光川 京子(1918 – ?)

「日本 [Japan]」より


若き日の榮えよ、めでたさよ!この一句を光川京子の讃とする。當年わづかに十七歳の京子の、現在の人氣はどうだろう!『お駒ちやん』といふ名で、蒲田撮影所員んみんなから可愛がられてゐるが、この名こそ第一囘作品『初戀と与太者』の京子の役名だつたのである。輝かしいスター生活は、實にこの處女作から始まつたのである。ちよつとユーモアが感じられるのは、清楚な京子が、甚だ肉類を好むことである。牛込に生れて赤坂に育ち、氷川小學校に通ひながら長唄と三味線に精進した。これが爲め京子は純日本風の娘に仕あげられたので、蒲田に入つてまだ三年(昭和六年十一月二十一日入社)だが、早くもあの人氣を克ち得たのである。若き日の榮え!

『最新映画大鑑』
(1934年8月、冨士9月號附録)


[JMDb]
光川 京子

[IMDb]
Kyôko Mitsukawa

[出身地]
日本(東京)

[サイズ]
13.5 × 8.5 cm

浅間 昇子(1910 – 1973)

「日本 [Japan]」より


本名瀧澤昇子。明治四十五年東京市赤坂區に生る。靑山女學校修業。大正八年帝國劇場にて初舞臺後引継ぎ舞臺にあり映畫界入りは大正十四年マキノ入社は昭和五年二月。娘役が得意、主な近作は「鴨川小唄」「光を求めて」「僞婚眞婚」等。身長五尺二寸。體重十一貫三百目。趣味は繪畫、三味線、讀書。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)


[JMDb]
浅間 昇子

[IMDb]
Shôko Asama

[出身地]
日本(東京)

[サイズ]
13.0 × 8.5 cm

ルートヴィヒ・トラウトマン(Ludwig Trautmann、1885 ‐ 1957)と『天馬』の記憶

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」より

Ludwig Trautmann 1910s Autographed Postcard

独逸のフイルムが上野みやこ座へ盛んに出た時分澤山にあらはれたブラウン探偵としてその顔は諸君の記憶に深ひことゝと思ふ。本誌十號にもこのことについて述べてあるから更に言ふ必要もない位である。この優の最もよく知られたのは彼の »天馬 » The Million Mine (Die Millionenmine) である。陸に海に地に空に到る所の活躍はこの俳優の右に出る者は先づ無いと云つて差支へない。自動車から自動車、橋から列車、船から船或は飛行機、乗馬、屋上の輕業、さては綱渡り等あらゆる危險は彼の前にも亦後にも類が無い。活劇俳優の第一指に數へられるとも決して大言ではあるまい、ルツドヴィツヒ・トラウトマン氏 (Herr Ludwig Trautmann)とは其人である、彼の出る劇は殆ど皆一つの作者を持つて居る、卽彼の活劇の考案者はハリー・ピール氏(Herr Harry Piel)で彼あると共に是等の劇に對する作者ピール氏あることを忘れてはならない。

「活劇及びその俳優:其二 ブラウン探偵」
(水澤武彦、『キネマ・レコード』収録、1915年2月号)


『天馬(てんば)』(ヴァイタスコープ社の作ルドウイツヒ・トロウトマンの演じたブラウン、探偵劇の中で最も成功したものです。戰前独逸探偵活劇の隆盛は此の映画の出現に依つて初まりました。)此の映畫程客を呼んだ映畫はありません。餘り頭腦の明晰でない-と云つては失礼かも知れませんが事實だから仕方ありません-活動屋さんも、此の『天馬』のことだけは末に記憶して居ます。そのブラウン探偵事トラウトマン氏は現在自社を設けて居ます。

「独逸映畫界の今日此頃」 (鈴木笛人、
『活動花形改題 活動之世界 7月号』収録、1921年)


この年の忘れ難い寫眞として「フアントマ」(佛エクレール社連續寫眞)又はトラウトマン氏の「天馬」又は「名馬」「第二天馬」といつた、劇を舉げて置く。

「映畫十年」(石上敏雄、
『映畫大観』収録、1924年、大阪毎日新聞社)


活劇の幕は独逸映畫の『天馬』によつて切つて落され、独逸活劇の花形としてルドウイヒ・トラウトマンが人氣を背負つて立つた。併しトラウトマン以前にもヨセフ・デルモントの如きがあつて、エルコ會社から『夢か眞か』『秘密』などの探偵活劇を出し、その軽妙な離れ業に可なり價値を認められたこともあつたが、トラウトマンが現はれてからは、全く姿を沒し、愈よこれから独逸活劇の全盛時代となり、トラウトマンの獨り舞臺に入つたのである。 […] その表情は無味乾燥であり、動作は殺伐であつたが、活劇そのものゝ目的は外にあるので、それ等の點で少しも價値を傷けることなしに、觀客はその冒險的演技を却てよろこび、輕快なる動作にすつかり酔はされた。『天馬』における彼がブラウン探偵としての活躍を見よ。陸に海に空に到るところに離れ業を演じて、手に汗を握らせた。船から船、橋から列車、自動車から自動車とあらゆる冒險に、前にも後にもトラウトマンの右に出づるものがない。『天馬』といふのは日本での改題で、原名は『ジ・ミリオン・マイン』(百萬圓の鑛山)である。その映畫が當つてから、あとで出來たコンチネンタル映畫の『夜の影の秘密』が『名馬』と改められ、またヴァイタスコープ映畫の『黑手組の末路』が『名馬續篇』と改まり、興行者の人氣取りから、標題を『天馬』に眞似たのが多く、終ひには『天空馬』といふやうな奇怪な名の映畫まで現はれてゐる。これで見ても、『天馬』が如何に人氣を取つたかゞ知れるであらう。

