1923 – 9.5mm サンドラ・ミロワノフ主演『聖女ベアトリクス伝説』 (ジャック・ド・バロンセリ監督)

「9.5ミリ 劇映画」より

Sandra Milowanoff in La Légende de soeur Béatrix

映画を倫理教育に活用していこうとする発想は古く、欧米では早くから宗教的テーマを扱った作品が製作されていました。1920年代フランスでも例えば『聖テレーズ伝説』(La vie miraculeuse de Thérèse Martin、1929)やルルドの奇跡譚を扱った『聖ベルナデット伝説』(La vie merveilleuse de Bernadette、1929)が公開されています。

今回紹介する『聖女ベアトリクス伝説』も同様の傾向を持つ作品ですが、サンドラ・ミロワノフやエリック・バークレー、シュザンヌ・ビアンケッティら有名な俳優を配することでより広い客層をターゲットに入れています。

時は13世紀、若い修道女が幼馴染の領主と再会、恋愛感情から修道院を脱走。世俗の幸福を手に入れるもやがて現実(夫の不貞、子供の病死、貧困)に打ちのめされ、無一文で修道院に戻った所…と続いていくのがメインストーリーです。シャルル・ノディエの短編を下敷きにしていますがキリスト教社会では古くから知られた伝承です。

1910年代にはドイツのマックス・ラインハルトがマリア・カルミ主演で舞台化し、後に同女優の主演で映画化(『奇蹟』)されてもいます。『奇蹟』と『聖女ベアトリクス伝説』 は対照的な作品で、前者が視覚的な訴えかけを重視しているのに対し、後者は伝説の流れを丁寧に追おうとしています。

以前に『氷島の漁夫』でも触れたようにバロンセリ作品は個々の構図を見ると勝れているのに映画としては冗長に流れる欠点があります。好みの問題と言えなくもなく、一続きのストーリー感のある聖女伝としてはこちらの方が分かりやすいかもしれません。

Sandra Milowanoff in La Légende de soeur Béatrix
Sandra Milowanoff in La Légende de soeur Béatrix (1923, Jacques de Baroncelli) 9.5mm French Pathé Version

[タイトル]
La Légende de soeur Béatrix

[公開年]
1923年

[IMDB]
La Légende de soeur Béatrix

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
986

[9.5ミリ版発売年]
1925年

[フォーマット]
9.5mm 無声 20m×4巻 ノッチ有

1923 – 9.5mm ノーマ・タルマッジ主演作 『愛の唄』(The Song of Love)

1923 9.5mm Fleur des sables (The Song of Love) starring Norma Talmadge

サハラ砂漠では進駐フランス軍とイスラム系遊牧民の間に対立が起こっていた。「族長が息子と共に反乱を企てている」の情報をキャッチした軍部は若き士官レイモン(ジョセフ・シルドクラウト)をスパイとして送りこむ。そこで出会ったのが踊り子のヤスミナ(ノーマ・タルマッジ)とだった。当初は情報源に利用するつもりだったが演技は次第に本物の愛情へと変わっていく。ヤスミナをだまし続けている訳にはいかない、レイモンは自分がイスラム教徒ではないと告げ、傷ついた女を残して関係を絶つのであった。

族長たちによる謀叛は深夜に決行と相成った。「例のフランスのスパイは手酷く拷問してやれ。殺してくださいと自分から嘆願するほどにな」、殺気立った人々の会話を聞いたヤスミナはいてもたってもいられなくなりレイモンの元に向かった。残された時間は少ない、武装反乱軍たちはフランス軍の基地を今まさに陥落せんとしているところであった…

1910年代にヴァイタグラフ社を代表する女優となったノーマは映画プロデューサーと結婚後、自身の映画製作会社「ノーマ・タルマッジ映画社」を設立して拠点を移しました。

制約の多い大手を離れ自身のプロダクションで活動する例は大半が短命に終わったなかで、ノーマ・タルマッジ映画社は『復讐の灰』(1923年、フランク・ロイド監督)や『キキ』(1926年、クラレンス・ブラウン監督)などヒット作をコンスタントに発表し続け無声映画末期まで最前線での活動を続けていきます。

『愛の唄』も同社制作、合衆国ではファースト・ナショナル社、フランスではパテ社からの配給となりました。『シーク』(1921年)でヴァレンチノ人気が爆発していた時期に当たり北アフリカのエキゾチックな設定を組みこんでいます。

