1919 – 9.5mm 『百萬長者の娘ッ子』(ジョージ・アーチェインバウド監督、米) 【日本語字幕つき】

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

マルジヨリイは氣まぐれな不思議な而して可愛いゝはすつぱな小娘でありました。それでこの娘の理想する男は今様の火の神様で鍛冶屋場の烈しい爐の上にある晩彼女に現はれたのであります。所が或る日、兄の監視を逃れるため、彼女は自動車の中へ輕率にも飛び込みました。と、其處には彼女を喜んだ顔つきで眺めてゐる一人の若い男が居りました。。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

1910年代の雑誌で時々姿を見かける女優さんにジューン・キャプリスがいます。彼女が仏パテ社と契約を結んで主演した作品が『百萬長者の娘ッ子(ダムゼル・イン・ディストレス)』でした。

お金持ちのお嬢様が偶然出会った美青年と繰り広げる軽めの恋愛劇は(当時パテ社のスタジオがあった)ニューヨークでのロケ撮影。乗用車、タクシー、街並み、ファッションや髪型など時代の雰囲気を満喫できる作品となっています。

折角の機会ですので日本語の字幕もつけてみました。

[タイトル]
Mam’zelle Milliard

[原題]
A Damsel in Distress

[製作年]
1919年

[IMDB]
tt0010042

[メーカー]
仏パテ社

[仏パテ社カタログ番号]
739

[字幕]
仏語

[フォーマット]
9.5mm 10メートル×6本 仏語字幕 12476フレーム(約15分)

1912 – 9.5mm 『消えゆく民 アイヌの人々』(仏パテ・フレール社作品)

「9.5ミリ動画 05f 科学/歴史/地誌/産業」より

[今回綺乃九五式でスキャンし直しました。細かな揺れが抑えられ動画として安定しています]

1912年末にフランスで公開されたほぼ同名の作品を9.5ミリ用に再編集したもの。この作品については海外の映像研究家が論文を発表(『オリエンタリア』2017年第17号)しているため、一旦そちらを参照させていただきます。

アイヌの民が登場してくるもう一つの1912年映像作品は『消えゆく民 アイヌの人々』(英題:The Hairy Ainos)で、パレ・フレール社の製作によるものであった。同社は1902年に映画技術の特許を購入、時事映像の分野でリュミエール兄弟の後を継いだ。忽ちにしてパテ・フレール社は当時最大の映画製作会社となり、1909年に日本にも拠点を設立している。『消えゆく民 アイヌの人々』は長さにして僅か三分足らずの作品である。冒頭ではチセ(アイヌ式住宅)の前に立った四人の男性、次いで四人の女性が映し出される。字幕により、アイヌの人々は大半が猟と漁で生活しているとの説明が入る。次の場面では、海を背景として女性と子供とが歩いてくる。さらに丸木舟に乗った二人の男性が登場。

『消えゆく民 アイヌの人々』が公開された時期、原初の映画術でもたらされた驚きはすでに乗り越えられていた。このパテ社作品には儀式などの伝統から一旦距離を置き、日常生活に密着したいとの意思を読み取ることができる。旧来の時事映像作品と違い、リュミエール兄弟の下でアイヌ民族を撮っていたジレル氏が描いた古い舞踏であるとか、その他の特徴的な要素は本作にない。その代わりとして、朽ちた小屋の前で子供をあやしている女性が登場するのだ。広角レンズで撮影された老人も儀式用の服は着ておらず、頭にラウンペはなく、髭もほとんど見ることはできない。

マルコス・センテノ=マルティン
「表象外の眼差し:初期映画におけるアイヌ民族の描写について」
(『オリエンタリア』2017年第17号)

The other film featuring the Ainu people in 1912 is entitled Un peuple qui disparaît, les Aïnos (aka The Hairy Ainos) and was produced by Pathé Frères Company, which had bought the cinematograph patents in 1902 and succeeded the Lumière brothers in the production of actulités. Very soon, Société Pathé Frères became the biggest film production company of the time, and in 1909, it established headquarters in Japan. Un peuple qui disparaît, les Aïnos, which only lasts for three minutes, begins with four men followed by four women posing before a chise and an intertitle explaining that the Ainu were mainly hunters and fishers. In the next scene, a woman and a child are seen walking with the sea in the background and afterwards, two men enter scene on a chip (Ainu canoe). […]

When Un peuple qui disparaît, les Aïnos was released, the astonishment produced by primitive cinema was already overcome. Pathé film demonstrated an interest to move away from ritualized traditions and a willingness to get closer to everyday chores. Unlike previous actuality films, this footage does not contain traditional dances or other distinctive elements depicted by Girel. Instead, the sequence features a woman and her child before a dilapidated hut; a wide shot framing an elderly man who does not wear the ceremonial clothes nor any raunpe on his head, and his beard can be hardly seen.

