1925 – 『國定忠治』 (東亜キネマ、マキノ省三監督) 絵葉書3点 澤田正二郎主演

Kunisada Chûji (1925, Tôa Kinema, dir/Makino Shôzô) 1925 Promotional Postcards

澤田正二郎氏が等持院にて映畫製作の風評あれど、次號にて詳報す。

「撮影所通信:東亞等持院通信」
(キネマ旬報第178号 大正14年11月21日付)

澤田正二郎氏一派の映畫製作は愈々實現される事となり、第壹回作品は「國定忠治」と決し十一月廿七日より等持院撮影所に於て牧野省三氏總指揮の下に撮影を開始した。監督は金森万象氏二川文太郎氏仁科熊彦氏の三氏が擔當し、撮影は宮崎安吉氏持田米彦氏が擔當した。尚第弐回作品には菊池寛氏の「恩讐の彼方」と内定し本年度中に完成する豫定である。さらに來年度には中里介山氏の「大菩薩峠」を映畫化する計畫もある由である。

「撮影所通信:東亞等持院通信」
(キネマ旬報第179号 1924年12月1日付)

大正14年(1925年)1月に公開された『國定忠治』の宣材絵葉書3点。

1枚目は旅姿の忠治(澤田正二郎)を斜め前から捉えた立ち姿。8ミリ版フィルム外箱の写真と似た構図ながらスチル写真のため表情や姿勢に異同が見られます。

2枚目は8ミリ版に対応する場面のなかった一枚。右の女優さんは「夙に澤田正二郎の教を受け、現在新国劇中唯一の女優。小柄なれども持味のゆたかな人」(『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』1931年1月 冨士新年號附録)と評された久松喜代子さんではないか、と。映画では忠治の子分・長五郎の妻役を演じています。

最後の一枚は忠治(左)が山形屋に乗りこんでいってだまされた百姓の金を奪い返す場面からの一コマでした。

今回キネマ旬報を読み直していて気がついたのですが、同誌の記事や広告だと牧野省三氏はあくまでも「製作総指揮」の位置づけで、監督としては金森万象、二川文太郎、仁科熊彦の三名の名が挙がっていました(JMDbではいずれも助監督扱い)。

1925 – 35mm 『凸凹の密輸人退治』断章 (スヴェンスク・フィルムインドゥストリ社、グスタフ・モランデル監督) 独プリント

« Polis Paulus’ påskasmäll » (1925, Svensk Filmindustri, dir/Gustaf Molander) 1920s German « Pat und Patachon als Polizisten » 35mm Fragments

先日ドイツのイーベイで題名不詳の35ミリフィルム数本がオークションにかけられていました。そのうちの一本がこちら。

ホテルのレストランで開かれているパーティーが舞台となっていて
 1)仮面姿の女性が燕尾服の男の背後にそっと近づいてキスをして逃げ去る場面
 2)年配の男女4人が談笑し食事をしている場面
 3)仮面をかぶった背の高い男性が投げキッスを送る場面
 4)会食中の女性が嬉しそうに微笑むクローズアップ
と展開していきます。

最初に目に留まったのはクローズアップされたぽっちゃり系の女優さんでした。

Stina Berg in « Polis Paulus’ påskasmäll »

1910~20年代北欧で活動していた名脇役スティーナ・ベウです!見覚えがあったため手持ちのデータを確認したところ1925年公開のスウェーデン作品『Polis Paulus’ påskasmäll』断章と判明しました。日本未公開作品で邦題はなく、英題(The Smugglers 「密輸人」)をそのまま訳出しています。

本作はデンマークの喜劇ユニット「フュー・オ・ビ(Fy og Bi)」が主演した喜劇連作の一作。同シリーズはデンマークのラウ・ラウリッツェン監督の手による物が多いのですが、本作で初めて国外(スウェーデン)の製作会社・監督に委ねられることになりました。

物語はディナ(スティーナ・ベウ)が自身の経営するホテルに姪アンヌ・マリー(リリィ・ラニ)を招待したことから始まります。アンヌ・マリーとステン(エリック・バークレイ)の恋愛模様と、町の警察官(ハラルド・マドセン=凹)と浮浪者(カール・シェンストローム=凸)の追跡劇が同時進行していく中で最後は地元で暗躍している犯罪グループが摘発されてハッピーエンド。

グスタフ・モランデルの監督・演出はこなれたもので喜劇要素を大事にしつつも多層的な展開を上手くまとめあげており、凍りついた湖や森などの美しい自然描写を随所に盛りこんでいます。

オーストリアとデンマークの映画協会がそれぞれ不完全な35ミリ版を所蔵しており、2009年に両者を組みあわせて1時間42分のリストア版が制作されています。入手した断片はこの修復版の中盤、50分20秒~52分40秒辺りに対応している部分でした。

[IMDb]
Polis Paulus’ påskasmäll

[Movie Walker]


[公開]
1925年4月6日

1928 – 『凸凹の狼狩人』 (Ulvejægerne、1925年、ラウ・ラウリッツェン監督) 仏語小説版 « フィルム・コンプレ »