『欧米及日本の映画史』
(石巻良夫著、1925年、プラトン社)


スーパー8 『松竹8mmライブラリー 日本映画史 前編』
(監修:岩城其美夫、『天馬』特別説明:泉天嶺)

1914年公開のドイツ映画『天馬(てんば)』で探偵ブラウンを演じたのがルートヴィヒ・トラウトマンでした。

第一次大戦の開戦前後の日本ではドイツ映画ブームが起こっていて『天馬』はその火付け役のひとつでした。山本知佳氏による論文『日本におけるドイツ映画の公開』(日本大学文理学部人文科学研究所第97号、2019年研究紀要)によると、日本では1913年にドイツ映画の輸入が始まり(61作)、翌1914年に139作まで増えています。その後大戦の余波で公開数が激減。一年程度の流行ながら短期間に200作以上のドイツ作品が紹介されていたことになります。

盛り上がりを覚えている愛好家は一人ならずいて、1920年代以降も折に触れて『天馬』の名が上がっています。その内の幾つかをまとめてみました。本来ブラウン物ではない作品まで『第二天馬』や『名馬』、『名馬續篇』として紹介されていた様子が伝わってきます。

1910年代前半のドイツ映画としてはラインハルト劇団系統の作品(『ゴーレム』『プラーグの大学生』『奇跡』)に重点が置かれがちです。同時期の冒険活劇、探偵劇、メロドラマへの関心は低く、ライヒャー主演のウェブス物ハリー・ピール主演作がようやく評価され始めたのが現状です。オーストリアやスイス、フランスなど周辺国を見ても、1910年代に『天馬』やその周辺作品で盛り上がっていた国はありませんでした。

日本だけが異質な反応を見せていました。

リアルタイムで旺盛な言及対象となっていた。1920年代に昔話のネタとなり、半世紀後になおフィルムが残っていて、倉庫のどこかに今でも眠っているかもしれない…

作品全体を見ていないためこの状況をどう判断するか難しい所です。大したことのない作品を有り難がっていた可能性も零ではありません。逆に本国で見落とされていた良作を目ざとく見つけていた可能性だってある訳です。もし仮に後者だった場合、映画史的な「レフュジア」(本来生息していた地で絶滅した種が他の環境下で局所的に保存されている状態)が形成された、と見ることができると思います。


[IMDb:ルートヴィヒ・トラウトマン]
Ludwig Trautmann

[IMDb:『天馬』]
Die Millionenmine

[IMDb:『名馬』]
Der geheimnisvolle Nachtschatten

※『第二天馬』『名馬續篇』については現時点で未特定。後者は『黑手組の末路』の別タイトルから「Die schwarze Natter」ではなかろうかと当たりをつけています。

大正13~14年(1924~25年) 私家版・キネマ旬報合本(167~185号)を読む


1920年代中盤、大正末期に発行された167号から185号まで全19冊の『キネマ旬報』を合本にしたもの。

グラビアを重視しゴシップ記事も織りこんだ『活動倶楽部』や『活動画報』と異なり、『キネマ旬報』は網羅的な映画評を主とした構成となっていました。華やかさに欠け可読性は低いものの、データベースとしての使い勝手は他を寄せつけないレベルです。

第167号(1924年8月1日)  表紙:ポーラ・ネグリ
第168号(1924年8月11日) 表紙:メーベル・ノーマンド
第169号(1924年8月21日) 表紙:エステル・テイラー
第170号(1924年9月1日)  表紙:ベティ・コンプソン
第171号(1924年9月11日) 表紙:アリス・テリー
第172号(1924年9月21日) 表紙:ローラ・ラ・プラント
第173号(1924年10月1日) 表紙:ルドルフ・ヴァレンチノ
第174号(1924年10月11日) 表紙:ベビー・ペギー
第175号(1924年10月21日) 表紙:ローレット・テイラー
第176号(1924年11月1日) 表紙:グロリア・スワンソン
第177号(1924年11月11日) 表紙:ジャクリーヌ・ローガン
第178号(1924年11月21日) 表紙:ドロシー・マッケイル
第179号(1924年12月1日) 表紙:ロイス・ウィルソン
第180号(1924年12月11日)表紙:トム・ミックス
第181号(1925年1月1日)  表紙:ビーブ・ダニエルズ
第182号(1925年1月11日) 表紙:リリアン・ギッシュ
第183号(1925年1月11日) 表紙:メアリー・ピックフォード
第184号(1925年2月1日) 表紙:オッシ・オスヴァルダ
第185号(1925年2月11日) 表紙:アイリーン・プリングル

