1957 – Super8 『松竹8mmライブラリー 日本映画史 前編』(Japanese Cinema History Part I, super8)

8ミリ 劇映画より

c1970 Super8 日本映画史 前編

« Japanese Cinema History : Part I 1887-1949 » (1957, Shochiku Ofuna, dir/Iwaki Kimio)
c1970 Sungraph Super8 Print

1957年に公開された松竹制作による短編ドキュメンタリー。同社が制作した戦前作品を中心とし、活動寫眞の到来から戦後までの映画史の展開を貴重な映像でまとめ上げた一作。

8ミリ版は1960年代末~70年代初頭に発売されたと思われ、前後編の2巻構成。前編は19世紀末の映画前史から終戦後の1949年までを扱っています。2年前の購入時に一度紹介しているのですが画質が悪く、今回綺乃九五式で再度スキャンし直しました。


1887年 『疾走中の馬の連続写真』 エドワード・マイブリッジ

Sallie Gardner at a Gallop [imdb]

まずは明治時代まで遡り「動く写真」の発明としてエジソンの功績と並びマイブリッジ作品が紹介されていきます。


1899年 『紅葉狩』 柴田常吉監督

Momijigari [imdb] [jmdb]

現存する最古の日本映画として知られた『紅葉狩』。九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎出演。現在は国立映画アーカイヴの「映像で見る明治の日本」の動画紹介ページで閲覧が可能です。


1900年 『鳩の浮巣』土屋常二撮影

Nio No Ukisu imdbjmdb

『明治二十八年の両國大相撲』(別名『回向院夏場所大相撲』)でも知られる土屋常二(ジョージ)氏が残したもう一本の映像作品。初代中村鴈治郎出演。


1911-12年 『白瀬中尉の南極探検』 記録映画 田泉保直撮影

Japanese Expedition to Antarctica imdbjmdb

明治末期に行われた白瀬矗注意による南極探検の実録もの。JMDbでは『南極実景』として登録されている一篇で、こちらも「映像で見る明治の日本」で高画質なバージョンを閲覧できます。


1911年 『ジゴマ』ヴィクトラン・ジャッセ監督

Zigomar imdb

日本で大規模な社会現象を引き起こした仏エクレール社の悪漢活劇。ジゴマの百面相を描いた紹介場面と物語途中の抜粋が収録されています。


製作年不明 『自雷也』尾上松之介主演

Jiraiya (Unidentified Version)

松之助十八番。自雷也が妖術を使う場面ながら松之助版自雷也のどれに当たるのか未特定。明治42年ではなくもう少し後年の作品と思われます。


1913年 『アントニィとクレオパトラ』 エンリコ・ガッツォーニ監督

Marcantonio e Cleopatra imdb

絢爛たる古代ローマ世界を描き出し日本でも大きな話題を呼んだ一作。8ミリ版では弁士・玉井旭洋の語りが付されていました。


1913年 『天馬』ハリー・ピール監督

Die Millionenmine imdb

第一次大戦開戦直前に輸入され、国内でのドイツ冒険活劇流行のきっかけとなった一作。ブラウン探偵(ルートヴィヒ・トラウトマン)が囚われの美女(ヘッダ・ヴェルノン)を救い出す場面で弁士・泉天嶺の語りが付されています。


1915年 『後のカチューシャ』細山喜代松監督

Nochi no Katyusha imdbjmdb

向島に新設されたばかりの初期ガラススタジオで撮影された初期日活現代劇。出演は立花貞二郎と関根達発ほか。国立映画アーカイヴやマツダ映画社にも所蔵記録のない作品で、断片を見れたのは感動でした。


1921年 『路上の霊魂』村田実監督

Souls on the Road (Rojô no reikion) imdbjmdb

日本の映画制作が新しい段階に入った様子を告げるモダンな現代劇。国外からの評価が高いことでも知られる一作です。


1921年 『虞美人草』小谷ヘンリー監督

Gubijinsô imdbjmdb

歸山教正氏と並び国産映画の近代化に功あった小谷ヘンリー監督の代表作。グリフィスの影響が濃く、戦闘場面での流動的な表現など日本映画になかった新しい試みを持ちこんでいます。


