林 千歳 (1892 – 1962)

「日本 [Japan]」より

Hayashi Chitose 1920s Autographed Postcard
Hayashi Chitose 1920s Autographed Postcard

本名河野千歳。明治廿三年八月芝琴平町に生る。女子大學卒業後坪内氏の文藝協會に入り舞臺に立ち、舞臺協會文藝座等に出演せし事あり。映畫としては最初國活に入り寒椿其他に現はる。十一年松竹に轉じ現在に至る。深刻なる女性を出すを以て知らる。

『大正名優鑑 「劇と映画」臨時増刊』
(国際情報社、1924年)

映畫女優としてよりも、文藝協會、舞臺協會、文藝座等、過去の新劇の女優として其名が高い。映畫の處女出演は、舊國での「短夜物語」りで、松竹に入つてからは井上正夫と共演の「海の人」外多數の作あり。近時側役として重きをなす。女子大學出身の能辯家、容貌も藝も立派である。

『映畫と劇』「林千歳嬢」
(國際情報社、1925年3月号)

大阪堂島の高等女學校を卒へてから目白の女子大學の英文科をも卒へた – というだけでも映畫女優中第一の學者である。東儀鐵笛氏の引きゆる文藝協會の「マクベス」を初舞臺に舞臺協會及び文藝座と劇壇の人として相當の人氣を博したものである。大正九年國活創立と共に入社して五味一派と共に「短夜物語」などを撮影して一新天地を開拓したものである。

明治二十五年八月二十一日、東京市芝區琴平町に生る。本名を河野千歳と云ふ、身長が五尺一寸二分、體重が十二貫五十匁ある。現住所は東京市外青山原宿六十三番地。

『裸にした映画女優』
(日本映画研究会、1925年)

[JMDb]
p0373860

[IMDb]
Chitose Hayashi

[出身]
日本(東京・芝)

[誕生日]
8月22日

[サイズ]
8.5 × 13.6cm.

諸口 十九 (1891 – 1960)

「日本 [Japan]」より

Moroguchi Tsuzuya 1920s Autographed Postcard
Moroguchi Tsuzuya 1920s Autographed Postcard

諸口十九は「お坊ちゃん」「カラーボタン」の二本だけで當然記録に止めらるべき人である。

諸口十九が洋行して歸つて來た。仲々スサまじい気焔を揚げた。容易に撮影にかゝらないでフアンを焦らした。吾々は實際の所、どんな事になるのかとヒヤヒヤしたものであつた。所が、第一回作品たる「お坊ちゃん」は豫想以上に「良いもの」を多分に具へてゐた。明るい、輕い、フレツシユな味は矢張り彼の專賣だつたのかとさへフアンは思つた。つゞく「カラーボタン」は更に「良いもの」を持つてゐた。臆病で、膽玉が小さくて、そして家へ歸れば女房にも當り散らす愛すべきモダーン・ボーイ櫻井としての彼は長く長く忘れられないであらう。

『日本映画年鑑 大正十五年昭和二年 第三年版』
(朝日出版社、1927年4月)

明治二十四年二月福井に生れ、十六歳の時上京して成城中學に學んだ、後藤澤の俳優學校に入り十九歳の時牛込高等演藝場で初舞臺を踏み、後一座を組織して旅を稼ぐこと數年。大正九年五月に松竹に入り蒲田第一の幹部俳優となつた。初演映畫は『新生』主演は『笑へ若者』『なすな戀』『女殺油地獄』『赤坂心中』等、等。後米國及び佛國の映畫界を視察して歸朝後『お坊ちやん』『カラーボタン』『地下室』等の特作品を出し大に新らしい方面で活躍しやうとしたが容れられず筑波雪子と手を携えて脱退し、諸口十九社を起して大に活躍してゐる。一時人氣を氣支はれたが差したることもなく相變らず筑波雪子と共にフアンの人気を博している。

『玉麗佳集』(中央書院、1928年)

[JMDB]
p0169620

[IMDB]
Tsuzuya Moroguchi

[出身]
日本(福井)

[誕生日]
2月3日

[サイズ]
8.4 × 13.4cm.

