1919年4月『活動之世界(最終号)』各国映画俳優人気投票

1919年4月『活動之世界』人気投票
『Katsudou no Sekai (Moving Picture World)』
« Hall of Fame » Poll (April 1919)

01:ウォーレン・ケリガン(761) Warren Kerrigan [IMDb]
02:山本嘉一(725) Yamamoto Kaichi [JMDb]
03:ルース・クリフォード(695) Ruth Clifford [IMDb]
04:ヴァイオレット・マースロウ(662) Violet Mercereau [IMDb]
05:ダグラス・フェアバンクス(657) Douglas Fairbanks [IMDb]
06:マルガリータ・フィッシャー(591) Margarita Fischer [IMDb]
07:メアリー・マクラーレン(580) Mary MacLaren [IMDb]
08:ドロシー・フィリップス(513) Dorothy Phillips [IMDb]
09:メアリー・マイルズ・ミンター(470) Mary Miles Minter [IMDb]
10:ウィリアム・S・ハート(465) William S. Hart [IMDb]
11:フランシス・ブッシュマン(457) Francis X. Bushman [IMDb]
12:ベッシー・バリスケール(435) Bessie Barriscale [IMDb]
13:パール・ホワイト(433) Pearl White [IMDb]
14:モンロー・ソールズベリー(408) Monroe Salisbury [IMDb]
15:メアリー・ピックフォード(397) Mary Pickford [IMDb]
16:グレース・ダーモンド(379) Grace Darmond [IMDb]
16:フランチェスカ・ベルティーニ(379) Francesca Bertini [IMDb]
16:メイ・マレー(379) Mae Murray [IMDb]
19:カーメル・マイヤーズ(361) Carmel Myers [IMDb]
20:ベッシー・ラブ(343) Bessie Love [IMDb]
21:チャールズ・チャップリン(305) Charles Chaplin [IMDb]
22:ルース・ローランド(295) Ruth Roland [IMDb]
23:ウィリアム・ダンカン(293) William Duncan [IMDb]
23:モリー・キング(293) Mollie King [IMDb]
25:ジェラルディン・ファーラー(265) Geraldine Farrar [IMDb]
26:ピナ・メニケリ(233) Pina Menichelli [IMDb]
27:ノーマ・タルマッジ(207) Norma Talmadge [IMDb]
28:片岡長正(201) Kataoka Chosei [JMDb]
29:クレイトン・ヘイル(199) Creighton Hale [IMDb]
30:藤野秀夫(177) Fujino Hideo [JMDb]
31:ウィリアム・ラッセル(151) William Russell [IMDb]
32:尾上松之助(147) Onoe Matsunosuke [JMDb]
33:エラ・ホール(141) Ella Hall [IMDb]
34:エディー・ポロ(125) Eddie Polo [IMDb]
35:衣笠貞之助(113) Kinugasa Teinosuke [JMDb]
36:アニタ・スチュワート(112) Anita Stewart [IMDb]
37:早川雪洲(98) Hayakawa Sessue [IMDb]
37:澤村四郎五郎(98) Sawamura Sirogoro [JMDb]
39:ハリー・ケリー(93) Harry Carry [IMDb]
40:ウィリアム・ファーナム(90) William Farnum [IMDb]
41:ドロシー・ダルトン(79) Dorothy Dalton [IMDb]
42:ビヴァリー・ベイン(72) Beverly Bayne [IMDb]
43:フランク・マヨ(69) Frank Mayo [IMDb]
44:東猛夫(65) Azuma Takeo [JMDb]
45:ネヴァ・ガーバー(65) Neva Gerbar [IMDb]
46:アルフレッド・ホイットマン(57) Gayne Whitman [IMDb]
47:アリス・ブラディー(50) Alice Brady [IMDb]
48:アール・フォックス(42) Earle Foxe [IMDb]
49:ベン・ウィルソン(37) Ben F. Wilson [IMDb]
50:セダ・バラ(22) Theda Bara [IMDb]
51:アラン・ホルバー(21) Allen Holubar [IMDb]
52:ジュエル・カーメン(17) Jewel Carmen [IMDb]
53:クララ・キンボール・ヤング(15) Clara Kimball Young [IMDb]
54:ブロニー・ヴァーノン(12) アグネス・ヴァーノン(Agnes Vernon)誤記 [IMDb]
55:ルイズ・グローム(9) Louise Glaum [IMDb]
56:モリー・マローン(8) Molly Malone [IMDb]
57:レオン・バリー(5) Léon Bary [IMDb]
57:ガブリエル・ロビンヌ(5) Gabrielle Robinne [IMDb]
59:フランセリア・ビリントン(3) Francelia Billington [IMDb]
59:アーヴィング・カミングス(3) Irving Cummings [IMDb]
59:花柳はるみ(3) Hanayagi Harumi [JMDb]

