1929 – 『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』 米プロモ用プレス写真

『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』より

« La Merveilleuse Vie de Jeanne D’Arc » 1929 US Press Photo

現在フランスで祝典が行われているジャンヌ・ダルク400年祭に関連した忘れ難い出来事のひとつが、仏歴史大作映画『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』のオペラ座プレミア公開である。映画はジャンヌの生き様を生き生きと描き出している。この写真は軍馬に乗り、兵を率いてオルレアン解放に向うジャンヌの姿を写したものである。

A memorable event in connection with the Quincentenary of St. Joan, now being celebrated in France, is the production, at the National Opera House in Paris, of Great French Historical Film, « La Merveilleuse Vie De Jeanne D’Arc, Fille De Lorraine. » The film portraits graphically the life of the immortal Joan of Arc. Photo shows Joan of Arc mounted her charger, leading her troops to relieve the siege of Orleans.

合衆国で紹介された際のプレス用写真。映画中盤にジャンヌ・ダルク(シモーヌ・ジュヌヴォワ)が兵を率いてオルレアン奪還に向かう場面を撮影した一枚。解像度の高い写真ではありませんがVHSや9.5mmフィルムで確認しにくいエキストラの表情や衣装が写っています。

裏面に映画の紹介文をタイプ打ちした紙が貼られており、ニューヨークの「アトランティック写真(Atlantic Photos)」「1929年5月22日(22 MAY 1929)」のスタンプが押されています。

IMDbによると『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』の劇場公開は1929年11月1日。その半年前の4月18日にパリ・オペラ座でプレミア公開されており、4日後の4月22日に文章がタイプ打ちされ、5月22日に写真が準備された流れになっています。

アニー・オンドラ Anny Ondra/Ondráková (1902 – 1987) チェコ

オランダ~東欧~バルト三国 [Netherlands, Eastern Europe & Baltic States] より

Anny Ondra 1929 Inscribed Postcard

パリで共に過ごした時間の想い出に
アニー・オンドラ
1929年4月25日

Zur Erinnerung an die zusammen verbrachten Stunden in Paris.
Anny Ondra
25 IV 29


ヒッチコックの『恐喝(ゆすり)』は無声版の撮影が1929年1月〜3月に行われ、その後サウンド版用の追加撮影が同年6月に始まっています。合間にヒロイン役のアニー・オンドラがパリを訪れていて、知人宛に自筆メッセージを残したのがこちらの絵葉書。名前の下にもカッコ書きで単語が書かれているのですがそちらは解読できませんでした。

アニー・オンドラはヒッチコックの後期サイレント作品(『恐喝(ゆすり)』、『マンクスマン』)主演女優として記憶されています。元々プラハで学生時代を過ごし、アニー・オンドラコヴァ名義でチェコ演劇界にデビュー、最初の映画出演もチェコ作品でした。1920年代前半の出演作は幾つか現存しており初々しい姿を確認することが出来ます。

1925年の歴史物ファンタジー『Lucerna』より

1920年代末にヒッチコック作品で国際的な花形女優となり、ドイツの国民的スターでもあったヘビー級ボクサー、マックス・シュメリングと結婚、拠点をドイツに移します。チェコ時代から付き合いのあった同郷の俳優・監督カレル・ラマーチ(カール・ラマック)と共に「ラマーチ=オンドラ映画社」を設立、舞台女優時代に培った歌や踊りのセンスを生かしトーキー時代になっても高い人気を維持し続けました。

この時期の作品で重要なのが1932年のオペレッタ喜劇『理想の先生』。ラマーチ=オンドラ映画社製作ではないのですが、ラマーチと共に主演、初期トーキー秀作としてチェコ映画史に再度名を残すことになりました。

『理想の先生(Kantor Ideál)』より

チェコ映画は東欧映画界でも際立った個性で知られています。1950~70年代に秀作や傑作が集中しているのですが、そこに辿りつくまで長い紆余曲折がありました。ラマーチやオンドラを含めた才能ある戦前チェコの映画人が基礎を築いていった点を強調しておきたいと思います。


