1928 – 9.5mm『輝く昭和聖代御大禮の盛儀』(伴野版)

「9.5ミリ動画 05c 伴野商店」より

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昭和3年(1928年)11月に執り行われた昭和天皇即位大礼を収めた記録映画9.5mm版。今回入手したのは伴野版の二巻物(27番)ですが、同社が子供向けに発売していた「キードプレイ」9.5ミリシリーズのK5番として一巻物でも市販されていました。16ミリ版は横浜シネマ商会の「さくらグラフ」が200フィート六巻物を発売。国立映画アーカイブと山形県立博物館が35ミリ版を所有しています。

前編「東京御發輦ヨリ京都御着輦マデ」


まずは冒頭で大礼に使用される調度品が紹介されていきます。文官と武官用の纓(えい)二種(垂纓と巻纓)、小直衣(このうし)、萬歳旗など普段お目にかかる機会のない装束類が披露されていきます。

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11月6日京都に向け出発。神鏡を収めた御羽車、昭和天皇が乗車した6頭立ての馬車(「鳳輦」)、皇后の乗る4頭立ての馬車、皇族の乗る2頭立ての馬車…と続いていきます。

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東京駅を発つ御召列車が映し出されるとすぐに名古屋へ風景が切り変わります。名古屋離宮(名古屋城)で一泊されたようで城と名古屋駅(「日本ラインの秋色」)の姿を見ることができます。翌7日に京都着。京都駅前広場から御所へと向かう長い行列と、それを歓迎する観衆の映像で一巻目が終了。

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後編「大禮ノ都京洛ト伊勢大廟幷ニ御陵御參拝」

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11月19日に執り行われた大饗の儀が紹介され、「五節舞」が披露されました。この舞の場面は比較的長く収録されています。

その後伊勢神宮に行幸、さらに奈良の神武天皇陵、京都で孝明天皇陵、仁孝天皇陵、明治天皇陵への親謁の儀を進めていきます。11月25日に京都伏見桃山の明治天皇陵を訪れた天皇・皇后両陛下の姿で映像は幕を閉じました。翌日東京に戻り一連の儀式が終了します。

淡々と進んでいく行列と迎える民衆の熱気のコントラスト、大礼の全体像がスッと入ってくる要を得た編集で、単体のドキュメンタリー映画として見ても完成度は高いと思いました。

1928 – 9.5mm 阪東妻三郎主演 『坂本龍馬』(枝正義郎監督、阪妻プロ)

『雄呂血』『影法師』と並ぶ阪妻初期代表作の9.5ミリ縮約版。200mリール二巻仕立て。戦前~戦中期に信濃毎日新聞社のフィルムライブラリーが旧蔵していた品でリール側面に「貸出部」の印がありました。
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前半に当たる第一リールでは薩長同盟結成から後藤象二郎らを巻きこんで大政奉還に挑むまでの流れが描かれています。前半ハイライトは新撰組による寺田屋襲撃での立ち回り。足元をとられながらも屋根伝いに逃れ、お龍らが準備していた船に乗りこんで何とか一命をとりとめます。

第二リールとなり、大政奉還を促すため二条城に赴いた象二郎の帰りが遅くなり海援隊内部に動揺が走ります。「この上は二条城に乗りこみ、慶喜討つべし」と隊員が声をあげても沈黙を貫く龍馬。業を煮やした仲間が一人、また一人と去っていく中、龍馬がまさに決断を下さんとしたその時、象二郎が吉報を持ち帰るのです。

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第二リール後半は近江屋での龍馬暗殺を描いていきます。本作は京都見廻組による犯行説を採っており展開としては王道。ただ見廻組=実行犯説が定説化してきたのが大正期になってからですので、公開時にはまだ目新しい解釈だったのかなと思われます。

見廻組の佐々木只三郎(春日清)が名を偽って龍馬らに取次ぎを依頼、只三郎は返事を持ってきた下僕の藤吉(浪野光雄)を切って捨てると仲間を誘導し、龍馬と中岡慎太郎(春路謙作)を襲撃します。不意を突かれた龍馬は剣を抜く暇も与えられず、眉間に致命傷を負い、「身は死しても魂は…永久…皇国の…大海原を守護し奉る」と中岡に言い残して力尽きるのでした。

◇◇◇

9.5mm版の『坂本龍馬』はチャンバラと呼べる場面は前半の寺田屋しか見当たらず、それも決して派手な立ち回りではありませんでした。龍馬を剣豪、あるいはアクションヒーローとして扱おうとする意図はなかったと思われます。