1919年初頭、雑誌『活動之世界』新年号で人気投票の開催が告知されました。当時合衆国で行われていた形に倣ったもので、年間を通じて票を募集し、各号で途中経過を発表しながら年明けに最終結果を発表するものです。残念ながら『活動之世界』誌はこの年の四月号で廃刊となったため最終結果の発表には至りませんでした。それでも最終号の第3回中間発表を見ていると当時の傾向が幾つか見えてきます。

人名表記は現在のものを使用。3票以上を獲得した61名の男女比は27名(44%)対34名(56%)、国別内訳は以下となっています。
アメリカ:48名(79%) 日本:9名(15%) イタリア:2名(3%) フランス:2(3%)

ハリウッド俳優ではヴァイタグラフ社が安定した人気ぶり(転籍していますがアニタ・スチュワートやノーマ・タルマッジも同社出身)。国内で安定して配給・宣伝されていたため知名度が高かったと思われます。一方でギッシュ姉妹やグロリア・スワンソンらが選外に漏れてしまいました。

アクションを十八番とする男優(ウィリアム・ダンカン、エディー・ポロ、ハリー・ケリー)が健闘、また連続活劇女優の人気が根強かった様子も伺えます。1910年代末はパール・ホワイトやルース・ローランドらの先駆者に続く第二世代(グレース・ダーモンド、モリー・キング、ネヴァ・ガーバー)が台頭していた時期で、ランキングにもその状況が反映されています。

国内組に目を転じると1917年に日活向島に入社した山本嘉一と藤野秀夫、東猛夫、衣笠貞之助に票が集まっています。松之助人気も健在。正式デビュー前で得票数は伸びていないものの(『深山の乙女』は1919年8月公開)日本初の女優花柳はるみさんが早くも食いこんでくる形になっています。

二名ながらもイタリア女優が上位にランクイン(ベルティーニ、メニケリ)。ドイツや北欧、ロシアの俳優名はありません。

この5年後になると日本でも女優ブームにブロマイドが飛ぶように売れ、連続活劇人気は収まり、イタリアの代わりにドイツ映画が存在感を増していく時代となりました。「映画」の言葉からイメージされる世界の広がりが20年代前半にガラリと変わっている訳で、この人気投票はそれ以前、ちょうど一世紀前の映画理解を反映している点で興味深く思われます。

なお、それぞれの国外俳優の写真は国立国会図書館所蔵の『活動花形俳優』(1921年)や『活動名優寫眞帖』(1919年)で見る事ができます。

「スタヂオ日記」(『女性』誌 1927年10月号掲載)一労働者としての「女優」たち

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« My Studio Diaries » (from the magazine Josei [Woman] 1927 October issue)

大正期の邦画をよくご覧になっている方ですと小山内薫(1881-1928)の名に一度ならず触れているのではと思います。舞台での活動が本職ではありましたが、『路上の霊魂』(1921年)の制作や才能ある映画人の発掘・養成など邦画界にもひとかたならぬ功績のあった人物でした。

同氏が編集顧問として関わっていた文芸誌『女性』のある号(1927年10月号)に「スタヂオ日記」という企画が掲載されていました。当時人気のあった女優10名に寄稿を依頼し、女優業の実像を自身の手で伝えてもらおうとする内容でした。

依頼を受けたのは栗島すみ子、夏川静江、八雲恵美子、伏見直江、千早晶子、岡島艶子、柏美枝、徳川良子、酒井米子、松井千枝子の各氏。

『女性』誌 1927年10月号目次
『女性』誌 1927年10月号目次

-午後。
人はますます殖えて行く。暑さはまたぢはぢはと迫つて來る。
汗がぢつとりと流れて、顔もなにも目茶目茶になつてしまふ。
「助けて!」とほんとに云ひたくなる。

「夏の一日」 栗島 すみ子

それでもあのピカピカ光るレフを幾つもあてられると人一ばい暑がりの私は側で焚火をされてゐる程つらかった。一カツト済むと、すぐ扇風機と氷の側へ飛んで行く、飲むから汗が出る、汗が出ると猶ほ飲みたい。