« Loup, y es-tu? » (Le Film complet du jeudi, N° 514, 7 juin 1928)
based on 1925 Danish Film « Ulvejægerne »

「連休は父親の所に行ってこようかな、と。ユトランドのブレケルシュタット育ちって話しましたっけ。次いでにちょっと運動してこようと決めました」
ホテルレストランのオーナーは大きく目を見開いた。
「運動なんて毎日してるんじゃないか」
笑い出だした青年。
「今回はちょっと特別なんです。ユトランドの森に狼が沢山出てるみたいなんです」
ニコレ氏の驚きは驚愕に変わった。
「狼って。デンマークの森にまだ狼がいるなんて知らなかったよ」
ポール青年はうなずいた。
「僕もです。でも本当らしいんですよね。この記事見てもらえますか」
オーナーに差し出した新聞は朝刊のもので、該当記事に目をやったニコレ氏は得も言われぬ感情に体が震えるのを感じた。

– Je vais chez mon père, patron. Ne vous ai-je pas dit que j’étais de Brekerstatt, dans le Jutland…
« Je me promet, d’ailleurs, de faire du sport.
Le patron ouvrit les yeux tout grands.
-N’en faites-vous pas tous les jours?
Le jeune homme se mit à rire.
-Cette fois, il s’agit d’un sport un peu particulier. On annonce que les forêts du Jutland sont infestées par les loups.
L’étonnement de M. Nicolet se changea en ahurissement.
– Des loups! Je ne savais pas qu’il y avait encore des loups dans le Denmark.
Paul Lindsomm acquiesça.
– Moi non plus, mais c’est pourtant certain, lisez ce journal.
Il tendit au patron une feuille imprimée, qui datait du matin et M. Nicolet, dès qi’il eût jeté les yeux sur l’article qu’on lui signalait, se mit à trembler d’émotion.


自転車修理士として小銭を稼ごうとしていた凸と凹はペテンを見破られてあえなく廃業。

折しも新聞では狼が確認されたという報せが。狼狩に向かう村人たちに凸凹二人も合流します。

水辺でキャンプを張ろうとした一団でしたが先客の水着美女たちに見つかって追い払われてしまいます。 その後仲直り、思いもかけぬハーレム状態に何をしに来たのか忘れ果ててしまう始末

油断している一行の前に現れた狼の群れ、果たして狩人たちの運命や如何に…と物語は続いていきます。

「フィルム・コンプレ」は毎週木曜日に発行されていた16頁冊子形式の映画小説専門紙です。空気に触れているとボロボロになりやすい酸性紙で普段表に出さないのですが久しぶりに引っぱり出してきました。

フュー&ビの連作喜劇にはスラップスチックな追っかけ、サイドストーリーで絡んでくる恋愛要素、突然登場してくる謎の水着美女集団など幾つかの定型パターンがあります。『狼狩人』はそういった約束事を守った正統派の一作。今回見直してみてマック・セネット喜劇の影響が強いことに気が付きましたが、それも作品世界によく馴染んでいます。

[タイトル]
Loup, y es-tu?

[原題]
Ulvejægerne

[IMDb]
Ulvejægerne

[発行所]
Le Film complet du jeudi

[出版年]
1928年

[フォーマット]
26.0 × 18.0 cm、16頁

1926 - 高木新平主演 『南蠻寺の怪人』(東亞、長尾史録監督) 説明本・出版者不明

« Nambanji no Kaijin » (The Monstor of the Namban-ji Temple, Tôa Kinema, 1925-26, dir/Nagao shiroku) 1926 Novelization

芳三郎の身は漸く危險を免れたが、哀れや遊女の此花は、此の騒ぎの最中に、南蠻虎の手下の爲めに拉し去られて、南蠻寺の隠れ家に連れて行かれた。惡漢の大將なる南蠻虎と彌六の辰、鮟鱇の重は不思議にも捕手を逃れて行き方知れずになつてしまつたが、彼等は、第二の隠れ家に忍んで居るのである、そして第二の活躍が起るのである。

奉行の捕方は、大切な犯人を捕り逃がしたので残念で堪らない。各々地團駄踏んで口惜しがつたが、雲の如な惡漢等は何處へ隠れたか何うしても行方が分からなかつた。

物語は長崎の丸山花街を舞台とし、やくざの親分肌・南蠻虎(高木新平)が遊女・此花(華村愛子)を強引に身受けしようとする場面で始まります。此花と相思相愛の青年・芳三郎(花柳紫紅)が邪魔であるためこの機会に「片付けて」しまおうと画策。しかし隠密を放っていた長崎奉行が南蠻虎の動きをキャッチし捕縛に乗り出します。芳三郎は命こそ助かったものの此花は拉致され、南蛮寺に閉じこめられてしまいました。奉行所の捕り手たちが寺を取り囲み、悪漢の捕縛と此花救助に向かうのですが…

東亜キネマ初期に活躍した高木新平の主演作のひとつ。タイトルは前年に公開されたハリウッド作品『ノートルダムの傴僂男』にインスパイアされたものです。

以前に幾つか紹介したのと同じ出版社名不詳、8ページの薄い冊子形式。表紙は縦長、本文を横長に使っています。映畫文庫やトーキー文庫などとは違い作品全体をノベライズしたものではなく冒頭さわりの部分のみ。戦前映画の解説本・説明本にも多様なパターンがあってこちらは「予告編/トレーラー」的要素を持った販促品ではないかと思われます。


