1919年4月『活動之世界(最終号)』各国映画俳優人気投票

1919年4月『活動之世界』人気投票
『Katsudou no Sekai (Moving Picture World)』
« Hall of Fame » Poll (April 1919)

01:ウォーレン・ケリガン(761) Warren Kerrigan [IMDb]
02:山本嘉一(725) Yamamoto Kaichi [JMDb]
03:ルース・クリフォード(695) Ruth Clifford [IMDb]
04:ヴァイオレット・マースロウ(662) Violet Mercereau [IMDb]
05:ダグラス・フェアバンクス(657) Douglas Fairbanks [IMDb]
06:マルガリータ・フィッシャー(591) Margarita Fischer [IMDb]
07:メアリー・マクラーレン(580) Mary MacLaren [IMDb]
08:ドロシー・フィリップス(513) Dorothy Phillips [IMDb]
09:メアリー・マイルズ・ミンター(470) Mary Miles Minter [IMDb]
10:ウィリアム・S・ハート(465) William S. Hart [IMDb]
11:フランシス・ブッシュマン(457) Francis X. Bushman [IMDb]
12:ベッシー・バリスケール(435) Bessie Barriscale [IMDb]
13:パール・ホワイト(433) Pearl White [IMDb]
14:モンロー・ソールズベリー(408) Monroe Salisbury [IMDb]
15:メアリー・ピックフォード(397) Mary Pickford [IMDb]
16:グレース・ダーモンド(379) Grace Darmond [IMDb]
16:フランチェスカ・ベルティーニ(379) Francesca Bertini [IMDb]
16:メイ・マレー(379) Mae Murray [IMDb]
19:カーメル・マイヤーズ(361) Carmel Myers [IMDb]
20:ベッシー・ラブ(343) Bessie Love [IMDb]
21:チャールズ・チャップリン(305) Charles Chaplin [IMDb]
22:ルース・ローランド(295) Ruth Roland [IMDb]
23:ウィリアム・ダンカン(293) William Duncan [IMDb]
23:モリー・キング(293) Mollie King [IMDb]
25:ジェラルディン・ファーラー(265) Geraldine Farrar [IMDb]
26:ピナ・メニケリ(233) Pina Menichelli [IMDb]
27:ノーマ・タルマッジ(207) Norma Talmadge [IMDb]
28:片岡長正(201) Kataoka Chosei [JMDb]
29:クレイトン・ヘイル(199) Creighton Hale [IMDb]
30:藤野秀夫(177) Fujino Hideo [JMDb]
31:ウィリアム・ラッセル(151) William Russell [IMDb]
32:尾上松之助(147) Onoe Matsunosuke [JMDb]
33:エラ・ホール(141) Ella Hall [IMDb]
34:エディー・ポロ(125) Eddie Polo [IMDb]
35:衣笠貞之助(113) Kinugasa Teinosuke [JMDb]
36:アニタ・スチュワート(112) Anita Stewart [IMDb]
37:早川雪洲(98) Hayakawa Sessue [IMDb]
37:澤村四郎五郎(98) Sawamura Sirogoro [JMDb]
39:ハリー・ケリー(93) Harry Carry [IMDb]
40:ウィリアム・ファーナム(90) William Farnum [IMDb]
41:ドロシー・ダルトン(79) Dorothy Dalton [IMDb]
42:ビヴァリー・ベイン(72) Beverly Bayne [IMDb]
43:フランク・マヨ(69) Frank Mayo [IMDb]
44:東猛夫(65) Azuma Takeo [JMDb]
45:ネヴァ・ガーバー(65) Neva Gerbar [IMDb]
46:アルフレッド・ホイットマン(57) Gayne Whitman [IMDb]
47:アリス・ブラディー(50) Alice Brady [IMDb]
48:アール・フォックス(42) Earle Foxe [IMDb]
49:ベン・ウィルソン(37) Ben F. Wilson [IMDb]
50:セダ・バラ(22) Theda Bara [IMDb]
51:アラン・ホルバー(21) Allen Holubar [IMDb]
52:ジュエル・カーメン(17) Jewel Carmen [IMDb]
53:クララ・キンボール・ヤング(15) Clara Kimball Young [IMDb]
54:ブロニー・ヴァーノン(12) アグネス・ヴァーノン(Agnes Vernon)誤記 [IMDb]
55:ルイズ・グローム(9) Louise Glaum [IMDb]
56:モリー・マローン(8) Molly Malone [IMDb]
57:レオン・バリー(5) Léon Bary [IMDb]
57:ガブリエル・ロビンヌ(5) Gabrielle Robinne [IMDb]
59:フランセリア・ビリントン(3) Francelia Billington [IMDb]
59:アーヴィング・カミングス(3) Irving Cummings [IMDb]
59:花柳はるみ(3) Hanayagi Harumi [JMDb]

