1916-1917 DVD 『ミスタンゲット:無声映画特選集』(2016年、LCJ出版社)

Mistinguett : 3 chefs-d’oeuvres du cinéma muet
(2016, LCJ Editions & Productions)

戦前フランスで活躍し「ミス(la Miss)」の愛称で親しまれた舞台パフォーマー、ミスタンゲット。「ミス」は略称であると同時に英語の”ミス”でもあって、こと彼女に関しては「お嬢」と訳したくなる雰囲気を含んでいます。舞台デビューは19世紀末までさかのぼりその後ミュージック・ホールを中心に人気を博していくのですが、移ろ気で口の悪い愛好家も少なくない業界で長きに渡って愛されてきた例外的な芸能人でした。

初期映画界との接点も深く1908年にパテ社短編で映画デビュー、リガダン物喜劇や1914年版『噫無情(レ・ミゼラブル)』にも出演。1916年~17年の主演作3本をまとめたのがこのDVDセットです。以前に触れたように2018年に東京大学で「ミスタンゲットを発見せよ―フランス・サイレント映画の夕べ」が開催されており、その時に上映された『金髪のシニョン』が含まれています。

舞台女優ミスタンゲットの手元に次作の脚本が届けられた。「金髪のシニョン」とあだ名される町娘を演じる予定で、役になりきるためそれらしく扮装して場末の酒場に乗り出してみた。そこで出会ったのは胡散臭い3人組の男。誤って貴金属を身に着けたままだったのを気づかれ、ミスタンゲットは男たちに追われる羽目となつた…

『金髪のシニョン』(Chignon d’or, 1916, 51分)


お針子として働いていたマルゴは仕事帰りに同僚とミュージック・ホ-ルに足を向けた。「あんたって花形女優のミスタンゲットにそっくりだよね」。マルゴは自分とそっくりな女優に熱を上げ夜遅くまで舞台にかじりついていた。厳格な父親には理解されず、家出したマルゴは張り子の仕事を失い通りの花売りとなつた。ある日、そんなマルゴに偶然に目を止めたのがミスタンゲットの彼氏ポッジであつた…

『巴里の花』(Fleur de Paris, 1916, 43分)


女探偵として知られるミスタンゲットは激務の合間に婚約者ジャンとの束の間の逢瀬を楽しんでいた。ジャンは諜報機関に属しており、敵国の潜水艇の動きを調べるべく南仏ニースへと向かった。だがジャンの動きは敵に見ぬかれ、罠に落ちた男は銃撃を受け重傷を負う。電報でその知らせを受け取ったミスタンゲットは鳥打帽の男に変装し、単身で敵のアジトに侵入を試みる…

『女探偵ミスタンゲット』(Mistinguett détéctive, 1917, 30分)

『金髪のシニョン』は下町犯罪物とハリウッド製連続活劇を混ぜた発想で、ヒロインが屋根伝いに敵から逃れたり地下室で炎に巻かれるなどアクションの要素を強調。『巴里の花』はコミカルな調子で始まりつつ、次第に「人違い(quiproquo)」のドラマが展開し最後はメロドラマとして閉じていきます。『女探偵』は敵国の諜報活動をミスタンゲットが撃退する物語で第一次大戦下の愛国主義の空気も反映しています。

3作いずれも監督はアンドレ・ユゴン。1920年代作品(『カマルグの王』)の9.5ミリ版紹介で触れたようにパテ、ゴーモン、エクレール社の大手と距離を置き、自社で映画製作を行った仏インディ映画監督のさきがけでもあります。作品で個性を主張するタイプではなく、職人肌でかっちりした娯楽作をまとめるのを得意としていてこのDVDセットでもその実力を再確認することができます。

[原題]
Mistinguett : 3 chefs-D’oeuvres du cinéma muet

[出版年月日]
2016年7月15日

[出版者]
LCJ出版社(LCJ Editions & Productions)

[EAN]
3550460051502

[再生時間]
120分

[フォーマット]
18.03 x 13.76 x 1.48cm 83.16g

戦前期(1910~20年代)直筆サイン物の真贋鑑定について(3)

サイン物の真贋判定の第3段階では人の手によって残されたサインを幾つかのグループに分け「真筆」を特定していきます。筆跡の癖などの話はこの段階で初めて重要になってくるものです。

[03a] 代筆(会社)

本人ではなく代理の人物によって残されたサインを代筆と定義します。英語では「secretary autograph」と表現されるもので政治家などの要人が「秘書(secretary)」に署名を代筆させていたイメージとつながっています。今回鑑定対象としている無声映画期の俳優の場合、所属会社の指示によって、あるいはその許可を得る形で広報担当者などがプロモ写真にサインしたものがこれにあたります。

ハリウッドではこの慣習は比較的早くからあったようです。仏モーリス・トゥールヌールが渡米後に監督した初期作の一つ『ガールズ・フォリー』(1917年)には、西部劇映画のリハーサル撮影中、主演男優の付き人が楽屋でプロモ写真に代筆している場面が描かれています。

「他人に自分の署名をさせるなんて不思議な国だ」、トゥールヌールの面白がっている様子が伝わってくる場面です。

この時期の代筆の特徴として、代筆者は俳優の筆跡を模倣せず自身の手癖でサインしていきます。クレア・ウィンザーの例を見ていきましょう。

上の2点が若い頃のサイン、一番下が晩年のボールペンサインです。彼女の署名の特徴を4つ挙げることができます。

1)大文字「C」の書き出しが内側にクルンと回っている
2)大文字「W」はギザギザにならず、底面が丸みを帯びる
3)「To -」「1927 -」のように、単語間にハイフン「-」を入れる手癖がある
4)小文字「d」に関して、若い頃は縦棒を「ℓ」のような縦長の輪で書いているが、後年になると「C」を左右反転させた字体に変化している

そしてこちらが代筆サイン。1)から4)のどの特徴も備えていない別人の筆跡です。

もう一例、1920年前後にヴァイタグラフ社の花形として活躍したコリンヌ・ゴリフィスを見ていきます。

コリンヌ・ゴリフィスは癖の強いサインの持ち主で、真筆の特徴として:

1)大文字「C」を縦に細長く書く(コリーン・ムーアも似た特徴があります)
2)大文字「G」は左上の丸と斜めの線を組みあわせた独特のデザインで小文字「y」の筆記体に似ている
3)小文字「i」の点が輪になる、を挙げることができます。

こちらが代筆によるサインでやはり1)~3)の特徴は見られません。

後年になると代筆者がオリジナルに「寄せる」例も見られるようになりますが、1910~20年代の俳優サインに関してそこまで紛らわしいケースは見た覚えがありません。真筆の特徴をきちんと把握していれば問題なく対応できるレベルかな、と思います。

ちなみに仏オートグラフ専門店「テスタール(Testart)」のサイトに代筆/真筆を比較したページがあります。マーロン・ブランドやクラーク・ゲーブル、あるいはウォルト・ディズニーなどのサイン画像がありますので参考にどうぞ。

[03b] 代筆(家族)

数としては少ないものの、代筆サインには会社由来とは質を違えたものが含まれています。何らかの理由で本人の家族がサインを代行したパターンです。有名な例がジーン・ハーロウとロミー・シュナイダー。いずれも女優の母親が代筆者となっており、とりわけジーン・ハーロウの場合は本人直筆はほとんど存在しないとされる位代筆の割合が高くなっています。

二人のサインは大文字「H」が大きく違っていて、直筆(左)では二画目で右の縦棒を下した後そのまま斜めに撥ねる形で続けて横棒に。母親の代筆(右)は「H」を三画に分けて書いています。

ロミー・シュナイダーの母親は戦前に活躍した女優マグダ・シュナイダーです。

左が本人直筆。小文字「a」「i」「e」が縦長に書かれ左右に詰まったサインになります。右は母親による代筆で、文字全体が右に傾いてなおかつ横一列にスッと伸びた筆跡です。

オートグラフ専門店で代筆が誤って売られるケースは見られませんが、イーベイやヤフオクにはこういったサインも「直筆」として紛れこんでくることがあります。色々と知っておくに越したことはない、という感じです。

[03c] 偽作(悪意なし)

古いサイン物の鑑定において意外と見落とされやすく、なおかつ紛らわしいタイプとして「悪意のない偽作」を挙げることができます。

例えば絵葉書やブロマイドの元々の所有者が、被写体が誰か分かるようにペンで名前をちょこっと書いておいた「備忘録」パターン、あるいは所有者本人やその知人・友人、時によってはお子さんがいたずら半分に名前を書いたパターンなど、特に深い他意はなく俳優名を書いてしまうケースだってあるわけです。時間が経って元の持ち主の手から離れてしまい、しかもそれが鑑定能力のないセラーの手に渡ってしまったとき間違って「直筆物」として売られてしまう…

例えばグロリア・スワンソンの真筆は大文字の「G」「S」ともにデザイン化された流麗な筆跡で上の写真とは似ても似つかないものです。桑野通子さんの例では名前の漢字(通/道)が間違っています。フェイクと言ってしまえばそれまでですが2例ともに贋作にしては稚拙すぎ、売り物にするために残されたサインとは異なると考えられます。

このパターンの派生形は厄介です。

以前に直筆物を紹介したアニー・オンドラと縁の深いチェコ出身の俳優兼監督、カレル・ラマーチの絵葉書です。写真面に1926年6月18日付のペン書きサインがあります。

拡大し、名前の末尾から伸びた弓型の線を見てみます。右の拡大図を見ると細い線(上)と太い線(下)の二重線になっているのが分かるでしょうか。元々の絵葉書に黒文字の印刷サイン(細)があって、後年、誰かがそれをペンで上書きした(太)形になっているのです。

レオポルディーネ・コンスタンチン(上)、山根寿子(下)さんのケースでは絵葉書に印刷された白字のサインを上書きする形で万年筆の黒いサインが残されています。

上書き系サインは1) 一部で線が二重になっており(黄緑色の丸)、2) 普段そのサインを書きなれていない人が書いているため筆跡が汚く初見でも違和感を覚えさせるものです。それでも元々の手癖が残っていますし、普通は印刷物に別人が上書きするという発想は思いつかないため紛らわしいことこの上ありません。悪意のない/悪意ある偽作の境界例、グレーゾーンに位置付けることができるでしょう。

[03d] 偽作(悪意あり)

オートグラフ市場ではロック・ポップ系のミュージシャン、野球やサッカーなどのスポーツ選手、米露大統領を筆頭とする政治家等、知名度と比例するように贋造サイン(fake autograph)も出回りやすくなっています。業界の努力(供給側でのコントロール、証明書制度の整備)にも関わらず撲滅できていないのが現状です。

とはいえサイレント映画関連のサイン市場は規模の小さなものです。万年筆サインは贋作には向いているとは言えず、誰の相場が高いのか、内容を含めどういう書き方をすれば価値が上がるのかなど学ばなくてはいけないことも多い…チャップリンなど僅かな例外を除くと贋作者のターゲットにされにくいジャンルだと言えます。