[JMDb]
南蛮寺の怪人 前篇
南蛮寺の怪人 後篇

[IMDb]
Nambanji no Kaijin: zenpen
Nambanji no kaijin: Kôhen

[出版年]
1926年

[編集兼発行者]
不明

[発行所]
不明

[ページ数]
8

[フォーマット]
13.3 × 9.7 cm

1925 – 『雄呂血』(阪妻プロ、二川文太郎監督) 湯川明文館・映畫文庫

« Orochi (Serpent) » (1925, Bandô Tsumasaburô Production, dir/Futagawa Buntarô)
Yukawa-Meibunnkann « Eiga-Bunko (Collection Cinema) » Novelization

湯川明文館による映畫文庫の第2番として公刊されたのが『雄呂血』でした。公開から約4か月後の1926年3月5日に初版。同月の10日までに十五版を重ねています。全124頁。表紙は二色刷り。冒頭に4枚のスチル写真があり、はしがき、目次、配役一覧と続いてから13章仕立ての本文に入っていきます。

本文の再現度は高く、文章も丁寧で読み応えのあるものでした。読みとおした印象としてはDVD版とほとんど差が無かったものの、幾つか解釈の違いが見てとれました。

例えば平三郎が飲み屋の喧嘩に巻きこまれ捕縛された後のくだり:

デジタルミームDVD版
字幕
デジタルミームDVD版
弁士ナレーション
湯川明文館・映畫文庫
再び捕らえられた平三郎は、何日か経ってやつと解き放たれた。…がしかし、無頼漢(ならずもの)平三郎の名は町中に、それからそれへと伝えられたのであります。平三郎が通れば、道行く人は目引き袖引き、避けて通つていく…道を歩くと人々は大抵平三郎をじろじろ見て、まるで狂犬か何かのやうに道を避けて通つた。針仕事最中の小娘共は、格子から覗いて後ろ指を差した。
ありゃあ無頼漢だぁ
モシ、彼奴の傍へ寄つちや不可ませんぜ。彼奴は命知らずの無頼漢ですから
「ありゃあ無頼漢だぁ」
「モシ、彼奴の傍へ寄つちや不可ませんぜ。彼奴は命知らずの無頼漢ですから」
「おお、そうか。くわばらくわばら」
「あれ御覧、あの人怖い人よ。」 と囁いてゐるに違ひない。
遊び戯れている子供までが
「おお、面白いか?…どうした」
「あ、無頼漢だ」
「なぜ逃げる…なぜだ。分からん。俺はどうして、こんなに人から怖がられるのであろう…分からん。なぜだ、なぜなのだ」
未だあどけない子供達でさへ、よくよく親からでも云ひ付かつてゐるものと見え、平三郎の姿を見ると
「うわー、逃げろ逃げろ」
と逃げて行つた。
重ね重ね、みじめな姿を大道に曝した平三郎は、その実、善良な人間でありながら、つひに町の人々から怖ろしい無頼漢(ぶらいかん)として嫌悪され、忌避されるようになつたのであります平三郎は淋しかつた。この土地が不愉快でもあった。だが、お千代のことを思ふと、後に心牽かれて、此の土地を立つこともできなかつた。
俺が一体何をしたというのだ。俺は決して無頼漢ではない。俺は善良だ。皆世間の奴らが勝手に俺を無頼漢にしてしまつているのだ。「俺が一体何をしたというのだ。俺は決して無頼漢ではない。俺は善良だ。皆世間の奴らが勝手に俺を無頼漢にしてしまつているのだ」「お千代に一度遭つて、その心を聞きたいものだ。あの子が俺の心を暖めて呉れさへすれば、世間の奴等が皆敵になつたつていゝや。」
平三郎はじれったいやら、くやしいやら悲しいやらで、苦悩はいよいよ深まるばかり。

「この世の中で誰一人、俺の真の心を知つてくれる者はいないのか…」

DVD版の語りでは「無頼漢(ならずもの/ぶらいかん)」の語が繰り返し登場。阪妻演じる主人公が「俺は無頼漢ではない」と人々からの無理解に悩んでいる姿が強調されています。

作品冒頭の字幕「無頼漢と稱する者必ずしも真の無頼漢のみに非らず」は本作の主題の一つ。弁士の語りはそれを膨らませ、反復することで悩み続ける主人公の姿を強調していきます。一方で映畫文庫版には「無頼漢」の要素が完全に消えています。「世間の奴等が皆敵になつたつていゝ」は元コンセプトからやや外れている感じ。

また小説版では長尺で展開される結末の大捕物が2行で済まされています。挿入された4枚のスチル写真にも剣戟場面はなく、乱闘場面より人間関係が重視された解釈に。初恋の相手・奈美江(環歌子)とその姿に重なりあう町娘・お千代(森静子)への思慕に比重が置かれているのです。鬼気迫る要素を抑えてやや甘めに味付けした、と言えそうです