1923年 『船頭小唄』池田義信監督

Sendô kouta imdbjmdb

帝キネの『籠の鳥』と並ぶ小唄映画ブームの先駆け作品。栗島すみ子の健気で可憐なイメージ戦略をさらに一歩推し進めたものでもあります。


1923年 『関東大震災』記録映画

The Great Kantō earthquake

被災直後、瓦礫の山と化した街並みや、炊き出しに並ぶ被災者たちの姿などを生々しく記録した巨大災害の記録。首都圏を襲った未曽有の災害は初期日本映画の展開にも少なからぬ影響を与えました。


1931年 『マダムと女房』五所平之助監督

Madame and Wife imdbjmdb

斉藤達雄と田中絹代のかけあいが楽しい初期トーキー。


1938年 『愛染かつら』野村浩将監督

The Tree of Love imdbjmdb

看護婦として働くシングルマザーと医学者との悲恋を描いた戦前を代表する和製メロドラマ秀作。


1939年 『暖流』吉村公三郎監督

Warm Current imdbjmdb

高峰三枝子、水戸光子、佐分利信の入り組んだ人間模様を背景に描かれる、硬質な叙情性を帯びた恋愛ドラマ。


1943年 『花咲く港』 木下恵介監督

Port of Flowers imdbjmdb

九州の離島を訪れたペテン師二人組の行く末を軽妙に描いた木下恵介監督デビュー作。


1945年 『そよかぜ』 佐々木康監督

Soyokaze imdbjmdb

「リンゴの唄」の朗らかな響きと共に終戦直後の人々に希望を与える一作となりました。


1949年 『悲しき口笛』家城巳代治監督

Sad Whistling imdbjmdb

笠木シズ子をアップデートする形で日本歌謡を刷新した不世出の歌姫の映画デビュー作。10代前半でこの貫禄はさすが。


1949年 『晩春』 小津安二郎

Late Spring imdbjmdb

20世紀前半の(松竹版)日本映画史は小津の形式美と情緒によって完成された…とまとめたくなる編集です。


白黒110メートル(約18分)
光学録音
サングラフ/松竹

岩田 祐吉 (1887 – 1980)

日本・男優 [Japanese actors]より

Iwata Yukichi Autographed Postcard
Iwata Yukichi Autographed Postcard

深刻な藝風は當代その比を見ない。性格俳優としてフアンの人氣を一身に集めてゐる。人情物、悲劇物が得意と共に、叉喜劇物の主人公をもやりこなせる人だ。先づ外國の俳優と比べても恥ずかしくない人だらう。松竹入社は大正九年六月趣味は讀書、素人寫眞。

『世界のキネマスター』
(1925年5月、報知新聞社出版部)

明治廿年三月岐阜縣大垣市で生る。廿一歳の時河合武雄の門に入り新派俳優として各地に巡業したことあり、大正九年六月松竹キネマ創設と共に映畫界に入り現に蒲田の古参の大幹部として重きを爲す。『奉仕のばら』が初演で爾来『妖女の舞』『一太郎やい』『船頭小唄』『父』『黑川博士』『虹晴』『乃木將軍』『廣瀬中佐』等枚挙に遑がない。最近では『久遠の像』『人生の浪』等の主演がある。性格俳優として益々老熟の演技を見せフアンの人氣がある。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

本名岩田祐吉明治廿年大垣市に生る。郷里の中學校竝びに藤澤幾次郎經營の俳優學校を卒業。初め河合武雄の門に入り大正九年蒲田撮影所創立と共に入社。主な近作は「棘の樂園」「3善人」「レヴユーの姉妹」「父」等。身長五尺三寸八分、體重十四貫八百目。趣味は讀書、園藝。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDB]
岩田祐吉

[IMDB]
Yûkichi Iwata

[出身]
日本(岐阜県大垣市)