また手書きの模倣を高額で売り抜く手法は目につきやすいものでもあります。極端な話、チャップリンやキートン、ロイド、ガルボ、ルイーズ・ブルックスの「新作サイン物」を毎週のように発表していたらすぐにおかしいと思われるでしょう。こういったリスクの高い古典的手法を採る人はさすがに見られなくなってはいますが、一方で目立ちにくい巧妙な手法を選ぶ人もいます。

例えば出品画像に別サイトから拾ってきた真筆のスキャン画像を使い、実際はA4用紙にプリントアウトしたコピーを大量に販売している方がいました。上はそのセラーの出品リストに「無声(silent)」でフィルターをかけたもの。チャップリン、ファルコネッティやパール・ホワイト、ニタ・ナルディにヴィルマ・バンキー、メアリー・マイルズ・ミンターまであります。

本物であれば専門店で20万円位になるでしょうか。

商品タイトルの末尾に「印刷(preprint)」と明記されているものの、写真だけを見て文章を読まない不注意な人物、英語を苦手としている人、新規のコレクターが勘違いしてしまう可能性はあります。慌てて即決を押してしまった時、実際に届くのはペラペラな紙に印刷され「センターがずれている」カラーコピー1枚だそうです。

価格は1000円程に設定されています。言い方を換えると200人が勘違いしてくれれば実物を売ったのと同じ売上が手に入る計算(しかも元手はほぼかからない)になります。この金額なら訴えられないだろうの計算も見て取れますし、文句を言われたとしても「勘違いした方が悪い」で逃げ切ることができます。

ゼロリスク・ローリターン、薄利多売で罠に落ちる人を気長に待ち構える「優良誤認型」の手法は日本のネットオークションでも散見。複数の実物画像を用意しておらず、「イメージ写真」のみ掲載しているタイプの売り方にはジャンルに関わらず注意が必要です。

[04] 真筆

様々な不純物を取り除いていくと最後に「真筆」が残ります。

実際には真筆をより分けていくと同時に個別の価値も見ていきます。保存状態の良し悪し、筆跡の丁寧さ、キャリアの盛期に書かれたものか業界を離れてからのものか、日付や場所が特定されているかどうか、特別なメッセージが添えられているか名前だけ書かれたものか…多くのパラメーターを総合して「希少性が高い」云々の話が出てくることになります。

また1910~20年代にリアルタイムで活動していたサイン収集家の動きをできるかぎり記録にとどめておきたいと考えています。イタリアのブレシア拠点で活動していたエドヴィーゲ・トニ、英国で劇場勤めの傍らサインを集めていたチャールズ・トープ、10年代末に膨大なコレクションを所有していた独ケルン在住フィア・エーマンス、ポートレート撮影の折に記念のサインを書いてもらっていた米写真家ドナルド・キース、関西の熱烈な活動写真の愛好家(髙島栄一、宇治雅一)…

チャールズ・トープ氏サイン帳より自筆署名、ハンス・ルートヴィヒ・ヘーニッヒ氏(ウィーン)及び宇治雅一氏(大阪)の所蔵印

フィア・エーマンス嬢(ケルン)、ローザ・パスツール嬢(南米)、髙島栄一氏(兵庫)宛の宛名書き

一世紀前に自分が直接に(in person)書いてもらった物ではないからこそ、サインが当初どう発生したか見える状態にしておくのは大事だと思うのです。購入した牛肉の産地を追跡できる仕組みでブランド肉を保証しているのと同じ考え方(トレーサビリティ)でしょうか。

そういった意味でサインにまつわる小ネタ、エピソードも重要な役割を果たします。先日入手した伊藤大輔氏の署名入りの栞はその好例だったりします。

サイン物の鑑定というとテクニカルな話に終始しがちですが、直筆物の「真正さ(authenticity)」はかならずしも「モノ」の側面だけで語られるものではなかったりします。物理的な意味で真正であるのは当然として、さらに個々のサイン物にまつわる出来事、つまり「コト」の真正さがあって、両者が合致し補完しあうことでその直筆の「真」が完成する、そんな風に考えることができる訳です。

戦前期(1910~20年代)直筆サイン物の真贋鑑定について(1)

当サイトでは1910~20年代のサイン物(サイン入り絵葉書、写真、書簡)を多く紹介しています。直筆物を扱っていく際に鑑定作業は避けて通れないものです。オンラインの質問サイトでもこの手の質問は繰り返し上がってくるものですし、一般論としても興味のある方はいるのではないかな、と。

本サイトで行っている真贋判定の基本のフローは以下の形です。

3段階の判定を経て「真筆」に辿りつくことになります。

[01] 印刷物のサインをより分けていく

真贋判定の第一ステップとして、印刷サインをそれ以外から選り分けていきます。

無声映画の時代にはボールペンやマジック、シャープペンシルは存在していませんでした。直筆サインの多くは万年筆によるもので、鉛筆やクレヨンなど若干の例外が混ざってくる形になります。

鋭い金属の先端を押しつけて書く構造上、万年筆は紙に窪んだ跡を残しやすい特徴を持っています。筆圧によっては紙の繊維そのものが切断されているのが見えたりするほどです。万年筆サインと印刷サインの違いを見抜くにはこの「跡」が見えるようになるのが大切です。

こちらは以前に紹介したナジモヴァの直筆サインで拡大すると小文字の「a」の縦線中央にやや濃い色の線が入っている(写真右)のが分かるかと思います。万年筆の先端が触れた個所が浅い窪みとなりインクの溜まったものです。

こちらは『アジアの嵐』に主演していたインキジノフの直筆サイン。拡大してみるとやはり万年筆の先端で紙の繊維が切れ、インクが溜まって濃い色の線ができているのが分かります(写真右上)。万年筆の先は二股になっているため、角度によっては先端が割れて筆跡の両端を縁取るように濃い線が残る場合もあります(写真右下)。

スキャンでは濃淡の違いしか分かりませんが、紙を光にかざすとこの部分が「段差」として見えるようになります。

エニッド・ベネットの直筆サインでは、大文字「E」の書き始め、小文字の「n」、名前の下の下線の書き出し部分の筆圧が高いため万年筆の跡が残っています。斜めに光にかざすとその部分が窪んでいるのが分かります。

浦邉粂子さんのサイン絵葉書を見ていきましょう。「粂」の字に着目します。光の当て方は右のように光源が直接サインを照らす形にすると分かりやすいです。段差になった部分は光の反射角が変わるため白く照り返して見えます。

比較対象として印刷サインを見ていきます。下の写真は1910年代後半に人気のあったキャスリン・マクドナルドの絵葉書をスキャンしたものです。

拡大してみるとペン先による凹凸がなく非常にフラットなのが分かります(写真右上)。光の当て方を変えると浅い折皺が浮かび上がるだけで筆圧による窪みはありません(写真右下)。こういう見え方をするのが印刷物だ、となるわけです。

確認していくのは「窪み」とは限りません。逆に「盛り上がり」をみることもあります。

1910~20年ごろの映画界では写真のネガにサインを書きこむケースが多くみられました。複製したポジでは反転されて白文字のサインになるパターンです。下はチャールズ・レイの印刷サインで非常にフラット(平ら)な出方をしています。

一方で当時、暗い地色にあえて白インクでサインすることもありました。濃い修正液に似た質感で、紙に乗った感じの盛り上がった筆跡になります。(自分の所有物ではありませんが)下のジョゼフィーン・ヒルの例が分かりやすいでしょうか。

書く速度がゆっくりな個所、筆跡が重なった部分などにインクが溜まって盛り上がる形になっています。

ブライアント・ウォッシュバーンの白文字サインでもインクの濃淡が均一ではなく、文字を縁取るように濃い部分ができて盛り上がる形になっています。

「印刷か否かを確かめるために光に翳す」行為は言い換えると「光の反射角に注目し、物理的な厚み・高さの変化を見ている」ことになります。写真や絵葉書、ブロマイド、無地の紙にインクという異物が置かれることで起きた「物理的」な状態変化を何らかの形で見つけ出していくのです。

このアプローチの応用として次のような例を挙げることができます。

リートリス・ジョイの直筆物。保存状態は良くありませんが真贋鑑定の視点では興味深いサンプルになっています。緑色の矢印は万年筆の先端で削られた個所で、場所によってインクの劣化で白く褪せた出方になっています。また、水色の丸の部分では薄い傷がサインを横切っています。この部分を拡大してみると:

インクの部分で高さが変わるため薄い傷が完全にはつながっておらず途切れています。直筆サインでは手書きで書かれたインク部と背景の紙で「ダメージの出方に変化がある」例となっています。

先ほどのキャスリン・マクドナルドの印刷サインで「Sincerely」の後半の拡大です。経年の劣化で発生した黄土色のシミが文字と地の部分にまたがっています。手書きで置かれたインクではないため、印刷された文字であろうと背景であろうと関係なく「一様にダメージが発生している」訳です。

◇◇◇

経年変化などもあり、サイン物は手書きであれ印刷であれ一枚一枚異なっています。それでも基本的な考え方は同一で、文字を書くという行為で発生した状態変化を見つけることができるかできないかという作業を行っていきます。この辺は慣れと経験値も重要で、真筆と印刷物を比べながらある程度の枚数を見ていくことで目視でも100パーセントに近い鑑定精度までもっていくことができます。

目視に頼らず、ツールを使ってスマートに一発で判断できないかという疑問も当然出てくるでしょう。

サインそのものに触れて良いのであれば色々な手段が考えられます。薬品(極端な話、水一滴)を垂らす、ピックゲージを使用して段差の変化をミクロン単位で測るなどすれば状態変化を可視化できます。しかしサイン鑑定は「元のサインにダメージを与えない」が大前提となっているため、この視点からどちらの方法も不可とされます。直接触れないで…となると光の反射率測定装置を使う(=光沢の違いを測定する)手法があります。

とはいえ印刷物か否かの判断は鑑定の第一段階に過ぎないものです。印刷物を弾いても「印刷ではないから真筆である」という結論にはなりません。鑑定精度を上げる補助ツールはありえるにしても「スマートに一発で」真贋を判定できる手段は現状ない、の回答になるのだと思われます。

1914 – 9.5mm 『小人たちの王国 対 巨人国の王ギガス』 (1914年、仏、フェルディナン・ゼッカ)仏パテ社プリント

小人症映画小史(01)

Le Royaume nain de Lilliput contre Gigas le long, prince des géants (1914, Pathé, dir/Ferdinand Zecca) Mid 1920s French Pathé 9.5mm Print

小人国の宮廷で皇女ピッコリーナの婚約が発表された。皇女に横恋慕していた巨人国のギガス王(モーリス・シュヴァリエ)はこの知らせに激怒し姫の拉致を命ずる。新郎新婦の披露の場に向かおうとしたピッコリーナ姫は、巨人族の者たちによって馬車ごとかどわかされてしまう。

求婚したギガス王に返ってきたのは厳しい平手打ちであつた。王はピッコリーナを石牢に幽閉し心変わりを待つ。一方小人国は巨人国に宣戦を布告。皇女を奪還するため軍隊が出動し敵国へと進んでいく。

