マリア・ヤコビニ Maria Jacobini (1892 – 1944) 伊

イタリア [Italy]より

Maria Jacobini Autographed Postcard

藝風。打ち沈んだ面影、何とない寂しみを含むその頬笑み、胸の悩みに悶える女の性格、其を表す事に於て卓越した技巧を有するマリア・ヤコビニ。彼女は過去に於てはサヴオイア社作『ジヤンダーク』『生ける屍』で我々に好評を得たが、近く輸入された杜翁[トルストイ]の『復活』(チベル社作)が封切の暁には、更に卓絶した彼女の藝を味ひ得る事と信ずる。

経歴。マリア・ヤコビニ嬢が斯界に入つての第一歩はトリノ市のサヴオイア會社に於てであつた。永くの間舞臺上の經驗を積んだ嬢は、斯界に於ても忽ち好評を得た。さうして同社の、南歐映畫界にも誇るに足る傑作『ジヤンダーク』及び『全勝』(勝利の徽章)に主演を演ずるに至つた。尚數多の映畫に名優ヂロ・ロンバルヂー氏と共演し好評を得たが、一九一三年暮パスクワリ社に轉じ、翌一九一四年更にチエリオ社に入り、『悲しき集』『死なない爲』『死の恐ろしき翼』『アナンケ』等に主役を演じて世評に昇り、嬢の斯界に於る人気は一躍してエスペリア夫人、リダ・ボレリ嬢を凌がうといふ勢になつた。

「伊太利活動俳優列傳」 『活動画報』1919年6月号


『生ける屍』(1913年) 広告

1914年、パスクワリ社広告

第一次大戦前、イタリア映画の勃興期に女優としての活動を開始し、サヴオイア社、チベリ社、イタラ社など多くの映画会社で花形女優として活躍したのがマリア・ヤコビニでした。当時のディーヴァ女優の多くが女王様然としたオーラを漂わせていた中で、マリア・ヤコビニは一味違った柔らかで親しみやすい雰囲気を備えており、町娘役を演じた『さらば靑春』でもそういった個性は発揮されています。

第一次大戦後は他のイタリア女優同様国外へと拠点を求めていくことになります。20年代に苦戦したベルティーニやマコウスカ等と対照的に、マリア・ヤコビニは監督(デュヴィヴィエ、オツェップ)にも恵まれ無声映画末期にも観るべき作品を幾つか残しています。なかでも1929年の『ママン・コリブリ(Maman Colibri)』は彼女のエモーショナルな表現力を再確認できる優れた作品です。

『ママン・コリブリ(Maman Colibri)』
(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)より

[IMDb]
Maria Jacobini

[Movie Walker]
マリア・ヤコビニ

[出身地]
イタリア(ローマ)

[誕生日]
2月17日

ディオミラ・ヤコビニ (Diomira Jacobini 1899 – 1959) 伊

イタリア [Italy]より

Diomira Jacobini 1929 Autographed Postcard

Diomira Jacobini 1929 Autographed Postcard

若くしてデビューした姉のマリア・ヤコビニを追うように1912年に女優デビュー、第一次大戦中に20作以上の映画に出演し知名度を上げていきます。

終戦後イタリア映画界が陰りを見せ始めるとマリアを含む多くの俳優は海外に活躍の場を求めました。ディオミラもドイツに渡り再スタートを切っています。

『死の花嫁』(1928年)

『死の花嫁』でのディオミラ(右はカリーナ・ベル)

この時期の作品で、1928年の歴史メロドラマ『死の花嫁』(Revolutionshochzeit)が現存。ディオミラは結婚式当日に革命派に見つけ出され、軟禁されてしまう花嫁を演じています。名監督A・W・サンドベルグの力量が発揮された同作は評判を呼び日本でも公開されました。

姉マリアの圧倒的な存在感、実績にややもすると隠れがちですが、『死の花嫁』からはお姉さんにはない硬質な透明感も伝わってきます。

[IMDb]
Diomira Jacobini

[Movie Walker]
ディオミラ・ヤコビニ

[出身地]
イタリア(ローマ)

