1929 – VHS 『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』 (マルコ・ド・ガスティーヌ、白黒リストア版)

2011~12年頃に入手した仏VHS版。

主演のシモーヌ・ジュヌヴォワは1930年代半ばには結婚して女優業を退いていましたが、戦後、晩年の1980年代になって夫であり元映画プロデューサーのコンティ氏と共に本作の修復プロジェクトを始動させました。実際に作業の中心となったのはルネ・リヒティグ女史で1985年には琥珀色に染色された125分のリストア版が完成。この修復版を白黒で収録したのがVHS版となります。

1990年代半ばのVHSからDVDに切り替わった時期に発売されたため自国フランスでもほとんど流通せず、中古市場でも見かけることが少ない一作。1929年の初公開時にはドライヤー版のインパクトとトーキーの到来にかすんでしまった上、VHSの発売ではDVDにかき消されてしまう辺りが「フランス無声映画史上最も不運な映画」の面目躍如でしょうか。

元々2010年頃、本作をデジタル化した動画が(ユーチューブではない、そして今ではもう存在していない)動画サイトに投稿されていました。そこで初めて見て完成度の高さに驚きVHSを探し始めました。海外発送不可のセラーさんの手元にあるのを見つけ、輸入代行業者に委託して送ってもらいます。VHSの規格が日仏では異なっており手持ちのデッキでは再生できずさらに別な業者に依頼してデジタル化してもらった覚えがあります。

[原題]
La Merveilleuse Vie de Jeanne D’Arc

[公開年]
1929年

[IMDB]
tt0020165

[メーカー]
仏ルネ・シャトー社

[発売年]
1995年頃

[フォーマット]
VHS

シモーヌ・ジュヌヴォワ Simone Genevois (1912- 1995)

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡(1930年頃)

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡・全体
c1930 Simone Genevois Lettre Dedicacée

ご質問への回答以下となっております。お気に入りの役はジャンヌ・ダルクです。撮影所の思い出は…多すぎてここでは語れない位なのですが一つ言えるのはどの撮影も心地良かったですし今の人生を満喫しています。

今後の計画としては沢山の映画に出てみたいです。しっかり作りこまれた役柄、モダンな役を演じたいのです。映画業界の未来は…素晴らしい未来が待っていると思います!

シモーヌ・ジュヌヴォワ

Monsieur, Voici les réponses que vous me demandez. Mon rôle préféré est celui de Jeanne D’Arc. Mes souvenirs de studio, mon Dieu, je ne peux pas vous en raconter j’en ai

tellement, mais je puis vous dire qu’ils sont presque tous agréables et que j’adore cette vie-là. Mes projets, faire beaucoup de films mais des rôles de composition, des rôles modernes. L’avenir du cinéma je crois qu’il est merveilleux!

Recevez Monsieur mes sincères salutations, Simone Genevois


1930年頃と思われるシモーヌ・ジュヌヴォワ直筆の書簡。アンリ・デュブリ氏に宛てた物でサイズは19.2×30.2センチ。雑誌アンケートに回答する内容となっています。

ジュヌヴォワは1910年代に子役としてデビュー。アンリ・プークタル監督の『労働』(1920年)などにも出演し、レジーヌ・デュミアンと並ぶ人気子役として活躍しました。

『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
[ゴーモン・パテ・アーカイヴ(Gaumont-Pathé Archive)より]
学業を理由に一旦は映画界を離れるのですが、その後程なくしてカムバック。アベル・ガンスの『ナポレオン』ではシチリア島に住むナポレオンの妹役として登場しています。

その後ガスティーヌ監督の『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』のオーディションに応募し、見事ヒロインに選ばれました。同作が彼女の代表作となりましたが、その後もガスティーヌ監督と縁が続き1930年代初めまで活躍、結婚と同時に女優業を離れています。

19270618-Le Journal
1927年6月18日付「ジュルナル」紙より。主演がジュヌヴォワに決まったニュース

上の新聞記事は1927年6月に主演オーディションの結果が発表された時の物です。最終選考に残った21人の中からジュヌヴォワが満場一致で選ばれた、との内容。ただし一説では元々主演の条件を満たしていなかった彼女を俳優フィリップ・エリアが監督に強く推して選ばれたとされています。また1927年7月31日のレコー・ダルジェ紙には当時まだ未成年だったジュヌヴォワの契約を巡り周囲の大人の間でトラブルのあった話が触れられています。この手のドロドロした話題は映画雑誌では触れられないのが常でしたが、見えない所で色々あるのは今も昔も変わらない訳です。

