1950年代 – 画伯・杉狂児(1903-1975)、東千代之介を描く

« Azuma Chiyonosuke », by Sugi Kyoji (c1957)

杉狂児の筆による東千代之介似顔絵。もう一点力道山を描いた作品もあったのですがそちらは別の収集家さんに貰われていきました。杉狂児、東千代之介、力道山の三人は1957年の『純情部隊』(東映、 マキノ雅弘監督)で共演しています。委細は不明ながらメクリ(高座で使用される出演者紹介用の紙)として入手したもので、舞台、高座またはTVで開催されたイベントの折に実使用されたと推察されます。


似ている/似ていない、上手い/下手の価値観を越えたとぼけた味わいがこの人らしく、SNSの時代に生きていたら迷画伯として愛されていた気もします。

メイ・マカヴォイ May McAvoy (1899 -1984) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(4)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

May Mcavoy Early 1920s Inscribed Photo
May Mcavoy Early 1920s Inscribed Photo

メイ・マカヴォイとブルース・ゴードンは『鐘の鳴る家』のスターである。マカヴォイ嬢は時に自身を「待機する少女」と形容している。映画界の名聲への道は伝記作家たちを信じるならば数多あれど、マカヴォイ嬢の辿った道筋は中でも他に例を見ないものであつた。或る日友人の女優と待ち合わせ中、その女優んの知人が嬢を見て「紹介して」と頼んだのである。紹介のため映画スタジオを訪れ、嬢に映画の仕事を紹介する展開となつた。当座は女中の役を多く務め、(撮影現場で)多くの花形俳優を待つことになつた。その後『パーフェクト・レディ』でマッジ・ケネディー嬢の妹役を演じ、しばらくは「妹役」を続けることになつた。楽天家の彼女が尚も待ち続けていると、J・スチュアート・ブラックトン監督が声をかけてきた。一連の映画作品のヒロインを任せたいというのである。『鐘の鳴る家』はその第一弾作品である。二十歳のマカヴォイ嬢は今や自身が花形となつた。『センチメンタル・トミー』グリゼル嬢役でこれまで一番の演技を見せている。(英『ピクチャーゴア』誌1922年3月号)

May McAvoy and Bruce Gordon are the stars of The House of the Tolling Bell. May McAvoy sometimes describes herself as « The Girl Who Wailt ». There are many ways towards film fame, if we are to believe the biographers, but May’s way is all her own. Waiting for an actress friend was she one day, when a friend of that friend saw her, and asked for an introduction. This introduction led to a visit to a film studio and the introduction of May McAvoy to film work. May became a maid pro tem., and waited (for film purposes) upon many famous stars. Then she played Madge Kennedy’s sister in The Perfect Lady, and a succession of « sister » parts followed. She was waiting, Micawber-like, for another job, when J. Stuart Blackton engaged her as featured lead for a series of pictures, of which The House of the Tolling Bell is the first to be released this side. These days, twenty-year-old May is a star, and her « Grizel » in Sentimental Tommy is her biggest achievement.

The Picturegoer (VOL. 3. NO. 15. MARCH, 1922., p.54, London)

『ベンハー』と『ジャズ・シンガー』、ハリウッド無声映画史に残る二つの作品で知られているのがメイ・マカヴォイ。同時期に一世を風靡していたコリーン・ムーアやクララ・ボウの型破りな魅力はありませんでしたが、メリハリのついたカッチリした演技を得意としルビッチ作品(『三人の女』『ウインダミア夫人の扇』)でも重用されていました。

個人的には1924年の幻想ロマンス『幻の家(Enchanted Cottage)』でリチャード・バーセルメスを相手に披露した情感のこもった演技を高く評価しています。

May Mcavoy in Jazz Singer
『ジャズ・シンガー』(1927年)でのメイ・マカヴォイ
Mae Mcavoy in Ben Hur
『ベン・ハー』(1925年)でのエステル役
May Mcavoy in Lady Windermere's Fan
『ウインダミア夫人の扇』(1925年)より

[IMDB]
May McAvoy

[Movie Walker]
メイ・マカヴォイ

[出身地]
合衆国(ニューヨーク・シティ)

[誕生日]
9月8日

[撮影]
ドナルド・キース(Donald Biddle Keyes)

