1930年代中盤 – 9.5mm 『ニーベルンゲン 第一部:ジークフリード』(1924年) & 『メトロポリス』(1926年)独パテックス版予告編

「フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]」より

« Nibelungen » & « Metropolis »
c1933 German Pathex 9.5mm trailer


1933〜34年頃、独パテックス社がプロモの為に制作した9.5ミリ版の予告編。

ちょうど昨年の今頃、古い映写機をベースに9.5ミリ専用スキャナーの制作を行っていました。この際、解像度を確認していくサンプルに使用していたのこの予告編でした。コマ数がそこまで多くないため扱いやすかったのと、自分自身のモチベーションを上げるのにちょうど良かったのかなと思います。

綺乃九五式はその後レンズ回りを中心に改良を加えています。どのくらい画質が向上したのか確認してみました。

まずは『ニーベルンゲン 第一部:ジークフリートの死』から。左が2019年10月9日にラズパイカメラのV2を使ってスキャンした画像。右が2020年9月5日にラズパイHQカメラで同一フレームをスキャンした画像です。

昨年スキャンを行った際は、光の散らし方が上手くいっておらず画面右に明るい個所がまだら状に発生、文字が滲んでいました。今回のスキャンではその欠点が修正されています。

またHQカメラに切り替えたことで解像度が向上、細やかな濃淡をシャープに撮影することができるようになっています。主人公の腰の辺りを拡大してみました。

汚れや傷もクリアになっているのが分かります。

ニーベルンゲン予告編の最後のショットと、『メトロポリス』予告編の最初の場面。どちらも縦線が強調された構図です。旧スキャンにはわずかながらレンズの「歪み」があります。いわゆる「球面収差」に関わる話で、右のHQカメラの方が縦横の直線を正確に描写できています。

新スキャンの方では肌のグラデーションが自然に再現されています。

映写機で投影した画像と比べれば旧スキャンでも十分にシャープな映像だとはいえます。ラズパイHQカメラは一段階アップグレードされていて目標に一歩近づいた気がします。後はノイズ除去や修復力勝負ですね


大正13~14年(1924~25年) 私家版・キネマ旬報合本(167~185号)を読む


1920年代中盤、大正末期に発行された167号から185号まで全19冊の『キネマ旬報』を合本にしたもの。

グラビアを重視しゴシップ記事も織りこんだ『活動倶楽部』や『活動画報』と異なり、『キネマ旬報』は網羅的な映画評を主とした構成となっていました。華やかさに欠け可読性は低いものの、データベースとしての使い勝手は他を寄せつけないレベルです。

第167号(1924年8月1日)  表紙:ポーラ・ネグリ
第168号(1924年8月11日) 表紙:メーベル・ノーマンド
第169号(1924年8月21日) 表紙:エステル・テイラー
第170号(1924年9月1日)  表紙:ベティ・コンプソン
第171号(1924年9月11日) 表紙:アリス・テリー
第172号(1924年9月21日) 表紙:ローラ・ラ・プラント
第173号(1924年10月1日) 表紙:ルドルフ・ヴァレンチノ
第174号(1924年10月11日) 表紙:ベビー・ペギー
第175号(1924年10月21日) 表紙:ローレット・テイラー
第176号(1924年11月1日) 表紙:グロリア・スワンソン
第177号(1924年11月11日) 表紙:ジャクリーヌ・ローガン
第178号(1924年11月21日) 表紙:ドロシー・マッケイル
第179号(1924年12月1日) 表紙:ロイス・ウィルソン
第180号(1924年12月11日)表紙:トム・ミックス
第181号(1925年1月1日)  表紙:ビーブ・ダニエルズ
第182号(1925年1月11日) 表紙:リリアン・ギッシュ
第183号(1925年1月11日) 表紙:メアリー・ピックフォード
第184号(1925年2月1日) 表紙:オッシ・オスヴァルダ
第185号(1925年2月11日) 表紙:アイリーン・プリングル

表紙を飾っているのはハリウッド女優を中心とした当時のスター俳優たち。1925年の新年号のみ多色刷りになっています。


内容を見ていくと、欧米作品としては1)ハリウッド新作(『バグダッドの盗賊』『椿姫』『幌馬車』『十戒』『ホワイト・シスター』『ボーケール』『ノートルダムの傴僂男』)に比重を置きつつ、2)数は少ないながらドイツ映画の大作路線(『阿修羅王国(ヘレナ)』『ジークフリート』)に心を奪われている様子が伝わってきます。3)フランス映画はほとんど紹介されていないのですが当時亡命ロシア映画人がパリで立ち上げたアルバトロス社が注目されていました。4)喜劇界ではチャップリンの制作ペースが落ちていた時期で、ロイド(『巨人制服』)やキートン(『荒武者』)が人気を博しています。


