月形龍之介 (1902- 1970)

日本・男優 [Japanese actors]より

Tsukigata Ryûnosuke Autographed Postcard

本名門田潔人。明治三十五年宮城縣で生る。元輝子ことマキノ智子と浮名を流した色男、東亜キネマが映畫俳優として振出し、マキノ主腦男優の一人で常に時代劇に主演して大向からヤンヤの喝采を博す。『討たるゝ者』が初演映畫で『怪物』『毒刄』『戦國時代』『轉落』『修羅八荒』『愚戀の巷』最近の主演では『毒蛇』『砂絵呪縛第二編』『雪の夜話』等でキビキビした胸のすくやうな演技を見せてフアンを喜ばしていゐる。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)


マキノ以来のケンゲキ俳優月形は今フリー・ランサーとなり、千惠藏映畫、阪妻映畫、下加茂映畫、新興映畫等にドシ〱出演してゐる。トーキー俳優として臺詞がうまく、ケンゲキ俳優として殺陣が鮮やかなので、各社からひつぱりだこになつてゐる。劍道三段の腕前があり、現在のケンゲキ俳優中、眞劍を使ふスターは彼を措いて外にない。その殺陣には獨特の凄味がある。何しろ眞劍を使ふので、捕手達もビクビクものだが、未だ嘗て一度も人を負傷さしたことがないといふからえらいもの。

『映画とレビュー 人氣花形大寫眞帖』
(1936年1月、『冨士』昭和11年新年號附録)

[JMDb]
月形龍之介

[IMDb]
Ryûnosuke Tsukigata

[出身地]
日本(宮城)

[誕生日]
3月18日

酒井米子 (1898 – 1958) & 木下千代子 (1903 – 没年不詳)

日本・女優 [Japanese actresses]より

酒井米子&木下千代子 連名サイン

本人は『もうそろそろ引退時です』といつて居るさうであるが人氣はさうでもないらしい。何といつても現代の映畫女優ではスターである。明治三十三年十一月生れの二十九歳。東京市神田の産で十四歳の時有樂座で處女出演『ヂオゲスの誘惑』『野鴨』等の當り役がある。後暫く休養して大正九年五月日活第三部に加入し、『朝日さす前』『白百合の香』等に出で十年八月退社、十一年八月松竹に入り『海の叫び』其他に出演。矢張り古巣が戀しく同年末日活に復帰し『若草の唄』『旅の女藝人』『現代の女王』『椿姫』に扮装。最近主演は時代物『修羅八荒』『鳴門秘話』又新劇では『狂態の女師匠』『砂繪呪縛』のお酉等の大作がある。

『玉麗佳集』「酒井米子」より(1928年)

左の女優さんも控えめなサインが残されています。こちらは木下千代子さんと判明。『己が罪』など小林商会製作の初期映画に出演していた女形、木下吉之助氏の娘さんに当たるそうです。酒井米子さんとは1929~30年頃の日活で共演記録があり、絵葉書とサインも同時期ではないかと思われます。

[JMDB]
p0164280

[IMDB]
nm0757039

[誕生日]
11月25日

[JMDB]
p0358620

[IMDB]
nm1767877

二代目 阪東寿之助/壽之助 (1909 – 没年不詳)

二代目 阪東寿之助/壽之助 サイン入り絵葉書

写真は二代目阪東寿之助。衣笠貞之助作品に多く出演しており名作『十字路』(1928年)では灰を浴びて失明する弟役を演じています。

Bando Junosuke in Crossroads(1928)
『十字路』(1928年)より。

[JMDB]
p0133950

[IMDB]
nm0051758

[誕生日]
2月22日

[サイズ]
13.3 × 8.4cm

1953 – スーパー8 『鞍馬天狗 青銅鬼』(並木鏡太郎監督)

「8ミリ 劇映画」より

嵐寛寿郎主演による鞍馬天狗物は40本ほど製作されています。こちらはその中でも後期に属し、戦後のチャンバラ解禁を受けてシリーズが再開された直後の一作になります。

幕府要人を誘拐した新撰組に立ち向かう鞍馬天狗とその仲間たちの活躍を描いた内容で、近藤勇役に大河内傳次郎が配されています。この8ミリ版ではその辺りのやりとりはカットされ、青銅鬼と鞍馬天狗との対決、地下の鍾乳洞での死闘に焦点をあてたものとなっています。

[タイトル]
鞍馬天狗

[原題]
鞍馬天狗 青胴鬼

[製作年]
1953年

[Movie Walker]
mv23451

[IMDB]

[JMDB]
http://www.jmdb.ne.jp/1952/cb002840.htm

[メーカー]
東宝株式会社/東宝映像株式会社

尾上 紋弥

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

嵐寛の右門捕物帖で、アラカンたちに嫌がらせを加える悪徳役人(あばたの敬四郎)役を演じていた役者さん。

芸歴は長く1923年からの出演歴があり、東亜を離れた後も嵐寛寿郎プロで堅実なキャリアを積み重ねていきました。怪老人の役を多くこなすなど異形感もありますが、こちらの達磨の墨絵は左上に「不倒」の文字。禅の教養を備えていた趣味人だったようです。

