エストニアより(映画)愛をこめて ヤーク・ヨエカッラス氏旧蔵サイン絵葉書

先日エストニアからの航空便が届きました。オンライン経由で取引したサイン物の絵葉書が計6点収められていました。

珍しい名前が多かったため蒐集家の古いコレクションがばらされたと思ったのですが、話を伺ったところセラーのヤーク・ヨエカッラス(Jaak Jõekallas)氏が個人で集めてきたサイン物の一部だそうです。「日本に発送するのは初めてだよ」と英語のメッセージが届き、返信がてら幾つか質問させてもらったところ素敵な話を色々聞かせていただきました。

前に書いたように、ソ連の時代には地元の骨董屋に独ロス社の絵葉書が沢山置いてあったんですよ。そういった店の多くは今は廃業してしまいましたけど、それでもまだ営業を続けているお店で面白い掘り出し物を見つけることがあります。

And as I already told, at the Soviet time there was a lot of old Verlag Ross postcards for sell in our antique shops. Nowadays most of these shops are closed but … sometimes is possible to find something interesting from these shops which are still working.

ソ連による併合以前に輸入されていたドイツやイギリス、合衆国製の絵葉書が1990年代にまだ町中のアンティークショップで売られていたそうで、ヤークさんは幼い頃からそういった紙物を集め始めていたそうです。

本サイトでも以前に紹介したイタ・リナ(Ita Rina)の話も少し出ました。1930年に公開された主演映画『情浪』(Wellen der Leidenschaft/Kire lained)がエストニアで撮影されていてこちらから話を振ってみたのですが、ヤークさんも当然その話は知っていて、しかも同作を監督したロシア出身の映画俳優・監督ウラディミール・ガイダロフの伝記を最近読んだ、とのこと。英語とロシア語の両刀使いは古いサイン物を集める際には強力な武器になります。正直羨ましい限りでした。

ちなみにヤークさんの名前はエストニアのウィキにも登録されています。1969年生まれで本職はオペラ歌手。古い映画関連紙物のコレクターとして知られており書籍も出版されているそうです。

ヤーク氏は映画俳優の絵葉書(ロス社、ピクチャーゴーア、また旧ソ連で出版されたものなど)、映画雑誌や書籍の収集でも知られている。

エストニア版ウィキペディアより

Kogub ka filminäitlejate postkaarte (Verlag Ross, Picturegoer jt, sealhulgas ka endise Nõukogude Liidu väljaanded) ning filmiajakirju ja -raamatuid.

『キノスタルジア』 (Kinostalgia. Filmistaaride lummuses, Jaak Jõekallas, 2018, Hea Lugu)

2019年にエストニア公共放送(ERR)で自著を紹介した番組がオンエアされました(ERR公式HPより)

2018年に出版された『キノスタルジア』は同氏の所蔵写真、絵葉書から600点を収めた一冊。表紙を飾っているのはキャロル・ロンバート。現在のエストニアはIT国家として知られていますが音楽や文芸思想でも優れた才能を輩出しており、こういった書籍からも質の高い文化の薫りが伝わってきます。

ルーシー・キーゼルハウゼン Lucy Kieselhausen (1900–1927) 墺

ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]より

Lucy Kieselhausen Mid/Late 1910s Autographed Postcard

オーストリアの舞踏家グレーテ・ヴィーゼンタールの門下生として頭角を現し、若くして舞台の人気者となりファッション誌のモデルとしても活躍していきます。映画界との接点は多くはありませんが1917年公開のドキュメンタリー短編『ベルンでのドイツ工作連盟展におけるファッションショー』にモデルとして登場、翌年から劇作品への出演を始め『千女一女物語(Tausend und eine Frau)』『七番目の列強(Die siebente Großmacht)』で端役を務めています。

1918年公開『七番目の列強』広告
独キネマトグラフ誌1918年8月号

その後1923年にアスタ・ニールセン主演の『地霊』(Erdgeist、リヒャルト・オスワルド監督)に出演。同時期にヘルタ・ファイストの下でダンスの勉強を続け、作曲家ハインツ・ティーセンの「サランボ組曲」に振付を提供。しかし自身の考案した舞踏が表舞台で披露されるのを見ることはできませんでした。1927年12月、浴室でベンジンを使用し手袋の清掃をしていた際、浴室のストーブの火が揮発したベンジンに着火、爆発を起こします。重度の火傷を負ってそのまま帰らぬ人となりました。

1927年12月末にオランダの新聞に掲載された訃報

映画出演作は端役4作のみですので女優としての評価がどうこうの話でもないのですが、第一次大戦後のドイツ語圏で舞踏畑で活躍した個性派でグリット・ヘゲーザ(Grit Hegesa)やハンネローレ・ジーグラー(Hannelore Ziegler)とも重なってくる感じです。

ちょうど先月(2021年4月)、ケルンに拠点を置く「西部ドイツ放送(Westdeutscher Rundfunk)」がラジオ番組「ルーシー・キーゼルハウゼン二重の立身物語(Die zwei Karrieren der Lucy Kieselhausen)」をオンライン公開しました。母親のレアさんに宛てた書簡や当時の証言を引用しながら1920年代のドイツ語圏で女性が、舞踏家が、そして若者が直面していたリアリティを再現していく内容でした。

[IMDb]
Lucy Kieselhausen

[Movie Walker]


[出身地]
オーストリア=ハンガリー帝国(ウィーン)

[データ]
[(Photochemie) K. 107. Bildnis von A. Binder, Berlin]

レオポルディーネ・コンスタンチン Leopoldine Konstantin (1886–1965) 墺

ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]より

Leopoldine Konstantin Late 1910s Autographed Postcard

オーストリア出身の舞台女優/映画女優で1900年代後半にはすでにベルリンの劇場に立っていました。

1910年頃にドイツで映画産業が勃興した折、舞台界から先駆者として業界に参入したのがマックス・ラインハルトでした。神話世界と現実世界を交差させた『恵みの島』(Die Insel der Seligen、1913年)はエロスを含みこんだファンタジーとして高い評価を受けているものです。同作後半では、妖精の島に紛れこんでしまった老紳士二人が魔女キルケ(レオポルディーネ・コンスタンチン)にたぶらかされ、妖術によって豚に変えられてしまう場面が含まれています。

ラインハルト門下生は個性的な演技派が多かったこともあり初期ドイツ映画界では重宝されていました。レオポルディーネ・コンスタンチンも1910年代を通じメスター社のハンス・オーベルレンダー監督作品を中心に活躍。10年代中盤にドイツで探偵活劇が流行した時にはスチュワート・ウェッブス連作と並ぶ人気シリーズ、ジョー・ディーブス物に出演した記録も残っています(1917年)。

『カイロの結婚』(1933年)より

1920年代初頭に映画界を離れ舞台に専念、10年以上のブランクを経てカムバックした後は母親役を中心に活動。この時期の出演作の幾つか(ウーファ社『カイロの結婚(Saison in Kairo)』『桃源境(Prinzessin Turandot)』など)は日本でも公開されていました。

『汚名』(1946年)より

40年代に渡米しハリウッドに挑戦、言葉の壁もあって大成こそしませんでしたが、ヒッチコックの『汚名』(Notorious、1946年)でナチス残党グループリーダー(クロード・レインズ)の母親役を演じ熟練の演技を見せました。同作が最後の映画出演となり50年代に女優業から引退しています。

[IMDb]
Leopoldine Konstantin

[Movie Walker]
レオポルディーネ・コンスタンチン

[出身地]
オーストリア=ハンガリー帝国(モラヴィア地方ブルノ、現チェコ)

[データ]
[Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 9271 Phot. Becker & Maas, Berlin]

1917 – 16mm 『チャップリンの勇敢』第2リール 米コダック社シネグラフ琥珀染色版

「16ミリ 劇映画」より

« Easy Street » (1917, Mutual Film Co., dir/Charles Chaplin)
Late 1920s Kodak Cinegraph 16mm Amber Tinted Print 2nd Reel

一文無しに落ちぶれ果てたチャーリー君は伝道所に迷いこんでしまひ、そこで更生を果たした。まず成し遂げた善行は、盗んだばかりの募金箱を返したことであつた。次いで警察に勤めはじめ「イージー・ストリート」を任されるに相成つた。警官が担架で自宅送りされるのが当たり前といふ町一番に治安の悪い一画である。しかしチャーリーは悪番長をやつつけてしまい、教会で自身の更生を手伝つてくれた麗しき女性を助けその心を掴むのである。誰もが好きにならずにいられないチャップリン定番喜劇で、最初から最後まで笑い転げる程に面白い。

「コダスコープ・レンタル用フィルムカタログ詳細版」(1932年、初年度版)

Charlie, a down-and-outer, wanders into Hope Mission where he is reformed, his first good act being to give back the collection plate which he had stolen. He then joins the police force and is assigned to Easy Street, the city’s worst section from which as a regular thing the policemen are brought home on stretchers. But in a characteristic manner he overcomes the ring leader of the ruffians and rescues and wins the beautiful mission worker who had reformed him. A regular Chaplin comedy of the kind everybody likes. Uproariously funny from end to end.

Descriptive Catalogue of Kodascope Library Motion Pictures (1st Edition, 1932)

米コダック社が1920年代にレンタル権を獲得して扱いを始めたコダック・シネグラフ16ミリ版の『勇敢』。このシリーズは質の高いプリントと美しい琥珀色の染色で知られています。元々2巻物で今回入手したのは後半第2リール。

ミューチャル期短編について復習しておくと現行のプリントは米国内用(Aネガ)と海外用(Bネガ)の異なった二種から派生してきたものです。コダック版の大元はAネガですが一度改編が施されたものであるため早期に派生した亜種(A’ネガ)の扱いをされることもあります。今まで入手してきた『勇敢』(仏パテ9.5ミリ版、英パテスコープ9.5ミリ版、東和スーパー8版)はいずれもBネガ由来。今回初めて戦前Aネガ系の実物が手に入ったことになります。

左がコダック版16ミリ、右が東和プリント版スーパー8。

エリック・キャンベル演じる悪番長との乱闘場面で言うとコダック版(Aネガ由来)は右に置かれたカメラから撮影されており、二人の姿を斜め前から撮っています。東和版(Bネガ)は左に置かれたカメラで撮影されており、二人の姿をほぼ真横からのアングルで撮っています。近景にある物(通りの名が入ったプレート)と遠景の事物(窓枠)との位置関係がずれているのも分かるかと思います。

2021年GWは遠出ができなかったため、家時間を利用して16ミリフィルムをデジタルスキャンする簡易装置を製作していました。白飛び/黒潰れがありますが悪くないかな、と思います。綺乃九五式とは違って単発のスキャンのみなのでここまできたら16ミリ用自動連続スキャナーを作るしかない気がしてきました。

2013 -『チャップリンズ・ヴィンテージ・イヤー:チャップリン・ミューチャル短編物語』

« Chaplin’s Vintage Year: The History of the Mutual-Chaplin Specials »
(Michael J Hayde, BearManor Media, 2013)

