1920年代後半 米パテックス社 パテベビー 9.5mm映写機 PB-Ex モーター付き

Late 1920s US Pathex Baby 9.5mm Projector w/Replaced Motor

2013年に初めて入手したモーター付きのパテベビー映写機。仏パテ社が市販していたモーターは土台後部に設置しベルト2本で動力を伝えていくのですが、こちらの米国仕様は発想が異なっており本体側面に切りこみの穴をあけ、モーターで直接シャッターホイールを回す形になっています。2年程メイン機に使用。酷使したせいもあって2014年末に速度調整用の抵抗が焼き切れてしまいました。

かれこれ6年。先日、ジャンクのモーターを発見。

かなり汚れた状態。モーター自体が破損した訳ではなく配線が切れたまま放置されたように見えます。つなぎ直したら動くかも。クリーニングをして配線を補修、油を差してアップトランスした電源につないでみました。

最初数秒は何も起こらず「ダメかな」と思った瞬間、軸がキュィン、キュィンとゆっくり回り始めます。つまみを時計廻しに回すと音がウィーンと変わり回転数が上がり始めました。長い間使われていなかった古い金属が生き返る瞬間、大したこともしていないのに妙な達成感があります。

映写機の型はPB-Ex。元々A型からG型まで順にアップデートされていたベビー映写機でしたが、E型だけは「輸出用(Export)」の意味を含めて「PB-Ex」と表記されます。側面の金属製エンブレムも絵柄が米パテックス社仕様。

米国式モーターは動力を直に本体に伝えているためロスが少なく、速度の微調整がしやすいのが長所。一方で仏式に比べて重心が高く、速度を上げすぎるとややがたつきが発生、映写中に振動で位置が動いてしまうのが難点です。

2020年は自作スキャナーを回している時間が長く映写機を触る時間があまり取れませんでした。今年はもう少し時間をかけて映写機本体や周辺機器のデータをアップデートしていきます。

[メーカー名]
米パテックス社

[発売時期]
1920年代後半~末

[シリアル番号]
17415

[付属品]
スーパーパテベビーアタッチメント(シリアル:25306)

[対応フィルム長]
10/20/100mリール

[対応電圧]
105〜115V

[コンセント]
US仕様

1921 – 9.5mm 『僧侶の特権なしに』(ジェームズ・ヤング監督、ボリス・カーロフ他出演) 米パテックス版

« Without Benefit of Clergy » (1921, Pathex Exchange, dir/James Young)
Late 1920s US Pathex 9.5mm Print

英領印度の街にアミーラという十六才の少女が住んでいた。家は貧しく、母親は返せなくなつた借金のかたに娘を売り渡そうとする。「豊かな生活をさせてくれる男がお前さんを待っているよ」、その言葉を信じて金貸しの家に向ったアミーラを待っていたのは貪欲な欲望に目を輝かせた薄汚い老人だった。

騙されたと知り、手を振り払つて逃げ出した女。騒動に気づいた通りがかりの英国人の青年技師ホールデンが仲裁に入る。助けられたアミーラの目にはホールデンが神様に見えた。青年もまたアミーラの心の美しさに引かれていく。ホールデンは市街地の一角に豪華な家を建て、アミーラをそこに住まわせるのであつた。

トウタという息子も得て、教会によって祝福はされなくとも二人の結婚生活は幸せに続いていた。だがそんな折に町を襲ったのがコレラの流行であつた。ホールデンが赴任先から戻ると罹患したトウタはすでに息を引き取ったところだつた。

町全体が病魔に侵され、通りには死者が倒れてゐる。妻の身を案じたホールデンは「丘の上に隔離された清潔な一角がある」とアミーラを連れて行こうとするが女は白人女たちの元に身を寄せることはできない、と断るのであつた…

文芸作家キプリングの短編を映像化したもので、英国領インド(現パキスタン)の街ラホーレを舞台とし現地の貧しい娘と英国人技師の悲恋を描いた内容。ヒロインを演じたヴァージニア・ブラウン・フェアーはユニヴァーサル社が発掘、西部劇を中心に売り出し中の新進女優でした。

植民地主義型のメロドラマでいかにも欧米圏から捉えた感じのステレオタイプな描写が多く見られます。さらに原作を忠実に再現しようとしすぎて映画そのものの流れが良くない個所も多々見られます。一方では異人種・異教徒間の恋愛の困難さ、格差社会、女性の性的搾取など原作の提起していた問題も描かれていました。

Boris Karloff as Ahmed (right)

また本作は『フランケンシュタイン』の主演俳優ボリス・カーロフの初期作品の一つでもあります。同氏は本作では英国人技師ホールデンに使えるインド人従者アフメドを演じていました。

本作は16ミリや35ミリでの保管記録や上映記録がなくソフト化もされてこなかった珍しい作品。米パテックス・エクスチェンジ社が公開した経緯から9.5ミリのカタログに含まれています。デビュー間もないヴァージニア・ブラウン・フェアー、ボリス・カーロフの姿を見れただけでも探し出した価値はあったかな、と。

[IMDb]
Without Benefit of Clergy

[Movie Walker]
僧侶の特権なしに

[公開]
1921年6月19日

[9.5ミリ版]
米パテックス版

[カタログ番号]
D25

1924 -『ニーベルンゲン』独プレミア上映用パンフレット

« Die Nibelungen: Ein Deutsches Heldenlied »
(Decla-Bioscop / UFA, Germany, 1924. Original program for the German premiere of the film « Die Nibelungen: Sigfried » on February 14, 1924)

デクラ=ウーファ社作品『ニーベルンゲン』は1924年2月14日、ベルリンのウーヴァ・パラスト。アム・ツォー館にて封切られた。

Der Decla=Ufa=Film « Die Nibelungen » wurde am 14. Februar 1924 im Ufa=Palast am Zoo in Berlin das erste Mal öffentlich ausgeführt.

1924年2月14日、ニーベルンゲン2部作の第1部『ジークフリート』がプレミア公開された際の公式パンフ。12.5×17.5センチで全24頁。冒頭に見開きでスタッフ名/キャスト名の一覧。

何よりニーベルンゲン映画で20世紀に神話の世界を生き生きと蘇らせたかったのです。生き生きと、見た人が信じてしまうほどの迫真さで。

「ニーベルンゲン映画の着地点」フリッツ・ラング

Vor allem aber hoffte ich, im Nibelungen=Film die Welt des Mythos für das 20. Jahrhundert wieder lebendig werden zu lassen, – lebendig und glaubhaft zugleich.

