1918 – 『ぶどう月』 (ルイ・フイヤード監督) 撮影風景写真3枚

「ルイ・フイヤード」より

1918 - Vendémiaire (Louis Feuillade)

« Vendémiaire » (1918, Gaumont, dir/Louis Feuillade)
3 photos de tournage (3 behind-the-scenes shots with annotations on back)

第一次大戦終戦の大正7年(1918年)に撮影され、翌8年(1919年)に公開された劇作品『ぶどう月』撮影中の写真三点。販促用スチルではなく、撮影関係者が内々のやりとりで保管していたオフショットで、ここにある以外現存していない資料と思われます。

フイヤード監督の作品は1)初期習作(1913年まで)、2)前期活劇(1914~17年)、3)後期活劇と逝去(1922年まで)の大きく三つに分けることができます。

『ファントマ』『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』『続ジュデックス』など大戦中の作品で仏活劇に旋風を巻き起こした後、戦後から作風に変化が見られるようになってきます。『ティーミン』や『バラバス』といった後期作品は、アクションの要素を抑えドラマの流れや一貫性を重視し、さらに幻想色を加えたものに変わっていくのです。

前期から後期への橋渡しとなった作品が『ぶどう月(Vendémiaire)』でした。 この監督は「フイヤード組」と呼ばれた固定メンバーを軸に作品作りを進めるのが常だったのですが、終戦の前後に大きな入れ替えがありました。『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』で存在感を見せたミュジドラ、喜劇の要素を加えていたマルセル・ルヴェスクの二人が一座を離脱。その代わりにアジア風の繊細さを持つ女優マリ・アラルドが加入、ルヴェスクの代わりに若い喜劇俳優ビスコが参加します。また『ジュデックス』主役を演じたルネ・クレステもこの後しばらくして『ティーミン』製作後に離脱しています。

『ぶどう月』はマリ・アラルドやビスコが初めて登場したフイヤード作品となります。

『ぶどう月』の物語は、軍隊を離れ、新たな生活を始めようと南仏にやってきた退役軍人(ルネ・クレステ)を軸に進んでいきます。盲目の貴族(エドゥアール・マテ)が所有するワイン園で雇われるのですが、ジプシーと間違われ追い払われそうになっていた貧しい未亡人(マリ・アラルド)を助け、次第にロマンスが生まれてきます。一方では敗走したドイツ兵(ルイ・ルーバ)が身分を偽ってワイン園に潜りこみ、盗みを重ねながらその罪を貧しい未亡人に押しつけようとしていく。未亡人の濡れ衣を晴らすため主人公は…という展開を持つ映画です。

冒頭、主人公はブドウ園の管理人に身分証明書を見せ、雇ってもらうことに成功します。この時ジプシーと勘違いされ雇用を断られた女性に話を聞くと、大戦で夫を亡くしたばかりとのこと、クレステはブドウ園の管理人に話をし、「ジプシーではなく英雄の妻だ」と誤解を解いてあげました。

ゴーモン社所有のプリントでは以下のような映像が続いていきます。

主人公を演じたクレステを中心に、未亡人を演じたマリ・アラルド、管理人を演じたエミール・アンドレを左右に配して撮影されたのが一枚目の写真。作中でマリ・アラルドは頭に布を巻いていましたが、こちらでは首の後ろに下ろしています。

この後悪役ドイツ人が登場、国籍を偽って農園に入りこみ、窃盗を繰り返していきます。途中にベルギー人の同僚が内緒話をしているのを見つけ、小耳を立てる場面がありました。

悪漢を演じたルイ・ルーバを撮影したのが二枚目の写真です。映画では正面と真横からのアングルでしたが、写真は斜め前からのアングルになっています。

最後の一枚はカメラマン。今回「1895」誌のフイヤード特集号に収められていた写真から『ジュデックス』等でも撮影を務めたレオン・クラウス氏と特定できました。

3枚の写真の裏面にはいずれも手書きの説明が付されています。


クレステがブドウ園管理人の元に薄汚れた女を連れて行く。管理人と握手を交わす。女に罪はないと信じていた。

Cresté amène la caraque auprès du régisseur, qui va lui serrer la main: il croit à sa innocence