2013年に公刊された研究書。チャップリンに関しては伝記や作品論など多くの書物が発表されていますが、本作は1916~17年にミューチャル社で制作された作品の「版権」の運命を辿ることで通常の映画史では見えてこない業界の実態や、チャップリンのビジネスマンとしての側面を浮き上がらせていきます。

「ミューチャル短編」とは 『替玉(The Floorwalker)』から『冒険(The Adventurer)』まで、1916年~17年に製作・公開された12のチャップリン短編を指しています。厳密に言うとミューチャル社は配給会社で、その関連会社であるローンスター映画社(Lone Star Film Corporation)が制作を行い版権を所有していました。「チャップリン・スペシャルズ」のシリーズ名で紹介されていたため、この時期のプリントを「スペシャルズ」と呼ぶことがあります。

『午前一時』初公開時の広告。左下に星型に囲まれた「Mutual Chaplin」のロゴがあります

チャップリンとミューチャル社の契約が切れた1918年以降、フィルムの版権を巡った動きが激しくなっていきます。

1918年11月、「チャップリン・スペシャルズ」の安定した配給を目的とし、映画フィルムの配給・上映に関わっていた人々が共同出資してエキジビターズ・ミューチャル配給社が設立されました。同社の主要役員であったハロルド・コーネリアスはフィルムの資産価値に着目し、私財を投じてクラーク・コーネリアス社を立ち上げます。1919年6月に同社は60万ドルをかけ、ローンスター映画社の株式51%と2種類のネガ(国内用と国外用)、アウトテイクを取得しました。

クラーク・コーネリアス社は間幕を新たに作り直し(書体・書式の変更、一部内容改変)1920年から米国内での再公開を行っていきます。この際に「チャップリン・クラシックス・デラックス」シリーズとして紹介したため、この時期のプリントは「クラシックス」と呼ばれています。

クラーク・コーネリアス社による
「チャップリン・クラシックス・デラックス」広告

クラーク・コーネリアス社は1923年に一度発展解消しCCピクチャー社と名前を変えました。それでも「チャップリン・クラシックス」のロゴは生き続け、1925年まで国内各地での上映が続けられていきます。

しかし時代に波にのまれ次第に売り上げは低迷、負債を抱えたCCピクチャー社は借財返済のため二種類のネガとアウトテイクをオークションにかけます。1925年3月、国内向け/輸出向け2種類のネガの版権を買い取ったのがルイス・オーバックでした(アウトテイクはチャップリン自身が買い取っています)。オーバックは自身が社長となり設立したミューチャル・チャップリン社(Mutual-Chaplins, Inc.)に権利を売却。

ちょうどこの時期に小型映画産業が拡大したこともあり、ミューチャル・チャップリン社はライセンスビジネスを活発化させていきます。米コダック社は16ミリのレンタル権、英パテスコープ社/仏パテ社が9.5ミリの販売権を取得しました。1920年代末に市販されていたこれらの9.5ミリ、16ミリフィルムは「チャップリン・クラシックス」のネガを元にしたものです。

こういった展開の結果生じてきたのが「チャップリン・ミューチャル短編問題」です。

初公開時に使用されたスペシャルズ版が(『午前一時』を除いて)失われてしまいオリジナルの形が分からなくなってしまったのです。国内用ネガ、国外用ネガ、アウトテイクなど複数のネガがあることが状況をややこしくしており、現在決定版として市販されているデジタル修復版も実際には仮説や推測をまじえてつぎはぎされた再構成版でした。

『チャップリンズ・ヴィンテージ・イヤー』はこの問題に「正解」をもたらしてくれる書籍ではないのですが、オリジナル再現を試みる人々が直面している状況の厄介さ、入り組み具合を正確に浮き上がらせていきます。

[ハロルド・]コーネリアスとそのビジネス・パートナーであるウィリアム・クラークは、映画公開に携わる者であれば誰しもそうであるように、「チャップリン・スペシャルズの権利を所有するのは投資として間違いない」、そう考えたのであった。

Cornelius and his associate, William Clark, believed, as any exhibitor might, that owning the Chaplin Specials was a sure-fire investment.

本書には多くのビジネスマンが現れては消えていきます。中には詐欺師と呼んだ方が良さそうな胡散臭い連中もチラホラと。映画製作はこういったレベルにコミットする事でもある訳です。チャップリン自身も百戦錬磨の猛者たちを相手に時に交渉で、時に裁判を起こして立ち向かっていきます。フィルムの権利を巡る物語は自身の権利を守ろうとする創造者の物語でもあって、いわゆる「伝記」から見えてくる人物像とも異なった「ビジネス人格」としてのチャップリンの姿が浮き彫りになってくるのです。

1915 – 『赤環(レッド・サークル)』(バルボア/パテ・エクスチェンジ社、シャーウッド・マクドナルド監督、ルース・ローランド主演) 35ミリ齣フィルム10枚

« The Red Circle » (1915-16, Balboa/Pathe Exchange, dir/Sherwood MacDonald)
Chapter 11 « Seeds of Suspition » 35mm Nitrate Fragments

1915年末から16年前半にかけて公開された連続活劇『赤環』の上映用ポジ断片10枚。製作はバルボア社で配給がパテ・エクスチェンジ社。カレム社の短編映画でヒロインを務めていたルース・ローランドが初めて連続劇に進出した記念すべき一作。短い予告編を除いて上映用フィルムは遺失したとされています。

1915年11月27日付「ムービング・ピクチャー・ワールド」誌より 別作品の代打として1ヶ月公開が早められた旨も記されています

興奮すると両手の甲が充血し「赤い環」が現れて犯罪を犯してしまう…そんな遺伝的疾患の事件を追っていた医学者ラマー(フランク・マヨ)と、同症状の持ち主である若きヒロイン、ジューン・トラヴィス(ルース・ローランド)の出会い、駆け引き、そしてロマンスが14章仕立てで語られていく内容。

今回入手したのは第11章「疑惑の種」の断片で、内2コマは字幕、1コマは次回予告でした。本作に関しては英語と仏語のノヴェライズ版(仏語版を担当したのはモーリス・ルブラン)がありますのでこの2種の小説版と突き合わせながら齣フィルムの文脈を再構成してみます。

先行エピソードで窮地に陥っていたヒロインを助けたのは自身お尋ね者となっていた弁護士ゴードンでした。事情を尋ねたところ元々はファーウェル・コーポレーションの顧問弁護士をしていたとのこと。現場の労働者への賃金未払いが起こり調整をしていたところ、当のファーウェル社社長に騙され賃金を横領した罪を被せられてしまった…医学者ラマーがファーウェルの事務所を訪れたのを知ったジューンは「賊が侵入した!」と狂言を演じ、混乱に乗じて横領の証拠となる署名入り領収書を奪い取ります。


部屋の隅から一脚の椅子を引っ張ってきて扉脇に寄せ、椅子の上に立って軽く背を伸ばし、愛らしくも好奇に満ちた一対の瞳を欄干越しに向けた。

Getting a chair from the corner of the room, she carried it to the door, jumped lightly up and applied a pair of very pretty but very curious eyes to the transom.



自分でもなぜか分からぬまま、事務所へと戻ってくると白い便箋を二枚とり、重ねたまま折りこむと二つの同じ大きさの輪に切り取った。

Ensuite, sans s’expliquer elle-même pourquoi elle agissait ainsi, elle revint au bureau, prit deux feuilles blanches, les plia et les découpa en deux cercles égaux.



無駄骨となつた追跡の途中にラマーとファーウェルは引き返してきた秘書と合流、口角泡を飛ばしながらロビーまで降りてきた。

During their wild-goose chase Lamar and Farwell met the returning secretary and they all came down the hall together, talking excitedly.



「泥棒にやられた!札束を持つていかれてしまったよ。これを読んでくれ」、ファーウェルは金庫のダイヤルにかかっていた白い紙の輪を取り外すとラマーの手に押しこんだ。男が目を落とすと「お金は”赤き環の淑女”が正しい使い方をさせていただきます」の文字。

« I’m robbed! They’ve taken a bundle of bank notes! Read this thing! » As he spoke he pulled the printed circle off the safe knob and thrust it into Lamar’s hands. What Lamar read was this: « The money will be put to a good use by the Circle Lady. »



「金庫から頂戴したお金は”赤き環の淑女”より正当な所有者の元に届けさせていただきます」

L’argent pris dans ce coffre sera remis à ses légitimes propriétaires par la dame au Cercle rouge.



ラマーはゆつくり受話器を手にした。立ち上がった時と同じ位緩慢な動きであつた。

Lamar slowly hung up the receiver. Just as slowly be got up.



「いいえ」、秘書のゲイジが大声で答えた。「見えたのは甲に赤い輪の浮き出た女性の手だけでした」

« No, » yelled Gage. « I couldn’t see a thing except a woman’s hand with a Red Circle on the back of it.



一方でジューン嬢は自分の引き起こした騒動のことは頭から消し去り、ゴードンが待ち望んでいた領収書と札束とを胸にしつかと押しつけながら待ち合わせ場所の公園へと向かったのであつた。

Meanwhile, June, oblivious to all the trouble she had caused, made her way to the park, the coveted receipt and the banknotes hugged tight to her breast.



誰にも気づかれていなかったようなので足早にその場を去り、公園を離れると下町方面へと向かった。

人気のない一画を通り過ぎようとした時、まさに今一番必要としているものが目に留まった。焚火だ!

領収書を千切って炎に投げこんでいく。どの一片も本が何か見分けのつかない灰になってしまうまで見つめていた。

No one seemed to notice him, so he got out quickly, and leaving the park, made for the downtown district. […]

Just then he passed by a vacant lot and he saw what he needed most – a bonfire!

Tearing the receipt into tiny pieces, he threw them on the fire and watched them burn until every scrap had vanished into unrecognizable ashes.



『赤輪』次回予告
第12章「罠にかかった鼠の如く」
来週公開予定


ラマーとファーウェルがオフィスで話している様子をヒロインが盗聴する場面(齣番号01)に始まり、二人の男が部屋を開けた隙にジューンが領収書と紙幣を盗み出し、白い便箋で作った「環」に書置きを残す場面(齣番号02)、秘書と共にラマー、ファーウェルが戻ってくる場面 (齣番号03)、領収書が消えたのに気づき、ラマーが書置きに目を通す場面(齣番号04)、書置きの文面(齣番号05)、警察に電話しようと受話器を取り上げる場面 (齣番号06)、秘書が手錠で身動きを封じられた状況を説明する場面 (齣番号07)、ヒロインが待ちあわせ場所の公園に急ぐ場面 (齣番号08)、ゴードンが領収書を焚火で燃やす場面 (齣番号09)、そして次回予告 (齣番号10)。

英語版と仏語版小説で何とか流れを再構築できた感じながらも、以上で10フレームすべてが作品の中盤~後半の流れにぴったり収まりました。

[参考文献]

『赤環』英語版小説 アルバート・ペイスン・ターヒューン著、1915末〜1916年、各地の地方紙にて連載
”The Red Circle”, 14-chapter English novelization by Albert Payson Terhune, published in The Review (High Point, North Carolina) from December 23, 1915 to March 30, 1916.

