ゴンバセージ・フリーダ (Gombaszöghy/Gombaszögi Frida, 1890 – 1961) と『私は死にたい』(1918年、アンタルッフィ・シャーンドル監督)

絵葉書と『演劇生活 Színházi Élet』誌から見る
1910年代ハンガリー映画(02)

1890年生まれ。1909年演劇学校卒業後に舞台女優の活動を始め、1910年代中盤にかけ知名度を上げていきます。1916年にコメディ劇場(Vígszínház)付き女優となり、翌年から主役が付き始め以後1933年まで同劇場花形として活躍します。

コメディ劇場(Vígszínház)と契約後 初めて「演劇生活」誌表紙を飾った1916年第8号(2月)

同劇場で花形となり
「演劇生活」誌1917年第1号の表紙を飾る

1918年末、アンタルッフィ・シャーンドル監督・主演作
『ボディガード(A testõr)』でヒロインを務める

1919年に一青年による襲撃を受け、顔面部を撃たれるという事件の被害者となりました。著名な整形外科医エルネー・ラースローによる施術で傷はほとんど見えない状態まで回復しましたが、しばらくの間休業を余儀なくされます。事件当時、『演劇生活』誌では「病気による数ヵ月の療養」と説明されており襲撃の事実は伏せられていました。

1922年にハンガリー新聞業界の大物ミクローシュ・アンドール氏と二度目の結婚。同氏が1933年に亡くなった後に事業を引き継ぎ女優業から一旦は引退。戦後になって演劇活動を再開し1961年に亡くなっています。

1917〜20年にかけ数作の映画に出演。確認できる限り最も古い出演作はマイケル・カーティスの初期作『Farkas』(1917年)。その後レックス映画社(Rex Filmgyár)で無名時代のポール・ルーカス(Lukács Pál)と共演。1918年に公開された『私は死にたい(Vorrei morir)』が現存しハンガリー国立映画協会がVimeoで公開しています。舞台色の強いメロドラマながらバストショット〜クローズアップでの感情表現は質が高く見るべきものがあります。

[IMDb]
Vorrei morir

[Hangosfilm]
Vorrei morir

フェダーク・シャーリ (Fedák Sári, 1879 – 1955)と『三週間』(1917年、ガラシュ・マールトン監督)

絵葉書と『演劇生活 Színházi Élet』誌から見る
1910年代ハンガリー映画(01)

『シビル』(1914年)より

『シビル』(1914年)より、直筆サイン入り絵葉書 右は共演のアールパード・ラタバール(Árpád Latabár)

フェダーク・シャーリは1890年代末からの長いキャリアを持つオペレッタ女優です。1910年代中盤には『シビル』(1914年)、『謝肉祭』(1916年)、『大理石の花嫁』(1917年)で人気のピークを迎えていました。

1917年に初めて映画に出演。英作家エリノア・グリンの同名小説を下敷きにした『三週間』(Három hét)です。『演劇生活』誌ではブダペストで公開された際のリポートが掲載されていました。前売り券が売り切れ、当日券の発売がなく見れない人々が続出したエピソードが紹介されています。

『三週間』の功績の一つとして同国の舞台劇愛好家に「映画」を認識させた点を挙げることができます。当時、まだまだ映画は格下のジャンル、見世物だと考えている人が多くいました。絶大な人気を誇っていたフェダーク・シャーリが映画に主演した事自体がインパクトであり、風向きの変化を後押ししていきました。

ドイツ・キネマテークが公開しているドイツ語版

[IMDb]
Három hét

[Hangosfilm]
Három hét

1917 – スーパー 8 『チャップリンの勇敢』(大沢商会/東宝/東和版、1970年代中頃)

« Easy Street » (1970s Super8 Ôsawa Shokai version, based on Towa B Negative)

チャップリン短編の8ミリ版は幾種類かあり、中でも大沢商会から発売されていたこのシリーズは比較的よく知られています。

元々は東和株式会社(現・東宝東和)の創業45周年を記念した「ビバ!チャップリン」という企画の一環で発売されたものです。東和商事合資会社としての創業は1928年にさかのぼりますのでフィルムの発売は1973年頃となるようです。「ビバ!チャップリン」は第一弾に『冒険』『拳闘』『移民』『勇敢』『消防夫』の5作を発売、その後ジャケットを変えて第二弾の『誘拐船』『大番頭』『活動屋』の3作が発表されています。

