1925 – スーパー 8 『月形半平太』(澤田正二郎主演、衣笠貞之助監督)

「8ミリ 劇映画」より

1925 Super8 月形半平太(衣笠貞之助監督/沢田正二郎主演)
Super8 « Tsukigata Hanpeita »
(1925, dir. Teinosuke Kinugasa, starring Shojiro Sawada)

『国定忠治』と並ぶ澤正映画の代表作で監督は衣笠貞之助。

フィルムの長さにして30m、映写時間7分弱の再編集版で、内容は大きく1)遠景で捉えられた橋の上での立ち回り、2)祇園での芸妓との会食、3)襲撃してきた新撰組とのチャンバラの3つに分けることができます。

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冒頭の橋での斬り合いはロングショットで撮影されカメラの切り返しなどはありません。抜いてから終わるまでが一瞬で凄まじい速さ。

この後、夜に浮かぶ花などが映し出され、祇園の華やかな雰囲気が醸し出されていきます。久松喜代子、春野歌子、二葉早苗など新国劇の女優陣が舞妓、芸妓として登場、荒ぶる幕末の風景にロマンチックな色合いを添えていきます。

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その後夜道を歩いていた主人公を覆面姿の男たちが襲撃、「長藩、月形半平太と知つてか。卑怯者、名を名乗れ」「新撰組!」のやりとりがあって立ち回りになだれこんでいきます。

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カメラアングル、構図に対する意識、コントラストの強い絵作りなど、マキノ省三監督の『国定忠治』と比べても衣笠監督の美的センスをより鮮明に感じ取ることができる内容。殺陣にしても舞台の動きを単純に撮影したものではなく、エディティングで効果を強めていく意思が伝わってきます。

澤正の殺陣を見ていくと、敵との対峙場面でカメラを正眼に直視した際、刀身をまっすぐに立てているため、顔を縦断する細い線に見えています。

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刀のデザイン性を考えるとやや斜めに立てた方が見栄えが良いのでしょうが、一瞬でも早く相手を斬った方が勝ち、そんな命がけの闘いにポージングは要らないのかな、という気もします。舞台では見れないこの角度と距離感、映画でこそ表現可能となった「澤正の本気度」なのでしょう。

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[タイトル]
月形半平太

[公開年]
1925年

[JMDb]
ba001650

[IMDB]
tt0016460

[フォーマット]
スーパー8
白黒30メートル 18コマ/秒 約7分
株式会社サングラフ

1926年『キネマ花形』 (『活動花形』改題 11月号 花形社)

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1926 Kinema-Hanagata Magazine (November Issue)

 「映畫世界」之は少々高級すぎて一般にや解らないぜ。グラヴィアなどはどうも虫が好きまへんな。毎號どうも寫眞版がちと淋しうおすぜ。映畫春秋なんか相手にしないでしっかりおやりやす。
 「活動世界」倶樂部を水洗いした様な雑誌、だが、讀む所はうんとこあるから何番姫や、番頭さんにはもつてこい。[…]
 「映畫研究」原畫がとてもいいのがあるらしいのぢや一番だ。たゞし表紙は活動世界の兄分位まだ三號かそこら故、可愛いい所。
 「映畫春秋」之は題名丈見ておけばいいもの島淸の百分の一ぐらいの偉さの人間が遠吠ゑてゐる雑誌だ。それで大雑誌にケンカを賣る蚊みたいな奴だ。
 「キネマ世界」活氣のない、ウドの芽みたいな雑誌。内容は、あら姉さん、リリアンはいゝわねゑてな事が書き連ねてある。口繪の説明は隅こに小さくポツンポツンと書いてある。
 「蒲田」これは松竹せんもん。やうやく此處に三霜年。雑誌らしい雑誌、ただし蒲田の事ばかりだよ。お客さんは專賣局の女工さんが上得意、
 「松竹畫報」蒲田の子分で分家した奴。
 「活動之花形」ちらほら夜店の本の内にうごめいてゐる。
 「キネマ」少女などの共鳴と人氣を得んと、夢二を招き少女小説を連載す。あれまあ。
 「日活」これは紙くづにも勿體ない。

