1937 – VHS 『恋山彦』(マキノ正博監督、阪東妻三郎主演)

「阪東妻三郎関連」より

時は元禄。信州伊那の谷に平家の末裔が住み着いていた。山腹にかかった霧の奥から御輿を担いだ男たちの姿が浮かび上がる。御輿には涙を浮かべた若い女(花柳小菊)が一人。女は村人によって人身御供とされ、山の神に差し出される運命であった。

山の神と呼ばれていたのは平家の末裔・小源太(阪東妻三郎)であった。神事を終えた小源太は掟を破り女を連れて村に戻ってきた。話を聞くと名をお品と言い、三味線の名手源四郎の一人娘だそうである。時の権力者・柳沢吉保(河部五郎)とその愛妾おさめ(原駒子)の求めに応じて名絃「山彦」の演奏を披露したのがあだとなり、三味線を奪おうとした吉保の配下の者に源四郎は殺され、お品は楽器を手にこの谷へと流れてきたのであった…

平家落人伝説を背景とし末裔の主人公が権力者の腐敗を懲らしめていく筋立てで、そこに三味線「山彦」の争奪戦や主人公のそっくりさんとの身代わり(妻三郎二役)のサイドストーリーが絡みあっていきます。

『恋山彦』の第一回目の映画化となる本作は、映画が無声からトーキーへと移り変わっていった時期に見られる幾つかの特徴を有しています。

1)マイクの感度が低く、俳優の声がエコーをかけたようにこもっていて聞き取りにくい。また、セリフの度に「サー」というノイズが入る
2)併設された録音機器のせいでカメラの動きが制限され、カメラワークの自由度が低く遅い

ハリウッドでは1928~31年位にこういった「移行期の作品」が見られたのですが、日本では30年代半ばから同傾向の作品が見られるようになってきます。マキノ監督は日本の同世代監督でも最もフレキシブルに、流動的にカメラを動かしていた一人で、本作では上記の弱点があまり目立たないような工夫が凝らしてあります。意識しなければ(特に2は)気にならない感じでした。

この作品ではモブシーンの演出が光っています。中盤で小源太が城で大暴れし、闘いの場が一階から天守閣に移っていきます。

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戦闘場面にあわせてカメラが上昇していく。1ショットでの撮影

複数階のセットを組み、俳優たちが上階に上っていくとセット脇の吹き抜けに置かれたクレーンに設置されたカメラが上昇していきます。1ショットでの長回しでカメラと俳優の動きを同期させるため緊密な連携が要求される場面です。

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『第七天国』で、主人公のカップルがアパートの階段を上っていく場面

ボーセージ監督が『第七天国』(1927年)で同種のクレーンショットを使っていました。マキノ監督なりのオマージュでしょうか。後年、戦中の『ハナコさん』(1943年)でもバスビー・バークレーを念頭に置いた演出を組みこむなど常にハリウッドへの敬意を忘れなかった監督でもあります。

阪妻の演技は台詞回しがまだ生硬な欠点がありますがラストの能舞台の立ち回りを含めて見どころはしっかり作っています。時代劇初出演となった花柳小菊さんの可憐な演技と三味線の腕前のみならず、河部五郎、原駒子、市川百々之助などベテラン勢も登場しサイレント映画好きには楽しい一作でした。

] 映画の郷 [ 電子工作部:Python + Kivyによるスキャン画像修復システムを構築する(2)

restoration-sample-m

昨年末から作り始めているスキャン画像修復システムの進捗報告です。

フィルムによって、時によっては同じフィルムでも場面によってノイズの出方が様々で、一つのパターンだけ作ってはい完成!とはいかないな、と試行錯誤している感じではあります。それでも修復の精度は間違いなく上がっている実感があります。

数日前に手掛けていた日本の個人撮影動画の一部をGIFアニメにしてみました。

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『初秋の頃』(9.5ミリ個人撮影動画、日本、1930年前後)

1932年 仏パテ社 映写機・撮影機および周辺機器カタログ&定価表

pathe-baby-tarif-general-france01pathe-baby-tarif-general-france02左列にカタログナンバー、中央列に商品名と簡易スペック、右列に旧フランでの価格。

1ページ目に映写機とスクリーン、2ページ目に周辺機器、3~4ページ目に自家現像用の商品と続いていきます。当時のパテベビー映写機の価格は約600旧フランでした。これは現在の金額に換算すると5万2千円強(400ユーロ弱)に相当するそうです。

金額だけ見るとそんなものかとも思いますが、労働者の平均時給が3.19旧フラン(280円程度)、朝刊を0.3旧フラン(約26円)で買えた時代の話ですのでやはり高価なものだった様子がうかがえます。