1919年初頭、雑誌『活動之世界』新年号で人気投票の開催が告知されました。当時合衆国で行われていた形に倣ったもので、年間を通じて票を募集し、各号で途中経過を発表しながら年明けに最終結果を発表するものです。残念ながら『活動之世界』誌はこの年の四月号で廃刊となったため最終結果の発表には至りませんでした。それでも最終号の第3回中間発表を見ていると当時の傾向が幾つか見えてきます。

人名表記は現在のものを使用。3票以上を獲得した61名の男女比は27名(44%)対34名(56%)、国別内訳は以下となっています。
アメリカ:48名(79%) 日本:9名(15%) イタリア:2名(3%) フランス:2(3%)

ハリウッド俳優ではヴァイタグラフ社が安定した人気ぶり(転籍していますがアニタ・スチュワートやノーマ・タルマッジも同社出身)。国内で安定して配給・宣伝されていたため知名度が高かったと思われます。一方でギッシュ姉妹やグロリア・スワンソンらが選外に漏れてしまいました。

アクションを十八番とする男優(ウィリアム・ダンカン、エディー・ポロ、ハリー・ケリー)が健闘、また連続活劇女優の人気が根強かった様子も伺えます。1910年代末はパール・ホワイトやルース・ローランドらの先駆者に続く第二世代(グレース・ダーモンド、モリー・キング、ネヴァ・ガーバー)が台頭していた時期で、ランキングにもその状況が反映されています。

国内組に目を転じると1917年に日活向島に入社した山本嘉一と藤野秀夫、東猛夫、衣笠貞之助に票が集まっています。松之助人気も健在。正式デビュー前で得票数は伸びていないものの(『深山の乙女』は1919年8月公開)日本初の女優花柳はるみさんが早くも食いこんでくる形になっています。

二名ながらもイタリア女優が上位にランクイン(ベルティーニ、メニケリ)。ドイツや北欧、ロシアの俳優名はありません。

この5年後になると日本でも女優ブームにブロマイドが飛ぶように売れ、連続活劇人気は収まり、イタリアの代わりにドイツ映画が存在感を増していく時代となりました。「映画」の言葉からイメージされる世界の広がりが20年代前半にガラリと変わっている訳で、この人気投票はそれ以前、ちょうど一世紀前の映画理解を反映している点で興味深く思われます。

なお、それぞれの国外俳優の写真は国立国会図書館所蔵の『活動花形俳優』(1921年)や『活動名優寫眞帖』(1919年)で見る事ができます。

1913 – スタンダード8 パール・ホワイト主演 『紙人形(ペーパー・ドール)』

「8ミリ 劇映画」より

1913 Pearl White in Paper Doll
Pearl White in The Paper Doll (1913) Standard 8 Blackhawk Print

『ポーリンの危難』公開の前年、1913年のパール・ホワイトはクリスタル映画社と契約を結んでいて、この年だけでも百作を超える短編に出演する人気を見せていました。

観衆から暖かく受け入れられているのは劇場に顔を出す度に響き渡る万雷の歓声からも伺える。ホワイト嬢を「我らがパール」と呼ぶのが多くの者の習わしとなっていた。

ヴィックスバーグ・イヴニング・ポスト紙
1913年5月10日付

The warm place she holds in the estimation of the public is forcibly illustrated in the applauses accorded to her personnal appearance in any theater. « Our Pearl » has become the popular characterization of Miss White.

