ロミュアルド・ジュベ Romuald Joubé (1876 – 1949) 仏

「フランス [France]」より

Romuald Joubé Autographed Postcard
Romuald Joubé Autographed Postcard

ジュベ氏は南仏、本物の南仏出身である。微かな訛りが残っていて喋りに謡の抑揚があり、デュマが描いたダルタニアンを思い出させる。実際舞台で何度も演じている。

「それからパリにやってきました。二年の間、国立高等音楽・舞踊学校に入ろうと苦労したものの結果はでず、ポスター描きの仕事で生計を立てていました。コメディ・フランセーズのシルヴァン氏が一枚注文をくれたんです。彼がルイ11世を演じるためにイタリアと全フランスを巡業することになっていて、私は付き添って行きました。パリに戻るとシルヴァンは高等音楽・舞踊学校の自分のクラスに私を入れてくれたんです」

「仏映画界のエース:ロミュアルド・ジュベ」
モンシネ誌1923年5月10日付64号

Joubé est du Midi, du vrai. Il garde une pointe d’accent qui rend sa parole chantante et fait penser à un d’Artagnan, celui de Dumas, qu’il a incarné bien des fois au théâtre. […]

Puis j’arrive à Paris. Pendant deux ans, en vain, j’essaie d’entrer au Conservatoire et je gagne ma vie en faisant des affiches. Sylvain, de la comédie-Françaoise, m’en commande une. Il devait partir en tournée en Italie et dans toute la France pour jouer Louis XI. Je pars avec lui Au retour, il me prend dans sa classe au Conservatoire.

Un As du Cinéma : Romuald Joubé
(Mon Ciné No 64, 10 Mai 1923)

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舞台活動が中心の男優さんながら端整な雰囲気を生かして1910~20年代の仏サイレント映画に多く出演、『私は弾劾する』(1919年)や『狼の奇跡』(1924年)など、多くの名作で重要な役を演じました。

[IMDB]
nm0431069

[誕生日]
6月20日

[出身]
フランス

[コンディション]
B

[サイズ]
13.5 × 8.5 cm

アベル・ガンス監督、昭和10年の手紙 Abel Gance (1889 – 1981)

Abel Gance 1935 Typed Letter

拝啓

8月19日付けのご質問に対する回答となりますが、
アルジェに映画スタジオ群が作られればとても便利だろうと思います。
計画が実現すればすぐに多くの顧客が見つかるのではないでしょうか。

心よりの敬意をこめて

アベル・ガンス

1933年に復刊されたアート誌「欧州芸術家(ユーロップ・アルティスト)」の質問に応えた短いタイプ打ちの手紙。1935年(昭和10年)9月11日の日付が打たれたもの。

レターヘッドに朱色で名前が印刷されており、便箋下部には同色で住所も記されています。

ジーナ・パレルム Gina Palerme (1885 – 1977) 英/仏

Gina-Palerme

記憶をどこまでさかのぼつてみても自分が悪魔に憑かれていたのだと思うのであります(演劇の悪魔ですが)。十になるかならぬかの私は仲間とともに「ごっこ遊び」に熱中しておりました。今となっては可笑しいほど一生懸命に、ある時は聖王ルイとなつて正義の鉄槌を下しあるいはジャンヌ・ダルクとなって火刑台に立ち、ナポレオンとしてアルコール橋を渡ったのです。[…]

巴里で束の間舞台に立つた後、英国舞踏を習得しようとイギリスに渡りました。半年の滞在予定が気が付いてみると七年、その合間に一介の踊り子からデューク・オブ・ヨーク劇場支配人にのぼりつめていました。

「ジーナ・パレルム自分語り」
シネア誌1922年2月10日付40号

Aussi loin que je remonte dans mes souvenirs, je me vois possédée du démon… (de la comédie). A dix ans, ma passion était « les tableaux vivants ». Au milieu de mes camarades le jeu, j’incarnais, avec un sérieux comique à voir, Saint-Louis rendant la justice, Jehanne d’Arc montant au bûcher, ou Bonaparte au pont d’Arcole […]

Après un très court séjour sur les scènes parisiennes, je pars en Angleterre pour me perfectionner dans la danse anglaise. Je devais rester là-bas 6 mois, j’y reste 7 ans, pendant lesquels je gravis tous les échelons de chorus-girl à directrice du théâtre Duke of York.

