杉狂児、昭和3年の暑中見舞い

「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

杉狂児、1928年の暑中見舞いハガキ
Sugi Kyoji’s 1928 Summer Greeting Card

マキノ御室映畫部の幹部花形としてメキメキ賣り出した彼は有らゆる映畫に新進振りを發揮してフアンを喜ばせてゐる。最近製作の映畫では『愛しき彼』(都賀靜子、水谷蘭子共演)『靑春を掏摸取られた話』(湊明子、高山久共演)『光線を捕へた男』(マキノ正博、室町湊、津村共演)等の傑作がある。

『玉麗佳集』(1928年)

1930年代のコミックソングを通じて名を上げ現在でも昭和歌謡の愛好家から評価の高い杉狂児。こちらは1928年、マキノ御室を離れ河合映画に移った直後の暑中見舞いハガキです。

印刷ながら定型文ではなく、自前の文章にそこはかとなく自虐臭を漂わせ、持ち味のアナーキーさに相反した繊細さ、生真面目さも透けています。

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[JMDB]
p0209230

[IMDB]
nm0837475

[Movie Walker]
杉狂児 (スギキョウジ)

[誕生日]
7月8日

[出身]
日本(福岡)

[サイズ]
9.1 × 14.0cm

[データ]
髙島栄一氏宛、昭和3年8月9日巣鴨の消印有。

1929 – 瀧本時代堂の説明本 ~1920年代後半の説明集ブーム私見~

Benshi-narration-oriented Novelizations :
Ito Daisuke’s « Man-Slashing Horse-Piercing Sword » (Zan-jin Zan-ba Ken),
Aku Reinosuke’s « Cold Eyes » (Reigan) etc.

『斬人斬馬剣』(1929年 松竹京都 伊藤大輔)
『冷眼』(1929年 右太プロ 悪麗之助)
『此村大吉』(1929年 阪妻プロ 山口哲平)
『傳奇刀葉林』(1929年 帝キネ 渡辺新太郎)

表紙に独特な雰囲気があります。

いずれも昭和4年(1929年)の公開作品。伊藤監督の重要作の一つ『斬人斬馬剣』、悪麗之助の『冷眼』など剣戟愛好家に興味深いラインナップとなっています。14.3×10.6センチ、15ページ。紙質は荒く、表紙を開くと配役一覧があってすぐに物語が始まります。

危機一髪の眞つ最中へ馳せ付けて來たのが十時來三郎及び賴母等の正義の士であった。
『ヤアヤア臣下の身として、君家を乱し、暴擧を企て、世継の若君に危害を加へんとするなどとは言語道斷のくせ者である』

(『斬人斬馬剣』)

見る見るお千代は遂に九郎次の爲めに取られてしまつた。其日からしての甚十郎の胸中はモンモンとして悶えて居る。殊にお千代が残してある、着物などを見ると其面影が偲ばれて、悲嘆の涙が自らわき出して來る。

(『冷眼』)

4冊いずれも佐藤綠葉(綠葉山人)が文章を担当。同氏は1927年の明文館「説明集」に関わっていたことでも知られています。現物は所有していないため国立映画アーカイブ所蔵分の表紙をコピーさせていただきました。

明文館説明集
『西洋新映画説明集』『欧米特作映画説明集』『新派映畫説明集』
(明文館)国立映画アーカイブ蔵

「説明集」とは弁士の語り(説明)を念頭に置きながら映画をノベリゼーションしたものです。本来は映像を補足する存在だった弁士が次第に重要性を増し始め、時に映画以上に目立つこともあった日本無声映画期に特有の発想です。

無声映画の後期には弁士が一大人気職業となって各地で語りの才を披露していました。1910年代の『ジゴマ』二次小説ブームも同様で、日本では映画の背景や表現技法を理解して味わうより作品をネタとして楽しむ傾向が強く見られます。ツイッター全盛の現在でも本質的には変わっていないもので、日本の文化風土にあったシステムだというのは直感的に分かります。

ところがこの方向性は危険もはらんでいました。弁士の語りが前に出すぎると映像は挿絵の扱いになってしまいます。『斬人斬馬剣』を読んでいても伊藤監督の個性はかき消されていて、当時の剣戟映画界でなぜ本作が際立っていたのかが見えてきません。説明集は、視覚芸術としての映画の本質を説明していないのです。

『弁士の説明を聞くより面白い』
明文館の映画文庫の紹介ページより。仮想敵が弁士だった様子が伝わってきます。
« More exciting than benshi-narration! »