[IMDb]
Anny Ondra

[Movie Walker]
アニー・オンドラ

[出身地]
タルヌフ(現ポーランド)

[誕生日]
5月15日

1929 – 9.5mm アニー・オンドラ主演『恐喝(ゆすり)/無声版』 (アルフレッド・ヒッチコック監督) UKパテスコープ版

9.5ミリ 劇映画より

Blackmail, early 1930s UK Pathescope 9.5mm print


戦前の英パテスコープ社からはヒッチコック初期作品の9.5ミリ版が4作発売されていました。

『リング』(1927年公開)… SB30029 (1933年1月発売)
『シャンパーニュ』(1928年)… SB30036 (1933年4月)
『マンクスマン』(1929年)… SB30070 (1934年6月)
『恐喝(ゆすり)』(1929年)… SB30027 (1932年10月)

サスペンス物ばかりではありませんがどの作品にも若きヒッチコック監督の野心や実験が含まれています。とりわけ無声映画として最後に撮られた(そしてトーキー第一作として公開された)『恐喝(ゆすり)』は後のサスペンス巨匠を予想させる一作として評価の高いものです。

『恐喝(ゆすり)』は無声映画として企画され1929年初頭に撮影が行われたのですが、途中でトーキー版の企画が持ち上がり同年夏に撮り直しを行っています。国内では劇場の仕様に応じ、無声版/トーキー版両方が公開されていました。

英パテスコープ社9.5ミリ版は80分強のオリジナルを120メートルリール2巻物の30分程度に縮約しています。画質やトリミングの傾向などを確認するため現行のDVD版と比較してみました。

9.5ミリ版
サイレント版DVD
トーキー版DVD
1)ヒロインがバレリーナ用衣装に着替える場面
2)青年画家のバストショット
3)ヒロインが絵を引き裂いた場面

1)は青年画家の部屋を訪れたヒロインが、バレリーナ用の衣装を見つけて着替える場面です。サイレント版では「背中のファスナーが閉まらない」と青年画家に手伝ってもらう展開となっていました。トーキー版は脚本を大きく変更。青年画家がピアノを弾き語りする隣で着替える構図となり、ファスナーも自力で閉めています。9.5ミリ版はサイレント版のプリントをそのまま使用。

ヒロインが服を着替え直そうとしている間に青年画家が女性の服を持っていってしまう場面が2)、襲われたヒロインがカーテンの陰から現れ、手にしたナイフを落とし、画家の描いた道化師の油絵を破いてしまう場面が3)です。

「サイレント版DVD」と「トーキー版DVD」の3)を比較してみると絵の破れ方が違っています。サイレント版では上辺と右辺が破れて穴が三角形になっているのに対し、トーキー版では左辺まで縦に裂けて台形の穴になっています。

2)でも同様のことが言えます。トーキー版ではつい立てにかかった洋服の袖口に細い切れ目が見えるのですがサイレント版にはそれがありません。洋服の向きが微妙に違っているのです。

『恐喝(ゆすり)』では登場人物の会話が発生している場面は後日撮り直したショットを使っています。会話のない場面はわざわざ撮り直す必要はなさそうですが、「ネガ」は一つしかないため「サイレント版」「トーキー版」両方に使い回すことはできません。そのため最初に撮影された場面の「別テイク」を流用しています。

以前にチャップリンのミューチャル期作品で触れた問題と似ています。チャップリン作品の場合は同じ場面を二台のカメラで撮影することで二通りのネガが発生していました。『恐喝(ゆすり)』の場合は別テイクを元に二通りの異なったネガが作り出されていたことになります。9.5ミリ版はこのうちサイレント版を縮約したものであることも確認できました。


[IMDb]
Blackmail

[Movie Walker]


[[公開年]
1929年

[メーカー]
英パテスコープ社

[メーカー記号]
SB30027

[9.5ミリ版発売年]
1932年10月

[フォーマット]
9.5mm 無声 120m×2巻 ノッチ無

「チュヴァシ映画社」とタニ・ユン(Тани Юн、1903-1977)

帝政ロシア/ソヴィエト初期映画史再訪 [04]