『赤環』仏語版小説 モーリス・ルブラン著 初出ジュルナル紙、1916〜1917年連載
« Le Cercle rouge », 31-chapter French novelization by Maurice Leblanc, published in Le Journal from November 4, 1916 to January 20, 1917.

「パテ會社新作活劇 « 赤環 »」 モトグラフィー誌 1915年12月4日付
« The Red Circle » Pathe’s Next Serial Will Feature Ruth Roland Motography, 1915, December 4 Issue, p1179.

ムービング・ピクチャー・ワールド紙 1915年11月27日付より広告

[IMDb]
The Red Circle

[Movie Walker]


[公開]
1915年12月16日

1919 – 連続活劇 『ティーミン』 (ルイ・フイヤード監督)仏語小説版 ロマン・シネマ全12冊揃

「ルイ・フイヤード」より

« Tih-Minh » (1918, Gaumont, dir/Louis Feuillade)
1919 « Romans-Cinéma » French Novelization

2004年、米映画批評家のジョナサン・ローゼンバウム氏が自著の『エッセンシャル・シネマ』でお気に入りの作品千本をリストアップしました。国外の映画愛好家が「このうち何本見れるか」とチャレンジする機会も多く、英語圏では大きな影響力を持っています。同リストには94本の無声映画が含まれており、グリフィスの7作とキートンの6作に次いで多く取り上げられていた監督がフイヤード(5作)でした。

『ティーミン』(1918年)はフイヤード監督が第一次大戦後に初めて手掛けた連続活劇となります。全12話、トータル5時間ほどの上映時間。ゴーモン社が35ミリポジを保管しており2018年から4Kデジタル修復プロジェクトが始動、一般公開から百年目となる2019年に最新デジタル版が完成しました。

『ティーミン』の各エピソード公開にあわせ、毎週木曜日に小説版も出版されていました。24頁ページの冊子形式で、表紙は二色刷り。小説版は単に映像を文字に起こしただけではなく映画版で言葉不足のまま展開されていた個所が説明されています。

フイヤード活劇史において『ティーミン』は物語の「語り」を変える意識が表面化してきた一作となります。

前半4エピソードの主人公はどのような事件に巻きこまれているかを知らず防戦一方となっていて目につくアクションの要素が希薄。中盤4エピソードでは新登場のキャラクター(フランシス)を迎え次第に反撃に向かい、後半に敵を壊滅させる流れになっています。初期作と比べるとスロースタートな展開ながら計5時間の流れを配慮した起承転結と全体の完成度を意識。この傾向は次作『バラバス』にも継承されていくものです。

『ティーミン』のゆったりした物語の流れは同作の弱点にもなっている部分です。旧来の連続活劇のめくるめくアクションやジェットコースター的展開を期待していると肩透かしを食らいます。逆に活劇ジャンルを幼稚とみなしていた一部の映画愛好家がこの作品で初めて活劇を評価した例が見られます。型通りの連続活劇は十分に観てきたという中級~上級者、主流からは外れながらも個性のある活劇を見たいという方が楽しめそうな作品になっています。

2020年ボローニャ復元映画祭でデジタル修復版が上映された際に2021年末にDVD版が発売される旨が告知されており、今後フイヤード活劇再発見の中心となっていくのではないかと期待されます。日本語環境で見れる機会がいつになるか分かりませんので最後に各章の要約を付しておきます(各章のスクリーンショットはGPアーカイヴより)。全体の流れはある程度掴めるのではないでしょうか。

[IMDb]
Tih Minh

[Movie Walker]


[公開]
1919年2月~4月

[出版社]
ルネッサンス・デュ・リーヴル社

付録:連続活劇『ティーミン』各章要約

プロローグ:

冒険家ジャック・アティス(ルネ・クレステ)がインドシナから帰国、車から降りてきた青年の隣には黒髪の女性の姿。現地で世話になったティーミン(マリ・アラルド)であつた。互いに憎からず思っていた二人の運命を一通の電報が変えてしまう。ジャックは単身インドヘと向かわなくてはならなくなった。名残を惜しむ中、ふと不吉な予感に苛まれるティーミンであつた。

第1話:忘却薬

インドでの仕事を終えて帰途についたジャック。しかし彼の動きをこっそり追っている怪しげな一団。ジャックがインドで手に入れた一冊の書籍を狙っているようである。悪党団の狙いは見返しに残されたインド語の手書き文書。まずはキストナ(ルイ・ルーバ)が世間話に紛れて書籍を借りようと試みるが、ジャックの下男(ビスコ)がいたずら書きと勘違いして文章を消してしまったため失敗。悪党達はティーミンを拉致、催眠術をかけて彼女に紙片を奪わせようと試みる。だがしかしティーミンは無意識で抗い言なりにはならなかつた。悪党団は薬を飲ませ女の記憶を消すとジャックの元に返すのあつた。

第2話:事件は夜に二度起きる

インド語のメッセージを書き写した紙片があると知ったキストナ一団はその強奪を計画。「事件の真相を教える」を口実に海岸までジャックを呼び出してから溺死させようと画策。謀略を感じたジャックは下男プラシッドに身代わりを依頼し海岸へと行ってもらい、自身は部屋の薄暗がりに隠れて約束の時間を待つ。部屋の窓から侵入してきた一つの影。机を物色したところを取り押さえたところ以前にキストナという人物から紹介されたサンタフェ侯爵夫人ではないか。女から事情を聞こうとするも、一瞬の隙をついて逃げられてしまうのであつた。

第3話:シルケー館の秘密

記憶を失ったティーミンは病院で療養しながら次第に体調を取り戻していつた。悪党の一味は再度女を拐して紙片との交換条件にしようと画策。ティーミンを見張っていたアティス家の下女ロゼッタの気を逸らしている間に誘拐に成功。一方、キストナを疑い始めていたジャックは下男プラシッド共にキルケー館に潜入、地下室に幽閉されている多数の女を発見。表情は一様にうつろだった。最近巷で多発していた婦女子誘拐事件の被害者だと気づくまで時間はかからなかった。館の一角には怪しげな薬品を調合しているキストナの姿。いったんは館を離れようと試みた二人だったが、プラシッドが庭に仕掛けられた罠に掛かってしまう。館に鳴り響いた警報音。「私を殺すまではしないでしょう。行ってください」、プラシッドの言葉にジャックはその場を離れるのであつた。

第4話:ケースに潜む男

囚われの身となったプラシッドだったが機転を利かせ薬品をすり替えたのが功を奏し、意識を失わずに済んだ。服を運ぶための籠の底に身を隠す。使用人たちは何も気づかず籠を車を乗せた。行先は悪漢が秘密の拠点としているコートダジュールの豪邸であった。プラシッドは館の二階に幽閉されていたティーミンを発見。薬を飲まされていたが動けるようではあった。プラシッドは女を誘導して小舟に乗せ無事脱出に成功、ティーミンをジャックのもとに送り届けるのであった。ジャックは旧友の外交官フランシス(エドゥアール・マテ)に連絡をとり、ヒンディー語文章の解読を試みる。

第5話:精神病院にて

英国から到着したフランシスだったが、駅では悪漢たちが先回りして待っていた。「迎えに来ました」に騙されて乗った車の行先は精神病院であった。悪党一味のジルソン(ガストン・ミシェル)はフランシスの叔父だと身元を偽って「甥に妄想癖があって」と病院長に説明をしていた。病院職員たちはフランシスを独房に閉じこめてしまう。奸計を見抜いたジャック達は病院に乗りこみ友人の救出に成功。フランシスによるとヒンドゥー語の文章は「第29文書」と呼ばれる国家機密で、英仏の国防にも関わるこの書類の入手を目論んで独スパイが暗躍しているとの話だった。

第6話:夜鳥

「第29文書」がフランシスの手に渡ったと知った悪党団は狙いを外交官に変える。フランシスの執事として雇われた青年は隣室で働いている美しい小間使いに心を奪われてしまう。この小間使いに変装していたのはドロレス侯爵夫人だった。ドロレスは執事を薬で意識不明にさせると部屋の物色を始めた。だが帰宅したフランシスにつかまってしまう。ジャックは女を尋問し悪党団の所在地を突き止めようと試みる。

第7話:よみがえる記憶

旧知の医学者クルーゼルの力を借り、ドロレスに催眠をかけて尋問を開始。「機密文書の存在をどうやって知った?」女の口から語られたのは、かつて仏領インドシナで起こったある事件の話だった。当時ローランソンという外交官がトンキンに赴任していたが、在任中に老いた地元民からラジャーの隠し財産と欧州の国防に関わる秘密を記した書籍の存在を知らされる。その時の会話に偶然立ち会ったのがドイツの間諜ジルソンであった。深夜、ジルソンは外交官宅に侵入し秘密の書かれた書類を奪おうとするが見つかってしまう。ジルソンはローランソンを射殺し逃亡。このローランソンこそティーミンの父であった。女の告白を聞いていたティーミンは次第に過去の記憶を取り戻していく。

第8話:ヴェールの下に

悪党団は反撃の機会を狙っていた。ドロレスを奪い返したのち、次の目標はティーミンだった。尼僧に変装したキストナがジャック宅に入りこむのに成功。ティーミンを銃で脅して機密書類の在りかを白状させようとした。危うく命を失いかけたティーミンたちであるが、執事プラシッドとその婚約者ロゼット(ジャンヌ・ロレット)の活躍で悪人たちの撃退に成功する。

第9話:慈悲の枝

一旦は平穏を取り戻したかに見えたジャック達。だが悪党一味は次の襲撃機会を狙っていた。内通者として潜りこませた小間使いを通じてジャック達の動きは筒抜けだった。ジャックとフランシスが悪漢の捕縛に向かおうとした時ティーミンも同行を望んだのだが「危険さに晒す訳にいかない」と断られてしまう。諦めきれないティーミンは荷物の片隅に隠れこっそり後を追おうとするが、その動きをキャッチした悪党団が反撃に出る。

第10話:13日の金曜日

キストナは「金曜日」の伝言を付した白い粉末を内通者に送りジャック達を人事不詳に陥れようと試みる。小間使いの一人が敵に通じていると知ったジャックは謀略を逆手に取り、騙された振りをして悪党一味をおびき寄せようと試みる。金曜、何も知らずやってきたキストナ達を返り討ちにするのだが、一党が退却中にティーミンと鉢あわせとなり、これ幸いとばかりに女を拉致しようと試みる。再度危地に陥ったティーミンを救ったのは意外な人物であった。

第11話:第29文書

ジャック達の尽力が実り、スパイたちへの包囲網が着々と完成しつつあった。だがキストナ一味は最後の反撃を試みる。早朝、まだ就寝中のフランシスの部屋を襲い身動きをとれなくしてしまう。英国からフランソワ宛に届いた書簡を見ると第29文書がすでに無効化された旨が記されていた。「もはやこれまでか」。フランソワを救出にやってきたジャック、プラシッドらに追われ悪漢たちはアパルトマンの屋根伝いに逃走を試みる。

