2022年1月5日 – 京都・吟松寺 雪の柳さく子地蔵

Yanagi Sakuko Jizo at the Ginsho-ji/Kyoto

正月休みに吟松寺を訪れました。

1月5日朝8時半、晴れ間が見えたかと思うとすぐに小雨のぱらつきはじめるあいにくの天候でした。

前回は金閣寺脇を抜けて紙屋川沿いを北上するルートを取りました。今年は逆に鷹峯までバスで向かい、そこから南下がてら寄る道順です。源光庵から小学校前を抜け、坂道を下っていくともみじ街道に出ます。道なりに歩いていくと紅葉の落ち葉が散りばめられた石塀の先にお寺の本堂が見えてきます。

小さな墓地の南東隅に近い一角に柳さく子地蔵が置かれています。この辺りは市街地と比べて1、2度気温が低く、カメラを準備していると雪がちらつき始めました。

初めて訪れたのが2015年のGW、次が2017年でしたので4年半ぶりになります。前回はカメラやレンズに興味を持ち始めたばかりの時期で思ったような写真は取れませんでした。山の端で音もなくざわめいている枝葉、静寂の中で立ち尽くす地蔵の質感。この独特な空気感を捉えるのはそもそも難しいのかなと思います。

手土産に古い雑誌の切り抜きを持参。かつて愛好家が保管していたもので手彩色が施されています。次にいつ来れるか分かりませんがそれまでお元気で。手を合わせて吟松寺を後にしました。

2022年1月5日 – 京都等持院 マキノ省三・雅弘墓所 & 京都蓮華寺 伊藤大輔墓所 「熱眼熱手」

先年、伊藤大輔監督が雅弘氏に謹呈した自著を譲り受ける機会がありました。「等持院に先生のお墓があります。是非寄ってあげて下さい」と教えてもらい、今回は必ず寄ろうと決めていました。

吟松寺を離れてそのまま紙屋川沿いに南下。金閣寺の脇を抜けてきぬかけの路に入っていきます。立命大の敷地に隣接した観光道路で、普段は通学する学生や走りこみの部活生が見られますがさすがにこの日はほぼ無人でした。

衣笠キャンパスのすぐ南、住宅街に囲まれるように等持院が位置しています。墓地の南西に牧野家のお墓がありました。

The Makino Family Tomb at the Toji-in/Kyoto

省三氏の墓を中心に右に卒塔婆、左に雅弘氏のお墓。

荘厳院浄空映画雄飛居士、直心院禪機映光雅人居士。雅弘氏の方は青文字、省三氏はおそらく金色で戒名が刻まれていました。智子(輝子)さんは東京・高徳寺の加藤家のお墓に入られたそうです。

Grave of Ito Daisuke, at the Renge-ji/ Kyoto

風情の或る住宅街を抜け、等持院から歩いて15分ほど。蓮華寺の五智如来が出迎えてくれました。境内墓地の南側に伊藤監督のお墓があります。誰かがお参りを済ませた後で仏花と鏡餅がお供えしてありました。雲の合間から射しこんだ日差しが熱眼熱手の碑を照らし出していました。

今回移動したルートは上のようになっています。四条大宮からバスで鷹峯源光庵前(A)に向かい、そこから吟松寺(B)、等持院(C)を経て蓮華寺(D)へ。距離にして5キロ程の旅となりました。

2022年1月5日 – 京都・おもちゃ映画ミュージアム

2022年1月5日夕方、京都のおもちゃ映画ミュージアムにお邪魔してきました。

戦前の映写機やフィルムについて調べていると頻繁に名前を見かけます。開館した2015年にはすでに京都を離れていたため訪れるのは今回が初めて。

Toyfilm Museum

四条大宮から北西に道なりで進み、壬生馬場町、中京警察署の辺りまで行くと看板が出ていました。古民家を改修したもので、木窓の隙間から映写機が顔をのぞかせています。

玄関を開けてすぐ、左手の土間に沿ってチラシやグッズが並んでいます。右手の和室を改造した大きな部屋がメイン展示室になっていました。

木棚にズラリと並んでいるのは1900~30年代の幻灯機と、そこから派生してきた初期型の35ミリ映写機です。エルンスト・プランクなどドイツ製から朝日やキング映写機の国産まで揃っています。

紙製フィルム専用のレフシー映写機。実物を見るのは初めてです。9.5ミリ形式ではパテベビー映写機とリュクスが複数台、独アレフ製、国産のアルマ映写機などが置かれていました。

幻灯機・映写機と並ぶミュージアム収集品の中心がプレ・シネマと呼ばれるジャンルです。

手持ち型のステレオスコープ

据置き型のステレオスコープ

ゾーイトロープ

ミュートスコープ

フェナキストスコープ

いずれも日本では入手しにいものでまとまった形で見ることが出来たのは貴重な体験でした。

展示室の奥の広い土間が映写室となっていて、大型スクリーンで動画を見ることができます。お邪魔した時には次回のイベント時に使用予定の米スラップスティック短編集が流れていました。フィルムをデジタル化した動画データも閲覧可能で市川右太衛門主演の『浄魂』、阪東妻三郎主演の『雲母坂』を見せていただきました。

一通りコレクションを見終えた後、元大阪芸術大学教授、現在ミュージアムの代表を勤めておられる太田米男氏、理事をされている河田隆史氏に貴重なお話を色々お伺いすることができました。とても楽しく充実した時間でした。お忙しい中ご対応していただきありがとうございました。