[誕生日]
5月21日

[データ]
9.0 × 13.9cm 「1929年10月29日ベルリンにて」 « Ross » B.V.G. Berlin SW 68

マリア・カルミ Maria Carmi (1880 – 1957)

Maria Carmi Autographed Postcard

1911年、ヨーロッパに古くから伝わる修道女の奇跡劇が舞台化されて人気を博していました。舞台版、そして1912年の映画版で聖母マリアを演じたのがマリア・カルミでした。

『奇跡』は映画女優としての第一歩となり、その後もドイツとイタリアで活躍を続けていきます。

途中、グルジアの皇位継承権を持っていたジョージ・マキャベリ5世に見初められ結婚。現世でのプリンセスとなります。映画界を離れた後、夫と合衆国へと移住、化粧品ブランド「プリンス・マキャベリ」の共同創設者となりました。同ブランドは幾度か経営者を変えながら引き継がれていくことになります。

こちらの絵葉書は両面にサインが残されています。宛名書き面には持ち主の手による「1920年12月」の日付け有り。

Maria Carmi (1880 – 1957)

[IMDB]
nm0138409

[誕生日]
3月3日

[出身]
イタリア

[コンディション]
B+

イリーナ・レオニドフ Ileana Leonidoff (1893 – 1968) 露/伊

Ileana Leonidoff 1924 Autographed Photo
Ileana Leonidoff 1924 Autographed Photo

露國に生れ、露國劇壇に薫陶された南歐映畫女優は數多ある。エレナ・マコウスカ孃、ダイアナ・カレンヌ夫人、最近に至つてはタチアナ・パプロワ孃の如き、其れである。イレーナ・レオニドツフ孃も又露國生れの女優として一九一七年以来南歐に表れた女優である。我々は『アチラ』に於てイルヂゴに扮した孃を始めて見た。さうして孃もまた妖婦女優として、確に相當の技能を有する事を認め得た。その後『不滅の血路』に於ても近く孃の技藝に接し得て、その妖婦女優としての腕を認める事が出來た。尚孃のパスクワリ會社時代の映畫(アルマンドヴエイ發賣)『酒の罪』が日活に輸入されて居る。一九一七年以來アンブロジオ會社に結び、主腦女優として『アチラ』『不滅の血路』等數種の映畫に出演し、その後パスクワリ會社に一時契約し、昨年ベルチニ會社の主腦女優となり、數種の映畫に出演して名聲を得て居る。

「南歐映畫俳優月旦 イレーナ・レオニドツフ孃」
『活動画報』1919年4月号

イタリア未来派の代表作『Thais』 (1917年)でヒロインに抜擢され注目を浴びたのがイリーナ・レオニドフでした。

Ileana Leonidoff 03
『アッチラ』(1918年)より

ロシア生まれで若くしてイタリアに移り住み当初はオペラ歌手の修業を積みます。まず映画女優として名を上げて歴史映画(『アッティラ』)や恋愛ドラマに出演、1922年を境にバレエに活動を移していきました。ローマを拠点とし自身のバレエ団を結成海外公演を行っていた記録があり、1924年にロンドン公演を行っています。このサイン入り写真はその際の一枚と思われます。

綺麗な写真ですが数か所の汚れ、右下に目立つ破れがあります。

Ileana Leonidoff 1924 Autographed Photo

[サイズ]
15.0 × 20.0 cm

[IMDB]
nm0503064

[出身]
ロシア/ウクライナ

[誕生日]
3月3日

[コンディション]
C+

ジュリエッタ・デ・リゾ Giulietta De Riso (1898 – 1990)

Giulietta De Riso

1910年代前半のイタリアには俳優一家として有名なアルミランテの一族がいました。その一人、ルイージの結成していた劇団に参加していたのがイタリア・アルミランテ、トゥリオ・カルミナティ、そしてこのジュリエッタ・デ・リゾでした。