Tani Yun 1929 Russian Postcard


チュヴァシ自治共和国の映画製作機関である「チュヴァシ・キノ」は共和国での国ぐるみの映画産業が見事に開花した特筆すべき例である。革命前夜の過去を描き出した『女』(Сарпиге、1927年)、チュヴァシの町での革命を描写した『ヴォルガの風』(Ял、1928年)はいずれもチュヴァシ共和国地元出身の芸術家たちによって生み出されたものである。チュヴァシ映画女優として最も名高いタニ・ユンは国外でも同様に絶大な人気を誇っている。革命十周年を祝うため、「チュヴァシ・キノ」は『チュヴァシア』と題された映画を製作。ヴラディミール・コロレヴィッチによるプロデュース作で、チュヴァシ共和国の経済、文化の成し遂げた成果をまとめ上げている。(「各共和国における映画産業」 、『ソヴィエト連邦レビュー』1929年6月号収録)


Chuvash-Kino, the film organisation of the Chuvash Autonomous Republic is extremely characteristic of the successful development of the national film industries. “Sar-Pigi” showing the pre-revolutionary past, and “Yal,” describing the revolution in the Chuvash village, were produced entirely by the native artistic forces of the Chuvash republic. Tani Yun, the most prominent Chuvash film actress, is extremely popular outside Chuvash as well. The Tenth Anniversary of the Revolution was celebrated by the ChuvashKino by a film called “Chuvashia,” produced by Korolevitch, summarizing the economic and cultural achievements of the Chuvash Republic. (« The Film Industry in the National Republics », in Soviet Union Review, 1929 June Issue, 105p.)


かつてのソ連邦で五本指に入る人口を有していた少数民族がチュヴァシ族です。1925年に自治共和国のステイタスを獲得、同時に「チュヴァシ映画社(チュヴァシ・キノ/Чувашкино)」が活動を開始します。同社の花形女優として活躍したのがタニ・ユンでした。

1903年に農家の娘として生れ、モスクワの体育学校に進学。1922年インストラクターとしてチュヴァシュの首都チェボクサリに赴いた際に見た舞台劇に感銘し女優転身を決めたそうです。劇団で修業中に俳優・劇作家のマクシモフ・コシュキンスキーと知りあい結婚。

この時期、チェボクサリにはまだ映画館がなく、劇場で無料の映画上映会が開催されていたそうです。そこで見た映画に感動し、タニ・ユンは夫に映画製作を持ちかけます。資金もスタジオもない状態からの制作は至難を極めたもののこの企画がチュヴァシュ初の長編劇映画『ヴォルガの乱』(1926年)となり、チュヴァシ映画社の公式設立(1927年)の原点となっていきました。

『ヴォルガの風』(1928年)の一場面と思われる映像より

この後『女』(1927年)から『メメント』(1932年)までチュヴァシ映画社で製作された長編映画の全てでタニ・ユンはヒロインを務めています。芯の強さ、素朴さと柔らかさを兼ね備えたプレ・ヌーヴェルヴァーグ的な演技スタイルは国内の映画雑誌でも高く評価されていました。

1930年、中央政府はチュヴァシ映画社を含めた複数の映画公社を統合しヴォストーク映画社を設立。共和国の個性を重視した制作活動ができなくなり、精彩を欠いた同社は数年もせず自然消滅。タニ・ユンは夫と共に劇場での舞台活動に戻っています。

1937年、夫マクシモフ・コシュキンスキーが「ブルジョワ的なナショナリズム」を理由とし粛清対象となります。タニ・ユンもまたスパイの嫌疑をかけられ職を、次いで家を追われ、カザフスタンの強制収容所へ送られました。この際彼女が出演した映画のフィルムは全て破壊されたとされています。

1940年にこの案件が再度審理され最終的に無実の結論になりました。しかし演劇界や映画界への復帰の道は閉ざされていました。戦後、正式に夫婦は復権。一人娘が1960年代に事故死した後、二人の孫を育て、1972年に自伝を執筆。1977年に逝去。