Vicksburg Evening Post
May 10, 1913

クリスタル社作品で現存が確認されており、8ミリで市販されていた一本が『紙人形』でした。不幸な偶然の重なりで恋人に殺人の嫌疑をかけられてしまった女性主人公アリス(パール・ホワイト)が間一髪でその疑いを晴らす内容です。

冒頭はグラスハウスでの撮影で、登場人物が一通り紹介されると屋外撮影に切り替わりピクニックとなります。思惑のすれ違いから彼氏のクレメンツ(チェスター・バーネット)とアリスに想いを寄せるレイナー(ジョゼフ・ベルモント)との諍いが生じ、カップルは喧嘩別れしてしまいます。

その後レイナーは拳銃の暴発事故で亡くなってしまうのですが、直前にクレメンツがレイナー宅を訪れていた様子が目撃されていました。動機もあり、状況証拠も揃っていることからクレメンツが殺人犯として逮捕されてしまうのです。事件を知ったヒロインが悲しみに暮れていると幼い妹がやってきます。さて二人が如何にして無罪を証明していくか…が見どころとなっています。

物語のメリハリや伏線が上手く機能しており、1911~13年頃の脚本術や演出術の高い水準を伺わせる好編となっています。

1913-paper-doll-11

1910年代前半の映画流儀にならい、『紙人形』の大半は膝上ショット(ミディアム・フル・ショット)で撮影されています。手紙等を見せる場面では手元の接写が使われたりするのですが、本作では拳銃に寄った場面が含まれていました。単調な流れに視覚的アクセントが生まれてくる訳で、こういった経験が蓄積されていく中で数年後に表情や事物のクローズアップ法とそのヴァリエーションが確立されていくことになります。

[タイトル]
The Paper Doll

[製作年]
1913年

[IMDB]
tt0003252

[メーカー]
米ブラックホーク社

[メーカー記号]
810-424

[フォーマット]
Standard 8mm 400フィート

1930 – スーパー8 市川右太衛門主演 『旗本退屈男』 (古海卓二監督)

「8ミリ 劇映画」より


右太衛門終生の当たり役『旗本退屈男』の第一回作品。

完全版は現存していないとされ、マツダ映画社が前半15分程のプリントを所有。8ミリサイレント版はこのマツダ映画社ライブラリー版を元にしています。タイトル、クレジット、エンドロールは後年にカラーフィルムで撮影されたものです。

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物語は佐々木味津三『続旗本退屈男』を元にしたもので、右太衛門演じる主水之介が江戸で頻発している婦女子拉致事件を解決していきます。妹の菊路を小夜文子さん、その恋人である美男小姓の京弥を初代・大江美智子さんが演じていました。

冒頭の説明に「共演の大江美智子は宝塚からの映画界入り第一号で、彼女の霧島京弥役は後に同役をやった多くの女優達の誰よりも適役で殺陣のうまさは正に抜群であった」とあります。前半に籠に乗った主水之介が襲撃された際に下手人を手裏剣で仕留める場面、後半、女装姿で拉致グループをおびき寄せ乱闘になだれこんでいく場面と二度の殺陣を披露。下のスキャンはわずか5コマ(24fpsのため約0.2秒相当)での動きです。

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大江美智子の短刀使い
(Michiko Oe in her battle scene)

原作ではこの場面で主水之介らが登場、悪人の素性を暴いて一件落着となります。映画版はまだ物語が終わらず主人公が黒幕の屋敷に侵入、豪快な立ち回りを披露した後に地下秘密牢に辿りつきます。拘束されていた女性たちを解放しようとしたところ悪人がからくり仕掛けで部屋の天井を落とそうとして…この場面で映像が切れます。

右太衛門の殺陣は破天荒さや奇抜さはありませんが、スタイリッシュで流れの綺麗なものでした。敵を斃してから、スッと自然体に戻る動きも素敵です。

右太衛門の乱闘場面

冒頭で右太衛門と衝突しつつ後半の捕物で活躍する同心の杉浦にも疾走感があります。配役を確認すると武井龍三氏でした。

武井龍三
武井龍三
(Ryuzo Takei as Sugiura)