1927年『日本映画年鑑 第三年版』(大正十五年・昭和二年版、朝日新聞社)

『日本映画年鑑 第三年版』表紙
1927 – The Japan Movie Annual 1926-1927
(Asahi Shimbun Publishing Co.)

1925年から足掛け6年に渡り公刊されていたのが朝日新聞社の『日本映画年鑑』でした。日本の無声映画期の基礎資料の一つとして2011年に復刻されています。第一号に当たる大正13-14年版は国立国会図書館のオンラインアーカイブにて閲覧可能


この時期を代表する作品として『黄金狂時代』『修羅八荒』『狂った一頁』『滅び行く民族』『最後の人』『噫無情』などが紹介されています。各国の映画界の個性がよく出た選択ではないでしょうか。

特集として興味深いのは、砂田駒子、鈴木伝明、ポーラ・ネグリの小伝です。特に砂田駒子さんは本人筆による回想録を寄稿しており、写真を多くあしらった幼少時の回想を読むことができます。


監督としては村田實、牛原虚等が取りあげられ俳優では梅村蓉子、諸口十九、岡田嘉子、スポーツ俳優の面々に紙数が割かれています。新人紹介欄に目をやると現在忘れられてしまった名前も多く、出入りの激しかった様子を伝えています。訃報欄では尾上松之助、ルドルフ・ヴァレンチノとバーバラ・ラマール三人がその功績を称えられていました。


撮影所毎のデータ集約や、巻末に付された簡潔な俳優名鑑など使い勝手の良い構成で、資料価値は高いのではないかと思われます。

1930年『日本映画年鑑 第五年版』(昭和四年・五年版、朝日新聞社)

日本映画年鑑 第五年版 表紙
1930 – The Japan Movie Annual 1929-1930
(Asahi Shimbun Publishing Co.)

巻頭はしがきに「内容の充實と調査の徹底を期するため、本年度から隔年に編纂する」の一文が見られますが実際に次号は発売されず最終号となりました。

国内作品の代表作として『浪人街』(マキノ雅弘)『斬人斬馬剣』(伊藤大輔)、『都會交響樂』(溝口健二)、『からくり蝶』(後藤岱山)、『灰燼』(村田實)、『生ける人形』(内田吐夢)や『會社員生活』(小津安二郎)、海外作品で『サンライズ』『裁かるるジャンヌ』が紹介されているように、無声映画の総決算と呼べる重要作が並んでいます。一方でトーキー技術の説明にも紙数が割かれ、映画界全体が新しい局面に移っていく様子も伝わってきます。

『浪人街』の大林梅子と谷崎十郎
『浪人街』の大林梅子と谷崎十郎 (Obayashi Umeko and Tanizaki Juro in Ronin-gai)
『斬人斬馬剣』の月形龍之介
『斬人斬馬剣』の月形龍之介 (Tsukigata Ryunosuke in Zanjin Zanba Ken)

中ほどでは注目すべき国内外監督が特集され、邦画界から小津安二郎、清水宏、内田吐夢などが登場、海外ではアーヴィング・カミングスやディミトリ・キルサノフ、パウル・フェヨス、カール・マイなどが紹介されています。

俳優の紹介欄では浜口富士子、大林梅子、若水絹子、高田稔、琴糸路、澤村國太郎が大きく取り扱われ、国外組はアニタ・ページ、ナンシー・キャロル、ブリギッテ・ヘルム、リチャード・アーレン、ベッシー・ラブ等が紙面を飾っています。


一方訃報欄では小山内薫、マキノ省三、松井千枝子、ラリー・シモンらが取り扱われていました。ひとつの時代が終わっていく感じがします。

広告に興味深いデザインが多く見られ、見返しには国外俳優のデフォルメされたイラストがまとめられています。線の華奢な大正期の画風から脱却した昭和初期の新たな息吹が伝わってくるようです。