「彦根行き」夏川 静江

仕方なしに、厚い冬の着物をつけ始めた。弟子達が団扇でせつせとあほいで呉れても、じりじりと汗がにぢみ出て來る。[…] あゝ今日のセツトはグラス・ステーヂ、あの百四十度もあるグラス・ステーヂへ…

「撮影所日記」松井 千枝子

暑い暑い事。南京玉の様な汗が額から背中から、ポロリポロリと落ちる氣持はだれでも、よくないと思ふ。

「私のグリンプス」 柏 美枝

職業とは言ひながら、百二十度からもあらうかと思はれるライトの前で仕事をする映畫俳優も、なかなか樂な商賣ではないとしみじみ思ふ。

「一日の仕事」 八雲 恵美子

1927年の夏は暑かったようで、灼熱のスタジオで汗だくになりながら演技を続け、仕事が終わると風呂で汗を流して息をつき、合間合間に気分転換を挟みながら会社の掲示板の予定に目をやって、明日の撮影に備えて早寝する…

何しろ砂地で馬脚が不規律に、砂の中にめり込んで、妾の身體は前後左右、四方八方に振り廻され、今にも墜落しさうなので、此處で落ちてなるものか、と鞍にシツカと 獅噛みついて、無我夢中、暑さも忘れた程。

「鳥取のロケエシヨン」伏見 直江

樂屋風呂に身體を沈めた時は、今迄の疲勞も一時に消えたよう…

「樂屋風呂の快味」酒井 米子

撮影も済んでスタジオに三時頃歸つた。そしてお湯に入つた後のすがすがしい気持に浸って明日の豫定をみて歸る。

「撮影の一日」徳川 良子

歸る路で自動車の競争をやつたら私のが一番に成つたんでうれしかった。會社に歸つたら明日の豫定が出て居る。人見組で朝七時集合。サア早く家に歸りませう。

「腹がぺこぺこ」岡島 艶子

大正期の女優とは、映画とはどうあるべきかといった抽象的な議論は一切なく、日々の経験と雑感を綴っています。雑誌の性質から考えると華やかではあっても消費されやすい「花形女優」の側面ではなく、自立して世を渡っていく「一労働者としての女優」の視点を持ちこもうとした、とも考えられます。また表現者としての思いは前面に出ていなくとも、背後にしっかり流れているのが伝わってきます。

京極はいつも乍らの澤山の人出、自分の映畫は如何かしらと不安にかられ乍ら常設館の入口まで行つて見る。大入りだ。なぜか涙ぐましい感謝の念湧く。

「自由な心」 千早 晶子

『戀は曲者』ロケ帰りの柏美枝さんが、母親への土産に羊羹やわさび漬けを買って帰っていたり、伏見直江さんが昼休憩中におかずを落として凹んでいたり、仕事もせず鎌倉でフラフラしている妹(松井潤子)の行く末を松井千枝子さんが案じていたりの貴重なエピソードも数多く含まれています。

『世界映画全史』 & ラジオ番組 「映画史家ジョルジュ・サドゥールへのオマージュ」 (1968年)

[ラジオ] 「映画史家ジョルジュ・サドゥールへのオマージュ」 (1968年)
[Émission radiophonique] Hommage à : Un historien du cinéma, Georges Sadoul

映画史家ジョルジュ・サドゥールが亡くなった翌年(1968年10月)、ラジオでその功績を振り返る企画が放送されました。フランス・キュルチュール局が音源をオンラインに上げていたので聞いてみました。

ジャン・ルノワールやルネ・クレールといったベテラン監督、ゴダールやルイ・マル、アニエス・ヴァルダらヌーヴェルヴァーグ系の監督がインタビューやコメント寄稿に応じています。

前半1/3は世界各国の映画状況に関心を持ち続け、作品を紹介していった「国際映画史家」の側面が取り上げられ、チェコやポーランドなど東欧作品、ブラジルやメキシコ、キューバなど中南米作品、アジア映画、そしてアラブ圏映画との接点が語られていきます。共産主義圏でのサドゥールの位置付けなどなかなか興味深い話も含まれています。