また巻末には映畫文庫の紹介と既刊リストが付されていました。

[JMDb]
雄呂血

[IMDb]
Orochi

[著者]
映畫劇同好会

[出版者]
湯川松次郎

[発行所]
湯川明文館

[フォーマット]
14.6 × 10.7 cm、124頁、映畫文庫 二

[出版年]
1926年

1925 – 『落武者』(松竹蒲田、清水宏監督) 湯川明文館・映畫文庫

« Ochimusha » (1925, Shochiku, dir/Shimizu Hiroshi)
Yukawa-Meibunnkann « Eiga-Bunko (Collection Cinema) » Novelization

 嶮しいだらだら坂を下りて、もう麓も近いと思はれた頃、ふと眞十郎は歩みをとゞめて、
「靜に。」
と皆を制した。
「あれは何んだらふ。」
 眞十郎が指さす方を見下すと、木の間がくれに白いものが飜つてゐる。
「はて何でせう。」
「暫時このまゝ待つて居給へ、今確かめて來やう。」
 眞十郎は身輕に岩をよぢ登り、松の枝に手をかけて遙麓の片を見下した。
 とそれは定紋附の幔幕だ、思ふに捕方の野陣に相違あるまい。
 眞十郎一同の所に立ちかへつて云つた。
「麓は既に敵に圍まれてゐる、あの樣子では蟻の這ひ出る隙もないであらふ、吾々は覺悟をせねばならぬ。運を天帝にまかせ、刄の續く限り戰つてみるより外は無い。天運あらば此の内の幾人かはこの重圍を突破する事が出來るであらふ。」
「時が來たのだ、吾々の 覺悟はよい。」
誰も多くを語らない、同胞同志、盟友同志、萬感を籠めた眼を見合はせて悲壮な微笑をかはした。

鬱蒼とした境内での捕物劇

中央に森肇。右に若衆姿の田中絹代

生け捕りにした芳江(筑波雪子)に言い寄る幕府方役人

大正15年(1924年)の監督デビュー後にしばらく時代劇を担当していた清水宏監督の初期作。

山中での捕縛劇、寺社での乱闘、城下町の斬りあいなど物語の要所要所にアクションを交えつつも剣戟だけに焦点が当たっている訳ではありません。味方を一人、また一人と失っていく喪失感、仲間との協力で難局を突破していく連帯感が描かれ、登場人物がそれぞれの理想を追いつつも現実に悪戦苦闘していく姿が描かれていきます。

眞十郎を演じるのは映画初主演となる森肇。若衆姿の妹役で田中絹代さんが登場、後年の清水作品『ありがたうさん』で渋い紳士役として登場してくる石山龍嗣氏が精神に障がいのある青年を演じ、また後の小津や溝口作品で活躍する名優・坂本武氏が本作でデビュー…と、現時点で振り返ってみると1930年代以降に邦画現代劇を動かしていく監督と俳優がなぜか剣戟作品に集まってチャンバラをしている不思議な感覚を覚えました。

社会的な弱者(一向に付き従う老僕、芸者、障碍者、女性一般)へのフラットな視線を含んでいるのも大きな特徴で「清水タッチ」の原型を見てとることもできます。やや異色ながら「人」に比重を置いた興味深い時代劇です。

[JMDb]
落武者

[IMDb]
Ochimusâ

[著者]
映畫劇同好会

[出版者]
湯川松次郎

[発行所]
湯川明文館

[フォーマット]
14.6 × 10.7 cm、124頁、映畫文庫 十二

[出版年]
1925年

1925 – 9.5mm 『三頭の熊』(ウォルター・ランツ監督)実写併用初期アニメーション

Three Bears (« Dinky Doodle », Walter Lantz, 1925)
French Pathé 9.5mm Version Retitled « Un déjeuner sur l’herbe » (Odd reels/Imcomplete)

後に『アンディ・パンダ』や『ウッディー・ウッドペッカー』等の作品で人気アニメーターとなるウォルター・ランツがキャリア初期に手掛けたアニメ/実写併用連作”ディンキー・ドゥードゥル”(1924-26)。9.5ミリ小型映画が市販された時期と重なり子供向け娯楽作として人気を博し、多くの作品が仏語版9.5ミリ化されていました。

フライシャー兄弟の『インク壺の外へ』(1919~28年)、ディズニーの『アリスコメディー』(1923~27年)に追随したもので、アニメと実写のコミカルな連動にどうアイデアを組みあわせるか各アニメーターが腕を競っていました。

『三頭の熊』(Three Bears)はDVD版『世界アニメーション映画史 6 ウォルター・ランツ』(2006年)未収録で、本国アメリカでもデジタル化されていない珍しい一作。今回入手したフィルムは不完全(3巻物のうち最初の2巻のみ)で状態も良くないものですが、ほのぼのした味わいが面白かったです。実写で出演しているメガネ姿の青年は若き日のランツ氏本人です。