表紙を飾っているのはハリウッド女優を中心とした当時のスター俳優たち。1925年の新年号のみ多色刷りになっています。


内容を見ていくと、欧米作品としては1)ハリウッド新作(『バグダッドの盗賊』『椿姫』『幌馬車』『十戒』『ホワイト・シスター』『ボーケール』『ノートルダムの傴僂男』)に比重を置きつつ、2)数は少ないながらドイツ映画の大作路線(『阿修羅王国(ヘレナ)』『ジークフリート』)に心を奪われている様子が伝わってきます。3)フランス映画はほとんど紹介されていないのですが当時亡命ロシア映画人がパリで立ち上げたアルバトロス社が注目されていました。4)喜劇界ではチャップリンの制作ペースが落ちていた時期で、ロイド(『巨人制服』)やキートン(『荒武者』)が人気を博しています。


国内作品に目を転じると、日活・松竹・東亞・帝キネの4社がしのぎを削っている様子が伝わってきます。監督(溝口健二、伊藤大輔、清水宏、村田實…)の動静が丁寧に追われているのがキネマ旬報らしいと思いました。厳密には国内作品ではないものの、早川雪洲氏が渡仏して撮った『ラ・バタイユ』公開もこの時期に当たっています。


論考では「デヴィッド・ワーク・グリフィス(森岩男)」「アベル・ガンスの肖像(飯島正)」「滞米二年の私の生活(エルンスト・ルビッチ、田村幸彦訳)」など作家主義指向の力作が目立っていた感じです。


帝キネ撮影所は其後益々健全で、略一月足らず大阪芦邊劇場に於て舞臺實演に出演中であった蘆屋映画部の連中も再び撮影に着手し、活氣を呈して來た。(1924年8月167号「日本映畫欄」)


1924年夏〜25年初頭のキネマ旬報をまとめ読みしていて面白かったのは帝キネ分裂をめぐる経過報告です。小唄映画『籠の鳥』のヒットによって経営状況が上向き、大手から俳優やスタッフを大量に引き抜くも待遇の違いから古参組が反旗を翻し、最終的には三分裂(アシヤ/東邦)していく展開をとったものです。一連の経緯については別な資料(『欧米及日本の映画史』、石巻良夫、1925年)で読んだ覚えがありますが、『欧米及日本の映画史』はすでに完了した出来事を俯瞰的に追っているのに対し、キネマ旬報の情報は断片的ながら「今まさに内部抗争が起こりつつある」臨場感が伝わってきます。

立石駒吉氏入社と共に小阪撮影所の一大改革は行なはれ、近く各社より數名のスター監督が新たに入社する筈にて既に決定し足る者も少くはないが次號にてその詳細を確報すべし。(1924年10月173号)

[…] 帝キネに入社確定したる重なる俳優左の如し。
宮島健一氏。關操氏。横山運平氏。阪東妻三郎氏。瀨川路三郎氏。中村吉松氏。森静子孃。鈴木澄子孃。中村琴之助氏。(以上東亞キネマより。)中村太郎氏(松竹加茂より。)
尚監督としては松竹加茂に在りし、枝正義郎氏が入社した。
五月信子孃、梅村蓉子孃の入社説も專らなるがこれは未だ未定で確報は出來ない。(1924年10月175号)

[…] その後松竹日活より引抜いた監督及び俳優技師作者の確定した人達は左の如し。
細山喜代松氏。葛木香一氏、水島亮太郎氏、鈴木歌子孃、靑島順一郎氏(以上日活より。)
五月信子嬢、正邦宏氏、小澤得二氏、藤間林太郎氏(以上松竹蒲田より。)
髙木泰作氏、山下秀一氏、石川白鳥氏、原コマ子孃(松竹加茂より)
惡麗之助氏(東亞等持院より)。
右の如く素晴らしき陣容を整へた帝キネの今後の活躍こそ注目すべきであろう。(1924年11月177号)

[…] 松本泰輔氏一派及び松本英一氏市川百々乃助氏等は石井専務と行動を共にして斷然帝キネを退社する事を決議し連袂辭職を會社へ提出したがその眞相及び俳優名其他詳細は次號にて確報す。(1925年1月183号)

帝キネ撮影所對舊芦屋映畫一派の紛擾は遂に撮影所側の勝利となり、松本泰輔氏以下十數名の犠牲者を出だして解決するに至つた。退社した人々は左の通りである。
松本泰輔氏里見明氏濱田格氏以下數名。柳まさ子孃久世小夜子孃鈴木信子孃以下數名。市川百々乃助氏市川好之助氏市川瓢藏氏以下數名。(以上俳優)松本英一氏。(監督)佐藤靑秋氏。(作者)大森勝氏。(技師)等。
尚去就いづれかを注目されて居た歌川八重子孃澤蘭子孃は撮影所側に同意し居殘る事に決定。(1925年2月184号)


手元の合本で追われているのはここまで。『欧米及日本の映画史』では「十四年一月、一同は連袂退社の辭表を提出し、『芦屋映畫』といふ一派を起す計畫を進めたのであるが、會社はこれを以て背任行為と認め、松本泰輔以下十數名を進んで馘首した」(351頁)の一行で済まされている部分です。キネマ旬報のように具体的に個人名が挙げられているとずいぶん印象が変わってきます。例えば市川百々乃助、里見明&久世小夜子はそれぞれ時代劇、現代劇で初期帝キネを支えてきた功労者でした。そういった役者たちが問答無用で「馘首」された衝撃が生々しく伝わってくるのです。



それとは別に興味深かったのはこの前後のマキノ省三の動きです。1925年3月に直木三十五に手を貸す形で「聯合映畫藝術家協會」の立ち上げに関わった話は良く知られています。第一弾は澤田正二郎主演の『月形半平太』でしたが、実際には同年1月に公開された『國定忠次』がその布石の一つとなっていました。