2000年代後半頃からチュヴァシ国内、さらにロシア全体でタニ・ユン再評価の流れが目立つようになってきます。2013年には自伝が復刻。2017年には地元の中学校でチュヴァシ映画社設立90周年を祝う式が開かれ、翌2018年は生誕115周年記念イベントも開催されています。


[IMDb]


IMDbには彼女のエントリーがありません(英語版ウィキペディアも同様)。出演作一覧は以下となっています。

1926:ヴォルガの乱 «Атăл пăлхавçисем» (Волжские бунтари)
1927:女 «Сарпике» (Сарбиге)
1928:黒い柱 «Хура юпа» (Чёрный столб)
1928:ヴォルガの風 «Ял» (Вихрь на Волге)
1930:洗ふ女 «Апай­ка» (Прачка)
1931:聖なる森 «Киремет кати» (Священная роща)
1932:メメント «Асу­т» (Помни)

[リンク]
チュヴァシ共和国ヤードリンスキー地区公式HPでのタニ・ユン紹介ページ(ロシア語)
2017年、チュヴァシ映画社90周年記念行事を紹介する記事(ロシア語)
2018年、生誕115周年を祝いチュヴァシで開催されたイベントを紹介する記事(ロシア語)
1928年公開の『黒い柱 (Хура юпа)』を紹介しているLivejournalのブログ記事(ロシア語)

1926~1935年 剣戟俳優映画 豆ブロミニコレクション

1926-35 various « kengeki » trading cards

10年近く前、国産無声映画の紙物で初めて手に入れたのがこの辺の豆ブロマイドでした。大正末期~昭和初期に九州で活動していた「活キチ」さんの旧蔵品がネットオークションに出品されていたのを発見、いずれも結構な勢いで落札されていました。1セット確保できましたが正直当時は自分でも何を手に入れたのかよく分かっていなかったです。

今回『孔雀の光(前編)』の説明本の紹介にふと思い出して引っ張り出してきました。1926〜35年にまたがる内容でアイドル感キラキラ時代の河部五郎、紙物にあまり恵まれていない佐々木清野嬢辺りの珍しい物が含まれています。


1)『孔雀の光』(1926年、マキノプロダクション・御室、沼田紅緑監督、市川右太衛門主演)

[JMDb]
孔雀の光 前編

[IMDb]
Kujaku no kikari – zenpen [sic]


2)『修羅八荒』(1926年、松竹・蒲田、大久保忠素監督、森野五郎主演)

[JMDb]
修羅八荒 第一篇

[IMDb]


3)市川百々之助(1926年頃、作品名不詳)


4)『月形半平太』(1926年、日活・大将軍、高橋寿康監督、河部五郎主演)

[JMDb]
月形半平太

[IMDb]
Tsukigata hanpeita


5)『素浪人』(1926年、阪妻プロ、志波西果監督、阪東妻三郎・森静子・佐々木清野他出演)

[JMDb]
素浪人

[IMDb]
Suronin


6)『八剣飛竜』(1929年、日活・太秦、池田富保監督、澤田清主演)

[JMDb]
八剣飛竜

[IMDb]


7)『京洛浅春譜』(1935年、千恵プロ、西原孝監督、片岡千恵蔵・歌川絹枝他出演)

[JMDb]
京洛浅春譜 同志闘争篇

[IMDb]


1929 – 森静子 昭和4年の年賀状

明けましてお芽出たう御座います
本年もどうぞ御ひゐきに……
昭和四年一月元旦
松竹キネマ京都撮影所
森 静子

未使用。葉書にしては薄手の紙質で全体に赤みがかった褪色が見られます。本文で複数のフォントを使用し「森静子」には1920年代後半に時折見られる独特の書体(澤村春子さん1927年暑中見舞いも同様)を採用しています。ハート型の小窓も本人がデザインした訳ではないでしょうが…「静ちゃんから年賀状がきた!」元旦にフアンが小躍りしていた様子が目に浮かびそうですね。

いつの間にやら2020年代。本年もよろしくお願いいたします。

1929 – VHS 『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』 (マルコ・ド・ガスティーヌ、白黒リストア版)