第12話:正義の鉄槌

ジャック達は車で逃走したスパイ団を追跡していく。逃げ場を失った悪党たちは次第に仲間割れを始めていた。最後に残ったキストナとジルソンの二人もまた互いを警戒しながらの逃避行を続けていく。車のガソリンが切れ、徒歩での移動を強いられたジルソンは地元の採掘場で使われていた鉱石を運ぶケーブルカーを思い出した。何としても逃げ切りたい悪党一味とそれを必死で追うジャックと仲間たち。最後の追跡劇、ジャックを待つティーミンらの想いの行方や如何に。

1918 – 『ぶどう月』 (ルイ・フイヤード監督) 撮影風景写真3枚

「ルイ・フイヤード」より

1918 - Vendémiaire (Louis Feuillade)

« Vendémiaire » (1918, Gaumont, dir/Louis Feuillade)
3 photos de tournage (3 behind-the-scenes shots with annotations on back)

第一次大戦終戦の大正7年(1918年)に撮影され、翌8年(1919年)に公開された劇作品『ぶどう月』撮影中の写真三点。販促用スチルではなく、撮影関係者が内々のやりとりで保管していたオフショットで、ここにある以外現存していない資料と思われます。

フイヤード監督の作品は1)初期習作(1913年まで)、2)前期活劇(1914~17年)、3)後期活劇と逝去(1922年まで)の大きく三つに分けることができます。

『ファントマ』『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』『続ジュデックス』など大戦中の作品で仏活劇に旋風を巻き起こした後、戦後から作風に変化が見られるようになってきます。『ティーミン』や『バラバス』といった後期作品は、アクションの要素を抑えドラマの流れや一貫性を重視し、さらに幻想色を加えたものに変わっていくのです。

前期から後期への橋渡しとなった作品が『ぶどう月(Vendémiaire)』でした。 この監督は「フイヤード組」と呼ばれた固定メンバーを軸に作品作りを進めるのが常だったのですが、終戦の前後に大きな入れ替えがありました。『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』で存在感を見せたミュジドラ、喜劇の要素を加えていたマルセル・ルヴェスクの二人が一座を離脱。その代わりにアジア風の繊細さを持つ女優マリ・アラルドが加入、ルヴェスクの代わりに若い喜劇俳優ビスコが参加します。また『ジュデックス』主役を演じたルネ・クレステもこの後しばらくして『ティーミン』製作後に離脱しています。

『ぶどう月』はマリ・アラルドやビスコが初めて登場したフイヤード作品となります。

『ぶどう月』の物語は、軍隊を離れ、新たな生活を始めようと南仏にやってきた退役軍人(ルネ・クレステ)を軸に進んでいきます。盲目の貴族(エドゥアール・マテ)が所有するワイン園で雇われるのですが、ジプシーと間違われ追い払われそうになっていた貧しい未亡人(マリ・アラルド)を助け、次第にロマンスが生まれてきます。一方では敗走したドイツ兵(ルイ・ルーバ)が身分を偽ってワイン園に潜りこみ、盗みを重ねながらその罪を貧しい未亡人に押しつけようとしていく。未亡人の濡れ衣を晴らすため主人公は…という展開を持つ映画です。

冒頭、主人公はブドウ園の管理人に身分証明書を見せ、雇ってもらうことに成功します。この時ジプシーと勘違いされ雇用を断られた女性に話を聞くと、大戦で夫を亡くしたばかりとのこと、クレステはブドウ園の管理人に話をし、「ジプシーではなく英雄の妻だ」と誤解を解いてあげました。

ゴーモン社所有のプリントでは以下のような映像が続いていきます。

主人公を演じたクレステを中心に、未亡人を演じたマリ・アラルド、管理人を演じたエミール・アンドレを左右に配して撮影されたのが一枚目の写真。作中でマリ・アラルドは頭に布を巻いていましたが、こちらでは首の後ろに下ろしています。

この後悪役ドイツ人が登場、国籍を偽って農園に入りこみ、窃盗を繰り返していきます。途中にベルギー人の同僚が内緒話をしているのを見つけ、小耳を立てる場面がありました。

悪漢を演じたルイ・ルーバを撮影したのが二枚目の写真です。映画では正面と真横からのアングルでしたが、写真は斜め前からのアングルになっています。

最後の一枚はカメラマン。今回「1895」誌のフイヤード特集号に収められていた写真から『ジュデックス』等でも撮影を務めたレオン・クラウス氏と特定できました。

3枚の写真の裏面にはいずれも手書きの説明が付されています。


クレステがブドウ園管理人の元に薄汚れた女を連れて行く。管理人と握手を交わす。女に罪はないと信じていた。

Cresté amène la caraque auprès du régisseur, qui va lui serrer la main: il croit à sa innocence

René Cresté (Judex)


ベルギー人のおしゃべりを盗み聞きしているドイツ人

le boche écoute les belges parler


カメラを「回している」連中の一人

un de ceux qui « tournèrent »

別投稿で紹介したルネ・クレステ直筆の年賀メッセージ葉書と同じ出所で、1919年頃にクレステと親交のあった関係者が保管していた資料の一つです。

この3枚と同じ撮影者の手によるもう1枚の写真も併せて紹介しておきます。

『ぶどう月』に該当する風景・人物は登場していませんが、同時期に南仏の農村で撮影された一枚で間違いなさそうです。カメラマンがスチル撮影を手掛けた合間に見かけた農夫たちを撮ったのではないでしょうか。井戸のデザイン、人々の雰囲気など妙に心を揺すぶる何かがあります。

[IMDb]
Vendémiaire

[Movie Walker]


[公開]
1919年1月17日

2007 – 『ルイ・フイヤード、その源泉へ 書簡と資料庫』(仏映画史研究協会編)

「ルイ・フイヤード」より

« Louis Feuillade Retour aux sources : Correspondance et archives » (l’Association française de recherche sur l’histoire du cinéma/AFRHC)

ルイ・フイヤード(1873-1925)監督については自国フランスを中心に研究が進んでいて、確認できている限り十数冊の書籍(雑誌特集号や増刊号含む)が公刊されています。『ルイ・フイヤード、その源泉へ』は「1895誌」を出版している仏映画史研究協会編がまとめた一冊で、同監督がゴーモン社や知人、友人とやりとりした書簡、契約書の草稿等223点の資料を時系列に並べています。時期によって6つの章に分かれています。

1) 監督デビュー前(1902-1905)
2) ゴーモン社初期作品期(1906-1914)
3) 戦中期(1914-1916)
4) 『ジュデックス』周辺期(1916-1918)
5) 拠点をニースに移してから(1918-1925)
6) 晩年(1922-1925)

青年時代のフイヤードは闘牛好きで専門誌に寄稿していたこともありました。その時期に残された数点の書簡以外は基本映画監督として書かれた文章。相手としてはゴーモン社レオン・ゴーモンと、俳優マルセル・ルベスクの比重が多くなっています。また後半は自身の映画作品のマルチメディア展開(小説版プロジェクト)に触れた内容が増えてきます。

ゴーモン氏への書簡は完全なビジネス仕様で、撮影に掛かった経費の報告が多くなっています。ルベスクとは旧友同士のやりとりといった感じで自身や共通の友人の近況報告が中心となっていました。

『ルイ・フイヤード、その源泉へ』にまとめられた書簡類では映画論や技法論は一切触れられていません。「映画はかくあってほしい」の理想論にはほとんど興味がなかったのだろうという印象を受けました。限られた予算枠の中でその都度最善の結果を出して会社に貢献しそれに相応しい収入を得ていく、そういったスタンスを貫いた職人肌の監督像が近いのかな、と。

一方で場面ごとの経費の報告が多数残されていて、1910年代の仏連続活劇撮影時にどのような個所でコストがかかっていたのかが見えやすくなっています。初期映画撮影を経済/マネジメント視点で分析していくアプローチもできそうです。

ルベスクとのやりとりは気の知れた友人相手のリラックスした雰囲気が特徴的。ルベスク自身がゴーモン社との契約で揉めて同社を離れた経緯、フイヤードがクレステと疎遠になっていた様子など細かな人間模様が浮き彫りになってきます。自身の映画の常連俳優たちを「一座の連中」と呼んでいたり、『ティーミン』に出演していた女優リュガヌと結婚して「うちの女神さん」と溺愛振りを示すなど「身内」を大事にしていく姿勢も伝わってきます。

1914~16年に関してはパリを拠点としていたためゴーモン社との書類のやりとりが少なく、フイヤード活劇愛好家の多くが期待している情報が残っていないのが残念ですが1910年代映画制作の裏舞台が垣間見える貴重な一次資料です。

[原題]
Louis Feuillade Retour aux sources : Correspondance et archives

[出版年]
2007

[出版者]
仏映画史研究協会(l’Association française de recherche sur l’histoire du cinéma/AFRHC)

[ページ数]
316

[サイズ]
14.5 × 21.5 cm

[ISBN]
978-2-913758-77-3

エニッド・ベネット Enid Bennett (1893 – 1969) 豪/米

合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]より

Enid Bennett c1920 Autographed Chromo

一千九百十六年の十月、米國に渡つて紐育市に興行中、恰度その時紐育に来て居たトライアングル會社のトーマス・エッチ・インス氏に認められて、映畫劇の俳優たる可く勸誘された。斯うして、嬢はインス氏と共にローサンゼルス市に行き、トライアングル會社のケービー映畫に出演する事となつたのである。その第一回作品は「闇の王女」といふ現代劇で、嬢はフェイ・ヘロンといふ役を勤めた。嘗てキネマ倶樂部に上場された「オパルの輝き」は第二回目の作品である。

一千九百十七年、インス氏が全所属俳優を率いてパラマウント映畫部の爲めにインス特作品を製作するやうになると、嬢も亦これに従つてパラマウント映畫部に轉じた。そしてインス映畫に出演した。

嬢は未だ若いだけに映畫女優として經驗に乏しいが、舞臺經驗を踏んで來た腕前は映畫の上にも充分に現はれて居る。極めて自然な藝風が、觀る者の心を魅する。

嬢は昨年の二月二十三日にフレッド・ニブロ氏と華燭の典を擧げて、今ではローサンゼルス市に樂しい家庭を作つて居る。

愛くるしい眼と、豊かな頬と、そして小兒氣の失せぬ口元と、それは「オパルの輝き」のヂュリーのやうな役には最も相應はしいものである。少し寂しい感じはあるが、それが却つて魅力を増す。嬢は目下ラスキー社パラマウント映畫に出演してゐる。

『活動名優写真帖』(野村久太郎編、 玄文社、大正8年)


生地ヨークより数里の町、オーストラリア・ヨーク市で嬢が仕事勤めをしていた折、一座と共に同地を回っていたフレッド・ニブロが端役募集の広告を出した。応募したベネット嬢がその役を手に入れる。演技の才と相まった美貌により忽ちに成功を収めた。『ホィップ』『フォーチュン・ハンター』『七つの鍵』を含む成功した舞台劇での大役を務めてきている。映画界からの要望に応えフェイマス・ラスキー社作品『義人の鍵』でスクリーンデビューを飾り、その後も同社の『曲馬団の名花』『家庭の罪』『家を出でて』でヒロインを演じた。身長は五尺三寸、體重十二貫三百匁。金褐色の髪と榛色の瞳を有する。