また全長版でクレジットされている西郷隆盛や勝海舟は数秒のみ登場、女優陣(森静子、西條香代子、泉春子)の出演場面もカットされています。経済思想家、あるいは私人龍馬の姿はここにはありません。

30分弱に切り詰められたダイジェスト版で強調されていたのは、国の行く末を案じ、天皇主体の新たな日本を作るため組織間の調整に身を削り、夢半ばで倒れていく憂国の士、龍馬でした。

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端々のセリフ(「それは皇国に殉する言葉ではなくて」「将軍家に一矢を報ひ皇国の爲に気を吐きませうぞ」)から伺えるように元々の脚本にそういった側面は含まれていたようです。その意味では戦後に流布した無頼派で、海外の諸事情に明るく、超派閥的に時代を動かしていく自由人の龍馬像とは根本的に違った設定です。9.5mm版編集は1930年代に行われたため、時代の要請として皇国史観や滅私奉公の要素が強調された可能性は高いと思われます。

[原題]
坂本龍馬

[製作年]
1928年

[JMDb]
坂本龍馬

[IMDb]
Sakamoto Ryôma

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ無) 200m *2リール

南部 章三/彰三 (1898 – 没年不詳)

「日本 [Japan]」より

Nanbu Shozo 1928 Autographed Postcard
Nanbu Shozo 1928 Autographed Postcard

本名は鴛海正次。日大文學部の出身。流石に文章にかけてはお手のものだけに時々映画雜誌等に稿を寄せて文藝好きなフアンを騒がせている。彼は俳優らしくないそして、最も話せるひととして有名である。己の天分や技藝等を度外視して殊更らに俳優らしさを誇張したがる者の多い現代に、君の如き優しくそして偉大な存在は實に喜ぶべきである。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

本名鴛海正次。明治卅二年、大分縣に生る。日本大學豫科修了後美學部に入り轉じて日本俳優學校に入學し、大正十五年一月、日活現代劇部に入社す。その間シベリヤ出兵の際從軍して勲八等をうく。二枚目を得意とする。主な近作は「見果てぬ夢」「五人の愉快な相棒」身長五尺五寸、體重十五貫三百目。趣味は映畫。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDb]
南部彰三

[IMDb]
Shôzô Nanbu

[出身地]
大分県

[誕生日]
6月26日

[データ]
8.5 × 13.5cm

1928年『日本映画年鑑 第四年版』(昭和二年・三年版、朝日新聞社)

Japan Movie Annual vol.4 (1928, Asahi-shinbun-sha)
Japan Movie Annual vol.4 (1928, Asahi-shinbun-sha)
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『海の勇者』より。松井千枝子と鈴木伝明

1927年(昭和2年)の内外映画界を振り返った一冊。ハリウッド作品では『第七天国』『サンライズ』『あれ』『三悪人』『ビッグ・パレード』『ボー・ジェスト』などが公開され、独ウーファ社『メトロポリス』や『ヴァリエテ』が紹介されるなど、現在まで無声映画傑作として知られている作品が軒並み名を連ねています。

邦画では帝キネ(『競艶美男』)や東亞(『王政復古』)、マキノや阪妻が気を吐き日活(『尊王攘夷』『慈悲心鳥』『忠次旅日記』)と松竹(『白虎隊』)二強体制に待ったをかけています。一方では諸口十九と筑波雪子の獨立、岡田嘉子と竹内良一の駆け落ち騒動など業界全体がやや浮ついていた印象もあり。

監督特集も充実。二川文太郎、伊藤大輔、鈴木重吉、山下秀一、廣瀬五郎氏などが次世代日本映画を支えていく存在として期待されています。

その他特筆すべき特集として、ハリウッドやドイツで活躍する日系俳優の紹介、男女優(百々乃助、伏見直江)のメーキャップ特集、映画ポスター秀作紹介が目を引きました。

時代の趨勢がまさにトーキーに移りつつある中、サイレント映画が質実共に完成されつつある様子が伝わってきます。

[出版者]
東京朝日新聞發行所

[発行]
昭和3年(1928年)3月

[定価]
一圓五十銭

[フォーマット]
B5版ハードカバー、 25.7×18.5cm、152頁

若葉馨、昭和3年(1928年)の転職報告ハガキ

「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

Wakaba Kaoru 1928 postcard
Wakaba Kaoru 1928 postcard announcing his career change
(« I resumed my acting career,
this time as a Jidai-geki actor at Nikkatsu » etc. )