監督とカメラマンの連携が上手くいっており、対角線を上手く生かした動的な構図と水平線を活用した静的な構図をバランス良く組みあわせ飽きさせない流れを作っています。右太衛門自身が気に入った原作の第一回作品でもあり、製作陣全体が緊張感をもって仕上げていった完成度の高い一作です。

[Movie Walker]
旗本退屈男

[IMDb]
Hatamoto taikutsu otoko

[フォーマット]
スーパー8 無声 90m 24fps (約15分)

[参考リンク]
青空文庫版『旗本退屈男 第二話 続旗本退屈男』(佐々木味津三 作)

1912- 9.5mm 『ナピエルコウスカ嬢のカンボジア風舞踏』(1912年)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

Pathé-Baby 9.5mm « Mademoiselle Napierkowska : Danses Cambodgiennes »
(Extrait de « La Fièvre de l’or », 1912, dir.Leprince & Zecca)

1912 9.5mm Napierkowska : Danses Cambodgiennes

ギリシヤの彫像のやうにすらつりつとした姿整で、華やかな衣装をつけてゆつたりとした態度の中に人をひきつけるその踊り子は、カンボチヤンダンスの不思議な現はれであります。中にも一座のスターは他のきらく數多の踊り子眞中に、更に一段と輝いて居るのを御覧ください。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

仏パテ社が9.5ミリ小型映画を最初に売り出した時にカタログに含まれていた初期のフィルムで、1912年に公開された中編映画(『La Fièvre de l’or』)の一場面を抽出したもの。

映画全体は金銭欲に取りつかれた男が亡父の銀行を乗っ取り投資ブームを仕掛け、人々が踊らされていく内容を描いています。途中の祝宴場面に使用されていたのがスタシア・ナピエルコウスカによるカンボジア風の舞踏でした。

[タイトル]
Danses Cambodgiennes

[原題]
La Fièvre de l’or

[製作年]
1912年

[IMDB]
tt0250381

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
47

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 10m *1リール

「スタヂオ日記」(『女性』誌 1927年10月号掲載)一労働者としての「女優」たち

studio-diaries-s
« My Studio Diaries » (from the magazine Josei [Woman] 1927 October issue)

大正期の邦画をよくご覧になっている方ですと小山内薫(1881-1928)の名に一度ならず触れているのではと思います。舞台での活動が本職ではありましたが、『路上の霊魂』(1921年)の制作や才能ある映画人の発掘・養成など邦画界にもひとかたならぬ功績のあった人物でした。

同氏が編集顧問として関わっていた文芸誌『女性』のある号(1927年10月号)に「スタヂオ日記」という企画が掲載されていました。当時人気のあった女優10名に寄稿を依頼し、女優業の実像を自身の手で伝えてもらおうとする内容でした。

依頼を受けたのは栗島すみ子、夏川静江、八雲恵美子、伏見直江、千早晶子、岡島艶子、柏美枝、徳川良子、酒井米子、松井千枝子の各氏。

『女性』誌 1927年10月号目次
『女性』誌 1927年10月号目次

-午後。
人はますます殖えて行く。暑さはまたぢはぢはと迫つて來る。
汗がぢつとりと流れて、顔もなにも目茶目茶になつてしまふ。
「助けて!」とほんとに云ひたくなる。

「夏の一日」 栗島 すみ子

それでもあのピカピカ光るレフを幾つもあてられると人一ばい暑がりの私は側で焚火をされてゐる程つらかった。一カツト済むと、すぐ扇風機と氷の側へ飛んで行く、飲むから汗が出る、汗が出ると猶ほ飲みたい。

「彦根行き」夏川 静江

仕方なしに、厚い冬の着物をつけ始めた。弟子達が団扇でせつせとあほいで呉れても、じりじりと汗がにぢみ出て來る。[…] あゝ今日のセツトはグラス・ステーヂ、あの百四十度もあるグラス・ステーヂへ…