小人軍の攻撃に巨人族は総崩れとなった。ギガス王は囚われの身となり、牢から救出されたピッコリーナ姫の前に引き出される。兵たちはギガスの処刑を望むのだが慈悲深いピッコリーナはその助命を命ずるのであった。

1914年に公開された短編で、フランス初期映画に貢献の大きいフェルディナン・ゼッカ監督に帰されている一作。GPアーカイヴに15分弱の35ミリ版が現存。9.5ミリ版は2/3に短縮されたもので前半に一か所GP版に存在していない場面が含まれています。

このフイルムの連續は十八世紀に於ける生活の凡ての形ちをもつた腐敗の説明を與へてゐます。スイフトの不朽の傑作ガリヴアーの旅行は 我々を架空の國の中へと運んで行くので、其處には凡ての物が大きさを縮め 世界での最も小男達が巨人の勝利者となるのであります。

「リリツプユの王國」
(『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』、大橋善次郎編集・出版、1926年)

当時9.5ミリ版は日本にも輸入され流通していました。大橋氏はタイトルを直訳し「リリツプユの王國」として紹介。フィルムを卸していた三友商会のカタログでは「小人國と大人國の戰爭」となっています。ヤフオクでは後者のタイトルで売られているのを見た覚えがあります。

この映画は1909年にパリで開催された屋外型娯楽イベント「リリパットの小人王国」から派生してきたプロジェクトでもありました。フィルムにクレジットはされていませんが主演は同イベントに参加していたドイツのツーシュケ小人一座。敵役のギガス王に(後に国際的スターとなる)若き日のモーリス・シュヴァリエが配されています。

ツーシュケ小人座(Tschuschkes Liliputaner-Truppe)の集合写真をあしらった1913年頃の絵葉書(個人コレクションより)。フィルムとの対応を下に示しておきます。

また作品途中にパイプを手にしたぽっちゃり型の王国民が登場。「トルコの一寸法師」として知られた小人症のピン芸人、ハヤティ・ハッシド(Hayati Hassid)氏です。

Hayati Hassid, « the Turkish Tom Thumb »
1909 Autographed Postcard

身体障碍(disability)と表現をめぐる近年の研究で指摘されているように初期映画で小人症の役者は「個人」として認められていませんでした。わずかな例外(仏デルファン、マルヴァル、米ハーバート・ライス、ハリー・アール)を除くと役者名のクレジットがないため映像が残っていても誰か分からないケースが目立つのです。そういった欠落を埋め、不均衡を是正していくのも後世の役割ではないかなと思います。

[IMDb]
Le royaume nain de Lilliput contre Gigas le long, prince des géants

[Movie Walker]


[公開]
1914年1月2日

[9.5ミリ版タイトル]
Royaume de Lilliput

[カタログ番号]
198

[フォーマット] 10m×7、ノッチ有、白黒無声

1913 – 『プロテア』(エクレール社、ヴィクトラン・ジャッセ監督) 仏シネマテーク・フランセーズ 2Kデジタル版を見る

「『ジゴマ』/ヴィクトラン・ジャッセ [Zigomar / Victorin-Hippolyte Jasset]」より

Protéa (1913, Eclair, dir/Victorin-Hippolyte Jasset)
La Cinémathèque Française 2K Restauration

『ジゴマ』(1911年)で知られるジャッセ監督による犯罪活劇物で、1913年に他界した同監督の遺作となったものです。不完全なフィルムの現存は以前から知られており、1998年に複数のネガ(35mm/16mm)を元に修復版が作成され、2013年に2Kデジタル化が行われました。

デジタル版はシネマテーク・フランセーズの公式サイトで視聴可能。中盤にフィルムの見つかっていない個所があり字幕で補完する形になっています。

物語の大枠としては、欧州の架空の国メッセニア、セルティア、スラヴォニア3国の緊張関係を背景とし、セルティアとスラヴォニア間で秘密裏に締結された条約にメッセニアの外務大臣が危機感を抱きます。指示を受けた同国の警視総監(シャルル・クラウス)は旧知の女スパイ・プロテア(ジョゼット・アンドリオ)に条約の草案奪取を依頼します。

プロテアは収監中である相棒の「ウナギ(アンギーユ)」の釈放を条件に依頼を引き受けます。

ウナギ(アンギーユ)役のリュシアン・バタイユ

ウナギ(アンギーユ)と合流したプロテアはセルティアに向かうのですが同国ではすでに間諜潜入の知らせを受けており、二人の捕縛に乗り出していきます。プロテアとウナギ(アンギーユ)は次々と姿を変えながら条約の草案を盗み出し、お尋ね者の身となりながらメッセニアへの国境に向かっていく…

物語はシンプルながら登場人物が多いためフランス語字幕では関係が見えにくいかもしれません。春江堂から出ていた日本語小説版が内容理解の助けになるかと思います。

『探偵活劇 プロテア』
(1916年、春江堂、筑峰 翻案)

見どころについては実際に見てもらうのが一番だと思います。個人的に指摘しておきたいポイントが2つ。

1点目は冒頭の人物紹介の場面です。『ジゴマ』、『ファントマ』など当時の仏連続活劇では冒頭で主人公が様々な姿に身を変えて変装の達人ぶりを強調しています。『プロテア』も同じ「型」をなぞっているのですがフレームを使用することで絵のように見せています。枠のデザインはアールヌーヴォーの影響を受けており若い頃に画家を志していたジャッセ監督の趣味を強く反映しています。

プロテアの相棒「ウナギ(アンギーユ)」の紹介では枠そのものにウナギのデザインを採用。やはりアールヌーヴォー期の日本趣味、東洋趣味にインスパイアされた発想です。1:1.33の画面を使って何をどう見せるか、卓越した構図力がジャッセの強みだった訳で『プロテア』では冒頭からそのセンスを発揮しているといえます。

もう1点は作品中盤、プロテアと相棒が機密書類を盗みに入る場面。この時に二人がまとっていたタイトな黒装束は後にフイヤード監督作『レ・ヴァンピール』(1915年)のミュジドラ、さらに同作へのオマージュである『イルマ・ヴェップ』(1996年)のマギー・チャンに受け継がれていくものです。

『レ・ヴァンピール』(1915年)でのミュジドラ

『イルマ・ヴェップ』(1996年)でのマギー・チャン

暗闇に乗じて暗躍する悪党団の不気味さ、身体のラインを強調したフェティッシュなエロスを混在させる想像力はフランス連続活劇特有のもので、ハリウッド物との差別化を図る重要な要素となっていました。

[原題]
Protéa

[公開年]
1913

[IMDB]
Protéa

1917年頃 仏エクレール社 業務用貸出フィルムカタログ

「『ジゴマ』/ヴィクトラン・ジャッセ [Zigomar / Victorin-Hippolyte Jasset]」より

c1917 « Extrait du catalogue des films en location » (Union/Films Eclair)

『ジゴマ』や『プロテア』で成功を収めた仏エクレール社が業務用(個人ではなく映画館向け)に配布していたカタログ。サイズは縦21.0×横13.5センチ。計20ページで、メモ用の罫線が引かれた最後の2ぺージ以外の18ページが作品目録に割かれています。

表紙には社名、タイトル、所在地、電報番号、電話番号が記載されており、開くとすぐにカタログが始まります。「劇映画」として199作、「喜劇」124作、「お笑いと舞台芸」100作、「ドキュメンタリー」108作の4つのカテゴリーに分けられており、計531本のフィルムがリストアップされていました。

カタログの一番目立つ最初に置かれているのはジャッセ監督による『ジゴマ』第一篇と第二篇。その後も『プロテア』などジャッセ作品を中心としたリストが続き、同監督がエクレール社の花形監督だった様子が伝わってきます。

ちなみに『プロテア』に関しては

「プロテア 第1篇 ……… 1,475
 プロテア 第2篇 ……… 1,315
 プロテア 第3篇 ……… 2,031
   -     ……… 1,710
   -     ……… 1,330」

という書き方になっています。これはプロテア第3篇が3話物として公開された状況を受けたものです。

また「劇映画」欄の後半にはシャーロック・ホームズ・シリーズをまとめて掲載。1912年にジョルジュ・トレヴィル監督主演で製作されたもので、数作(「マスグレーヴ家の儀式」「ぶな屋敷」)が現存しています。

続く「喜劇」の項目では、同一主人公によるシリーズ物が多く紹介されていました。「ウィリー少年物」が一番本数が多く(23作)、そのあとにゴントラン連作、ガブロッシュ連作、カジミール連作…と続いていきます。

作品の公開時期に目をやると1917年9月に公開された『プロテア』第4篇は載っていないのに対し、それ以前に製作・公開された『プロテア』第1〜3篇が掲載されています。その他の作品も1917年春公開の作品まで掲載(1917年5月公開『黒大尉 Le Captaine noir』、1917年4月公開『見えない死 Le Mort invisible』)。1917年半ばに製作・配布されたカタログだと思われます。

1915 -「小供俳優(其二):ウイリー・ランダース君」 (森田淸『キネマ・レコード』誌1915年3月号)

« The Popular Child-players Series »
(Morita Kiyoshi, in « Kinema Record » 1915 March Issue)

ゴーモン在社時代のボビー君が演じたその喜劇シリーズが盛んに輸入された過去二三年は恰も我が活動界は此の少年俳優の無邪氣な喜劇によつて蹂躙されてゐたが間も無く此処に同じ佛國エクレール會社の少年俳優ウイリー君の演じた喜劇のシリーズが現れて來たのであつた。最初少年俳優と云へばボビー君より知らなかつた人は此の新顔のウイリー君を見てなかなか侮り難い巧な藝を持つた小供だと云つてゐた。多くの愛活連中の中にはボビー君とウイリー君との色々な點を比べてやれボビーより顔が悪いの可愛らしくないの等と口憤泡を飛ばして論じてゐた事もあつた。その位であつたからボビー物を見た人は必ずウイリー物も欠かさずに見る位二人の喜劇映畫が流行したのであつたがかなしいかな當今ではウイリー君の喜劇は全く我が國へは輸入されなくなつて時々ボビーがパテーへ入社してからのものが輸入されるのみである。

私の初めてウイリー君の喜劇を見たのは大正元年八月淺草金龍館で映寫した「ウイリーのボート」 »Willy’s sailor suit » 次いで同じく福和館で映寫した「ウイリーの計略」 »Willy’s ruse » 同じく金龍館で映寫した「ウイリーとジゴマ」 »Willy wants to be like Nick Carter » 等の數本であつた。[…]

「小供俳優(其二):ウイリー・ランダース君」
(森田淸『キネマ・レコード』誌1915年3月号)

1915年のキネマ・レコード誌に掲載されていた記事からの一節で、仏エクレール社のウィリー君喜劇について日本語で残された数少ない紹介文。比較対象として何度か名の上がっているボビー君とはルイ・フイヤード監督による「ベベ(Bébé)」連作で、1912~13年頃の日本でこの二つのシリーズが人気を博していた様子が伝わってくる一文です。

