1930年代中盤 – 9.5mm 個人撮影動画『淡路島のだんじり祭り』

「9.5ミリ動画 05b 個人撮影動画」より

Mid 1930s Awaji Island Danjiri Festival

1930s-awaji-danjiri-00
1930年代中頃に淡路島で撮影されただんじり祭りの様子を撮影した9.5mm個人撮影動画。カメラを固定せず持ち歩きながらの撮影となり手ブレが非常に多いものの、青年たちが布団だんじりを担いで練り歩く勇壮な姿を見ることができます。
sample01sample02
冒頭は通りを練り歩く山車で始まります。そこまで広くはない道幅に結構な数の人々が集まっています。静止画で確認すると「山際写真館」「クラヤ洋品店」など幾つかの看板を読むことができました。その後、カメラが真下を向いた一瞬にバス停が映りこみます(一コマのみなので動画では見えません)。
sample03
180度反転すると「全淡バスのりば」の文字。全淡バスは戦前に淡路島を走っていたバスの名称で、この情報から撮影場所を特定することができました。
sample04sample05
次の場面から撮影者は路上に下りて通りの撮影を始めます。「最上醤油」や「遊技場」などの看板が見え、はっぴ姿の青年衆たちが何やら準備中。途中に「新興キネマ」と書かれた映画館を発見できました。

sample00後半に登場してくるのは淡路島のだんじり祭りで使用される「布団だんじり」です。明治中頃からこの形が定着したそうで、祭りが若者たちで賑わってきた時期の貴重な動画となりました。

1917-22 忘れじの独り花(31)ヴィオレッタ・ナピエルスカ Violetta Napierska (生没年不詳)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

VIoletta Napierska 1921 Autographed Postcard
VIoletta Napierska 1921 Autographed Postcard

フェルン・アンドラに通じる硬質で神経質な雰囲気を漂わせていたのがこちらのヴィオレッタ・ナピエルスカでした。主にリヒャルト・アイヒベルク監督作品に出演し、同監督夫人でもあるリー・パリーの脇に回る形で活動を続けていました。

ある時期のアイヒベルク監督作品には、後にドラキュラ伯爵役で名を上げるベラ・ルゴシも参加しています。リー・パリー主演、ルゴシ&ナピエルスカス助演作『夜の娘』(Der Fluch der Menschheit、1921年)が短縮版で現存しています。

VIoletta Napierska in Der Fluch der Menschheit (1921)
『夜の娘』(Der Fluch der Menschheit、1921年)より

[IMDB]
Violetta Napierska

[Movie Walker]
ヴァイオレッタ・ナピエルスカ

[誕生日]
不明

[出身]
不明

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 7223. Phot. H.W. Mager, Berlin.
「1921年12月 ミュンヘンにて」

1934年2月11日 – 9.5mm 個人撮影動画『柳幼稚園 仮装奉祝行列』

「9.5ミリ動画 05b 個人撮影動画」より

1934 Yanagi Kindergarten Costume Prade
(in celebration of the birth of Prince Akihito)

昭和9年(1934年)2月11日の紀元節(現在の建国記念日)に開催された仮装行列を記録した動画。前年末、昭和天皇に待望の皇太子(現在の上皇)が誕生したのを受け、地元の幼稚園を中心にお祝いのパレードを行ったものです。

まずは神社の境内に集合、早速記念撮影で盛り上がっています。昔話や説話(浦島太郎、桃太郎、大江山四天王)、歴史上の偉人(加藤清正)、火消しや宮司、軍人、猿回しの姿、歌舞伎の登場人物(鏡山お初)などを確認できました。

後半は路地を練り歩いていく様子です。旗を手にした制服姿の学生が園児をエスコートしていきます。

途中に一度列車の車両を模した山車が映し出されています。旗日仕様の列車(あるいはお召し列車)を元にしたデザインと思われ、以前に紹介した『昭和御大禮の盛儀』で実物を確認できました。

sample05

showa-onn-taire-vol2-10
(上)仮装行列用に制作された山車
(下)『昭和御大禮の盛儀』より

1934年頃になると映像からも景気の悪化を感じ取ることができます。明るい話題ばかりではない時代を連帯感で乗り切ろうとしていく共同体の姿でしょうか。

南 光明(1895 – 1960)

「日本 [Japan]」より

Minami Koumei Autographed Postcard
Minami Koumei Autographed Postcard

本名鈴木光、明治三十年、東京市に生る。築地文海學校、立教中學。大原簿記商業科等に學び、大正九年松竹キネマ研究所に入り、蒲田スタヂオへ入社。マキノ入社は昭和三年五月。主な近作は「情恨」「次郎長旅日記」嵌り役は浪人者。身長五尺七寸體重十八貫五百目。趣味は旅行、野球、讀書等。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

以前に昭和15年(1940年)の残暑見舞いをご紹介済。

[JMDb]
南光明

[IMDb]
Kômei Minami

[出身地]
日本(東京市京橋区築地)

[誕生日]
6月30日

[データ]
8.5 × 13.5cm

石山 龍児 (1893 – 1973)

「日本 [Japan]」より

Ishiyama Ryuji Autographed Postcard
Ishiyama Ryuji Autographed Postcard

映畫俳優で知つてゐるのは蒲田の石山龍嗣だけである。それも役者として知つてゐるのではない。もう十何年も前、學生のときに偶然のことから知りあひになつて、いつしよに義太夫をききに行つたり文學論をたたかはしたりして、たいへん仲が良かつたのである。