« Worauf es beim Nibelungen=Film ankam », Fritz Lang

内容は監督ラング、脚本テア・フォン・ハルボウの寄稿文と、二部作のあらすじを収録。ラング、ハルボウに登場人物8名を加え計10枚の写真があしらわれています。

『ニーベルンゲン』最初の公式紙資料であり、監督・脚本のエッセイが掲載されていることから史料価値が高く、先日触れたドキュメンタリー映画『ニーベルンゲンの遺産』でも紹介されていました。

[内容]
「ニーベルンゲン映画とその製作」(Vom Nibelungen=Film und seinem Entstehen)テア・フォン・ハルボウ
「ニーベルンゲン映画の着地点」(Worauf es beim Nibelungen=Film ankam)フリッツ・ラング
「ニーベルンゲン第一部『ジークフリート』あらすじ」(Inhaltsangabe für Nibelungen I. Teil « Sigfried »)
「ニーベルンゲン第二部『クリムヒルトの復讐』あらすじ」(Inhaltsangabe des 2. Teiles der Nibelungen « Kriemhilds Rache »)

1920年代中頃〜後半・フランス 9.5ミリ個人撮影動画 『無題』(パリ・トロカデロ宮殿と水族館)

« Palais de Trocadéro / Aquarium »
Mid-late 1920s 9.5mm French Home Movie

パテベビー撮影機が出回り始めた1920年代中頃~後半に撮影されたと思われる個人撮影動画。パリ観光に訪れた際の映像を記録した内容です。

エッフェル塔の手前に位置するトロカデロ広場は現在でも観光・撮影スポットとして知られています。この広場に建っているシャイヨー宮は1937年の建立で、それ以前にはトロカデロ宮殿がありました。19世紀後半のパリ万博の折に建設されたオリエンタル様式の宮殿で、今回の動画はその正面を捉えた映像から始まっています。

トロカデロ宮殿の前には4体の彫像が置かれていました。解体に伴い移設され、現在3体(象・馬・サイ)はオルセー美術館に、残りの1体(牛)はニームに置かれています。象とサイの動画に映っている年配の女性は撮影者さんの家族だと思われます。

この後広場近くに位置する水族館に移動。入口に向かう鳥打帽姿の青年が2度映し出されます。たまたま映りこんだ通行人ではなく撮影者さん本人で、先ほど登場した女性(母親)に撮ってもらった可能性が高いかなと。

水族館内で水槽を撮影。ガラス越しに撮影された魚たちが幻想的な動きを見せます。

最後はセーヌ川河畔の風景や往来する観光船の映像で終了。

初期のベビーカメラは暗い場所での撮影を想定していませんでした。屋内撮影、しかも水族館で撮影された個人撮影動画は珍しく驚かされました。

1924 – 9.5mm 『ニーベルンゲン第2部:クリームヒルトの復讐』(フリッツ・ラング監督)1930年代初頭 独パテックス版

« Kriemhilds Rache » (1924, UFA/Decla-Bioscop, dir/Fritz Lang)
Early 1930s German Pathex 9.5mm Print

1930年代初頭に独パテックス社から発売された4巻物のプリント。以前にも何度か紹介(『メトロポリス』『ファウスト』『スピオーネ』)したドイツの無声映画・9.5ミリ映画愛好家、ヴォルフ=ヘルマン・オッテ氏の旧蔵プリントです。

上映時間はオリジナルの約半分の65分程。100メートル×4巻を上映用に200メートルの大型リール×2巻に巻き直しています。傷や汚れ、歪みは少なく大事に扱われていた様子が伝わってきました。

『ニーベルンゲン』には高画質のデジタル修復版(ムルナウ財団2010年版)がありますので通常の観賞はそちらで差し支えないと思います。とはいえオリジナル公開から10年も経たずに発売された9.5ミリ版には修復版と「違う」点も多いため目を通してみる価値は十分にあります。2010年デジタル修復版を収めたDVD・ブルーレイの特典動画『ニーベルンゲンの遺産』(Das Erbe der Nibelungen, 2011)の要点を挙げていくと:

1)撮影現場では2台のカメラが回っていて、同一場面でもアングルや構図の異なるカメラネガが存在している

カメラ2台使いでは左右に並べることが多く同一場面でも角度や構図がわずかに変わります。


2)複数のテイクが残されている

映画撮影ですので一つの場面にOKが出るまで複数回の取り直しが発生します。テイクが変わると役者さんの位置関係、表情、動きも多少変わります。


複数のカメラネガを元にa)ドイツ国内向けネガ、b)海外輸出用ネガ、c)合衆国向けネガの3つの異なった35ミリ上映用ネガが制作された。そしてこの3種類をベースに様々なコピープリントが派生していった

『ニーベルンゲン』上映用ネガは最終的に3種類製作されたそうです。さらにそれぞれのネガを元にトーキー版や小型映画版など無数のヴァリエーションが生み出されていきます。

ムルナウ財団のリストア版はドイツ国内向け上映用ネガをできるかぎり再現したもので、しかも上映用ポジを作るためのネガではなくカメラネガをスキャンすることで高い画質を実現。このアプローチとしては今後これ以上を望めない完成度になっています。

で、手持ちの独パテックス9.5ミリ版。確認して見たところそもそも「ドイツ国内向け上映用ネガ」を基にしていませんでした。

『ニーベルンゲン』9.5ミリ版は英パスコープ社が1931年に市販したプリントが基になっていています。独版は英パスコープ社版の字幕部をドイツ語に翻訳したもので、ネガのルーツを探っていくとUK版=b)の海外用輸出ネガになると思われます。

別に紹介した合衆国のメディアライブラリー旧蔵版16ミリは上のどちらとも違っておりc)合衆国向けネガベースのプリントだと断定して良いと思います。

結末部、ヒロインの死の場面には3つのネガの違いがはっきり出ています。

ドイツ国内向けネガ(左)と国外輸出用ネガ(中央)はトリミング幅が異なるも被写体の位置関係や角度などは同一。ただし手の重なり方を見てみるとドイツ国内向けネガでは右手を上に両手を重ねているのに対し、輸出用ネガでは左手が上になっています。同一カメラの別テイクが使用されているのだと分かります。それに対し米国向けネガ(右)はもう一台のカメラで撮られたネガを使っています

最初から3つのネガを同じように作ろうという計画があったという可能性はとても高い。つまりひとつはドイツ市場のため、もうひとつはウーファの輸出部のため、そしてもうひとつはこのフィルムをアメリカで公開することになっていたパラマウントのためのネガ。当時、いくつかのネガの平行した制作は一般的な慣例だった。[…]

ただ一方で、複数のネガがあるということは、演技、カメラの位置、時間的な長さ、コンティニュイティの点で異同を持つ複数のヴァージョンがあるということを意味している。それはマテリアルを組み合わせようとするときに大きな問題を生み出すことになる。さらに復元者は倫理的な葛藤にも向かい合わなければならない。つまり、いくつものネガを寄せ集めることによって、自分はこれまで存在しなかった形の映画を編集しているのではないか、というジレンマを持つことになるのだ。

ドイツ人研究者M・ケルバー氏の論文「増幅する『メトロポリス』に関するノート」邦訳(訳・矢田聡)からの一節。引用した部分については『ニーベルンゲン』2部作にもそのまま当てはまります。高画質の修復版が完成したと手放しで喜んでいる訳ではなく、特に最後の一文は色々考えさせられるものです。

1924 – 16mm 『ニーベルンゲン第2部:クリームヒルトの復讐』(フリッツ・ラング監督) 英語字幕US版

今年の正月休みに『クリームヒルトの復讐』16ミリ版を鑑賞しました。

2013年4月に入手したもので実写は今回が初めてです。1100フィート2本組で英語字幕、ダブルパーフォレーション無声。上映時間は約63分でオリジナルの半分に編集されています。製作会社のクレジットは無くプリントも無銘ですが、傷が少なく個人で視聴する分には十分でした。