今回はその中から『勇敢(Easy Street)』の紹介です。ミューチャル社から公開された1917年作品で、チャップリンとヒロイン役のエドナ・パービアンス、悪漢役のエリック・キャンベルの絶妙なバランス感覚を楽しめる一作。

プリントは輸出用ネガ(Bネガ)ベース。戦後の比較的新しいプリントのため傷なども少なく、劣化も見られない良いコンディションでした。サンプル画像はHQカメラに差し替えた綺乃九五式でスキャンしたものです。

現在フリッカーアレイから発売されているブルーレイ盤ストリーミング版の最新修復バージョンは基本Aネガを元にしています。AネガとBネガのアングルの違いを幾つか確認しておきます。

「オルガンを弾くエドナ」の場面で見てみるとAネガは右側のカメラから撮られており、座ってうたた寝している男性がエドナに隠れるアングルになっています。一方のBネガは左側のカメラから撮られていて、男性の姿がエドナの背後に見える角度になっています。

また同じBネガ由来でも東和版とパテ版を比べると、前者は左端をやや大きくトリミングしてエドナを中央に配している(結果として左端の女性が半分で見切れている)のに対して、パテ版は左端の女性が切れないよう右端を広めにトリミングしていて、その代りエドナが中央を外れて右に寄った構図になっています。

「チャップリンのバストショット」「エリック・キャンベルとの乱闘場面」も同様でAネガは右側のカメラで、Bネガは左側に置かれたカメラで撮影されています。キャンベルの背中にチャップリンが飛び乗る後者の場面は良く知られていますが、被写体と背景の位置関係がAネガとBネガで微かに違っており別カメラだと分かるのです。

唯一の例外は「エリック・キャンベルのクローズアップ」。トリミング幅は異なっているも両者は同じネガを元にしています。東和が持ちこんだネガにAネガ由来のプリントが紛れこんでいたのか、ブルーレイ用に修復した際にあえてBネガを選択したか(現存フィルムのコンディションに応じてブルーレイ版も一部Bネガを使用しているそうです)は不明。

先日紹介した仏コダック16ミリ版ともつながってくる話で、物語あるいは世界観で言うとAネガもBネガも同じ『勇敢』なのです。でもフィルム視点で見ると別作品なんですよね。近年のデジタル修復作業が画質重視でAネガとBネガを混ぜてしまっている状況は少し怖いな、とは思います。

[原題]
Easy Street

[公開年]
1917年

[IMDb]
Easy Street

[メーカー]
大沢商会/東宝/東和

[フォーマット]
Super8、600フィート、30分(24fps)、白黒、光学録音(サウンドテープ付)、定価12,800円

トルーデ・ヘステルベルク Gertrud (Trude) Hesterberg (1892–1967) 独

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」
& エルンスト・ルビッチ関連 [Ernst Lubitsch Related Items]より

Gertrud (Trude) Hesterberg 1917 Autographed Postcard
1910年代初頭から60年代にかけて半世紀の出演キャリアを持つ女優さん。歌や踊りを得意とし舞台出演と映画女優の二足のわらじを履いていました。

キャリア初期にアイドル的人気を得ていた訳ではないものの、俊敏で快活、パワフルなキャラクターが一定の支持を得ていました。その才能に目を付けたのがエルンスト・ルビッチで、探偵劇パロディとして制作・主演した『ローゼントフ事件』(Der Fall Rosentopf、1918年)ヒロインに彼女を抜擢しています。

Der Fall Rosentopf (1918)
フィルムは遺失しており詳細は不明ながら、ポスターに登場するルビッチの手のひらの上で踊る女性の一人(黄色スカート)がトルーデさんをイメージしたとされています。ウーファ・ポスター展の開催時に研究者が指摘していたように1910年代後半ドイツには探偵劇の一大ブームが来ていて、ルビッチもその流れに便乗していた訳です。

サインは1917年のベルリンで書かれたもの。後年のトルーデ(Trude)名義ではなく初期に使用していた本名のゲルトルード(Gertrud)になっています。

[IMDb]
Trude Hesterberg

[Movie Walker]
トルーデ・ヘステルベルク

[出身地]
ドイツ(ベルリン)