Gina Palerme par Gina Palerme
Cinéa, No 40, 10 Février 1922

1910年代初頭、イギリスの軽喜劇で人気を博したのがジーナ・パレルムでした。1920年代になって生まれ故郷のフランスへと戻り(「こちらでは誰も私の名前など知りませんでした」)映画女優の活動を開始。ロジェ・リオンやアベル・ガンスの作品に出演しています。

ガンスが1920年代半ばに発表したコミカルな奇譚『ヘルプ!(Au secours!)』ではマックス・ランデ演じる主人公を正気に戻す許婚の役を演じていました。

Gina Palerme in Abel Gance's Au secours! (1924)
アベル・ガンス監督作品『助けて!』より

サイン絵葉書は、イギリスで舞台デビューを果たした『クエーカー・ガール』公演時の一枚。向かって左側、「クエーカー・ガールの思い出に!(Souvenir de Quaker Girl!)」の一文。裏面に旧所有者の筆跡で1912年の文字も残されています。

シモーヌ・ジュヌヴォワ Simone Genevois (1912- 1995) 1930年頃の直筆書簡

1930年頃と思われるシモーヌ・ジュヌヴォワ直筆の書簡。アンリ・デュブリ氏に宛てた物とされており、雑誌のアンケートに回答する内容となっています。

シモーヌ・ジュヌヴォワは1910年代に子役としてデビュー。アンリ・プークタル監督の『労働』(1920年)などにも出演し、レジーヌ・デュミアンと並ぶ人気子役として活躍しました。

『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
『労働』(1920年)より

学業を理由に一旦は映画界を離れるのですが、その後程なくしてカムバック。アベル・ガンスの『ナポレオン』ではシチリア島に住むナポレオンの妹役として登場しています。

その後ガスティーヌ監督の『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』のオーディションに応募し、見事ヒロインに選ばれました。同作が彼女にとっての代表作となりましたが、その後もガスティーヌ監督と縁が続き1930年代初めまで活躍、結婚と同時に女優業を離れています。

手紙には「お気に入りの役は?」の質問に「ジャンヌ・ダルク」と回答したやりとりが含まれています。

[IMDB]
nm0312810

[出身]

[誕生日]
2月13日

[データ]

1930年頃にアンリ・デュブリ氏宛に書かれた直筆の手紙。映画雑誌からの質問に回答する形。

[サイズ]
19.2 × 30.2cm

シュザンヌ・ビアンケッティ Suzanne Bianchetti (1889 – 1936)

「フランス [France]」より

映画に携わることになったのは全くの偶然がきっかけでございました。1917年の或る日、コメディ・フランセーズで女優をしている友達に会うためヴァンセンヌのパテ社撮影所に顔を出しました。彼女は国威高揚映画『戦中の仏蘭西女たち』を撮っていた最中で、女優が一人休んでいた代わりをしてほしいと監督に頼まれ脇役として出演したのです。監督さんが演技を気に入ってくれたのでしょうかね、数ヵ月後、『家族三様』という別な国威高揚作品の主要キャストの役を任せていただくことになり、セヴラン・マルス氏やジャン・トゥルー氏、アンリ・ボスク氏やジャラベール夫人とご一緒させて頂いたのです。

その次の年、喜劇短編二つは割愛して、デフォンテーヌ監督の下で『ラ・マルセイエーズ』に出演いたしました。それまで頂戴していた役はどれも軽喜劇でしたし、ありふれた感情だけを表現して居れば良かったのです。ところが突然、グラン・ギニョルでしかお目にかからない様な極端にドラマチックな役柄をアンドレ・ノックス氏の脇で演じなくてはならなくなったのです。映画が上映された時、それが自分だとはどうしても思えなくて、自分のあまりの経験不足に映画界から足を洗おうとすら考えました。あの時ほど自分が役者稼業を何も知らないと思い知らされたことはありません。自分の経験不足を補うため、ジャック・バロンセリ氏が監督した『フリポット』と『夢』の二作でガブリエル・シニョル氏と共演させていただきました。お二方が私の御師匠様のようなものです。