デジタルリストア版の基になったドイツ国内用ネガ、9.5ミリ版の基になった輸出用ネガのどちらとも異なったアングル・テイクを含むもので、UFAが合衆国向けに準備したネガから派生したコピーだと思われます。アッティラ王による求婚をめぐる王家の紛糾、ハーゲンがその在り処を知るニーベルンゲンの財宝をめぐる駆け引きといった前半のエピソードが多く省略され、その代わりにできる限り後半の戦闘場面を残そうとしていました。

この16ミリ版には1)クリームヒルトによる「回想場面」が多く含まれています。前篇『ジークフリート』の名場面が幾つか映し出される趣向はデジタルリストア版には無いものです。2)また結末部、クリームヒルトは本来刺されて亡くなる設定ですが16ミリ版では復讐を遂げたことで精魂尽き果てて息絶える展開に改変されています。

このフィルムはメディア・ライブラリーが旧蔵していた「Ex-Library Film」と呼ばれる類のプリントです。到着した時に図書館名が黒塗りで消されていたので不安になり、消された文字を解読して見ました。アラスカ州の「アンカリッジ市立図書館(Anchorage Municipal Library)」と判明しホームページ経由で確認。「以前に売却処分したフィルムの一つですので持っていて構わないですよ」の回答でホッとしたのを今でもよく覚えています。

マリー・ヨンソン Mary Johnson (1890 – 1975) スウェーデン

Mary Johnson 1920s Autograhed Postcard

1910年代後半、スウェーデンのハッセルブラッド映画社でイェオイ・アフ・クレルケル監督によるメロドラマに多く出演し人気を博していたのがマリー・ヨンソンでした。

Mary Johnson in Förstadsprästen (1917)

1917年『Förstadsprästen』より

1918年『灯台守の娘(Fyrvaktarens dotter)』より

ハッセルブラッド社作品は国外輸出された形跡がなく、その人気はスウェーデン国内に留まっていました。1919年にスウェディッシュ・バイオグラフ社とスカンディア社の大手二社が合併、本格的に海外市場の展開を始めた時スティルレル監督が『吹雪の夜』のヒロイン役に彼女を抜擢します

Mary Johnson in Herr Arnes pengar (1919)

1919年『吹雪の夜』より

1920年の米フォトプレイ誌より

同作は公開当初から欧米で話題を呼びました。ヨン・W・ブリューニウス監督による歴史ドラマ『福騎士』(En lyckoriddare、1921年)でユスタ・エークマンと共演、『グンナール・ヘデ物語』(1923年)ではスティルレルと再度タッグを組み「スウェーデンのメアリー・ピックフォード」と称されるまでになりました。

Filmnyheter誌 1923年第1号
『グンナール・ヘデ物語』公開時の特集記事より

20年代中盤〜後半にスティルレルがガルボらと共に渡米、北欧映画の弱体化がはっきりしていく中でマリー・ヨンソンは旧大陸(ドイツ、フランス)に進出し舞台/映画での女優活動を続けていきます。

1932年にラング作品で知られるルドルフ・クライン・ロッゲと再婚、一児を設け一旦は落ち着いた生活を取り戻すも2年後にその子供が亡くなり精神的なバランスを崩していきます。ナチス台頭と共に夫婦はドイツ映画界での居場所を失いオーストリアに移住。第二次大戦後ロッゲが亡くなると故国スウェーデンに戻り、1970年代にひっそりと亡くなっています。

10〜20年代の華やかな活躍とそれ以後の凋落の対比があまりにも極端なのですが、清純な娘役のイメージが固定してしまい成熟した女優に脱皮できなかったのが大きな要因だったとは思います(『グンナール・ヘデ物語』の演技にもその予兆を見て取れます)。それでも『吹雪の夜』はエイゼンシュテインにまで影響を与えた無声映画屈指の作品の一つですし、スウェーデン映画勃興期に残した功績も無視できないものです。

[Movie Walker]
マリー・ヨンソン

[IMDb]
Mary Johnson

[誕生日]
5月11日

[出身]
スウェーデン

[データ]
Ross Verlag, 8.7 × 13.9cm

スーパー8 『邦画名作抄 美人女優列伝 サイレント時代・草分けの美女たち』

« Legend of The Shochiku Beauties, Chapter 1 : Pioneers from The Silent Era »
1970s Super8 Anthology


1) 伊豆の踊子(1933年、五所平之助監督) 田中絹代、若水絹子ほか [JMDb]


2)松竹スタジオ紹介他


3)不壊の白珠(1929年、清水宏監督) 及川道子、八雲恵美子ほか [JMDb]


4)与太者と海水浴(1933年、野村浩将監督) 井上雪子、光川京子、高峰秀子ほか [JMDb]


5)夜ごとの夢(1933年、成瀬巳喜男監督) 栗島すみ子、飯田蝶子ほか [JMDb]


6)金色夜叉(1937年、清水宏監督) 川崎弘子 [JMDb]

2018年初頭に入手したスーパー8版アンソロジー。トーキー篇の紹介にあわせてこちらもスキャンしました(前回は映写した画面をそのまま撮影)。

田中絹代さん主演の『伊豆の踊子』で始まり、松竹スタジオの外観などを挟みながら井上雪子さん主演の『与太者と海水浴』へ。浅瀬に着衣のまま飛びこんでしまう大胆な展開に。

名作『不壊の白珠』を挟んで『夜ごとの夢』。栗島すみ子さんキャリア後期の作品で子供に頬をつけて泣いている時の表情が圧倒的。最後に『金色夜叉』での寛一お宮のやりとりが紹介されています。どの女優さんも雰囲気ありますね。

[発売時期]
1970年代

[発売元/製作/提供]
テレキャスジャパン/大沢商会/松竹

[フォーマット]
スーパー8 白黒200フィート 磁器録音(24コマ/秒)

戦前の映画解説本・説明本・ストーリー集(2020年度総括)

今年は古い解説本を探していた覚えがあって手元に25冊程のミニコレクションができました。サイト内でデータがばらけてしまったので時系列(公開順)に並べてみます。20年代半ばから30年代初頭の盛り上がりも伝わってくるのではないでしょうか。最初に入手した作品が紹介できていないのでその辺は追々。

春江堂大活劇文庫に関しては国立国会図書館、またトーキー文庫については日本大学の芸術学部にまとまったコレクションが所蔵されています。


映畫文庫(湯川明文館)

1925年7月公開『剣の舞』(東亜、市川小文治主演、松屋春翠)
1925年11月 『雄呂血』(阪妻プロ、阪東妻三郎主演、二川文太郎)
1925年12月 『落武者』(松竹蒲田、森肇主演、清水宏)
1925年12月『魔保露詩』(阪妻プロ、阪東妻三郎主演、志波西果)


出版者不明

1925年12月〜26年1月『南蠻寺の怪人』(東亞、高木新平主演、長尾史録)
1926年2月 『傷魂』(東亜、1926年 – 高木新平・生野初子主演、長尾史録)
1926年2月 『孔雀の光 前編』(マキノ、市川右太衛門主演、沼田紅緑)
1926年2月 『尊王』(阪妻プロ 、阪東妻三郎主演、志波西果)
1926年6月 『幕末』(阪妻プロ 、阪東妻三郎主演、宇澤芳幽貴)
1926年6月 『侠血』(阪妻プロ 、阪東妻三郎主演、門田清太郎)


