ビヴァリー・ベイン Beverly Bayne(1894 – 1982) 直筆メッセージ

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

ビヴァリー・ベイン、直筆メッセージ
1930s Beverly Bayne Handwritten Message (Byron’s Poem)

初めて映畫劇と云ふものに興味を持つたのは、一千九百十一年、十七歳の時に、女學校の暇を盗んでシカゴ市のエッサネイ撮影所を訪れて實地の模様を觀察した事に始まると傳へられて居る。その時、ある舞臺監督は嬢の映畫劇俳優としての有望な素質を見抜いて、無理に勸めて「借金倒し」と云ふ映畫の女主人公たらしめた。ところが、その結果が頗る優れて居たので、話は愈々進んで、到頭エッサネイ撮影所の嘱望に依つて、女學校を卒業すると同時に、同撮影所に雇はれる事になつた。そして、フランシス・ブッシュマン氏の相手女優となつて幾本かの映畫を撮影した。

ブッシュマン氏が同撮影所を去つてメトロ會社のクォリチー撮影所に轉ずるに及んで、嬢も共に同社に移つたが、その後ブッシュマン氏と結婚して、二人とも同社の爲めに働いて居た。昨年キネマ倶樂部に上場された連續寫眞「大秘密」は同社同撮影所の作品で、ブッシュマン氏との共演に成つたものである。

『活動名優寫眞帖』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

Beverly Bayne (Who's Who on the Screen, 1920)
『銀幕名鑑』(1920年)の紹介ページ

1910年代にエッサネイ~メトロ映画社の娘役で活躍、20年代になって夫フランシス・ブッシュマンが立ち上げたFXB映画社を挟みワーナーに転じていきました。その後30年代にスクリーンを離れ、戦後に極短期のカムバックを果たした他は舞台の活動に専念していきました

こちらは彼女がシカゴ市のアンバサダー・ホテルの便箋に書き残した直筆メッセージです。内容はバイロンの詩「かのひとは美しくいく」(She Walks in Beauty)の第一節を写したもの。

雲無き邦國、星多き天空の
麗はしき夜の如く、彼女(かれ)は美に於て歩む、
而して明暗の最善なる万物は、
彼女の容貌と彼女の眼に會し、
斯くして天の祝日に拒むなる、
その優しき光明に融合するなり。

『バイロン詩集:短編』(児玉花外訳、明治40年、大学館)

She walks in beauty, like the night
Of cloudless climes and starry skies ;
And all that’s best of dark and bright
Meet in her aspect and her eyes :
Thus mellow’d to that tender light
Which heaven to gaudy day denies.

She Walks in Beauty by George Gordon, Lord Byron

バイロンの代表作として良く知られた一作で、1920年代に人気のあった女性大衆作家ファニー・ハーストが同名の短編小説を残すなど戦前の人にも親しまれていました。

日付が打たれていないためいつの物か断定はできませんが戦前30年代ではないかとの話でした。彼女の筆跡は小文字の「y」と「t」が×のように交差する癖があって真贋判定しやすいです。

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[IMDb]
Beverly Bayne

[Movie Walker]
ビヴァリー・ベイン

[出身地]
合衆国(ミネソタ州 ミネアポリス)

[誕生日]
11月11日

[データ]
シカゴ・アンバサダー・ホテルの便箋を使用

[サイズ]
15.0 × 24.0cm

大正5年 (1916年) マックス・マック編著『ザッペルンデ・ラインヴァント(活動寫眞)』

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「ザッペルンデ・ラインヴァント(Die Zappelnde Leinwand)」は「躍動するスクリーン」の意味合いで、1910年代のドイツ語圏でムービング・ピクチャー(活動寫眞)の訳語に使われていたようです。しかし早くから映画(Kino)の言葉が定着していたこともあり、実際には普及することなく消えていきました。

本書は1916年に発表された映画界の紹介本。映画監督・俳優として人気のあったマックス・マック(以前に1912年の 『コレッティを探せ(Wo ist Coletti?)』8ミリ版を紹介済)が編纂したものです。後に『ヴァリエテ』監督として世界的な名声を得るE・A・デュポンが執筆者一覧に名を連ねています。

この書籍が出版された頃は第一次大戦が激化しており、それまで人気のあったアメリカやフランス製の映画輸入が途切れています。ドイツ映画界は自給自足で回していかざるをえなくなりました。次第に花形俳優たちが現れていき、後の1920年代全盛期の基礎を築いていった時期に当たります。

グラスハウス・スタジオの様子や、撮影時にスタッフが守るべきマナーなど製作者目線の記事が見られる一方、新たにドイツ映画界を輝かせている俳優たち(ミーア・マイ、ハンニ・ヴァイセ、エルナ・モレナマリア・カルミヘラ・モヤ、リタ・サチェット、レッセル・オルラマリア・オルスカ)の紹介が行われています。