「撮影所日記」松井 千枝子

暑い暑い事。南京玉の様な汗が額から背中から、ポロリポロリと落ちる氣持はだれでも、よくないと思ふ。

「私のグリンプス」 柏 美枝

職業とは言ひながら、百二十度からもあらうかと思はれるライトの前で仕事をする映畫俳優も、なかなか樂な商賣ではないとしみじみ思ふ。

「一日の仕事」 八雲 恵美子

1927年の夏は暑かったようで、灼熱のスタジオで汗だくになりながら演技を続け、仕事が終わると風呂で汗を流して息をつき、合間合間に気分転換を挟みながら会社の掲示板の予定に目をやって、明日の撮影に備えて早寝する…

何しろ砂地で馬脚が不規律に、砂の中にめり込んで、妾の身體は前後左右、四方八方に振り廻され、今にも墜落しさうなので、此處で落ちてなるものか、と鞍にシツカと 獅噛みついて、無我夢中、暑さも忘れた程。

「鳥取のロケエシヨン」伏見 直江

樂屋風呂に身體を沈めた時は、今迄の疲勞も一時に消えたよう…

「樂屋風呂の快味」酒井 米子

撮影も済んでスタジオに三時頃歸つた。そしてお湯に入つた後のすがすがしい気持に浸って明日の豫定をみて歸る。

「撮影の一日」徳川 良子

歸る路で自動車の競争をやつたら私のが一番に成つたんでうれしかった。會社に歸つたら明日の豫定が出て居る。人見組で朝七時集合。サア早く家に歸りませう。

「腹がぺこぺこ」岡島 艶子

大正期の女優とは、映画とはどうあるべきかといった抽象的な議論は一切なく、日々の経験と雑感を綴っています。雑誌の性質から考えると華やかではあっても消費されやすい「花形女優」の側面ではなく、自立して世を渡っていく「一労働者としての女優」の視点を持ちこもうとした、とも考えられます。また表現者としての思いは前面に出ていなくとも、背後にしっかり流れているのが伝わってきます。

京極はいつも乍らの澤山の人出、自分の映畫は如何かしらと不安にかられ乍ら常設館の入口まで行つて見る。大入りだ。なぜか涙ぐましい感謝の念湧く。

「自由な心」 千早 晶子

『戀は曲者』ロケ帰りの柏美枝さんが、母親への土産に羊羹やわさび漬けを買って帰っていたり、伏見直江さんが昼休憩中におかずを落として凹んでいたり、仕事もせず鎌倉でフラフラしている妹(松井潤子)の行く末を松井千枝子さんが案じていたりの貴重なエピソードも数多く含まれています。

『世界映画全史』 & ラジオ番組 「映画史家ジョルジュ・サドゥールへのオマージュ」 (1968年)

[ラジオ] 「映画史家ジョルジュ・サドゥールへのオマージュ」 (1968年)
[Émission radiophonique] Hommage à : Un historien du cinéma, Georges Sadoul

映画史家ジョルジュ・サドゥールが亡くなった翌年(1968年10月)、ラジオでその功績を振り返る企画が放送されました。フランス・キュルチュール局が音源をオンラインに上げていたので聞いてみました。

ジャン・ルノワールやルネ・クレールといったベテラン監督、ゴダールやルイ・マル、アニエス・ヴァルダらヌーヴェルヴァーグ系の監督がインタビューやコメント寄稿に応じています。

前半1/3は世界各国の映画状況に関心を持ち続け、作品を紹介していった「国際映画史家」の側面が取り上げられ、チェコやポーランドなど東欧作品、ブラジルやメキシコ、キューバなど中南米作品、アジア映画、そしてアラブ圏映画との接点が語られていきます。共産主義圏でのサドゥールの位置付けなどなかなか興味深い話も含まれています。

東側諸国の例で言うとサドゥールはチェコやユーゴ、ロシア映画を面白いか否かに関わらず網羅的に見ていた最初の一人でした。東側の映画で形式の革新が起こると予感し、分かっていたのです。時に彼は優れた批評文を残し、チェコやポーランドの若き映像作家たちを勇気づけることもありました。フランスでは知られていませんがサドゥールの批評はチェコ語やポーランド語、ロシア語に訳されていたのです。寄稿先だった「レットル・フランセーズ誌」が当時東側諸国で訳されていた唯一の仏文芸誌だったからです。そのためサドゥールは重要で、影響力の大きな映画批評家と見なされていました。