[作品名]
Un déjeuner sur l’herbe

[原題]
Three Bears

[IMDb]
Three Bears

[公開]
1925年7月19日

[メーカー名]
仏パテ社

[カタログ番号]
965

[9.5ミリ版発売]
1927年3月

[フォーマット]
10メートル×3巻(3巻目欠)、白黒無声、ノッチあり

大正13~14年(1924~25年) 私家版・キネマ旬報合本(167~185号)を読む


1920年代中盤、大正末期に発行された167号から185号まで全19冊の『キネマ旬報』を合本にしたもの。

グラビアを重視しゴシップ記事も織りこんだ『活動倶楽部』や『活動画報』と異なり、『キネマ旬報』は網羅的な映画評を主とした構成となっていました。華やかさに欠け可読性は低いものの、データベースとしての使い勝手は他を寄せつけないレベルです。

第167号(1924年8月1日)  表紙:ポーラ・ネグリ
第168号(1924年8月11日) 表紙:メーベル・ノーマンド
第169号(1924年8月21日) 表紙:エステル・テイラー
第170号(1924年9月1日)  表紙:ベティ・コンプソン
第171号(1924年9月11日) 表紙:アリス・テリー
第172号(1924年9月21日) 表紙:ローラ・ラ・プラント
第173号(1924年10月1日) 表紙:ルドルフ・ヴァレンチノ
第174号(1924年10月11日) 表紙:ベビー・ペギー
第175号(1924年10月21日) 表紙:ローレット・テイラー
第176号(1924年11月1日) 表紙:グロリア・スワンソン
第177号(1924年11月11日) 表紙:ジャクリーヌ・ローガン
第178号(1924年11月21日) 表紙:ドロシー・マッケイル
第179号(1924年12月1日) 表紙:ロイス・ウィルソン
第180号(1924年12月11日)表紙:トム・ミックス
第181号(1925年1月1日)  表紙:ビーブ・ダニエルズ
第182号(1925年1月11日) 表紙:リリアン・ギッシュ
第183号(1925年1月11日) 表紙:メアリー・ピックフォード
第184号(1925年2月1日) 表紙:オッシ・オスヴァルダ
第185号(1925年2月11日) 表紙:アイリーン・プリングル

表紙を飾っているのはハリウッド女優を中心とした当時のスター俳優たち。1925年の新年号のみ多色刷りになっています。


内容を見ていくと、欧米作品としては1)ハリウッド新作(『バグダッドの盗賊』『椿姫』『幌馬車』『十戒』『ホワイト・シスター』『ボーケール』『ノートルダムの傴僂男』)に比重を置きつつ、2)数は少ないながらドイツ映画の大作路線(『阿修羅王国(ヘレナ)』『ジークフリート』)に心を奪われている様子が伝わってきます。3)フランス映画はほとんど紹介されていないのですが当時亡命ロシア映画人がパリで立ち上げたアルバトロス社が注目されていました。4)喜劇界ではチャップリンの制作ペースが落ちていた時期で、ロイド(『巨人制服』)やキートン(『荒武者』)が人気を博しています。


国内作品に目を転じると、日活・松竹・東亞・帝キネの4社がしのぎを削っている様子が伝わってきます。監督(溝口健二、伊藤大輔、清水宏、村田實…)の動静が丁寧に追われているのがキネマ旬報らしいと思いました。厳密には国内作品ではないものの、早川雪洲氏が渡仏して撮った『ラ・バタイユ』公開もこの時期に当たっています。


論考では「デヴィッド・ワーク・グリフィス(森岩男)」「アベル・ガンスの肖像(飯島正)」「滞米二年の私の生活(エルンスト・ルビッチ、田村幸彦訳)」など作家主義指向の力作が目立っていた感じです。


帝キネ撮影所は其後益々健全で、略一月足らず大阪芦邊劇場に於て舞臺實演に出演中であった蘆屋映画部の連中も再び撮影に着手し、活氣を呈して來た。(1924年8月167号「日本映畫欄」)


1924年夏〜25年初頭のキネマ旬報をまとめ読みしていて面白かったのは帝キネ分裂をめぐる経過報告です。小唄映画『籠の鳥』のヒットによって経営状況が上向き、大手から俳優やスタッフを大量に引き抜くも待遇の違いから古参組が反旗を翻し、最終的には三分裂(アシヤ/東邦)していく展開をとったものです。一連の経緯については別な資料(『欧米及日本の映画史』、石巻良夫、1925年)で読んだ覚えがありますが、『欧米及日本の映画史』はすでに完了した出来事を俯瞰的に追っているのに対し、キネマ旬報の情報は断片的ながら「今まさに内部抗争が起こりつつある」臨場感が伝わってきます。

立石駒吉氏入社と共に小阪撮影所の一大改革は行なはれ、近く各社より數名のスター監督が新たに入社する筈にて既に決定し足る者も少くはないが次號にてその詳細を確報すべし。(1924年10月173号)

[…] 帝キネに入社確定したる重なる俳優左の如し。
宮島健一氏。關操氏。横山運平氏。阪東妻三郎氏。瀨川路三郎氏。中村吉松氏。森静子孃。鈴木澄子孃。中村琴之助氏。(以上東亞キネマより。)中村太郎氏(松竹加茂より。)
尚監督としては松竹加茂に在りし、枝正義郎氏が入社した。
五月信子孃、梅村蓉子孃の入社説も專らなるがこれは未だ未定で確報は出來ない。(1924年10月175号)

