1912 – 9.5mm 『消えゆく民 アイヌの人々』(仏パテ・フレール社作品)

「9.5ミリ動画 05f 科学/歴史/地誌/産業」より

Pathé-Baby 9.5mm « Les Peuple qui disparaissent. Les Ainos » (1912, Pathé Frères)

1912年末にフランスで公開されたほぼ同名の作品を9.5ミリ用に再編集したもの。この作品については海外の映像研究家が論文を発表(『オリエンタリア』2017年第17号)しているため、一旦そちらを参照させていただきます。

アイヌの民が登場してくるもう一つの1912年映像作品は『消えゆく民 アイヌの人々』(英題:The Hairy Ainos)で、パレ・フレール社の製作によるものであった。同社は1902年に映画技術の特許を購入、時事映像の分野でリュミエール兄弟の後を継いだ。忽ちにしてパテ・フレール社は当時最大の映画製作会社となり、1909年に日本にも拠点を設立している。『消えゆく民 アイヌの人々』は長さにして僅か三分足らずの作品である。冒頭ではチセ(アイヌ式住宅)の前に立った四人の男性、次いで四人の女性が映し出される。字幕により、アイヌの人々は大半が猟と漁で生活しているとの説明が入る。次の場面では、海を背景として女性と子供とが歩いてくる。さらに丸木舟に乗った二人の男性が登場。

『消えゆく民 アイヌの人々』が公開された時期、原初の映画術でもたらされた驚きはすでに乗り越えられていた。このパテ社作品には儀式などの伝統から一旦距離を置き、日常生活に密着したいとの意思を読み取ることができる。旧来の時事映像作品と違い、リュミエール兄弟の下でアイヌ民族を撮っていたジレル氏が描いた古い舞踏であるとか、その他の特徴的な要素は本作にない。その代わりとして、朽ちた小屋の前で子供をあやしている女性が登場するのだ。広角レンズで撮影された老人も儀式用の服は着ておらず、頭にラウンペはなく、髭もほとんど見ることはできない。

マルコス・センテノ=マルティン
「表象外の眼差し:初期映画におけるアイヌ民族の描写について」
(『オリエンタリア』2017年第17号)

The other film featuring the Ainu people in 1912 is entitled Un peuple qui disparaît, les Aïnos (aka The Hairy Ainos) and was produced by Pathé Frères Company, which had bought the cinematograph patents in 1902 and succeeded the Lumière brothers in the production of actulités. Very soon, Société Pathé Frères became the biggest film production company of the time, and in 1909, it established headquarters in Japan. Un peuple qui disparaît, les Aïnos, which only lasts for three minutes, begins with four men followed by four women posing before a chise and an intertitle explaining that the Ainu were mainly hunters and fishers. In the next scene, a woman and a child are seen walking with the sea in the background and afterwards, two men enter scene on a chip (Ainu canoe). […]

When Un peuple qui disparaît, les Aïnos was released, the astonishment produced by primitive cinema was already overcome. Pathé film demonstrated an interest to move away from ritualized traditions and a willingness to get closer to everyday chores. Unlike previous actuality films, this footage does not contain traditional dances or other distinctive elements depicted by Girel. Instead, the sequence features a woman and her child before a dilapidated hut; a wide shot framing an elderly man who does not wear the ceremonial clothes nor any raunpe on his head, and his beard can be hardly seen.

Centeno Martín, Marcos
“Gazes outside the Representation. Early Film Portrayals of the Ainu People (1897-1918)”,
Orientalia, issue 17, 2017, pp. 189-211

筆者センテノ=マルティン氏は実際に北海道を訪れ、アイヌ民族についてのドキュメンタリー映画(“Ainu. Pathways to memory”)も監督されている人物です。論考後半では、タイトルの「消えゆく」という表現が同時期にアメリカン・ネイティヴに使われていた(1925年出版のゼイン・グレイの小説『滅び行く民族(原題:The Vanishing Americans)』)点にも注意を促していました。

映画の発明当初から少数民族への興味は見られたものの、独自の踊りや入墨、髭といった表層的な関心が優先されていたのに対し、『消えゆく民 アイヌの人々』では生活に密着していく発想が顕著となり、結果として表現されている「リアリティ」の質が変化している、というのがセンテノ=マルティン氏の主張の一つです。

異文化との接触・理解は段階を置いて進んでいくものですし、当初の好奇の眼差しが次第に研ぎ澄まされていくという話は一般的に見ても分かりやすいのではないかと思われます。

本作の字幕の幾つかには差別的な表現も含まれています。ある時代が少数民族をどう理解していたか(あるいは理解していなかったか)の証でもあるかと思われますのでデジタル化に際し修正などは行っておりません、ご了承くださいませ。

