大正11年(1920年) – フェアバンクスとの新婚旅行道中の蒸気船から送られたメアリー・ピックフィードの電報

1920年 メアリー・ピックフォードの電報
1920 Telegraph Sent by Mary Pickford on Her Honeymoon Voyage to Europe

複写式のカーボン紙に記録された電報を台紙に貼ったもの。サイズは縦12.5×横19cm。

送信者名と住所は「メアリー・ピックフォード/ラップランド号」。文面は:

「数百万の英国フアンの皆様に、デイリー・グラフィック紙経由でよろしくとお伝え願えますか」

Will you send greetings to millions of admirers in England through medium Daily Graphic

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ラップランド号で新婚旅行中のピックフォード&フェバンクス(Wikiwandより)

1920年6月12日、ハリウッド女優メアリー・ピックフォードは蒸気船ラップランド号に乗船しフェアバンクスとの新婚旅行に出発しました。同月19日にロンドンに到着し波止場に待ち構えた多くのフアンから熱狂的な歓迎を受けます。イギリスから旧大陸へと移動、パリやモスクワでも数十万の人々が新郎新婦を一目見ようと集まってきました。

ニューヨークからロンドンへの船旅の途中、英国メディアに向けて発信した電報の実物が残っていました。

文章は「皆様によろしく」程度の内容です。ただ「medium Daily Graphic」の言い回しが曲者で、「medium」(「メディア」の単数形)は現在の「情報メディア」と、(たとえば恐山のイタコのような)「霊媒師」を重ねあわせたダブル・ミーニングになっています。「情報メディアのデイリー・グラフィック紙さんからよろしく」という通常の意味の他に「霊媒師となって私の気持ちを伝えて」のニュアンスが含まれてくる感じです。短いながらちょっと気の利いた言い回しが光ります。

二人にとって新婚旅行は単なるプライベートな旅行ではなく国外マーケットを開拓するチャンスでもありました。自身の影響力を当然自覚していたはずで道中でもプロモーションは怠らなかった訳です。

ちょうど百年前の映画界を彩った記録がこんな形で残っているなんて感慨深いです。

1920 – 春江堂書店・大活劇文庫『曲馬団の秘密』(The Iron Test、ヴァイタグラフ社)篠田緑水訳

大活劇文庫『曲馬団の秘密』篠田緑水訳
The Iron Test [1918 Vitagraph]
1920 Japanese Novelization by Shunko-Do

1918年に公開された15章物の連続活劇『曲馬団の秘密』をベースにした日本語小説版。モノクロのデジタル版を国立国会図書館のアーカイヴで読むことができます。

パール・ホワイトの中期作品『呪の家(The House of Hate)』で活劇スターの地位を確立したアントニオ・モレノを主演とした作品で、西海岸で活躍するサーカス団の花形エディス(キャロル・ホロウェイ)が危機に巻きこまれモレノ演じる若手芸人が助けていく展開となっています。

1910年代中盤の連続活劇ではウィリアム・ダンカンやエディー・ポロらの男優が日本でも人気を博していました。10年代後半あたりから甘いルックスの若手俳優(ラルフ・ケラード他)が目立つようになってきます。モレノはそういった時流に乗って活劇界のマチネー・アイドル的なポジションに付けていきます。

モレノはこの後『見えざる手』(1919年)と『隠された謎』(1920年)でポーリン・カーリーと共演。サイレント連続活劇の最盛期を飾っていきました。

『呪の家』(1918年)でアントニオ・モレノはパール・ホワイトの相手役となった。ホワイトは『ポーリーンの危難』と『拳骨で世界的な成功を収めたばかりであった。新作は20章仕立てとなっていて、モレノは軍需産業の王と呼ばれる男の愛娘と恋に落ちる若手科学者を演じている。「恐怖頭巾団」の魔の手を逃れるこのカップルの行く末が毎週のエピソードで追われていた。

続いてモレノは『曲馬団の秘密』に出演、獰猛な「赤いマスク」団に追われる軽業師役であった。

1920年、ヴァイタグラフ社社長のアルバート・スミスはさらに危険度の高い15章物活劇の主演にモレノを配した。『見えざる手』である。同じく15章仕立ての『隠された謎』がすぐに続いた。

フォトプレイ誌の編集者ジェームズ・R・クヮーク氏は1920年の映画評でモレノの「観衆を惹きつける驚くべき力」に触れ、彼こそが「連続活劇の王である」と断言した。ロマンチックなアイドルと剛勇ぶりを両立させた点で他の男優に優っている、というのであった。

『花形男優事始め』(D・W・メネフィー、2007年)

The House of Hate (1918) paired Antonio [Moreno] with Pearl White, fresh from her tremendous, worldwide success in the serilas The Perils of Pauline, The Exploits of Elaine, and The Romance of Elaine. This new, twenty-chapter serial cast Antonio as a young scientist in love with the daughter of a munitions king. Each weekly episode followed the young lovers as they escaped the perils of « The Hooded Terror ».