舞台劇や文芸を通じて映画を「アート」に昇華する運動は様々な国の映画史で現れてくるもので、珍しい話ではありません。今回、キネ旬を読んでいて驚かされたのが『國定忠次』の前にもう一つ布石があったことです。

別項廣告の如く市川八百藏氏と守田勘彌氏も映畫を製作する。之は日米映畫社が配給するもので、八百藏氏は十二月九日から牧野省三氏の監督で第一回作品『お艶殺し』を撮影する筈。劇界の人々が續々と映畫の製作を始めたのは面白い現象と云はねば成らない。(1924年12月1日179号)


『お艶殺し』は何らかの理由で製作(又は配給)が中止になっています。キネ旬同号に掲載された「別項廣告」を見ると、製作は「日本聯盟映畫藝術協會」。翌年の「聯合」発足までに繰り広げられた紆余曲折の痕跡なのでしょうね。

1926~1935年 剣戟俳優映画 豆ブロミニコレクション

1926-35 various « kengeki » trading cards

10年近く前、国産無声映画の紙物で初めて手に入れたのがこの辺の豆ブロマイドでした。大正末期~昭和初期に九州で活動していた「活キチ」さんの旧蔵品がネットオークションに出品されていたのを発見、いずれも結構な勢いで落札されていました。1セット確保できましたが正直当時は自分でも何を手に入れたのかよく分かっていなかったです。

今回『孔雀の光(前編)』の説明本の紹介にふと思い出して引っ張り出してきました。1926〜35年にまたがる内容でアイドル感キラキラ時代の河部五郎、紙物にあまり恵まれていない佐々木清野嬢辺りの珍しい物が含まれています。


1)『孔雀の光』(1926年、マキノプロダクション・御室、沼田紅緑監督、市川右太衛門主演)

[JMDb]
孔雀の光 前編

[IMDb]
Kujaku no kikari – zenpen [sic]


2)『修羅八荒』(1926年、松竹・蒲田、大久保忠素監督、森野五郎主演)

[JMDb]
修羅八荒 第一篇

[IMDb]


3)市川百々之助(1926年頃、作品名不詳)


4)『月形半平太』(1926年、日活・大将軍、高橋寿康監督、河部五郎主演)

[JMDb]
月形半平太

[IMDb]
Tsukigata hanpeita


5)『素浪人』(1926年、阪妻プロ、志波西果監督、阪東妻三郎・森静子・佐々木清野他出演)

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素浪人

[IMDb]
Suronin


6)『八剣飛竜』(1929年、日活・太秦、池田富保監督、澤田清主演)

[JMDb]
八剣飛竜

[IMDb]


7)『京洛浅春譜』(1935年、千恵プロ、西原孝監督、片岡千恵蔵・歌川絹枝他出演)

[JMDb]
京洛浅春譜 同志闘争篇

[IMDb]


1931 – 大島印刷株式会社・活動文庫(その一)『野に叫ぶもの』(松竹、島津保次郎監督)

1931-no-ni-sakebu-mono-01

悌二(ていじ:鈴木伝明「あの海岸を埋立てられたら漁家二千人の生活はどうなると思ふ」
健(たけし:高田稔)「知らん」
悌二「二千人の人間を殺してまで君は金を儲けたいのか」
健「儲けたい」
悌二は云ふことを知らなかつた。そして呆れたやうに見つめた。
健「世の中は力だよ、強いものが勝つて弱いものが負けるのは當り前のことだよ」
悌二は福原のこの變つた樣に涙ぐましく健を見て淋しく微笑した。

かつて大学野球で同じチームに属し共に戦った北條悌二(鈴木伝明)と福原健(高田稔)。二人の父親もまたビジネスでのやりとりがあったが北條銀行の破産の余波を受け無一文となった福原健の父親(藤野秀夫)が自殺。不況の世界をどう乗り切っていくのか、意見の大きく分かれた親友は決別した。

二人が再開したのは6年後だった。弁護士となった悌二は弱い人々のために戦っていた。海岸の埋立計画で漁師たちが困っていると聞きその助けに乗り出したが、埋立賛成派として資金援助したのがかつての旧友の健であった…

佐藤紅緑の同名長編小説を元にした前後編仕立ての松竹現代劇。初期はスポーツ俳優として鳴らした鈴木伝明を上手く生かす大学野球のやりとりに始まり、中盤以降は傾向映画色を強めていきます。高田稔の妹に澤蘭子、鈴木伝明の妹に及川道子を配し、藤野秀夫や岩田祐吉、鈴木歌子のベテラン勢が物語を支えています。

淺草に拠点を置いていた「大島印刷株式会社」が手掛けた活動文庫の一冊。大きさはB7(13×9センチ)でページ数は16。以前に紹介した瀧本時代堂の説明本に似ていますが一回り小さいです。

[JMDb]
野に叫ぶもの 青春篇
野に叫ぶもの 争闘篇

[IMDb]
Noni sakebu mono seishunhen
Noni sakebu mono sotohen

[出版者]
大島金四郎

[出版]
昭和6年(1931年)9月10日

[フォーマット]
B7(13×9センチ)、16頁、スチル写真5枚含む

大正10年(1921年)『活動倶楽部』12月号

大正10年末に発売された『活動倶楽部』の12月号。冒頭は通常通りのグラビア。巻頭カラーはルイーズ・ラブリーで、メアリー・マイルズ・ミンター、ミルドレッド・ハリスなど当時日本でも人気の高かったハリウッド女優が並びます。