セットや衣装、ライティングに贅を凝らした出来で反乱軍と仏軍の抗争場面も大掛かりに描写されています。とはいえ制作費と完成度が比例しているかというとそうでもなく、型通りの戦争メロドラマを一通りなぞっただけで終わってしまっています。士官役ジョセフ・シルドクラウトは悪くないのですがノーマ自身の演技が大袈裟で、ヒステリックな空気が出過ぎていて興を削がれました。

1920年代となり若手が次々台頭する中でベテラン女優が様々な試行錯誤をしながら生き残りを図っていた様子は伝わってきます。1910年代と20年代の「壁」は相当に厚く、この壁を乗り越えた役者は僅かだったと思いあわせるなら健闘とも言えます。『老いらくの戀』と比べるなら、20年代特作より初期のヴァイタグラフ作品をお勧めしたいです。

[タイトル]
Fleur des sables

[原題]
The Song of Love

[公開年]
1923年

[IMDB]
The Song of Love

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
804

[9.5ミリ版発売年]
1925年

[フォーマット]
9.5mm 無声 10m×6巻 白黒・ノッチ有

マリー・オズボーン Baby Marie Osborne (1911 – 2010) 米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Marie Osborne 1923 Inscribed Photo
Baby Marie Osborne 1923 Inscribed Photo

映畫界に這入つたのは數年前で、最初はパセ會社のバルボア映畫に現はれた。大正六年の春電氣館に上場されたルス・ローランド嬢出演の連續映畫「赤輪」に、オスボーン嬢も姿を見せてゐた。その映畫はバルボア撮影所の製作に係つたもので、恐らく我國に於ける最初のお目見得であつたらうと思ふ。

房々とした髪、晴れやかな頬、明るい無邪気な瞳、そして子供らしい唇、それ等は映畫劇に於ける子役として、最も適當なものであつた爲めに、嬢の出演映畫はその製作の度に多大の拍手をつて迎へられた。その結果、パセ會社は特に嬢を主人公とする映畫を作つた。「可憐なマリー・サンシャイン」「ジョートと龍」「日蔭と日向」「黄昏の物語」「雙兒のキッディー」などがそれである。その頃から嬢はサンシャインという綽名で呼ばれるようになつた。この綽名が示すやうに、嬢の子供らしい無邪氣さには、少しの厭味もなく、唯春の空のやうな明るさのみが感じられる。

『活動名優寫眞帖』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1930年代にシャーリー・テンプル、1920年代にベイビー・ペギーやジャッキー・クーガンが名を馳せる以前、無声映画の最初期に子役として人気を博した一人がマリー・オズボーンでした。ヘンリー・キング監督の作品で見せた天真爛漫な演技から「サンシャイン」のあだ名で親しまれていました。

Marie Osborne Le Film, n°116
1918年仏ル・フィルム誌116号の表紙より

1919年には子役を引退、以後裏方として映画産業に関わっていきます(1965年のジャック・レモン主演作『女房の殺し方教えます』衣装担当他)。『活動名優寫眞帖』で挙げられていた『雙兒のキッディー(Twin Kiddies)』など出演作の幾つかが9.5mmフィルムで発売されていた記録が確認されています。

サインには役者業を引退した後の1923年の年号が付されています。この時期の直筆物を他に見たことがなく、役名で使用していた「Osborne」ではなく本名の「Osborn」を使用するなど現時点で紛れあり。

[IMDb]
Marie Osborne

[Movie Walker]
マリー・オズボーン (Marie Osborn)

[出身地]
合衆国(コロラド州デンバー)

[誕生日]
11月5日

[撮影]
エヴァンス L.A.

リダ・サルモノヴァ Lyda Salmonova (1889 – 1968) チェコ

「オランダ~東欧~バルト三国 [Netherlands, Eastern Europe & Baltic States]」より

Lyda Salmonova 1923 Autographed Postcard
Lyda Salmonova 1923 Autographed Postcard

遺失してしまった映画でも写真が残っているものがあって、そのうちの一枚では芝生に花の散りばめられた丘で、銀色の日差しを浴びながら少女が踊っている。同じ色調の異なった模様でパターン化されたドレスは、ハーメルンの魔法の笛にあわせて踊る時に牧草地の色味と調和を見せている。この服装に身を包まれたリダ・サルモノヴァは、ベルリン・ドイツ劇場に登場してきたオフェリアたち、ジュリエットたちにも似ている。

『呪われた銀幕』ロッテ・アイスナー

Lyda Salmonova in Der Rattenfänger von Hameln (1918)
『ハーメルンの笛吹き男』(Der Rattenfänger von Hameln, 1919)でのヴェゲナー/サルモノヴァ

Among the surviving images from these lost films there is one of a girl dancing in the silvery sunlight on a grassy flower-spangled hill. Her dress, patterned in different shades of the same tone, harmonizes with the tints in the meadow, as she dances to the magic pipe of Hameln. The young Lyda Salmonova under the spell of the music bears a resemblance in this costume to the Ophelias and Juliets of the Deutsches Theater.