Centeno Martín, Marcos
“Gazes outside the Representation. Early Film Portrayals of the Ainu People (1897-1918)”,
Orientalia, issue 17, 2017, pp. 189-211

筆者センテノ=マルティン氏は実際に北海道を訪れ、アイヌ民族についてのドキュメンタリー映画(“Ainu. Pathways to memory”)も監督されている人物です。論考後半では、タイトルの「消えゆく」という表現が同時期にアメリカン・ネイティヴに使われていた(1925年出版のゼイン・グレイの小説『滅び行く民族(原題:The Vanishing Americans)』)点にも注意を促していました。

映画の発明当初から少数民族への興味は見られたものの、独自の踊りや入墨、髭といった表層的な関心が優先されていたのに対し、『消えゆく民 アイヌの人々』では生活に密着していく発想が顕著となり、結果として表現されている「リアリティ」の質が変化している、というのがセンテノ=マルティン氏の主張の一つです。

異文化との接触・理解は段階を置いて進んでいくものですし、当初の好奇の眼差しが次第に研ぎ澄まされていくという話は一般的に見ても分かりやすいのではないかと思われます。

[タイトル]
Les Peuple qui disparaissent. Les Ainos

[原題]
Un peuple qui disparaît, les Aïnos

[IMDb]

[メーカー]
仏パテ・フレール社

[公開]
1912年

[仏パテ社版カタログ番号]
1230

[フォーマット]
20m(1977フレーム、13fps、3分)、無声、ノッチ有

クレオ・マディソン Cleo Madison (1883 – 1964)

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Cleo Madison 1910s Autographed Photo
Cleo Madison 1910s Autographed Photo

クレオ・マヂソン嬢は、米國イリノイズ州の一小都市ブルーミントンに呱々の聲を擧げた。ブルーミントン女子高等師範學校を卒業後、しばらくして、嬢の一家は、ある家事上の都合からその地を去つて、西太平洋岸の新開地カリフォルニアへ移住する爲めに、遙々と旅に出なければならなくなつた。[…]

今度はいよいよオリヴァー・モロスコ一座に加はつて、眞の女優として、サンフランシスコノバーバンク座に出演する事となつた。その興行は成功して、嬢の評判も意外に好かつた。それ以來、嬢は劇界の人々に認められて、多くの名優と接する機會が多くなつた。ヴァージニア・ハーンドと一座した時には嬢は舞臺監督の位置に昇つた。しかし、その時に働き過ぎた爲めに健康を害した。それで暫く舞臺を引いて休養した。その時、ユニヴァサル會社との契約が成立した。嬢が映畫に現はれるまでには斯うした過去があるのである。今では舞臺監督兼女優として働いてゐる。「ハートの3」「カメロン黨」「空彈」などは我國でも有名な出演映畫である。嬢は暫く斯界を去つてメーソンオペラハウスに出演していたが今度パイオニア會社に入り第一回作品を完成した。

『活動名優寫眞帖』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

Cleo_Madison-Autographed-Photo01

1910年代半ばから20年代初頭にかけてユニヴァーサル社を拠点に活躍していた女優さん。同社配下のレックス映画社はロイス・ウェバーを擁し、積極的に監督業を女性に委ねていくパイオニア的な活動を展開していました。

ロイス・ウェバーの成功を受ける形で他にも女性監督がデビューしており、元々女優として同社と契約したクレオ・マディソンも短期間(1915-16年)ながら自身の主演作を自ら監督しています。この内『エレノア嬢捕物帳(Eleanor’s Catch)』が現存していてYouTubeで見ることができます

Cleo Madison in Elenor's Catch
1916年監督作『エレノア嬢捕物帳(Eleanor’s Catch)』より

正直期待せず見始めたのですが…一見ありふれた社会派メロドラマ短編と見せかけ、最後のどんでん返しが見事な秀作でした。当時も女優たちは男の視線を前提とした可愛らしさ、美しさの基準に従っていた訳で、そういうのを無視して好きに撮り始めるとこういう内容になるのか、と新鮮な驚きがありました。そういった経緯もあってフェミニズム寄りの初期映画史で評価が高かったりします。

