ドリス・ケニヨン Doris Kenyon (1897 – 1979)

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Doris Kenyon Autographed Photo
Doris Kenyon Autographed Photo

映畫界の人となつたのはウォールド會社に這入つたのが最初で、その第一回の作品は「運命の質物」であつた。その他同社で撮影したものには「女皇」を初めとして「海の波」「人生の饗宴」「活動の情話」などがある。昨年の夏キネマ倶樂部に上場された「海の乙女」は、一千九百十六年に、カーライル・ブラックウェル氏と共演したものである。これは當時インターナショナル會社に依つて、同社のゴールデン・イーグル・シリーズの第三篇として公開された。

その後シェルドン・ルイス氏やアイレン・ブレテー嬢などと合同して、ホアートン氏の監督の下に働いたが、「隠れた手」を撮影するに及んで、一躍して人氣俳優の列に加はる事になつた。

自己所有の獨立會社ド・ルークス映畫會社を起こしてからは、嬢の評判は益々昂くなつたが、その第一回の作品は、サタデー・イヴニング・ポストに連載されたメリー・ロバーツ女史の小説を脚色した「七星の町」であつた。その映畫を製作すると間もなく、第二回目の作品として「青い月の宿」を撮影した。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1897年9月5日ニューヨーク州のシラキュース生れ。パッカー公立高等学校とコロンビア大学に學ぶ。舞台劇『パット姫』で役を得た後、フェイマス・プレイヤーズ社の『運命の質物』で無声映画に参入、すぐにエッセネイ社の『裁判にて』が続いた。特筆すべき出演作としては『隠れた手』『七星の町』『しののめ』『紙箱』に『青い月の宿』等がある。1918年の舞台では『リムジンの少女』主演を演じた。ケニヨン嬢は身長5尺5寸、體重は3貫、色白、褐色の髪と灰色がかった瞳を有する。

『銀幕名鑑』(ロス出版社、1920年)

Doris Kenyon was born in Syracuse, N.Y., Sept. 5, 1897 and was educated at Packer College Institute and Columbia University. Following an engagement in the legitimate stage production « Princess Pat » she began for the silent drama with Famous Players in « The Traveling Salesman, » which was followed soon after by an Essanay picture, « On Trial. » Her most notable pictures are « The Hidden Hand, » « The Great White Trail, » « Street of Seven Stars, » « Twilight, » « The Band Box » and « The Harvest Moon. » During the season of 1918 she had a leading part in the legitimate production « The Girl in the Limousine. » Miss Kenyon is five feet six inches high, weighs a hundred and twenty-five pounds, is light complexioned and has brown hair and gray eyes.

Who’s Who on the Screen (Ross Publishing Co., Inc. New York, 1920)

1918年に米のモーション・ピクチャー・マガジンが大規模な投票型の人気コンテストを行いました。翌年1月に五千票以上の票を獲得した方々の順位が発表されています。ここで105位だったのがドリス・ケニヨン。コンスタンス・タルマッジ(108位)、コリーヌ・グリフィス(131位)やナジモヴァ(167位)より上だったのは健闘と言えます。

Doris Kenyon in A Girl's Follie (1917)
1917年の『ガールズ・フォリー』より

初期の主演作(『ガールズ・フォリー』 A Girl’s Folly 1917年)では活発で多感な少女役を演じる機会が多かったようです。時代の流れにあわせて洗練を極め20年代も主役級の輝きを見せています。

[Movie Walker]
ドリス・ケニヨン

[IMDB]
nm0448987

[誕生日]
9月5日

[出身]
米(ニューヨーク州 シラキュース)

[撮影]
National N.Y.

[サイズ]
11.5 × 17.0cm

[コンディション]
B

ヴィルマ・バンキー Vilma Bánky (1901 – 1991)

「ハンガリー [Hungary]」より

Vilma Banky Autographed Postcard
Vilma Banky Autographed Postcard

二年前ヴィルマ・バンキーの名は映画フアンの間でも全く知られていなかった。オーストリアで数本の作品を撮っただけで、同国の監督数人だけがその才を高く評価していたのであつた。マックス・ランデ氏が仏監督ヴィオレ氏の元『曲芸王』を撮った時、地元の女優で見映えの良い者を探していてバンキー嬢の美しさと雅さの虜となつた。同嬢がヒロイン役に選ばれたのである。その後程なくして、バンキー嬢は『ポチョムキン』でジャン・アンジェロ氏と共演、同作は最近AGC社によって編纂された一作である。

ハンガリー出身の嬢の才は米映画会社の長の目に留まり、米国に招待されることと相成つた。かくしてバンキー嬢は航路ニューヨークへと向かったのである。ファーストナショナル社でロナルド・コールマン氏を相手に『ダーク・エンゼル』を取り上げた。モーリス・トゥールヌールの手になる一作である。

(「出づる星:ヴィルマ・バンキー」モンシネ誌1926年3月4日付211号)

Il y a deux ans, Vilma Banky n’était guère connue des cinéphiles; elle avait tourné quelques films en Autriche et seuls les metteurs en scène de ce pays avaient apprécié son talent. Lorsque Max Linder réalisa avec le metteur en scène français Violet Le Roi du Cirque, il chercha une jolie partenaire parmis les artistes locales et fut charmé par la beauté et la grâce de Vilma Banky. Cette dernière fut donc sa partenaire dans son film. A peu près à la même époque, Vilma Banky devint la partenaire de Jean Angelo dans Potemkine, l’oeuvre que l’Agence Générale Cinématographique a éditée récemment en France.

Le talent de cette jeune artiste, qui est Hongroise, fut remarqué par un directeur de firme américaine qui l’invita à venir tourner aux Etats-Unis. C’est ainsi que Vilma Banky s’embarqua pour New-York. Elle tourna un film à la First National l’Ange des Ténèbres (The Dark Angel) sous la direction de Maurice Tourneur.

Les Etoiles qui se lèvent : Vilma Banky
(Mon Ciné No 211, 4 Mars 1926)

ルドルフ・ヴァンチノの遺作『熱砂の舞』(1926年)の踊子役で世界中を夢中にさせ、その後もロナルド・コールマンとの共作(『夢想の楽園』)で初期映画史に確かな足跡を残した女優さん。ハリウッド映画界で初めて大成したハンガリー女優でもあります。

[IMDb]
nm0126566

[Movie Walker]
ヴィルマ・バンキー

[出身]
ハンガリー

[誕生日]
1月9日