The Haunted Screen, Lotte Eisner (1952)

マックス・ラインハルト門下生として舞台劇の修業を積み、初期ドイツ映画の重要作(『プラーグの大学生』『巨人ゴーレム』)のヒロインとして映画史に名を残したチェコ出身女優。アイスナーが言及していた『ハーメルン』を含め、実生活での夫でもあったパウル・ヴェゲナーとの共作を多く残しました。

Lyda Salmonova in Der Golem, wie er in die Welt kam  (1920)
『巨人ゴーレム』(Der Golem, wie er in die Welt kam, 1920)でのサルモノヴァ

[IMDb]
Lyda Salmonova

[Movie Walker]
リダ・サルモノヴァ

[出身地]
チェコ(プラハ)

[誕生日]
7月14日

[データ]
Lyda Salmonova als Frau Marte in « Hans Trutz im Schlaraffenland ». [Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 9436] 13.3 × 8.4cm

1923 – 16mm パール・ホワイト主演 『プランダー』 断片(ジョン・ハンプトン・コレクションより)

「パール・ホワイト連続活劇 [Pearl White Serials]」より

16mm – Pearl White in Plunder (1923)
lower contrast 2nd negative preview
from the John Hampton Collection

1910年代に一世を風靡したパール・ホワイトでしたが、連続活劇の女王の立ち位置に複雑な思いがあったようです。パテ社との契約を終えた後パラマウント社のドラマ作品に出演を開始。しかし思うように運びませんでした。低迷する人気を前に活劇への復帰を決断、旧知のジョージ・B・サイツを監督に『プランダー』を完成させました。同作は1923年に公開され女王の帰還は好意的に受け入れられます。残念ながら撮影中にスタントマンが事故死する不幸もあり、本作を最後にパールは連続活劇を離れています。

全15章仕立て。完全版はUCLAに保存されているものの全編がソフト化されたことはなく、複数のメーカーが断片をデジタル化するのみにとどまっています。

今回入手した16ミリはリーダー部分に「John E. Hampton」の名前が記されています。

ジョン・ハンプトン氏は1942年に「オールドタイム・ムービー・シアター」を立ち上げた人物で、その無声映画コレクションは個人レベルとして当時最大級のものでした。1988年にUCLAが保存プロジェクトを発案、ハンプトン氏も売却に合意します。この時に基金を立ち上げ資金提供したのがヒューレット・パッカード社のデビッド・パッカード氏だそうです。現在UCLAに保存されている完全版『プランダー』はジョン・ハンプトン氏からデビッド・パッカード氏経由で所有権を移したプリントです。

リーダーには「低コントラスト版の第2ネガより Made from negative #II (lower contrast – second made negative)」の手書き文字。オリジナルのプリントから16ミリの複製を作成する際、条件を変えてコントラストの異なる版が作られ、その際に発生したプレビュー用の断章と推定されます。

[参照]
英ガーディアン紙によるオールド・タイム・ムービー・シアターの紹介
https://www.theguardian.com/film/2000/sep/08/culture.features2
UCLA委託によるジョン・ハンプトン・コレクション目録作成についてブログ記事
http://docsrused.blogspot.com/2013/07/john-hampton-and-silent-movie-theater.html
デビッド・パッカード基金の保存フィルム一覧
https://www.packhum.org/preserved.html

[『プランダー』断章を含むDVD]
2006: Pearl White, Queen of the Serials (Grapevine Video) 数分のプレビュー動画
2008: The Lost Serial Collection (Serial Squadron)

[タイトル]
Plunder

[製作年]
1923年

[IMDB]
tt0014365

[メーカー]
非売品(保存作業時に発生したプレビュー用の第2プリント)

[フォーマット]
16mm (ダブルパーフォレーション) 無声 400フィート

1923 – 9.5mm 『いろり』 (ロベール・ブドリオズ監督)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