東側諸国の例で言うとサドゥールはチェコやユーゴ、ロシア映画を面白いか否かに関わらず網羅的に見ていた最初の一人でした。東側の映画で形式の革新が起こると予感し、分かっていたのです。時に彼は優れた批評文を残し、チェコやポーランドの若き映像作家たちを勇気づけることもありました。フランスでは知られていませんがサドゥールの批評はチェコ語やポーランド語、ロシア語に訳されていたのです。寄稿先だった「レットル・フランセーズ誌」が当時東側諸国で訳されていた唯一の仏文芸誌だったからです。そのためサドゥールは重要で、影響力の大きな映画批評家と見なされていました。

Dans le cas des films venant de l’Est, il a été un des premiers à voir tous les films tchécoslovaques, tous les films yougoslaves, tous les films russes, drôles ou pas drôles… Et il pressentait, il savait qu’il y aurait un renouveau formel dans le cinéma de l’Est. Quelque fois il a fait des bonnes critiques, il a encouragé des certains jeunes cinéastes tchécoslovaques ou polonais… et ce qu’on ne sait pas toujours en France, c’est que les critique de Sadoul ont été traduites en Tchéque, en Polonais, en Russe car les Lettres Françaises était pratiqument le seul journal culturel qui est traduit dans les pays de l’Est. Donc Sadoul a été considéré comme un critique important, un critique influent…

アニエス・ヴァルダ/Agnès Varda

中盤はサドゥールの人となりの回想となり、娘さんの証言などを交えながらシュールレアリスト作家(アラゴン、ブルトン、エリュアール、ツァラ)との交流や「自由気ままで常識外れの」暮らしぶりなどが語られています。ルネ・クレールは『悪魔の美しさ』(1951年)のプレミア上映翌日に受け取った手紙の一節を紹介しています。

貴殿が1934年にフランスを離れて以来、この国の映画はルノワール作品を別にして大半が運命に打ちひしがれる人間を描いてきました。[…] まったく、観客を不幸にして大層な芸術だと信じている輩の何と多いことか。『悪魔の美しさ』でようやく運命に抗い、打ち勝っていくのです。

Depuis que vous aviez quitté la France en 1934, notre cinéma avait, presque toujours et Renoir mis à part, montré l’homme accablé par le destin. […] Oui, il y avait trop de gens qui croyaient que le grand art c’est de rendre les spectateurs malheureux. Votre Beauté du Diable rend le destin la gorge et lui tord le cou, enfin.

ルネ・クレール宛書簡より/Lettre à René Clair

番組の最後は歴史家・批評家の評価をめぐったやりとりとなり、『世界映画全史』は誤謬が多いという批判にゴダールやアンリ・ラングロワが反論していきます。個人的に興味深かったのは戦前映画(あるいは無声映画)に対する距離感の問題でした。

サドゥールはとことんまで突き進もうとしたんだ。だからこそ当時顧みられていなかった1940年以前の世界映画史の開拓にとりかかった。同時代人で興味を持つ者はおらず、何も触れないで済ませているか、せいぜい曖昧な思い出話を書き残す程度だった。サドゥールは全く手付かずだった映画の領域を切り開いていったんだよ。

Il a voulu aller à fond, il a donc défriché toute l’histoire du cinéma mondial d’avant 40, qui était absolument inconnue… les contemporains n’y avaient pas prêté attention, ils n’avaient donc pas écrit ou ils avaient écrit quelques vagues souvenirs, il a donc défriché une zone absolument vierge du cinéma.

アンリ・ラングロワ/Henri Langlois

世界映画史に残されたこの穴を…

ce trou de l’histoire générale du cinéma…

イヴォンヌ・バビ/Yvonne Baby

シネマテーク・フランセーズ創設者のラングロワとサドゥールの義理の娘イヴォンヌ・バビが共有しているのは、戦前の映画がほぼ忘れ去られ、理解されぬまま放置され映画史の「空白」、「穴」になっているという歴史認識です。過去を懐かしんでいる訳ではなく、原点あるいは出発点が見えていない限りは現在も理解できないという確信が『世界映画全史』のサドゥールを突き動かしていったと見ているのです。

参加した面々はみなサドゥールに近い人々(近親者、友人、思想の近い業界人)ですので内輪褒めの印象も残りますが、故人の業績、人となりを複数の声でまとめ上げていこうとする企画の趣旨は成功していると思われます。

c1970 – スーパー8 『松竹8mmライブラリー 日本映画史 前編』(Japanese Cinema History Part I, super8)