1917 – 大正6年、ルース・ローランド主演 連続活劇『ネグレクティッド・ワイフ』 宣材 印刷メッセージ付きDM

「新作の『ネグレクティッド・ワイフ』をご覧にはなられましたか。必ずやお気に召すものと信じております。これまでに自分の主演した連続物で一番の出来映えと自負しております。メーベル・ハーバート・アーナーの脚本は地に足の着いた興味深い内容で、私の演じた”寂しい女”の役どころもまことに素晴らしいものとなっています」

I want you to see « The Neglected Wife » because I know you will like it. It is the greatest serial I have ever played. « The Woman alone » is the part I play and it is truly wonderful because Mabel Herbert Urner’s story is interesting and so true to life. Ruth Roland

パテ社が自社配給作品の『ネグレクティッド・ワイフ』宣伝のため直々に製作した絵葉書で、写真面に二色刷りのイラスト、メッセージ面には主演ルース・ローランドの「手書き風」メッセージが印刷されており、下に青のインクで「1917年5月13日公開」のスタンプあり。

1917年6月12日に投函。受取人はロンドン、ブロックリー在住のエイミー・リチャードソンさん。

当時まだ俳優の公式フアンクラブなどはなく、所属会社に届けられたファンレターなどから住所氏名をリストアップしデータベースを作り、DMを送ることで効率良い宣伝をしていたのではないか、と思われます。

[サイズ]
15.5 × 11.5 cm

[IMDb]
The Neglected Wife

1917 – 9.5mm マリー・オズボーン主演 『雙兒のキッディー』(ヘンリー・キング監督)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

[

マリイ・オスボルヌはこの喜劇の中でドリイと而して偶然が接近させたゼイチイの二人の小娘の兩役を立派にやつてゐます。でその所演から二人は互ひの着物を取り替て樂しみその樣子に騙された兩親等はそれを取り違へそれでその間違ひはいろの面白さを我々に與へるのであります。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

ハリウッドの重鎮ヘンリー・キング監督が、キャリアの最初期に出演を兼ねながら監督していた短編喜劇の一つ。以前サイン入り写真を紹介した初期の子役マリー・オズボーンを主演に据えています。

内容は瓜二つの少女(オズボーン二役)の取り違えの喜劇。裕福な実業家の娘として生まれながら誰にも愛されずいつも不機嫌な顔をしている少女フェイと、母を持たず貧しくとも健気に暮らしているベッシーが水辺で出会い、戯れに服を交換したことから取り違えられてしまい…と展開していきます。

オリジナル版はフェイの父親が所有する炭鉱のストライキなど格差社会や労働問題にも触れられていたようですが9.5ミリ版は取り間違えの場面を中心に簡潔にまとめています。

[タイトル]
Deux Rayons de soleil

[原題]
Twin Kiddies

[公開]
1917年

[IMDB]
Twin Kiddies

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
757

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 10m *4リール

大正6年 (1917年) 仏連続活劇『ジュデックス』小説版

「ルイ・フイヤード関連コレクション」より

1917 Judex (Arthur Bernède & Louis Feuillade)
1917 Judex (Arthur Bernède & Louis Feuillade)

第一次大戦中の1917年に公開されて人気を博した連続活劇『ジュデックス』の小説版。

映画の各エピソード公開と同時進行で小冊子として売られていたもので、映画の完結後にハードカバー版が作られていました。こちらはそのハードカバー版で全12章、288頁あります。

同作は先行する『レ・ヴァンピール(Les Vampires)』の成功を受け、ほぼ同一キャストで作られた活劇でした。『レ・ヴァンピール』が活劇の伝統を受け継ぎ、一話一話の完結性が高く、目まぐるしいアクションを繰り出していく手法を採用していたのに対し、『ジュデックス』はより静かな復讐譚の形式を取っています。

物語はかつて冷酷な銀行家(ルイ・ルーバ)に騙されて父親を失ってしまった兄弟(ルネ・クレステとエドゥアール・マテ)による復讐物語として始まります。クレステ演じる義士「ジュデックス」は銀行家を単純に成敗はせず、とことんまで苦しめようと城の一角に軟禁。しかし銀行家の娘ジャクリーヌ(イヴェット・アンドレヨール)への恋愛感情が芽生えてくる中で自分の行為に疑問を抱くようになり始めました。一方銀行家の資産を狙い暗躍する一派(ミュジドラ)がジュデックスとジャクリーヌ双方を狙い始め、物語は南仏での死闘へなだれこんでいきます。