[タイトル]
Les Peuple qui disparaissent. Les Ainos

[原題]
Un peuple qui disparaît, les Aïnos

[IMDb]

[メーカー]
仏パテ・フレール社

[公開]
1912年

[仏パテ社版カタログ番号]
1230

[フォーマット]
20m(1977フレーム、13fps、3分)、無声、ノッチ有

1912- 9.5mm 『ナピエルコウスカ嬢のカンボジア風舞踏』(1912年)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

Pathé-Baby 9.5mm « Mademoiselle Napierkowska : Danses Cambodgiennes »
(Extrait de « La Fièvre de l’or », 1912, dir.Leprince & Zecca)

1912 9.5mm Napierkowska : Danses Cambodgiennes

仏パテ社が9.5ミリ小型映画を最初に売り出した時にカタログに含まれていた初期のフィルムで、1912年に公開された中編映画(『La Fièvre de l’or』)の一場面を抽出したもの。

映画全体は金銭欲に取りつかれた男が亡父の銀行を乗っ取り投資ブームを仕掛け、人々が踊らされていく内容を描いています。途中の祝宴場面に使用されていたのがスタシア・ナピエルコウスカによるカンボジア風の舞踏でした。

[タイトル]
Danses Cambodgiennes

[原題]
La Fièvre de l’or

[製作年]
1912年

[IMDB]
tt0250381

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
47

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 10m *1リール

1912 – Normal 8 『コレッティを探せ』(1912年、マックス・マック監督)

1912年は映画産業が軌道に乗り始め、あちこちに劇場が作られて盛り上がっていた時期です。

『コレッティを探せ』はこの時期のドイツでヒットした作品で、「探偵コレッティを48時間以内に捕まえることができたら100万マルク進呈!」の広告に人々が踊らされていく様子をコミカルに描いています。

定番のドタバタ追跡から女装まで様々な要素をコンパクトに詰めこみ、ベルリン市街地での撮影で都市風景をうまく取りこむなど、確かに今見ても面白い一作ではないかと思われます。

[タイトル]
Wo ist Coletti?

[原題]
Wo ist Coletti?

[製作年]
1912年

[IMDB]
tt0003565

[メーカー]
独DEFA社

[カタログ番号]
222

[フォーマット]
ノーマル8mm 60m(無声)

ジーナ・パレルム Gina Palerme (1885 – 1977) 英/仏

Gina-Palerme

記憶をどこまでさかのぼつてみても自分が悪魔に憑かれていたのだと思うのであります(演劇の悪魔ですが)。十になるかならぬかの私は仲間とともに「ごっこ遊び」に熱中しておりました。今となっては可笑しいほど一生懸命に、ある時は聖王ルイとなつて正義の鉄槌を下しあるいはジャンヌ・ダルクとなって火刑台に立ち、ナポレオンとしてアルコール橋を渡ったのです。[…]

巴里で束の間舞台に立つた後、英国舞踏を習得しようとイギリスに渡りました。半年の滞在予定が気が付いてみると七年、その合間に一介の踊り子からデューク・オブ・ヨーク劇場支配人にのぼりつめていました。

「ジーナ・パレルム自分語り」
シネア誌1922年2月10日付40号

Aussi loin que je remonte dans mes souvenirs, je me vois possédée du démon… (de la comédie). A dix ans, ma passion était « les tableaux vivants ». Au milieu de mes camarades le jeu, j’incarnais, avec un sérieux comique à voir, Saint-Louis rendant la justice, Jehanne d’Arc montant au bûcher, ou Bonaparte au pont d’Arcole […]

Après un très court séjour sur les scènes parisiennes, je pars en Angleterre pour me perfectionner dans la danse anglaise. Je devais rester là-bas 6 mois, j’y reste 7 ans, pendant lesquels je gravis tous les échelons de chorus-girl à directrice du théâtre Duke of York.

Gina Palerme par Gina Palerme
Cinéa, No 40, 10 Février 1922

1910年代初頭、イギリスの軽喜劇で人気を博したのがジーナ・パレルムでした。1920年代になって生まれ故郷のフランスへと戻り(「こちらでは誰も私の名前など知りませんでした」)映画女優の活動を開始。ロジェ・リオンやアベル・ガンスの作品に出演しています。

ガンスが1920年代半ばに発表したコミカルな奇譚『ヘルプ!(Au secours!)』ではマックス・ランデ演じる主人公を正気に戻す許婚の役を演じていました。

Gina Palerme in Abel Gance's Au secours! (1924)
アベル・ガンス監督作品『助けて!』より

サイン絵葉書は、イギリスで舞台デビューを果たした『クエーカー・ガール』公演時の一枚。向かって左側、「クエーカー・ガールの思い出に!(Souvenir de Quaker Girl!)」の一文。裏面に旧所有者の筆跡で1912年の文字も残されています。