瀧本時代堂

1929年7月 『此村大吉』(阪妻プロ、阪東妻三郎主演、山口哲平)
1929年7月 『月形半平太』(東亞、草間實主演、枝正義郎)
1929年8月 『冷眼』(右太プロ、市川右太衛門主演、悪麗之助)
1929年8月 『傳奇刀葉林』(帝キネ、市川百々之助主演、渡辺新太郎)
1929年8月 『大利根の殺陣』(東亞、嵐寛壽郎主演、後藤岱山)
1929年9月 『斬人斬馬剣』(松竹、月形龍之介主演、伊藤大輔)


トーキー文庫(映画研究会)

1930年10月 『九条武子夫人 無憂華』(東亞、鈴村京子・三原那智子主演、後藤岱山他)


大島印刷株式会社

1931年7月 『海江田譲二の高田の馬場』(日活、海江田譲二主演、辻吉朗)
1931年7月 『野に叫ぶもの』(松竹、 鈴木伝明・高田稔主演、島津保次郎)
1931年11月 『阿波十郎兵衛』 (帝キネ、雲井竜之介主演、寿々喜多呂九平)


大活劇文庫(春江堂)

1918年公開 『曲馬団の秘密』(The Iron Test、ヴァイタグラフ社)篠田緑水訳
1919年公開 『蛸の手』(The Trail of the Octopus、ユニヴァーサル社)麻生重人訳


活動文庫(榎本書店)

1921年公開 『キッド』(The Kid、チャールズ・チャップリン)
1921年公開 『ハリケンハッチ』(Hurricane Hutch、ジョージ・B・サイツ)
1922年公開 『血と砂』(Blood and Sand、フレッド・ニブロ)
1923年公開 『十八日間世界一周』(Around the World in Eighteen Days、リーブス・イーソン&ロバート・F・ヒル)


1926 - 高木新平主演 『南蠻寺の怪人』(東亞、長尾史録監督) 説明本・出版者不明

« Nambanji no Kaijin » (The Monstor of the Namban-ji Temple, Tôa Kinema, 1925-26, dir/Nagao shiroku) 1926 Novelization

芳三郎の身は漸く危險を免れたが、哀れや遊女の此花は、此の騒ぎの最中に、南蠻虎の手下の爲めに拉し去られて、南蠻寺の隠れ家に連れて行かれた。惡漢の大將なる南蠻虎と彌六の辰、鮟鱇の重は不思議にも捕手を逃れて行き方知れずになつてしまつたが、彼等は、第二の隠れ家に忍んで居るのである、そして第二の活躍が起るのである。

奉行の捕方は、大切な犯人を捕り逃がしたので残念で堪らない。各々地團駄踏んで口惜しがつたが、雲の如な惡漢等は何處へ隠れたか何うしても行方が分からなかつた。

物語は長崎の丸山花街を舞台とし、やくざの親分肌・南蠻虎(高木新平)が遊女・此花(華村愛子)を強引に身受けしようとする場面で始まります。此花と相思相愛の青年・芳三郎(花柳紫紅)が邪魔であるためこの機会に「片付けて」しまおうと画策。しかし隠密を放っていた長崎奉行が南蠻虎の動きをキャッチし捕縛に乗り出します。芳三郎は命こそ助かったものの此花は拉致され、南蛮寺に閉じこめられてしまいました。奉行所の捕り手たちが寺を取り囲み、悪漢の捕縛と此花救助に向かうのですが…

東亜キネマ初期に活躍した高木新平の主演作のひとつ。タイトルは前年に公開されたハリウッド作品『ノートルダムの傴僂男』にインスパイアされたものです。

以前に幾つか紹介したのと同じ出版社名不詳、8ページの薄い冊子形式。表紙は縦長、本文を横長に使っています。映畫文庫やトーキー文庫などとは違い作品全体をノベライズしたものではなく冒頭さわりの部分のみ。戦前映画の解説本・説明本にも多様なパターンがあってこちらは「予告編/トレーラー」的要素を持った販促品ではないかと思われます。


[JMDb]
南蛮寺の怪人 前篇
南蛮寺の怪人 後篇

[IMDb]
Nambanji no Kaijin: zenpen
Nambanji no kaijin: Kôhen

[出版年]
1926年

[編集兼発行者]
不明

[発行所]
不明

[ページ数]
8

[フォーマット]
13.3 × 9.7 cm

1925 – 『雄呂血』(阪妻プロ、二川文太郎監督) 湯川明文館・映畫文庫

« Orochi (Serpent) » (1925, Bandô Tsumasaburô Production, dir/Futagawa Buntarô)
Yukawa-Meibunnkann « Eiga-Bunko (Collection Cinema) » Novelization

湯川明文館による映畫文庫の第2番として公刊されたのが『雄呂血』でした。公開から約4か月後の1926年3月5日に初版。同月の10日までに十五版を重ねています。全124頁。表紙は二色刷り。冒頭に4枚のスチル写真があり、はしがき、目次、配役一覧と続いてから13章仕立ての本文に入っていきます。

本文の再現度は高く、文章も丁寧で読み応えのあるものでした。読みとおした印象としてはDVD版とほとんど差が無かったものの、幾つか解釈の違いが見てとれました。

例えば平三郎が飲み屋の喧嘩に巻きこまれ捕縛された後のくだり:

デジタルミームDVD版
字幕
デジタルミームDVD版
弁士ナレーション
湯川明文館・映畫文庫
再び捕らえられた平三郎は、何日か経ってやつと解き放たれた。…がしかし、無頼漢(ならずもの)平三郎の名は町中に、それからそれへと伝えられたのであります。平三郎が通れば、道行く人は目引き袖引き、避けて通つていく…道を歩くと人々は大抵平三郎をじろじろ見て、まるで狂犬か何かのやうに道を避けて通つた。針仕事最中の小娘共は、格子から覗いて後ろ指を差した。
ありゃあ無頼漢だぁ
モシ、彼奴の傍へ寄つちや不可ませんぜ。彼奴は命知らずの無頼漢ですから
「ありゃあ無頼漢だぁ」
「モシ、彼奴の傍へ寄つちや不可ませんぜ。彼奴は命知らずの無頼漢ですから」
「おお、そうか。くわばらくわばら」
「あれ御覧、あの人怖い人よ。」 と囁いてゐるに違ひない。
遊び戯れている子供までが
「おお、面白いか?…どうした」
「あ、無頼漢だ」
「なぜ逃げる…なぜだ。分からん。俺はどうして、こんなに人から怖がられるのであろう…分からん。なぜだ、なぜなのだ」
未だあどけない子供達でさへ、よくよく親からでも云ひ付かつてゐるものと見え、平三郎の姿を見ると
「うわー、逃げろ逃げろ」
と逃げて行つた。
重ね重ね、みじめな姿を大道に曝した平三郎は、その実、善良な人間でありながら、つひに町の人々から怖ろしい無頼漢(ぶらいかん)として嫌悪され、忌避されるようになつたのであります平三郎は淋しかつた。この土地が不愉快でもあった。だが、お千代のことを思ふと、後に心牽かれて、此の土地を立つこともできなかつた。
俺が一体何をしたというのだ。俺は決して無頼漢ではない。俺は善良だ。皆世間の奴らが勝手に俺を無頼漢にしてしまつているのだ。「俺が一体何をしたというのだ。俺は決して無頼漢ではない。俺は善良だ。皆世間の奴らが勝手に俺を無頼漢にしてしまつているのだ」「お千代に一度遭つて、その心を聞きたいものだ。あの子が俺の心を暖めて呉れさへすれば、世間の奴等が皆敵になつたつていゝや。」
平三郎はじれったいやら、くやしいやら悲しいやらで、苦悩はいよいよ深まるばかり。