Simone Genevois c1930 Autographed Photo

こちらは1929年前後と思われるロレル撮影所の直筆サイン入り生写真。サイズは15.8×21.2センチ。

[IMDB]
nm0312810

[出身]

[誕生日]
2月13日

1929年 – 『シネミロワール』誌 昭和4年11月8日付第240号・特集:『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』

Ciné-miroir No 240 (8 novembre 1929) couverture
Ciné-miroir No 240 (8 novembre 1929) couverture

フランスの1920年代映画雑誌の多く(モンシネ、シネマガジン、シネア等)はすでに公的機関によってデジタル化されており画質にさえこだわらなければオンラインで自由に読むことができます。数少ない例外が『シネミロワール』誌で、サイズが他誌と比べて大きいためか現時点までデジタル版を見た覚えがありません。


同誌1929年末の240号は『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』の特集で表紙を主演のジュヌヴォワが飾り、雑誌中ほどの見開き特集で同作の粗筋が紹介されています。

c1930 – 9.5mm 『雪掻車の活躍』(伴野商店/鉄道省)

「9.5ミリ 伴野商店」より

映画と列車は浅からぬ縁があります。リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年)を皮切りとし、ハリウッドでも『大列車強盗』(1903)や »鉄道活劇 »『 ヘレンの冒険』(1915-17)、キートンの『大列車追跡』(1926)など枚挙に暇がありません。

日本でも戦後8ミリの時代には多くの蒸気機関車がフィルムに収められて市販されていました。そういった傾向のルーツの一つとして、戦前の鉄道省が監修・製作した本作品を含めても良いのではないかと思います。

雪国の厳しい自然を背景にロータリー車やラッセル車、広巾雪掻車の実動している様子そして働く人々が映し出されていきます。


[原題]
雪掻車の活躍

[メーカー]
伴野商店

[カタログ番号]

[仏パテ社版カタログ番号]

[フォーマット]
9.5mm、無声、ノッチ有、20メートル

八雲恵美子/惠美子/理恵子 (1903–1979)

「日本 [Japan]」より

八雲恵美子サイン入り絵葉書
Yagumo Emiko Autographed Postcard

絵葉書&略歴

『姉ちやん、七時を打ちましたよ。』
『ウン、そう、もう五分間寝かして頂戴』
うつらうつらと夢路をたどる内亦々ミシミシと梯子段を踏む音にハツとして目を覺まし時計を見ると三十分經過、驚いてとび起き顔もそこそこに洗ひ御飯もおほいそぎで食べて家を出掛ける。撮影所に着いて助手さんに見つからないやうにと、そうつと裏の方を通つていつたが、俳優部屋の處でたうとう見つかつてしまつた。
『皆揃ひましたよ、あなた一人ですから早くお願いしますよ』
パラソルも袋も部屋にほうりこみ髪結部屋にとびこみ、早く早くと自分のおそくなつたのを棚に上げ髪結さんを一生懸命にせかせる。一時間あまりの後にはすつかり支度が出来あがる。
『もういつでも好いのよ』
と今度は涼しい顔。

「一日の仕事」 八雲恵美子
「スタヂオ日記」(『女性』誌 1927年10月号掲載)より

1929 yakumo emiko in fue no shiratama
『不壊の白珠』より

『不壊の白珠』(1929年、清水宏監督)での情感豊かな演技で記憶されている女優さん。1927年には柏美枝さんと二度共演(いずれも清水宏作品)、「スタヂオ日記」では柏さん目線の思い出も綴られていました。自分の文章ではズボラでおっちょこちょいな性格を強調していますが、実際は面倒見の良いしっかりした女性だったんでしょうね。

[JMDb]
八雲恵美子

[IMDb]
Emiko Yagumo

[出身地]
大阪府(大阪市)

[誕生日]
8月15日

[データ]
13.6 × 8.6cm

泉 春子 (1905 – 1998?)