Antonio went into immediately to work in fifteen episodes of yet another serial, The Iron Test (1918) , as a circus acrobat hounded by menacing « Red Mask. »

[…] In 1920, Albert Smith put Antonio through fifteen weekly episodes of more danger in the serial, The Invisible Hand. This was immediately followed by another fifteen-episode serial, The Veiled Mystery.

James R. Quirk, editor of Photoplay magazine, in his 1920 review, noted Antonio’s tremendous drawing power, declaring him « the king of serial actors, » superior to others because of his onscreen prowess as a romantic idol.

(The First Male Stars: Men of the Silent Era,
David W. Menefee, BearManor Media, 2007)

The Iron Test in 1918 Exhibitors Herald Sep-Dec Issue
『曲馬団の秘密』
エキシビターズ・ヘラルド紙1918年9-12月号

[タイトル]
曲馬団の秘密

[出版年]
1920年

[発行者]
高橋友太郎

[発行所]
春江堂書店

[叢書]
大活劇文庫

[ページ数]
260頁

[サイズ]
四六判 18.6×12.5 cm

[原題]
The Iron Test (1919)

[製作]
米ヴァイタグラフ社

[Movie Walker]

[IMDb]
The Iron Test

[公開年]
1918年

1920 – 連続活劇『虎の足跡』 (ルース・ローランド主演、1919年)ロマン・シネマ叢書・仏語版

亡き父の旧友でもある鉱山王ゴルドンを訪ね、ボストンに向かっていたベル・ボイド嬢は汽車で親切な青年ランデルと知り合いになつた。話を聞くとその鉱山王の下で働いている技師とのことであつた。

道中二人が仲良く話しているその時、件の鉱山王は秘かな策略を張りめぐらせていた。ゴルドンとベルの父親、そしてもう一人の友人の3人がかつてインドで交わし、3つに割いてそれぞれに持ち帰った「契約書」を集め直そうとしていたのである。自宅に招待したベル嬢を息子と結婚させて懐柔しようとしたが、嬢は何としても首を縦には降らなかつた。

このやりとりを物陰で聴いていたのは女中ヒルダであつた。女はゴルドン家を離れると鉱山労働者たちの集う一角へ向かつた。外国人労働者が大半を占める中、一人白人の男がいた。彼こそがかつてゴルドン、ベルの父親と共に契約を交わした「虎の面」であった。男はヒルダとその仲間に命じてベル嬢の拉致を試みる。危難に陥った嬢を救おうとするのは青年ランデルただ一人であつた…

1910年代後半~20年代初頭のルース・ローランドは米パテ社連続活劇の稼ぎ頭としてパール・ホワイトに肉薄する勢いを見せていました。『覆面の呪』『幽霊騎手』『虎の足跡』『ルスの冒険』『森林女王』など多くの作品が日本でも公開されています。しかしその出演作はほとんどが断片でしか現存しておらず、映画祭などで上映される機会も少ないため評価されにくくなっているのが現状です。

『虎の足跡』のフランス語小説版はスチル写真を多く採録。蒸気機関車を絡めた追跡場面、谷間に張ったロープでスルスルと移動していく場面など活劇の「お約束」がきちんと守られているのが分かります。作品中盤では悪漢が丸太で扉を破っているシャイニング風の展開もありますね。

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大手パテ社が配給を手掛け大々的に宣伝していただけあってセットや衣装もしっかりしています。猪俣勝人氏『世界映画名作全史 戦前編』では「名金」、「鉄の爪」と「虎の足跡」の3作が活劇枠で紹介されていましたが、日本の愛好家にも良い印象を残した作品だったようです。

Serial Squadronが公開している現存フィルム断片

[タイトル]
Le Tigre sacré

[出版年]
1920年

[出版者]
ルネサンス・ドュ・リーヴル

[叢書]
ロマン・シネマ

[ページ数]
240頁

[サイズ]
16.5 x 24.5 cm

[原題]
The Tiger’s Trail (1919)

