市川 右太衛門 (1907 – 1999)

「日本 [Japan]」より

Ichikawa Utaemon Autographed Photo
Ichikawa Utaemon Autographed Photo

本名淺井善之助。明治卅九年、大阪市に生る。幼少より子役として舞臺に立ち、後市川右團次の門に入り、現在の藝名を名乗つて大正十五年マキノへ入社。昭和二年獨立して右太衛門プロダクシヨンを起し翌年より松竹と提携して現在。主な近作は「一殺多生剣」「雁金文七」「上州無宿陣」等、身長五尺七寸、體重十六貫二百目。趣味讀書、釣り。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDb]
市川右太衛門

[IMDb]
Utaemon Ichikawa

[出身地]
大阪府(大阪市西区)

[誕生日]
2月25日

[データ]
11.3 × 16.3cm

1920~30年代 – 9.5mm 仏ソフトコアポルノ短編集

「9.5ミリ 成人向け動画」より

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Film pornographique des années 1920-30
1920-30s 9.5mm French Softcore Porno Short Movies

1920年代から30年代に闇取引されていた9.5ミリのポルノ短編7本をまとめた一本。それぞれ2分程で全体の長さは15分。1930年代中盤から後半に編集されたと思われます。


1)「運転はお嬢様にお任せ」(Vous me conduirez, Mademoiselle!)

建物の玄関口に立つワンピース姿の女性。お迎えの車が来たようですがどうも様子が変。エンジンの調子がおかしいようです。それなら私が!、とばかりボンネットを開けて修理に挑戦。服を汚してなるものか、エイヤと脱ぎ捨ててしまうのでした。



2)「無題」

受付に現れた帽子姿のエレガントな女性。受付に座っていた男性が何やら言葉で促すと女性が服を脱ぎ始めます。その腰へ伸びていく男の指先…



3)「ピエレット嬢うたた寝危機一髪の巻」(Pierette s’était endormie et …!) エレム映画社

納屋の入口に積み重ねられた藁。ピエレット嬢は疲れた体を横たえうたた寝を始めます。何度も足を組み替えスカートがめくれあがっています。通りすがりのバプティスタン君がこっそり近づいていますよ…



4)「水辺にて」(Au fil de l’eau)エレム映画社

ロジーヌとピエレット嬢の二人は川に洗濯へ。仕事中、洗濯桶が川に落ちてしまいピエレット嬢が引き寄せにいきます。びしょ濡れになり、上着も流されたピエレット嬢は半裸のまま洗濯を続けていきます。3)と同じエレム社作品で素朴な田舎風味。



5)「無題」(レズ絡み)

壁に絵が掛けられた小綺麗な一室、二人の女性が半裸姿でじゃれあう様子を収めた一作。



6)「無題」(ヌーディスム)エレム映画社

ベランダで男性が本を読んでいると外から音楽が聞こえてきました。何だろうと顔を出すとリュートを弾いている女性が一人。すぐ次の場面でなぜか半裸となり、下着姿で音楽を奏でています。降りていった男が声をかけてあげるのでした。



7)「無題」(レズ寄りのライトなSM、盗撮風)

日傘を手に散歩しているサングラス姿の女家庭教師。ベンチで女子生徒?が読書中。背後から近づいていき、指揮棒のようなもので文字を追っていきます。生徒の手から本を取り上げると服を脱ぐよう指示。指揮棒で叩くと女の子は恍惚の表情を浮かべるのでした…


確認できた限り欧米圏でこれまで発売されたVHSやDVDに収められている作品は一つもありませんでした。ただ3)と4)については、2006年にカルト・エピックス社から発売されたDVD『1920年代ヴィンテージ・エロティカ』(Vintage Erotica Anno 1920)に「ピエレット嬢、川に洗濯の巻」という同系作品が収録されています。

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戦前に違法流通していたポルノは製作会社の表記がないものが大半です。1920年代に活動していたトリブレ映画社を幾つか保有しているのですが、今回エレム社作品が3つ追加されたことで比較対象が出来た形です。