仏ゴーモン社にとっても大きな企画だったようで、小説版は当時人気の高かった大衆作家アルチュール・ベルネード(『ルーヴルの怪人』原作者)に依頼、けだし名文家ではないものの、こなれた筆致で映画世界を小説に落としこんでいきます。

1917-judex-cover-02

[出版年]
1917年

[出版者]
ルネサンス・ドュ・リーヴル

[ページ数]
288頁

[サイズ]
16.5 x 24.5 cm

1917 – スーパー8 『移民』(Bネガ 東和版 1970年代初頭)

「8ミリ 劇映画」より

手持ちとしては4種類目となる『移民』のプリント。チャップリンがミューチャル社と契約していた時期に制作された作品はしばしば「ミューチャル短編」と括られます。しかし実際にミューチャル社のロゴを持つ最初期のプリントは『午前一時』を除くと見つかってないそうです。

1917-the-immigrant-jp-super8-06
(左)東和版8mm (中)UK版9.5mm(右)フリッカー・アレイ版DVD

左二つは国外向けBネガ由来で、船酔いした左のロシア人がカメラを見ています。右のAネガ由来のDVDではチャップリンがカメラを直視しています。


credit
« Towa Company, Ltd.
Presents »

ネガやアウトテイクの流れをタイムラインで追っていくと次のようになります。

1919年、『移民』の制作元であるローン・スターフィルム社がミューチャル短編をクラーク・コーネリアス社に売却。この売却には米国内用のネガ(Aネガ)、輸出向けネガ(Bネガ)、さらに75万フィートに及ぶアウトテイクが含まれていました。

クラーク・コーネリアス社はロゴと字幕を新たに作り直し「チャップリン・クラシック・デラックス」シリーズと名付け、1920年から米国内での再公開を行っていきます。クラーク・コーネリアス社は1923年に一度発展解消、CCピクチャー社と名前を変えます。それでも「チャップリン・クラシック」のロゴは生き続け、1925年まで国内各地で上映が続けられていきました。

しかし時代に波にのまれ次第に売り上げは低迷、多額の負債を抱えたCCピクチャー社は借財返済のため二種類のネガとアウトテイクをオークションにかけます。1925年3月、国内向け/輸出向け2種類のネガの版権を買い取ったのがルイス・オーバック(Louis Auerbach)でした。同氏は自身が社長となり設立したミューチャル・チャップリン社に権利を売却します。

この時期に米コダスコープとの話が持ち上がり同社が16ミリのレンタル権を取得します。また国外向けに仏パテ/英パテスコープとの契約が結ばれ9.5mm形式のフィルム販売が行われていきます。両者の元になったのはチャップリン・クラシック版ですが16mm/9.5mmいずれも元々の形ではなく、細かな改変が行われたそうです。

1917~18年に実写されていたミューチャル版が発見されれば全ては解決されるはずですが、それが叶わない現在、1920年代前半に使用されていた「チャップリン・クラシック」を元に「正規版」の再構成が行われています。2014年にフリッカー・アレイ社から発売された『チャップリンのミューチャル喜劇 1916-1917』に至るまで、専門家が集まってできる限りオリジナルに近づけようとしているのです。

しかしながら「チャップリン・クラシック」版をベースにしていくと足りないパーツがあるようだ、ということが分かってきます。1917年のオリジナル公開時、著作権登録のために作品を要約した文章が残されていて、そこに書かれている幾つかの場面が見当たらないのです。

例えば(1)冒頭、船上でチャップリンが船酔いしたロシア人と出会った後、臭気に耐え兼ね船の逆側に逃げ出したところ、母に背をさすられ嘔吐している息子の場面があったとされています。また(2)食堂でヒロインと出会ったチャップリンが、食堂を出た後の場面があったとも記されています。

