ヘッダ・ヴェルノン Hedda Vernon (1886 – 1925) 独

ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]より

Hedda Vernon 1916 Autographed Postcard

親愛なるお嬢様、残念なことに貴女がサイン用に送ってくださった絵葉書をどこかにやってしまいました。代わりにこちらを送りますのでお受け取りくださいませ。 ヘッダ・ヴェルノン

Mein liebes Fräulein, leider habe ich Ihre Karte, die Sie mir zur Unterschrift sandten, verlegt. Nehmen Sie bitte Diese dafür. Mit herzlichem Gruß. Hedda Vernon

消印は1916年(大正5年)の10月23日。宛先はヘンケ・ステグリック(Henke Steglik)嬢でしょうか。メッセージ面には5行の手書き文章と署名。「どこかにやってしまいました」は方便で、この時点で一番プロモーションに適した絵葉書に「差し替えた」が正しいのだろうなとは思います。

「どうやって映画(界)に入ってきたのか?」

徒歩で、でしょうか。今でも覚えているのですがとても遠かったです。やっとたどり着いたと思ったら監督さんに「遅刻だぞ」と怒られてしまって。指示で何か演技をすればさらに罵られる始末。映画が上映された時にお客さんから大きな拍手が挙がって、監督さん曰く「君には才能がある!」。日記に「来た、見た、勝った(Veni, vidi, vici)」って書いてやりました。

ヘッダ・ヴェルノン・インタビュー
『映画界の女性たち』(1919年)

„Wie ich zum Film kam?“

Per Beine; und ich erinnere mich noch, daß es sehr weit war. Und als ich schließlich da war, schimpfte der Regisseur, weilich zu spät kam; und als ich ihm was vorspielte, schimpfte er noch mehr; und als der Film heraus kam, klatschte das Publi­kum, und der Regisseur sagte: » Hedda, Sie sind ein Talent!« – Und ich schrieb in mein Tagebuch: »Veni, vidi, vici.«

Hedda Vernon Interview
in « Die Frau im Film » (Altheer & Co., Zürich, 1919)

リヒトビルト・ビューネ誌1913年8月第34号広告

1913年にドイツで国産犯罪活劇が流行し始めた時、ハリー・ピール監督、ルートヴィヒ・トラウトマン主演のケリー・ブラウン連作のヒロインに抜擢され、このジャンルで最初にアイドル的人気を博したのがヘッダ・ヴェルノンでした。『天馬』の邦題で知られる « Die Millionenmine » でヒロイン役を務めたこともあって1914年頃の日本の映画愛好家にも名を知られていました。

リヒトビルト・ビューネ誌1914年3月第12号より『天馬』広告

キネマトグラフ誌1915年7月号広告

1914年に自身の名を冠した映画製作会社を立ち上げて独立。その後はアイコ映画社を中心に、夫でもあるフーベルト・メスト監督作品に多く出演。恋愛物、喜劇、歴史劇など様々なジャンルの作品に出演しています。1910年代中頃からは若手の突き上げを受けて人気面で伸び悩むものの、ドイツ活劇ジャンルの先駆けとして「別枠」の扱いを受けており10年代末頃まで自身の名前を前に出して一線での活躍を続けました。

Hedda Vernon in Die Neue Kino Rundschau (1919-03-30)

1919年、アイコ映画社の 自社俳優紹介広告欄より (ノイエ・キノ・ルンツシャウ誌1919年3月30日)

1920年代になると脇役に回る機会も増えてきます。それでも1921年にはメスト監督の『レディ・ゴディバ』に主演、英テニスンの詩を元にした同作は合衆国でも公開されました。

1922年、『レディ・ゴディバ』米公開時の広告

1925年に亡くなった後は再評価の機会がないまま忘れられていくのですが、2018年にボローニャ復原映画祭の「一世紀前の映画」企画で主演作『Puppchen』(1918年)復原版の上映記録が残っています。

[IMDb]
Hedda Vernon

[Movie Walker]
ヘッダ・ヴェルノン

[出身地]
ドイツ

[サイズ]
13.6 × 8.7cm

1914 – 『天馬』説明断章 (ハリー・ピール監督、特別説明・泉天嶺)スーパー8『日本映画史・前篇』より

しばし、彼女の残した白墨の跡をつたいながら
五十四番街に参りました青年フランク。
見上ぐれば、その窓に手錠をはめられたメリーの姿
「メリーさん、心配は要らない。
あの窓から、あなたの部屋へ天の架け橋をして
あなたの許へ参りますよ」
「えぇ、早くして頂戴、早く」

フランク青年は一大冒險を物ともせず
天の架け橋、渡るが早いか
彼女の部屋へ踊りこんだのであります。

二人がジャツクの部屋に姿を現はした時、
無念や、どんでん返しの巧妙なる手段によつて
悪漢はいち早く逃れ去つた。
「しまつた」

悪盛んなれば天に勝つ、
天定まつて[…]する星は
いつ彼等両者に与へられることでありましょうか。
今週上映全巻の終りであります。

スーパー8『日本映画史・前半』に収録されている泉天嶺氏による『天馬』の語り。SP盤等、他での音源化はされていないようです。

冒頭、題字のかぶさっている部分ではブラウン探偵(ルートヴィヒ・トラウトマン)の足が映し出されています。拐かされたエレン(ヘッダ・ヴェルノン)が残した白墨を追って54番街へと到着。建物を見上げると窓には女の姿。探偵は向かいの建物から板を渡し、狭い足場を渡って女のいる部屋に飛びこみます。続いて悪漢捕縛に向かうのですが察知した敵はからくり仕掛けの通路を使って逃走、部屋を爆破(あるいはガスで毒殺?)し探偵たちを抹殺しようとします。危機を感じた探偵は窓の下を通りかかったバスの二階に飛び降り、エレンを促して飛び降りてきたその体を受け止め無事敵地からの脱出に成功する…という件です。

1917-22 忘れじの独り花(20)リア・レイ Lya Ley (1899 – 1992) 墺

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Lya Ley c1920 Autographed Postcard
Lya Ley c1920 Autographed Postcard

幼いころから女優に憧れ、15歳でベルリンの劇場の舞台に立ちます。俳優パウル・ハイデマンの勧誘で映画に参入、戦中の1916年、フランツ・ホーファーの軽喜劇の娘役として女優業のスタートを切りました。多数のホファー作品に出演を続ける傍ら、1917~18年にかけてエイコ映画社でミステリー作品にも挑戦し芸風と人気を広げていきます。

Lya Ley in H. Moest's Die Goldprinzessin (1918-04)
独エイコ社による『黄金姫』紹介記事。ニック・カーター探偵物をドイツ舞台で翻案したミステリー作品です。1918年4月8日キノベジッツァー誌より

終戦前後の人気は高かったようでKOWO映画社が彼女の名を冠した「リア・レイ軽喜劇シリーズ」を企画、『結婚済の独身者』等を含む8作で主演を果たしています。

1919年を最後に長らくフランツ・ホーファー監督の元を離れ、その後僅か数作を撮ったのみで1922年に映画界を離れています。1919年に出版された『映画の女たち』インタビューでは女優業を楽しんでいる様子が伝わってきていたため唐突なキャリアの終焉ではありました。

[IMDB]
Lya Ley
[Movie Walker]

[誕生日]
10月19日

[出身]
オーストリア・ハンガリー/チェコ (オパヴァ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Film-Sterne 179/2. Becker & Maass. Berlin-W.9. phot.