「『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』[La Merveilleuse vie de Jeanne D’Arc, 1929]」より

2011~12年頃に入手した仏VHS版。

主演のシモーヌ・ジュヌヴォワは1930年代半ばには結婚して女優業を退いていましたが、戦後、晩年の1980年代になって夫であり元映画プロデューサーのコンティ氏と共に本作の修復プロジェクトを始動させました。実際に作業の中心となったのはルネ・リヒティグ女史で1985年には琥珀色に染色された125分のリストア版が完成。この修復版を白黒で収録したのがVHS版となります。

1990年代半ばのVHSからDVDに切り替わった時期に発売されたため自国フランスでもほとんど流通せず、中古市場でも見かけることが少ない一作。1929年の初公開時にはドライヤー版のインパクトとトーキーの到来にかすんでしまった上、VHSの発売ではDVDにかき消されてしまう辺りが「フランス無声映画史上最も不運な映画」の面目躍如でしょうか。

元々2010年頃、本作をデジタル化した動画が(ユーチューブではない、そして今ではもう存在していない)動画サイトに投稿されていました。そこで初めて見て完成度の高さに驚きVHSを探し始めました。海外発送不可のセラーさんの手元にあるのを見つけ、輸入代行業者に委託して送ってもらいます。VHSの規格が日仏では異なっており手持ちのデッキでは再生できずさらに別な業者に依頼してデジタル化してもらった覚えがあります。

[原題]
La Merveilleuse Vie de Jeanne D’Arc

[公開年]
1929年

[IMDB]
tt0020165

[メーカー]
仏ルネ・シャトー社

[発売年]
1995年頃

[フォーマット]
VHS

1929年 – 『シネミロワール』誌 昭和4年11月8日付第240号・特集:『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』

「『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』[La Merveilleuse vie de Jeanne D’Arc, 1929]」より

Ciné-miroir No 240 (8 novembre 1929) couverture
Ciné-miroir No 240 (8 novembre 1929) couverture

フランスの1920年代映画雑誌の多く(モンシネ、シネマガジン、シネア等)はすでに公的機関によってデジタル化されており画質にさえこだわらなければオンラインで自由に読むことができます。数少ない例外が『シネミロワール』誌で、サイズが他誌と比べて大きいためか現時点までデジタル版を見た覚えがありません。


同誌1929年末の240号は『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』の特集で表紙を主演のジュヌヴォワが飾り、雑誌中ほどの見開き特集で同作の粗筋が紹介されています。

1929年 日活・撮影稲荷前の女優揃え(『婦女界』昭和4年2月号)

1929年日活・撮影稲荷前の女優揃え

京都太秦の日活撮影所内に祀つてあります撮影稲荷の前に集まつた、日活の時代劇部と現代劇部の女優さんたちです。後列右より入江たか子津島るい子鈴川和子衣川光子、櫻井秀子、村松高子、前列右が常盤みどりで左が一色あけみさん。

『婦女界』1929年(昭和4年)2月号「婦女界グラフ 映画女優の生活 その一」

齣フィルムを収める小袋として使用されていた『婦女界』掲載の写真。二つの齣フィルム用に割かれていたのを画像加工でくっつけています。

右脇で存在感を放つおたかさんと左端を〆る横田永之助氏の圧で面白い構図に仕上がりました。今の三吉稲荷が出来る以前、太秦撮影所内にも稲荷があったんですね。村松高子さんはjmdbで「松村」と登録、「櫻井秀子」は櫻井京子かな。そろそろ無声映画の黄金期が終わりトーキーの足音が聞こえてきます。1925年(大正14年)の日活女優揃えと並べたい一枚ですね。

1930年『日本映画年鑑 第五年版』(昭和四年・五年版、朝日新聞社)

日本映画年鑑 第五年版 表紙
1930 – The Japan Movie Annual 1929-1930
(Asahi Shimbun Publishing Co.)