ラマルティーヌの詩を元にレオ・・ポワリエ監督が製作した『ジョスラン』でヒロインの姉役を演じました。ピエール・コロンビエ監督で撮った『大晦日の夜』という面白い作品はこの合間に作られたものです。

『ジョスラン』の撮影終了後、シャルル・ビュルゲ監督からお声がかかり、『巴里の秘密』でアルヴィル侯爵夫人の役を演じることになりました。数週間の間友人のユゲット・デュフロと撮影で一緒だったのが楽しい思い出です。彼女と私が似ていると仰られる方もおられて、二人でクスクスと面白がっています。8月1日からは再びポワリエ監督の弟子に戻って『リヨンへの密使殺害事件』に出演、ルズリュクの恋人クロチルド役を任されております。

「スター女優自身を語る:スザンヌ・ビアンケッティ」
シネ・ミロワール誌13号、1922年11月1日付

C’est tout à fait par hasard que je suis venue au cinéma. Etant allée un jour de 1917 au studio Pathé, à Vincennes, pour y trouver une amie de la Comédie-Française qui trounnait un film de propagande La Femme française pendant la guerre, j’acceptai, pour rendre service au metteur en scène de ce film, de tenir un petit rôle en remplacement d’une actrice absente. Sans doute ce metteur en scène trouva-t-il ce début satisfaisant car, quelques mois plus tard, il me confiait, à côté de Séverin Mars, de Jean Toulout, d’Henri Bosc et de Mme Jalabert, le principal rôle féminin d’un nouveau film de propagande : Trois familles.

L’année suivante, sous la direction de M.H. Desfontaines, je tournai La Marseillaise, sans parler de deux petits films comiques. Jusqu’alors, les rôles qui m’avaient été distribués étaient de pure comédie et je n’avais à y exprimer que de sentiments moyens et pour ainsi dire quotidiens. Brusqument, on me demanda d’incarrnner, à côté d’André Nox, un personnage extrèmement dramatique, comme on n’en rencontre qu’au Grand-Guignol. A la projection de ce film, je crus ne pas me reconnaître et pensai un moment à renoncer au cinéma tant j’étais effrayée par mon manque d’expérience: jamais je ne regrettai autant qu’alors de tout ignorer du métier dramatique. Pour acquérir ce qui me manquait, je tournait dans Flipotte et le Rêve, de petits rôles à côté de Gabriel Signoret et sous la direction de J. Baroncelli, qui furent ainsi mes véritables maîtres.

M. Poirier me chargea d’incarner la soeur de Jocelyn, dans l’adaptation qu’il commençait du poème de Lamartine. Entre temps, M. Pierre Colombier m’avait fait tourner son amusant Soirée de réveillon.

Jocelyn terminé, M. C. Burguet me fit appeler pour me distribuer, dans les Mystères de Paris, le rôle de la Marquise d’Harville, cce qui me donna le plaisir de travailler quelques semaines à côté de mon amie Huguette Duflos, à qui certains prétendent que je ressemble, ce qui nous amuse fort toutes deux. Depuis 1er août je suis redevenue la pensionnaire de M. L. Poirier, qui m’a confié dans l’Affaire du Courrier de Lyon, le rôle de Clotilde d’Argence, la maîtresse de l’honnête Lesurques.

Nos Vedettes par elles-mêmes : Suzanne Bianchetti
Ciné-Miroir, No 13, 1er Novembre 1922

元々演技畑の出身ではありませんでしたが温かみのある人柄や自然な動きが重宝され、この後もアンリ・ルーセルやガンスなど優れた監督の作品に次々出演していきます。1936年に惜しまれつつ早世。死後、彼女の名を冠した映画賞が作られ、現在にいたるまで若手女優の登竜門となっています。

[IMDB]
Suzanne Bianchetti

[Movie Walker]
シュザンヌ・ビアンケッティ

[出身]
フランス

[生年月日]
2月24日

[コンディション]
C+

[入手]
2013年5月18日