[製作]
アストラ映画社

[配給]
パテ社

1920 – 春江堂書店・大活劇文庫『蛸の手』(The Trail of the Octopus)麻生重人訳

探偵大活劇『蛸の手』(春江堂書店、大正9年)
1920 – The Trail of the Octopus (Japanese Novelization, Shunkodo) Cover

「はい、少し斗りお願の筋があつてまゐりましたの。此の手紙を御覧下さい。」
 恁う云つてラスは一通の書面をホルムスに差し出した。ホルムスが何が書いてあるかと怪しみながら取り上げて目を通して見ると、「死の商標は旋て我々の手に返つて來るであらう、紫の短劍を有してゐる九人の博士は一人一人に片附けて行く。ケニヨン博士は殺されたから、今度はお前の番だ」
 として、紙の一陽に羊の蹄の印が押捺してある。「ははあ、一體之は什うしたんですか?。」事情を知らぬホルムスは、先ず事情の筋道を聞かねばならなかつた。ラス、スタンホープは遂に、ホルムスの懇望によつて父博士から聞かされた一伍一什の物語をした。

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エジプトの砂漠で発見された「悪魔の商標(Devil’s Trademark)」を巡り、学者二人が諍いを起こし片方が殺害される。生き残ったスタンホープ博士は帰国するも、以来自分を見張る「二つの赤い目」に悩まされるようになったた。愛娘のルース(ネヴァ・ガーバー)は父を心配し、事件の解明を探偵ホルムス(ベン・ウィルソン)に依頼するも一足遅く、博士は何者かによって殺害された後であった…「悪魔の商標」を解除する9つの短剣は国内の学者たちの手に渡っており、その行方をめぐって探偵ホルムスと悪党たちとの激しい駆け引きが繰り返されていきます。

一部(第9章)を除いて現存が確認されており、なおかつDVDで市販されている連続活劇『蛸の手』(The Trail of the Octopus)の日本語版ノベリゼーション。元々は15章仕立てだった内容を春江堂版は11章に再構成。

表紙は蛸の足にからめとられる登場人物を描いたもので、裏表紙にまで絵が回りこんでいます。表紙を開くと見開きで拉致された女性を探偵と警官が追いかけているイラスト入り。その後大活劇文庫の他作品同様、映画からのスチル写真が4枚あしらわれています。

ネヴァ・ガーバーは無声映画の中期活劇を代表する女優の一人でユニヴァーサル社ではベン・F・ウィルソンと共演を重ねながら(『The Mystery Ship(1917)』『The Voice on the Wire(1917)』)、その後ハリー・ケリーの西部劇ヒロインとしても知名度を上げていきました。

[原題]
The Trail of the Octopus

[公開年]
1919年

[IMDB]
The Trail of the Octopus

[出版年]
1920年(大正9年)

[出版者]
春江堂書店

[ページ数]
248頁

[サイズ]
18.2 × 12.5cm

大正9年 (1920年) アントニオ・モレノ&ポーリン・カーリー主演『見えざる手』 仏語小説版

1919-20 The Invisible Hand (Vitagraph) French Novelisation Cover

1919年末から20年に公開された15章仕立ての連続活劇。日本でも1921年に『見えざる手』として公開されており、法令館キネマ文庫からは日本語小説版が発売されていました。

美形男優として人気のあったアントニオ・モレノ、フェアバンクスや早川雪洲との共演で注目を浴びつつあったポーリーン・カーリーをダブル主演に迎え入れるなどヴァイタグラフが力を入れて製作していた様子が伝わってきます。20年秋に二人を再度主演に据えた『隠された謎(The Veiled Mystery)』が公開されたのを見ると観衆の反応も悪くなかったようです。

内容は連続活劇王道をいくもので「鉄の爪」と呼ばれる悪党団を相手にした丁々発止のやりとりが描かれていきます。敏腕刑事(アントニオ・モレノ)が一味の捕縛を試みる中、その捜査を助けるため女性探偵アン(ポーリン・カーリー)が凶賊の内部に忍びこんでいきます。ダブル主演の利を生かして二人の連携や危機を描き分ける形で単調になりがちな活劇パターンに新味を与えようとしています。

1919-20 The Invisible Hand (Vitagraph) French Novelisation

ハリウッド連続活劇では「予想もつかない場所からニュッと手が伸びてきて主人公を襲う」パターンが好んで使われます。ルース・ローランド主演の『タイガーズ・トレイル』(The Tiger’s Trail、1919年)が有名(YouTube)なのですが『見えざる手』はこの方向性を押し進めた要素を含んでいます。