『銀幕名鑑』(ロス出版社、1920年)

While working in an office in Perth, Australia, a few miles from her birthplace, York, Fred Niblo, who was touring the country with his company, advertised for somebody to take a minor part. Miss Bennett applied and was accepted. Her beauty, combined with her dramatic talent, soon won auccess for her. She has played important part in « The Whip, » « The Fortune Hunter. » « Seven Keys to Baldpate » and other notable stage successes. Hearing the call of the screen, she made her first picture for Famous Players-Lasky Corporation, « Keys of Righteousness, » followed by « The Biggest Show on Earth, » « A Desert Wooing » and « Stepping Out. »

Miss Bennett is five feet three inches tall, weighs one hundred and two pounds, and has golden brown hair and hazel eyes.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)


1922年『ロビン・フッド』より

1924年『シー・ホーク』(フランク・ロイド監督)

1910年代末から20年代前半に活躍したエニッド・ベネットのサイン物2点。無声時代のハリウッドで、オーストラリア出身俳優としては最も成功を収めた一人です。

フェアバンクスの相手役を務めた『ロビン・フッド』(1922年)、夫君フレッド・ニブロ監督による『紅百合』(1924年)の二作が知られているのですが、個人的には24年『シー・ホーク』でのこなれた演技が気に入っています。ロイド監督らしい歯切れのよい演出が光る佳作で、エニッド・ベネットも自身の役割を完璧に理解しつつ細やかなニュアンスを散りばめる余裕を見せています。

契約キャンセル申し立ての旨を伝える
1917年9月8日付『ムービング・ピクチャー・ワールド』誌記事

インスとの出会いとそこからのサクセス・ストーリーは美談として語られがちです。実際のところ1917年中盤にエニッド・ベネット側がインスを訴えた出来事もありました。インスの直接プロデュース以外の作品にも出演しなくてはならない契約内容に不満があり、最終的には元鞘に収まって一件落着。

日本でも早くから知られていて、『曲馬団の名花』『家庭の罪』など初期パラマウント社作品が公開されていました(いずれも1918年)。今回それ以前のトライアングル社期のフィルム(『淑女騎手』)を見つけたので併せて紹介しておきます。

[IMDb]
Enid Bennett

[Movie Walker]
エニッド・ベネット

[出身地]
オーストラリア(ヨーク)

[データ]
一枚目の写真は裏に手書きで「1917年4月」の日付入り

1917 – 9.5mm 『淑女騎手』(トライアングル社、ロイ・ウィリアム・ニール監督、エニッド・ベネット主演) イタリア語版

9.5ミリ 劇映画より

Enid Bennett in « They’re Off » (1917, Triangle Film, dir/Roy William Neil) late 1920s 9.5mm Italian Version

株式で財を成したダニエル・ハケット氏が娘のリタ(エニッド・ベネット)と共に南部を旅行中、車が故障して足止めを余儀なくされた。修理中にふと趣のある古い一軒家に目がとまる。「こんな家が持てたらいいのに」、娘の言葉にダニエル氏は交渉に乗り出した。

一軒家ではランドルフ(ローランド・リー)という青年が執事(リンカーン・サミュエル)と生活していた。小切手帳を手にしたダニエル氏の提案をランドルフは拒絶、交渉は物別れに終わった。

ランドルフが煙草に投資していると知ったダニエル氏は手を回して市場に介入する。予想外の株価暴落にランドルフは成すすべくもなく、不動産を手放さざるを得なくなった。かくしてダニエル氏が豪邸の新たな持ち主となったのであった。

ダニエル氏は娘と知人たちを邸宅へと招待した。雰囲気のある間取りや装飾にリタは大喜びであったが、離れの厩舎で沈痛な面持ちの青年と出会う。家を失い、今は執事のモーゼとともに離れの厩舎を住まいとしているランドルフであった。父親が不当な手を使って館を手に入れたと知ったリタは憤慨、一策を案じて青年の力になろうとする。

地元の競馬場には多くの観客が集まっていた。その中には双眼鏡を片手にしたダニエル氏の姿。自身の持ち馬の優勝を確信していたが、その後を対抗馬が猛追してくる。この対抗馬に乗っていたのは騎手姿に身を包んだ娘のリタであった…

軽めの恋愛劇とスポーツ物を組みあわせたトライアングル社1917年作品。この年ハリウッドデビューしたばかりのエニッド・ベネットを売り出す発想が強く、ドレス姿や乗馬服姿にドレスアップしたヒロインを強調する場面が目立ちます。ベネット自身の演技はまだ感情表現や動作が荒削りで良くも悪くもそれが初々しく画面に出ています。

最後に収められた競馬の場面について補足をしておきます。

父親ダニエル氏の持ち馬の名前が「WASP」、同氏が娘リタに与えた黒い馬の名前が「SATAN」。レースではリタの騎乗する黒馬「SATAN」が「WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)」を打ち負かす展開となっていきます。北の善良なヒロインの助力を得つつ、南部の弱者が差別構造を打ち破っていくアレゴリーと読むことができるのでしょう。脚本が後に西部劇監督として名を上げるランバート・ヒルヤー(Lambert Hillyer)である事実と併せて考えてみると興味深いものがあります。

9.5ミリフィルムは1926年に発売されていた英パテスコープ版3巻物の字幕をイタリア語に置き換えたもの。以前に紹介した『快漢ブレーズ』と同じ伊コレクターの旧蔵品で3巻とも冒頭が欠けており、フィルム途中に切れや傷、焼け跡が目立つ状態でした。

[IMDb]
They’re Off

[Movie Walker]


[公開]
1917年8月19日

[9.5ミリ版]
イタリア語字幕版

[イタリア語版タイトル]
L’Amazzone

[カタログ番号]
10-050

[フォーマット] 20m×3、ノッチ有、白黒無声

1918-1930 – DVD 『アウグスト・ジェニーナ作品集』(2020年、チネテカ・ディ・ボローニャ)

« Augusto Genina : Quattro film 1918-1930 »
(2020, Cineteca di Bologna)

ルイーズ・ブルックス主演作『ミス・ヨーロッパ』の新リストア版を含むDVD2枚組+ブックレット。収録作は以下の4作:

1)『さらば青春』(1918年、マリア・ヤコビニ&エレナ・マコウスカ他出演) Addio giovinezza!
2)『仮面と素顔』(1919年、イタリア・アルミランテ主演) La maschera e il volto
3)『さらば青春』(1927年、カルメン・ボニ&エレナ・サングロ他出演) Addio giovinezza!
4)『ミス・ヨーロッパ』(1930年、ルイーズ・ブルックス主演) Prix de beauté

ブックレットはイタリア語/英語によるもので、専門家による作品各論4編、主要俳優紹介、書き下ろしサントラ紹介を中心とした構成となっていました。

『ミス・ヨーロッパ』新リストア版よりルイーズ・ブルックス

旧版の低画質が指摘されていた『ミス・ヨーロッパ』の新デジタル化も朗報ながら、初期イタリア青春映画の秀作としてその名を語り継がれてきた1918年『さらば青春』を手の届くものにした功績は計り知れないものがあります。ジェニーナ監督の作風変遷、さらには第一次大戦後のイタリア映画変貌を理解していく手だてにもなり2020年に発売されたサイレント映画関連DVDでは最も重要な一枚になると思われます。

[出版年月日]
2020年8月27日

[出版者]
チネテカ・ディ・ボローニャ(Cineteca di Bologna)

[ISBN-10/13]
8899196672
978-8899196677

[再生時間]
338分

[フォーマット]
14.4 x 1.4 x 19.7cm 270g

1918 – 『さらば靑春』 (イタラ映画社、アウグスト・ジェニーナ監督) 説明・丸山章治

Addio giovinezza! (1918, Itala Film, dir/Augusto Genina)
Japanese Benshi Narration by Maruyama Shôji (from 1986 Cassette Compilation « Oh Katsudo Dai-Shashin »)

はるばる片田舎から出てきてトリノ大學へ入學したばかりのマリオは 近眼でお人好しの友人レオンと一緒に下宿を探していました。
「あ、ここに下宿があるぜ。聞いてみやうぢやないか」
ドアをノツクすると扉を開けて美しい娘が出てきました。
「あの何か…御用ですか」
「部屋を借りたいんですがね。見せていただけますか」
「ええ、どうぞ。今母を呼んできますわ」

「おい、マリオ。僕は近眼で良く見えないんだがね。どんな人だ」
「え」
「おい、教えろよ。美人か、美人なら俺がこの部屋を借りるよ」
「まあさう興奮するなよ。この部屋は君のやうな金持ちには相応しくないから…僕が借りるよ」
たうたうマリオが部屋を借りて仕舞ひました。

この家の一人娘のドリナは新しい下宿人のマリオに心を惹かれ、用事にかこつけてはしばしばマリオの部屋に入つてきます。
「あのお、お水を持つてきました」
「ああ、ありがたう」
マリオの方でも強いて平静を装つてはいますが内心はわくわくして勉強も上の空です。
「あのお、他に何か御用御座いません」
「ええ、別に」
話の継穂もなく仕方なく出ていかうとすると「あ、ちよつと」
「御用ですか」
「あの、君に云ひたかつたんです」
「何ですか」
「君の名前…良い名前だと僕は思つて居ます」
「あの、仰りたい事はそれだけですの」
「いやつまり…云ひたかつたのは…君が好きだつて事です」

この愛の告白に始まり二人は急速に愛し合うようになつて、幸福な三年が過ぎ去りました。
ところが不図した事からマリオは金と暇を持て余している有閑夫人のエレナと親しい間柄になつてしまいました。
ドリナは自分から離れていくマリオを取り戻したい一心から、或る日マリオを訪ねてきたエレナに会ひました。

「あたし奥様にお話があります。奥様にとつてはマリオは只の遊び相手に過ぎませんけれども、あたくしにとつては命です。どうかあの人をあたしから奪らないでくださいまし。奥様はあの人をよくご存じないんです。あの人本当は貧乏な学生です。御覧ください、この下着や靴下。みんなあたくしが何遍も繕ってあげたものばかりです。奥様みたいな御身分のある方に相応しい人ではありません。お願いです、あの人を奪らないでくださいまし」
「まあ、さうだつたの。貴女、あの人を愛しているんですね。ええ、分かりました、もう二度と会いません」
このことがマリオに知れて、腹を立てたマリオは下宿を移つてしまつた。

そして二月の後、友達がドリナに「あんたのマリオさんが学位を取つたんですつてね。あら、あんた知らなかつたの。今日郷へ歸るつて話よ」。
聞いてドリナがびつくりしました。
あれ以来ドリナは一日として彼を忘れたことはなかつた。もし今彼に会わなかつたら二度と会えなくなるのではないか。さう思ふと居ても立つてもいられなくなつて足は自然にマリオの下宿へと向かひました。

おそるおそるドアを開けると、中にいたレオンが「あ、誰。あ、ドリナ。今もマリオと君の噂をしていたところだよ。よく來てくれたね。…おいマリオ、ドリナだよ。何をもじもじしているんだ。二人とも何とか云つたらいいだらう。え、どうしたんだ。…ははあ僕がいては邪魔か」、気を利かせて出てきました。


