1926年4月18日 – 9.5mm『イラン・ゴレスタンの小さな家』

A Golestan. La petite Villa. 18-4-26. (A Rare 1920s Iranian Family Portrait)

9.5mm Home Movie  - A Golestan (Iran) 1926

1926年に中東イランで撮影されたホームムービー。

A Golestan (Iran 1926) 9.5mm home Movie 01

一軒家の2〜3階テラスと思われる場所に家族が集合した様子を記録しています。冒頭では男性二人が話していて中央の椅子に少年が座っています。続いて家の主と思しき男性が飼い犬を抱えていて一歩体をずらすと背後に立つ女性(娘さんでしょうか)の姿が現れました。

A Golestan (Iran 1926) 9.5mm home Movie 02

登場する人物は次第に増えていき、いつの間にやら大所帯に。

A Golestan (Iran 1926) 9.5mm home Movie 03

ここでカメラの位置が変わります。男性たちが家を出たようで、残った女性陣が飼い犬とじゃれている場面。奥では奥さんがハンカチを振って遠くの男性たちに挨拶を送っています。フィルムはここで終了。

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ゴレスタンはイラン北東部、カスピ海に面した州名です。モロッコやアルジェリアで撮影された9.5mmホームムービーは時折市場で目にしますが、中近東での撮影記録は非常に珍しいものです。

カメラの移動が少なく周囲の様子が分からないのが少々残念。それでも建物や服装が西欧化され洗練されている様子が伝わってきます。言われないとイスラム圏だと気付かないくらい。カメラを意識して動きがぎこちなくなっている様子も微笑ましく、興味深い内容です。

1926 – 9.5mm セダ・バラ主演『マダム・ミステリー』

1937年、20世紀フォックス社のフィルム所蔵施設で火災が発生し、収められたフィルムの全てが焼失しました。セダ・バラ出演作品の大半もこの大火で失われています。

『クレオパトラ』断片を含め、現在まで残された出演作品は6作のみとされています。その一つが引退作となった『マダム・ミステリー』で、こちらは9.5ミリの縮約版となります。

デビュー当初の妖婦・毒婦の設定が時代遅れとなっていく中で、セダ・バラは幾度かイメージチェンジを行いながら時代に適応しようとしていました。本作はローレル&ハーディーによる喜劇物で、セダ・バラは「街一つ吹き飛ばすほどの威力がある」超小型爆弾を運ぶ女スパイに扮しています。

後半、客船での移動は初期のセダ・バラ映画によく見られた展開(船に乗っている謎の美女)をパロディにしたものです。髪を下ろした就寝場面での妖しい存在感がさすがです。

[タイトル]
Madame Mystery

[公開]
1926年

[IMDB]
tt0017098

[メーカー]
米パテックス社

[カタログ番号]
C-110

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m *2リール

時代劇 『魔保露詩』 (大正15年、明文館 映画文庫)

阪東妻三郎、1925年の出世作『雄呂血』(おろち)の人気を受け同年末に公開されたのが『魔保露詩』(まぼろし)。フィルムが現存しておらず当時のパンフレットなど断片情報が残るのみ…と思っていたところ偶然に1926年の小説版を発見しました。

市中で見つけた父の仇の命を助けた主人公が、その果てに辿りついた凄惨な運命を描いた一作。阪妻初期作にしばしば指摘される虚無感、反権力の要素を小説にも見て取ることができます。

紙の一部がインク印刷の部分だけくり貫いたように消え失せているなど、紙質による特殊な劣化が見られます。

[出版者]
明文館書店

[出版年]
1926年

[定価]
25銭

[フォーマット]
10.6×14.5センチ、136ページ。口絵4ページ。

アルマ・ルーベンス Alma Rubens (1897 -1931)

ケネス・アンガーの『ハリウッド・バビロン』で神話化された20年代ハリウッド女優の一人。繊細で憂いのある当時のハリウッドには珍しいタイプでした。主演作としては1924年の『The Rejected Woman』と25年の『East Lynne』などが現存しています。

それぞれ別ルートで入手したサイン絵葉書2点。一枚は画用紙の台紙に添付された1926年5月3日の日付入り。もう一枚はサインのみです。

大正15年、タルラー・バンクヘッドTallulah Bankhead (1902 – 1968) 他2名のサイン寄書き

tallulah-tankhead

豪快な性格、奔放な私生活、ハスキーボイスで30年代合衆国の人気者となった女優がタルラー・バンクヘッドでした。

バンクヘッドは1920年代の一時期イギリスへと渡っています。舞台女優としての下積みの時期で中でもブレイクのきっかけとなったのが1926年の『彼らは欲しいものを知っていた (They Knew What They Wanted)』でした。

この作品で競演した役者3名(バンクヘッド/サム・リヴシー/グレン・アンダース)の寄せ書きがこちら。雑誌の写真を円く切り取り、黒い台紙に貼ったものをさらに画用紙にマウントしてあります。

Tallulah Bankhead
1931年のプレコード映画作品『私の罪 (My Sin)』(上)とヒッチコックの『救命艇』(下)

[IMDB]
タルラー・バンクヘッド Tallulah Bankhead (1902 – 1968) 米
グレン・アンダース Glenn Anders (1889 – 1981) 米
サム・リヴシー Sam Livesey (1873 – 1936) 英

フェボ・マリ Febo Mari (1881 – 1939) 伊

フェボ・マリの監督した『灰(セネーレ)』は評価に揺れのある作品です。主演でもある名舞台女優、エレオノーラ・ドゥーゼ自身があまり気に入っていなかったためでもあります。

『灰』はサルデーニャ島民たちの喜怒哀楽から紡ぎだされるメロドラマを中心に据えたもので、ドゥーゼだけに焦点を当てたものではありませんでした。

それでもサドゥールが書いたように「ドゥーゼが片手を挙げるだけで見ている者の心はざわめきを覚える」のであり、地中海の眩い光、風と土ぼこりの合間に浮き上がる彼女の姿が記録されただけでも感謝したくなってきます。

Febo Mari 1926 Autographed Postcard

ソアヴァ・ガローネ Soava Gallone(1880 – 1957)

ブレシア(Brescia)在住のエドヴィーゲ・トニさん旧蔵コレクションより。

2枚の絵葉書はいずれも夫カルミネ・ガローネが監督した『愛国の騎士』(La Cavalcata Ardente)』より。一枚は単独のポートレートで右下にサインがほどこされています。

もう一枚は尼姿で、裏面に「エドヴィーゲ・トニさんへ、親愛をこめて(A Edvige Tonni, con simpatia)。1926年の3月18日」の一文が付されています。

Soava Gallone 1926 Postcard Inscribed to Edvige Tonni

[IMDb]
nm0303122

[出身]
イタリア

[誕生日]
5月30日

[入手]
2015年4月30日