そのころ石山龍嗣はまだ蒲田に入社してゐなかつたしどこにも勤めてゐなかつたので、下宿で暇さへあれば表情の研究をしてゐた。

[…] こないだ私は四谷の映畫館で日本もののトーキーを見て、石山君が醫者に扮し怪我をした少女を診察するところを見た。おちついてゐて厭や味がなく、人がらなところは実際の石山君の性格を見る思ひであつた。地味ではあるが蒲田では相当な俳優なのであらう。(十年七月)

「映畫と石山龍嗣」、井伏鱒二
『肩車』(昭和11年)収録

Ishiyama Ryuji in Arigatosan (1936)
『有りがたうさん』(1936年、清水宏)より
左から石山龍児、上原謙、桑野通子

[JMDb]
石山竜嗣

[IMDb]
Ryuji Ishiyama

[出身地]
青森県

[誕生日]
9月2日

[データ]
8.5 × 13.5cm

市川 市丸(1906 – 没年不詳)&大河内 伝次郎(1898 – 1962)

「日本 [Japan]」より

Ichikawa Ichimaru & Okochi Denjiro Mid 1920s Autographed Postcard
Ichikawa Ichimaru & Okochi Denjiro Mid 1920s Autographed Postcard

明治三十九年十月名古屋市に生る、野球と散歩がすキで蜘蛛と酒が嫌ひといふ變りもの。大正十年日活關西スタヂオへ入社し『憂国の少年』『姫小姓彌源太』『永樂德太郎』『水戸黄門』等に主演しフアンの好評を博し一躍スターとなる。最近退社して二三のものと日本プロダクシヨンを創設して牛耳を執り映畫の製作に從事してゐたが事志と違ひ遂に解散の憂き目を見たが近く擡頭するであらう。本名を森一太郎といふ。

「市川市丸」『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

1926年(大正15年)8月に発売された『キネマ』誌の第4回人気投票得点表で13位(男優では7位)にランクインしていたのが市川市丸でした。松之助が亡くなる(9月)直前辺りの人気勢力図は変化が見られ、森野五郎、高木新平や市川百々之助など若手が続々台頭する中で注目を浴びた一人でした。大河内傅次郎とは『修羅王』(池田富保)と『忠次旅日記 甲州殺陣篇』(伊藤大輔)の二作で共演しています。

[JMDb]
市川市丸

[IMDb]
Ichimaru Ichikawa

[出身地]
日本(愛知県 名古屋市)

[誕生日]
10月27日

[データ]
8.5 × 13.5cm

ライラ・リー Lila Lee (1905 -1973) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(1)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」
「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Lila Lee c1920 Inscribed Photo
Lila Lee c1922 Inscribed Photo

ライラ・リー嬢はニューヨーク市で生れ、家庭教師の教育を受けた。幼くしてヴォードヴィルで活動を開始、指導はガス・エドワーズ氏によるもので、嬢の「発見」は同氏の功績が大なりと言わねばならない。氏の手による名曲『ジミー・ヴァレンタイン』の初披露時に歌っていたのがリー嬢で、また同氏の手掛けた「少女歌劇物」にも数多く出演。舞台の愛好家たちは愛情をこめて「抱っこちゃん(Cuddles)」と呼んでいる。映画界での第一歩はフェイマス・プレイヤー社の『見せかけの船路』で以後『可愛い海賊』『男性と女性』『狼の娘』『米国市民ホーソン君の冒険』と出演を重ねていく。身長は五尺三寸、體重は十三貫三百匁、黒目黒髪。

Lila Lee was born in New York City and was educated by private tutors. She started her stage career in vaudeville at an early age, under the guidance of Gus Edwards, to whom must be given the credit for « discovering » her. She was the original « Look Out for Jimmy Valentine » girl introducing that song for Mr. Edwards, and has appeared in many of his « kid » revues. She is fondly known to all theatre-goers as « Cuddles. » She started her screen career with Famous Players, making her first appearance in « The Cruise of the Make-Believe », followed by « Such a Little Pirate, » « Male and Female, » « A Doughter of Wolf, » and « Hawthornes of the U.S.A. » She is five feet three inches tall, weighs a hundred and ten pounds, and has black hair and black eyes.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

ドナルド・キース(Donald Biddle Keyes)氏は1920年初頭~1954年にかけロスアンゼルス拠点で活動していた写真家です。ラスキー・フェイマス・プレーヤー社~パラマウント社でスチル写真の撮影に携わり、ウォーレス・リードやルドルフ・ヴァレンティノ、グロリア・スワンソン等当時の花形俳優のポートレート写真を多く残しました。

その後1930年代には自身の写真スタジオを立ち上げゴールドウィン映画社やユナイテッド・アーティスト社でスチル撮影を続け、1954年の引退まで業界で高い評価を維持し続けました。

今回ご紹介するのは、キャリア初期に自身の撮影した写真にメッセージとサインを入れてもらったキース氏の個人旧蔵品です。第一弾は1920年代フェイマス・プレーヤー社の花形で、トーキー移行後も活躍を続けた実力派女優ライラ・リー。ヴァレンティノ主演作『血と砂』(1922年)でヒロインを務めた際の一枚で、当時の映画雑誌グラビアにも使用されていました。

Lila Lee in Blood and Sand
『血と砂』(1922年)より

[IMDb]
Lila Lee

[Movie Walker]
ライラ・リー

[出身地]
合衆国(ニュージャージー州ユニオン・ヒル)

[誕生日]
7月25日

[撮影]
ドナルド・ビドル・キース [Donald Biddle Keyes]

[サイズ]
17.8 × 24.1 cm (カーボン製フレーム除く)