1930年代初頭 日本 パテベビー映写機 チラシ

二つ折り見開き4ページ、出版社名明記なし。パテベビー映写機、キッド、リュクスの3台を中心としたラインナップで1932年前後と思われます。ベビー映写機75円、キッド映写機が29円、リュクス映写機が165円、手回し式カメラ(レンズF=3.5)45円、モトカメラ115円の価格設定となっています。

1930年代 墺オイミッヒ社 9.5mm専用フィルムリワインダー

eumig-9-5mm-film-rewinder1映写や修繕を終えたフィルムを元のリールに巻き取るための道具。オーストリアの光学機器メーカー・オイミッヒ製で、土台部分は木製。1930~40年頃のものでしょうか。

シモーヌ・ジュヌヴォワ Simone Genevois (1912- 1995)

「『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』[La Merveilleuse vie de Jeanne D’Arc, 1929]」より

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡(1930年頃)

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡・全体
c1930 Simone Genevois Lettre Dedicacée

ご質問への回答以下となっております。お気に入りの役はジャンヌ・ダルクです。撮影所の思い出は…多すぎてここでは語れない位なのですが一つ言えるのはどの撮影も心地良かったですし今の人生を満喫しています。

今後の計画としては沢山の映画に出てみたいです。しっかり作りこまれた役柄、モダンな役を演じたいのです。映画業界の未来は…素晴らしい未来が待っていると思います!

シモーヌ・ジュヌヴォワ

Monsieur, Voici les réponses que vous me demandez. Mon rôle préféré est celui de Jeanne D’Arc. Mes souvenirs de studio, mon Dieu, je ne peux pas vous en raconter j’en ai

tellement, mais je puis vous dire qu’ils sont presque tous agréables et que j’adore cette vie-là. Mes projets, faire beaucoup de films mais des rôles de composition, des rôles modernes. L’avenir du cinéma je crois qu’il est merveilleux!

Recevez Monsieur mes sincères salutations, Simone Genevois


1930年頃と思われるシモーヌ・ジュヌヴォワ直筆の書簡。アンリ・デュブリ氏に宛てた物でサイズは19.2×30.2センチ。雑誌アンケートに回答する内容となっています。

ジュヌヴォワは1910年代に子役としてデビュー。アンリ・プークタル監督の『労働』(1920年)などにも出演し、レジーヌ・デュミアンと並ぶ人気子役として活躍しました。

『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
[ゴーモン・パテ・アーカイヴ(Gaumont-Pathé Archive)より]
学業を理由に一旦は映画界を離れるのですが、その後程なくしてカムバック。アベル・ガンスの『ナポレオン』ではシチリア島に住むナポレオンの妹役として登場しています。

その後ガスティーヌ監督の『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』のオーディションに応募し、見事ヒロインに選ばれました。同作が彼女の代表作となりましたが、その後もガスティーヌ監督と縁が続き1930年代初めまで活躍、結婚と同時に女優業を離れています。

19270618-Le Journal
1927年6月18日付「ジュルナル」紙より。主演がジュヌヴォワに決まったニュース

上の新聞記事は1927年6月に主演オーディションの結果が発表された時の物です。最終選考に残った22人の中からジュヌヴォワが満場一致で選ばれた、との内容。ただし一説では元々主演の条件を満たしていなかった彼女を俳優フィリップ・エリアが監督に強く推して選ばれたとされています。また1927年7月31日のレコー・ダルジェ紙には当時まだ未成年だったジュヌヴォワの契約を巡り周囲の大人の間でトラブルのあった話が触れられています。この手のドロドロした話題は映画雑誌では触れられないのが常でしたが、見えない所で色々あるのは今も昔も変わらない訳です。

Simone Genevois c1930 Autographed Photo

こちらは1929年前後と思われるロレル撮影所の直筆サイン入り生写真。サイズは15.8×21.2センチ。

[IMDB]
nm0312810

[出身]

[誕生日]
2月13日

c1930 – 9.5mm 『雪掻車の活躍』(伴野商店/鉄道省)

「9.5ミリ 伴野商店」より

映画と列車は浅からぬ縁があります。リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年)を皮切りとし、ハリウッドでも『大列車強盗』(1903)や »鉄道活劇 »『 ヘレンの冒険』(1915-17)、キートンの『大列車追跡』(1926)など枚挙に暇がありません。

日本でも戦後8ミリの時代には多くの蒸気機関車がフィルムに収められて市販されていました。そういった傾向のルーツの一つとして、戦前の鉄道省が監修・製作した本作品を含めても良いのではないかと思います。

雪国の厳しい自然を背景にロータリー車やラッセル車、広巾雪掻車の実動している様子そして働く人々が映し出されていきます。


[原題]
雪掻車の活躍

[メーカー]
伴野商店

[カタログ番号]

[仏パテ社版カタログ番号]

[フォーマット]
9.5mm、無声、ノッチ有、20メートル