René Cresté (Judex)


ベルギー人のおしゃべりを盗み聞きしているドイツ人

le boche écoute les belges parler


カメラを「回している」連中の一人

un de ceux qui « tournèrent »

別投稿で紹介したルネ・クレステ直筆の年賀メッセージ葉書と同じ出所で、1919年頃にクレステと親交のあった関係者が保管していた資料の一つです。

この3枚と同じ撮影者の手によるもう1枚の写真も併せて紹介しておきます。

『ぶどう月』に該当する風景・人物は登場していませんが、同時期に南仏の農村で撮影された一枚で間違いなさそうです。カメラマンがスチル撮影を手掛けた合間に見かけた農夫たちを撮ったのではないでしょうか。井戸のデザイン、人々の雰囲気など妙に心を揺すぶる何かがあります。

[IMDb]
Vendémiaire

[Movie Walker]


[公開]
1919年1月17日

1918-1930 – DVD 『アウグスト・ジェニーナ作品集』(2020年、チネテカ・ディ・ボローニャ)

« Augusto Genina : Quattro film 1918-1930 »
(2020, Cineteca di Bologna)

ルイーズ・ブルックス主演作『ミス・ヨーロッパ』の新リストア版を含むDVD2枚組+ブックレット。収録作は以下の4作:

1)『さらば青春』(1918年、マリア・ヤコビニ&エレナ・マコウスカ他出演) Addio giovinezza!
2)『仮面と素顔』(1919年、イタリア・アルミランテ主演) La maschera e il volto
3)『さらば青春』(1927年、カルメン・ボニ&エレナ・サングロ他出演) Addio giovinezza!
4)『ミス・ヨーロッパ』(1930年、ルイーズ・ブルックス主演) Prix de beauté

ブックレットはイタリア語/英語によるもので、専門家による作品各論4編、主要俳優紹介、書き下ろしサントラ紹介を中心とした構成となっていました。

『ミス・ヨーロッパ』新リストア版よりルイーズ・ブルックス

旧版の低画質が指摘されていた『ミス・ヨーロッパ』の新デジタル化も朗報ながら、初期イタリア青春映画の秀作としてその名を語り継がれてきた1918年『さらば青春』を手の届くものにした功績は計り知れないものがあります。ジェニーナ監督の作風変遷、さらには第一次大戦後のイタリア映画変貌を理解していく手だてにもなり2020年に発売されたサイレント映画関連DVDでは最も重要な一枚になると思われます。

[出版年月日]
2020年8月27日

[出版者]
チネテカ・ディ・ボローニャ(Cineteca di Bologna)

[ISBN-10/13]
8899196672
978-8899196677

[再生時間]
338分

[フォーマット]
14.4 x 1.4 x 19.7cm 270g

1918 – 『さらば靑春』 (イタラ映画社、アウグスト・ジェニーナ監督) 説明・丸山章治

Addio giovinezza! (1918, Itala Film, dir/Augusto Genina)
Japanese Benshi Narration by Maruyama Shôji (from 1986 Cassette Compilation « Oh Katsudo Dai-Shashin »)

はるばる片田舎から出てきてトリノ大學へ入學したばかりのマリオは 近眼でお人好しの友人レオンと一緒に下宿を探していました。
「あ、ここに下宿があるぜ。聞いてみやうぢやないか」
ドアをノツクすると扉を開けて美しい娘が出てきました。
「あの何か…御用ですか」
「部屋を借りたいんですがね。見せていただけますか」
「ええ、どうぞ。今母を呼んできますわ」

「おい、マリオ。僕は近眼で良く見えないんだがね。どんな人だ」
「え」
「おい、教えろよ。美人か、美人なら俺がこの部屋を借りるよ」
「まあさう興奮するなよ。この部屋は君のやうな金持ちには相応しくないから…僕が借りるよ」
たうたうマリオが部屋を借りて仕舞ひました。