EYE映画博物館 ジャン・デスメット・コレクション収蔵の初期エクレール社喜劇短編

『ジャン・デスメットと初期オランダのフィルムトレード』(Ivo Blom著、2003年、アムステルダム大学出版)

『ジャン・デスメットの夢工場:映画フィルム冒険時代 1907-1916』(EYE映画博物館編、2015年、 nai010出版社)

20世紀初頭に映画配給者として活動していたジャン・デスメット(Jean Desmet)氏の35ミリフィルム・コレクションは現在ユネスコの記憶遺産に指定されています。現在フィルムはオランダのEYE映画博物館が管理していて同組織のYouTube公式でデジタル版を見ることが可能です。

コレクションには仏エクレール社の作品も多く含まれています。その中で同社が制作していた喜劇短編を整理してみました。

1:ウィリー少年物

英リヴァプール出身のウィリー君(本名 William Jackson)を主演に据えたジュヴナイル・コメディ。小憎らしい表情を浮かべた少年が様々なシチュエーションでドタバタと笑いを引き起こしていく内容で、ゴーモン社の「ベベ」シリーズ(ルイ・フイヤード監督)と人気を競っていました。

『ウィリー少年と老求婚者』
(Willy et le vieux soupirant、1912) IMDB/YouTube

『管理人の王ウィリー』
(Willy roi des concierges、1912) IMDB/YouTube

2:ゴントラン物

カイゼル髭を生やしたゴントラン君を主人公に据えた連作で、主演はルネ・グレアン(René Gréhan)。他シリーズに比べ攻撃性や破壊力は控えめで、展開にロマッチック・コメディの要素を含んでいます。

『ゴントラン君と麗しき謎の隣人』
(Gontran et la voisine inconnue、1913) YouTube

3:ガヴロッシュ物

破天荒な太眉キャラでエクレール喜劇の中心となっていたのがポール・ベルト(Paul Bertho)でした。初期作品でぽっちゃり系喜劇女優サラ・デュアメルとの共演で息の合った凸凹ぶりを見せています

『ガブロッシュ君の画伯』
(Gavroche peintre célèbre、1912) IMDB/YouTube

『ガブロッシュ君の遊園地』
(Gavroche au Luna-Park、1912)IMDB/YouTube

『ガブロッシュ君の傘屋』
(Gavroche vend des parapluies、1913) IMDB/YouTube

『ガブロッシュ君の狩猟夢』
(Gavroche rêve de grandes chasses、1912) IMDB/YouTube

『ガブロッシュ君の玉の輿』
(Gavroche veut faire un riche mariage、1912) IMDB/YouTube

『ガブロッシュ君とカジミール君の肉体改造』
(Gavroche et casimir s’entrainent、1913) IMDB/YouTube

映画史上に残る作品ではないもののいずれも及第点以上の出来映え。

米語には「忘れられた喜劇俳優(Forgotten Clowns)」の呼び方があって、戦前期の無名の喜劇役者を一括で評価していく動きを見ることができます。ごく一部にコレクターが存在、略歴や作品データをまとめた書籍が公刊されていたりするのです。

実際はそういった動きが始まってすらいない国の方が多いわけで初期エクレール喜劇についても正当な評価にはまだ時間がかかりそうです。それにしても、かつて無声映画祭の特別企画でしか見ることのできなかった作品が当たり前のようにYouTubeで公開されている状況は驚くべきものがあります。

キャスリーン・クリフォード Kathleen Clifford (1887 – 1962) 米

Kathleen Clifford Late 1910s Inscribed Photo

男装のヴォードヴィル芸人として、キャスリーン・クリフォードは山高帽、燕尾服に方眼鏡姿で登場していた。垢ぬけたファッション感覚で「町一番の伊達男」の異名を受けることとなつた。

「昔活躍していた男装芸人キャスリーン・クリフォードが
シャーロッツヴィル出身だった件について」
シャーロッツヴィル・コム

As a male impersonator doing vaudeville, Clifford wore a top hat, coattails and a monocle. Her smart fashion sense earned her the nickname “the Smartest Chap in Town.”

« Early male impersonator Kathleen Clifford had Charlottesville origins »
C-Ville.com

1910年代から30年代にかけ、米舞台で「男装の麗人」として人気を博していたのがキャスリーン・クリフォードでした。燕尾服に山高帽姿で歌や踊りを披露、衣服を自前で作り楽曲も自身で手掛けるなどマルチな才能の持ち主だったそうです。

1917年11月17日付「ムービング・ピクチャー・ワールド」誌より『ナムバーワン』広告

遺憾で堪らなかつたのは、後に殘されたエミー孃であつた。
『私も一緒に行き度いな。』
と何度いつても、とうとう許されなかつた。
一行を見送つて、すごすごと室に這入つたエミー孃、自分の室には行かず、エーリー君の室にと這入つた。
『そうだ私は女だから行けないんだ、男でさえあれば、何處までも一緒に行けるんだ。』
と獨り言し乍ら、手早く自分の着物をぬぎすて、エーリー君の服を着て、忽ち男となり濟ました。
一寸姿見の前に現はれて、
『オゝ是で立派な男になつた。
是なれば何處までも御伴が出來るんだ。』
といつてニツコと笑つて、スタスタと二階から駈け下りて往来にと出た。

探偵大活劇『ナムバァワン』
(浦峰雪訳、春江堂書店、「大活劇文庫」、1919年)

1917年、パラマウント社による初の連続活劇『ナムバァワン』で主人公に抜擢されます。同作ではヒロインによる男装場面が含まれていて彼女の資質や知名度を生かしたものだったようです。舞台活動をメインとしていたため映画出演は断続的となりましたが、そのうちの一つダグラス・フェアバンクス主演作の『暗雲動く時(When the Clouds Roll By)』が現存しています。

1919年『暗雲動く時』(When the Clouds Roll By)より

[IMDb]
Kathleen Clifford

[Movie Walker]
キャスリーン・クリフォード

[出身地]
合衆国(ヴァージニア州)

[生年月日]
2月16日

リリー・ヤコブソン (Lilly Jacobsson/Jacobson 1893–1979) スウェーデン

Lilly Jacobsson c1920 Autographed Postcard

スウェーデン出身、1911年にスヴェンスカ・ビオグラフテアーテン社短編映画の端役で女優デビュー。その後デンマークのノルディクス社に籍を移し、1910年代後半の北欧映画を代表する花形となりました。目鼻立ちのくっきりした北欧美人で当時の人気も納得ながらお人形さんの扱いに辟易し1910年代末に結婚と共に女優業引退を表明。

それを惜しいと思ったのが共演の経験もあるアスタ・ニールセンでした。自身が制作の中心となった大作『女ハムレット』(1921年)のオーフィリア役をオファーします。ハムレットへの淡い恋心が混乱に、狂気に変わり、自死で果てていく難しい役柄を見事にこなしました。

『マハラジャ最愛の妻』(Maharadjahens yndlingshustru 、1917年)より

『國民の友』(Folkets ven、1918年)より(右)

Lilly Jacobson & Gunnar Tolnaes in Himmelskibet (1918)

『エクセルシオール号/火星への旅』(Himmelskibet、1918年)でのヤコブソンとトルナエス

Lilly Jacobson in Hamlet (1921)

『女ハムレット』(Hamlet、1921年)より

今回入手したのは『マハラジャ最愛の妻』(1917年)のスチルをあしらった絵葉書。「リリー・ヤコブソン・エドワーズ (Lilly Jacobsson Edwards)」とサインしているため1919年にコーベット・エドワーズ氏と結婚した後のサインになると思われます。

[IMDb]
Lilly Jacobson

[Movie Walker]
リリー・ヤコブソン

[出身地]
スウェーデン(ヨーテボリ)

[生年月日]
6月8日

1919 – 『嵐の孤児』& 『黒き仮面の淑女』他 、クロアチア映画社販促用ポストカード + 出演者サイン入り絵葉書

Dvije sirote (1919, Croatia Film, dir/Alfred Grinhut) & Dama sa crnom krinkom (1918, Croatia Film, dir/Robert Staerk) 9 Promotional Postcards

フィルムの現存数が少なく紙資料へのアクセスが難しい。初期映画を扱っている者にとって東欧は未だ鬼門に当たっています。

旧ユーゴスラヴィア構成国の一つクロアチアでは1917年に初の映画製作会社「クロアチア映画社」が設立。劇映画とドキュメンタリー作品数本を残して1920年に活動を停止しておりフィルムは全て遺失したとされています。同社作品の幾つかについては配給元のユーゴスラヴィア映画社との連名で販促用絵葉書が市販されていました。25までの連番が付されたセット物で英語圏では「ユーロピアン・フィルムスター・ポストカード」が同シリーズのオンライン紹介記事を残しています。

今回9枚を入手、このうちの4枚を占める『嵐の孤児』を紹介していきます。

同作はグリフィス版が公開される3年前に制作されたもので、1919年にザグレブで公開されています。ヒロインを演じたのはゾルカ・グルンド(Zorka Grund)。舞台俳優、映画監督として知られるアルノシュト・グルンドの娘に当たります。

ユーロピアン・フィルムスター・ポストカードでは「絵葉書ベースで推察するに、ゾルカ・グルンドが妹ルイーズと姉アンリエットの一人二役を演じたのでは(On the basis of the postcards, it seems that Zorka Grund played both Louise and Henriette.)」の仮説を立てています。確かに絵葉書を見ると貴族風の衣装をまとった写真(上段2枚)と、市民風の慎ましい姿(下段2枚)の2種類を確認できます。

しかし医者から告げられたのは決して口外できない恐ろしい話だった。数か月後ディアンヌ・ド・ボードリー孃は母になる、と云ふのであつた。

『二人の孤児』
アドルフ・デヌリー(1887-1889 連載小説版)

Mais un terrible mystère lui fut alors secrètement révélé par le médecin : Dans quelques mois, mademoiselle Diane de Vaudrey allait devenir mère!… (p.28)

Les Deux Orphelines
Ennery, Adolphe d’
(d’après le drame de MM. Adolphe d’Ennery et Eugène Cormon. 1887-1889.)