「映畫雑誌首實見」大瀧泰
キネマ旬報大正13年10月1日付 第173号

1920年代初めに雨後の筍のように現れたファン雑誌についてこんな投稿が残されています。このうち、後半の「活動之花形」は「活動花形」でしょうか(少し前にあった「活動之世界」と混ざっているようです)。同誌は京都を拠点に活動していた花形社の雑誌のひとつで、こちらは1926年末に「キネマ花形」と改題後出版された新生第一号となります。

表紙を飾っているのはコリーン・ムーア。本文は全て一色刷り、数点のグラビアを除くと大半が公開された新作のスチルと粗筋紹介となっています。内容は:

日活:「シベリアお瀧」「月形半平太」「水戸黄門
松竹:「カラーボタン」「美しき禱」「若き日の罪」「いとしの我が子」「妖刀」「いかりの刄」「海人
帝キネ:「關東綱五郎」「澁川伴五郎」「海の妖婦」「自由の天地
マキノ:「どんぐり長屋」「どんどろ堀」「大江戸の丑満頃」「大尉の娘
東亜:「富士に立つ影」「逆風」「劒闘」「森の石松
阪妻:「情炎流轉」「狂へる人形師

誤植(「お瀧」→「お龍」、「丑満頃」→「丑満時」)もそのまま転記。その他海外作品として「グリード」や「バツト」「雀」「女郎蜘蛛」「滅び行く民族」なども紹介あり。

後半の下の方には小さくゴシップ欄があり、マキノ輝子の醜聞と共に日活でのリストラの話が掲載されていました。

尾上松之助氏の死とともに所内に蔓る積弊一掃の機會を早めるものと觀測されてゐたが果然拾八日午後京都市木屋町中村屋にて横田副社長根岸支配人池永所長杜重支店長等が會合協議の結果新劇部男優小村新一郎齋藤達雄宇田川寒待弓削宗貞外三拾六名女優部では宮部静子、本田歌子、衣笠みどり、松島英子、高島京子、香川満子、巽久子、橘道子外数名を解雇した。
それと同時に東坊城恭長、若葉馨、木藤茂に俳優を廃めさせ東坊城若葉の兩名は一時名目だけの脚本部附となし木藤は監督助手に祭り上げるなど大整理を行ふ[…]。

「新劇部男女俳優大整理」

1917 – スーパー8 『移民』(Bネガ 東和版 1970年代初頭)

「8ミリ 劇映画」より

手持ちとしては4種類目となる『移民』のプリント。チャップリンがミューチャル社と契約していた時期に制作された作品はしばしば「ミューチャル短編」と括られます。しかし実際にミューチャル社のロゴを持つ最初期のプリントは『午前一時』を除くと見つかってないそうです。

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(左)東和版8mm (中)UK版9.5mm(右)フリッカー・アレイ版DVD

左二つは国外向けBネガ由来で、船酔いした左のロシア人がカメラを見ています。右のAネガ由来のDVDではチャップリンがカメラを直視しています。


credit
« Towa Company, Ltd.
Presents »

ネガやアウトテイクの流れをタイムラインで追っていくと次のようになります。

1919年、『移民』の制作元であるローン・スターフィルム社がミューチャル短編をクラーク・コーネリアス社に売却。この売却には米国内用のネガ(Aネガ)、輸出向けネガ(Bネガ)、さらに75万フィートに及ぶアウトテイクが含まれていました。

クラーク・コーネリアス社はロゴと字幕を新たに作り直し「チャップリン・クラシック・デラックス」シリーズと名付け、1920年から米国内での再公開を行っていきます。クラーク・コーネリアス社は1923年に一度発展解消、CCピクチャー社と名前を変えます。それでも「チャップリン・クラシック」のロゴは生き続け、1925年まで国内各地で上映が続けられていきました。

しかし時代に波にのまれ次第に売り上げは低迷、多額の負債を抱えたCCピクチャー社は借財返済のため二種類のネガとアウトテイクをオークションにかけます。1925年3月、国内向け/輸出向け2種類のネガの版権を買い取ったのがルイス・オーバック(Louis Auerbach)でした。同氏は自身が社長となり設立したミューチャル・チャップリン社に権利を売却します。