[サイズ]
14.2 × 10.1 cm

国島荘一 (國島莊一/國島昇) & 岩崎繁

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

國島昇-岩崎繁 直筆サイン

1902年、福島に生まれた。1914年、井上正夫の門下に入り、本郷座で初舞台を踏む。1922年、松竹蒲田に入社。当時の芸名は国島昇。池田義信監督の『水藻の花』では、都会の青年役で認められ、野村芳亭監督の新時代劇『雁の群』では高崎の重吉を演じ、清水宏監督の『白菊の歌』で木下千代子と共演。1924年、芸名を国島荘一と改める。

1929年、河合映画に移り、『彼女は何うなるか』で琴糸路と共演。時代劇『浅草丹次』『旗本の下に』に主演後、東亜キネマに入社。『処女戦線』で宮城直枝と、『一度はすべての女に』で岡田静江と共演。1931年、松竹蒲田に戻り、『深夜の溜息』『三太郎満州出征』に出演。五所平之助監督の『天国に結ぶ恋』で色敵役を好演するが、これが遺作となった。

『日本無声映画大全』(マツダ映画社)

東亜のサイン帖でサインで解読できなかったものがあったのですが、一件が國島昇氏と判明しました。松竹蒲田を中心に活動されていた男優さんで、1930年後半からのごく短い期間に東亜にも在席されていました。國島昇は初期芸名で途中から国島荘一名義で活動しています。病気がちで1932年に亡くなったとされており、非常に珍しいサインではないかと思われます。

添えられているのは東亜キネマで撮影監督として働いていた岩崎繁氏。主に時代劇(『竜虎八天狗』『建国黒頭巾』『薩南大評定』)を担当し、東亜が傾くと東活~宝塚キネマに転籍していきました

1928-29 – 羽衣館 しおり 4点

「阪東妻三郎関連」より

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1928年末から29年前半に東京牛込の羽衣館で宣材として配布されていた栞4点。

1)1928年12月『鳥辺山心中』(松竹下加茂)林長二郎主演
2)1928年12月『喧嘩安兵衛』(阪妻プロ太奏)阪東妻三郎主演
3)1929年3月『花骨牌(はなかるた)』(阪妻プロ太奏)阪東妻三郎主演
4)1929年5月『浮世小路』(松竹蒲田)栗島すみ子主演

『花骨牌』と『浮世小路』の二枚には穴が開けられ紐がついています。スタイリッシュにロゴ化された映画館名からもデザイン感覚の洒脱さが伝わってきます。

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『日本無声映画大全』 (DVD-R、2000年、マツダ映画社監修)