この家の一人娘のドリナは新しい下宿人のマリオに心を惹かれ、用事にかこつけてはしばしばマリオの部屋に入つてきます。
「あのお、お水を持つてきました」
「ああ、ありがたう」
マリオの方でも強いて平静を装つてはいますが内心はわくわくして勉強も上の空です。
「あのお、他に何か御用御座いません」
「ええ、別に」
話の継穂もなく仕方なく出ていかうとすると「あ、ちよつと」
「御用ですか」
「あの、君に云ひたかつたんです」
「何ですか」
「君の名前…良い名前だと僕は思つて居ます」
「あの、仰りたい事はそれだけですの」
「いやつまり…云ひたかつたのは…君が好きだつて事です」

この愛の告白に始まり二人は急速に愛し合うようになつて、幸福な三年が過ぎ去りました。
ところが不図した事からマリオは金と暇を持て余している有閑夫人のエレナと親しい間柄になつてしまいました。
ドリナは自分から離れていくマリオを取り戻したい一心から、或る日マリオを訪ねてきたエレナに会ひました。

「あたし奥様にお話があります。奥様にとつてはマリオは只の遊び相手に過ぎませんけれども、あたくしにとつては命です。どうかあの人をあたしから奪らないでくださいまし。奥様はあの人をよくご存じないんです。あの人本当は貧乏な学生です。御覧ください、この下着や靴下。みんなあたくしが何遍も繕ってあげたものばかりです。奥様みたいな御身分のある方に相応しい人ではありません。お願いです、あの人を奪らないでくださいまし」
「まあ、さうだつたの。貴女、あの人を愛しているんですね。ええ、分かりました、もう二度と会いません」
このことがマリオに知れて、腹を立てたマリオは下宿を移つてしまつた。

そして二月の後、友達がドリナに「あんたのマリオさんが学位を取つたんですつてね。あら、あんた知らなかつたの。今日郷へ歸るつて話よ」。
聞いてドリナがびつくりしました。
あれ以来ドリナは一日として彼を忘れたことはなかつた。もし今彼に会わなかつたら二度と会えなくなるのではないか。さう思ふと居ても立つてもいられなくなつて足は自然にマリオの下宿へと向かひました。

おそるおそるドアを開けると、中にいたレオンが「あ、誰。あ、ドリナ。今もマリオと君の噂をしていたところだよ。よく來てくれたね。…おいマリオ、ドリナだよ。何をもじもじしているんだ。二人とも何とか云つたらいいだらう。え、どうしたんだ。…ははあ僕がいては邪魔か」、気を利かせて出てきました。


「マリオ…」
「ドリナ、もう会えないかと思つていたよ」
「あたしもよ。お郷にお歸りになるんですつて」
「父と母が待つているんだ」
「お願いです、いかないでください。あたし、貴方を愛しています」
「いや僕はまた歸つてくるよ。もう一度必ず歸つてくる積りだ」
しかし、果たしてマリオは歸つてくるであらうか。

マリオを乗せた列車が今橋の下を通り過ぎていく。ドリナは抱えていた花束を列車に投げた。列車はその花束を乗せて遠く過ぎ去つていく。過ぎ去つた靑春は二度とは戻つてこない。靑春よさらば、さらば靑春よ。

説明・丸山章治
(『⦅映画渡来90年記念⦆ おお活動大写真』 カセットテープ版 1986年)

昨年キングレコードよりCD版が復刻された『おお活動大写真』より丸山章治氏による『さらば靑春』の弁士解説。ライナーノートで触れられていたようにいわゆる弁士の語りといっても一様ではなく、丸山氏は平易な表現で穏やかに進んでいくスタイルを取っています。

1918 – 『侠艶録』 (日活向島、田中栄三監督) 絵葉書2点 東猛夫・藤野秀夫主演

「まア、何うしたんだらう。こんなに詰まつちやつて。」と、懐紙を出して͡紙撚を撚り初めた。覺束無い手許を留守にして、ちらちらと男の顔を見てゐたが、ふと思ひついた様子で、
「アゝ、貴方も一つ撚つて下さいな。」
「僕は紙撚なんかうまく撚れないよ。」
「そんな事を云はないで。どうぞ只一本でいゝんだから。」
「下手ですよ。」
「下手でもいゝからさ。貴方が撚つたんでなくちや不可ないからさ。」
「面倒臭いね、種々の事をいふ人だなア。」と澁々ながらも、撚つて出した紙撚を力枝は受け取つて自分で撚つたのと合せて二つに折り、向かいの端を男の鼻先に突き付けて
「済みませんがね、どつちでも貴方の好きな方を結んで引いて見て下さい。」
「斯うですか」と男が結んで引いたのを見て、
「オヤ、結ばつた!」と首をすくめて鼠鳴きしたのであつた。
「夫は何です?」と男は不思議さう。
「縁結び!」
「下らん事を云つてゐる。」と男は苦笑して立上つた。