[IMDb]
Cleo Madison

[Movie Walker]
クレオ・マディソン

[出身地]
合衆国(イリノイ州 ブルーミントン)

[誕生日]
3月26日

[サイズ]
13.8 × 18.2cm

「綺乃 九五式」開発記録 00 – 第5回試運転(ユーザーインターフェイス動作確認)『百萬長者の娘ッ子』 [失敗]

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10月5日のテストを元にユーザーインターフェイスにコードを書き足して動作確認を実施しました。

結果としては失敗、でした。

当初はQTというツールを使用し、パソコン上で動作する操作用のインターフェイスを作る予定でした。パソコンからラズベリーパイ&Arduinoに指示を出しつつ、スキャンされた画像を受け取って保存していく形になるため1)ソケット通信と2)マルチスレッドという二つの技術が必要となってきます。

シングルスレッドのソケット通信は問題なく行えたのですが、マルチスレッド化しつつ様々な要素(カメラ、モーター、通信など)を遠隔コントロールする作業は難易度が高く、相当の時間が必要だと感じました。そのため、ラズベリーパイ上でそのまま起動するシンプルな操作UIを作る方が先決、と舵を切り替えたところです。上の写真はその第一回目のテストとなります。

幾つかあるボタンの中で、「静止画確認」と「スキャン開始」の二つにコードを貼ってあります。

「静止画確認」を押すと単発でスキャンが行われ画面に反映されます。このボタンは機能しました。問題は「スキャン開始」の方。このボタンを押すと自動連続スキャンが始まり画像が外付けハードディスクに保存されます。同時にその画像がやや遅れる形でモニターに反映される形になっています。

実際に試してみたところ、結構な頻度でスキャンが行われず「コマが落ちる」結果になりました。挙動を見ていた感じではラズベリーパイの処理能力が追い付いていないようです。外付けハードディスクに毎秒1枚、1MBを超える画像を保存しているだけでギリギリだったようで、さらにディスプレイへの表示プロセスが加わると処理が追いつかずトリガーを見逃すようです。


ラズパイへの負担軽減に画質は落としていた(640×480)のですが全然十分かなと思います。女優さんの左側、ほぼ黒くなっている辺りにも本来は「何か」が映っていて、以前紹介した「Enfuse」の機能を使うと「見える」ようになります。ちなみに今回テストに使用したのは1919年のジョージ・アーチェインバウド監督作品、『百萬長者の娘ッ子』(A Damsel in Distress)。フィルムがほとんど現存していない女優、ジューン・キャプリスをデジタルの質感で観れたのはなかなか得難い体験でした。

エセル・クレイトン Ethel Clayton (1882 -1966) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(3)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Ethel Clayton c1920 Inscribed Photo
Ethel Clayton c1920 Inscribed Photo

パ社の人気花形はイリノワ州の町シャンペーンで生まれ、シカゴの聖エリザベス修道院で教育を受けた。演劇世界への第一歩は舞台での演技がきっかけで、すぐにエドウィン・スティーヴンスと『悪魔』で共演することとなった。映畫界の参入は古参ルービン社である。『兵士の愛人』『マギー・ペッパー』『男と女と金』『女の武器』、ルパート・ヒューズ氏の優れた原作を映画化した『虚栄より醒めて』、『恋する女』等のフェイマス・プレイヤー社作品で大成功を収めた。身長は五尺五寸、體重は十五貫七百匁。赤みがかった金髪で灰色の瞳を有し、戸外での運動を殊に好んでいる。

This popular Paramount star was born in Champaign, Ill., and educated in St. Elizabeth’s Convent, Chicago. Her initial venture in the theatrical world was as a featured player in stock after which she was prominently cast with Edwin Stevens in « The Devil. » She began her screen career with the old Lubin company. She has achieved her greatest success upon the screen with the Famous Players company in « Pettigrew’s Girl, » « Maggie Pepper, » « Men, Women and Money, » « More Deadly than the Male » the film version of Lupert Hughes’ splendid story « The Thirteenth Commandment, » and « A Lady in Love. » Miss Clayton is five feet five inches in height and weighs a hundred and thirty pounds. She has red gold hair and gray eyes and is very fond of all outdoor sports.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