この場面は現時点では確認されておらず、フリッカー・アレイ版のDVD/ブルーレイにも収められておりません。ただ、数人の専門家が「昔TVで観た版にはあった」と記憶を頼りに証言。しかもその一人は「2000年頃、日本のテレビで見た『移民』にその場面があった」とのこと。

Two missing scenes from the Flicker Alley’s 2014 Blu-ray/DVD version. (left) « with his mother’s assistance he manages to empty the contents of his anatomy in a series of volcanic spasms »(right) « … necessitating a hasty grip on his mouth and a dash to therailing outside »

「ノーカット版」とされた今回の日本語字幕版8ミリはその意味で興味深い物でした。実際に「母親が嘔吐する息子の背中をさすっている場面」「食堂から出ていくチャップリンの後ろ姿」、他にもフリッカー・アレイ版に存在していない短い場面が幾つも含まれています。

食堂でのチャップリン/エドナを捉えている角度から、この8mmプリントがBネガ(輸出用ネガ)を元にしているのも確認できます。『移民』の日本初公開は1918年ですので、その際に輸入されたプリントから派生してきたものであるとすると「チャップリン・クラシック」以前、ミューチャル社配給によるプリント(ただしBネガベース)なのかなという印象です。

1917-the-immigrant-jp-super8-09
1917-the-immigrant-jp-super8-10

(left) Japanese super8 (center) UK pathescope 9.5mm (right) Kodascope 16mm

同じBネガ由来の英パテスコープ版と比べてみると、UK版はアスペクト比(縦横比率)がおかしくなっていて、やや横が圧縮されていると分かります。東和版のエドナの方がややふっくらして見えますがこちらが元の比率。ただしトリミング幅も大きいです。コダスコープ版はAネガ由来のため撮影角度が異なっています。

正規版は本国初公開版(Aネガ)の再構成を目指していてBネガの出番はあまりないとも言えます。また2リール物=約24分程度にまとめたい、という整合性の問題も発生します(東和版は30分ほどの長さ)。それでも、本国の専門家すら見たことのない場面が日本のお茶の間で普通に放送されていたのが面白いところ。子供の頃に何度も見たあの『移民』にはお宝が隠されていたのでした。

参考文献
Chaplin’s Vintage Year: The History of the Mutual-Chaplin Specials / Michael J Hayde (2014年) Google Booksにて購入

大正6年(1917年) ルース・ローランド主演 『ネグレクティッド・ワイフ』 宣材 印刷メッセージ付きダイレクトメール

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パテ社が自社作品の『ネグレクティッド・ワイフ』宣伝のため直々に製作した絵葉書で、1917年6月12日に投函された消印があります。受取人はロンドン、ブロックリー在住のエイミー・リチャードソンさん。

「新作の『ネグレクティッド・ワイフ』をご覧にはなられましたか。必ずやお気に召すものと信じております。これまでに自分の主演した連続物で一番の出来映えと自負しております」

などなど、メッセージ面には主演ルース・ローランドの「手書き風」メッセージが印刷されており、その下に青のインクで「1917年5月13日公開」のスタンプあり。

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当時の映画会社の宣伝活動については十分な研究は残されていないようです。届けられたファンレターなどから住所氏名をリストアップしていき、この種のDMを送ることで効率の良い宣伝をしていたのではないか、と思われます。

葉書の縁に一か所大きな欠けがあって、ピンで留めていた跡から破れたものではないか、と。見えるところに留めていた位ですので、費用や労力をかけるだけの宣伝効果はあったようです。

1917 – Standard8『二重十字の秘密 第8章』

巨額の遺産の謎を追い、ブリジェイ一味の悪行を暴こうとしているピーター。新聞記者のディックの協力を得て悪党一味の拠点へと侵入するが見つかって小部屋へと閉じこめられてしまう。覆面男の手を借りて魔手を逃れ、金庫の書類を狙ったブリジェイを阻止しようと向かうのだが逆に返り討ちにあい、警察に捕まって留置されてしまう…