メイン企画が二つ。一つはアメリカ全土を騒がせていたロスコー・アーバックルによる若手女優過失致死事件。

[…] 直ちに當夜の嫌疑者と目すべきに充分なるアーバツクルに電報召喚状を發せるものなり。審問後ならざれば其死因を確かめ得られざれども記者の信ずる所によれば凌辱強姦の死因は疑ふに餘知なし。本事件は近來活動寫眞が我が米國に勢力を得たりし結果俳優連が益々有頂天になり社會に害毒を流しをり、はからずも今日彼等の極端な腐敗を社會に暴露せるものなり。

これを機會に我等ローサンゼルス市民は徹底的なる闡明を希望したし云々。(一九二一‐九‐十一日タイムス)

町の角の新聞賣りの少年等は『本日アーバツクル牢に入る』等と云ふ大聲の叫びを上げて居る。

「フアツテー女優殺しの眞相」ハリー・ウシヤマ

The Arbuckle Affair [Katsudou Kurabu 1921 Dec Iissue]
ファツテー女優殺しの眞相

「だがフアツテーは殺されない迄も死刑(リンチ)にされて了ふかも知れないぜ。桑港の人達は豪く興奮してゐると云ふからね…」のやりとりも紹介されています。事件発生から日が浅く情報が混乱している中、当初から映画を快く思っていなかった者たちが「それみたことか」の声を上げ、そうでない者までメディアに煽られ殺気立っている様子が伝わってきます。

katsudou-gahou-1920-december-issue-08

もう一つの企画は『活動倶楽部』発行人である森富太氏による『革新の時機臻る』と岡田宗太郎氏の『白日の下に曝されたる松竹キネマ』の2つの記事から成り立っています。

「革新の時機臻る」は映画誌が業界の内輪誉めをしている状況に危機感をいだき、ダメな物にはダメと言える編集方針に変えていきたい、という内容です。次の『白日の下に曝されたる松竹キネマ』が具体例となっていて、理論先行かつ採算を度外視した「素人」仕事が横行しているシステムを批判、小山内薫氏や村田實監督などを槍玉に上げていきます。次号でも「愈々(いよいよ)、筆鋒を進めて松竹キネマの内情を語」る旨の予告あり。

積み重なってきたものはあるのでしょうが特定の映画会社をピンポイントで攻撃するのは異例で、目に見えない何かの闇を感じます。

個々の記事で面白かったのが映画創始期から弁士として活動していた中川慶二氏による連載企画「活動寫眞今昔物語(其四)」。明治31年(1898年)頃の地方巡業の様子などが細かく綴られており、現場で奮闘していた人々の息遣いまで伝わってきそうな素晴らしい内容でした。

伊太利の國情は、由來日本と非常に類型的な傾向を持つて居ります。従つて両者の國民性には必ず、他に求め得られない共通點を多く享有する事を否定されないのです。[…] 

「あゝさらば さらば青春よ!」若樹華影

また1918年に公開されたイタリア映画『さらば青春(Addio giovinezza!)』の紹介記事。マリア・ヤコビニ主演、サイレント青春映画の秀作として知られている一作。Vimeoに置かれた抜粋動画は一見の価値があると思います。

イーフェン・アンデルゼン主演の『蛇身の舞』の評を見つけ、また谷崎潤一郎が制作した一連の映画では最後の作品となった大活作品『蛇性の婬』に触れた記事も収録されています。

1928 -『續水戸黄門』(池田富保)10枚綴り絵葉書セット

「池田富保 関連コレクション [Ikeda Tomiyasu Related Items]」 より

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昭和3年(1928年)に公開された日活オールスター作時代劇の販促品。

フィルムは一部現存していてDVD版も市販されています。二回見ていて、最初に見た時はよく分からなかったが正直な感想でした。面白い・面白くない、出来が良い・悪い以前の問題で、何をポイントに見ていいのか掴めないまま終わってしまった感じでした。

戦後TVドラマ版であれば水戸の御老公、助さん格さん等お馴染みのキャラを中心に勧善懲悪の予定調和を楽しむパターンが出来ています。同じ感覚で昭和3年版を見てしまうと外すのかなと思います。

絵葉書は10枚綴り。黄門一行(山本嘉一、河部五郎、尾上多見太郎)を中心としつつ他の役者も大きく扱われています。楠公の場面では久米譲と三枡豊が登場、海賊姿で啖呵を切る傅次郎の隣に梅村蓉子さんの姿があります。チンピラに絡まれているのは伏見直江さんで、酒井米子さんも町娘役で登場。黄門一行に難癖をつけてくる山賊には新妻四郎が扮しています。

当時の観衆もお気に入りの俳優の登場場面を心待ちにしていて一挙一動に盛り上がっていたのだと思います。その意味で典型的な日活オールスター時代劇。今の時点で完全版を見たら最初から最後まで楽しめる自信はあるのですが、この監督ならもっと高いレベルの映画を作る力があったのに、の複雑な思いも混じっています。

