メイ・マカヴォイ May McAvoy (1899 -1984) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(4)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

May Mcavoy Early 1920s Inscribed Photo
May Mcavoy Early 1920s Inscribed Photo

メイ・マカヴォイとブルース・ゴードンは『鐘の鳴る家』のスターである。マカヴォイ嬢は時に自身を「待機する少女」と形容している。映画界の名聲への道は伝記作家たちを信じるならば数多あれど、マカヴォイ嬢の辿った道筋は中でも他に例を見ないものであつた。或る日友人の女優と待ち合わせ中、その女優んの知人が嬢を見て「紹介して」と頼んだのである。紹介のため映画スタジオを訪れ、嬢に映画の仕事を紹介する展開となつた。当座は女中の役を多く務め、(撮影現場で)多くの花形俳優を待つことになつた。その後『パーフェクト・レディ』でマッジ・ケネディー嬢の妹役を演じ、しばらくは「妹役」を続けることになつた。楽天家の彼女が尚も待ち続けていると、J・スチュアート・ブラックトン監督が声をかけてきた。一連の映画作品のヒロインを任せたいというのである。『鐘の鳴る家』はその第一弾作品である。二十歳のマカヴォイ嬢は今や自身が花形となつた。『センチメンタル・トミー』グリゼル嬢役でこれまで一番の演技を見せている。(英『ピクチャーゴア』誌1922年3月号)

May McAvoy and Bruce Gordon are the stars of The House of the Tolling Bell. May McAvoy sometimes describes herself as « The Girl Who Wailt ». There are many ways towards film fame, if we are to believe the biographers, but May’s way is all her own. Waiting for an actress friend was she one day, when a friend of that friend saw her, and asked for an introduction. This introduction led to a visit to a film studio and the introduction of May McAvoy to film work. May became a maid pro tem., and waited (for film purposes) upon many famous stars. Then she played Madge Kennedy’s sister in The Perfect Lady, and a succession of « sister » parts followed. She was waiting, Micawber-like, for another job, when J. Stuart Blackton engaged her as featured lead for a series of pictures, of which The House of the Tolling Bell is the first to be released this side. These days, twenty-year-old May is a star, and her « Grizel » in Sentimental Tommy is her biggest achievement.

The Picturegoer (VOL. 3. NO. 15. MARCH, 1922., p.54, London)

『ベンハー』と『ジャズ・シンガー』、ハリウッド無声映画史に残る二つの作品で知られているのがメイ・マカヴォイ。同時期に一世を風靡していたコリーン・ムーアやクララ・ボウの型破りな魅力はありませんでしたが、メリハリのついたカッチリした演技を得意としルビッチ作品(『三人の女』『ウインダミア夫人の扇』)でも重用されていました。

個人的には1924年の幻想ロマンス『幻の家(Enchanted Cottage)』でリチャード・バーセルメスを相手に披露した情感のこもった演技を高く評価しています。

May Mcavoy in Jazz Singer
『ジャズ・シンガー』(1927年)でのメイ・マカヴォイ
Mae Mcavoy in Ben Hur
『ベン・ハー』(1925年)でのエステル役
May Mcavoy in Lady Windermere's Fan
『ウインダミア夫人の扇』(1925年)より

[IMDB]
May McAvoy

[Movie Walker]
メイ・マカヴォイ

[出身地]
合衆国(ニューヨーク・シティ)

[誕生日]
9月8日

[撮影]
ドナルド・キース(Donald Biddle Keyes)

[サイズ]
25.3 × 31.7 cm(カーボン製フレーム含)

エルンスト・マトレイ Ernst Matráy (1891 – 1978) ハンガリー

「国別サインリスト ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」より

ernst-matray_1920-autographed-postcard-01
Ernst Matray 1920 Autographed Postcard

ハンガリー出身の舞踏家、俳優、監督兼振付師。

1910年代初頭にマックス・ラインハルトに才能を見いだされ舞台デビュー。ラインハルト劇団で話題を呼んだ『奇跡』(マリア・カルミ主演、1911年)に出演し、ダンスパートの振付も担当しました。

Ernst Matray in Hilde Warren und der Tod (1917)
1917年作品『ヒルデ・ワーレンと死神』(ヨーエ・マイ作品、脚本フリッツ・ラング)

映画では牧神、道化師、悪魔など異形の役どころが多く回ってきていたようです。フリッツ・ラングが脚本を書いた『ヒルデ・ワーレンと死神』では放蕩の生活を続け、最後母親に銃で撃ち殺されるろくでなしの息子を演じていました。

俳優時代のルビッチとも共演歴があり、短期間ながらも共同で映画会社を設立、両者の名前からMalu映画社と名付け経営を行っています。同時期に監督業にも進出し1916年に『オペラ座の怪人』を残しました。フィルム自体は現存していないものの、この小説の最初の映像化で初期ホラー愛好家が見たがっている作品の一つです。