国内最大の無声映画アーカイヴ、マツダ映画社が監修したデジタルデータベース。英語にも対応していて国外を含めた研究施設での使用を前提にしたような感じ。

1)活動大写真館
2)作品データ館
3)無声映画資料館

の3部構成となっており、1)では2分ほどの抜粋動画、2)では作品詳細データ、3)では人物詳細データを閲覧できるようになっています。

インストールしようとしたところOSが対応していない(XPまでしか動かない模様)と発覚、古いPCを借りてきて内容を確認しました。

個人所有している方は少ないと思われますので、この機会に収録動画のリストをアップしておきます(タイトルの表記に揺れがありますが修正はせずそのまま転載)。

1) 剣聖荒木又右衛門 [極東 1935 仁科熊彦]
2) 伊豆の踊子 [松竹蒲田 1933 五所平之助]
3) 韋駄天数右衛門 [宝塚キネマ 1933 後藤岱山]
4) 一寸法師 ちび助物語 [旭物産 1935 瀬尾光世]
5) 海の水はなぜからい [横浜シネマ 1935]
6) 右門捕物帖六番手柄 [東亜 1930 仁科熊彦]
7) 御誂次郎吉格子 [日活太秦 1931 伊藤大輔]
8) 新編 己が罪作兵衛 [松竹蒲田 1930 佐々木恒次郎]
9) 折り鶴お千 [第一映画 1935 溝口健二]
10) 雄呂血 [阪妻プロ 1925 二川文太郎]
11) 木村長門守 [帝キネ 1928 石山稔]
12) 虚栄は地獄 [朝日キネマ 1925 内田吐夢]
13) 沓掛時次郎 [日活太秦 1929 辻吉郎]
14) 鞍馬天狗・第一篇 [嵐寛プロ 1928 山口哲平]
15) 国士無双 [千恵プロ 1932 伊丹万作]
16) 子宝騒動 [松竹蒲田 1935 斎藤寅次郎]
17) 坂本龍馬 [阪妻プロ 1927 枝正義郎]
18) 砂絵呪縛・第二篇 [マキノ御室 1927 金森万象]
19) 争闘阿修羅街 [大都 1938 八代毅/ハヤフサヒデト]
20) 続水戸黄門 [日活太秦 1928 池田富保]
21) 大学は出たけれど [松竹蒲田 1929 小津安二郎]
22) 磯の源太 抱寝の長脇差 [嵐寛プロ 1932 山中貞雄]
23) 瀧の白糸 [入江プロ 1933 溝口健二]
24) 段七千断れ雲 [大都 1938 中島宝三]
25) 忠次旅日記 [日活太秦 1927 伊藤大輔]
26) 忠臣蔵 [マキノ 1928 マキノ省三]
27) 月形半平太 [聯合 1925 衣笠貞之助]
28) 出来心 [松竹蒲田 1933 小津安二郎]
29) 東京行進曲 [日活太秦 1929 溝口健二]
30) 東京の合唱 [松竹蒲田 1931 小津安二郎]
31) 中山七里 [マキノ御室 1930 並木鏡太郎]
32) 野狐三次 [松竹下加茂 1930 小石栄一]
33) のらくろ二等兵 [横浜シネマ 1933 村田安司]
34) 旗本退屈男 [右太プロ 1930 古海卓二]
35) 二人静 [日活向島 1922 大洞元吾]
36) 弁天小僧 [衣笠 1928 衣笠貞之助]
37) ほととぎす [松竹蒲田 1932 池田義臣]
38) 刺青判官 [松竹下賀茂 1933 冬島泰三]
39) 番場の忠太郎 瞼の母 [千恵プロ 1931 稲垣浩]
40) 毬の行方 [サワタ 1930 沢田順介]
41) 三日月次郎吉 [東亜 1930 後藤岱山]
42) 森の鍛冶屋 [松竹蒲田 1929 清水宏]
43) 弥次喜多・岡崎の猫退治 [大都 1937 吉村操/大山デブ子]
44) 弥次喜多・尊王の巻 [日活太奏 1927 池田富保]
45) 浪人街・第二話 [マキノ 1929 マキノ正博]

2016年5月1日 栗島すみ子墓参 [東京・池上本門寺]

新宿到着。あまりに久しぶりすぎて土地勘がない。人の流れに乗ってそのまま移動。朝は肌寒いくらいでまだスプリングコートの人も多かった。山手線始発で五反田へ、メトロに乗り換え西馬込まで。坂の多い閑静な住宅街。

池上本門寺でお墓の見当をつけたもののなかなか見つからず一苦労。栗島家の墓は池田家の墓と向かうように並んでいた。池田家の墓の手前には黒い碑が一つ。

「栗島すみ子 ここに 眠る」

昭和63年、池田義信氏と栗島すみ子の長男に当る義一氏が建立したもので、碑に刻まれた文字は9代目松本幸四郎のものだそうである。香華を手向けて墓地を離れた。

栗島すみ子 (1902 – 1987)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Kurishima Sumiko Autographed Postcard

Kurishima Sumiko Autographed Postcard

嘗て栗島狭衣が有樂座に根城を構へ、惡戦苦闘の興行を續け、宴會の餘興にも顔を出せば、また今では銅座の名物になつていゐる子供日にまで出演して、不惜身命の働き振りを示せてゐた時代から、一座にすみ子といふ雛のやう可愛い女優がゐた。[…]親にも優る非凡な天才を認められてゐた。時代物でござれ西洋物でござれ、喜劇でも何んでも達者になつてのけるので、斯界の麒麟児とまで云はれたが、本人は其様な世間の評判などには頓着なく、樂屋でも自宅でも駄々を捏ねたり、女チャメの本領を發揮してゐた。