15話物の半ばまで差し掛かり、登場人物も一通りそろう形で物語は佳境へと進んでいきます。

[原題] The Mystery of the Double Cross Ch. 8 : Stranger Disposes

[製作年]
1917

[IMDB]
tt0008355

[メーカー]
Blackhawk

[フォーマット]
standard8

1917- standard8『二重十字の秘密 第5章』

「8ミリ 劇映画」より

第5章は「生の流れ」と名付けられています。

相続の謎を握る「二重十字の娘」がフィリッパ(モリー・キング)だと信じたピーターとブリジェイは女性にアプローチを始めます。どちらに好意を寄せているのか分からず、場面によって正反対の態度・発言を見せる謎めいたフィリッパ。もう一人そっくりさんの女性が出てきそうな展開です。

後半は悪党一味によって捕らえられたピーターが覆面の男によって助けられます。病院へと運ばれたピーターと手術を妨害しようとする悪党たち。奸計をいかに阻止するか。

エピソードの冒頭ではブリジェイ一味に協力する黒髪の女性が新たに登場。クレジットがありませんが、1920年に若くして亡くなった女優クラリン・シーモアさんではなかろうかと思われます。

[原題] The Mystery of the Double Cross Ch. 5 : Life Current

[製作年]
1917

[IMDB]
tt0008355

[メーカー]
Blackhawk

[フォーマット]
standard8

1917- standard8『二重十字の秘密 第3章』

「8ミリ 劇映画」より

1917年に公開されたモリー・キング主演の連続活劇。

遺産相続のため故郷に戻ろうとしていた青年ピーター・ヘイル(レオン・バリー)が客船で謎の女性(モリー・キング)と出会い、その魅力に惹かれながら遺産を巡る悪党一味の暗躍に撒きこまれていく物語です。

本作は全エピソードが現存している数少ないハリウッド連続活劇のひとつ。今回は全15章のうち3章分を手に入れることができました。

第3章は『余命は一時間(An Hour to Live)』と題されています。悪漢に拐かされたピーターが体を固定され、時限装置付きの拳銃で頭部を狙われます。覆面男の活躍で一命を取りとめるまでが大きな流れで、サイドストーリーで遺言状や「二重十字の娘」の謎が解き明かされていきます。

[原題] The Mystery of the Double Cross Ch. 3 : An Hour to Live

[製作年]
1917年

[IMDB]
tt0008355

[メーカー]
Blackhawk

[フォーマット]
standard8

大正6年公開『シーザーの御代』 セダ・バラ&サーストン・ホール直筆署名

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

1917年セダ・バラ直筆サイン1917年サーストン・ホール直筆サイン

一千九百八年、アントアンヌ座で初舞臺を踏んだ。四年を経て米國へ歸ると直にフォックス會社と契約して映畫界に身を投じた。第一回の作品は、フランク・ボーエル氏の監督の下に井口誠氏などと共演した「馬鹿者」であつた。

嬢がヴァンパイア(妖婦役)女優として最も巧妙な技能を有して居る事を認められるに至つたのは、名歌劇「カルメン」を演じて以来の事である。ヴァンパイア女優多しと雖も嬢の右に出づる者は絶無だと云はれて居る。しかし、一千九百十六年に制作した「ロミオとヂュリエット」では、ヂュリエットを演じて相當の効果を収めたと傳へられて居る。

主な作品としては「クレオパトラ」「悪魔の娘」「オードリー夫人の秘密」「手管女」「巴里の花」などが列擧される。其他「サロメ」「カミル」「永遠のサフォ」「牝狐」「罪」「ヂュ・バリー夫人」「莫連女」など總て妖婦役ばかりである。最近に制作されたものには「光」「蛇」などがあるが、「蛇」は平尾商會の手に依つて先頃本邦に輸入されたが上場禁止を見越して米國へ送り返された。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

『シーザーの御代』(大正6年)の公開時、販促イベントの折に出演者(セダ・バラとサーストン・ホール)がシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』の書籍ページの切れ端に直筆サインを残しています。頭文字Tを書くとき、万年筆の先端が紙に引っかかった跡がリアルです。

Theda Bara (1885 – 1955)

[IMDb]
nm0000847

[誕生日]
7月25日

Thurston Hall (1882 – 1958)

[IMDb]
nm0356159

[誕生日]
5月10日

ブライアント・ウォッシュバーン Bryant Washburn (1889 -1963) 米

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サイレント映画時代から第二次大戦後に渡り350を超える作品に出演、晩年は渋みのある性格俳優に成長を遂げていきましたが、1910年代は品のある青年として多くの作品に主演しています。

