之助監督の『天国に結ぶ恋』で色敵役を好演するが、これが遺作となった。

『日本無声映画大全』(マツダ映画社)

東亜のサイン帖でサインで解読できなかったものがあったのですが、一件が國島昇氏と判明しました。松竹蒲田を中心に活動されていた男優さんで、1930年後半からのごく短い期間に東亜にも在席されていました。國島昇は初期芸名で途中から国島荘一名義で活動しています。病気がちで1932年に亡くなったとされており、非常に珍しいサインではないかと思われます。

添えられているのは東亜キネマで撮影監督として働いていた岩崎繁氏。主に時代劇(『竜虎八天狗』『建国黒頭巾』『薩南大評定』)を担当し、東亜が傾くと東活~宝塚キネマに転籍していきました

1928 – 『玉麗佳集』

昭和3年(1928年)に公刊された俳優と芸妃の名鑑集。

1ページにつき2名の写真が掲載され国内外の俳優200名と芸妓20名が登場、巻末に俳優の略歴紹介が付されています。

1927~28年頃の俳優名鑑は初めてで、この時期に活躍された帝キネ女優(山下すみ子、櫻綾子、蘆屋桃子)の情報がありがたかったです。

薄手の紙を使用していますが紙質は良く劣化が少なかったのも幸いでした。中表紙や写真の背景に使用された手書きイラストも興味深く、昭和への移行期の雰囲気がよく伝わってきます。

[出版社]
中央書院

[定価]
1円80銭

[ページ数]
178p

[フォーマット]
22.2 × 15.0cm

1927 – 時代劇 『剣の舞』(東亞キネマ 明文館 映画文庫)

 

激しい乱闘だ。修理の太刀には無駄がなく、ばたりばたりと前後左右に屍を積んだが、然しややその呼吸が乱れて来た。此処ぞと敵は益々激しく斬り込み斬り込み、息もつかせぬ。

映画文庫の20冊目として出版されたのが『剣の舞』。幕末の秋田藩を舞台とし、佐幕派と攘夷派の緊張が高まる中、陰謀に巻きこまれていく池田修理(市川小文治)の活躍を描いています。三角関係のロマンスが含まれており、生野初子さんが「和製楊貴妃」と称されるヒロイン琴路を演じました。

表紙にあしらわれた « MOVIE » がモダンな雰囲気を醸し出しています。

[原作] 歌川 天外
[監督] 松室 春翠
[出演] 市川小文治 生野初子ほか

明文館『映畵文庫』書籍一覧(1927年)

明文館・映画文庫一覧(1927年)

1927年時点で26冊が刊行されていた模様。扱われている作品の大半は1925年11月~1926年1月に公開された作品。

『御詠歌地獄』(松竹 1925年11月)
『雄呂血』(阪妻 1925年11月)
『荒木又右衛門』(日活 1925年11月)
『靑春』(松竹蒲田 1925年11月)
『上野の鐘』(松竹 1925年11月)
『辨天小僧』(帝キネ 1925年11月)
『松風村雨』(帝キネ 1925年11月)
『人間』(日活 1925年12月)
『戀の捕繩』(松竹 1925年12月)
『龍巻く嵐』(帝キネ 1925年12月)
『時勢は移る』(松竹)
『落武者』(松竹 1925年12月)
『命の懸橋』 (東亞1925年)
『お艶殺し』(東亞 1925年10月)
『寂しき道』(松竹 1925年11月)
『お初吉之助』(松竹蒲田 1926年1月)
『剣の舞』(東亞 1925年7月)
『女神の像』(帝キネ芦屋 1926年1月)
『いでゆの秋』(東亞 1925年12月)
『曲者は誰?』(帝キネ 1925年12月)
『征服者』(松竹蒲田 1925年12月)
『血刃の情火』(松竹 1926年2月)
『磯の仇浪』(東亞 1925年11月)
『魔保露詩』(阪妻 1925年12月)
『相模屋政五郎』(帝キネ芦屋 1926年2月)
『白川小天狗』(帝キネ 1925年12月)

ご丁寧に対応して下さった国立映画アーカイブ図書室のスタッフの皆様ありがとうございました。

嵐橘右ヱ門(橘右衛門)

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

名字を外して「橘右ヱ門」とだけ書いたのではと推定されるサインです。

1920年頃から帝キネ製作の時代劇に出演を始め、町人・武家どちらもこなせる年配の俳優として重宝されていきます。1928年、嵐寛寿郎が『鞍馬天狗』シリーズを開始した際は天狗を助ける「黒姫の吉兵衛」役を務め、以後も『右門捕物帖』などの嵐寛作品を中心に脇役として活躍していきました。

[JMDB]
p0369890

[IMDB]
nm1772474

原駒子(1910 – 1968)の鏡文字サイン

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

東亜キネマの初期から同社でトップクラスの人気を誇ったのが原駒子さんでした。この時期の俳優としては唯一人の鏡文字サインの持ち主です。

艶のある表情、動きに露出度の高さ。松竹や日活の女優にないある種の下品さを漂わせ、B級の毒っ気が人気につながっていました。

東亞の方を見ると、何と云ってもそのミチの大家は原駒子で、彼女の荒行は映画界の名物の一ツ。その愛欲行脚は各雑誌各紙に競争の様に発表されたから今更此処に描かなくともご承知であろう。

『デカメロン』

当時から噂話や憶測に尾ひれをつけた下種なゴシップが広まっていた様子も分かります。それだけの妄想を掻きたてる魅力を持った女優さんでもあったのでしょう。

[JMDB]
p0096660

[IMDB]
nm0361677

[誕生日]
2月26日

木下 双葉 (1910 – 1938)

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

本名光田貞子。明治四十三年東京市本所區に生る。舞臺より映畫に轉じ、昭和四年東亜キネマに入社す。主なる近作は「競艶刺靑草紙」「悲戀比翼塚」等。身長五尺二寸、體重十二貫八百目。趣味は讀書と映畫。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』(1931年)

サイン帖の最終ページに残されたもので、1931年元旦の日付が残されています。

東亜キネマの後期、同社の大型時代劇『美男葛』でデビューを果たした女優さんです。2作目は『右門捕物帖』と着実にキャリアアップ。凛とした和装が良く似合っており、東亜ですぐに原駒子に次ぐ人気女優となりました。

若手人気男優の阿部九洲男と結婚、大都映画に夫婦で合流し多くの作品で共演を果たしていきますが、1938年に撮影中に倒れそのまま若くして亡くなっています。

戦後まで生きていれば別なキャリアも開け映画史に名を残したのではないかと思われる女優さんです。

[JMDB]
p0358640

[IMDB]
nm2488797

[誕生日]
8月9日