芸歴は長く、子役としても活躍していたようです。1910年代初頭から後半にかけて約20本の映画に出演、20年代末に自身の劇団を結成、舞台に専念したようで、時折トーキーに出演していたのを最後に記録が途絶えています。

イタリア国立チネテカのHPに1913年の『いいなづけ』35mmフィルム修復の記事が掲載されています。同作にジュリエッタ・デ・リゾが脇役で登場しているようです。

Giulietta De Riso Autographed Postcard

フェボ・マリ Febo Mari (1881 – 1939) 伊

フェボ・マリの監督した『灰(セネーレ)』は評価に揺れのある作品です。主演でもある名舞台女優、エレオノーラ・ドゥーゼ自身があまり気に入っていなかったためでもあります。

『灰』はサルデーニャ島民たちの喜怒哀楽から紡ぎだされるメロドラマを中心に据えたもので、ドゥーゼだけに焦点を当てたものではありませんでした。

それでもサドゥールが書いたように「ドゥーゼが片手を挙げるだけで見ている者の心はざわめきを覚える」のであり、地中海の眩い光、風と土ぼこりの合間に浮き上がる彼女の姿が記録されただけでも感謝したくなってきます。

Febo Mari 1926 Autographed Postcard

アンナ・フゲツ Anna Fougez(1894 – 1986)

Anna Fougez

エドヴィーゲ・トニさん旧蔵コレクションより。

映画の出演は少ないながらグスタヴォ・セレーナ監督作品に出ていた記録があります。他に紹介しているネラ・レジーニと同じように、カフェ・レストランなどで歌や演技を披露するシャントーザ(sciantosa)の位置づけだったではないかと思われます。

歌手として1919年に録音された「Vipera」がユーチューブで紹介されていました。

Anna Fougez Autographed Postcard

[IMDb]
nm2313315

[出身]
イタリア

[誕生日]
7月8日

[入手]
2015年4月30日

 

ソアヴァ・ガローネ Soava Gallone(1880 – 1957)

ブレシア(Brescia)在住のエドヴィーゲ・トニさん旧蔵コレクションより。

2枚の絵葉書はいずれも夫カルミネ・ガローネが監督した『愛国の騎士』(La Cavalcata Ardente)』より。一枚は単独のポートレートで右下にサインがほどこされています。

もう一枚は尼姿で、裏面に「エドヴィーゲ・トニさんへ、親愛をこめて(A Edvige Tonni, con simpatia)。1926年の3月18日」の一文が付されています。

Soava Gallone 1926 Postcard Inscribed to Edvige Tonni

[IMDb]
nm0303122

[出身]
イタリア

[誕生日]
5月30日

[入手]
2015年4月30日

ミミ・エイルマー Mimì Aylmer (1896-1992)

1910年代イタリアにはディーヴァになり損ねた女優も数多くいました。

エイルマーは幾つかの無声映画に出演している[…]。悲劇調だったり喜劇風の役で出演しているこれらの映画は知られる限り現存していない。そのため、彼女の演技スタイルがどのようなものだったか知る由はない。

出演作は現存していないとされていますが、「ミミ」単独名義で映画出演していたと思われ、そちらの方でフィルムが残っていたのを確認できました。

エドヴィーゲ・トニさん旧蔵の一枚で1925年の年号が添えられています。

Mimì Aylmer 1925 Autographed Postcard from the Edvige Tonni Collection

リダ・ボレッリ Lyda Borelli (1884 – 1959)

1910年代中盤イタリアのディーヴァ映画をそのまま体現したような女優さん。

激情のピナ・メニッチェリ、妖艶なベルティーニに対し、倦怠感と退廃を強く押し出した演技スタイルが特徴で、『マロンブラ』(Malombra、1917)などで真価が発揮されています。

Lyda Borelli 1917(?) Postcard Inscribed to Mr Rodriguez

[IMDB]
nm0096330

[誕生日]
3月22日

[出身]
イタリア

[サイズ]
8.7 × 13.6cm

[コンディション]
B+

[入手年月日]
2015年2月21日