「日本 [Japan]」より

izumi-haruko-autographed-postcard-mIzumi Haruko Autographed Postcard


吉村さだ子、明治卅八年九月長崎市生、舞臺生活の後マキノ等持院に入り時代劇に活躍す、マキノを去つて家庭の人となつてゐたが本年阪妻プロに入社「紫頭巾」

『現代俳優寫眞と名鑑』
(1927年11月5日、國民新聞附録)


マキノ~阪妻~東亜へと籍を変えていった女優さん。1928年の『坂本龍馬』に出演するも手元の9.5ミリ版に出演場面は収められておりませんでした。各社競作となった前年の『砂絵呪縛』では、原駒子や鈴木澄子と同じお酉を演じており、同社のヴァンプ女優的な位置づけをされてたのが分かります。

[JMDb]
泉 春子

[IMDb]
Haruko izumi

[出身地]
長崎県(佐世保)

[誕生日]
4月20日

[データ]
8.5 × 13.5cm

澤村春子 (1901 – 1989)

「日本 [Japan]」より

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「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

澤村春子、1927年の残暑見舞い

川島実市氏の絵葉書帳より

澤村 春子(川島実市氏の絵葉書帳より)


明治四十三年北海道に生る。大正九年上京して小山内薫の松竹キネマ研究所を卒へて処女映画『路上の靈魂』に出演、後『山暮るる』に出演して退社し田中欽之の下で『春の命』を撮影し大正十二年の末日活に入る。同社では『白痴の娘』『街の物語』『血涙記』『月形半平太』『憂国の少年』最近では『下郎』『轉婚二重』の主演があり日活主腦女優に屬するスターである。趣味は乗馬、琵琶、讀書、三味線、琴、舞踊、の各方面。

『玉麗佳集』(1928年)


本名澤村春子。明治卅四年北海道に生る。裁縫女學校卒業。役所勤めなどの後女優を志し、松竹キネマ俳優學校を經て松竹蒲田に入社。二年の後大正十二年一月より日活に出演す。主な近作は「流轉」「斷魔閃光」「白井權八」等。身長四尺九寸五分。體重十四貫五百目。趣味は三味線、踊り、琴等。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)


ある日来客から「沢村春子のことが週刊誌にのっている」と教えられ、あわててその週刊誌を探しましたが、ついに手に入らずじまいになりました。たしか読売とか。それには「昔の映画スター沢村春子が苦労に苦労の末、いまでは自分の故郷近くの津軽の寒村で、うら寂しく一文菓子を子供相手に売っている」というのだそうです。[…]

想像どおり沢村さんは不幸の連続でした。要約すれば親類筋を浮草のように泊り歩き、年をとったのでどこでも使ってくれない、いまは他人の家の手伝いやせんたく物洗い程度の仕事をして、一人ぽっちの私はどうやら生きているが、この先どうなることやら、どうか笑って下さい、と結んでいます。

『髪と女優』(伊奈もと著、1961年)


映画の黎明期、無声映画のスターと云われた女優がいた。
沢村春子
女優にかけた思いを
浅虫で息絶えるまでの人生を、
三人の役者が演じる。

『驟雨激しく』 ―ある無声映画女優の生涯―
2011年6月17・18日青森県「ねぶたの家ワ・ラッセ」で
上演された舞台劇の宣伝文句より


日活が女優に本腰を入れ始めた初期から活動をしていた古参の一人で、1925年の女優揃えでも上座と思われる左端(左上位)に配置される評価を得ていました。切れ長の目でグッと堪えた悲劇調の役柄を得意とし、日活期の松之助作品ヒロイン(1925年『荒木又右衛門』池田富保監督)など20年代中盤の邦画界に功大なり。

『髪と女優』で紙数を割かれて述べられていたように、20年代後半の女優ブームの中で埋もれてしまい一時期は消息不明となっていました。晩年は青森で不遇な生活を送り80年代末にひっそりと亡くなっていますが、その後彼女の生涯を追った舞台劇が制作されています。

[JMDb]
稲田春子

[IMDb]
Haruko Sawamura

[出身地]
北海道

[誕生日]
1月20日

[データ]
8.6 × 13.7cm