映画産業がようやく形を取り始めたこの時期、「映画論」の発想はまだありませんでした。それでも監督や脚本畑の人たちを中心に状況を改善しようとする動きがあって、一つの大きな転換点が1919年の『映画製作論(Wie ein Film geschrieben wird und wie man ihn verwertet)』だとされています。同書の著者は『ザッペルンデ・ラインヴァント』にも参加していたE・A・デュポン。その意味で本書は「映画の理論化」を生み出していく大きな流れの一部だったと見る事もできます。

[原題]
Die Zappelnde Leinwand

[出版者]
アイスラー&Co.(ベルリン)

[出版年]
1916年

[フォーマット]
ハードカバー(紙カバー欠)、144頁

1912 – ノーマル8 『コレッティを探せ』(1912年、マックス・マック監督)

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1912年に公開されたドタバタ喜劇。「探偵コレッティを48時間以内に捕まえることができたら100万マルク進呈!」の広告に人々が踊らされていく様子をコミカルに描いていきます。定番の追跡から女装まで様々な要素をコンパクトに詰めこみ、ベルリン市街地での撮影で都市風景をうまく取りこんでいます。

ヒロイン役で登場しているのは英女優のマッジ・レッシング。1900~10年代の綺麗目ポストカードも多く残っている女優さんながら、本作ではかなりはっちゃけた感じでドタバタを楽しんでいます。また途中に初期の個性派俳優として知られるハインリヒ・ピール(Heinrich Peer)も登場しています。

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女装中のマックス・マック(左)とマッジ・レッシング(右)
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ハインリヒ・ピール(右)

[原題]
Wo ist Coletti?

[製作年]
1912年

[IMDB]
tt0003565

[メーカー]
独DEFA社

[カタログ番号]
222

[フォーマット]
ノーマル/スタンダード8 60m(無声)

大正8年(1919年)『活動畫報』4月号・活動新人紹介號

活動画報(大正8年4月号表紙)メアリー・ピックフォード

「活動新人紹介號」と題された一冊でグラビア、新人紹介、新作紹介、筋書などを中心とした102頁の内容となっています。

エリッヒ・フォン・シュトロハイムの第一回監督作『アルプス颪(Blind Husband)』がユニヴァーサル経由で公開され話題を呼んでいた時期に当たり、新人紹介でシュトロハイムが取りあげられ、場面集でスチル紹介、さらに「エリック・ストロハイム氏の出世物語」の記事が掲載されていました。グラビア冒頭を飾るフランセリア・ビリングトン嬢も同作のヒロインでした。

同作に次いで評判が高かったのがゴールドウィン映画社の人情ドラマ『曲馬団のポーリー』で、4ページに渡る筋書、場面集でのスチル紹介、主演メー・マーシュのグラビアを掲載。

メイン企画の新人紹介には12人が登場。

・マーシャル・ニーラン [Marshall Neilan]
・シャーリ・メイスン [Shirley Mason]
・アルマ・ルーベンス [Alma Rubens] 
・オリーヴ・トーマス [Olive Thomas]
・ユージン・オブライエン [Eugene O’Brien]
・H・B・ワーナー [H.B. Warner]
・ペギー・ハイランド [Peggy Hyland]
・キティ・ゴードン [Kitty Gordon]
・オリーヴ・テル [Olive Tell]
・ヴァイオレット・ヘミング [Violet Hemming]
・アラン・ドワン [Allan Dwan]
・エリッヒ・フォン・シュトロハイム [Erich von Stroheim]

現在でもそれなりに知られた名前が並んでいます。監督(ニーラン、ドワン、シュトロハイム)が三人含まれているのが興味深く、また見開きでアルマ・ルーベンスオリーヴ・トーマスが並んで登場する凄い配置になっています。

その他日活新派劇『涙日記』の筋書きや國活の場面紹介、イタリア俳優(イリーナ・レオニドフ、トゥリオ・カルミナティ)紹介など発見の多い一冊でした。

大正9年 (1920年) アントニオ・モレノ&ポーリン・カーリー主演『見えざる手』 仏語小説版

1919-20 The Invisible Hand (Vitagraph) French Novelisation Cover

1919年末から20年に公開された15章仕立ての連続活劇。日本でも1921年に『見えざる手』として公開されており、法令館キネマ文庫からは日本語小説版が発売されていました。

美形男優として人気のあったアントニオ・モレノ、フェアバンクスや早川雪洲との共演で注目を浴びつつあったポーリーン・カーリーをダブル主演に迎え入れるなどヴァイタグラフが力を入れて製作していた様子が伝わってきます。20年秋に二人を再度主演に据えた『隠された謎(The Veiled Mystery)』が公開されたのを見ると観衆の反応も悪くなかったようです。

内容は連続活劇王道をいくもので「鉄の爪」と呼ばれる悪党団を相手にした丁々発止のやりとりが描かれていきます。敏腕刑事(アントニオ・モレノ)が一味の捕縛を試みる中、その捜査を助けるため女性探偵アン(ポーリン・カーリー)が凶賊の内部に忍びこんでいきます。ダブル主演の利を生かして二人の連携や危機を描き分ける形で単調になりがちな活劇パターンに新味を与えようとしています。