映画を作る側からすると歯痒さの残る状況でもありました。1929年は初のマキノトーキー作品(『戻橋』)が公開された年でもあります。マキノ監督は単に欧米のテクノロジーを追おうとしていた訳ではありません。観衆側の解釈や盛り上がりに依存しすぎる状況に危機感をいだき、弁士システムを終了させ業界をリセットする発想が含まれているのです。

ハリウッドでは1920年代半ば、東欧や南米でも1931~32年にトーキー移行が完了していたにも関わらず、技術力で負けていた訳ではない日本が出遅れたのには理由がありました。多くの国でトーキーへの変化はテクノロジーのアップデートに過ぎなかったのに対し、映画が魔改造されて根付いてしまった日本では変えなくてはならない前提が他にもあったのです。

ガラパゴス的な状況は1935年頃には解消されていましたし、そのおかげで後の邦画黄金時代が実現する運びとなりました。ただ、今更ではありますが、ガラパゴスのまま独自進化を遂げていたとしてもそれはそれで面白い邦画史になっていたのだろうな、と思うのです。

河上君栄 (1907 – ?)

「国別サインリスト 日本 [Japan]」より

Kawakami Kimie Autograph

マキノ撮影所~松竹に移りながら初期映画を支えていった女優さんで、金森万象作品『砂絵呪縛』(1927年)の露路役、マキノ正博監督『浪人街 第二話』(1928年)のお蒔役が知られています。

ある時期のサインにやや特殊な色付きインクの万年筆を使っていたようです。経年で周囲に滲みが出やすく、他のサイン物でも同じような劣化の仕方をしています。

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[IMDB]
nm2387796

[JMDB]
p0057710

[出身]
日本(愛媛県松山市)

[誕生日]
1月30日

[サイズ]
8.5 × 13.5 cm

[コンディション]
C

大林 梅子 (1907 – 1995)

大林梅子サイン絵葉書

着物姿の三人娘は向かって右が大林梅子さん、直筆サインが残されています。左の二人はおそらく河上君江さん(左)と鈴木澄子さん(中央)ではなかろうか、と。3人は1927年にマキノ正博作品で共演記録がありますので時期もその頃でしょうか。

マキノ氏は1928年『浪人街 第一話 美しき獲物』でキネマ旬報の邦画ランキング1位を獲得し監督の評価を確立しました。同作で大林梅子さんは谷崎十郎に思いを寄せる女スリ師を演じ、旗本衆に捕らえられ危うく牛裂きの刑に遭わされそうになります。

1929年『浪人街 第二話 楽屋風呂』より
1929年『浪人街 第二話 楽屋風呂』より

設定を変更して作成された『浪人街 第二話 楽屋風呂』(1929年)にも出演、今度は守銭奴風の悪女を演じていました。

Umeko Obayashi (1907 – 1995)

[JMDB]
p0259640

[IMDB]
nm5729516

[誕生日]
6月24日

[出身]
日本

[サイズ]
8.5 × 13.5cm

[コンディション]
B

[入手年月日]
2017年10月

谷崎 十郎 (1896 – 1977)

1928年の時代劇『浪人街 第一話 美しき獲物』で主役の素浪人を演じていたのが谷崎十郎です。

お父さんはアラスカで金鉱を発見した事業家で、十郎氏も合衆国で生まれています。帰国後は父親の設立した会社の社長に就任するも映画に魅力を覚え俳優へと転身。端整な若武者役で一定の人気を得ています。

無声映画の終焉と軌を一にして映画界を引退、悠々自適の晩年を送りました。昨年亡くなられた演出家の蜷川幸雄氏の義祖父に当たられます。

Jûrô Tanizaki (1896 – 1977)

[JMDB]
p0264330

[IMDB]
nm1273185

[誕生日]
9月3日

[出身]
日本

[サイズ]
13.5 × 8.5 cm

[コンディション]
B

[入手年月日]
2017年10月

伊井 蓉峰 (1871 – 1932)

Ii Yoho

映画畑ではマキノ雅弘の自伝『映画渡世・天の巻』に登場してくる傲慢で物分かりの悪い新派俳優としてつとに有名。

とはいえ『実録忠臣蔵』(1927年)を見る限りそこまで酷い演技ではなく、(『浪人街』の生き生きした人物に比べると型通りですが)存在感はあったと思います。新時代の映画製作にはなじめなかったということなんでしょう。

「蓉峰」ではなく「蓉峯」とサインしていると思われる一枚です。