ところが物語と照合していくとどうも違うようなのです。『嵐の孤児』原作では貴族の娘ディアンヌが父の意向でリニエ伯爵に嫁ぐ前、初恋の男性との間に子供を宿してしまい、生まれたばかりの赤ん坊をこっそり里子に出す場面があります。この子供がルイーズで、引き取られた家の娘アンリエットの妹として育てられる…という設定です。赤ん坊を前にしたゾルカ・グルンドのショットはこの場面に対応。若き日のディアンヌ(後のリニエ伯爵夫人)と娘のルイーズの二役を務めていたが正しい解釈になるのかなと思われます。

そうすると姉のアンリエットを演じていた俳優が分からなくなります。絵葉書にアンリエットの登場場面が一枚もないため断定はできないのですがシリーズ連番の25番で紹介されている女優「Štefa Kostinčer」の可能性が高いのではないかと。

映画産業が勃興した直後であり、当時のクロアチアにまだ映画専属俳優はおらず、出演しているのは皆キャリアを積んだ舞台俳優たちでした。

ディアンヌ・ド・リニエ伯爵夫人は教会前の石段を下りかけて足を止め、盲いた少女を同情の目で見つめた。

Mais Diane de Linières, au moment de descendre, s’était arrêtée sur les marches, et regardait avec compassion la jeune aveugle. (p.530)

ibid

この絵葉書では3名の女優が並んでいます。貧困ビジネスの元締めであるラ・フロシャール(左端)が、盲目の少女ルイーズ(中央)を教会前で歌わせて物乞いさせていると 、教会から出てきたリニエ伯爵夫人(右端)がその姿に親近感を覚え、実の娘とは知らずに声をかける場面です。悪女ラ・フロシャールを演じたのはミリシャ・ミヒチッチ(Milica Mihičić)、歳を取ってからのリニエ伯爵夫人をベテラン舞台女優ボグミラ・ヴィルハー(Bogumila Vilhar)が務めています。

Milica Mihičić, Bogumila Vilhar, Ivo (Ivan) Mirjev Autographed Postcards

クロアチア映画社版『嵐の孤児』に出演していた3名の俳優のサイン入り絵葉書。右端のIvo (Ivan) Mirjev氏のみ配役が特定できていません。いずれも舞台を主戦場としていた俳優で映画出演はキャリア上特筆すべきものではなかったようです。それでもこういった役者たちが初期クロアチア映画の立ち上げに貢献していた、と見えてきたのが大きな収穫でした。

[IMDB]
Dvije sirotice

[公開年]
1919

[Movie Walker]


[データ]
8.5 × 13.5cm。左下に制作会社クロアチア映画社のロゴ、右下に配給会社ユーゴスラヴィア映画社のロゴ有。

エストニアより(映画)愛をこめて ヤーク・ヨエカッラス氏旧蔵サイン絵葉書

先日エストニアからの航空便が届きました。オンライン経由で取引したサイン物の絵葉書が計6点収められていました。

珍しい名前が多かったため蒐集家の古いコレクションがばらされたと思ったのですが、話を伺ったところセラーのヤーク・ヨエカッラス(Jaak Jõekallas)氏が個人で集めてきたサイン物の一部だそうです。「日本に発送するのは初めてだよ」と英語のメッセージが届き、返信がてら幾つか質問させてもらったところ素敵な話を色々聞かせていただきました。

前に書いたように、ソ連の時代には地元の骨董屋に独ロス社の絵葉書が沢山置いてあったんですよ。そういった店の多くは今は廃業してしまいましたけど、それでもまだ営業を続けているお店で面白い掘り出し物を見つけることがあります。

And as I already told, at the Soviet time there was a lot of old Verlag Ross postcards for sell in our antique shops. Nowadays most of these shops are closed but … sometimes is possible to find something interesting from these shops which are still working.

ソ連による併合以前に輸入されていたドイツやイギリス、合衆国製の絵葉書が1990年代にまだ町中のアンティークショップで売られていたそうで、ヤークさんは幼い頃からそういった紙物を集め始めていたそうです。

本サイトでも以前に紹介したイタ・リナ(Ita Rina)の話も少し出ました。1930年に公開された主演映画『情浪』(Wellen der Leidenschaft/Kire lained)がエストニアで撮影されていてこちらから話を振ってみたのですが、ヤークさんも当然その話は知っていて、しかも同作を監督したロシア出身の映画俳優・監督ウラディミール・ガイダロフの伝記を最近読んだ、とのこと。英語とロシア語の両刀使いは古いサイン物を集める際には強力な武器になります。正直羨ましい限りでした。

ちなみにヤークさんの名前はエストニアのウィキにも登録されています。1969年生まれで本職はオペラ歌手。古い映画関連紙物のコレクターとして知られており書籍も出版されているそうです。

ヤーク氏は映画俳優の絵葉書(ロス社、ピクチャーゴーア、また旧ソ連で出版されたものなど)、映画雑誌や書籍の収集でも知られている。

エストニア版ウィキペディアより

Kogub ka filminäitlejate postkaarte (Verlag Ross, Picturegoer jt, sealhulgas ka endise Nõukogude Liidu väljaanded) ning filmiajakirju ja -raamatuid.

『キノスタルジア』 (Kinostalgia. Filmistaaride lummuses, Jaak Jõekallas, 2018, Hea Lugu)

2019年にエストニア公共放送(ERR)で自著を紹介した番組がオンエアされました(ERR公式HPより)

2018年に出版された『キノスタルジア』は同氏の所蔵写真、絵葉書から600点を収めた一冊。表紙を飾っているのはキャロル・ロンバート。現在のエストニアはIT国家として知られていますが音楽や文芸思想でも優れた才能を輩出しており、こういった書籍からも質の高い文化の薫りが伝わってきます。

ルーシー・キーゼルハウゼン Lucy Kieselhausen (1900–1927) 墺

ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]より

Lucy Kieselhausen Mid/Late 1910s Autographed Postcard

オーストリアの舞踏家グレーテ・ヴィーゼンタールの門下生として頭角を現し、若くして舞台の人気者となりファッション誌のモデルとしても活躍していきます。映画界との接点は多くはありませんが1917年公開のドキュメンタリー短編『ベルンでのドイツ工作連盟展におけるファッションショー』にモデルとして登場、翌年から劇作品への出演を始め『千女一女物語(Tausend und eine Frau)』『七番目の列強(Die siebente Großmacht)』で端役を務めています。

1918年公開『七番目の列強』広告
独キネマトグラフ誌1918年8月号

その後1923年にアスタ・ニールセン主演の『地霊』(Erdgeist、リヒャルト・オスワルド監督)に出演。同時期にヘルタ・ファイストの下でダンスの勉強を続け、作曲家ハインツ・ティーセンの「サランボ組曲」に振付を提供。しかし自身の考案した舞踏が表舞台で披露されるのを見ることはできませんでした。1927年12月、浴室でベンジンを使用し手袋の清掃をしていた際、浴室のストーブの火が揮発したベンジンに着火、爆発を起こします。重度の火傷を負ってそのまま帰らぬ人となりました。

1927年12月末にオランダの新聞に掲載された訃報

映画出演作は端役4作のみですので女優としての評価がどうこうの話でもないのですが、第一次大戦後のドイツ語圏で舞踏畑で活躍した個性派でグリット・ヘゲーザ(Grit Hegesa)やハンネローレ・ジーグラー(Hannelore Ziegler)とも重なってくる感じです。

ちょうど先月(2021年4月)、ケルンに拠点を置く「西部ドイツ放送(Westdeutscher Rundfunk)」がラジオ番組「ルーシー・キーゼルハウゼン二重の立身物語(Die zwei Karrieren der Lucy Kieselhausen)」をオンライン公開しました。母親のレアさんに宛てた書簡や当時の証言を引用しながら1920年代のドイツ語圏で女性が、舞踏家が、そして若者が直面していたリアリティを再現していく内容でした。

[IMDb]
Lucy Kieselhausen

[Movie Walker]


[出身地]
オーストリア=ハンガリー帝国(ウィーン)

[データ]
[(Photochemie) K. 107. Bildnis von A. Binder, Berlin]

レオポルディーネ・コンスタンチン Leopoldine Konstantin (1886–1965) 墺

ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]より

Leopoldine Konstantin Late 1910s Autographed Postcard

オーストリア出身の舞台女優/映画女優で1900年代後半にはすでにベルリンの劇場に立っていました。

1910年頃にドイツで映画産業が勃興した折、舞台界から先駆者として業界に参入したのがマックス・ラインハルトでした。神話世界と現実世界を交差させた『恵みの島』(Die Insel der Seligen、1913年)はエロスを含みこんだファンタジーとして高い評価を受けているものです。同作後半では、妖精の島に紛れこんでしまった老紳士二人が魔女キルケ(レオポルディーネ・コンスタンチン)にたぶらかされ、妖術によって豚に変えられてしまう場面が含まれています。

ラインハルト門下生は個性的な演技派が多かったこともあり初期ドイツ映画界では重宝されていました。レオポルディーネ・コンスタンチンも1910年代を通じメスター社のハンス・オーベルレンダー監督作品を中心に活躍。10年代中盤にドイツで探偵活劇が流行した時にはスチュワート・ウェッブス連作と並ぶ人気シリーズ、ジョー・ディーブス物に出演した記録も残っています(1917年)。

『カイロの結婚』(1933年)より

1920年代初頭に映画界を離れ舞台に専念、10年以上のブランクを経てカムバックした後は母親役を中心に活動。この時期の出演作の幾つか(ウーファ社『カイロの結婚(Saison in Kairo)』『桃源境(Prinzessin Turandot)』など)は日本でも公開されていました。

『汚名』(1946年)より

40年代に渡米しハリウッドに挑戦、言葉の壁もあって大成こそしませんでしたが、ヒッチコックの『汚名』(Notorious、1946年)でナチス残党グループリーダー(クロード・レインズ)の母親役を演じ熟練の演技を見せました。同作が最後の映画出演となり50年代に女優業から引退しています。

[IMDb]
Leopoldine Konstantin

[Movie Walker]
レオポルディーネ・コンスタンチン

[出身地]
オーストリア=ハンガリー帝国(モラヴィア地方ブルノ、現チェコ)

[データ]
[Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 9271 Phot. Becker & Maas, Berlin]

1917 – 16mm 『チャップリンの勇敢』第2リール 米コダック社シネグラフ琥珀染色版

「16ミリ 劇映画」より

« Easy Street » (1917, Mutual Film Co., dir/Charles Chaplin)
Late 1920s Kodak Cinegraph 16mm Amber Tinted Print 2nd Reel

一文無しに落ちぶれ果てたチャーリー君は伝道所に迷いこんでしまひ、そこで更生を果たした。まず成し遂げた善行は、盗んだばかりの募金箱を返したことであつた。次いで警察に勤めはじめ「イージー・ストリート」を任されるに相成つた。警官が担架で自宅送りされるのが当たり前といふ町一番に治安の悪い一画である。しかしチャーリーは悪番長をやつつけてしまい、教会で自身の更生を手伝つてくれた麗しき女性を助けその心を掴むのである。誰もが好きにならずにいられないチャップリン定番喜劇で、最初から最後まで笑い転げる程に面白い。

「コダスコープ・レンタル用フィルムカタログ詳細版」(1932年、初年度版)

Charlie, a down-and-outer, wanders into Hope Mission where he is reformed, his first good act being to give back the collection plate which he had stolen. He then joins the police force and is assigned to Easy Street, the city’s worst section from which as a regular thing the policemen are brought home on stretchers. But in a characteristic manner he overcomes the ring leader of the ruffians and rescues and wins the beautiful mission worker who had reformed him. A regular Chaplin comedy of the kind everybody likes. Uproariously funny from end to end.