「マリオ…」
「ドリナ、もう会えないかと思つていたよ」
「あたしもよ。お郷にお歸りになるんですつて」
「父と母が待つているんだ」
「お願いです、いかないでください。あたし、貴方を愛しています」
「いや僕はまた歸つてくるよ。もう一度必ず歸つてくる積りだ」
しかし、果たしてマリオは歸つてくるであらうか。

マリオを乗せた列車が今橋の下を通り過ぎていく。ドリナは抱えていた花束を列車に投げた。列車はその花束を乗せて遠く過ぎ去つていく。過ぎ去つた靑春は二度とは戻つてこない。靑春よさらば、さらば靑春よ。

説明・丸山章治
(『⦅映画渡来90年記念⦆ おお活動大写真』 カセットテープ版 1986年)

昨年キングレコードよりCD版が復刻された『おお活動大写真』より丸山章治氏による『さらば靑春』の弁士解説。ライナーノートで触れられていたようにいわゆる弁士の語りといっても一様ではなく、丸山氏は平易な表現で穏やかに進んでいくスタイルを取っています。

1916 – 9.5mm 『快漢ブレーズ』(米トライアングル社、ダグラス・フェアバンクス主演、ジョン・エマーソン監督) イタリア語版

9.5ミリ 劇映画より

« The Americano » (1916, Triangle/Fine Arts Film Company, dir/John Emerson) 1920s 9.5mm Italian Version

鉱山技師のブレーズ(フェアバンクス)の元にカリブ海の小国パラゴニアから仕事の依頼が舞いこんだ。鉱山の再開作業に手を貸してほしいと云ふのである。一旦は斷つたブレーズであつたが、帰り際に垣間見た同国大統領の令嬢フアナ(アルマ・ルーベンス)の美しさに心惹かれ前言を翻すのであつた。

パラゴニアに到着したブレーズ。しかし市民の様子がおかしい。話を聞くと大統領バルデス派と軍部のエスパダ大臣の対立が激化し、バルデスは監獄に幽閉され、娘フアナも自宅に軟禁されたのだと云ふ。バルデス宅に入りこんだブレーズ青年。男の姿に目を留めたフアナは小さな毬にメッセージを添へ窓の外に投げ放ち助けを求めるのであつた。

ブレーズ青年の動きを警戒したクーデター派はその一挙一動を監視していた。カフエのテラスで食事中のブレーズの元に貧しい身なりの物売りが声をかける。此の物売りこそ、大統領を救はんと身をやつした首相カスティーユ(トート・デュクロウ)であつた。カスティーユに案内され監獄付近を探索していると「1899年11月23日」の文言がしたためられた紙片を発見。その謎を解くべくブレーズは再度フアナの元に向かう。

政変は成功したかに見えた。フアナは父の命と引き換えにクーデター派将軍(チャールス・スティーヴンス)に嫁ぐよう強要され涙に暮れている。残された時間は少ない。ブレーズらは大統領救出作戦に乗り出した。カリブ小国の命運と青年技師の恋物語の行く末や如何に。

1916年末公開、フェアバンクスにとってトライアングル社最後の作品となった一作。中米の架空の島国パラゴニアを舞台とし、政変の只中で奮闘する青年技師ブレーズの活躍を描いていきます。

トライアングル社での旧作と比べ人間関係やプロットの絡み具合が段違いに複雑。9.5ミリ版は元の1/4程に縮約されていたこともあって展開を追うのに一苦労。アクションの比率も少なく単体のエンタメ作品として見るなら前作『空中結婚』に軍配が上がると思います。一方で単純明快な作品ばかりを作っている状況から脱却したい製作側の思いも伝わってきます。この後独立プロを立ち上げユナイテッド・アーチストに合流していくフェアバンクスの試行錯誤のひとつなのかな、と。

Mildred Harris as a stenographer

小動物の使い方、手のクローズアップ、群衆表現などにスーパーバイザーとして関わったD・W・グリフィスの影響大。また前半に一瞬登場したタイピストの女性に見覚えがあって、確認したところ後にチャップリン夫人となるミルドレッド・ハリスと判明、当時日本でも名の知られていた女優ながら初期出演作の大半が失われていて今回初めて動いている姿を見ることができました。

[IMDb]
The Americano

[Movie Walker]


[公開]
1916年12月24日

[9.5ミリ版]
イタリア語字幕版(※)

[カタログ番号]
10-010

(※)フェアバンクスの初期短編については米パテックス社から『ドーグラスの好奇(Manhattan Madness)』、英パテスコープ社から『ドーグラスの飛行(American Aristocracy)』『空中結婚(The Matrimaniac)』『快漢ブレーズ』の9.5ミリプリントが発売されていました。ドイツやフランス、イタリアなどではイギリス版の字幕を差し替えたものが市販されており、今回入手したのは英パテスコープ版をベースにしたイタリア語版です。

ヘッダ・ヴェルノン Hedda Vernon (1886 – 1925) 独

ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]より

Hedda Vernon 1916 Autographed Postcard

親愛なるお嬢様、残念なことに貴女がサイン用に送ってくださった絵葉書をどこかにやってしまいました。代わりにこちらを送りますのでお受け取りくださいませ。 ヘッダ・ヴェルノン

Mein liebes Fräulein, leider habe ich Ihre Karte, die Sie mir zur Unterschrift sandten, verlegt. Nehmen Sie bitte Diese dafür. Mit herzlichem Gruß. Hedda Vernon

消印は1916年(大正5年)の10月23日。宛先はヘンケ・ステグリック(Henke Steglik)嬢でしょうか。メッセージ面には5行の手書き文章と署名。「どこかにやってしまいました」は方便で、この時点で一番プロモーションに適した絵葉書に「差し替えた」が正しいのだろうなとは思います。

「どうやって映画(界)に入ってきたのか?」

徒歩で、でしょうか。今でも覚えているのですがとても遠かったです。やっとたどり着いたと思ったら監督さんに「遅刻だぞ」と怒られてしまって。指示で何か演技をすればさらに罵られる始末。映画が上映された時にお客さんから大きな拍手が挙がって、監督さん曰く「君には才能がある!」。日記に「来た、見た、勝った(Veni, vidi, vici)」って書いてやりました。

ヘッダ・ヴェルノン・インタビュー
『映画界の女性たち』(1919年)

„Wie ich zum Film kam?“

Per Beine; und ich erinnere mich noch, daß es sehr weit war. Und als ich schließlich da war, schimpfte der Regisseur, weilich zu spät kam; und als ich ihm was vorspielte, schimpfte er noch mehr; und als der Film heraus kam, klatschte das Publi­kum, und der Regisseur sagte: » Hedda, Sie sind ein Talent!« – Und ich schrieb in mein Tagebuch: »Veni, vidi, vici.«

Hedda Vernon Interview
in « Die Frau im Film » (Altheer & Co., Zürich, 1919)

リヒトビルト・ビューネ誌1913年8月第34号広告

1913年にドイツで国産犯罪活劇が流行し始めた時、ハリー・ピール監督、ルートヴィヒ・トラウトマン主演のケリー・ブラウン連作のヒロインに抜擢され、このジャンルで最初にアイドル的人気を博したのがヘッダ・ヴェルノンでした。『天馬』の邦題で知られる « Die Millionenmine » でヒロイン役を務めたこともあって1914年頃の日本の映画愛好家にも名を知られていました。

リヒトビルト・ビューネ誌1914年3月第12号より『天馬』広告

キネマトグラフ誌1915年7月号広告

1914年に自身の名を冠した映画製作会社を立ち上げて独立。その後はアイコ映画社を中心に、夫でもあるフーベルト・メスト監督作品に多く出演。恋愛物、喜劇、歴史劇など様々なジャンルの作品に出演しています。1910年代中頃からは若手の突き上げを受けて人気面で伸び悩むものの、ドイツ活劇ジャンルの先駆けとして「別枠」の扱いを受けており10年代末頃まで自身の名前を前に出して一線での活躍を続けました。

Hedda Vernon in Die Neue Kino Rundschau (1919-03-30)

1919年、アイコ映画社の 自社俳優紹介広告欄より (ノイエ・キノ・ルンツシャウ誌1919年3月30日)

1920年代になると脇役に回る機会も増えてきます。それでも1921年にはメスト監督の『レディ・ゴディバ』に主演、英テニスンの詩を元にした同作は合衆国でも公開されました。

1922年、『レディ・ゴディバ』米公開時の広告

1925年に亡くなった後は再評価の機会がないまま忘れられていくのですが、2018年にボローニャ復原映画祭の「一世紀前の映画」企画で主演作『Puppchen』(1918年)復原版の上映記録が残っています。

[IMDb]
Hedda Vernon

[Movie Walker]
ヘッダ・ヴェルノン

[出身地]
ドイツ

[サイズ]
13.6 × 8.7cm

1914 – 『天馬』説明断章 (ハリー・ピール監督、特別説明・泉天嶺)スーパー8『日本映画史・前篇』より

しばし、彼女の残した白墨の跡をつたいながら
五十四番街に参りました青年フランク。
見上ぐれば、その窓に手錠をはめられたメリーの姿
「メリーさん、心配は要らない。
あの窓から、あなたの部屋へ天の架け橋をして
あなたの許へ参りますよ」
「えぇ、早くして頂戴、早く」

フランク青年は一大冒險を物ともせず
天の架け橋、渡るが早いか
彼女の部屋へ踊りこんだのであります。

二人がジャツクの部屋に姿を現はした時、
無念や、どんでん返しの巧妙なる手段によつて
悪漢はいち早く逃れ去つた。
「しまつた」

悪盛んなれば天に勝つ、
天定まつて[…]する星は
いつ彼等両者に与へられることでありましょうか。
今週上映全巻の終りであります。

スーパー8『日本映画史・前半』に収録されている泉天嶺氏による『天馬』の語り。SP盤等、他での音源化はされていないようです。

冒頭、題字のかぶさっている部分ではブラウン探偵(ルートヴィヒ・トラウトマン)の足が映し出されています。拐かされたエレン(ヘッダ・ヴェルノン)が残した白墨を追って54番街へと到着。建物を見上げると窓には女の姿。探偵は向かいの建物から板を渡し、狭い足場を渡って女のいる部屋に飛びこみます。続いて悪漢捕縛に向かうのですが察知した敵はからくり仕掛けの通路を使って逃走、部屋を爆破(あるいはガスで毒殺?)し探偵たちを抹殺しようとします。危機を感じた探偵は窓の下を通りかかったバスの二階に飛び降り、エレンを促して飛び降りてきたその体を受け止め無事敵地からの脱出に成功する…という件です。

1913-1914『天馬』への道(ドイツ探偵活劇興亡史)

1914年に日本で公開された『天馬』についての調査の続報です。山本知佳氏の論文『日本におけるドイツ映画の公開 -1910年代を対象として-』末に公開作品のリストが時系列でまとめられているのですが、ドイツ語の原題が付されておらず元の作品がわかりにくくなっていました。2003年に公刊された独語の研究書『カメラの目と直感:初期ドイツ映画における探偵たち』巻末のリストを重ねあわせる形で輸入状況を整理していきます。まずは当時紹介されていた様々な活劇連作から。