巻頭はしがきに「内容の充實と調査の徹底を期するため、本年度から隔年に編纂する」の一文が見られますが実際に次号は発売されず最終号となりました。

国内作品の代表作として『浪人街』(マキノ雅弘)『斬人斬馬剣』(伊藤大輔)、『都會交響樂』(溝口健二)、『からくり蝶』(後藤岱山)、『灰燼』(村田實)、『生ける人形』(内田吐夢)や『會社員生活』(小津安二郎)、海外作品で『サンライズ』『裁かるるジャンヌ』が紹介されているように、無声映画の総決算と呼べる重要作が並んでいます。一方でトーキー技術の説明にも紙数が割かれ、映画界全体が新しい局面に移っていく様子も伝わってきます。

『浪人街』の大林梅子と谷崎十郎
『浪人街』の大林梅子と谷崎十郎 (Obayashi Umeko and Tanizaki Juro in Ronin-gai)
『斬人斬馬剣』の月形龍之介
『斬人斬馬剣』の月形龍之介 (Tsukigata Ryunosuke in Zanjin Zanba Ken)

中ほどでは注目すべき国内外監督が特集され、邦画界から小津安二郎、清水宏、内田吐夢などが登場、海外ではアーヴィング・カミングスやディミトリ・キルサノフ、パウル・フェヨス、カール・マイなどが紹介されています。

俳優の紹介欄では浜口富士子、大林梅子、若水絹子、高田稔、琴糸路、澤村國太郎が大きく取り扱われ、国外組はアニタ・ページ、ナンシー・キャロル、ブリギッテ・ヘルム、リチャード・アーレン、ベッシー・ラブ等が紙面を飾っています。


一方訃報欄では小山内薫、マキノ省三、松井千枝子、ラリー・シモンらが取り扱われていました。ひとつの時代が終わっていく感じがします。

広告に興味深いデザインが多く見られ、見返しには国外俳優のデフォルメされたイラストがまとめられています。線の華奢な大正期の画風から脱却した昭和初期の新たな息吹が伝わってくるようです。

1929 – スーパー 8 『嵐寛寿郎の右門捕物帖』(橋本松男)

「8ミリ 劇映画」より

昭和4年(1929年)に東亜キネマで始まった嵐寛寿郎の当たり役・むっつり右門の第一弾『一番手柄 南蛮幽霊』8ミリ版。アラカンは無口な昼行燈タイプの同心を演じていて、余興芝居の最中に殺された岡っ引きの弔い合戦に挑んでいきます。

以前に東亜キネマのサイン帳をご紹介いたしましたが、そこにも名を連ねていた同社の重要俳優が多く出演しています。お茶目なおしゃべり伝六を演じたのは頭山桂之介、右門に嫌がらせをしかけるあばたの敬四郎に尾上紋弥、誤って拷問を受ける町人役に嵐橘右衛門、そして謎の美女としてデビューしたばかりの木下双葉が登場。

殺陣に迫力が欠けるの批判があって以前DVDで見た時に同じ印象を持ちました。今回8ミリで確認してみると、確かにロングショット主体で編集のリズムも良くないのですが、決めポーズなどさすがと思わされる場面も幾つかありました。

[原題]
右門一番手柄 南蛮幽霊 

[公開]
1929年

[JMDb]
右門一番手柄 南蛮幽霊

[IMDB]
Umon ichiban tegara – Namban yûrei

[メーカー]
株式会社サングラフ

[カタログ番号]
商品 No.810

[フォーマット]
スーパー8 白黒60m 18fps 光学録音(カセットテープ付き)

1929 – 瀧本時代堂の説明本 ~1920年代後半の説明集ブーム私見~

「阪東妻三郎関連」より

Benshi-narration-oriented Novelizations :
Ito Daisuke’s « Man-Slashing Horse-Piercing Sword » (Zan-jin Zan-ba Ken),
Aku Reinosuke’s « Cold Eyes » (Reigan) etc.