国内作品に目を転じると、日活・松竹・東亞・帝キネの4社がしのぎを削っている様子が伝わってきます。監督(溝口健二、伊藤大輔、清水宏、村田實…)の動静が丁寧に追われているのがキネマ旬報らしいと思いました。厳密には国内作品ではないものの、早川雪洲氏が渡仏して撮った『ラ・バタイユ』公開もこの時期に当たっています。


論考では「デヴィッド・ワーク・グリフィス(森岩男)」「アベル・ガンスの肖像(飯島正)」「滞米二年の私の生活(エルンスト・ルビッチ、田村幸彦訳)」など作家主義指向の力作が目立っていた感じです。


帝キネ撮影所は其後益々健全で、略一月足らず大阪芦邊劇場に於て舞臺實演に出演中であった蘆屋映画部の連中も再び撮影に着手し、活氣を呈して來た。(1924年8月167号「日本映畫欄」)


1924年夏〜25年初頭のキネマ旬報をまとめ読みしていて面白かったのは帝キネ分裂をめぐる経過報告です。小唄映画『籠の鳥』のヒットによって経営状況が上向き、大手から俳優やスタッフを大量に引き抜くも待遇の違いから古参組が反旗を翻し、最終的には三分裂(アシヤ/東邦)していく展開をとったものです。一連の経緯については別な資料(『欧米及日本の映画史』、石巻良夫、1925年)で読んだ覚えがありますが、『欧米及日本の映画史』はすでに完了した出来事を俯瞰的に追っているのに対し、キネマ旬報の情報は断片的ながら「今まさに内部抗争が起こりつつある」臨場感が伝わってきます。

立石駒吉氏入社と共に小阪撮影所の一大改革は行なはれ、近く各社より數名のスター監督が新たに入社する筈にて既に決定し足る者も少くはないが次號にてその詳細を確報すべし。(1924年10月173号)

[…] 帝キネに入社確定したる重なる俳優左の如し。
宮島健一氏。關操氏。横山運平氏。阪東妻三郎氏。瀨川路三郎氏。中村吉松氏。森静子孃。鈴木澄子孃。中村琴之助氏。(以上東亞キネマより。)中村太郎氏(松竹加茂より。)
尚監督としては松竹加茂に在りし、枝正義郎氏が入社した。
五月信子孃、梅村蓉子孃の入社説も專らなるがこれは未だ未定で確報は出來ない。(1924年10月175号)

[…] その後松竹日活より引抜いた監督及び俳優技師作者の確定した人達は左の如し。
細山喜代松氏。葛木香一氏、水島亮太郎氏、鈴木歌子孃、靑島順一郎氏(以上日活より。)
五月信子嬢、正邦宏氏、小澤得二氏、藤間林太郎氏(以上松竹蒲田より。)
髙木泰作氏、山下秀一氏、石川白鳥氏、原コマ子孃(松竹加茂より)
惡麗之助氏(東亞等持院より)。
右の如く素晴らしき陣容を整へた帝キネの今後の活躍こそ注目すべきであろう。(1924年11月177号)

[…] 松本泰輔氏一派及び松本英一氏市川百々乃助氏等は石井専務と行動を共にして斷然帝キネを退社する事を決議し連袂辭職を會社へ提出したがその眞相及び俳優名其他詳細は次號にて確報す。(1925年1月183号)

帝キネ撮影所對舊芦屋映畫一派の紛擾は遂に撮影所側の勝利となり、松本泰輔氏以下十數名の犠牲者を出だして解決するに至つた。退社した人々は左の通りである。
松本泰輔氏里見明氏濱田格氏以下數名。柳まさ子孃久世小夜子孃鈴木信子孃以下數名。市川百々乃助氏市川好之助氏市川瓢藏氏以下數名。(以上俳優)松本英一氏。(監督)佐藤靑秋氏。(作者)大森勝氏。(技師)等。
尚去就いづれかを注目されて居た歌川八重子孃澤蘭子孃は撮影所側に同意し居殘る事に決定。(1925年2月184号)