Dans le cas des films venant de l’Est, il a été un des premiers à voir tous les films tchécoslovaques, tous les films yougoslaves, tous les films russes, drôles ou pas drôles… Et il pressentait, il savait qu’il y aurait un renouveau formel dans le cinéma de l’Est. Quelque fois il a fait des bonnes critiques, il a encouragé des certains jeunes cinéastes tchécoslovaques ou polonais… et ce qu’on ne sait pas toujours en France, c’est que les critique de Sadoul ont été traduites en Tchéque, en Polonais, en Russe car les Lettres Françaises était pratiqument le seul journal culturel qui est traduit dans les pays de l’Est. Donc Sadoul a été considéré comme un critique important, un critique influent…

アニエス・ヴァルダ/Agnès Varda

中盤はサドゥールの人となりの回想となり、娘さんの証言などを交えながらシュールレアリスト作家(アラゴン、ブルトン、エリュアール、ツァラ)との交流や「自由気ままで常識外れの」暮らしぶりなどが語られています。ルネ・クレールは『悪魔の美しさ』(1951年)のプレミア上映翌日に受け取った手紙の一節を紹介しています。

貴殿が1934年にフランスを離れて以来、この国の映画はルノワール作品を別にして大半が運命に打ちひしがれる人間を描いてきました。[…] まったく、観客を不幸にして大層な芸術だと信じている輩の何と多いことか。『悪魔の美しさ』でようやく運命に抗い、打ち勝っていくのです。

Depuis que vous aviez quitté la France en 1934, notre cinéma avait, presque toujours et Renoir mis à part, montré l’homme accablé par le destin. […] Oui, il y avait trop de gens qui croyaient que le grand art c’est de rendre les spectateurs malheureux. Votre Beauté du Diable rend le destin la gorge et lui tord le cou, enfin.

ルネ・クレール宛書簡より/Lettre à René Clair

番組の最後は歴史家・批評家の評価をめぐったやりとりとなり、『世界映画全史』は誤謬が多いという批判にゴダールやアンリ・ラングロワが反論していきます。個人的に興味深かったのは戦前映画(あるいは無声映画)に対する距離感の問題でした。

サドゥールはとことんまで突き進もうとしたんだ。だからこそ当時顧みられていなかった1940年以前の世界映画史の開拓にとりかかった。同時代人で興味を持つ者はおらず、何も触れないで済ませているか、せいぜい曖昧な思い出話を書き残す程度だった。サドゥールは全く手付かずだった映画の領域を切り開いていったんだよ。

Il a voulu aller à fond, il a donc défriché toute l’histoire du cinéma mondial d’avant 40, qui était absolument inconnue… les contemporains n’y avaient pas prêté attention, ils n’avaient donc pas écrit ou ils avaient écrit quelques vagues souvenirs, il a donc défriché une zone absolument vierge du cinéma.

アンリ・ラングロワ/Henri Langlois

世界映画史に残されたこの穴を…

ce trou de l’histoire générale du cinéma…

イヴォンヌ・バビ/Yvonne Baby

シネマテーク・フランセーズ創設者のラングロワとサドゥールの義理の娘イヴォンヌ・バビが共有しているのは、戦前の映画がほぼ忘れ去られ、理解されぬまま放置され映画史の「空白」、「穴」になっているという歴史認識です。過去を懐かしんでいる訳ではなく、原点あるいは出発点が見えていない限りは現在も理解できないという確信が『世界映画全史』のサドゥールを突き動かしていったと見ているのです。

参加した面々はみなサドゥールに近い人々(近親者、友人、思想の近い業界人)ですので内輪褒めの印象も残りますが、故人の業績、人となりを複数の声でまとめ上げていこうとする企画の趣旨は成功していると思われます。

c1970 – スーパー8 『松竹8mmライブラリー 日本映画史 前編』(Japanese Cinema History Part I, super8)