「この世の中で誰一人、俺の真の心を知つてくれる者はいないのか…」

DVD版の語りでは「無頼漢(ならずもの/ぶらいかん)」の語が繰り返し登場。阪妻演じる主人公が「俺は無頼漢ではない」と人々からの無理解に悩んでいる姿が強調されています。

作品冒頭の字幕「無頼漢と稱する者必ずしも真の無頼漢のみに非らず」は本作の主題の一つ。弁士の語りはそれを膨らませ、反復することで悩み続ける主人公の姿を強調していきます。一方で映畫文庫版には「無頼漢」の要素が完全に消えています。「世間の奴等が皆敵になつたつていゝ」は元コンセプトからやや外れている感じ。

また小説版では長尺で展開される結末の大捕物が2行で済まされています。挿入された4枚のスチル写真にも剣戟場面はなく、乱闘場面より人間関係が重視された解釈に。初恋の相手・奈美江(環歌子)とその姿に重なりあう町娘・お千代(森静子)への思慕に比重が置かれているのです。鬼気迫る要素を抑えてやや甘めに味付けした、と言えそうです

また巻末には映畫文庫の紹介と既刊リストが付されていました。

[JMDb]
雄呂血

[IMDb]
Orochi

[著者]
映畫劇同好会

[出版者]
湯川松次郎

[発行所]
湯川明文館

[フォーマット]
14.6 × 10.7 cm、124頁、映畫文庫 二

[出版年]
1926年

1957 – Super8 『松竹8mmライブラリー 日本映画史 前編』(Japanese Cinema History Part I, super8)

c1970 Super8 日本映画史 前編

« Japanese Cinema History : Part I 1887-1949 » (1957, Shochiku Ofuna, dir/Iwaki Kimio)
c1970 Sungraph Super8 Print

1957年に公開された松竹制作による短編ドキュメンタリー。同社が制作した戦前作品を中心とし、活動寫眞の到来から戦後までの映画史の展開を貴重な映像でまとめ上げた一作。

8ミリ版は1960年代末~70年代初頭に発売されたと思われ、前後編の2巻構成。前編は19世紀末の映画前史から終戦後の1949年までを扱っています。2年前の購入時に一度紹介しているのですが画質が悪く、今回綺乃九五式で再度スキャンし直しました。


1887年 『疾走中の馬の連続写真』 エドワード・マイブリッジ

Sallie Gardner at a Gallop [imdb]

まずは明治時代まで遡り「動く写真」の発明としてエジソンの功績と並びマイブリッジ作品が紹介されていきます。


1899年 『紅葉狩』 柴田常吉監督

Momijigari [imdb] [jmdb]

現存する最古の日本映画として知られた『紅葉狩』。九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎出演。現在は国立映画アーカイヴの「映像で見る明治の日本」の動画紹介ページで閲覧が可能です。


1900年 『鳩の浮巣』土屋常二撮影

Nio No Ukisu imdbjmdb

『明治二十八年の両國大相撲』(別名『回向院夏場所大相撲』)でも知られる土屋常二(ジョージ)氏が残したもう一本の映像作品。初代中村鴈治郎出演。


1911-12年 『白瀬中尉の南極探検』 記録映画 田泉保直撮影

Japanese Expedition to Antarctica imdbjmdb

明治末期に行われた白瀬矗注意による南極探検の実録もの。JMDbでは『南極実景』として登録されている一篇で、こちらも「映像で見る明治の日本」で高画質なバージョンを閲覧できます。


1911年 『ジゴマ』ヴィクトラン・ジャッセ監督

Zigomar imdb

日本で大規模な社会現象を引き起こした仏エクレール社の悪漢活劇。ジゴマの百面相を描いた紹介場面と物語途中の抜粋が収録されています。


製作年不明 『自雷也』尾上松之介主演

Jiraiya (Unidentified Version)

松之助十八番。自雷也が妖術を使う場面ながら松之助版自雷也のどれに当たるのか未特定。明治42年ではなくもう少し後年の作品と思われます。


1913年 『アントニィとクレオパトラ』 エンリコ・ガッツォーニ監督

Marcantonio e Cleopatra imdb

絢爛たる古代ローマ世界を描き出し日本でも大きな話題を呼んだ一作。8ミリ版では弁士・玉井旭洋の語りが付されていました。


1913年 『天馬』ハリー・ピール監督

Die Millionenmine imdb

第一次大戦開戦直前に輸入され、国内でのドイツ冒険活劇流行のきっかけとなった一作。ブラウン探偵(ルートヴィヒ・トラウトマン)が囚われの美女(ヘッダ・ヴェルノン)を救い出す場面で弁士・泉天嶺の語りが付されています。


1915年 『後のカチューシャ』細山喜代松監督

Nochi no Katyusha imdbjmdb

向島に新設されたばかりの初期ガラススタジオで撮影された初期日活現代劇。出演は立花貞二郎と関根達発ほか。国立映画アーカイヴやマツダ映画社にも所蔵記録のない作品で、断片を見れたのは感動でした。


1921年 『路上の霊魂』村田実監督

Souls on the Road (Rojô no reikion) imdbjmdb

日本の映画制作が新しい段階に入った様子を告げるモダンな現代劇。国外からの評価が高いことでも知られる一作です。


1921年 『虞美人草』小谷ヘンリー監督

Gubijinsô imdbjmdb

歸山教正氏と並び国産映画の近代化に功あった小谷ヘンリー監督の代表作。グリフィスの影響が濃く、戦闘場面での流動的な表現など日本映画になかった新しい試みを持ちこんでいます。


1923年 『船頭小唄』池田義信監督

Sendô kouta imdbjmdb

帝キネの『籠の鳥』と並ぶ小唄映画ブームの先駆け作品。栗島すみ子の健気で可憐なイメージ戦略をさらに一歩推し進めたものでもあります。


1923年 『関東大震災』記録映画

The Great Kantō earthquake

被災直後、瓦礫の山と化した街並みや、炊き出しに並ぶ被災者たちの姿などを生々しく記録した巨大災害の記録。首都圏を襲った未曽有の災害は初期日本映画の展開にも少なからぬ影響を与えました。


