1920年代半ば〜後半ミニチュア写真フレーム(阪東妻三郎、市川百々乃助、尾上松之助)

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正式名称は不明。これまで3度ネットオークションにかけられたのを見た覚えがあります。最初の2回は競り負けし、3度目に入手したのがこちらです。

物としては金属製の小さなフレーム(1.0 × 1.7センチ)に一回り小さな鏡と俳優ブロマイドを収め、中身が落ちないように上の輪に紐を通しています。参考までに一円玉と並べてみるとサイズ感が分かるのではないかな、と。

阪東妻三郎と市川百々乃助が複数点、尾上松之助がひとつ。残りは写真が小さすぎて特定できませんでした。俳優の選び方から20年代中盤~後半でしょうか。

興味深いのは、これまでに見かけた3度がいずれも単品ではなく10個程度の束になっていたこと。個人が収集していたというより、縁日の屋台や駄菓子屋で売るためセットにしてあった在庫がそのまま残ったような感じです。

1910年代末 – 尾上松之助 『今戸大八』&『平井権八』 幻灯用 齣ガラススライド 4枚

Late 1910s – 4 Magic Lantern Glass Slides
Onoe Matsunosuke in Imado Daihachi (1917) & Hirai Gonpachi (1916)

1910年代末と思われる幻灯用の齣ガラススライド4点。

フィルムを基にしたこの種のスライドについては神戸大学の福島可奈子氏が「大正期から昭和初期における齣フィルムの蒐集と文化」(『映像学』2018年99巻)で言及されており、1917年に活動写真興行取締規則が施行された際に映画館から締め出された子供をメインターゲットに発売された、との指摘がなされています。

今回入手したのは『今戸大八』(1917年9月公開)『平井権八』(1916年5月公開)の一場面をあしらったもの。コンディションは良くありませんが赤や緑?、水色や黄土色の彩色が一部残っています。

尾上松之助 小型ブロマイド 2組 26枚(1920年頃)

「大正10年頃(1921~22年)、尾上松之助 豆ブロマイド2組26枚」より


絵葉書として売り出されていたのですが、実際は小型のブロマイドでした。大きさは4.6×7.0cm、大入り袋を模した紙製ケースに入っています。

これだけの枚数があっても、出演数、リメイクの多い尾上松之助ですと時期の特定が難しそうな感じです。『曲垣平九郎』『尾張三郎丸』『加藤清正』『不和数右衛門』『加賀鳶松五郎』『曽我兄弟』『仙石權兵衛』など1919~20年の公開作品が多く、逆に1921年以降の有名作品(『楠公訣別』)が少ないことから、1922年頃ではないかと推測しています。当時、同デザインの絵葉書も発売されていましたので、併せて検証していくと絞りこめるのではないかな、と。

青ケース(13枚入り)
曲垣平九郎(1916/1920)
尾張三郎丸(1920)
・矢島彌次郎
曲垣平九郎(1916/1920)
加藤清正(1920)
大力猪之助(尾張三郎丸)(1920)
・無題
・木村又蔵(1924)
不和数右衛門(1912/1920)
一心太助(1914/1922)
め組辰五郎(1922)
加賀鳶松五郎(1915/1919)
加賀鳶松五郎(1915/1919)

黄ケース(13枚入り)
宮本武蔵と佐々木岸柳(1914)
忠臣蔵(1921)
児雷也物語(1921)
め組辰五郎 [重複](1921)
山中鹿之助(1921)
曽我兄弟(1915/1920)
・無題
忠臣蔵 [重複](1921)
仙石權兵衛(1920)
・木村又蔵 [重複]
・任侠勇み駒
山中鹿之助(1911/1916/1921)
・無題(忠臣蔵?)

2017年4月30日 尾上松之助胸像 [京都・下鴨葵公園]

20170430-尾上松之助胸像01

鴨川の有名な三角州(通称デルタ)は同志社圏と京大圏の境でもあり、休みの日になると学生と家族連れでにぎわっています。

通りを挟んだ北側、糺の森に入っていく手前に尾上松之助の胸像が立っています。地元民は見慣れ過ぎて意識しないくらいかも。

池田 富保/尾上 松三郎 (1892 – 1968)

池田富保 直筆サインカード
Ikeda Tomiyasu Handsigned Card

レヴェルを一歩高めた處において、扨「尊王攘夷」を製作した池田富保氏は未完成の人である。之からの人である。幾つかの大作は要するに氏にとつてのレツスンであつて氏の持つ才分は決してあの程度で止まる筈ではない。他の監督者が求めない、若くは求めて得られない、或別種の大物のみを覘つてゆく氏の意圖の雄大さ、氣魄の廣さは、敢て從来の未完成映畫を踏台として、將来に伸びてゆくに相違ない。一人の池田氏ある事によつて、日本にも何時の日かは必ず「カビリア」や「戰争か平和か」の如き巨大篇の出現が豫期出來さうである。只管に自重研儹を望みたい。

『日本映画年鑑 昭和二年昭和三年 第四年版』
(朝日出版社、1928年4月)

1892年、兵庫県に生まれる。本名は池田民治。父が中村駒次郎という芸名の旅役者であったことから、5歳の頃から舞台に立ち、未だ映画界入りする以前の尾上松之助の一座にも出演したことがあり、松之助には可愛いがられていたという。

1919年に尾上松之助の紹介で日活俳優部に入社。はじめは、中村喜当を名乗り、のち尾上松三郎となる。撮影の合間に書いた脚本が松之助に認められ、松之助が撮影所長になったことから、松三郎も監督部に転向。池田富保を名乗る。

1924年の『渡し守と武士』を第一回監督作品に、尾上松之助を主演とする松之助映画の監督として活躍し、『燃ゆる渦巻』『落花の舞』等を製作する。この後、『荒木又右衛門』『忠臣蔵』などで演出の才能を認められ、松之助の死後は日活時代劇の主席監督を務め、日活の春秋二季の大作時代劇の監督という重責を担った。代表作に『大久保彦左衛門』『水戸黄門』『尊王攘夷』『地雷火組』『維新の京洛』『修羅城』など数多くの大作がある。

尾上松之助の妹・キクノと結婚していた時期がある。戦後も日活、大映、新東宝で1953年まで監督作品を残す。1968年9月24日死去。

『日本無声映画大全』
(2000年、マツダ映画社監修)

『建国史 尊王攘夷』(1927年)を監督した池田富保氏の直筆物。

俳優畑出身で、尾上松之助に見出され松三郎を名乗りマキノの『実録忠臣蔵』に出演。その後映画監督に鞍替えし、日活で活動を続けていきます。戦後作品では嵐寛主演の『鞍馬天狗と勝海舟』(1953年)が現存していますが、同作が最後の監督作ともなりました。

9×11センチ、やや厚手な和紙のカードに「映畫人 サインてんらんくわい 旭川 白晝夢社」の印刷が見られます。地方の映画イベントでサインのやりとりが行われていた様子がうかがれる一枚です。

片岡 松燕 (1895 – 1943)

Kataoka Shôen

 明治二十八年神戸に生る、六歳の時神戸で故市川圓藏の『佐倉宗吾』で子役を演じたのが初舞臺、大正九年日活關西撮影所に入り時代劇で活躍『尾張三郎丸』『八百屋お七』『白藤權八郎』等はその代表的映畫、後日活を退き梅屋後援の下に獨立し第一囘『大望』を完成し、『紫電白光』其他を發表す。

『玉麗佳集』(1928年)