1929 – 森静子 昭和4年の年賀状

明けましてお芽出たう御座います
本年もどうぞ御ひゐきに……
昭和四年一月元旦
松竹キネマ京都撮影所
森 静子

未使用。葉書にしては薄手の紙質で全体に赤みがかった褪色が見られます。本文で複数のフォントを使用し「森静子」には1920年代後半に時折見られる独特の書体(澤村春子さん1927年暑中見舞いも同様)を採用しています。ハート型の小窓も本人がデザインした訳ではないでしょうが…「静ちゃんから年賀状がきた!」元旦にフアンが小躍りしていた様子が目に浮かびそうですね。

いつの間にやら2020年代。本年もよろしくお願いいたします。

1923年頃 – 豆ブロマイド 『原色版・松竹キネマ 第二集』(女優篇)

c1923 - 豆ブロマイド 『原色版・松竹キネマ 第二集』(女優篇)

以前に紹介済みの『手彩色版小型ブロマイド』より少し後、『白黒版小型ブロマイド』とほぼ同時期、『松竹花形キネマカード』の2、3年前に出版された豆ブロ集です。水谷八重子さんと五月信子さんが同じセットに含まれているのは珍しい、とか洋傘を和装にあわせるのが流行っていたのかと見てるだけで楽しくなってきます。

1923年頃 – 松竹キネマ 豆ブロマイド男優篇

今回投稿した『原色版・松竹キネマ』女優篇と同時期と思われる男優豆ブロマイド8枚。1920年代後半には鈴木傳明、岡田時彦と高田稔氏の三名が美形男優として人気を博し、30年頃に次世代俳優として登場した上原謙、佐野周二、佐分利信氏が「松竹三羽烏」として現代劇を支えていきました。

今回入手した豆ブロを見ると20年代前半でも岩田祐吉諸口十九勝見庸太郎の三氏が「プレ三羽烏」の位置付けで人気を得ていた様子が伺えます(この三氏はアイドル的な感覚でひとくくりにされるのは嫌がりそうですが)。他に一枚、松竹初期の子役として活躍された久保田久雄氏が含まれておりました。

岩田祐吉(直筆サイン)
諸口十九(直筆サイン)
勝見庸太郎(直筆サイン)…写真のみ登録

八雲恵美子/惠美子/理恵子 (1903–1979)

「日本 [Japan]」より

八雲恵美子サイン入り絵葉書
Yagumo Emiko Autographed Postcard

絵葉書&略歴

『姉ちやん、七時を打ちましたよ。』
『ウン、そう、もう五分間寝かして頂戴』
うつらうつらと夢路をたどる内亦々ミシミシと梯子段を踏む音にハツとして目を覺まし時計を見ると三十分經過、驚いてとび起き顔もそこそこに洗ひ御飯もおほいそぎで食べて家を出掛ける。撮影所に着いて助手さんに見つからないやうにと、そうつと裏の方を通つていつたが、俳優部屋の處でたうとう見つかつてしまつた。
『皆揃ひましたよ、あなた一人ですから早くお願いしますよ』
パラソルも袋も部屋にほうりこみ髪結部屋にとびこみ、早く早くと自分のおそくなつたのを棚に上げ髪結さんを一生懸命にせかせる。一時間あまりの後にはすつかり支度が出来あがる。
『もういつでも好いのよ』
と今度は涼しい顔。

「一日の仕事」 八雲恵美子
「スタヂオ日記」(『女性』誌 1927年10月号掲載)より

1929 yakumo emiko in fue no shiratama
『不壊の白珠』より

『不壊の白珠』(1929年、清水宏監督)での情感豊かな演技で記憶されている女優さん。1927年には柏美枝さんと二度共演(いずれも清水宏作品)、「スタヂオ日記」では柏さん目線の思い出も綴られていました。自分の文章ではズボラでおっちょこちょいな性格を強調していますが、実際は面倒見の良いしっかりした女性だったんでしょうね。

[JMDb]
八雲恵美子

[IMDb]
Emiko Yagumo

[出身地]
大阪府(大阪市)

[誕生日]
8月15日

[データ]
13.6 × 8.6cm

浦波 須磨子 (1909 – 没年不詳) & 千早 晶子 (1908 – 没年不詳)

「日本 [Japan]」より

Uranami Sumako & Chihaya Akiko Autographed Postcard
Uranami Sumako & Chihaya Akiko Autographed Postcard

本名浦波たま子。明治四十一年、東京市日本橋に生る。松竹樂劇部を出て永年舞臺に出演後昭和三年松竹京都撮影所に入社して現在。主な近作は「月形半平太」「天草四郎」「平出造酒」等々。妖婦役が得意。身長五尺二寸、體重十一貫。趣味は麻雀。

「浦波須磨子」『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

本名折部房枝。明治四十一年、大阪市に生る。髙等小學校卒業後松竹樂劇部に加はり、昭和元年六月松竹京都撮影所へ入社。主な近作は「血に叛くもの」「かたわ雛」「浪花かゞみ」等。身長四尺九寸、体重十貫六百目。娘役。趣味はダンス。

「千早晶子」『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDb]
浦浪須磨子

[IMDb]
Sumako Uranami

[出身地]
東京(日本橋)

[誕生日]
不明

[JMDB]
千早晶子

[IMDB]
Akiko Chihaya

[出身]
日本(大阪府 大阪市)

[生年月日]
9月27日

[データ]
8.3 × 13.3cm

1927年 『國民新聞 附録 現代俳優寫眞と名鑑』

1927-11-05 Kokumin Shinbun
« Contemporary Actors & Actresses » (Kokumin Shinbun Saturday Supplement, 5th Nov. 1927)