・ヨセフ・デルモント(Joseph Delmont)作品

アイコ映画社を拠点に活躍していたドイツ映画のパイオニアの一人。代表作の一つである『生きる権利(Das Recht aufs Dasein)』の修復版をオランダのEYEが公開しています。

『夢か眞か』(原題不詳) 1913年8月5日・みやこ座
『秘密』(原題不詳、Das Recht aufs Daseinかも) 1913年10月25日・みやこ座
『ゲルダーン』(Der geheimnisvolle Klub) 1913年12月14日・みやこ座
『パナマの暴漢』 (Der Desperado von Panama)1914年10月01日・横濱オデオン座


・ケリー・ブラウン探偵物(Detektiv Kelly Brown)作品

ハリー・ピール監督、ルートヴィヒ・トラウトマン主演によるドイツ初の探偵活劇連作。1913年の『夜の影(ブラウン大探偵)』に始まり1914年の『盗まれたる百万金』まで続きます。日本で『天馬』として知られる « Die Millionemine » はシリーズ4作目として製作されたものです。この後も俳優や監督を変えた「ブラウン物」作品が単発で幾つか発表されています。

ブラウン物第1作『夜の影』(Schatten der Nacht) ドイツ初公開時の広告
キネマトグラフ誌1913年1月315号

ブラウン物第3作『人と仮面 第2部』(Menschen und Masken II)
リヒトビルト・ビューネ誌1913年9月36号

『ブラウン大探偵』(Schatten der Nacht/Nachtschatten)1913年9月5日・みやこ座
『ブラウン探偵(前編)』(Menschen und Masken 1)1913年12月25日・みやこ座
『ブラウン探偵(後編)』(Menschen und Masken 2)1914年1月上旬・みやこ座
『天馬』(Die Millionemine)1914年1月11日・みやこ座
『猛火(褐色の獣)』(Die braune Bestie)1914年2月19日・みやこ座
『名馬(空中のブラウン・夜の影の秘密)』(Der Geheimnisvolle Nachtschatten)1914年4月・みやこ座
『盗まれたる百万金(探偵王)』(Ein Millionnraub)1914年7月・遊楽館


・スチュワート・ウエッブス探偵物(Detektiv Stuart Webbs)

エルンスト・ライヒャー主演。ドイツ無声期で最も長く続いた探偵活劇シリーズ。当初はヨーエ・マイが監督していたものの途中で主演との対立が起こり降板。ブラウン物がアクション重視だったのに対し、ウエッブス物は科学知識を駆使した謎解きの要素が強いとされます。日本では第3弾の『人か幽霊か』まで紹介されましたが大戦勃発の影響を受けその後紹介が途切れています。

『地下室(不思議の別荘)』
リヒトビルト・ビューネ誌1914年3月11号

『續地下室(二人ドーソン大佐)』
リヒトビルト・ビューネ誌1914年3月13号

『地下室(不思議の別荘)』(Die Geheimnisvolle Villa) 1914年5月14日・帝國館
『續地下室(二人ドーソン大佐)』(Der Mann im Keller)1914年6月22日・帝國館
『人か幽霊か』(Der Geisterspuk)1914年6月22日・帝國館


・バスカヴィルの犬シリーズ(Der Hund von Baskerville)

アルヴィン・ノイス主演のホームズ物連作。この後デクラ社に移りシリーズ名をシャーロック・ホームズに変えて継続。

ホームズを演じたアルヴィン・ノイス
リヒトビルト・ビューネ誌1913年9月36号

『伏魔殿(淋しき家)』
キネマトグラフ誌1914年11月412号より

『伏魔殿(淋しき家)』(Das einsame Haus)1915年1月15日・電気館


・ルパン物(Lepain)

1914年前半に2作のみ製作されたルイス・ラルフ監督・主演の悪漢物。モーリス・ルブランの怪盗リュパンを念頭に置いていると思われますが綴りが違います。大戦勃発後製作が停止、戦後の1920~21年にかけて第3~6話の続編が制作されました。

リヒトビルト・ビューネ誌1914年2月8号

『血路(リイペエン)』(原題不詳)1914年9月22日・大正館
『馬賊の巨魁(無知の王ルパン)』(Der König der Unschuldigen)1915年2月27日・横濱オデオン座


・「女ブラウン」シリーズ(Miss Clever)

エレン・エンゼン・エック(Ellen Jensen-Eck)演じる女探偵ミス・クレヴァーを主演とした活劇。第一作『女ブラウン』(原題は「秘密城」)はフィルムが現存しオランダのEYEがオンライン公開しています。

『女ブラウン(黒三人組)』(Der Geheimschloß)1915年2月18日・横濱オデオン座
『續女ブラウン』(原題不詳)1915年3月31日・横濱オデオン座


・その他

『金剛』(Das Teufelsauge)1913年7月・キリン座
『心の閃(宝玉)』(Blau-Weisse Steine)1913年12月31日・キリン座
『天魔(ツエルノウスカ)』(Die Czernowska)1914年1月15日・電気館
『鬼探偵(黒十三結社)』(原題不詳)1914年2月11日・電気館
『スパイダー組(旋風/大探偵ブラウン)』(原題不詳)1914年2月28日・朝日館
『怪物(死したる客)』(Der Tote Gast) 1914年3月11日・みやこ座
『火中のブラウン探偵』(原題不詳) 1914年3月11日・みやこ座
『第二天馬(天馬續編)』(原題不詳)1914年7月14日・帝國館
『海底のダイヤ(下方の金剛石)』(原題不詳)1914年8月1日・横濱オデオン座
『白墨(爆弾の戒公)』(原題不詳)1914年9月20日・帝國館
『奪還(悪魔の爪に)』(Im Teufelskrallen)1915年1月1日・横濱オデオン座
『海と超人(海底鉄道)』(Der schienenweg unterm Ozean)1915年5月15日・横濱オデオン座
『治療室(間一髪/黒石竹花)』(Der Schwarze Nelke)1915年7月3日・横濱オデオン座
『バスカヴィルの熊/青自動車』(Der Bar von Baskaville)1915年7月10日・横濱オデオン座
『黒箱又はコブラ(社交界の賊)』 (Salonpiraten)1915年7月20日・横濱オデオン座
『三日間の死』(原題不詳) 1915年9月18日・横濱オデオン座
『コルソ城(晩かつた)』(原題不詳)1915年11月28日・帝國館
『隠証(暗室)』(Der Unsichtbare Zeuge)1916年下旬・みくに座
『疑問』(Der Trick. Welcher von Beiden?)1916年下12月・絹輝館


原作が特定できていない作品も多く、同一作品が二度、名前を変えて公開されているようなケースも見受けられます。完璧なリストではないのですが一定の傾向は見えてきます。

ブームの火付け役となったのが日活系の上野みやこ座で、ジャンルの先駆者であるヨセフ・デルモント作品やブラウン探偵物を紹介。次いで1914年に松竹系の帝國館でウエッブス探偵物が公開されるようになります。ブームに同調する形で横濱オデオン座やキリン座でも他シリーズの作品や単発ドラマが公開。同年夏に大戦が勃発し輸入が途切れるものの、1915~16年にかけても一部作品は細々と紹介されていたようです。

結構な数になりますが、本国ではこれでも序の口に過ぎなかったようです。戦中1916~17年にかけジョン・ディード探偵物、ハリー・ヒッグス探偵物、ウィリアム・カーン探偵物、ファントマス連作、ネモ博士連作、ジョー・ジェンキンス探偵物、トム・シャーク連作…20以上ものシリーズが制作され「探偵活劇のインフレ(die Inflation des Detektivfilms)」と形容される状況になっていきました。

日本ではドイツ犯罪活劇でも初期の作品、特にケリー・ブラウン物の人気が高く「天」「馬」「ブラウン」といったパワーワードを散りばめる形のプロモーションが中心となっていきました。一方のドイツでは戦中期に継続して公開されていたウェッブス物やジョン・ディーブス物の知名度、評価が高く日本との温度差が目立つ形になっています。


[参考文献]

・『カメラの目と直感:初期ドイツ映画における探偵たち』セバスティアン・ヘッセ著(独語)
« Kamera-Auge und Spürnase : der Detektiv im frühen deutschen Kino » Sebastian Hesse, Stroemfeld Verlag, Frankfurt – Basel 2003

・「エルンスト・ライヒャー、又の名をウェッブス探偵:ドイツ犯罪活劇映画の王」セバスティアン・ヘッセ(英語)
« Ernst Reicher alias Stuart Webbs: King of the German Film Detectives » Sebastian Hesse,
 in « A Second Life: German Cinema’s First Decades », Amsterdam University Press, 1996


・「日本におけるドイツ映画の公開 -1910年代を対象として-」 山本知佳
 日本大学文理学部人文科学研究所第97号、2019年研究紀要

・1914年上半期公開映画リスト「活劇、探偵劇」
 キネマ・レコード1914年7月 通巻第13号、キネマ・レコード社

・その他「キネマトグラフ」、「リヒトビルト・ビューネ」等当時物のドイツ語映画誌


1975 – 『ジャッセ』(ジャック・デランド著、アンソロジー・デュ・シネマ第85巻)

「『ジゴマ』/ヴィクトラン・ジャッセ [Zigomar / Hippolyte-Victorin Jasset]」より

« Jasset » (Jacques Deslandes,
Editions de l’Avant Scène, Supplément Anthologie n° 85, 1975)

監督としての活動時期が6年に留まったジャッセの映画芸術を現在の我々の手持ちデータから見極め定義しようというのは、D・W・グリフィスが『ベッスリアの女王』までしか撮らなかったという縛りで映画史を書いてみようというのに等しい。

Essayer toutefois de définir l’art de Jasset à partir de ce que nous connaissons aujourd’hui de ses films, et il n’a tourné que pendant six ans, ce serait un peu comme si l’on voulait écrire une histoire du cinéma en arrêtant l’oeuvre de D. W. Griffith à JUDITH DE BETHULIE.