『侠艶録』(佐藤紅緑著、新潮社、1912年)

Azuma Takeo as Rikie (Left) and Fujino Hideo as Fujio (Right)

Azuma Takeo as Rikie Holding Her Baby

1912年に出版された佐藤紅綠の同名小説を映像化した日活の新派映画。

一枚目の絵葉書は木橋で思いつめた表情を浮かべていた文学青年・富士雄(藤野秀夫)の自殺を女役者・力枝(東猛夫)が思いとどまらせた場面に続く「縁結びの紙撚(こより)」のエピソードに一致。

二枚目は小説版に対応する描写はないものの、単なる立姿ではなく赤子を抱えているように見えます。力枝が役者稼業との両立に苦労しつつ、富士雄との間に生まれた愛児を懸命に育てている場面に相当すると思われます。

富士雄は爵位を持つ一家の跡取り、親の決めた許婚もいる設定でした。力枝と所帯を持ち、子供を設けるも父の死をきっかけに実家に戻らざるを得なくなります。力枝は母親の画策から子供を勝手に里子に出されてしまい孤独の内に次第に正気を失っていく。物語は力枝の現状を知った富士雄がそのもとに駆けつけることで収斂していきます。

1910年代中盤~20年頃まで隆盛を誇った日活向島の新派作品は現存数が少なく映画史でもあまり大きく取りあげてこられなかった流れでした。それでも2011年末に早稲田大学において「日活向島と新派映画の時代展」が開催され、2016年に東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイヴ)がスチル写真群をまとめて紹介するなど再発見・再評価の動きも見てとれます。

日本映畫は山本嘉一、東猛夫、衣笠貞之助、藤野秀夫一派の日活向島の新派[…]が創始以來相當の年月日を經ながら只撮影技巧等に幾分かの進歩の跡を示したのみで、映画劇の要素であるべき劇筋の思想、俳優の演技、監督術といつた方面には全然無關心で只無暗矢鱈に制作をつゞけてゐたといふに過ぎない。

「日本映畫界の成長」 井關種雄、枕野流三(『映画大觀』、1924年所収)

1920年代以降の邦画近代化の途上、先行の新派映画は否定される運命を辿りました。この時期の言説(「映畫劇としては全然価値のない舞臺劇をそのまゝカメラに収めたに過ぎないといつていい低級な舊劇や新派」)は現在の映画史観にも影を落としてます。1920年代のトレンドがそのまま日本映画史の勝者=正統になったため、新派映画や連鎖劇などの敗者に復権の機会を与える言説の環境を構築しにくい、という話なのだと思います。1910年代中頃の欧米映画(アメリカ、フランス、デンマーク、ロシア、イタリア)も十分舞台がかっていますがそれはそれで別枠の評価を出来る訳ですしそれならば新派映画も同じはず。

ちなみに学究肌で誠実ではあるが心ならずも妻と子供を捨ててしまう男、夫と子供を失い理性を失っていく女の関係性は『ファウスト』と同一です。そもそも『ファウスト』自体、魔=メフィストが差して女と子供を見捨てた男とその魂の救済を描いた「下種」な物語でした。『侠艶録』では感情の機微や描かれる風景に和の感覚があって、しかも明治期の和洋折衷感覚を残した独特の混ざり方をしています。

[JMDb]
侠艶録

[IMDb]
Kyôenrokû

ゴンバセージ・フリーダ (Gombaszöghy/Gombaszögi Frida, 1890 – 1961) と『私は死にたい』(1918年、アンタルッフィ・シャーンドル監督)

絵葉書と『演劇生活 Színházi Élet』誌から見る
1910年代ハンガリー映画(02)