1919-20 The Invisible Hand (Vitagraph) French Novelisation

ハリウッド連続活劇では「予想もつかない場所からニュッと手が伸びてきて主人公を襲う」パターンが好んで使われます。ルース・ローランド主演の『タイガーズ・トレイル』(The Tiger’s Trail、1919年)が有名(YouTube)なのですが『見えざる手』はこの方向性を押し進めた要素を含んでいます。

エルンスト・ライヒャー Ernst Reicher (1885 – 1936) 独

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」 より

Ernst Reicher Autographed Postcard
2018年末、独サイン収集家のコレクションが大量にオークション市場に放出され一部を入手できました。「忘れじの独り花」のタイトルの下に紹介させていただいたのがそれに当たります。現在自国でも名を知られていない俳優達の直筆も含まれていて、1910年代後半のドイツ映画の風景を再考していく上で興味深い資料です。

このコレクションについて調べていく途中でエルンスト・ライヒャーの名が繰り返し出てきました。1910年代中頃からスチュワート・ウェブス探偵物シリーズの主演を務め人気を博した俳優です。初期作品では『リヒャルト・ワグナーの生涯』(1913)が現存、ライヒャーは狂王ルートヴィヒ役で出演。背の高い美青年振りで当時の人気も納得という感じです。

Ernst Reicher in Richard Wagner (1913)
1913年『リヒャルト・ワグナーの生涯』より

ウェブス探偵物は1914年から29年にかけて製作された一話完結型のミステリー連作でした。総作品数は50に上ると言われています。ヨーエ・マイ監督主導で作られていたのですが、監督(マイ)と主演(ライヒャー)に対立が生じてスタッフが分裂、ヨーエ・マイが同シリーズから手を引きライヒャー自身が監督する形で製作が続けられていきました。

1919年3月30日付ノイエ・キノ・ルントシャウ誌よりスチュワート・ウェッブス社広告
1919年3月30日付ノイエ・キノ・ルントシャウ誌よりスチュワート・ウェブス社広告

ウェブス探偵劇は作品毎にヒロインの代わる形を取っています。登場した女優にはステラ・ハルフ(後にライヒャーと結婚)、テア・ザンドテンマリア・レイコマリア・ミンツェンティエステル・カレナシャルロッテ・ベックリンアリス・ヘシーエヴァ・マイ、マルガレーテ・シュレーゲル、ヘレナ・マコウスカ、グレーテ・ラインヴァルトらの名前があり、新人~中堅女優にとって登竜門的な役割を果たしていました。「忘れじの独り花」で紹介した女優も多くフィアさんだけではなく当時の映画愛好家がこのシリーズを通じて新たな才能を発見していたと思われます。

ライヒャーの人気は20年代から陰りを見せ、30年代トーキーに適応できず表舞台から消えていきました。ユダヤ系だったためナチスが政権を握ると程なくドイツを離れ、滞在先のプラハで1936年に客死。フリッツ・ラングが初めて脚本を書いた作品がウェブス物で、他にも独サイレント黄金期にはウェブス物と接点を持っていた者が少なくありません。ドイツ映画史の起源に興味のある方なら記憶の片隅に留めておいて良い名前かなと思います。

[IMDb]
Ernst Reicher

[Movie Walker]
エルンスト・ライヒャー

[出身地]
ドイツ(ベルリン)

[誕生日]
9月19日

トルーデ・ヘステルベルク Gertrud (Trude) Hesterberg (1892–1967) 独

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」
& エルンスト・ルビッチ関連 [Ernst Lubitsch Related Items]より

Gertrud (Trude) Hesterberg 1917 Autographed Postcard
1910年代初頭から60年代にかけて半世紀の出演キャリアを持つ女優さん。歌や踊りを得意とし舞台出演と映画女優の二足のわらじを履いていました。

キャリア初期にアイドル的人気を得ていた訳ではないものの、俊敏で快活、パワフルなキャラクターが一定の支持を得ていました。その才能に目を付けたのがエルンスト・ルビッチで、探偵劇パロディとして制作・主演した『ローゼントフ事件』(Der Fall Rosentopf、1918年)ヒロインに彼女を抜擢しています。

Der Fall Rosentopf (1918)
フィルムは遺失しており詳細は不明ながら、ポスターに登場するルビッチの手のひらの上で踊る女性の一人(黄色スカート)がトルーデさんをイメージしたとされています。ウーファ・ポスター展の開催時に研究者が指摘していたように1910年代後半ドイツには探偵劇の一大ブームが来ていて、ルビッチもその流れに便乗していた訳です。

サインは1917年のベルリンで書かれたもの。後年のトルーデ(Trude)名義ではなく初期に使用していた本名のゲルトルード(Gertrud)になっています。

[IMDb]
Trude Hesterberg

[Movie Walker]
トルーデ・ヘステルベルク

[出身地]
ドイツ(ベルリン)