2022年1月6日 – 京都・葵公園 尾上松之助胸像

Statue of Onoe Matsunosuke at the Aoi Park/kyoto

6日午前中は繁華街で写真撮影や買い物を楽しんできました。町には正月気分が漂っているものの、錦市場などは平日だったこともあって人出は少なかったです。

午後に地下鉄で烏丸今出川まで向かい、そこから徒歩で東に移動。途上、鴨川を横切って三角州を抜けていきました。

三角州の尖った部分は「デルタ」と呼ばれていて、夏の休日は親子連れが水遊びに訪れ、夜は学生たちが酒宴を展開、時々謎のパフォーマンスや流しの演奏などもあったりで街の只中に一種独特な空間を形成。京都に幾つかある特異点のひとつです。

通りを一本挟んだ北に葵公園があって、そのまま北上すると糺の森から下鴨神社に抜けることができます。松之助像は風景に馴染みすぎていてもはや一般市民には気づかれない存在になっています。

よく見ると凛々しい胸像です。折角ですのでご挨拶まで。

2018年4月30日 栗島すみ子墓参 [東京・池上本門寺]

東京旅行の初日に池上本門寺にお邪魔してきました。

栗島すみ子さんのお墓参りは2度目となります。五重塔にほど近い一角、伴侶であった池田監督のお墓と向かい合うように栗島家の墓が立っています。やや風の強い一日でしたが、気持ちよく晴れあがった空の下、若葉が静かに揺れていました。

香を焚き、両手を合わせていると通りかかった地元の方から声をかけられました。墓石の裏面に刻まれた「栗島澄子」を指して「本名は漢字なんだよ」と仰られていました。

血縁の方はすでに東京を離れておりお参りに来る機会も少ない、とのこと。それでもこの2018年に自分以外に彼女を覚えている人がいると分かって少し嬉しい気持ちになりました。

また何年後かに顔出しますね。

2017年4月30日 伊藤大輔・熱眼熱手 [京都・蓮華寺]

仁和寺の東に位置する蓮華寺。木戸を抜けて墓地に入っていくと南側の一角に大正期から活躍した映画監督、伊藤大輔氏(1898 – 1981)のお墓があります。

五輪塔の墓碑は上から「空」「風」「火」「地」「水」の五大元素を表し、それぞれに「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」の梵語が刻まれています。向かって手前右側に「伊藤家墓所」、左には「熱眼熱手」の碑が配されていました。

伊藤監督は1920年代以降、時代劇の新たな見せ方を次々と編み出していった人物です。銘である「熱眼熱手」も良いですね。「眼」はカメラの眼であり、「手」は刀を握る手であったのでしょう。

2017年4月30日 柳さく子地蔵 [京都・吟松寺]

2017年4月30日、京都市の北西に位置する吟松寺を訪れ、柳さく子地蔵のお参りをしてきました。

GW中だったため朝早くでも金閣寺の周辺は賑わっていました。それでも混雑を抜け、寺脇の道を北上していくと人だかりは消え、静かな住宅地となっています。たまにすれ違う地元の人がこんな一角まで何をしに来ているのだろうの訝し気な顔をしていました。

川のせせらぎの音が聞こえてきます。木立の影にきらめいている紙屋川を左手に進んでいくと次第に道が細くなり、やがて苔むした石垣とお寺が見えてきます。

京の紅葉の裏名所として知られている浄土宗のお寺です。この季節には訪れる人もいないようでした。

墓地の奥に柳さく子地蔵がありました。1920年代半ばに松竹でトップクラスの人気を誇った女優さんが、身よりもなくひっそりと亡くなり、危うく無縁仏となりかけたところを旧友の武井龍三氏に救われこのお寺へと流れ着いたものです。

2年前に一度訪れた際、手ぶらではあれなのでと古い舶来のネックレスを持参しました。今回訪れた時、雨風にさらされた首飾りは鈍く錆びついていて辺りの風景に馴染んでいました。

10年以上京都に住んでいたのでお気に入りの場所はたくさんあるのですが、今一番落ち着くのはこの一角かなという気もします。焚かれた線香が頭を垂れている中、持ってきた古銭と絵銭を土産代わりに置くと最後にもう一度手を合わし、吟松寺を後にしました。

2016年5月1日 栗島すみ子墓参 [東京・池上本門寺]

新宿到着。あまりに久しぶりすぎて土地勘がない。人の流れに乗ってそのまま移動。朝は肌寒いくらいでまだスプリングコートの人も多かった。山手線始発で五反田へ、メトロに乗り換え西馬込まで。坂の多い閑静な住宅街。

池上本門寺でお墓の見当をつけたもののなかなか見つからず一苦労。栗島家の墓は池田家の墓と向かうように並んでいた。池田家の墓の手前には黒い碑が一つ。

「栗島すみ子 ここに 眠る」

昭和63年、池田義信氏と栗島すみ子の長男に当る義一氏が建立したもので、碑に刻まれた文字は9代目松本幸四郎のものだそうである。香華を手向けて墓地を離れた。

2015年11月1日 川田芳子墓参 [新潟市・超願寺]

昼前から日が差し始めたため新潟行きを強行。新潟駅に着いたのが1時過ぎ、信濃川を抜けて古町方面へ。

お寺は白山公園に近い一角に位置していた。看板などは無く、ネットで見つけた一枚の写真を頼りに進んでいくと突き当たり手前、左手に川田家の墓石を発見。

途中でシネウィンドにも立ち寄っておく。パンフレットなど色々を確保。