『斬人斬馬剣』(1929年 松竹京都 伊藤大輔)
『冷眼』(1929年 右太プロ 悪麗之助)
『此村大吉』(1929年 阪妻プロ 山口哲平)
『傳奇刀葉林』(1929年 帝キネ 渡辺新太郎)

表紙に独特な雰囲気があります。

いずれも昭和4年(1929年)の公開作品。伊藤監督の重要作の一つ『斬人斬馬剣』、悪麗之助の『冷眼』など剣戟愛好家に興味深いラインナップとなっています。14.3×10.6センチ、15ページ。紙質は荒く、表紙を開くと配役一覧があってすぐに物語が始まります。

危機一髪の眞つ最中へ馳せ付けて來たのが十時來三郎及び賴母等の正義の士であった。
『ヤアヤア臣下の身として、君家を乱し、暴擧を企て、世継の若君に危害を加へんとするなどとは言語道斷のくせ者である』

(『斬人斬馬剣』)

見る見るお千代は遂に九郎次の爲めに取られてしまつた。其日からしての甚十郎の胸中はモンモンとして悶えて居る。殊にお千代が残してある、着物などを見ると其面影が偲ばれて、悲嘆の涙が自らわき出して來る。

(『冷眼』)

4冊いずれも佐藤綠葉(綠葉山人)が文章を担当。同氏は1927年の明文館「説明集」に関わっていたことでも知られています。現物は所有していないため国立映画アーカイブ所蔵分の表紙をコピーさせていただきました。

明文館説明集
『西洋新映画説明集』『欧米特作映画説明集』『新派映畫説明集』
(明文館)国立映画アーカイブ蔵

「説明集」とは弁士の語り(説明)を念頭に置きながら映画をノベリゼーションしたものです。本来は映像を補足する存在だった弁士が次第に重要性を増し始め、時に映画以上に目立つこともあった日本無声映画期に特有の発想です。

無声映画の後期には弁士が一大人気職業となって各地で語りの才を披露していました。1910年代の『ジゴマ』二次小説ブームも同様で、日本では映画の背景や表現技法を理解して味わうより作品をネタとして楽しむ傾向が強く見られます。ツイッター全盛の現在でも本質的には変わっていないもので、日本の文化風土にあったシステムだというのは直感的に分かります。

ところがこの方向性は危険もはらんでいました。弁士の語りが前に出すぎると映像は挿絵の扱いになってしまいます。『斬人斬馬剣』を読んでいても伊藤監督の個性はかき消されていて、当時の剣戟映画界でなぜ本作が際立っていたのかが見えてきません。説明集は、視覚芸術としての映画の本質を説明していないのです。

『弁士の説明を聞くより面白い』
明文館の映画文庫の紹介ページより。仮想敵が弁士だった様子が伝わってきます。

« More exciting than benshi-narration! »

映画を作る側からすると歯痒さの残る状況でもありました。1929年は初のマキノトーキー作品(『戻橋』)が公開された年でもあります。マキノ監督は単に欧米のテクノロジーを追おうとしていた訳ではありません。観衆側の解釈や盛り上がりに依存しすぎる状況に危機感をいだき、弁士システムを終了させ業界をリセットする発想が含まれているのです。

ハリウッドでは1920年代半ば、東欧や南米でも1931~32年にトーキー移行が完了していたにも関わらず、技術力で負けていた訳ではない日本が出遅れたのには理由がありました。多くの国でトーキーへの変化はテクノロジーのアップデートに過ぎなかったのに対し、映画が魔改造されて根付いてしまった日本では変えなくてはならない前提が他にもあったのです。

ガラパゴス的な状況は1935年頃には解消されていましたし、そのおかげで後の邦画黄金時代が実現する運びとなりました。ただ、今更ではありますが、ガラパゴスのまま独自進化を遂げていたとしてもそれはそれで面白い邦画史になっていたのだろうな、と思うのです。

ディオミラ・ヤコビニ (Diomira Jacobini 1899 – 1959) 伊

「国別サインリスト イタリア [Italy]」より

Diomira Jacobini 1929 Autographed Postcard

若くしてデビューした姉のマリア・ヤコビニを追うように1912年に女優デビュー、第一次大戦中に20作以上の映画に出演し知名度を上げていきます。

終戦後イタリア映画界が陰りを見せ始めるとマリアを含む多くの俳優は海外に活躍の場を求めました。ディオミラもドイツに渡り再スタートを切っています。

『死の花嫁』(1928年)
『死の花嫁』でのディオミラ(右はカリーナ・ベル)