1917-22 忘れじの独り花(4)マリア・レイコ Marija Leiko (Мария Лейко 1887–1938) ラトビア

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

マリア・レイコ 1920年 サイン絵葉書
Marija Leiko 1920 Autographed Postcard

2017年8月から9月にかけて、リガ映画博物館で無声映画期の女優、マリア・レイコの回顧展が開催されていました。自国ラトビアでもほぼ忘れ去られていた女優だったため、この企画で初めて名前を知った人も多かったようです。

Marjia Leiko in Die Spelunke (mid 1910s)
1910年代中頃の舞台関連絵葉書
フリッツ・メンデル氏旧蔵スクラップ帖より)

1900年代末にドイツへと移り、演劇の下積みを重ねながら知名度を上げていきます。古典劇を得意とし『ハムレット』や『ファウスト』でヒロイン役を務める機会もあったそうです。1917年からラインハルト劇団に所属、同時期に映画にも出演し始めるようになります。当時ケンタウロス映画社を拠点としていたハンス・コーベ監督やヨハネス・グウター監督作品に多く出演していました。

『グリーンアレイ』(1928年)でのマリア・レイコ
『グリーンアレイ』(Die Rothausgass、1928年)でのマリア・レイコ
20年代末となり無声映画の終わりが近づくと映画界を離れ舞台の世界に戻っていきます。ナチスが政権に就くと母国ラトビアに帰国、そのまま自国で活動を続けていきました。

1935年、産褥で亡くなった娘の葬儀のためソビエトへと向かい、帰路、友人の勧めでソビエトで劇団に所属することになります。折しもスターリンによる敵対勢力の粛清が吹き荒れており、マリアさんは同僚らと共にスパイ容疑で逮捕され、1938年2月、型通りの裁判で有罪宣告され銃殺されました。享年51。大国の思惑に翻弄されたラトビアの20世紀史そのものの人生でした。

リガ映画博物館での回顧展は生誕130年を記念して開催されたものです。ラトビア出身女優は他にリア・マラ(Lya Mara)もいましたし、ドイツ無声映画が多国籍な環境で発展していった様子が伺えます。

[IMDB]
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[Movie Walker]

[誕生日]
8月14日

[出身]
ラトヴィア(リガ)

[サイズ]
8.6 × 13.4cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 1102. Atelier Nippold, Frankfurt a/M
1920年2月19日の日付入り

エルンスト・マトレイ Ernst Matráy (1891 – 1978) ハンガリー

「国別サインリスト ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」より

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Ernst Matray 1920 Autographed Postcard

ハンガリー出身の舞踏家、俳優、監督兼振付師。

1910年代初頭にマックス・ラインハルトに才能を見いだされ舞台デビュー。ラインハルト劇団で話題を呼んだ『奇跡』(マリア・カルミ主演、1911年)に出演し、ダンスパートの振付も担当しました。

Ernst Matray in Hilde Warren und der Tod (1917)
1917年作品『ヒルデ・ワーレンと死神』(ヨーエ・マイ作品、脚本フリッツ・ラング)

映画では牧神、道化師、悪魔など異形の役どころが多く回ってきていたようです。フリッツ・ラングが脚本を書いた『ヒルデ・ワーレンと死神』では放蕩の生活を続け、最後母親に銃で撃ち殺されるろくでなしの息子を演じていました。

俳優時代のルビッチとも共演歴があり、短期間ながらも共同で映画会社を設立、両者の名前からMalu映画社と名付け経営を行っています。同時期に監督業にも進出し1916年に『オペラ座の怪人』を残しました。フィルム自体は現存していないものの、この小説の最初の映像化で初期ホラー愛好家が見たがっている作品の一つです。

トーキーの時代となり、1930年代にハリウッドに渡ってから新たなキャリアが開けてきます。当時の妻だった女優マリア・ソルヴェクと振付師のチームを組み、MGMなど大手作品のダンス場面を担当したのです。

Waterloo Bridge (1940)
『哀愁』(1940年)のバレエ場面

日本でもよく知られた『哀愁』(1940年)や『心の旅路』(1942年)の舞踏場面はマトレイ夫婦が振付したものでした。メロドラマ作品に一瞬現れるダンスやバレエを意識する機会はあまりないため、こんな形で無声映画の血流が続いていくのかと驚かされました。

絵葉書の写真は『吸血鬼ノスフェラトゥ』と重なります。サインの年号(1920年)を見ると同作公開より前になっています。

[IMDB]
nm0559305

[Movie Walker]
Ernst Matray

[誕生日]
5月27日

[出身]
ハンガリー(ブダペスト)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.2289. Phot. Nicola Perscheid, ,Berlin