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浜口 富士子 (1909 – 1935)

「日本 [Japan]」より

Hamaguchi Fuijiko Autographed Postcard
Hamaguchi Fuijiko Autographed Postcard

美人投票に當選したのがキツカケで日活に入社、幸運と云ふべく、余りに幸運にも「蒼白きバラ」に一躍主演級に据ゑられて大カツ躍。古くは澤正一座に加はるて居り、多少の舞台度胸もあつた事とて、第一回主演に失敗もせず、續いて「一番目の女」や「摩天樓」にも現はれて、日活映畫に一脈の若さとモダーン味を加へてゐる。年も廿二歳なら、之からはしつかりした藝を見せ樣し、とまれ若手新進中では、皆から目を付けられてゐる人。

『日本映画年鑑 昭和四年昭和五年 第五年版』
(朝日出版社、1930年4月)

私が書くよりその記事の主要な部分を抜き書きしますから読んでいただきましょう。

— 富士子は九月に入って全く重態に陥った。富士子の実母がかけつけた時には、手のつけられないほどだった。もう注射と酸素吸入だけでようやく命をつないでいるだけだった。それなのに俊二はもちろん、可愛いい誠之助もいない。富士子危篤の報にようやく二十九日の朝、俊二は生母杉山ふきと誠之助を連れて病院にきた。百日目に見舞う妻は全く明日をもしれない容体なのだ。

「ホウこれならまだ大丈夫だ。それぢァまたくるよ」

と慰めの言葉一つかけるでもなくさっさと帰るのだった。無情、冷酷、富士子の母はその翌日警視庁人事相談課に出頭して泣いて訴えた。しかしそれも富士子の死は時間の問題だった。華やかなスタート、きらびやかな映画スター、彼女は夫を心から憎み、愛児の名を呼びつつ二日後哀れにも悲惨な人生の終末を告げたのでああった。

『髪と女優』 伊奈もと著(1954年)

『髪と女優』からは筆者伊奈もとさんの穏やかで人懐っこい性格が伝わってきます。それでも例外的に調子の異なった章がひとつあってそれが浜口富士子さんを扱ったものでした。「仕事の上で二、三年ばかりのおつき合い」で「二人の恋愛ざた以外これという印象はありません」と前置きしつつ、無責任な夫から見捨てられた死の様子に「深い義憤を感ぜずにはおられません」と添えてありました。

一方ではあまりにもあっけなく辿りついてしまったスターダムに安住し、肝心の芸事の修練を怠っていた慢心を批判する文章もちらほら差し挟まれています。単純な夫婦問題のもつれではなく、安易にシンデレラを量産し消費するようになっていた当時の邦画界への自戒が含まれているようにも思えます。

[JMDb]
浜口富士子

[IMDb]
Fujiko Hamaguchi

[出身地]
日本(東京市神田)

[誕生日]
9月

[データ]
8.2 × 13.3cm

1930年代中盤 – 9.5mm 個人撮影動画『淡路島のだんじり祭り』

「9.5ミリ動画 05b 個人撮影動画」より

Mid 1930s Awaji Island Danjiri Festival

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1930年代中頃に淡路島で撮影されただんじり祭りの様子を撮影した9.5mm個人撮影動画。カメラを固定せず持ち歩きながらの撮影となり手ブレが非常に多いものの、青年たちが布団だんじりを担いで練り歩く勇壮な姿を見ることができます。
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冒頭は通りを練り歩く山車で始まります。そこまで広くはない道幅に結構な数の人々が集まっています。静止画で確認すると「山際写真館」「クラヤ洋品店」など幾つかの看板を読むことができました。その後、カメラが真下を向いた一瞬にバス停が映りこみます(一コマのみなので動画では見えません)。
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180度反転すると「全淡バスのりば」の文字。全淡バスは戦前に淡路島を走っていたバスの名称で、この情報から撮影場所を特定することができました。
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次の場面から撮影者は路上に下りて通りの撮影を始めます。「最上醤油」や「遊技場」などの看板が見え、はっぴ姿の青年衆たちが何やら準備中。途中に「新興キネマ」と書かれた映画館を発見できました。

sample00後半に登場してくるのは淡路島のだんじり祭りで使用される「布団だんじり」です。明治中頃からこの形が定着したそうで、祭りが若者たちで賑わってきた時期の貴重な動画となりました。