昭和2年(1927年)11月5日付の國民新聞の付録。

一面と四面は主に広告で占められており、日活の『砂絵呪縛』、松竹『海の勇者』(電氣館)、パラマウント社『決死隊』(邦楽座)、『通し狂言 忠臣蔵』(帝劇)などの宣伝が掲載されています。城戸四郎氏による「製作者の見た最近映畫の傾向」では剣戟、喜劇、傾向映画(「社會組織に對する問題を含んだ映畫」)と母性愛映画への言及がありました。

二・三面全体を使って俳優名鑑と成し192名を収録。二面は上から歌舞伎・新派・新劇・ハリウッド映画俳優となっていました。

三面は国内映画俳優で、松竹・日活・マキノ・帝キネ・東亞・阪妻・無所属・国外組の並びです。

俳優名鑑が掲載された日刊紙を入手したのは今回が初めてです。焼けや折れ、シミ、虫食いの跡など状態は良くないものの触るとボロボロ崩れてくるほどではなかったのが幸いでした。

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都賀 静子/靜子 (1912 – 没年不詳)

「日本 [Japan]」より

Tsuga Shizuko Autographed Postcard
Tsuga Shizuko Autographed Postcard

明治四十五年宇都宮に生る。五歳で河合武雄一派の『月魄』が初舞臺、映畫では國活を振り出しに松竹、東亞と轉々とし何れも重要な子役を勤め上げ更にマキノに移つて一躍スターとなつた。主演『戀の守備兵』『村へ來た呑氣者』『狼火』『鈴蘭の唄』等あり、最近では『愛しき彼』『消ゆる舟唄』に出演してフアンの好評を博している。まだ若いから相當に前途を嘱望されてゐるし本人も早く立派な女優になりたいと念じてゐる。好きなものは映畫、雑誌。嫌ひなものは蛇と蛙。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

昭和2年(1927年)2月23日の日付入り。裏面に「髙島千代」とあり、髙島栄一氏の親族の方が所有されていた一枚と思われます。

無声期のマキノ映画娘役として名を知られるようになりましたが1910年代後半から子役として活躍していた長いキャリアの持ち主でした。この後さらに東活~宝塚キネマへと流れていき30年代半ばに引退。戦後1960年前後に東映作品の老け役で短期間カムバックしていた記録が残っています。

[JMDb]
都賀 静子

[IMDb]
Shizuko Tsuga

[出身地]
日本

[誕生日]
5月18日

[データ]
8.5 × 13.5cm

南 光明(1895 – 1960)

「日本 [Japan]」より

Minami Koumei Autographed Postcard
Minami Koumei Autographed Postcard

本名鈴木光、明治三十年、東京市に生る。築地文海學校、立教中學。大原簿記商業科等に學び、大正九年松竹キネマ研究所に入り、蒲田スタヂオへ入社。マキノ入社は昭和三年五月。主な近作は「情恨」「次郎長旅日記」嵌り役は浪人者。身長五尺七寸體重十八貫五百目。趣味は旅行、野球、讀書等。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

以前に昭和15年(1940年)の残暑見舞いをご紹介済。

[JMDb]
南光明

[IMDb]
Kômei Minami

[出身地]
日本(東京市京橋区築地)

[誕生日]
6月30日

[データ]
8.5 × 13.5cm

石山 龍児 (1893 – 1973)

「日本 [Japan]」より

Ishiyama Ryuji Autographed Postcard
Ishiyama Ryuji Autographed Postcard

映畫俳優で知つてゐるのは蒲田の石山龍嗣だけである。それも役者として知つてゐるのではない。もう十何年も前、學生のときに偶然のことから知りあひになつて、いつしよに義太夫をききに行つたり文學論をたたかはしたりして、たいへん仲が良かつたのである。

そのころ石山龍嗣はまだ蒲田に入社してゐなかつたしどこにも勤めてゐなかつたので、下宿で暇さへあれば表情の研究をしてゐた。

[…] こないだ私は四谷の映畫館で日本もののトーキーを見て、石山君が醫者に扮し怪我をした少女を診察するところを見た。おちついてゐて厭や味がなく、人がらなところは実際の石山君の性格を見る思ひであつた。地味ではあるが蒲田では相当な俳優なのであらう。(十年七月)

「映畫と石山龍嗣」、井伏鱒二
『肩車』(昭和11年)収録

Ishiyama Ryuji in Arigatosan (1936)
『有りがたうさん』(1936年、清水宏)より
左から石山龍児、上原謙、桑野通子

[JMDb]
石山竜嗣

[IMDb]
Ryuji Ishiyama

[出身地]
青森県

[誕生日]
9月2日

[データ]
8.5 × 13.5cm

松井 千枝子 (1899 – 1929)

「日本 [Japan]」より

Matsui Chieko Autographed Postcard
Matsui Chieko 1920s Autographed Postcard

明治三十九年十二月四日東京淺草區駒形で生る。府立第一高女を卒へ舞臺協會に一寸加はり後東京シネマに走り『村の勇者』が處女映畫である。轉じて國活に移り松波美子と名乗り島田嘉七と共に人氣を博してゐた。大正十四年二月突如として妹潤子と松竹に入社し羽振りが好い。國活では『延命院のせむし男』でお仙。松竹では『コスモス咲く頃』『受難華』『地下室』『海人』『俄か馭者』『濡衣』『海の勇者』の主演があり、最近では自分の原作脚色『哀愁の湖』で妹潤子と共に出演し、芸妓千春に扮してフワンを騒がしてゐる。