「8ミリ 劇映画」より

c1970 Super8 日本映画史 前編

日本映画史00 - 松竹ロゴ日本映画史02 - 緒言日本映画史01 - タイトル

1960年代末~70年代初頭に発売されたと思われる2巻物。前編は19世紀末の映画前史から終戦後の1949年までを扱っています。

現在でも古典として愛されている作品(『愛染かつら』『悲しき口笛』『晩春』)、無声映画の愛好家にはなじみ深い歴史的作品(『紅葉狩』『路上の霊魂』)を中心に、松竹作品を軸として初期映画の流れを追っていきます。
日本映画史07 - 活動大写真b日本映画史07 - 活動大写真c

短い抜粋ながら『ジゴマ』が含まれていたり、『後のカチューシャ』や『虞美人草』(戦闘モブシーンにグリフィスの影響あり)を動画で観れたりと貴重な経験でした。

驚いたのは1913年の 『天馬』。ドイツ映画初の活劇スター、ハリー・ピールの初期作。この時期のハリー・ピール作品が残っているという話をドイツ語圏で聞いた覚えがなく、現地の映画愛好家が聞いたら悶絶しそう。

1887年 『疾走中の馬の連続写真』エドワード・マイブリッジ Sallie Gardner at a Gallop [imdb]

日本映画史05 - メイブリッジ01日本映画史06 - メイブリッジ02

1899年 『紅葉狩』 柴田常吉監督 Momijigari [imdb] [jmdb]
日本映画史08 - 紅葉狩01日本映画史09 - - 02

1911年 『ジゴマ』ヴィクトラン・ジャッセ監督 Zigomar [imdb]

日本映画史12 - ジゴマ01日本映画史13 - ジゴマ02

1912年 『日本南極探検(南極実景)』 Japanese Expedition to Antarctica [imdb] [jmdb]

日本映画史15 - 南極探検01日本映画史16 - 南極探検02

1913年 『アントニィとクレオパトラ』エンリコ・ガッツォーニ監督 Marcantonio e Cleopatra [imdb]

日本映画史19 - アントニーとクレオパトラ

1913年 『天馬』 ハリー・ピール監督 Tenma/Pegasus (Unidentified Harry Piel Action Short)

日本映画史20 - 天馬日本映画史21 - 天馬02

1915年 『後のカチューシャ』 細山喜代松監督 Nochi no Katyusha [imdb] [jmdb]

日本映画史17 - 後のカチューシャ01日本映画史18 - 後のカチューシャ

製作年不明 『自雷也』 尾上松之介主演 Jiraiya (Unidentified Version)

日本映画史10 - 自雷也01日本映画史11 - 自雷也02

1921年 『路上の霊魂』 村田実監督 Souls on the Road [imdb] [jmdb]

日本映画史23 - 路上の霊魂01日本映画史24 - 路上の霊魂02

1921年 『虞美人草』 小谷ヘンリー監督 Gubijinsô [imdb] [jmdb]

日本映画史25 - 虞美人草01日本映画史26 - 虞美人草02

1923年 『船頭小唄』 池田義信監督 Sendô kouta [imdb] [jmdb]

日本映画史29 - 船頭小唄

1923年 『関東大震災』

日本映画史30 - 関東大震災日本映画史31 - 関東大震災02

1931年 『マダムと女房』 五所平之助監督 Madame and Wife [imdb] [jmdb]

日本映画史32 - マダムと女房01日本映画史33 - マダムと女房02

1938年 『愛染かつら』 野村浩将監督 The Tree of Love [imdb] [jmdb]

日本映画史34 - 愛染かつら01日本映画史35 - 愛染かつら02

1939年 『暖流』 吉村公三郎監督 Warm Current [imdb] [jmdb]
1943年 『花咲く港』 木下恵介監督 Port of Flowers [imdb] [jmdb]
1945年 『そよかぜ』 佐々木康監督 Soyokaze [imdb] [jmdb]
1949年 『悲しき口笛』家城巳代治監督 Sad Whistling [imdb] [jmdb]
1949年 『晩春』 小津安二郎監督 Late Spring [imdb] [jmdb]

白黒110メートル(約18分)
光学録音
サングラフ/松竹

明文館『映畵文庫』書籍一覧(1927年)

明文館・映画文庫一覧(1927年)