[…] その後松竹日活より引抜いた監督及び俳優技師作者の確定した人達は左の如し。
細山喜代松氏。葛木香一氏、水島亮太郎氏、鈴木歌子孃、靑島順一郎氏(以上日活より。)
五月信子嬢、正邦宏氏、小澤得二氏、藤間林太郎氏(以上松竹蒲田より。)
髙木泰作氏、山下秀一氏、石川白鳥氏、原コマ子孃(松竹加茂より)
惡麗之助氏(東亞等持院より)。
右の如く素晴らしき陣容を整へた帝キネの今後の活躍こそ注目すべきであろう。(1924年11月177号)

[…] 松本泰輔氏一派及び松本英一氏市川百々乃助氏等は石井専務と行動を共にして斷然帝キネを退社する事を決議し連袂辭職を會社へ提出したがその眞相及び俳優名其他詳細は次號にて確報す。(1925年1月183号)

帝キネ撮影所對舊芦屋映畫一派の紛擾は遂に撮影所側の勝利となり、松本泰輔氏以下十數名の犠牲者を出だして解決するに至つた。退社した人々は左の通りである。
松本泰輔氏里見明氏濱田格氏以下數名。柳まさ子孃久世小夜子孃鈴木信子孃以下數名。市川百々乃助氏市川好之助氏市川瓢藏氏以下數名。(以上俳優)松本英一氏。(監督)佐藤靑秋氏。(作者)大森勝氏。(技師)等。
尚去就いづれかを注目されて居た歌川八重子孃澤蘭子孃は撮影所側に同意し居殘る事に決定。(1925年2月184号)


手元の合本で追われているのはここまで。『欧米及日本の映画史』では「十四年一月、一同は連袂退社の辭表を提出し、『芦屋映畫』といふ一派を起す計畫を進めたのであるが、會社はこれを以て背任行為と認め、松本泰輔以下十數名を進んで馘首した」(351頁)の一行で済まされている部分です。キネマ旬報のように具体的に個人名が挙げられているとずいぶん印象が変わってきます。例えば市川百々乃助、里見明&久世小夜子はそれぞれ時代劇、現代劇で初期帝キネを支えてきた功労者でした。そういった役者たちが問答無用で「馘首」された衝撃が生々しく伝わってくるのです。



それとは別に興味深かったのはこの前後のマキノ省三の動きです。1925年3月に直木三十五に手を貸す形で「聯合映畫藝術家協會」の立ち上げに関わった話は良く知られています。第一弾は澤田正二郎主演の『月形半平太』でしたが、実際には同年1月に公開された『國定忠次』がその布石の一つとなっていました。

舞台劇や文芸を通じて映画を「アート」に昇華する運動は様々な国の映画史で現れてくるもので、珍しい話ではありません。今回、キネ旬を読んでいて驚かされたのが『國定忠次』の前にもう一つ布石があったことです。

別項廣告の如く市川八百藏氏と守田勘彌氏も映畫を製作する。之は日米映畫社が配給するもので、八百藏氏は十二月九日から牧野省三氏の監督で第一回作品『お艶殺し』を撮影する筈。劇界の人々が續々と映畫の製作を始めたのは面白い現象と云はねば成らない。(1924年12月1日179号)


『お艶殺し』は何らかの理由で製作(又は配給)が中止になっています。キネ旬同号に掲載された「別項廣告」を見ると、製作は「日本聯盟映畫藝術協會」。翌年の「聯合」発足までに繰り広げられた紆余曲折の痕跡なのでしょうね。

マートル・ステッドマン Myrtle Stedman (1885 – 1938) 米

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Myrtle Stedman 1925 Autographed Photo
Myrtle Stedman 1925 Autographed Photo

マートル・ステッドマン夫人は1888年にイリノイ州シカゴに生まれ、スターレツト夫人経営による同地の学校で教育を受けた。舞臺での長い活動歴を有した実力派の女優である。1912年に銀幕デビューする以前、劇場で音楽喜劇や軽いオペラ作品に出演して大きな成功を収めている。映画女優の始まりはかつてのゼリグ映画社で、以来一流プロデューサーによる製作会社のほぼ全てで何がしかの出演を果たしてきた。尊厳や忍耐力、温かみあるユーモアの感覚や芸術力が必要とされる大人の女性役でその力が発揮されており、あちこちのプロデューサーから引っぱりだこになつている。息子のリンカーン・ステッドマンは将来を嘱望されている若手男優である。趣味はハリウッドに構えた大邸宅のお手入れ。身長5尺6寸、体重は16貫900匁、金髪に淡い褐色の瞳を持つ。

『銀幕著名人録』(ジョージ・H・ドーラン社、1925年)

Myrtle Stedman from Famous Film Folk (1925)

MYRTLE STEDMAN was born in Chicago, Ill., in 1888, and received her education in Mrs. Starret’s School of that city. She has had a wide theatrical career, and is an accomplished actress. She has had a successful stage career, having appeared in musical comedy and light opera, prior to her screen debut which was made in 1912. Her screen debut was made with the old Selig Company, and she has since appeared in the productions of almost every first class producer, her ability to portray roles of matured womanhood, wherein proper dignity, bearing, humor and art are so necessary, making her services by all producers always in demand. Mrs. Stedman is the mother of Lincoln Stedman, himself a promising young actor. Her hobby is naturally the care of her pretty Hollywood bungalow. She is 5 feet 7 inches in height, weighs 140 lbs., and has blond hair and hazel eyes.