1934年2月11日 – 9.5mm 個人撮影動画『柳幼稚園 仮装奉祝行列』

「9.5ミリ動画 05b 個人撮影動画」より

1934 Yanagi Kindergarten Costume Prade
(in celebration of the birth of Prince Akihito)

昭和9年(1934年)2月11日の紀元節(現在の建国記念日)に開催された仮装行列を記録した動画。前年末、昭和天皇に待望の皇太子(現在の上皇)が誕生したのを受け、地元の幼稚園を中心にお祝いのパレードを行ったものです。

まずは神社の境内に集合、早速記念撮影で盛り上がっています。昔話や説話(浦島太郎、桃太郎、大江山四天王)、歴史上の偉人(加藤清正)、火消しや宮司、軍人、猿回しの姿、歌舞伎の登場人物(鏡山お初)などを確認できました。

後半は路地を練り歩いていく様子です。旗を手にした制服姿の学生が園児をエスコートしていきます。

途中に一度列車の車両を模した山車が映し出されています。旗日仕様の列車(あるいはお召し列車)を元にしたデザインと思われ、以前に紹介した『昭和御大禮の盛儀』で実物を確認できました。

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(上)仮装行列用に制作された山車
(下)『昭和御大禮の盛儀』より

1934年頃になると映像からも景気の悪化を感じ取ることができます。明るい話題ばかりではない時代を連帯感で乗り切ろうとしていく共同体の姿でしょうか。

南 光明(1895 – 1960)

「日本 [Japan]」より

Minami Koumei Autographed Postcard
Minami Koumei Autographed Postcard

本名鈴木光、明治三十年、東京市に生る。築地文海學校、立教中學。大原簿記商業科等に學び、大正九年松竹キネマ研究所に入り、蒲田スタヂオへ入社。マキノ入社は昭和三年五月。主な近作は「情恨」「次郎長旅日記」嵌り役は浪人者。身長五尺七寸體重十八貫五百目。趣味は旅行、野球、讀書等。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

以前に昭和15年(1940年)の残暑見舞いをご紹介済。

[JMDb]
南光明

[IMDb]
Kômei Minami

[出身地]
日本(東京市京橋区築地)

[誕生日]
6月30日

[データ]
8.5 × 13.5cm

石山 龍児 (1893 – 1973)

「日本 [Japan]」より

Ishiyama Ryuji Autographed Postcard
Ishiyama Ryuji Autographed Postcard

映畫俳優で知つてゐるのは蒲田の石山龍嗣だけである。それも役者として知つてゐるのではない。もう十何年も前、學生のときに偶然のことから知りあひになつて、いつしよに義太夫をききに行つたり文學論をたたかはしたりして、たいへん仲が良かつたのである。

そのころ石山龍嗣はまだ蒲田に入社してゐなかつたしどこにも勤めてゐなかつたので、下宿で暇さへあれば表情の研究をしてゐた。

[…] こないだ私は四谷の映畫館で日本もののトーキーを見て、石山君が醫者に扮し怪我をした少女を診察するところを見た。おちついてゐて厭や味がなく、人がらなところは実際の石山君の性格を見る思ひであつた。地味ではあるが蒲田では相当な俳優なのであらう。(十年七月)

「映畫と石山龍嗣」、井伏鱒二
『肩車』(昭和11年)収録

Ishiyama Ryuji in Arigatosan (1936)
『有りがたうさん』(1936年、清水宏)より
左から石山龍児、上原謙、桑野通子

[JMDb]
石山竜嗣

[IMDb]
Ryuji Ishiyama

[出身地]
青森県

[誕生日]
9月2日

[データ]
8.5 × 13.5cm