トーキーの時代となり、1930年代にハリウッドに渡ってから新たなキャリアが開けてきます。当時の妻だった女優マリア・ソルヴェクと振付師のチームを組み、MGMなど大手作品のダンス場面を担当したのです。

Waterloo Bridge (1940)
『哀愁』(1940年)のバレエ場面

日本でもよく知られた『哀愁』(1940年)や『心の旅路』(1942年)の舞踏場面はマトレイ夫婦が振付したものでした。メロドラマ作品に一瞬現れるダンスやバレエを意識する機会はあまりないため、こんな形で無声映画の血流が続いていくのかと驚かされました。

絵葉書の写真は『吸血鬼ノスフェラトゥ』と重なります。サインの年号(1920年)を見ると同作公開より前になっています。

[IMDB]
nm0559305

[Movie Walker]
Ernst Matray

[誕生日]
5月27日

[出身]
ハンガリー(ブダペスト)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.2289. Phot. Nicola Perscheid, ,Berlin

エルンスト・ルビッチ(Ernst Lubtsch)、大正9年のサイン入り絵葉書

「国別サインリスト ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」より

Ernst_Lubitsch01-m

エルンスト・ルビッチ監督が1920年に残したと思われるサイン入りの絵葉書。時期的には『カルメン』(1918年)、『パッション』(1919年)、『寵姫ズムルン』(1920年)などコスチュームやモブシーンに贅を凝らした大作を発表、名実ともにドイツを代表する監督になっていった頃です。

Ernst Lubitsch 1920s Autographed Postcard 02

メッセージ欄を見ると様々な書きこみと消しこみがあります。1920年7月16日付の消印、アルフレート・ノエ氏宛の宛名書きが鉛筆で消されています。また「アルヒーフ・フォト(写真アーカイヴス)」というスタンプが押され、こちらはマジックで消されています。長旅を経て手元に辿りついたようです。

[IMDB]
nm0523932

[誕生日]
1月29日

[出身]
ドイツ

[コンディション]
B+

[サイズ]
13.5 × 8.5 cm

ベルンハルト・ゲッケ Bernhard Goetzke (1884–1964)

Bernhard-Goetzke

ベルンハルト・ゲッケは1920~40年代に活躍した名脇役で、フリッツ・ラング作品の常連でもありました。『ドクトル・マブゼ』(1922年)の検事役、『死滅の谷』(1921年)での陰鬱な死神、『ニーベルンゲン』(1924年)でのフィデルの使い手など、記憶に残る演技を多く残しています。

Bernhard Goetzke in Nibelungen
『ニーベルンゲン』(1924年)より

ダグニー・セルフェス Dagny Servaes (1894 – 1961) 独

『猫とカナリヤ』(1927年)で有名なパウル・レニ監督のデビュー作が『ハルト博士の日記』(1915年)です。美しい自然光に照らし出される2組の恋物語をレニは丁寧なカメラワークで追っていきます。

同作で主役を射止めたのが舞台畑のダグニー・セルファスでした。確実な演技力で評価されルビッチの『ファラオの恋』(1922年)やリヒャルト・オズワルドの『ドン・カルロスとエリザベート』(1924年)で地力を発揮していくことになります。

アリス・ヘシー Alice Hechy (1893 – 1973) 独

オッフェンバック未完の遺作として知られる『ホフマン物語』は奇想と呼ぶに相応しいエピソードから成り立っていて、その一つが自動人形オランピアとの恋物語を扱っていました。

1916年に同作が最初に映画化された際、自動人形オランピアを演じたのがアリス・ヘシーでした。

両手を「前にならえ」よろしくちょこんと突き出しながらパタパタ小走りでやってくるコミカルな動きはインパクトがあります。さかのぼって前年の『ピッコロ嬢』ではルビッチとも共演、ドイツ初期映画に小気味の良さをもたらしていた女優さんでした。

オッシー・オスヴァルダ(1899 – 1948) 昭和3年の書簡

Ossi Oswalda 1928 Signed Letter

1910年代中盤にルビッチ映画の主演を務めて人気を得ていたオッシー・オスヴァルダの手紙。旅行で滞在していたクロアチの首都ザグレブで書かれた一通で、全体がクロアチア語でタイプ打ちされている珍しい内容となっています。

1928年6月27日付。

自身のプロダクションを立ち上げたものの興行に失敗、UFAに戻った時期にあたります。人気に陰りがあって海外に活路を求めていた形跡もあります。手紙の冒頭にユーゴスラビアのメディアのお偉いさんと会った旨が記されているため一連の流れにあるのかもしれません。