ルイーズ・グラウム Louise Glaum (1888 – 1970) 米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Louise Glaum Autographed Photo
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一千九百十五年は米國の映畫界が一時に隆盛に赴いた年であるが、嬢が映畫劇女優として初めてパセ會社に這入つたのも實に此年の事であつた。同社に暫らく止まつて居て、やがてトライアングル會社に移つたが、其處では専らトーマス・インス氏の厳格な監督の下に映畫を制作した。一昨年富士館に上場された「佛国士官」も、今年電氣館に上場された「蠻地の奇傑」も皆この社の作である。

同社を退いてからはパラルタ會社に現はれる事となつた。その第一回の作品は「外敵」と云つて、ワレーズ・ヲースレー氏の監督に依つたもの先ごとキネマ倶樂部に上場された。第二回目は「桎梏」第三回目は「華燭の典」第四回目は「女のいましめ」

嬢は、フォックス會社におけるセダ・バラ嬢やヴァージニア・パーソン嬢のやうに、妖婦役を第一の得意にして居る。實際、嬢の妖艶な微笑の裡には、恐ろしい妖女の面影が認められる。その瞳の裡には、マドンナのそれのやうに一種の崇高な輝きがあるけれども、それに反して唇の邊には、もの凄いやうな蠱惑の色が漂つて居る。毒蛇が渦輪を巻いたやうな髪の毛は、その時々の光線の調子に依つて或ひは嫋やかな暗褐色を呈し、或ひは魔界に燃える炎の輝きを示す。天稟の素質から云つても、嬢は妖婦役に最も適して居ると云つて好い。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

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ザ・タイムス紙1916年4月10日付より。妖婦役として定着してきた時期の紹介記事。
1917-03-11-ct-louise-glaum
シカゴ・トリビューン紙1917年3月11日付より。インス・トライアングル社期。