若葉馨 (1900 – 没年不詳)

本名須田庄一。明治三十四年、前橋市に生る。東京齒科醫專を中途退學し、舞臺を經て映畫へ、日活松竹を經て昭和四年九月帝キネに入社。各社に佳作を残す。最近の作品は「曲馬團の娘」「最後の女性」「浅草紅團」等々。身長五尺四寸八分。體重十四貫。趣味は俳句寫眞、雑誌の發行。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

Wakaba Kaoru 1931

髙島栄一氏宛、昭和3年(1928年)4月16日付西陣の消印有。「先日は失礼いたしました。又御土産まで頂戴いたし誠に有りがたく御礼申上ます」の直筆メッセージが左上に残されています。

[JMDB]
p0162750

[IMDB]
nm2121629

[出身]
日本(群馬県前橋)

[サイズ]
14.0 × 9.0 cm

西條香代子、昭和3年の暑中見舞い

「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

Saijo Kayoko 1928 Summer Greeting Card
Saijo Kayoko 1928 Summer Greeting Card

私は此の人の、あく事なき魂に理智に輝いた眸の色に視入る時、恋の霊魂と化したあの静御前の姿が忍ばれてならない。

「佳人佳語」
(美町淑夫『うづまさ』1927年9月号)

最後の出演作となった『坂本龍馬』(昭和3年5月公開)の後に送られた暑中見舞い葉書。表裏で質の違う特殊な紙を使っていて、宛名面「郵便はがき」が手書きとなっています。

同年初頭の年賀状では「病」について触れています。髙島氏が病後を尋ねたのではないかと思われ、それに対して「早速お訊ねを頂きまして恐縮し存じ上げました。私恙なく過して居ります」と返事している内容です。

昭和元年〜2年にかけて人気が出てきたところで1926年8月『キネマ』誌の人気投票中間報告でも25位(女優では11位)になっていました。

Saijo Kayoko 1928 Summer Greeting Card 01Saijo Kayoko 1928 Summer Greeting Card 02

[サイズ]
8.9 × 14.0cm

[データ]
髙島栄一氏宛、昭和3年8月18日東淀川の消印有。

杉狂児、昭和3年の暑中見舞い

「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

杉狂児、1928年の暑中見舞いハガキ
Sugi Kyoji’s 1928 Summer Greeting Card

マキノ御室映畫部の幹部花形としてメキメキ賣り出した彼は有らゆる映畫に新進振りを發揮してフアンを喜ばせてゐる。最近製作の映畫では『愛しき彼』(都賀靜子、水谷蘭子共演)『靑春を掏摸取られた話』(湊明子、高山久共演)『光線を捕へた男』(マキノ正博、室町湊、津村共演)等の傑作がある。

『玉麗佳集』(1928年)

凸面兒杉狂兒、賣つたるもの哉である。マキノのみならず、本邦映畫界に絶好の三枚目、特色著るしいのが何よりの德、華やかな明るさは微塵もないが、世紀末的なあの哀愁感は、さうザラに見いだせるものではない。バイプレアー中名ある所以である。「學生五人男」「影武者」「闘爭曲線」「四谷怪談」そして「假名手本忠臣蔵」の伴内と新舊を問はざる奮闘は凝つて支那劇「愛しき彼」の主演となり本年掉尾に聲價一人昂つたのは彼にとつて最も朗らかなる自慢でなくてはなるまい。

『日本映画年鑑 昭和二年昭和三年 第四年版』
(朝日出版社、1928年4月)

1930年代のコミックソングを通じて名を上げ現在でも昭和歌謡の愛好家から評価の高い杉狂児。こちらは1928年、マキノ御室を離れ河合映画に移った直後の暑中見舞いハガキです。

印刷ながら定型文ではなく、自前の文章にそこはかとなく自虐臭を漂わせ、持ち味のアナーキーさに相反した繊細さ、生真面目さも透けています。

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[JMDB]
p0209230

[IMDB]
nm0837475

[Movie Walker]
杉狂児 (スギキョウジ)

[誕生日]
7月8日

[出身]
日本(福岡)

[サイズ]
9.1 × 14.0cm

[データ]
髙島栄一氏宛、昭和3年8月9日巣鴨の消印有。