1917-22 忘れじの独り花(18)プリシラ・ディーン Priscilla Dean (1896 – 1987) 米

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Priscilla Dean c1920 Autographed Postcard
Priscilla Dean c1920 Autographed Postcard
フィア・エーマンスさん旧蔵品では数少ないハリウッド女優のサイン物。

第一次大戦中のドイツは経済制裁により(少なくとも表向きは)アメリカ製の映画の輸入が禁じられていました。終戦後、この時期のハリウッド作品が順次公開されていきます。

ハリウッドではビクトリア朝的な女優像からモダンな女性への転換が進められており、1910年代デビュー女優の多くが忘れられていきます。そんな中、コリーン・ムーアやプリシラ・ディーンは少年的な雰囲気もあって上手く時代に適応していきました。

『法の外』(1920年)より
『法の外』(1920年)より

プリシラ・ディーンはトッド・ブラウニング作品の常連として『法の外』(Outside the Law, 1920)など個性を生かした作品に次々と出演していきます。

[IMDB]
nm0212912

[Movie Walker]
プリシラ・ディーン

[誕生日]
11月25日

[出身]
合衆国(ニューヨーク)

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
Verlag Ross, Berlin SW 68. 519/3.

1917-22 忘れじの独り花(16)エディット・メラー Edith Meller (1897 – 1953)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Edith Meller c1920 Autographed Postcard
Edith Meller c1920 Autographed Postcard
第一次大戦中の1916年にデビューし1922年頃まで旺盛な活動を見せていたハンガリー出身の女優。

初期はナチオナール映画社やPAGU社作品に多く出演。このうち助演した1917年の « Der feldgraue Groschen »が現存しており、オンラインで動画が公開されています。

« Der feldgraue Groschen »でのエディット・メラー(右端)

1920年にPAGU社で製作された恋愛アドベンチャー『熱国の呪』(Indische Rache)は日本でも公開されています。

Edith Meller in Die wilde Ursula (1918)
キノベジッツァー誌 1918年5月13日付
初期主演作 « Die wilde Ursula » の紹介記事

[IMDB]
nm0577914

[Movie Walker]
エディット・メラー

[誕生日]
9月16日

[出身]
ハンガリー(ブダペスト)

[サイズ]
8.6 × 13.6cm

[データ]
Film-Sterne 133/4. J.Brass

1917-22 忘れじの独り花(15)ヒルデ・ヴェルネル Hilde Wörner (1895 – 1963)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Hilde Wörner c1920 Autographed Postcard
Hilde Wörner c1920 Autographed Postcard

多年の舞臺經歴を有するドイツ知名の名女優で、映画に出演することは頗る稀で僅に數種あるのみです。我國には「王城鬼ボルサモ」が紹介されたのみだが、容姿の端麗、演技の確實なことは優に群少女優を抜いてゐる。

『世界のキネマスター』(1925年)

Hilda-Worner02

カリオストロ侯爵を主役に据えた奇譚『王城鬼ボルサモ』(1920年)で初めて出演作が紹介され、その後『快傑ダントン』(1921年)で日本のスクリーンに再登場しました。

元々はリザ・ワイゼ(Lisa Weise)が抜けた穴埋めでベルリン劇場に雇われたのがきっかけで、すぐに映画社の目に留まり映画女優デビューにこぎつけます。

Hilde Wörner in Danton (1921)
『快傑ダントン』(1921年)より

『快傑ダントン』では仏革命期に権力を持った政治家エロー・ド・セシェルに拾われ、豪華な貴族生活にまぎれこんでいく少女バベットを演じていました。また、日本未公開ながらルビッチのドイツ期最終作として知られる『炎』(Die Flamme、断片のみ現存)でも準ヒロインの扱いで登場しています。

[IMDB]
nm0937339

[Movie Walker]
ヒルデ・ヴェルネル

[誕生日]
11月17日

[出身]
ドイツ(カッセル)

[サイズ]
8.7 × 13.5cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser,Berlin-Wilm. Phot. Zander & Labisch 1219