1931年 『マダムと女房』五所平之助監督

Madame and Wife imdbjmdb

斉藤達雄と田中絹代のかけあいが楽しい初期トーキー。


1938年 『愛染かつら』野村浩将監督

The Tree of Love imdbjmdb

看護婦として働くシングルマザーと医学者との悲恋を描いた戦前を代表する和製メロドラマ秀作。


1939年 『暖流』吉村公三郎監督

Warm Current imdbjmdb

高峰三枝子、水戸光子、佐分利信の入り組んだ人間模様を背景に描かれる、硬質な叙情性を帯びた恋愛ドラマ。


1943年 『花咲く港』 木下恵介監督

Port of Flowers imdbjmdb

九州の離島を訪れたペテン師二人組の行く末を軽妙に描いた木下恵介監督デビュー作。


1945年 『そよかぜ』 佐々木康監督

Soyokaze imdbjmdb

「リンゴの唄」の朗らかな響きと共に終戦直後の人々に希望を与える一作となりました。


1949年 『悲しき口笛』家城巳代治監督

Sad Whistling imdbjmdb

笠木シズ子をアップデートする形で日本歌謡を刷新した不世出の歌姫の映画デビュー作。10代前半でこの貫禄はさすが。


1949年 『晩春』 小津安二郎

Late Spring imdbjmdb

20世紀前半の(松竹版)日本映画史は小津の形式美と情緒によって完成された…とまとめたくなる編集です。


白黒110メートル(約18分)
光学録音
サングラフ/松竹

1925 – 『落武者』(松竹蒲田、清水宏監督) 湯川明文館・映畫文庫

« Ochimusha » (1925, Shochiku, dir/Shimizu Hiroshi)
Yukawa-Meibunnkann « Eiga-Bunko (Collection Cinema) » Novelization

 嶮しいだらだら坂を下りて、もう麓も近いと思はれた頃、ふと眞十郎は歩みをとゞめて、
「靜に。」
と皆を制した。
「あれは何んだらふ。」
 眞十郎が指さす方を見下すと、木の間がくれに白いものが飜つてゐる。
「はて何でせう。」
「暫時このまゝ待つて居給へ、今確かめて來やう。」
 眞十郎は身輕に岩をよぢ登り、松の枝に手をかけて遙麓の片を見下した。
 とそれは定紋附の幔幕だ、思ふに捕方の野陣に相違あるまい。
 眞十郎一同の所に立ちかへつて云つた。
「麓は既に敵に圍まれてゐる、あの樣子では蟻の這ひ出る隙もないであらふ、吾々は覺悟をせねばならぬ。運を天帝にまかせ、刄の續く限り戰つてみるより外は無い。天運あらば此の内の幾人かはこの重圍を突破する事が出來るであらふ。」
「時が來たのだ、吾々の 覺悟はよい。」
誰も多くを語らない、同胞同志、盟友同志、萬感を籠めた眼を見合はせて悲壮な微笑をかはした。

鬱蒼とした境内での捕物劇

中央に森肇。右に若衆姿の田中絹代

生け捕りにした芳江(筑波雪子)に言い寄る幕府方役人

大正15年(1924年)の監督デビュー後にしばらく時代劇を担当していた清水宏監督の初期作。

山中での捕縛劇、寺社での乱闘、城下町の斬りあいなど物語の要所要所にアクションを交えつつも剣戟だけに焦点が当たっている訳ではありません。味方を一人、また一人と失っていく喪失感、仲間との協力で難局を突破していく連帯感が描かれ、登場人物がそれぞれの理想を追いつつも現実に悪戦苦闘していく姿が描かれていきます。

眞十郎を演じるのは映画初主演となる森肇。若衆姿の妹役で田中絹代さんが登場、後年の清水作品『ありがたうさん』で渋い紳士役として登場してくる石山龍嗣氏が精神に障がいのある青年を演じ、また後の小津や溝口作品で活躍する名優・坂本武氏が本作でデビュー…と、現時点で振り返ってみると1930年代以降に邦画現代劇を動かしていく監督と俳優がなぜか剣戟作品に集まってチャンバラをしている不思議な感覚を覚えました。

社会的な弱者(一向に付き従う老僕、芸者、障碍者、女性一般)へのフラットな視線を含んでいるのも大きな特徴で「清水タッチ」の原型を見てとることもできます。やや異色ながら「人」に比重を置いた興味深い時代劇です。

[JMDb]
落武者

[IMDb]
Ochimusâ

[著者]
映畫劇同好会

[出版者]
湯川松次郎

[発行所]
湯川明文館

[フォーマット]
14.6 × 10.7 cm、124頁、映畫文庫 十二

[出版年]
1925年

1929 – 『今年竹』(松竹蒲田、重宗務監督、岩田祐吉&栗島すみ子主演) 弁士用台本

« Kotoshi-Dake » (1929, Shochiku, dir/Shigemune Tsutomu)
Original Hand-written Script for Benshi-Narrator

『今年竹』は昭和4年(1929年)に公開された松竹作品で岩田祐吉と栗島すみ子主演作。里見弴による同名小説を元にしたものです。こちらは全108頁の手書き台本(作品前半の5巻分)で当時の弁士が実使用した一冊と思われます。表紙は作品タイトルと主演俳優名のみ、見返しに出演者一覧。

志村:岩田祐吉
須田:奈良真養
垣見:新井淳
万寿:清水一郎
足立:藤野秀夫
春代:栗島すみ子
女将:鈴木歌子
小錦:若葉信子
糸子
和子

次いで1ページを割いて江戸時代の端唄『萩桔梗』の歌詞引用。

萩桔梗 中に玉章忍ばせて
月に野末に 草の露
君を待つ虫 夜毎にすだく
更け行く鐘に 雁の声
恋は斯うした 物かいな

古い江戸の雰囲気を浮かび上がらせた後、汗がうだるような真夏の新橋の遊郭を舞台に物語が始まります。

「あら小錦さんよ」
「小錦さんの御はいりなさい」
「あらいやだわ」
「ゆうべからお座敷は小説家の須田さんでせう」
「いーえ とんでもない」
「ぢや誰なの」
「とに角あんたの評判は大したものよ そっちこっちに討死にした男がゴロゴロして居るんですってね」
「とんでもないわ」
「それはそうと春代さんは」
「お風呂ですの でも直き上って来るわ」
「世間では私の事を何んて言ってるか知らないけれど 当時名代の浮気者と言や春代さんですよ」

噂話の最中に、当の春代(栗島すみ子)が風呂から戻ってきます。春代には「足立さんと言ふ旦那」がついているのですが、最近は志村(岩田祐吉)に熱を上げていて、会話に名前が出てくるだけで目の色が変わるほど。

ちょうど店には春代目当てに志村と足立(藤野秀夫)が同時に訪れていました。

他の芸者をあてがわれた足立は不満顔で、「もっと綺麗な処を呼べ」と女将(鈴木歌子)を困らせています。志村はそういった状況を察していて「人の者を横取りしたと言はれちや私が否だ」と足立の相手をするよう春代に頼むのでした。

また店の常連客である小説家の須田(奈良真養)は小錦(若葉信子)にのぼせ上っている真っ最中。妻・糸子に廓通いを問い詰められ口喧嘩が始まります。須田は何とかその場をごまかしたものの納得いかないのは糸子の方。親友であり、志村の妻でもある和子と情報交換していきます。