Descriptive Catalogue of Kodascope Library Motion Pictures (1st Edition, 1932)

米コダック社が1920年代にレンタル権を獲得して扱いを始めたコダック・シネグラフ16ミリ版の『勇敢』。このシリーズは質の高いプリントと美しい琥珀色の染色で知られています。元々2巻物で今回入手したのは後半第2リール。

ミューチャル期短編について復習しておくと現行のプリントは米国内用(Aネガ)と海外用(Bネガ)の異なった二種から派生してきたものです。コダック版の大元はAネガですが一度改編が施されたものであるため早期に派生した亜種(A’ネガ)の扱いをされることもあります。今まで入手してきた『勇敢』(仏パテ9.5ミリ版、英パテスコープ9.5ミリ版、東和スーパー8版)はいずれもBネガ由来。今回初めて戦前Aネガ系の実物が手に入ったことになります。

左がコダック版16ミリ、右が東和プリント版スーパー8。

エリック・キャンベル演じる悪番長との乱闘場面で言うとコダック版(Aネガ由来)は右に置かれたカメラから撮影されており、二人の姿を斜め前から撮っています。東和版(Bネガ)は左に置かれたカメラで撮影されており、二人の姿をほぼ真横からのアングルで撮っています。近景にある物(通りの名が入ったプレート)と遠景の事物(窓枠)との位置関係がずれているのも分かるかと思います。

2021年GWは遠出ができなかったため、家時間を利用して16ミリフィルムをデジタルスキャンする簡易装置を製作していました。白飛び/黒潰れがありますが悪くないかな、と思います。綺乃九五式とは違って単発のスキャンのみなのでここまできたら16ミリ用自動連続スキャナーを作るしかない気がしてきました。

2013 -『チャップリンズ・ヴィンテージ・イヤー:チャップリン・ミューチャル短編物語』

« Chaplin’s Vintage Year: The History of the Mutual-Chaplin Specials »
(Michael J Hayde, BearManor Media, 2013)

2013年に公刊された研究書。チャップリンに関しては伝記や作品論など多くの書物が発表されていますが、本作は1916~17年にミューチャル社で制作された作品の「版権」の運命を辿ることで通常の映画史では見えてこない業界の実態や、チャップリンのビジネスマンとしての側面を浮き上がらせていきます。

「ミューチャル短編」とは 『替玉(The Floorwalker)』から『冒険(The Adventurer)』まで、1916年~17年に製作・公開された12のチャップリン短編を指しています。厳密に言うとミューチャル社は配給会社で、その関連会社であるローンスター映画社(Lone Star Film Corporation)が制作を行い版権を所有していました。「チャップリン・スペシャルズ」のシリーズ名で紹介されていたため、この時期のプリントを「スペシャルズ」と呼ぶことがあります。

『午前一時』初公開時の広告。左下に星型に囲まれた「Mutual Chaplin」のロゴがあります

チャップリンとミューチャル社の契約が切れた1918年以降、フィルムの版権を巡った動きが激しくなっていきます。

1918年11月、「チャップリン・スペシャルズ」の安定した配給を目的とし、映画フィルムの配給・上映に関わっていた人々が共同出資してエキジビターズ・ミューチャル配給社が設立されました。同社の主要役員であったハロルド・コーネリアスはフィルムの資産価値に着目し、私財を投じてクラーク・コーネリアス社を立ち上げます。1919年6月に同社は60万ドルをかけ、ローンスター映画社の株式51%と2種類のネガ(国内用と国外用)、アウトテイクを取得しました。

クラーク・コーネリアス社は間幕を新たに作り直し(書体・書式の変更、一部内容改変)1920年から米国内での再公開を行っていきます。この際に「チャップリン・クラシックス・デラックス」シリーズとして紹介したため、この時期のプリントは「クラシックス」と呼ばれています。

クラーク・コーネリアス社による
「チャップリン・クラシックス・デラックス」広告

クラーク・コーネリアス社は1923年に一度発展解消しCCピクチャー社と名前を変えました。それでも「チャップリン・クラシックス」のロゴは生き続け、1925年まで国内各地での上映が続けられていきます。

しかし時代に波にのまれ次第に売り上げは低迷、負債を抱えたCCピクチャー社は借財返済のため二種類のネガとアウトテイクをオークションにかけます。1925年3月、国内向け/輸出向け2種類のネガの版権を買い取ったのがルイス・オーバックでした(アウトテイクはチャップリン自身が買い取っています)。オーバックは自身が社長となり設立したミューチャル・チャップリン社(Mutual-Chaplins, Inc.)に権利を売却。

ちょうどこの時期に小型映画産業が拡大したこともあり、ミューチャル・チャップリン社はライセンスビジネスを活発化させていきます。米コダック社は16ミリのレンタル権、英パテスコープ社/仏パテ社が9.5ミリの販売権を取得しました。1920年代末に市販されていたこれらの9.5ミリ、16ミリフィルムは「チャップリン・クラシックス」のネガを元にしたものです。

こういった展開の結果生じてきたのが「チャップリン・ミューチャル短編問題」です。

初公開時に使用されたスペシャルズ版が(『午前一時』を除いて)失われてしまいオリジナルの形が分からなくなってしまったのです。国内用ネガ、国外用ネガ、アウトテイクなど複数のネガがあることが状況をややこしくしており、現在決定版として市販されているデジタル修復版も実際には仮説や推測をまじえてつぎはぎされた再構成版でした。

『チャップリンズ・ヴィンテージ・イヤー』はこの問題に「正解」をもたらしてくれる書籍ではないのですが、オリジナル再現を試みる人々が直面している状況の厄介さ、入り組み具合を正確に浮き上がらせていきます。

[ハロルド・]コーネリアスとそのビジネス・パートナーであるウィリアム・クラークは、映画公開に携わる者であれば誰しもそうであるように、「チャップリン・スペシャルズの権利を所有するのは投資として間違いない」、そう考えたのであった。

Cornelius and his associate, William Clark, believed, as any exhibitor might, that owning the Chaplin Specials was a sure-fire investment.

本書には多くのビジネスマンが現れては消えていきます。中には詐欺師と呼んだ方が良さそうな胡散臭い連中もチラホラと。映画製作はこういったレベルにコミットする事でもある訳です。チャップリン自身も百戦錬磨の猛者たちを相手に時に交渉で、時に裁判を起こして立ち向かっていきます。フィルムの権利を巡る物語は自身の権利を守ろうとする創造者の物語でもあって、いわゆる「伝記」から見えてくる人物像とも異なった「ビジネス人格」としてのチャップリンの姿が浮き彫りになってくるのです。

1915 – 『赤環(レッド・サークル)』(バルボア/パテ・エクスチェンジ社、シャーウッド・マクドナルド監督、ルース・ローランド主演) 35ミリ齣フィルム10枚

« The Red Circle » (1915-16, Balboa/Pathe Exchange, dir/Sherwood MacDonald)
Chapter 11 « Seeds of Suspition » 35mm Nitrate Fragments

1915年末から16年前半にかけて公開された連続活劇『赤環』の上映用ポジ断片10枚。製作はバルボア社で配給がパテ・エクスチェンジ社。カレム社の短編映画でヒロインを務めていたルース・ローランドが初めて連続劇に進出した記念すべき一作。短い予告編を除いて上映用フィルムは遺失したとされています。

1915年11月27日付「ムービング・ピクチャー・ワールド」誌より 別作品の代打として1ヶ月公開が早められた旨も記されています

興奮すると両手の甲が充血し「赤い環」が現れて犯罪を犯してしまう…そんな遺伝的疾患の事件を追っていた医学者ラマー(フランク・マヨ)と、同症状の持ち主である若きヒロイン、ジューン・トラヴィス(ルース・ローランド)の出会い、駆け引き、そしてロマンスが14章仕立てで語られていく内容。

今回入手したのは第11章「疑惑の種」の断片で、内2コマは字幕、1コマは次回予告でした。本作に関しては英語と仏語のノヴェライズ版(仏語版を担当したのはモーリス・ルブラン)がありますのでこの2種の小説版と突き合わせながら齣フィルムの文脈を再構成してみます。

先行エピソードで窮地に陥っていたヒロインを助けたのは自身お尋ね者となっていた弁護士ゴードンでした。事情を尋ねたところ元々はファーウェル・コーポレーションの顧問弁護士をしていたとのこと。現場の労働者への賃金未払いが起こり調整をしていたところ、当のファーウェル社社長に騙され賃金を横領した罪を被せられてしまった…医学者ラマーがファーウェルの事務所を訪れたのを知ったジューンは「賊が侵入した!」と狂言を演じ、混乱に乗じて横領の証拠となる署名入り領収書を奪い取ります。


部屋の隅から一脚の椅子を引っ張ってきて扉脇に寄せ、椅子の上に立って軽く背を伸ばし、愛らしくも好奇に満ちた一対の瞳を欄干越しに向けた。

Getting a chair from the corner of the room, she carried it to the door, jumped lightly up and applied a pair of very pretty but very curious eyes to the transom.



自分でもなぜか分からぬまま、事務所へと戻ってくると白い便箋を二枚とり、重ねたまま折りこむと二つの同じ大きさの輪に切り取った。

Ensuite, sans s’expliquer elle-même pourquoi elle agissait ainsi, elle revint au bureau, prit deux feuilles blanches, les plia et les découpa en deux cercles égaux.



無駄骨となつた追跡の途中にラマーとファーウェルは引き返してきた秘書と合流、口角泡を飛ばしながらロビーまで降りてきた。

During their wild-goose chase Lamar and Farwell met the returning secretary and they all came down the hall together, talking excitedly.



「泥棒にやられた!札束を持つていかれてしまったよ。これを読んでくれ」、ファーウェルは金庫のダイヤルにかかっていた白い紙の輪を取り外すとラマーの手に押しこんだ。男が目を落とすと「お金は”赤き環の淑女”が正しい使い方をさせていただきます」の文字。

« I’m robbed! They’ve taken a bundle of bank notes! Read this thing! » As he spoke he pulled the printed circle off the safe knob and thrust it into Lamar’s hands. What Lamar read was this: « The money will be put to a good use by the Circle Lady. »



「金庫から頂戴したお金は”赤き環の淑女”より正当な所有者の元に届けさせていただきます」

L’argent pris dans ce coffre sera remis à ses légitimes propriétaires par la dame au Cercle rouge.



ラマーはゆつくり受話器を手にした。立ち上がった時と同じ位緩慢な動きであつた。

Lamar slowly hung up the receiver. Just as slowly be got up.



「いいえ」、秘書のゲイジが大声で答えた。「見えたのは甲に赤い輪の浮き出た女性の手だけでした」

« No, » yelled Gage. « I couldn’t see a thing except a woman’s hand with a Red Circle on the back of it.



一方でジューン嬢は自分の引き起こした騒動のことは頭から消し去り、ゴードンが待ち望んでいた領収書と札束とを胸にしつかと押しつけながら待ち合わせ場所の公園へと向かったのであつた。

Meanwhile, June, oblivious to all the trouble she had caused, made her way to the park, the coveted receipt and the banknotes hugged tight to her breast.