後に性格俳優として評価を確立していくシャルル・ヴァネル(Charles Vanel)が初めて注目を浴びた長編として知られています。

捨て子として育てられた女性アルレットをめぐり、兄弟の間で奪い合いが始まります。アルレットは弟のジャンに好意を持っていたのですが、養父は芸術家肌のジャンを認めず、兄のベルナールに無理矢理嫁がせてしまうのです。失意のうちに家を出るジャン。しかし夫の暴力に耐えきれなくなったアルレットは手紙でジャンに助けを求めるのでした…

物語は暗めで配役にも華やかさはありません。しかし兄(ヴァネル)、弟(ジャック・ド・フェロディ)、父(モーリス・シュルツ)の三者三様の演技は見応えがあり、田舎の封建的な様子をえぐっていく展開もなかなかで硬派な秀作と見ました。

[タイトル]
L’Atre

[公開年]
1923年

[IMDB]
tt0011901

[メーカー]
仏パテ社

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 200m *1リール

1923 – 9.5mm 『奥様にご用心』

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

顧客の男性から妻の浮気について調査を依頼された興信所が探偵(ポール・パロット)を現場に送り込みます。カメラを手に乗りこんだものの、フラッシュ用の薬品を爆発させてしまい大騒ぎに。後半には鏡を使ったギャグも登場。

[タイトル]
Paul Parrott in « Watch Your Wife »

[原題]
Watch Your Wife

[製作年]
1923年

[IMDB]
tt0433196

[メーカー]
米パテックス社

[カタログ番号]
IC-51

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m *2リール

アリス・カルホーン、大正12年の直筆はがき Alice Calhoun (1900 – 1966)

復活祭のかわいい絵はがきをありがとう。
思い出してもらえるなんて本当に感激です。
絵はがきとても素敵ですね。
復活祭は楽しく過ごせたでしょうか。
いつでも手紙ください。

親愛なる アリス・カルホーン

Honey,

Many thanks for the lovely Easter card.
It surely was sweet
of you to think of me.
it is very graceful.
Do hope you had a pleasant Easter.
Write when you can.

Lovingly, Alice Calhoun

1920年代初頭からヴァイタグラフ社で活躍していた女優さん、アリス・カルホーンが大正12年(1923年)4月22日に送ったメッセージ入りの絵葉書。ペンシルベニア州在住のメアリー・トンプソンさんに宛てられたもので、イースター(復活祭)の葉書を受け取ったお礼がつづられています。

[IMDB]
nm0129896

[出身]
米国

[生年月日]
11月21日

[コンディション]
B+

イヴェット・アンドレヨール Yvette Andréyor (1891 – 1962)

「フランス [France]」より

Yvette Andreyor 1923 Autographed Postcard
Yvette Andreyor 1923 Autographed Postcard

最初に映画に参加したのはゲオ・ジャナン社の「イヴェット・アンドレヨール主演映画シリーズ」、當時主流だった400メートル程の作品でした。大戦が始まる直前の1914年8月に撮影した5本の映画でシリーズは幕を下ろしました。その後1916年からゴーモン社で多くの脚本を演じました。『ジュデックス』『脱走した女』『他人』『目隠し』 『自由の魂』『十三日の夜』などで、最後の作品は1921年にアンリ・フェスクール監督の下で撮ったものです。『シャントルーヴの城』『ジュディット』に最後もう一つ『モニーク嬢の罪』。これはジャン・トゥールー氏との共演作でバルバザ映画社で撮ったのですが監督はゲオ・ジャナン社時代に知り合った親友のロベール・ペギー氏です。

「イヴェット・アンドレヨール」
モンシネ誌1923年5月3日付63号

Ce fut, pour mes débuts, la série des films Yvette Andreyor chez Janin. Des films d’environs 400 mètres, comme on en faisait à ce moment. Cinq furent tournés avant la guerre aôut 1914, et ce fut la in de la série. Puis, à partir de 1916, je tourné de nombreux scénarios chez Gaumont: Judex, Déserteuse, L’Autre, Le Bandeau sur les Yeux, La Sandorf, La Nuit du Treize. Ce dernier en 1921 pour Fescourt. Chantelouve, Judith, enfin, un autre film, Le Crime de Monique que j’ai tourné avec Toulout pour les films Barbaza et où j’ai trouvé, comme metteur en scène, mon vrai ami Robert Péguy que j’ai connu chez Janin…

Yvette Andreyor
(Mon Ciné, No 63, 3 Mai 1923)

フランスの連続活劇『ジュデックス』(1916年)でヒロインを演じたイヴェット・アンドレヨール(1891 – 1962) のサイン絵葉書。1923年、ミシェル・ドリュエズ(Michel Druesue)氏に宛てた一枚となっています。