和子「私とうとう志村の女の名前を聞いたんですの。春代と言ふんですつて」

志村の心は妻・和子と春代の間を揺れ動いていました。「深い女でも出来て家庭を壊す様な事はしたくない」と一旦春代と縁を切ることを決心します。

そんな志村の下に切羽詰まった一本の電話がかかってきました。妻の親族が経営している会社の経理・垣根(新井淳)からでした。芸者の小錦に入れあげてしまい会社の経費三千五百円を使いこんでしまった、とのこと。「此の上は自首仕様と決心しました」の言葉に対し、志村は「貴方の惚れ方は本気だ」とむしろ感心し金銭を建て替えることにしてあげたのです。

この一件で志村は春代のことを思い出します。「ままよ、行く所まで行こう」と決心し再び店に足を向けるのでした。

「よう志イさん是はお珍しい」
「まあ志イさん」

春代は女将に「今夜あたり何処かへ行つてもいゝでせう」と伺いを立てます。女将は一抹の不安を覚えながらも春代の覚悟を前に否とは言えませんでした。女将が手配した車に乗って春代と志村は店を離れるのでありました。

前半はここまで、「寫眞長尺に付キ五分程休憩します」の一文で台本が終了しています。

原作の里見弴が会話を通じた人間表現を得意としていたこともあって映画版も対話を多用、複雑な人間模様や心の闇を丁寧に描こうとしている様子を台本からも伺い取ることが出来ます。剣戟やメロドラマ作品に比べて一般受けはしにくそうですが、会話主体で流れていく作品を高く評価する視点もある訳で、観方次第で楽しめる内容だと思いました。

松竹座ニュース1929年第2号表紙より

この台本では糸子と和子を演じた人物が明記されておらず正確な配役が不明。JMDbのクレジットに林千歳、八雲恵美子両氏の名が上がっているのでこの辺の女優さんが演じていたのかな、と。初期のアイドル人気に陰りの見えていた栗島すみ子が成熟した女優に成長していく過渡期の作品で、八雲恵美子らの若手が研鑽を積む場になったと位置づけることもできるかと思います。

[JMDb]
今年竹

[IMDb]
Kotoshidake

[著者]
不明

[フォーマット]
24.3 × 16.6 cm、108頁

ケーテ・ハーク Käthe Haack (1897–1986) 独

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」より

Käthe « Käte » Haack c1920 Autographed Postcard

1910年代に女優デビュー、戦前〜戦後と途切れることなく映画出演を積み重ね、亡くなる直前の1985年まで長い役者人生を送ったのがケーテ・ハークでした。

女優に憧れ10代でレッシング劇場と契約を結んだ直後にマックス・マック監督の目に留まり、その勧めに従って映画界に入ったそうです。演技に芝居がかった大袈裟さがなく、独特の柔らかさと温かみを帯びています。そのため自然体の演技を好む監督さん(パウル・レニ、フィル・ユッツィ、ゲルハルト・ランプレヒト、パブスト、オフュルス)との相性が良く、とりわけ20年代のランプレヒト作品の常連になっていました。同監督が1931年に発表し、日本でも人気の高い『少年探偵団』(日本での公開後に原作邦訳が三冊同時出版されたそうです)で探偵エミール君の母親を演じていたのもそういった流れに連なるものです。

その後母親役から老け役へ、活動拠点も映画からテレビに移っていきます。女優歴は71年に及び、ダニエル・ダリュー(80年)やリリアン・ギッシュ(76年)に次ぐ息の長いものとなりました。特定の映画会社の花形女優ではなかったため雑誌の表紙を飾ることは稀でしたし、知名度で言っても先の二人にはかないませんが、彼女の出演作にはドイツ戦前映画の裏名作が多く含まれていて質的に見劣りしないものです。

今回入手した絵葉書は名前が「Käthe」ではなく初期の「Käte」表記となっている一枚(発音は変わらず)。サインもKäteと書いていますので1910年代末から20年頃でしょうか。

[IMDb]
Käthe Haack

[Movie Walker]
ケーテ・ハーク

[出身地]
ドイツ(ベルリン)

[誕生日]
8月11日

[データ]
[Photochemie, Berlin. K.1863. Bildnis von A. Binder, Berlin] 9.0 × 13.6cm

イローナ・カロレヴナ Ilona Karolewna (生没年不詳) ウクライナ

Ilona/Jlona Karolewna Late 1920s Autographed Postcard

イローナ・カロレヴナ嬢はキエフの生れである。踊り子となつてサンクトペテルブルクで初舞臺を踏んだ。歐州を興行で回り伯林に留まる事を選んだ。映畫界に足を踏み入れ、独逸映畫協会(DEFU)で幾つか端役を経験した。その後、巴里のシネロマン社と契約を結び、同社で数年の活躍を見せた。現在は映画界から完全に足を洗つている。

(「A-Z:ルクセンブルグ週刊画報」1935年11月24日付)

Ilonka [sic] Karolewna wurde in Kiev geboren. Sie wurde Tänzerin und trat zuerst in St. Petersburg auf. Sie machte ein Tournee durch Europa und blieb in Berlin. Als sie zum Film trat sie in einigen kleinen Rollen bei der Defu [Deutsche Film Union] auf. Sie wurde ferner von der Direktionder Cinéromans in Paris engagiert und spielt einige Jahre für diese Gesellschaft. Jetzt sie sich ganz zurück gezogen. (A-Z : Luxemburger illustrierte Wochenschrift, 24/11/1935)

オーストリア演劇博物館所蔵のポートレート
https://www.theatermuseum.at/de/object/0efa0d1169/

1920年代半ばに踊り子として訪れた欧州で話題を集め、ファッション・モデルや商品広告など写真の被写体として活躍。ほぼ同時期に映画出演を始めていて、マックス・ランデがヴィルマ・バンキーと共演した『脱線曲馬王』の端役で女優デビュー。ドイツのハリー・ピールの目に留まり、同氏が監督主演した2作のサーカス物『黒い道化師』(1926年)『ビーリー曲芸団』(1927年)の主要キャストに抜擢。その後フランス拠点で女優活動を続け30年代初頭に製作された旅芸人映画を最後に業界を離れています。

『ビーリー曲芸団』(Was ist los im Zirkus Beely?、1927年)より

出演作のうち『ビーリー曲芸団』は以前から現存が知られていてデジタル修復もされていました。もう一方の『黒い道化師』は遺失作品とされていますが、チェコのフィルム収集家が35ミリポジを所有しているようで一部がユーチューブで公開されていました。

[IMDb]
Ilona Karolewna

[Movie Walker]


[出生地]
ウクライナ(キエフ)

[データ]
Phot. A[nton]. Sahm. München. 8.8 × 13.7 cm

1953 – 『邂逅と印象:ナトー・ヴァチナーゼ自叙伝』 著者献辞入り(Встречи и впечатления, Нато Вачнадзе)

帝政ロシア/ソヴィエト初期映画史再訪 [09]

« Encounters and Impressions (Vstrechi i Vpechatleniya) »
Nato Vachnadze 1953 Dedicated Autobiography

優しく繊細なスヴェトラーナちゃんの誕生日に寄せて、ナターシャ叔母さんより。自分の息子二人に望んだのと同じくらい貴方にも幸せな人生を送ってほしいと思っています。

謹呈
1953年4月25日、トビリシにて

Дорогой доброй и чуткой Светланочке от тети Наташи в день рождения. Желаю тебе в жизни быть счастливой, так как я этого счастья хочу своим мальчикам. От автора. 25.04.53 года. Тбилиси.