1927年時点で26冊が刊行されていた模様。扱われている作品の大半は1925年11月~1926年1月に公開された作品。

『御詠歌地獄』(松竹 1925年11月)
『雄呂血』(阪妻 1925年11月)
『荒木又右衛門』(日活 1925年11月)
『靑春』(松竹蒲田 1925年11月)
『上野の鐘』(松竹 1925年11月)
『辨天小僧』(帝キネ 1925年11月)
『松風村雨』(帝キネ 1925年11月)
『人間』(日活 1925年12月)
『戀の捕繩』(松竹 1925年12月)
『龍巻く嵐』(帝キネ 1925年12月)
『時勢は移る』(松竹)
『落武者』(松竹 1925年12月)
『命の懸橋』 (東亞1925年)
『お艶殺し』(東亞 1925年10月)
『寂しき道』(松竹 1925年11月)
『お初吉之助』(松竹蒲田 1926年1月)
『剣の舞』(東亞 1925年7月)
『女神の像』(帝キネ芦屋 1926年1月)
『いでゆの秋』(東亞 1925年12月)
『曲者は誰?』(帝キネ 1925年12月)
『征服者』(松竹蒲田 1925年12月)
『血刃の情火』(松竹 1926年2月)
『磯の仇浪』(東亞 1925年11月)
『魔保露詩』(阪妻 1925年12月)
『相模屋政五郎』(帝キネ芦屋 1926年2月)
『白川小天狗』(帝キネ 1925年12月)

ご丁寧に対応して下さった国立映画アーカイブ図書室のスタッフの皆様ありがとうございました。

大正14年の日活俳優揃え


大正末期の絵葉書。

関東大震災で東京を離れた日活現代劇が京都で展開を続け、復興後の東京に新メンバーの紹介イベントを行った時の一枚。同行したヘアデザイナーさんが著書で詳しい説明をされています(『髪と女優』 伊奈もと著、1961年、日本週報社)

前列右から岡田嘉子梅村蓉子酒井米子原光代高島愛子
後列右から鈴木伝明沢村春子市川春衛宮部静子水木京子浦辺粂子滝沢静子妹尾松子徳川良子山本嘉一(敬称略)

「大震災で東京向島をあとに京都に移った日活現代劇は、日増しに活気も出、作品も立派なものがどんどん出てくる一方、この一、二年のうちに女優陣の充実も一段と活発になって、当時の他社を完全に圧した感がありました。したがって東京本社宣伝部の力の入れようも物すごく、手をかえ品をかえて撮影所への注文も多くなってまいりました。

大正十四年一月、ちょうどそのころ前後して正式入社したのが岡田嘉子、梅村蓉子、原光代さんで本社はこの時とばかり、その威容を天下に誇るためか、いわゆる「オールスター総動員で上京せよ」となり、当時男優陣でのナンバーワン鈴木伝明さんと老優山本嘉一先生をまじえて計十五人のスターが上京したものでした。

帝国ホテルロビーに勢揃いした当時のスターをご覧下さい。なんと壮観なものではありませんか」

『髪と女優』(伊奈もと著、1961年、日本週報社)

昭和14年(1939年)『リボンを結ぶ夫人』 撮影風景(入江たか子、丸山定男、山本薩夫氏)

プロの写真家さんが撮影した写真をまとめたアルバムで、北海道を舞台にした1939年の映画『リボンを結ぶ夫人』の撮影風景、スタッフのバックヤードショットが一部に含まれています。

映画の途中でヒロインは離縁され実家に戻ります。父親が温かく迎え入れ、家の白樺林を売却して娘のために使おうとするのですが、この場面の白樺林を撮影したのが右の写真。

横長の写真に監督の山本薩夫氏。もう一枚は撮影カメラが回っているところ。左に見えるのはドイツ人建築家マックス・ヒンデル氏が設計した鉄板葺の家屋(現存せず)で、戦前の札幌がモダン化している様子も伝わってきます。

和服姿の入江たか子さん。

父親役を演じた丸山定夫氏。戦中は移動演劇桜隊の中心メンバーとして活動、1945年8月に劇団の拠点がある広島で被爆、終戦の翌日に亡くなられています。

『リボンを結ぶ夫人』に関係する写真は以上の7点。他に別のロケで撮影された山田五十鈴さんの写真も含まれていました。

アルバムそのものを北海道から送ってもらったのですが、撮影者さん自身が道在住の方で、スチル写真の撮影で現場に呼ばれた感じではないかと思われます。漁村風景のような日常のスナップにも魅力があります。