Famous film folk; a gallery of life portraits and biographies
(New York; George H. Doran company, 1925.)

1910年代初頭、ゼリグ社のウィリアム・ダンカン主演西部劇でヒロイン役に重用されその後ボスワース映画社の人情劇や活劇へ活動範囲を広げていきます。彼女の名前を映画史に刻むことになったのは、ハリウッド女性監督のパイオニアであるロイス・ウェバーの『偽善者』(1915年、ボスワース社)のヒロイン役でした。社会派の傾向を持つウェバーの作風は当時のハリウッドで異彩を放っており、挑発的で鋭利な美的感覚は今見ても新鮮さを失ってはいません。

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1915年『偽善者(Hypocrites)』より

ステッドマンは20年代になってもフレッド・ニブロ監督の『性』(1920年)、早川雪洲主演の『黒薔薇』(1921年)などで存在感を発揮。20年代中盤から助演が増えますが、母親役から老け役までこなしトーキーにも対応、30年代末に心臓発作で亡くなるまで四半世紀に渡る女優人生を全うしています。20年代初頭の出演作『断腸の笛』をYouTubeで見ることができます。

Myrtle Stedman in The Whistle (1921)
1921年ウィリアム・S・ハート主演作
『断腸の笛(The Wilstle)』より

[IMDb]
Myrtle Stedman

[Movie Walker]
マートル・ステッドマン

[出身地]
合衆国(イリノイ州シカゴ)

[誕生日]
3月3日

[データ]
22.7 × 17.8 cm. 写真面に「エリザベス(Elizabeth)」の宛名書きあり。裏面に旧所有者の書きこみが多数見られ、1925年7月にニュージャージー州在住のエリザベス・ライド・ウォーカーさん(Elizabeth Reid Walker)が受け取った旨が印されています。

1923年頃 – 豆ブロマイド 『原色版・松竹キネマ 第二集』(女優篇)

c1923 - 豆ブロマイド 『原色版・松竹キネマ 第二集』(女優篇)

以前に紹介済みの『手彩色版小型ブロマイド』より少し後、『白黒版小型ブロマイド』とほぼ同時期、『松竹花形キネマカード』の2、3年前に出版された豆ブロ集です。水谷八重子さんと五月信子さんが同じセットに含まれているのは珍しい、とか洋傘を和装にあわせるのが流行っていたのかと見てるだけで楽しくなってきます。

1925 – スーパー 8 『月形半平太』(澤田正二郎主演、衣笠貞之助監督)

「8ミリ 劇映画」より

1925 Super8 月形半平太(衣笠貞之助監督/沢田正二郎主演)
Super8 « Tsukigata Hanpeita »
(1925, dir. Teinosuke Kinugasa, starring Shojiro Sawada)

『国定忠治』と並ぶ澤正映画の代表作で監督は衣笠貞之助。

フィルムの長さにして30m、映写時間7分弱の再編集版で、内容は大きく1)遠景で捉えられた橋の上での立ち回り、2)祇園での芸妓との会食、3)襲撃してきた新撰組とのチャンバラの3つに分けることができます。

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冒頭の橋での斬り合いはロングショットで撮影されカメラの切り返しなどはありません。抜いてから終わるまでが一瞬で凄まじい速さ。

この後、夜に浮かぶ花などが映し出され、祇園の華やかな雰囲気が醸し出されていきます。久松喜代子、春野歌子、二葉早苗など新国劇の女優陣が舞妓、芸妓として登場、荒ぶる幕末の風景にロマンチックな色合いを添えていきます。

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その後夜道を歩いていた主人公を覆面姿の男たちが襲撃、「長藩、月形半平太と知つてか。卑怯者、名を名乗れ」「新撰組!」のやりとりがあって立ち回りになだれこんでいきます。

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カメラアングル、構図に対する意識、コントラストの強い絵作りなど、マキノ省三監督の『国定忠治』と比べても衣笠監督の美的センスをより鮮明に感じ取ることができる内容。殺陣にしても舞台の動きを単純に撮影したものではなく、エディティングで効果を強めていく意思が伝わってきます。

澤正の殺陣を見ていくと、敵との対峙場面でカメラを正眼に直視した際、刀身をまっすぐに立てているため、顔を縦断する細い線に見えています。

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刀のデザイン性を考えるとやや斜めに立てた方が見栄えが良いのでしょうが、一瞬でも早く相手を斬った方が勝ち、そんな命がけの闘いにポージングは要らないのかな、という気もします。舞台では見れないこの角度と距離感、映画でこそ表現可能となった「澤正の本気度」なのでしょう。