ナトー・ヴァチナーゼ(ნატო ვაჩნაძე [IMDb])は1920年代前半にグルジア映画公社で銀幕デビュー。イワン・ペレスチアーニ、アモ・ベク・ナザリアン、ウラディミール・バルスキー、(後に夫となる)ニコライ・シェンゲラーヤ監督作品を通じて戦前グルジアの国民的女優となっていきました。『邂逅と印象』は女優活動が落ち着いた戦後に自身のキャリアを振り返って書かれた一冊です。見返しには本人が姪御さんに贈った自筆メッセージが残されています。

このメッセージが書かれた約2ヶ月後の6月14日、モスクワからトビリシへ向かっていた小型旅客機が墜落し乗客18名全員が死亡、名簿にヴァチナーゼの名が含まれていました。享年49。出演ペースこそ落ちていたもののグルジア映画界を支えていく気持ちは十分だっただけに早すぎた死が惜しまれます。

1927年『Amoki (Amok)』(コテ・マージャニッシュビリ監督)より

1920年代中盤のソ連製ポストカード

こちらは6年前に入手した絵葉書。アモ・ベク・ナザリアン監督作『ナテラ』(ნათელა、1926年)の一場面をあしらっています。


[出版年]
1953年

[出版社]
ゴスキノ出版社(モスクワ)

[ページ数]
151

[フォーマット]
ハードカバー、著者近影写真入り、23 × 15 cm

1929 – 『大利根の殺陣』(東亞、嵐寛壽郎主演、後藤岱山監督、山中貞雄助監督) 瀧本時代堂 説明本

« Ôtone no Satsujin » (Tôa Kinema, 1929, dir/Gotô Taizan)
1929 Takimoto Jidaido Novelisation

『サアサア、行け行け、今日こそは思ひのまゝに腕だめしをしてやるぞつ…』と、乾分どもはわいわいと出かけて行くので、今や大利根一帶の沿岸は殺氣滿ち充ちて今にも血の雨、血の川は目前に現はれ出るやうな氣がして來るのであつた。

斯うして居る中にも兩方の人數が次第次第に接近して來た、そして愈々大殺陣が布かれて、一大爭鬪が起らんとして居るのであつた。

時しもあれ、此の大利根の流れ沿ふて此の邊を通りかゝつたのが其の頃男の中の男と云はれ、侠骨いういうたる大前田英五郎であつた。

上州では相良金三郎(尾上紋彌)と久宮の丈八(頭山桂之助)一党の抗争が激化していた。劣勢を感じた金三郎は火の車のお萬(原駒子)に助勢を頼むが、その動きが挑発ととられ殺気立った丈八一党が結集、利根川河畔で大喧嘩が始まろうとしていた。たまたまそこを通りかかったのが大前田英五郎(嵐寛壽郎)であった。事情を聞いた英五郎は仲裁に入り一旦その場を収めるのに成功した。とはいえ火種が消えたわけではなかった。英五郎はお萬に惹かれていく一方、乳姉弟であるおつまが丈八の妻であるのを知り板挟みとなっていく…

嵐寛壽郎が東亞キネマで俳優キャリアの再構築に取りかかっていた時期の一作で、『鞍馬天狗』(1929年7月13日公開)と『右門一番手柄』(1929年11月1日公開)の間に公開されています。原駒子、尾上紋弥、頭山桂之助など東亞期のアラカン出演作ではお馴染みの面々が脇を固めているほか、後の山中貞雄監督が「社堂沙汰夫」名義で助監督を務めていました。

日本映画情報システムを含めた幾つかの日本語情報サイトでは「おおとねのたて」で登録されています。しかし物語は剣戟振付の「たて」と関係ありませんし、解説本でも「大殺陣/だいさつじ(ん)」の読み仮名が振られていいました。素直に「さつじん」と読むのが正ではないかな、という気もします。


[JMDb]
大利根の殺陣

[IMDb]
Ôtone no satsujin

[出版年]
1929年

[編集兼発行者]
瀧本昇

[発行所]
瀧本時代堂

[ページ数]
16

[フォーマット]
10.5 × 14.8 cm

1929 – 『月形半平太』(東亞、草間實主演、枝正義郎監督) 瀧本時代堂 説明本

« Tsukigata Hanpeita » (Tôa Kinema, 1929, dir/Edamasa Yoshiro)
1929 Takimoto Jidaidô Novelisation

或る夜のこと、京都三條の橋の畔り淋しい所を通つて行くと彼方なる暗がりの物影より突然現はれ出た、四五人づれの壯漢があつた。

『ヤアツ…來たぞ』とばかりに、彼等がさゝやきの聲の未だ絶えぬ間に、最ふ彼等の白刄は半平太の前後左右にキラメキ渡つて居る…

是は確かに反對論者の廻し者、『何んのその汝等如き者が百人千人來たからとて何程の事かあらん。イザイザ此の月形一平太の刄先を受けて見よ』と大喝一聲、ギラリと引き抜いた三尺の秋水、半平太の腕は剣道の達人であるから湛つたものではない。

1925年『国定忠治』『月形半平太』(いずれも澤田正二郎主演)に始まった行友李風原作映画の小ブームは翌年の『修羅八荒』4社競作でピークを迎えました。その後も『月形半平太』の人気が根強く、数年で河部五郎(日活)、山口俊雄(山口俊雄プロ)、林長二郎(松竹)、草間實(東亞)、阪東妻三郎(阪妻プロ/新興)…と途切れることなく映像化されていきます。

1929年東亞版は半平太に草間實、半平太の命を狙う藤岡九十郎に羅門光三郎、芸者染八に原駒子を配しています。監督は枝正義郎。前年の『坂本龍馬』を最後に阪妻プロと袂を分かち東亞に合流していたもので、『龍馬』での照明やカメラワークを思いあわせると本作にも何がしかの創意は含まれていたと思います。


[JMDb]
月形半平太

[IMDb]
Tsukigata hanpeita

[出版年]
1929年

[編集兼発行者]
瀧本昇

[発行所]
瀧本時代堂

[ページ数]
16

[フォーマット]
10.5 × 14.8 cm

1923 – 8mm 『国境の掟』 レオ・D・マロニー&ポーリーン・カーリー主演 米キャッスル社版 紫染色プリント

« Border Law » (1923, Leobee Films, 1940s Castle Films Tinted 8mm Print)

メキシコとの国境に近い町を保安官たちが守つていた。隊長の一人娘エレン(ポーリーン・カーリー)は若手保安官のチャック(レオ・Ⅾ・マロニー)に好意を寄せているが、奥手な青年は靡いてくれずヤキモキしている。ある日、町に瀟洒な身なりの男性がやつてきた。話を聞くと芸術家だという。エレンは男の車に同乗してチャック青年を嫉妬させようと試みる。青年は楽し気な二人の姿を見て落ちこむのであつた。