Bryant Washburnin A Very Young man (with Helene Chadwick)

「季節のご挨拶です(Greetings of the season)」の一文を含めた献辞とサインは1917年に書かれたものです。

[IMDB]
nm0913341

[誕生日]
4月28日

[出身]
米国

[コンディション]
A-

エニッド・ベネット Enid Bennett (1893 – 1969) 豪/米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Enid Bennett

一千九百十六年の十月、米國に渡つて紐育市に興行中、恰度その時紐育に来て居たトライアングル會社のトーマス・エッチ・インス氏に認められて、映畫劇の俳優たる可く勸誘された。斯うして、嬢はインス氏と共にローサンゼルス市に行き、トライアングル會社のケービー映畫に出演する事となつたのである。その第一回作品は「闇の王女」といふ現代劇で、嬢はフェイ・ヘロンといふ役を勤めた。嘗てキネマ倶樂部に上場された「オパルの輝き」は第二回目の作品である。

一千九百十七年、インス氏が全所属俳優を率いてパラマウント映畫部の爲めにインス特作品を製作するやうになると、嬢も亦これに従つてパラマウント映畫部に轉じた。そしてインス映畫に出演した。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

エニッド・ベネット(イーニッド表記あり)のサイン2枚目。裏に手書きで「1917年4月」の日付が入っています。写真そのものは中央に現像され、余白を広めに取って縁が額縁になるよう加工されています。

20年代女優のイメージが強かったため1917年の日付は驚きでもありました。初主演作の公開が同年1月。レースの帽子など衣装にヴィクトリア朝風の雰囲気が残っています。

Enid Bennett 1917 Autographed Photo

ナオミ・チルダース Naomi Childers (1892 – 1964) 米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Naomi Childers 1917 Autographed Photo
Naomi Childers 1917 Autograph

ヴァイタグラフ社を中心として活躍、1910年代後半に人気のあった女優さんでした。「ギリシャ風」とも形容され重みのあるシリアスな作品にも耐える雰囲気と演技力を備えていたのが武器でもありました。

20年代以降は忘れ去られていきますが、トーキー時代に不遇な状況におかれている彼女をMGM社のトップ、ルイス・B・メイヤ-が発見。助けるために同社が終身雇用契約を結んだというエピソードも残されています。

1915-11-17-st.louis-post-dispatch-naomi-childers
セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙1915年11月17日付の婚約報道

1916-09-18-st.louis-post-dispatch-naomi-childers
セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙1916年9月18日の特集記事。

1921-07-15-naomi-childers-robbed
セントルイス・スター&タイムス紙1921年7月15日付より。女優がホテルで盗難被害に遭った際の記事

1917 – 9.5mm『無法者』 (ウィリアム・S・ハート主演作品)

ジョン・ウェインの登場(1929年)以前に米の西部劇を代表していたのがウィリアム・S・ハートです。人生の疲れを知った大人の部分と、無邪気な童性が溶けあっていて、無法者の側にも立っても秩序の側に立っても物語を組み立てていける懐の広さがありました。

1917年公開の『ガンファイター(The Gunfighter)』を9.5㎜用に縮約したのがこの『無法者』です。冒頭、銃口がこちらを睨み付けているショットや、仲間と一緒に酒場へやってきたハートがカメラににじり寄っていく場面など見せ場が多い良作。

[タイトル]
The Outlaw

[原題]
The Gun Fighter (1917)

[IMDB]
tt0008036

[メーカー]
米パテックス社

[カタログ番号]
10038

[仏パテ社版カタログ番号]

[フォーマット]
60フィート×3(ノッチ有)

リダ・ボレッリ Lyda Borelli (1884 – 1959)

1910年代中盤イタリアのディーヴァ映画をそのまま体現したような女優さん。

激情のピナ・メニッチェリ、妖艶なベルティーニに対し、倦怠感と退廃を強く押し出した演技スタイルが特徴で、『マロンブラ』(Malombra、1917)などで真価が発揮されています。

Lyda Borelli 1917(?) Postcard Inscribed to Mr Rodriguez

[IMDB]
nm0096330

[誕生日]
3月22日

[出身]
イタリア

[サイズ]
8.7 × 13.6cm

[コンディション]
B+

[入手年月日]
2015年2月21日