誰にも気づかれていなかったようなので足早にその場を去り、公園を離れると下町方面へと向かった。

人気のない一画を通り過ぎようとした時、まさに今一番必要としているものが目に留まった。焚火だ!

領収書を千切って炎に投げこんでいく。どの一片も本が何か見分けのつかない灰になってしまうまで見つめていた。

No one seemed to notice him, so he got out quickly, and leaving the park, made for the downtown district. […]

Just then he passed by a vacant lot and he saw what he needed most – a bonfire!

Tearing the receipt into tiny pieces, he threw them on the fire and watched them burn until every scrap had vanished into unrecognizable ashes.



『赤輪』次回予告
第12章「罠にかかった鼠の如く」
来週公開予定


ラマーとファーウェルがオフィスで話している様子をヒロインが盗聴する場面(齣番号01)に始まり、二人の男が部屋を開けた隙にジューンが領収書と紙幣を盗み出し、白い便箋で作った「環」に書置きを残す場面(齣番号02)、秘書と共にラマー、ファーウェルが戻ってくる場面 (齣番号03)、領収書が消えたのに気づき、ラマーが書置きに目を通す場面(齣番号04)、書置きの文面(齣番号05)、警察に電話しようと受話器を取り上げる場面 (齣番号06)、秘書が手錠で身動きを封じられた状況を説明する場面 (齣番号07)、ヒロインが待ちあわせ場所の公園に急ぐ場面 (齣番号08)、ゴードンが領収書を焚火で燃やす場面 (齣番号09)、そして次回予告 (齣番号10)。

英語版と仏語版小説で何とか流れを再構築できた感じながらも、以上で10フレームすべてが作品の中盤~後半の流れにぴったり収まりました。

[参考文献]

『赤環』英語版小説 アルバート・ペイスン・ターヒューン著、1915末〜1916年、各地の地方紙にて連載
”The Red Circle”, 14-chapter English novelization by Albert Payson Terhune, published in The Review (High Point, North Carolina) from December 23, 1915 to March 30, 1916.

『赤環』仏語版小説 モーリス・ルブラン著 初出ジュルナル紙、1916〜1917年連載
« Le Cercle rouge », 31-chapter French novelization by Maurice Leblanc, published in Le Journal from November 4, 1916 to January 20, 1917.

「パテ會社新作活劇 « 赤環 »」 モトグラフィー誌 1915年12月4日付
« The Red Circle » Pathe’s Next Serial Will Feature Ruth Roland Motography, 1915, December 4 Issue, p1179.

ムービング・ピクチャー・ワールド紙 1915年11月27日付より広告

[IMDb]
The Red Circle

[Movie Walker]


[公開]
1915年12月16日

1919 – 連続活劇 『ティーミン』 (ルイ・フイヤード監督)仏語小説版 ロマン・シネマ全12冊揃

「ルイ・フイヤード」より

« Tih-Minh » (1918, Gaumont, dir/Louis Feuillade)
1919 « Romans-Cinéma » French Novelization

2004年、米映画批評家のジョナサン・ローゼンバウム氏が自著の『エッセンシャル・シネマ』でお気に入りの作品千本をリストアップしました。国外の映画愛好家が「このうち何本見れるか」とチャレンジする機会も多く、英語圏では大きな影響力を持っています。同リストには94本の無声映画が含まれており、グリフィスの7作とキートンの6作に次いで多く取り上げられていた監督がフイヤード(5作)でした。

『ティーミン』(1918年)はフイヤード監督が第一次大戦後に初めて手掛けた連続活劇となります。全12話、トータル5時間ほどの上映時間。ゴーモン社が35ミリポジを保管しており2018年から4Kデジタル修復プロジェクトが始動、一般公開から百年目となる2019年に最新デジタル版が完成しました。

『ティーミン』の各エピソード公開にあわせ、毎週木曜日に小説版も出版されていました。24頁ページの冊子形式で、表紙は二色刷り。小説版は単に映像を文字に起こしただけではなく映画版で言葉不足のまま展開されていた個所が説明されています。

フイヤード活劇史において『ティーミン』は物語の「語り」を変える意識が表面化してきた一作となります。

前半4エピソードの主人公はどのような事件に巻きこまれているかを知らず防戦一方となっていて目につくアクションの要素が希薄。中盤4エピソードでは新登場のキャラクター(フランシス)を迎え次第に反撃に向かい、後半に敵を壊滅させる流れになっています。初期作と比べるとスロースタートな展開ながら計5時間の流れを配慮した起承転結と全体の完成度を意識。この傾向は次作『バラバス』にも継承されていくものです。

『ティーミン』のゆったりした物語の流れは同作の弱点にもなっている部分です。旧来の連続活劇のめくるめくアクションやジェットコースター的展開を期待していると肩透かしを食らいます。逆に活劇ジャンルを幼稚とみなしていた一部の映画愛好家がこの作品で初めて活劇を評価した例が見られます。型通りの連続活劇は十分に観てきたという中級~上級者、主流からは外れながらも個性のある活劇を見たいという方が楽しめそうな作品になっています。

2020年ボローニャ復元映画祭でデジタル修復版が上映された際に2021年末にDVD版が発売される旨が告知されており、今後フイヤード活劇再発見の中心となっていくのではないかと期待されます。日本語環境で見れる機会がいつになるか分かりませんので最後に各章の要約を付しておきます(各章のスクリーンショットはGPアーカイヴより)。全体の流れはある程度掴めるのではないでしょうか。

[IMDb]
Tih Minh

[Movie Walker]


[公開]
1919年2月~4月

[出版社]
ルネッサンス・デュ・リーヴル社

付録:連続活劇『ティーミン』各章要約

プロローグ:

冒険家ジャック・アティス(ルネ・クレステ)がインドシナから帰国、車から降りてきた青年の隣には黒髪の女性の姿。現地で世話になったティーミン(マリ・アラルド)であつた。互いに憎からず思っていた二人の運命を一通の電報が変えてしまう。ジャックは単身インドヘと向かわなくてはならなくなった。名残を惜しむ中、ふと不吉な予感に苛まれるティーミンであつた。

第1話:忘却薬

インドでの仕事を終えて帰途についたジャック。しかし彼の動きをこっそり追っている怪しげな一団。ジャックがインドで手に入れた一冊の書籍を狙っているようである。悪党団の狙いは見返しに残されたインド語の手書き文書。まずはキストナ(ルイ・ルーバ)が世間話に紛れて書籍を借りようと試みるが、ジャックの下男(ビスコ)がいたずら書きと勘違いして文章を消してしまったため失敗。悪党達はティーミンを拉致、催眠術をかけて彼女に紙片を奪わせようと試みる。だがしかしティーミンは無意識で抗い言なりにはならなかつた。悪党団は薬を飲ませ女の記憶を消すとジャックの元に返すのあつた。

第2話:事件は夜に二度起きる

インド語のメッセージを書き写した紙片があると知ったキストナ一団はその強奪を計画。「事件の真相を教える」を口実に海岸までジャックを呼び出してから溺死させようと画策。謀略を感じたジャックは下男プラシッドに身代わりを依頼し海岸へと行ってもらい、自身は部屋の薄暗がりに隠れて約束の時間を待つ。部屋の窓から侵入してきた一つの影。机を物色したところを取り押さえたところ以前にキストナという人物から紹介されたサンタフェ侯爵夫人ではないか。女から事情を聞こうとするも、一瞬の隙をついて逃げられてしまうのであつた。

第3話:シルケー館の秘密

記憶を失ったティーミンは病院で療養しながら次第に体調を取り戻していつた。悪党の一味は再度女を拐して紙片との交換条件にしようと画策。ティーミンを見張っていたアティス家の下女ロゼッタの気を逸らしている間に誘拐に成功。一方、キストナを疑い始めていたジャックは下男プラシッド共にキルケー館に潜入、地下室に幽閉されている多数の女を発見。表情は一様にうつろだった。最近巷で多発していた婦女子誘拐事件の被害者だと気づくまで時間はかからなかった。館の一角には怪しげな薬品を調合しているキストナの姿。いったんは館を離れようと試みた二人だったが、プラシッドが庭に仕掛けられた罠に掛かってしまう。館に鳴り響いた警報音。「私を殺すまではしないでしょう。行ってください」、プラシッドの言葉にジャックはその場を離れるのであつた。

第4話:ケースに潜む男

囚われの身となったプラシッドだったが機転を利かせ薬品をすり替えたのが功を奏し、意識を失わずに済んだ。服を運ぶための籠の底に身を隠す。使用人たちは何も気づかず籠を車を乗せた。行先は悪漢が秘密の拠点としているコートダジュールの豪邸であった。プラシッドは館の二階に幽閉されていたティーミンを発見。薬を飲まされていたが動けるようではあった。プラシッドは女を誘導して小舟に乗せ無事脱出に成功、ティーミンをジャックのもとに送り届けるのであった。ジャックは旧友の外交官フランシス(エドゥアール・マテ)に連絡をとり、ヒンディー語文章の解読を試みる。

第5話:精神病院にて

英国から到着したフランシスだったが、駅では悪漢たちが先回りして待っていた。「迎えに来ました」に騙されて乗った車の行先は精神病院であった。悪党一味のジルソン(ガストン・ミシェル)はフランシスの叔父だと身元を偽って「甥に妄想癖があって」と病院長に説明をしていた。病院職員たちはフランシスを独房に閉じこめてしまう。奸計を見抜いたジャック達は病院に乗りこみ友人の救出に成功。フランシスによるとヒンドゥー語の文章は「第29文書」と呼ばれる国家機密で、英仏の国防にも関わるこの書類の入手を目論んで独スパイが暗躍しているとの話だった。

第6話:夜鳥

「第29文書」がフランシスの手に渡ったと知った悪党団は狙いを外交官に変える。フランシスの執事として雇われた青年は隣室で働いている美しい小間使いに心を奪われてしまう。この小間使いに変装していたのはドロレス侯爵夫人だった。ドロレスは執事を薬で意識不明にさせると部屋の物色を始めた。だが帰宅したフランシスにつかまってしまう。ジャックは女を尋問し悪党団の所在地を突き止めようと試みる。

第7話:よみがえる記憶

旧知の医学者クルーゼルの力を借り、ドロレスに催眠をかけて尋問を開始。「機密文書の存在をどうやって知った?」女の口から語られたのは、かつて仏領インドシナで起こったある事件の話だった。当時ローランソンという外交官がトンキンに赴任していたが、在任中に老いた地元民からラジャーの隠し財産と欧州の国防に関わる秘密を記した書籍の存在を知らされる。その時の会話に偶然立ち会ったのがドイツの間諜ジルソンであった。深夜、ジルソンは外交官宅に侵入し秘密の書かれた書類を奪おうとするが見つかってしまう。ジルソンはローランソンを射殺し逃亡。このローランソンこそティーミンの父であった。女の告白を聞いていたティーミンは次第に過去の記憶を取り戻していく。