手元の合本で追われているのはここまで。『欧米及日本の映画史』では「十四年一月、一同は連袂退社の辭表を提出し、『芦屋映畫』といふ一派を起す計畫を進めたのであるが、會社はこれを以て背任行為と認め、松本泰輔以下十數名を進んで馘首した」(351頁)の一行で済まされている部分です。キネマ旬報のように具体的に個人名が挙げられているとずいぶん印象が変わってきます。例えば市川百々乃助、里見明&久世小夜子はそれぞれ時代劇、現代劇で初期帝キネを支えてきた功労者でした。そういった役者たちが問答無用で「馘首」された衝撃が生々しく伝わってくるのです。



それとは別に興味深かったのはこの前後のマキノ省三の動きです。1925年3月に直木三十五に手を貸す形で「聯合映畫藝術家協會」の立ち上げに関わった話は良く知られています。第一弾は澤田正二郎主演の『月形半平太』でしたが、実際には同年1月に公開された『國定忠次』がその布石の一つとなっていました。

舞台劇や文芸を通じて映画を「アート」に昇華する運動は様々な国の映画史で現れてくるもので、珍しい話ではありません。今回、キネ旬を読んでいて驚かされたのが『國定忠次』の前にもう一つ布石があったことです。

別項廣告の如く市川八百藏氏と守田勘彌氏も映畫を製作する。之は日米映畫社が配給するもので、八百藏氏は十二月九日から牧野省三氏の監督で第一回作品『お艶殺し』を撮影する筈。劇界の人々が續々と映畫の製作を始めたのは面白い現象と云はねば成らない。(1924年12月1日179号)


『お艶殺し』は何らかの理由で製作(又は配給)が中止になっています。キネ旬同号に掲載された「別項廣告」を見ると、製作は「日本聯盟映畫藝術協會」。翌年の「聯合」発足までに繰り広げられた紆余曲折の痕跡なのでしょうね。

1920年代後半 – 『ニーベルンゲン』 絵葉書16枚(独ロス出版社)

「フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]」より

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1920年代の後半、独のロス出版社からフリッツ・ラング監督作『ニーベルンゲン』二部作の絵葉書セットが発売されていました。同社カタログナンバーで言うと:

672(8枚): 第一部『ジークフリート』主要人物紹介
673(6枚): 第一部『ジークフリート』名場面集 その一
675(9枚): 第一部『ジークフリート』名場面集 その二
676(5枚): 第二部『クリームヒルトの復讐』主要人物紹介
677(8枚): 第二部『クリームヒルトの復讐』名場面集
678(4枚): 第一部『ジークフリート』龍との闘い

が一連のシリーズとなっています(ドイツの絵葉書屋さんのHPに全画像あり)。単体で見ると珍しい訳ではなく一枚5~10ユーロ程度(700~1500円位)で取引されているのが常です。ただし枚数が多いためフルコンプ(40枚)が難しく良い状態での全数セットは4万円程度に値段が跳ねあがっています。

今回手に入れたのはこの内673と675からの13枚と672から2枚、678から1枚を合わせた16枚。第一部『ジークフリート』を好きな方が保管されていたセットのようで実使用された1枚を除くと非常に良いコンディションで届きました。

ゲルダ・マウルス Gerda Maurus (1903 – 1968) 墺

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」「フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]」より

Gerda Maurus Autographed Postcard
Gerda Maurus Autographed Postcard
1920年代後半、フリッツ・ラング作品のヒロインに抜擢され『スピオーネ』『月世界の女』の二作で鮮烈な印象を残した女優さん。

Gerda Maurus Autographed Postcard 2

頬骨の高さに挑発的な眼差し、同時代の他の女優と一線を画すシャープな雰囲気を漂わせていました。ラング作品以外の出演作ではフワッとした優しい空気なので落差に驚かされたりもします。トーキー移行後は次第に脇役に回り、戦後に至るまで女優活動を続けていました。

Gerda Maurus in Frau im Mond
『月世界の女』(Frau im Mond、1929年)
Gerda Maurus in Vier junge Detektive
『ちびっこ探偵五人衆』( Vier junge Detektive、1949年)
[IMDb]
Gerda Maurus

[Movie Walker]
ゲルダ・マウルス

[出身地]
オーストリア (ブライテンフルト)

[誕生日]
8月25日

[データ]
・Ross Verlag 3569/2 Fritz Lang-Film
・Ross Verlag 4254/1 UFA 「リシャール・フリペ氏 Richard Frippé」宛の献辞入り

[サイズ]
・8.9 × 13.8 cm
・8.8 × 13.6 cm