ローズマリー・セビー Rosemary Theby (1892 – 1973) 米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Rosemary Theby 1910s Autographed Photo
Rosemary Theby 1910s Autographed Photo

ローズマリー・セビー嬢はセントルイスで生れサージェント演劇学校にて教育を受けた。映畫女優歴の皮切りはユニヴァーサル社であり、同社にて「女が多すぎる」「ボストン・ブラッキーのお友達」「予期せぬ場所」など数多の作品に出演した。アートクラフト社やメトロ映畫社作品にも出演し、現在はメイフラワー印の映画社に所属。趣味は屋外スポーツ全般で、とりわけ水泳に堪能である。嬢は身長五尺五寸、體重十五貫、焦茶色の髪に榛色(はしばみいろ)の瞳を有し、つとに愛書家である。

「銀幕名鑑(Who’s Who on the Screen)」
1920年

Rosemary Theby in Who's Who on the Screen (1920)
Rosemary Theby in Who’s Who on the Screen (1920)

「銀幕名鑑」でユニヴァーサルで女優業を始めたとありますが、同社との契約(1915年)以前からヴァイタグラフ社の短編に多く主演・助演を重ねてきた長いキャリアの女優さんです。

Rosemary Theby in The Bachelor's Baby, or How It All Happened (1913)
『The Bachelor’s Baby, or How It All Happened』
(1913年、ヴァイタグラフ社)より

早くから性格俳優の実績を積み上げていき、喜劇から社会派ドラマまで芸域を広げていきます。1918年のグリフィス作品『偉大なる愛』と1920年のハウディニ主演冒険譚『恐怖島』での助演、1919年のエキゾチックな名作『キスメット』でのヒロイン役など時代に流されぬ活動を見せ、トーキー以後も1940年にまで渡る貢献を果たしました。

[IMDB]
nm0857302

[Movie Walker]
ローズマリー・セビー

[誕生日]
4月8日

[出身]
合衆国(セントルイス)

[サイズ]
12.6 × 17.7cm

[撮影]
Hall’s Studio/1456 Broadway/New York

アニタ・スチュワート Anita Stewart (1895 – 1961) 米

「合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Anita Stewart Autographed Photo
Anita Stewart Autographed Photo

映畫に於ける嬢はその天分を速かに示した點で、クリフォード嬢と比較される。全く嬢の名聲は矢のやうに早く擴がつた。それには、次のような機會があつたのである。ラルフ・インス氏といへば、ヴァイタグラフ會社の重役で且つ撮影監督である事は、誰でも知つてゐるが、そのインス氏は嬢の義兄になつている。氏の夫人が嬢の姉なのである。(一説に嬢は氏の姪だとも云ふが、何れにしても親族關係がある事は事實である)インス氏は常にこの天才的な義妹を持つていゐる事を友人たちに誇つてゐた。そして何時とはなしに、ヴァイタグラフ會社の舞臺で藝を仕込んだ。仕込まれると、嬢自身も一度カメラの前に立つて見たくなつた。そこで、先ず最初の六箇月間だえは端役を演じ、一千九百十二年十一月、その第一回の主演劇として「ウッド・ヴァイオレット」を撮影した。續いて數本の映畫を作つたが、同社の特作品たるブロードウェイ特作映畫が創作されるに當つて嬢は選ばれて主役を演じ、益々名聲を昂めるに至つた。「萬雷」「二人女」「大破壊」「呪の列車」「探偵の娘」「銀彈」などは本邦に輸入されたものゝ中でも、特に印象の深かつたものである。目下はファースト・ナショナル會社に勤めてゐる。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1910年代後半を代表するハリウッド女優。当時の『モーション・ピクチャー・マガジン』誌の人気投票結果を見ていくと1914年に15位で初ランクイン。翌年には10位(152万票)とトップテン入りし、1916年と18年に6位まで順位を上げています。

コミカルで愛らしい女性像を得意としたメアリー・ピックフォードとマーゲリット・クラーク、スポーティーな女性を代表していたパール・ホワイト、妖しさを体現したセダ・バラと並ぶ人気を得ていた訳です。

ヴァイタグラフ社の稼ぎ頭で悲劇調のドラマチックな作品を得意としていました。現存作品が少ないのが残念ですが、先日紹介した『呪の列車』の他に『人の欲望(Human Desire)』がDVD化されています。

[IMDB]
nm0829171

[誕生日]
2月7日

[出身]
アメリカ合衆国(ニューヨーク)

[サイズ]
18.8 × 24.0cm

[撮影]
Hoover L.A.

1915 – アニタ・スチュワート主演 『呪の列車』 DVD

グリフィスの『国民の創生』(1915年4月25日公開)とほぼ同時期(4月19日)に公開されたヴァイタグラフ社の5巻物ドラマ。監督はラルフ・インス。

今回入手した2012年のDVDには第5巻目のラストシーンのみが収められています。その後残りのフィルムが一部見つかっており、版元ハーポディオン社のサイトで改良バージョンの視聴が可能です。

最終巻に蒸気機関車が煙を上げながら脱線し、川に転落する場面が収められています。本物の機関車を使った撮影で驚くほどの迫力があります。

ただ『呪の列車』の面白さは20年という歳月をまたいだ運命劇にあるような気がします。主演のアニタ・スチュワートが母と娘の二役を好演、その他の俳優の演技も申し分なくこの傑作サイレントを忘れがたい作品にしています。

※作品の背景や修復のプロセスについてはThose Awful Reviewsに詳しい記事あり。

ナオミ・チルダース Naomi Childers (1892 – 1964) 米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Naomi Childers 1917 Autographed Photo
Naomi Childers 1917 Autograph

ヴァイタグラフ社を中心として活躍、1910年代後半に人気のあった女優さんでした。「ギリシャ風」とも形容され重みのあるシリアスな作品にも耐える雰囲気と演技力を備えていたのが武器でもありました。

20年代以降は忘れ去られていきますが、トーキー時代に不遇な状況におかれている彼女をMGM社のトップ、ルイス・B・メイヤ-が発見。助けるために同社が終身雇用契約を結んだというエピソードも残されています。

1915-11-17-st.louis-post-dispatch-naomi-childers
セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙1915年11月17日付の婚約報道

1916-09-18-st.louis-post-dispatch-naomi-childers
セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙1916年9月18日の特集記事。

1921-07-15-naomi-childers-robbed
セントルイス・スター&タイムス紙1921年7月15日付より。女優がホテルで盗難被害に遭った際の記事