この時期に米コダスコープとの話が持ち上がり同社が16ミリのレンタル権を取得します。また国外向けに仏パテ/英パテスコープとの契約が結ばれ9.5mm形式のフィルム販売が行われていきます。両者の元になったのはチャップリン・クラシック版ですが16mm/9.5mmいずれも元々の形ではなく、細かな改変が行われたそうです。

1917~18年に実写されていたミューチャル版が発見されれば全ては解決されるはずですが、それが叶わない現在、1920年代前半に使用されていた「チャップリン・クラシック」を元に「正規版」の再構成が行われています。2014年にフリッカー・アレイ社から発売された『チャップリンのミューチャル喜劇 1916-1917』に至るまで、専門家が集まってできる限りオリジナルに近づけようとしているのです。

しかしながら「チャップリン・クラシック」版をベースにしていくと足りないパーツがあるようだ、ということが分かってきます。1917年のオリジナル公開時、著作権登録のために作品を要約した文章が残されていて、そこに書かれている幾つかの場面が見当たらないのです。

例えば(1)冒頭、船上でチャップリンが船酔いしたロシア人と出会った後、臭気に耐え兼ね船の逆側に逃げ出したところ、母に背をさすられ嘔吐している息子の場面があったとされています。また(2)食堂でヒロインと出会ったチャップリンが、食堂を出た後の場面があったとも記されています。

この場面は現時点では確認されておらず、フリッカー・アレイ版のDVD/ブルーレイにも収められておりません。ただ、数人の専門家が「昔TVで観た版にはあった」と記憶を頼りに証言。しかもその一人は「2000年頃、日本のテレビで見た『移民』にその場面があった」とのこと。

Two missing scenes from the Flicker Alley’s 2014 Blu-ray/DVD version. (left) « with his mother’s assistance he manages to empty the contents of his anatomy in a series of volcanic spasms »(right) « … necessitating a hasty grip on his mouth and a dash to therailing outside »

「ノーカット版」とされた今回の日本語字幕版8ミリはその意味で興味深い物でした。実際に「母親が嘔吐する息子の背中をさすっている場面」「食堂から出ていくチャップリンの後ろ姿」、他にもフリッカー・アレイ版に存在していない短い場面が幾つも含まれています。

食堂でのチャップリン/エドナを捉えている角度から、この8mmプリントがBネガ(輸出用ネガ)を元にしているのも確認できます。『移民』の日本初公開は1918年ですので、その際に輸入されたプリントから派生してきたものであるとすると「チャップリン・クラシック」以前、ミューチャル社配給によるプリント(ただしBネガベース)なのかなという印象です。

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(left) Japanese super8 (center) UK pathescope 9.5mm (right) Kodascope 16mm

同じBネガ由来の英パテスコープ版と比べてみると、UK版はアスペクト比(縦横比率)がおかしくなっていて、やや横が圧縮されていると分かります。東和版のエドナの方がややふっくらして見えますがこちらが元の比率。ただしトリミング幅も大きいです。コダスコープ版はAネガ由来のため撮影角度が異なっています。

正規版は本国初公開版(Aネガ)の再構成を目指していてBネガの出番はあまりないとも言えます。また2リール物=約24分程度にまとめたい、という整合性の問題も発生します(東和版は30分ほどの長さ)。それでも、本国の専門家すら見たことのない場面が日本のお茶の間で普通に放送されていたのが面白いところ。子供の頃に何度も見たあの『移民』にはお宝が隠されていたのでした。

参考文献
Chaplin’s Vintage Year: The History of the Mutual-Chaplin Specials / Michael J Hayde (2014年) Google Booksにて購入

1920年代半ば〜後半ミニチュア写真フレーム(阪東妻三郎、市川百々乃助、尾上松之助)

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正式名称は不明。これまで3度ネットオークションにかけられたのを見た覚えがあります。最初の2回は競り負けし、3度目に入手したのがこちらです。

物としては金属製の小さなフレーム(1.0 × 1.7センチ)に一回り小さな鏡と俳優ブロマイドを収め、中身が落ちないように上の輪に紐を通しています。参考までに一円玉と並べてみるとサイズ感が分かるのではないかな、と。