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[タイトル]
月形半平太

[公開年]
1925年

[JMDb]
ba001650

[IMDB]
tt0016460

[フォーマット]
スーパー8
白黒30メートル 18コマ/秒 約7分
株式会社サングラフ

1917-22 忘れじの独り花(5)マルガレーテ・ランネル Margarete Lanner (1896 – 1981)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

マルガレーテ・ランネル サイン入り絵葉書
Margarete Lanner 1925 Autographed Postcard

「1925年8月21日、ベルリン」の日付入り。

『メトロポリス』の冒頭、 永遠の園で主人公(グスタフ・フレーリッヒ)が華やかな女性陣と戯れている場面が描写されています。噴水のほとりで女性を抱きしめた際、地下世界からやってきたマリア(ブリギッテ・ヘルム)と子供たちに見つかる展開は良く知られています。

グスタフ・フレーリッヒ&マルガレーテ・ランネル
『メトロポリス』(Metropolis、1927)の永遠の園の場面より
グスタフ・フレーリッヒと並んで

この場面でフレーリッヒの抱擁を受けていたのがマルガレーテ・ランネルでした。1919年に女優デビュー後、ヴェラ映画作品社の中心女優として頭角を現し、ヒロイン〜準ヒロイン級のオファーを受けるようになっていきました。

20年台半ばに難易度の高い役柄にも挑戦し始め、トップ女優とは言えないまでも安定した知名度と人気を獲得していきます。『メトロポリス』では配役のクレジットがない小さな扱いでしたが当時それなりに知られていた女優さんでもありました。

1927年をキャリアの頂点とし無声映画の終焉と共に引退。短期間の復帰はあるものの以後舞台に転じていきます。

[IMDB]
nm0486938

[Movie Walker]
マルガレーテ・ランネル

[誕生日]
2月17日

[出身]
ドイツ(ハンブルグ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verlag Herm. Leiser, Berlin Wilm. 6013. photo. Rembrandt.

時代劇 『魔保露詩』 (大正15年、明文館 映画文庫)

「阪東妻三郎関連」より

阪東妻三郎、1925年の出世作『雄呂血』(おろち)の人気を受け同年末に公開されたのが『魔保露詩』(まぼろし)。フィルムが現存しておらず当時のパンフレットなど断片情報が残るのみ…と思っていたところ偶然に1926年の小説版を発見しました。

市中で見つけた父の仇の命を助けた主人公が、その果てに辿りついた凄惨な運命を描いた一作。阪妻初期作にしばしば指摘される虚無感、反権力の要素を小説にも見て取ることができます。

紙の一部がインク印刷の部分だけくり貫いたように消え失せているなど、紙質による特殊な劣化が見られます。

[出版者]
明文館書店

[出版年]
1926年

[定価]
25銭

[フォーマット]
10.6×14.5センチ、136ページ。口絵4ページ。

大正14年の日活俳優揃え


大正末期の絵葉書。

関東大震災で東京を離れた日活現代劇が京都で展開を続け、復興後の東京に新メンバーの紹介イベントを行った時の一枚。同行したヘアデザイナーさんが著書で詳しい説明をされています(『髪と女優』 伊奈もと著、1961年、日本週報社)

前列右から岡田嘉子梅村蓉子酒井米子原光代高島愛子
後列右から鈴木伝明沢村春子市川春衛宮部静子水木京子浦辺粂子滝沢静子妹尾松子徳川良子山本嘉一(敬称略)

「大震災で東京向島をあとに京都に移った日活現代劇は、日増しに活気も出、作品も立派なものがどんどん出てくる一方、この一、二年のうちに女優陣の充実も一段と活発になって、当時の他社を完全に圧した感がありました。したがって東京本社宣伝部の力の入れようも物すごく、手をかえ品をかえて撮影所への注文も多くなってまいりました。

大正十四年一月、ちょうどそのころ前後して正式入社したのが岡田嘉子、梅村蓉子、原光代さんで本社はこの時とばかり、その威容を天下に誇るためか、いわゆる「オールスター総動員で上京せよ」となり、当時男優陣でのナンバーワン鈴木伝明さんと老優山本嘉一先生をまじえて計十五人のスターが上京したものでした。

帝国ホテルロビーに勢揃いした当時のスターをご覧下さい。なんと壮観なものではありませんか」

『髪と女優』(伊奈もと著、1961年、日本週報社)

宮部 静子 (1896 – ?)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Miyabe Shizuko Autographed Postcard

淫婦或は毒婦に扮して、毎時成功を収めてゐる。現代女優中、稀に見る智的な美を、その大寫しに見る。明治卅年東京に生る。文藝協會第二期卒業生。『本牧夜話』の彌生はその當り役である。

『世界のキネマスター』(大正14年)

舞台女優の修業を積み、文芸協会から新劇へと移ってそこで松井須磨子らと共演、当時大ヒットとなった『復活』にも出演しています。1924年に日活で女優デビューを果たし、翌年の帝国ホテルでの披露会にも参加。しかし監督との恋愛沙汰で立場を落とし1926年には同社を離れました。

こちらの絵葉書は大正14年(1925年)1月13日の日付が入っていて、翌日盛岡宛に投函されたもの。写真面にダメージが多いのですがサインにかかっていないのが幸運でした。