1890年生まれ。1909年演劇学校卒業後に舞台女優の活動を始め、1910年代中盤にかけ知名度を上げていきます。1916年にコメディ劇場(Vígszínház)付き女優となり、翌年から主役が付き始め以後1933年まで同劇場花形として活躍します。

コメディ劇場(Vígszínház)と契約後 初めて「演劇生活」誌表紙を飾った1916年第8号(2月)

同劇場で花形となり
「演劇生活」誌1917年第1号の表紙を飾る

1918年末、アンタルッフィ・シャーンドル監督・主演作
『ボディガード(A testõr)』でヒロインを務める

1919年に一青年による襲撃を受け、顔面部を撃たれるという事件の被害者となりました。著名な整形外科医エルネー・ラースローによる施術で傷はほとんど見えない状態まで回復しましたが、しばらくの間休業を余儀なくされます。事件当時、『演劇生活』誌では「病気による数ヵ月の療養」と説明されており襲撃の事実は伏せられていました。

1922年にハンガリー新聞業界の大物ミクローシュ・アンドール氏と二度目の結婚。同氏が1933年に亡くなった後に事業を引き継ぎ女優業から一旦は引退。戦後になって演劇活動を再開し1961年に亡くなっています。

1917〜20年にかけ数作の映画に出演。確認できる限り最も古い出演作はマイケル・カーティスの初期作『Farkas』(1917年)。その後レックス映画社(Rex Filmgyár)で無名時代のポール・ルーカス(Lukács Pál)と共演。1918年に公開された『私は死にたい(Vorrei morir)』が現存しハンガリー国立映画協会がVimeoで公開しています。舞台色の強いメロドラマながらバストショット〜クローズアップでの感情表現は質が高く見るべきものがあります。

[IMDb]
Vorrei morir

[Hangosfilm]
Vorrei morir

1918 – 『演劇生活』誌 28号〜39号(7~9月) 合本 « Színházi Élet »

1918-szinhazi-elet- (1)

1910年に創刊されたハンガリーの演劇週刊誌。18年夏〜秋の12冊を合本にして愛蔵版としたもの。グラビア、新作劇の紹介・講評、劇中歌の楽譜や諸々のエッセイ、広告を含んだ内容です。1冊の紙数は52ページで12冊だと600頁になります。

第一次大戦の負け戦がほぼ確定となっていて、オーストリアのハプスブルグ家から独立し共和国となる(1918年11月)直前、国として大きな岐路に立っていた時期に当たります。エンタメ誌ですので政治の話はされていませんが、ハンガリー俳優がハンガリー語で演じた劇を扱った雑誌が売れるようになった状況そのものが文化アイデンティティの自覚とつながっていたのでしょう。

終戦後、国内に平和が戻ってくるとハンガリー演劇はさらなる盛り上がりを見せ、アイドル的な雰囲気を漂わせた若手も目立つようになってきます。今回入手した雑誌はその直前でガチの演劇人が多く登場してくる印象があります。

またこの時期にハンガリーでも映画産業が拡大しておりグラビアや特集で登場してくる役者たちも多かれ少なかれ映画と接点を持っていました。手元の合本でも幾つかの記事で映画作品や映画会社が取りあげられています。20年代には舞台と映画の棲み分けがはっきりしてくるので過渡期的な状況と見ることもできます。

◇◇◇

ハンガリー初期映画に関わる記事や写真を幾つかピックアップしてみます。

1918-szinhazi-elet- (28)

35号ではマイケル・カーティス監督の初期作『99』が取りあげられています。後にハリウッドに渡って初代ドラキュラとなるベラ・ルゴシの初期作品でもあります。ヒロイン役はクレール・ロットー

1918-szinhazi-elet- (34)

次いで37号でデエーシ・アルフレード(Deésy Alfréd)監督の『アフロディーテ』の紹介記事と『カサノヴァ』のスチル写真が掲載されていました。前者のヒロインはホッライ・カミッラでした。

1918-szinhazi-elet- (38)

38号にはアレクサンダー・コルダ監督の初期作『森の精』。ヒロインにレンケッフィ・イツァを配しています。

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39号にはアストラ映画社の紹介記事。ちなみに『99』はフェニックス映画社、『アフロディーテ』がスター映画社、『森の精』がコルヴィン映画社で、この辺が1910年代末に認知度を増してきている様子が伝わってくるものです。