活動写真期の映画愛好家には名の知られた『ジゴマ』ですが、その監督であるヴィクトラン・ジャッセを扱った書籍は没後一世紀以上が経った現時点でも2冊しかなく、いずれも既存の雑誌の別冊または別巻として発売されたものです。

ジャッセの研究や作品分析が進んでいない要因は資料の少なさです。第一次大戦が始まる以前に亡くなっていてめぼしい一次資料が残っておらず、書簡類や日記もないため叩き台となるデータがありません。アンリ・ラングロワが調査を開始した1940年代には作品リストすらなく、どの映画会社で何の作品を撮ったかすら見えていない状態になっていた位です。ある程度リストが固まり、一部作品のデジタル化版を見ることができるようになった現状は大幅に改善されたものですが、それでも紛れが多く(共同監督ジョルジュ・アトとの作業分担がどの程度だったか分からない、現存プリントに異同が目立ち「オリジナル」の形が分からない等)研究対象としてはややハードルが高い、と言えます。

アンソロジー・デュ・シネマ別冊版『ジャッセ』(1975年)はそういった状況に一つの道筋をつけたという意味で画期的だったと言えます。

この時点でジャッセ作品と確定できた作品を時系列に並べつつ、当時の映画雑誌の記事を元に作品の特徴や作風の変遷を追っていくアプローチをとっています。1908~09年の『ニック・カーター』連作の成功を受けて翌年に『ファントム博士』シリーズを監督。1911~12年に『ジゴマ』三部作を完成させ、1913年に『プロテア』の第一部を残した所で病没。犯罪連続劇とは別に社会派作品(『闇の國で』)、幻想奇譚(『猿人バラウー』)も残している。そんな流れが浮かび上がってきます。後年のもう一冊のジャッセ本にせよ現在の仏ウィキなどでの紹介にせよ大枠は似たような感じなのですが、それが初めて可視化されたのがこのアンソロジー・デュ・シネマ版だったことになります。

本書には同時期の映画誌の記事が多く引用されています。主な情報源は3つ。1)1909~10年の『キネマトグラフ&ランタン週報』2)1911~12年の『シネ・ジュルナル』紙、3)1920年代の『モンシネ』誌。

『キネマトグラフ&ランタン週報』は『キネ・ウィークリー』の前身となったイギリスの映画雑誌ですが、パリに置いた特派員が何度か撮影現場を訪れ紹介記事を残しています。

かつてイポドローム劇場で監督を務めていたジャッセ氏は細部と完成度にこだわり抜いた役者指導を行っている。リハーサルを繰り返し行い、実際にカメラでの撮影が始まる迄に役者の演技の完成度を納得いくレベルに高めていく。1度、2度、3度…ガルニエ劇場の女優 [原註によるとスターシャ・ナピエルコフスカ] が妹を毒殺してから別な部屋へ戻ってくる場面だ。6度目のリハーサル、部屋に入ってきた女優の表情には残酷さと恐怖の雰囲気があって、演技の完成度にその場にいた者たちが皆身震いするほどであった。そこで初めて撮影が開始される。30メートルほどのフィルムを使い、慎重を期して2台の撮影機が同時に回っていた。

撮影スタッフたちの辛抱強さと有能さには驚くべきものがあった。絨毯を変え、鏡台の鏡の角度を微調整しなくてはならなかった。当初は女優の左側に置かれていた白粉の小壜の位置を移動させ、女優の右側に置き直すほどであった。犯罪者を演じた女優は鏡の自分を見つめ、後悔の涙の筋が残っていた頬に静かに白粉を当てながら次第に冷血さを取り戻していく。

「スリル満点の映画を作る」
『キネマトグラフ&ランタン週報』1909年8月5日第117号

Monsieur Jasset, l’ancien directeur de l’Hippodrome, dirigeait les acteurs avec l’extrème souci du détail et de la perfection qui le caractérise. Il fait répéter chaque scène autant de fois qu’il est nécessaire pour obtenir des actrices la perfection au moment où la caméra va enregistrer la séquence. Une fois, deux fois, trois fois l’actrice (du Théâre Garnier) revient dans la même pièce après avoir, dans une autre, empoisonné sa soeur. Six fois, elle recommença son entrée avec sur le visage le même air de cruauté et d’effroi jusqu’à ce que la perfection de son interprétation fasse frissoner tous ceux qui étaient présent; alors seulement on effectua la prise de vue, impressionant une trentaine de mètres de ellicule, dans deux appareils à la fois pour plus de précaution.

La patience, la compétence de tous les assistants étaient surprenantes. Il avait fallu changer un tapis, modifier l’angle d’inclinaison du miroir de la coiffeuse. On alla même jusqu’à déplacer la boîte de poudre, la mettant à la droite sur la coiffeuse : elle était avant à gauche de l’actrice. Celle-ci qui jouait la criminelle.retrouvant peu à peu son sang-froid, en face de la glace, calmement repoudrait ses joues où les larmes de remord avaient laissé de longues traînées.

« Making a sensational film »
in Kinematograph and Lantern Weekly, vol. V, no 117 du Août 1908

さらに同紙別号の引用では『ジゴマ』が映画化されるまでの経緯も触れられていました。

レオン・サジイの手による悪漢冒険譚の映画企画が形を取ったのは1910年初めであった。当初の仕掛け人はラファエル・アダム氏、俳優から監督へと職業替えした人物で「映画フィルムの独立系プロデューサー」である。しかし2月末時点でも自力で映画を製作するのかそれとも他社に権利を売却して任せるのか決めかねていた。3月初旬、[エクレール社の置かれた] エピネーで商談が進められた。「ジゴマの映画化権を所有するアダム氏がエクレール社にいたので話を聞いた。5作の映画が作られるそうである」、当時の記者がそう記している。実際に制作されたのは『ジゴマ』『ジゴマ対ニック・カーター』『探偵の勝利』の3作のみで監督はジャッセになっていた。

また、本サイトで訳出したジャッセの映画論「活動写真監督術考」(1911年)についても「第一次大戦前の映画産業史のありがちな要約ではなく」「映像美学のマニフェストである」の的確な指摘がなされています。

公刊から半世紀近くが経過しており最新データを反映している書籍ではないため一字一句を鵜呑みにする訳にはいきませんが、1910年前後の仏活劇映画を理解する鍵が幾つも含まれている気はします。

[出版年]
1975年11月

[出版者]
Editions de l’Avant Scène

[ページ数]
56

[サイズ]
13.5 × 18.0cm

マリー・ヨンソン Mary Johnson (1890 – 1975) スウェーデン

北欧諸国 [Nordic Countries]より

Mary Johnson 1920s Autograhed Postcard

1910年代後半、スウェーデンのハッセルブラッド映画社でイェオイ・アフ・クレルケル監督によるメロドラマに多く出演し人気を博していたのがマリー・ヨンソンでした。

Mary Johnson in Förstadsprästen (1917)

1917年『Förstadsprästen』より

1918年『灯台守の娘(Fyrvaktarens dotter)』より

ハッセルブラッド社作品は国外輸出された形跡がなく、その人気はスウェーデン国内に留まっていました。1919年にスウェディッシュ・バイオグラフ社とスカンディア社の大手二社が合併、本格的に海外市場の展開を始めた時スティルレル監督が『吹雪の夜』のヒロイン役に彼女を抜擢します

Mary Johnson in Herr Arnes pengar (1919)

1919年『吹雪の夜』より

1920年の米フォトプレイ誌より

同作は公開当初から欧米で話題を呼びました。ヨン・W・ブリューニウス監督による歴史ドラマ『福騎士』(En lyckoriddare、1921年)でユスタ・エークマンと共演、『グンナール・ヘデ物語』(1923年)ではスティルレルと再度タッグを組み「スウェーデンのメアリー・ピックフォード」と称されるまでになりました。

Filmnyheter誌 1923年第1号
『グンナール・ヘデ物語』公開時の特集記事より

20年代中盤〜後半にスティルレルがガルボらと共に渡米、北欧映画の弱体化がはっきりしていく中でマリー・ヨンソンは旧大陸(ドイツ、フランス)に進出し舞台/映画での女優活動を続けていきます。

1932年にラング作品で知られるルドルフ・クライン・ロッゲと再婚、一児を設け一旦は落ち着いた生活を取り戻すも2年後にその子供が亡くなり精神的なバランスを崩していきます。ナチス台頭と共に夫婦はドイツ映画界での居場所を失いオーストリアに移住。第二次大戦後ロッゲが亡くなると故国スウェーデンに戻り、1970年代にひっそりと亡くなっています。

10〜20年代の華やかな活躍とそれ以後の凋落の対比があまりにも極端なのですが、清純な娘役のイメージが固定してしまい成熟した女優に脱皮できなかったのが大きな要因だったとは思います(『グンナール・ヘデ物語』の演技にもその予兆を見て取れます)。それでも『吹雪の夜』はエイゼンシュテインにまで影響を与えた無声映画屈指の作品の一つですし、スウェーデン映画勃興期に残した功績も無視できないものです。

[Movie Walker]
マリー・ヨンソン

[IMDb]
Mary Johnson

[誕生日]
5月11日

[出身]
スウェーデン

[データ]
Ross Verlag, 8.7 × 13.9cm

1914 – 9.5mm ヘレン・ホームズ主演『ヘレン・ホームズの花嫁争奪戦』(カレム社、J.P.マクゴワン監督)1970年代初頭 英ノヴァスコープ版

9.5ミリ 劇映画より

« The Conductor’s Courtship » (Kalem, 1914, dir/J.P. McGowan)
1970s UK Novascope 9.5mm Print

アレン氏は娘のゲイルを溺愛していた。愛娘の結婚相手には同じ駅に勤めてゐる整備工のビル君を…と考えていたのであるがどうも気に入らないらしい。貨物列車の運転士をしているトムが娘の周りをウロウロしていたため追い払う。男が娘にこつそり手紙を渡していたのには気づかなかつた。

翌日もまたトムがやつてきた。今回もアレン氏は追い払ったのだが、ゲイルは父の一瞬の隙をついて機関車に飛び乗った。トムの手紙の計画通りに駆け落ち成功。一瞬呆然となつたアレン氏、我に返るとビルに命じて機関車を用意させ娘を追い始めるのであつた。

つひに二人きりとなり喜んでいたのも束の間、線路の背後から迫つてくるもう一台の機関車。その先頭にはアレン氏の姿があつた。果たして若き二人の恋物語の命運や如何に。

1914年11月に始まった連続鉄道活劇『ヘレンの冒険』によってパール・ホワイトらと並ぶ連続活劇女王となったのがヘレン・ホームズでした。十数話の現存が確認されておりその一部は廉価版DVDでもまとめられています。

こちらの9.5ミリフィルムは1971年に英ノヴァスコープ社から発売されたもの。『ヘレンの冒険』と銘打っていますが実際はヘレン・ホームズが連続活劇デビューする半年前に出演した単独の初期作。全体としては屈託のないラブコメで、アクションやかっちりした起承転結はないものの自由奔放で快活なヒロインの設定は後にも引き継がれていきます。

ムービング・ピクチャー・ワールド誌 1914年6月号よりカレム社広告欄

1913~1914年前半は「連続活劇前夜」に当たります。以前に紹介したパール・ホワイトのクリスタル期短編がこの時期ですし、カレム社ではルース・ローランドが恋愛短編ドラマや西部劇で人気を博していました。一方カレム社は『若き女電信技手の勇猛』など蒸気機関車を扱った作品を得意としていました。これらの要素がまとまっていくことで無声期の連続活劇で最大規模(全191話)となる『ヘレンの冒険』が生み出されていくことになります。

また本作では父親が蒸気機関車の先頭に立って娘を追っている場面が印象的。似た構図をどこかで見た覚えがあるな…と思ったところ『キートンの大列車追跡』(1926年)でした。

[IMDb]
The Conductor’s Courtship

[Movie Walker]


[公開]
1914年6月23日

[9.5ミリ版メーカー]
英ノヴァスコープ社

[カタログ番号]
S1007