『女優総まくり』(紅鳥生著、光洋社、1917年)


時は『日本の戀人』と映画界にうたはれた人だけあつて、あの澄んだ眼差は、名前通りに美しい。大正十年松竹入社。『虞美人草』に出演以来、幾多のスクリーンに表れて、純日本の女らしい、懐かしさと慕はしさをフアンの胸にやきつけてゐる。

『世界のキネマスター』(報知新聞社、1925年)


今ではさうでも有りませんが、一時日本俳優の人気を一人で背負って居たのは栗島すみ子でした。

『映畫藝術』 (『キネマと芝居』臨時増刊号、1925年)


大正十年松竹キネマに入社してから、あの淋しい悲劇的の顔の表情が見物に受けて、メキメキと映画界の人氣者となつたが、しかし、映画女優としての彼女の天才は松竹に入つてから偶然に表れたのではなく、映画女優としての演技派疾の昔から経験があつたのである。即ち、銀座の吉澤商会の目黒撮影所と、新宿のエム・パテーの撮影所に於て活躍しお伽芝居の『桃太郎』を上州玉川畔で寫し、社会劇『海上王』を相州江の島で撮影し、その桃太郎と燈臺守の娘に扮したのが、抑々映画界に足を踏み込める第一歩となつたのである。

『裸にした映画女優』(泉沢悟朗著、日本映画研究会、1925年)


蒲田の女王としての彼の藝は日を経るに随つて益々圓熟して來る。素顔はさして美人といふ程でもないがカメラフエースが素敵に好い。彼は人も知る栗島狹衣の娘で明治三十五年三月東京澁谷に生れ、幼にして父の下で舞臺に立つこと七年、有樂座に出たこともある。踊りを能くし水木歌香の名取、大正十年二月松竹に入りスターとなる。映畫としては小谷ヘンリーの『虞美人』が處女出演で『なすな戀』『船頭小唄』『歎きの孔雀』『マアチヤン』『受難華』『緋紗子の話』『妖婦五人女』最近では『珠を抛つ』『天國の人』等の出演がある。相当永い間のスターではあるが人氣は益々高く昭和三年初頭の人氣投票では映畫女優として最高點を獲得してゐる。

『玉麗佳集』(中央書院、1928年2月)


本名栗島澄子、明治卅五年栗島狭衣の子として東京澁谷に生る。七歳にして初舞臺を踏み、續いて劇團にあつたが大正十五年松竹蒲田へ入社。主な近作は「麗人」「女は何處へ行く」「女心を亂すまじ」等々、趣味は唄、三味線、殊に舞踊に堪能。池田義信監督の夫人。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』(『冨士』昭和6年新年號附録、1931年)


餘りに有名である。明眸皓歯 – 暮れゆく初夏の空に煌めき出づる太白星の淨さを思はしむる。聰明さ彼女の如きは稀だ。城戸蒲田撮影所長をして、男に生れさせたかつたと歎じしめた、その才略 – 大正十年春『虞美人草』に出演以来『嘆きの孔雀』『眞珠夫人』『緋紗子の話』『今年竹』『相思樹』など、一作毎に盛名を持してゐるのは、栄枯盛衰の甚だしい女優の生涯にあつて全く珍しい。

舞踊に長じ、音樂を好み、しかも家庭的に刺繍の巧者、玄人を凌ぐと聞けば、フアンはいよいよ讃歎するだらう。- 藝は圓熟の一語に盡きる。トーキー俳優としても、舞臺俳優としても十分成功すべき素質に惠稀てゐる。(松竹蒲田)

『東西映畫 人氣花形寫眞大鑑』(『冨士』昭和8年新年號附録、1933年)


[JMDb]
栗島すみ子

[IMDb]
Sumiko Kurishima

[出身地]
日本(東京・渋谷)