フェダーク・シャーリラーバシュ・ユーツィが表紙を飾っている他、先日スペイン風邪流行との絡みで触れたバンキー・ユディットのグラビアやセントジョールジー・マールタ訃報を見つけました。

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現在のハンガリーはユーロ圏には属さず文化・政治面で独自路線を取っています。市場も閉じた感じで現地の物を日本に輸入するのは難しいです。今回和歌山を拠点にハンガリー製品の輸入販売を行っているコツカマチカ(Kockamacska)さんに輸入の代行を依頼、コロナ禍に伴う配送難と重なりながらも無事届けていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

1920 – 春江堂書店・大活劇文庫『曲馬団の秘密』(The Iron Test、ヴァイタグラフ社)篠田緑水訳

大活劇文庫『曲馬団の秘密』篠田緑水訳
The Iron Test [1918 Vitagraph]
1920 Japanese Novelization by Shunko-Do

1918年に公開された15章物の連続活劇『曲馬団の秘密』をベースにした日本語小説版。モノクロのデジタル版を国立国会図書館のアーカイヴで読むことができます。

パール・ホワイトの中期作品『呪の家(The House of Hate)』で活劇スターの地位を確立したアントニオ・モレノを主演とした作品で、西海岸で活躍するサーカス団の花形エディス(キャロル・ホロウェイ)が危機に巻きこまれモレノ演じる若手芸人が助けていく展開となっています。

1910年代中盤の連続活劇ではウィリアム・ダンカンやエディー・ポロらの男優が日本でも人気を博していました。10年代後半あたりから甘いルックスの若手俳優(ラルフ・ケラード他)が目立つようになってきます。モレノはそういった時流に乗って活劇界のマチネー・アイドル的なポジションに付けていきます。

モレノはこの後『見えざる手』(1919年)と『隠された謎』(1920年)でポーリン・カーリーと共演。サイレント連続活劇の最盛期を飾っていきました。

『呪の家』(1918年)でアントニオ・モレノはパール・ホワイトの相手役となった。ホワイトは『ポーリーンの危難』と『拳骨で世界的な成功を収めたばかりであった。新作は20章仕立てとなっていて、モレノは軍需産業の王と呼ばれる男の愛娘と恋に落ちる若手科学者を演じている。「恐怖頭巾団」の魔の手を逃れるこのカップルの行く末が毎週のエピソードで追われていた。

続いてモレノは『曲馬団の秘密』に出演、獰猛な「赤いマスク」団に追われる軽業師役であった。

1920年、ヴァイタグラフ社社長のアルバート・スミスはさらに危険度の高い15章物活劇の主演にモレノを配した。『見えざる手』である。同じく15章仕立ての『隠された謎』がすぐに続いた。

フォトプレイ誌の編集者ジェームズ・R・クヮーク氏は1920年の映画評でモレノの「観衆を惹きつける驚くべき力」に触れ、彼こそが「連続活劇の王である」と断言した。ロマンチックなアイドルと剛勇ぶりを両立させた点で他の男優に優っている、というのであった。

『花形男優事始め』(D・W・メネフィー、2007年)

The House of Hate (1918) paired Antonio [Moreno] with Pearl White, fresh from her tremendous, worldwide success in the serilas The Perils of Pauline, The Exploits of Elaine, and The Romance of Elaine. This new, twenty-chapter serial cast Antonio as a young scientist in love with the daughter of a munitions king. Each weekly episode followed the young lovers as they escaped the perils of « The Hooded Terror ».

Antonio went into immediately to work in fifteen episodes of yet another serial, The Iron Test (1918) , as a circus acrobat hounded by menacing « Red Mask. »

[…] In 1920, Albert Smith put Antonio through fifteen weekly episodes of more danger in the serial, The Invisible Hand. This was immediately followed by another fifteen-episode serial, The Veiled Mystery.

James R. Quirk, editor of Photoplay magazine, in his 1920 review, noted Antonio’s tremendous drawing power, declaring him « the king of serial actors, » superior to others because of his onscreen prowess as a romantic idol.