[サイズ]
25.3 × 31.7 cm(カーボン製フレーム含)

エセル・クレイトン Ethel Clayton (1882 -1966) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(3)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Ethel Clayton c1920 Inscribed Photo
Ethel Clayton c1920 Inscribed Photo

パ社の人気花形はイリノワ州の町シャンペーンで生まれ、シカゴの聖エリザベス修道院で教育を受けた。演劇世界への第一歩は舞台での演技がきっかけで、すぐにエドウィン・スティーヴンスと『悪魔』で共演することとなった。映畫界の参入は古参ルービン社である。『兵士の愛人』『マギー・ペッパー』『男と女と金』『女の武器』、ルパート・ヒューズ氏の優れた原作を映画化した『虚栄より醒めて』、『恋する女』等のフェイマス・プレイヤー社作品で大成功を収めた。身長は五尺五寸、體重は十五貫七百匁。赤みがかった金髪で灰色の瞳を有し、戸外での運動を殊に好んでいる。

This popular Paramount star was born in Champaign, Ill., and educated in St. Elizabeth’s Convent, Chicago. Her initial venture in the theatrical world was as a featured player in stock after which she was prominently cast with Edwin Stevens in « The Devil. » She began her screen career with the old Lubin company. She has achieved her greatest success upon the screen with the Famous Players company in « Pettigrew’s Girl, » « Maggie Pepper, » « Men, Women and Money, » « More Deadly than the Male » the film version of Lupert Hughes’ splendid story « The Thirteenth Commandment, » and « A Lady in Love. » Miss Clayton is five feet five inches in height and weighs a hundred and thirty pounds. She has red gold hair and gray eyes and is very fond of all outdoor sports.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

Ethel Clayton In lightnin'
『雷光』1925年より

米サイレント映画の終焉期(ジョン・フォード監督の『雷光』1925年やヴェラ・レイノルズ主演の『リスキー・ビジネス』1926年)に雰囲気のある母親役で登場していたのがエセル・クレイトンでした。立ち位置としてはローズマリー・セビーと重なる感じでしょうか、1910年代短編で娘役を演じていた点も共通しています。

エセル・クレイトンは当時勢いのあったルービン社(Lubin Manufacturing Compan)の花形女優でした。主演作は幾つか日本でも公開されており愛好家には知られていたようです。初期作品では1913年の『大地が揺れるとき』(When the Earth Trembled)が現存。1906年のサンフランシスコ大地震(M7.8)が物語に絡んでおり、ニュースリール映像も含まれていました。

カーボンフレームも含めると30×40センチを越える大きな写真。被写体深度を浅目にとっており、顔の肌ではなく手前のまつ毛先端辺りにピントが来ていて淡く甘い感じの仕上りとなった一枚です。

[IMDB]
Ethel Clayton

[Movie Walker]
エセル・クレイトン

[出身地]
合衆国(イリノワ州シャンペーン)

[誕生日]
11月8日

[撮影]
ドナルド・キース(Donald Biddle Keyes)

[サイズ]
33.2 × 40.5 cm(カーボン製フレーム含)

1917-22 忘れじの独り花(33)ベルント・アルドー Bernd Aldor (1881 – 1950) 独

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Bernd Aldor c1920 Autographed Postcard
Bernd Aldor c1920 Autographed Postcard

1910年代後半に頭角を現してきたドイツ男優さんで、1916~18年頃のリヒャルト・オズヴァルト監督作品常連となりレオンティーン・キューンベルクリタ・クレルモントマンヤ・ツァッツェーワと共演、『ドリアン・グレイの肖像』などで主演を務めました。その後レックス映画社ではルプ・ピック監督の作品に出演、リア・イエンデ等のパートナーとして銀幕に登場しています。

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スイス『キネマ』誌1919年第16号より『世界の鏡』(ルプ・ピック監督)広告

[IMDb]
Bernd Aldor

[Movie Walker]

[出身地]
オスマン帝国(コンスタンチノープル)

[誕生日]
3月23日

[データ]
Photochemie, Berlin. K.121. phot. von A. Binder, Berlin
8.6 × 13.5cm

1917-22 忘れじの独り花(29)ハンナ・リルケ Hanna Lierke (生没年不詳)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Hanna Lierke Autographed Postcard
Hanna Lierke Autographed Postcard