「8ミリ 劇映画」より

c1970 Super8 日本映画史 前編

日本映画史00 - 松竹ロゴ日本映画史02 - 緒言日本映画史01 - タイトル

1960年代末~70年代初頭に発売されたと思われる2巻物。前編は19世紀末の映画前史から終戦後の1949年までを扱っています。

現在でも古典として愛されている作品(『愛染かつら』『悲しき口笛』『晩春』)、無声映画の愛好家にはなじみ深い歴史的作品(『紅葉狩』『路上の霊魂』)を中心に、松竹作品を軸として初期映画の流れを追っていきます。
日本映画史07 - 活動大写真b日本映画史07 - 活動大写真c

短い抜粋ながら『ジゴマ』が含まれていたり、『後のカチューシャ』や『虞美人草』(戦闘モブシーンにグリフィスの影響あり)を動画で観れたりと貴重な経験でした。

驚いたのは1913年の 『天馬』。ドイツ映画初の活劇スター、ハリー・ピールの初期作。この時期のハリー・ピール作品が残っているという話をドイツ語圏で聞いた覚えがなく、現地の映画愛好家が聞いたら悶絶しそう。

1887年 『疾走中の馬の連続写真』エドワード・マイブリッジ Sallie Gardner at a Gallop [imdb]

日本映画史05 - メイブリッジ01日本映画史06 - メイブリッジ02

1899年 『紅葉狩』 柴田常吉監督 Momijigari [imdb] [jmdb]
日本映画史08 - 紅葉狩01日本映画史09 - - 02

1911年 『ジゴマ』ヴィクトラン・ジャッセ監督 Zigomar [imdb]

日本映画史12 - ジゴマ01日本映画史13 - ジゴマ02

1912年 『日本南極探検(南極実景)』 Japanese Expedition to Antarctica [imdb] [jmdb]

日本映画史15 - 南極探検01日本映画史16 - 南極探検02

1913年 『アントニィとクレオパトラ』エンリコ・ガッツォーニ監督 Marcantonio e Cleopatra [imdb]

日本映画史19 - アントニーとクレオパトラ

1913年 『天馬』 ハリー・ピール監督 Tenma/Pegasus (Unidentified Harry Piel Action Short)

日本映画史20 - 天馬日本映画史21 - 天馬02

1915年 『後のカチューシャ』 細山喜代松監督 Nochi no Katyusha [imdb] [jmdb]

日本映画史17 - 後のカチューシャ01日本映画史18 - 後のカチューシャ

製作年不明 『自雷也』 尾上松之介主演 Jiraiya (Unidentified Version)

日本映画史10 - 自雷也01日本映画史11 - 自雷也02

1921年 『路上の霊魂』 村田実監督 Souls on the Road [imdb] [jmdb]

日本映画史23 - 路上の霊魂01日本映画史24 - 路上の霊魂02

1921年 『虞美人草』 小谷ヘンリー監督 Gubijinsô [imdb] [jmdb]

日本映画史25 - 虞美人草01日本映画史26 - 虞美人草02

1923年 『船頭小唄』 池田義信監督 Sendô kouta [imdb] [jmdb]

日本映画史29 - 船頭小唄

1923年 『関東大震災』

日本映画史30 - 関東大震災日本映画史31 - 関東大震災02

1931年 『マダムと女房』 五所平之助監督 Madame and Wife [imdb] [jmdb]

日本映画史32 - マダムと女房01日本映画史33 - マダムと女房02

1938年 『愛染かつら』 野村浩将監督 The Tree of Love [imdb] [jmdb]

日本映画史34 - 愛染かつら01日本映画史35 - 愛染かつら02

1939年 『暖流』 吉村公三郎監督 Warm Current [imdb] [jmdb]
1943年 『花咲く港』 木下恵介監督 Port of Flowers [imdb] [jmdb]
1945年 『そよかぜ』 佐々木康監督 Soyokaze [imdb] [jmdb]
1949年 『悲しき口笛』家城巳代治監督 Sad Whistling [imdb] [jmdb]
1949年 『晩春』 小津安二郎監督 Late Spring [imdb] [jmdb]

白黒110メートル(約18分)
光学録音
サングラフ/松竹