(The First Male Stars: Men of the Silent Era,
David W. Menefee, BearManor Media, 2007)

The Iron Test in 1918 Exhibitors Herald Sep-Dec Issue
『曲馬団の秘密』
エキシビターズ・ヘラルド紙1918年9-12月号

[タイトル]
曲馬団の秘密

[出版年]
1920年

[発行者]
高橋友太郎

[発行所]
春江堂書店

[叢書]
大活劇文庫

[ページ数]
260頁

[サイズ]
四六判 18.6×12.5 cm

[原題]
The Iron Test (1919)

[製作]
米ヴァイタグラフ社

[Movie Walker]

[IMDb]
The Iron Test

[公開年]
1918年

1918 – ファニー・ワード & 青山雪雄出演 『お雪さん』 (A Japanese Nightingale, ジョージ・フィッツモリス監督)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

『チート』で話題を呼んだファニー・ワードが再度日本人男優と組んで残した日本趣味色濃いメロドラマ。ハリウッド日系俳優の先駆者である青山雪雄氏がファニー・ワードの兄役で出演しています。

原作は1901年に発表された小説で、数年前の『蝶々夫人』と同質のエキゾチスムを含みこんでいます。映画の公開当時は「日本人に対する侮辱的な表現がある」とそのままの輸入ができず、不適切部分を削除した形で上映されていました。

9.5mm短縮版は1927年頃に米パテックス社が発売していたもの。同社フィルムではカタログ番号Cで始まるコメディに人気があって時折市場で見かけますが、番号Dで始まるドラマ作品はほとんど残っておらず今回初めて現存を確認しました。

[タイトル]
A Japanese Nightingale

[製作年]
1918年

[IMDB]
tt0009237

[メーカー]
米パテックス社

[カタログ番号]
D-23

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m*4リール

[コンディション]
C+ (高温下で保管されていたようで各巻冒頭を中心に歪みあり)

ルース・ローランド Ruth Roland (1892 – 1937)

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Ruth Roland 1918 Inscribed Photo
Ruth Roland 1918 Inscribed Photo

立派な舞臺俳優として巡業公演を專らとして居たが、偶々活動寫眞の隆盛に心を引かれて映畫劇俳優となる希望を抱いて、一千九百十五年の夏、先ずカレム會社に身を投じた。

初めの間はハムの喜劇などに出演していたが、續いて西部劇の女主人公をも勤めるやうになつた。これ等の映畫は何れも嘖々たる好評を博した。

一千九百十五年、同社を去つてパセ會社に移り、バルボア映畫に現はれる事となつた。そして同社の首腦俳優として、斯界の人気を一身に集めていた。嘗て電氣館に上場された連續寫眞「赤輪」も昨年キネマ倶樂部に上場された矢張り連續寫眞の「覆面の呪」も、二つともパセ會社の作品であつて、何れも嬢の名聲を昂めた映畫である。

嬢の豊な藝風は喜劇にも、正劇にも行く處すべて可ならざるはない。嬢は技藝の範囲の廣い俳優の一人である。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1910年代後半にパール・ホワイトに次いで人気のあった連続活劇女優さん。

サイン入りの写真を三枚所有しておりますがこちらが一番古く1918年8月2日の日付入り。ツバ広で羽根やレースの付いた帽子が大流行していた10年代後半らしい肖像です。

[IMDB]
nm0738082

[誕生日]
8月26日

[出身]
合衆国(サンフランシスコ)

[コンディション]
A-

[時期]
1918年

[入手年月日]
2017年7月

ダグニー・セルフェス Dagny Servaes (1894 – 1961) 独

『猫とカナリヤ』(1927年)で有名なパウル・レニ監督のデビュー作が『ハルト博士の日記』(1915年)です。美しい自然光に照らし出される2組の恋物語をレニは丁寧なカメラワークで追っていきます。

同作で主役を射止めたのが舞台畑のダグニー・セルファスでした。確実な演技力で評価されルビッチの『ファラオの恋』(1922年)やリヒャルト・オズワルドの『ドン・カルロスとエリザベート』(1924年)で地力を発揮していくことになります。