戦前ポーランド映画に功のあったダニー・カーデン(1884-1942)が最初に自身の映画社を立ち上げた際、その監督作で1918年頃デビューしたと思われる女優さん。

その後リヒャルト・オズヴァルトの映画社を経て、1920年からミュンヘンに拠点をおくバヴァリア映画社で大きな役を振られるようになっていきます。同社作品ではマンフレッド・ノア監督『賢者ナータン』(1922年)が良く知られていますが、ノア監督がその直前に撮った2部作『恐しき新婚旅行(Der heilige Hass)』でヒロイン役を演じていたのがハンナ・リルケさんでした。

Hanna Lierke in Der heilige Hass
『恐しき新婚旅行(Der heilige Hass)』でのハンナ・リルケ嬢

その後も小さなプロダクションに幾つか出演記録があるものの派手なスポットライトを浴びることはなく20年代中旬にフェイドアウトしていきました。

[IMDb]
Hanna Lierke

[Movie Walker]
ハンナ・リルケ

[出身地]
不明

[誕生日]
不詳

[データ]
Photochemie, Berlin. K.2494. phot. Atelier Walten, Berlin
8.7 × 13.6cm

石山 龍児 (1893 – 1973)

「日本 [Japan]」より

Ishiyama Ryuji Autographed Postcard
Ishiyama Ryuji Autographed Postcard

映畫俳優で知つてゐるのは蒲田の石山龍嗣だけである。それも役者として知つてゐるのではない。もう十何年も前、學生のときに偶然のことから知りあひになつて、いつしよに義太夫をききに行つたり文學論をたたかはしたりして、たいへん仲が良かつたのである。

そのころ石山龍嗣はまだ蒲田に入社してゐなかつたしどこにも勤めてゐなかつたので、下宿で暇さへあれば表情の研究をしてゐた。

[…] こないだ私は四谷の映畫館で日本もののトーキーを見て、石山君が醫者に扮し怪我をした少女を診察するところを見た。おちついてゐて厭や味がなく、人がらなところは実際の石山君の性格を見る思ひであつた。地味ではあるが蒲田では相当な俳優なのであらう。(十年七月)

「映畫と石山龍嗣」、井伏鱒二
『肩車』(昭和11年)収録

Ishiyama Ryuji in Arigatosan (1936)
『有りがたうさん』(1936年、清水宏)より
左から石山龍児、上原謙、桑野通子

[JMDb]
石山竜嗣

[IMDb]
Ryuji Ishiyama

[出身地]
青森県

[誕生日]
9月2日

[データ]
8.5 × 13.5cm

ホッライ・カミッラ(カミーラ・フォン・ホレイ) Hollay Kamilla / Camilla von Hollay (1899 -1967) ハンガリー

「ハンガリー [Hungary]」より

Hollay Camilla 1910s Autographed Postcard
Hollay Camilla 1910s Autographed Postcard
1920年代にドイツで活躍し、カール・グルーネ監督作品(1927年『世の果』や1928年『ワーテルロー』)で日本にも紹介されていたハンガリー女優。

さかのぼっていくと第一次大戦中にハンガリーのスター映画社の花形となり若きベラ・ルゴシを相手役にメロドラマ要素の強い作品に多く出演していました。スター映画社の作品はほとんど残っていないのですが、近年の調査から少なくとも3本の現存が確認されハンガリー国立映画アーカイヴに返還。その一本『アフロディーテ』(1918年)にホッライ・カミッラ名義時代の演技を見ることができます。

Hollay Camilla in Afrodite (1918)
『アフロディーテ』(Afrodite、1918年)より
Hollay Camilla in Am Rande der Welt (1927)
『世の果』(Am Rande der Welt 、1927年)より

日本でも公開されていた表現主義調の戦争ドラマ『世の果』では準ヒロインの妊婦役を演じていました。

[IMDb]
Camilla von Hollay

[Movie Walker]
カミーラ・フォン・ホレイ

[出身地]
ハンガリー(ブダペスト)

[誕生日]
7月11日

[データ]
Színházi Élet Kiadása. Angelo Fotodrama110.

[サイズ]
8.7 × 13.7 cm