第8話:ヴェールの下に

悪党団は反撃の機会を狙っていた。ドロレスを奪い返したのち、次の目標はティーミンだった。尼僧に変装したキストナがジャック宅に入りこむのに成功。ティーミンを銃で脅して機密書類の在りかを白状させようとした。危うく命を失いかけたティーミンたちであるが、執事プラシッドとその婚約者ロゼット(ジャンヌ・ロレット)の活躍で悪人たちの撃退に成功する。

第9話:慈悲の枝

一旦は平穏を取り戻したかに見えたジャック達。だが悪党一味は次の襲撃機会を狙っていた。内通者として潜りこませた小間使いを通じてジャック達の動きは筒抜けだった。ジャックとフランシスが悪漢の捕縛に向かおうとした時ティーミンも同行を望んだのだが「危険さに晒す訳にいかない」と断られてしまう。諦めきれないティーミンは荷物の片隅に隠れこっそり後を追おうとするが、その動きをキャッチした悪党団が反撃に出る。

第10話:13日の金曜日

キストナは「金曜日」の伝言を付した白い粉末を内通者に送りジャック達を人事不詳に陥れようと試みる。小間使いの一人が敵に通じていると知ったジャックは謀略を逆手に取り、騙された振りをして悪党一味をおびき寄せようと試みる。金曜、何も知らずやってきたキストナ達を返り討ちにするのだが、一党が退却中にティーミンと鉢あわせとなり、これ幸いとばかりに女を拉致しようと試みる。再度危地に陥ったティーミンを救ったのは意外な人物であった。

第11話:第29文書

ジャック達の尽力が実り、スパイたちへの包囲網が着々と完成しつつあった。だがキストナ一味は最後の反撃を試みる。早朝、まだ就寝中のフランシスの部屋を襲い身動きをとれなくしてしまう。英国からフランソワ宛に届いた書簡を見ると第29文書がすでに無効化された旨が記されていた。「もはやこれまでか」。フランソワを救出にやってきたジャック、プラシッドらに追われ悪漢たちはアパルトマンの屋根伝いに逃走を試みる。

第12話:正義の鉄槌

ジャック達は車で逃走したスパイ団を追跡していく。逃げ場を失った悪党たちは次第に仲間割れを始めていた。最後に残ったキストナとジルソンの二人もまた互いを警戒しながらの逃避行を続けていく。車のガソリンが切れ、徒歩での移動を強いられたジルソンは地元の採掘場で使われていた鉱石を運ぶケーブルカーを思い出した。何としても逃げ切りたい悪党一味とそれを必死で追うジャックと仲間たち。最後の追跡劇、ジャックを待つティーミンらの想いの行方や如何に。

1918 – 『ぶどう月』 (ルイ・フイヤード監督) 撮影風景写真3枚

「ルイ・フイヤード」より

1918 - Vendémiaire (Louis Feuillade)

« Vendémiaire » (1918, Gaumont, dir/Louis Feuillade)
3 photos de tournage (3 behind-the-scenes shots with annotations on back)

第一次大戦終戦の大正7年(1918年)に撮影され、翌8年(1919年)に公開された劇作品『ぶどう月』撮影中の写真三点。販促用スチルではなく、撮影関係者が内々のやりとりで保管していたオフショットで、ここにある以外現存していない資料と思われます。

フイヤード監督の作品は1)初期習作(1913年まで)、2)前期活劇(1914~17年)、3)後期活劇と逝去(1922年まで)の大きく三つに分けることができます。

『ファントマ』『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』『続ジュデックス』など大戦中の作品で仏活劇に旋風を巻き起こした後、戦後から作風に変化が見られるようになってきます。『ティーミン』や『バラバス』といった後期作品は、アクションの要素を抑えドラマの流れや一貫性を重視し、さらに幻想色を加えたものに変わっていくのです。

前期から後期への橋渡しとなった作品が『ぶどう月(Vendémiaire)』でした。 この監督は「フイヤード組」と呼ばれた固定メンバーを軸に作品作りを進めるのが常だったのですが、終戦の前後に大きな入れ替えがありました。『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』で存在感を見せたミュジドラ、喜劇の要素を加えていたマルセル・ルヴェスクの二人が一座を離脱。その代わりにアジア風の繊細さを持つ女優マリ・アラルドが加入、ルヴェスクの代わりに若い喜劇俳優ビスコが参加します。また『ジュデックス』主役を演じたルネ・クレステもこの後しばらくして『ティーミン』製作後に離脱しています。

『ぶどう月』はマリ・アラルドやビスコが初めて登場したフイヤード作品となります。

『ぶどう月』の物語は、軍隊を離れ、新たな生活を始めようと南仏にやってきた退役軍人(ルネ・クレステ)を軸に進んでいきます。盲目の貴族(エドゥアール・マテ)が所有するワイン園で雇われるのですが、ジプシーと間違われ追い払われそうになっていた貧しい未亡人(マリ・アラルド)を助け、次第にロマンスが生まれてきます。一方では敗走したドイツ兵(ルイ・ルーバ)が身分を偽ってワイン園に潜りこみ、盗みを重ねながらその罪を貧しい未亡人に押しつけようとしていく。未亡人の濡れ衣を晴らすため主人公は…という展開を持つ映画です。

冒頭、主人公はブドウ園の管理人に身分証明書を見せ、雇ってもらうことに成功します。この時ジプシーと勘違いされ雇用を断られた女性に話を聞くと、大戦で夫を亡くしたばかりとのこと、クレステはブドウ園の管理人に話をし、「ジプシーではなく英雄の妻だ」と誤解を解いてあげました。

ゴーモン社所有のプリントでは以下のような映像が続いていきます。

主人公を演じたクレステを中心に、未亡人を演じたマリ・アラルド、管理人を演じたエミール・アンドレを左右に配して撮影されたのが一枚目の写真。作中でマリ・アラルドは頭に布を巻いていましたが、こちらでは首の後ろに下ろしています。

この後悪役ドイツ人が登場、国籍を偽って農園に入りこみ、窃盗を繰り返していきます。途中にベルギー人の同僚が内緒話をしているのを見つけ、小耳を立てる場面がありました。

悪漢を演じたルイ・ルーバを撮影したのが二枚目の写真です。映画では正面と真横からのアングルでしたが、写真は斜め前からのアングルになっています。

最後の一枚はカメラマン。今回「1895」誌のフイヤード特集号に収められていた写真から『ジュデックス』等でも撮影を務めたレオン・クラウス氏と特定できました。

3枚の写真の裏面にはいずれも手書きの説明が付されています。


クレステがブドウ園管理人の元に薄汚れた女を連れて行く。管理人と握手を交わす。女に罪はないと信じていた。

Cresté amène la caraque auprès du régisseur, qui va lui serrer la main: il croit à sa innocence

René Cresté (Judex)


ベルギー人のおしゃべりを盗み聞きしているドイツ人

le boche écoute les belges parler


カメラを「回している」連中の一人

un de ceux qui « tournèrent »

別投稿で紹介したルネ・クレステ直筆の年賀メッセージ葉書と同じ出所で、1919年頃にクレステと親交のあった関係者が保管していた資料の一つです。

この3枚と同じ撮影者の手によるもう1枚の写真も併せて紹介しておきます。

『ぶどう月』に該当する風景・人物は登場していませんが、同時期に南仏の農村で撮影された一枚で間違いなさそうです。カメラマンがスチル撮影を手掛けた合間に見かけた農夫たちを撮ったのではないでしょうか。井戸のデザイン、人々の雰囲気など妙に心を揺すぶる何かがあります。

[IMDb]
Vendémiaire

[Movie Walker]


[公開]
1919年1月17日

2007 – 『ルイ・フイヤード、その源泉へ 書簡と資料庫』(仏映画史研究協会編)

「ルイ・フイヤード」より

« Louis Feuillade Retour aux sources : Correspondance et archives » (l’Association française de recherche sur l’histoire du cinéma/AFRHC)

ルイ・フイヤード(1873-1925)監督については自国フランスを中心に研究が進んでいて、確認できている限り十数冊の書籍(雑誌特集号や増刊号含む)が公刊されています。『ルイ・フイヤード、その源泉へ』は「1895誌」を出版している仏映画史研究協会編がまとめた一冊で、同監督がゴーモン社や知人、友人とやりとりした書簡、契約書の草稿等223点の資料を時系列に並べています。時期によって6つの章に分かれています。

1) 監督デビュー前(1902-1905)
2) ゴーモン社初期作品期(1906-1914)
3) 戦中期(1914-1916)
4) 『ジュデックス』周辺期(1916-1918)
5) 拠点をニースに移してから(1918-1925)
6) 晩年(1922-1925)

青年時代のフイヤードは闘牛好きで専門誌に寄稿していたこともありました。その時期に残された数点の書簡以外は基本映画監督として書かれた文章。相手としてはゴーモン社レオン・ゴーモンと、俳優マルセル・ルベスクの比重が多くなっています。また後半は自身の映画作品のマルチメディア展開(小説版プロジェクト)に触れた内容が増えてきます。

ゴーモン氏への書簡は完全なビジネス仕様で、撮影に掛かった経費の報告が多くなっています。ルベスクとは旧友同士のやりとりといった感じで自身や共通の友人の近況報告が中心となっていました。

『ルイ・フイヤード、その源泉へ』にまとめられた書簡類では映画論や技法論は一切触れられていません。「映画はかくあってほしい」の理想論にはほとんど興味がなかったのだろうという印象を受けました。限られた予算枠の中でその都度最善の結果を出して会社に貢献しそれに相応しい収入を得ていく、そういったスタンスを貫いた職人肌の監督像が近いのかな、と。

一方で場面ごとの経費の報告が多数残されていて、1910年代の仏連続活劇撮影時にどのような個所でコストがかかっていたのかが見えやすくなっています。初期映画撮影を経済/マネジメント視点で分析していくアプローチもできそうです。

ルベスクとのやりとりは気の知れた友人相手のリラックスした雰囲気が特徴的。ルベスク自身がゴーモン社との契約で揉めて同社を離れた経緯、フイヤードがクレステと疎遠になっていた様子など細かな人間模様が浮き彫りになってきます。自身の映画の常連俳優たちを「一座の連中」と呼んでいたり、『ティーミン』に出演していた女優リュガヌと結婚して「うちの女神さん」と溺愛振りを示すなど「身内」を大事にしていく姿勢も伝わってきます。

1914~16年に関してはパリを拠点としていたためゴーモン社との書類のやりとりが少なく、フイヤード活劇愛好家の多くが期待している情報が残っていないのが残念ですが1910年代映画制作の裏舞台が垣間見える貴重な一次資料です。

[原題]
Louis Feuillade Retour aux sources : Correspondance et archives

[出版年]
2007

[出版者]
仏映画史研究協会(l’Association française de recherche sur l’histoire du cinéma/AFRHC)

[ページ数]
316

[サイズ]
14.5 × 21.5 cm

[ISBN]
978-2-913758-77-3