この時期の作品で、1928年の歴史メロドラマ『死の花嫁』(Revolutionshochzeit)が現存。ディオミラは結婚式当日に革命派に見つけ出され、軟禁されてしまう花嫁を演じています。名監督A・W・サンドベルグの力量が発揮された同作は評判を呼び日本でも公開されました。

姉マリアの圧倒的な存在感、実績にややもすると隠れがちですが、『死の花嫁』からはお姉さんにはない硬質な透明感も伝わってきます。

[IMDB]
nm0414293

[Movie Walker]
ディオミラ・ヤコビニ

[誕生日]
5月21日

[出身]
イタリア(ローマ)

[サイズ]
9.0 × 13.9cm

[データ]
「1929年10月29日ベルリンにて」 « Ross » B.V.G. Berlin SW 68

1928-29 – 羽衣館 しおり 4点

「阪東妻三郎関連」より

hagoromo-kan

1928年末から29年前半に東京牛込の羽衣館で宣材として配布されていた栞4点。

1)1928年12月『鳥辺山心中』(松竹下加茂)林長二郎主演
2)1928年12月『喧嘩安兵衛』(阪妻プロ太奏)阪東妻三郎主演
3)1929年3月『花骨牌(はなかるた)』(阪妻プロ太奏)阪東妻三郎主演
4)1929年5月『浮世小路』(松竹蒲田)栗島すみ子主演

『花骨牌』と『浮世小路』の二枚には穴が開けられ紐がついています。スタイリッシュにロゴ化された映画館名からもデザイン感覚の洒脱さが伝わってきます。

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『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』 映写招待パンフレット(1929年、ベルギー)

「『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』[La Merveilleuse vie de Jeanne D’Arc, 1929]」より

1929年5月にベルギーの映画館トリアノン・オベール・パレス座で『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』が公開された際に招待券兼パンフレットとして配布された小冊子。表紙には手書きで「座席確保済み(Reservé)」と書かれています。

冊子は二つ折りでキャストなどが記載され、映画の写真を印刷した一回り小さな紙が貼りつけられています。

1929 – 9.5mm 『栄光に包まれて:ジャンヌダルク五百年祭 1429-1929』

1929年5月、ジャンヌ・ダルクのオルレアン解放から五百年を記念して行われた大規模な祭典の様子を収めたドキュメンタリー短編。6巻物で第1巻が欠。

フィルム側面のラベルが赤地となっていますが、これはキリスト教系出版社ボンヌ・プレス社が制作を手掛けたものを意味しています。

第2巻でお祝いムードに包まれるオルレアンの町と、ジャンヌにゆかりのある場所を紹介。3巻目以降は雨模様の中行われたパレード、旗の贈呈式の様子などが映し出されていきます。

自治体だけではなく、時の首相、枢機卿、アカデミー・フランセーズからの代表者、仏軍が参加した大掛かりなお祭りに街路も見物人で一杯。最後はイリュミネーションで照らされた夜の風景で幕となりました。

[原題]
Dans la gloire : Fêtes du Cinquième Centenaire de Jeanne d’Arc 1429-1929

[メーカー]
仏ボンヌ・プレス社

[公開]
1929

[仏パテ社版カタログ番号]
3042

[フォーマット]
60フィート(ノッチ有)*5

1929 – 9.5mm『死の銀嶺』(アーノルド・ファンク&G・W・パブスト監督作品)

1926年の『聖山』と並ぶファンクレニの代表作でドイツ山岳映画の金字塔。『聖山』が透明感のあるビジュアル重視の手法を使っていたのに対し、『死の銀嶺』は雪山に閉じこめられた主人公3名の人間ドラマに肉薄していきます。

[タイトル]
White Hell of Pitz Palu

[原題]
Die weiße Hölle vom Piz Palü

[製作年]
1929

[IMDB]
tt0020570

[メーカー]
英パテスコープ社

[ナンバー]
SB30054

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ無) 300ft *4リール