Ethel Clayton In lightnin'
『雷光』1925年より

米サイレント映画の終焉期(ジョン・フォード監督の『雷光』1925年やヴェラ・レイノルズ主演の『リスキー・ビジネス』1926年)に雰囲気のある母親役で登場していたのがエセル・クレイトンでした。立ち位置としてはローズマリー・セビーと重なる感じでしょうか、1910年代短編で娘役を演じていた点も共通しています。

エセル・クレイトンは当時勢いのあったルービン社(Lubin Manufacturing Compan)の花形女優でした。主演作は幾つか日本でも公開されており愛好家には知られていたようです。初期作品では1913年の『大地が揺れるとき』(When the Earth Trembled)が現存。1906年のサンフランシスコ大地震(M7.8)が物語に絡んでおり、ニュースリール映像も含まれていました。

カーボンフレームも含めると30×40センチを越える大きな写真。被写体深度を浅目にとっており、顔の肌ではなく手前のまつ毛先端辺りにピントが来ていて淡く甘い感じの仕上りとなった一枚です。

[IMDB]
Ethel Clayton

[Movie Walker]
エセル・クレイトン

[出身地]
合衆国(イリノワ州シャンペーン)

[誕生日]
11月8日

[撮影]
ドナルド・キース(Donald Biddle Keyes)

[サイズ]
33.2 × 40.5 cm(カーボン製フレーム含)

1917 – 大正6年、ルース・ローランド主演 連続活劇『ネグレクティッド・ワイフ』 宣材 印刷メッセージ付きDM

「新作の『ネグレクティッド・ワイフ』をご覧にはなられましたか。必ずやお気に召すものと信じております。これまでに自分の主演した連続物で一番の出来映えと自負しております。メーベル・ハーバート・アーナーの脚本は地に足の着いた興味深い内容で、私の演じた”寂しい女”の役どころもまことに素晴らしいものとなっています」

I want you to see « The Neglected Wife » because I know you will like it. It is the greatest serial I have ever played. « The Woman alone » is the part I play and it is truly wonderful because Mabel Herbert Urner’s story is interesting and so true to life. Ruth Roland

パテ社が自社配給作品の『ネグレクティッド・ワイフ』宣伝のため直々に製作した絵葉書で、写真面に二色刷りのイラスト、メッセージ面には主演ルース・ローランドの「手書き風」メッセージが印刷されており、下に青のインクで「1917年5月13日公開」のスタンプあり。

1917年6月12日に投函。受取人はロンドン、ブロックリー在住のエイミー・リチャードソンさん。

当時まだ俳優の公式フアンクラブなどはなく、所属会社に届けられたファンレターなどから住所氏名をリストアップしデータベースを作り、DMを送ることで効率良い宣伝をしていたのではないか、と思われます。

[サイズ]
15.5 × 11.5 cm

[IMDb]
The Neglected Wife

ホッライ・カミッラ(カミーラ・フォン・ホレイ) Hollay Kamilla / Camilla von Hollay (1899 -1967) ハンガリー

「ハンガリー [Hungary]」より

Hollay Camilla 1910s Autographed Postcard
Hollay Camilla 1910s Autographed Postcard
1920年代にドイツで活躍し、カール・グルーネ監督作品(1927年『世の果』や1928年『ワーテルロー』)で日本にも紹介されていたハンガリー女優。

さかのぼっていくと第一次大戦中にハンガリーのスター映画社の花形となり若きベラ・ルゴシを相手役にメロドラマ要素の強い作品に多く出演していました。スター映画社の作品はほとんど残っていないのですが、近年の調査から少なくとも3本の現存が確認されハンガリー国立映画アーカイヴに返還。その一本『アフロディーテ』(1918年)にホッライ・カミッラ名義時代の演技を見ることができます。

Hollay Camilla in Afrodite (1918)
『アフロディーテ』(Afrodite、1918年)より
Hollay Camilla in Am Rande der Welt (1927)
『世の果』(Am Rande der Welt 、1927年)より

日本でも公開されていた表現主義調の戦争ドラマ『世の果』では準ヒロインの妊婦役を演じていました。

[IMDb]
Camilla von Hollay

[Movie Walker]
カミーラ・フォン・ホレイ

[出身地]
ハンガリー(ブダペスト)

[誕生日]
7月11日

[データ]
Színházi Élet Kiadása. Angelo Fotodrama110.

[サイズ]
8.7 × 13.7 cm