純日本趣味の藝術的なシンミリしたものを好む。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

お風呂から上つて、涼んでゐると、高松榮子さんが這入つて來た。
「千枝子さん、どうしたんでせう、この頃ちつとも潤ちやん出て來ないけれど…病氣ぢやないかしら…」
「さあ、どうしたんでせうね」
「あたし、明日鎌倉行つてみるわ、もし病氣でもしてるといけないから」
「大丈夫よ、病氣なんかするもんですか、撮影は今無いしするから、海岸で遊んでるんでせうよ」
私は平氣でかうは云つたものゝ、この頃妹が怠けて居るのが心配でならないし、又腹立たしくもなる。
「暑いからねえ、でも…困るわね、ちつとも出て來ないんだから…」
何の氣なしに云つた高松さんの言葉が私の胸に針さゝれた樣に感じた。同じ地位にある女優さん達は一生懸命にせつせと通つてゐるのに、妹ばかりは呑氣な顔して遊んでゐる…苦闘をつゞけてこそはじめて最後の勝利は得られるものを、人は苦しまなければ駄目だと、常日頃考へてゐる私にも、たゞたゞ妹の心持がはがゆくて仕方がない。
早く秋になればいゝ、爽やかな涼風に身を浸して、しんみりとした撮影の出來る日が待ち遠しい。

「撮影所日記」(『女性』1927年10月号)

[JMDb]
松井千枝子

[IMDb]
Chieko Matsui

[出身地]
日本(東京)

[誕生日]
12月4日

[データ]
13.5 × 8.5cm

1970年代前後 スーパー8 『乱斗集』(マツダ映画社/村上プロダクション)

「阪東妻三郎関連」 & 「8ミリ 劇映画」より

1970s-ranto-shu00

別投稿で紹介した8ミリ版『旗本退屈男』と同じ出所のフィルムで、傅次郎・阪妻・長二郎・嵐寛・千恵蔵の剣戟を中心にした編集版。80年代にVHSで市販されていた『活弁トーキー版 乱闘場面集』の原型のような内容となっています。今回は全体の2/3程に当たる大河内と阪妻の登場場面を紹介。

『素浪人忠弥』(伊藤大輔、1928年)より。右から二枚目に山田五十鈴

『薩摩飛脚 東海篇』(伊藤大輔、1932年)より

『丹下左膳 日光の巻』(渡辺邦男、1936年)より。右上に高津愛子

『血煙高田馬場』(伊藤大輔、1928年)より。右から二枚目に市川春衛

鬼気迫る『素浪人忠弥』からスタイリッシュな『薩摩飛脚』(山中貞雄監督の剣光愛欲篇とされていますが実際は前年の伊藤監督・東海篇のようです)を挟み、代表作の丹下左膳へ。

『血煙高田馬場』は殺陣の組み立て方だけではなくやじ馬連中たちの表情の切り返しが見事です。日活の老け役として活躍された市川春衛さんが飲み屋の「お勘婆」役で良い味を出しています。

『かまいたち』(東隆史、1932年)より。右から二枚目に環光子

阪妻名場面集ではコントラストの効いた『かまいたち』が目を引きます。阪妻プロで短期間ヒロインを務めた環光子さんの妖艶さよ。

『阪本竜馬』は寺田屋襲撃場面。乱闘は9.5ミリ版より若干尺が長く近藤勇との対決の前の場面が含まれています。殺陣を最小限に抑えた9.5ミリ版編集が独特だったのかな、など比べていくと色々考えさせられます。

『坂本竜馬』(枝正義郎、1928年)より。一番左森静子

情報の正確さやコンテンツの豊さでVHS版に軍配が上がるものの、コマ単位で見えてくる発見があるのが良いですね。

大河内傅次郎場面集
血煙荒神山
素浪人忠弥
薩摩飛脚
丹下左膳 日光の巻
水戸黄門 来国次の巻
血煙高田馬場

阪東妻三郎場面集
燃える冨士
かまいたち
開化異相
坂本竜馬

林長二郎傑作集
辨天小僧
侠客春雨傘
雪之丞変化
旅の陽炎
喧嘩鳶
鳥辺山心中

嵐寛寿郎傑作集
鞍馬天狗
右門一番手柄 南蛮幽霊
鞍馬天狗 江戸日記

片岡千恵蔵
放浪三昧

[フォーマット]
スーパー8 白黒 無声 1200ft
提供:マツダ映画社
編集:村上プロダクション

結城 一朗 (1904 – 1988)

「日本 [Japan]」より

<Yuki Ichiro Autographed Postcard

本名松崎一郎。明治卅七年東京に生る。原籍は長野縣。日本大学美學科に學び大正十三年松竹蒲田へ入社、後一時松竹を去つて大正十五年十一月再度蒲田の人となる。主な近作は「微笑む人生」「巨船」等。身長五尺六寸。體重十七貫。趣味はスポーツ、麻雀。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDb]
結城一郎

[IMDb]
Ichirô Yûki

[出身地]
日本(東京)

[誕生日]
7月20日

[データ]
8.5 × 13.5cm