阪東妻三郎と市川百々乃助が複数点、尾上松之助がひとつ。残りは写真が小さすぎて特定できませんでした。俳優の選び方から20年代中盤~後半でしょうか。

興味深いのは、これまでに見かけた3度がいずれも単品ではなく10個程度の束になっていたこと。個人が収集していたというより、縁日の屋台や駄菓子屋で売るためセットにしてあった在庫がそのまま残ったような感じです。

東郷久義、昭和5年(1930年)の暑中見舞い

「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

東郷久義、暑中見舞い
Togo Hisayoshi 1930 Summer Greeting Card

Togo Hisayoshi 1931 Portrait

東郷久義(1898年3月26日 – 没年不詳)

本名品川久義。明治卅三年島根縣に生る。上京して海城中學を了へ、尚ほ関西大學法科を卒業後三年間歐州を漫遊す。大正十五年四月、招かれてマキノキネマへ入社、スポーツ劇を以て立つ。主なる近作は「常陸丸」「侠骨日記」等。身長五尺六寸、體重二十二貫。柔道四段。趣味は各種スポーツ。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDB]
p0304430

[IMDB]
nm1798357

[誕生日]
3月26日

[出身]
日本(島根県)

[サイズ]
8.9 × 14.2cm

[データ]
髙島栄一氏宛、昭和5年(1931年)8月3日西陣の消印有。

エドゥアール・マテ Edouard Mathé (1886 – 1934 ) 劇場支配人宛ての書簡

「国別サインリスト フランス [France]」より

エドゥアール・マテ直筆書簡

Edouard Mathe Hand-written Letter Addressed to the Isora Brothers
Edouard Mathé Hand-written Letter Addressed to the Isora Brothers (c1915?)

やはりルイ・フイヤード活劇の常連で、『ジュデックス』でルネ・クレステの弟役を演じていたエドゥアール・マテが残した直筆書簡。ファルコネッティの手紙と同様、パリの大物興行師だったイゾラ兄弟が保管していたコレクションの一部となります。


「日曜に記す

劇場支配人さま。

今晩上演されるオペラ作品『ミニョン』の座席を二つ御手配いただくこと可能でしょうか。知人の歌手エドメ・ファヴァールの晴れのデビューに立ち会いたいと思っております。

誠にお世話になります。オペラ=コミック座には午後6時前後に着けるかと思います。

何卒よろしくお願いいたします。

エドゥアール・マテ」

当時オペラ=コミック座の支配人をしていたイゾラ兄弟に同劇場のチケットを所望しています。「知人」として紹介されているエドメ・ファヴァールは女性ソプラノ歌手で、オペラ=コミック座での初主役となった『ミニョン』が1915~25年まで10年に及ぶロングランを記録しています。「晴れのデビュー」とありますので大戦中の1915年ごろの手紙でしょうか。

Edmée Favart
エドメ・ファヴァール

マテが当時、映画俳優業の他に何をしていたのか全く知られていません。交友関係が伺い取れるだけでなく、パリでイゾラ兄弟と契約を結んでいたことも分かる資料です。

« Ce dimanche

Nos chers directeurs,

Voudriez-vous m’octroyer amicalement deux places pour ce soir « Mignon » afin que je puisse assister aux heureux débuts de mon [illisible] amie et interprète E[dmée]. Favart?

Je vous en serai infiniment reconnaissant et pourrai vers 6h à l’Op[éra]. comique.

Veuillez agréer, nos chers directeurs, l’expression de nos sentiments les plus dévoués et de nos sincère remerciement,

Edouard Mathé »

1931年 – 『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』 冨士新年號附録

1931年-名流花形大寫眞帖
« Stars Photo Album » supplement to the « FUJI » magazine Vol.4, No.1 (Jan 1931) published by the Dai Nippon Yubenkai Kodansha, Tokyo, Japan.

[発行年]
昭和6年1月

[発行者]
大日本雄弁会講談社

[フォーマット]
356頁 18.4cm×12.8cm

[定価]
本誌と共に七十銭