[JMDB]
p0331000

[IMDB]
nm2359749

[誕生日]
6月24日

嵐橘右ヱ門(橘右衛門)

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

名字を外して「橘右ヱ門」とだけ書いたのではと推定されるサインです。

1920年頃から帝キネ製作の時代劇に出演を始め、町人・武家どちらもこなせる年配の俳優として重宝されていきます。1928年、嵐寛寿郎が『鞍馬天狗』シリーズを開始した際は天狗を助ける「黒姫の吉兵衛」役を務め、以後も『右門捕物帖』などの嵐寛作品を中心に脇役として活躍していきました。

[JMDB]
p0369890

[IMDB]
nm1772474

木下 双葉 (1910 – 1938)

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

本名光田貞子。明治四十三年東京市本所區に生る。舞臺より映畫に轉じ、昭和四年東亜キネマに入社す。主なる近作は「競艶刺靑草紙」「悲戀比翼塚」等。身長五尺二寸、體重十二貫八百目。趣味は讀書と映畫。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』(1931年)

サイン帖の最終ページに残されたもので、1931年元旦の日付が残されています。

東亜キネマの後期、同社の大型時代劇『美男葛』でデビューを果たした女優さんです。2作目は『右門捕物帖』と着実にキャリアアップ。凛とした和装が良く似合っており、東亜ですぐに原駒子に次ぐ人気女優となりました。

若手人気男優の阿部九洲男と結婚、大都映画に夫婦で合流し多くの作品で共演を果たしていきますが、1938年に撮影中に倒れそのまま若くして亡くなっています。

戦後まで生きていれば別なキャリアも開け映画史に名を残したのではないかと思われる女優さんです。

[JMDB]
p0358640

[IMDB]
nm2488797

[誕生日]
8月9日

大河内 傳次郎 (1898 – 1962)

日本・男優 [Japanese actors]より

Okochi Denjiro Autographed Postcard
Okochi Denjiro Autographed Postcard

 本名大邊男。明治三十一年福岡で生れる。大阪商業學校の出身。澤田正二郎その一黨の第二新國劇に室町二郎の藝名で舞臺に立ち後、マキノに入つて『彌陀源京殺陣』に初女出演、同月高松映畫で『義憤の血煙』に主演する、大正十五年八月日活時代劇に入社し第一囘伊藤監督指揮の『長恨』に主演し後『大前田英五郎』に出演し好評を博し更に『尊王攘夷』中彼の扮装の『井伊大老』は素晴らし出来榮えで、いやが上にも人氣を高めた昭和二年の製作品に彼と櫻木梅子主演の『剣と戀』がある。昭和三年初頭雑誌映畫時代発表の人氣投票で二千五百餘票を以て第四位を獲ち得たところを見ても彼れの人氣が窺はれやう。

『玉麗佳集』(1928年)

宮部 静子 (1896 – ?)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Miyabe Shizuko Autographed Postcard

淫婦或は毒婦に扮して、毎時成功を収めてゐる。現代女優中、稀に見る智的な美を、その大寫しに見る。明治卅年東京に生る。文藝協會第二期卒業生。『本牧夜話』の彌生はその當り役である。

『世界のキネマスター』(大正14年)

舞台女優の修業を積み、文芸協会から新劇へと移ってそこで松井須磨子らと共演、当時大ヒットとなった『復活』にも出演しています。1924年に日活で女優デビューを果たし、翌年の帝国ホテルでの披露会にも参加。しかし監督との恋愛沙汰で立場を落とし1926年には同社を離れました。

こちらの絵葉書は大正14年(1925年)1月13日の日付が入っていて、翌日盛岡宛に投函されたもの。写真面にダメージが多いのですがサインにかかっていないのが幸運でした。

千草 香子 (1900 – ?)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Chigusa Kyoko Autographed Postcard

本名飯田千代子。明治卅一年名古屋に生る。女子商業卒業後、日活に入り後帝キネに移った。おつとりした芸風を持つて、可憐な娘に扮して毎時成功している。

『世界のキネマスター』1925年

明治三十一年名古屋市に生る。本名飯田千代子。姉は有名な新橋の芸妓、自分も若葉と名乗つて左褄を取り嬌名を謳はれたもの。女子商業の出身で大正十三年日活に入り、後帝キネに移つた。主なる主演は『新皿屋敷』『遺恨駒下駄』最近の映畫では『茜谷半七』『仇討高砂の松』に活躍しスターとしてフアンの人氣を高めてゐる。オツトリとした藝風で娘役が適している。好きな物は音樂と旅行と働くこと。嫌ひなものは志那料理。

『玉麗佳集』1928年

柏 美枝 (1904 – 1966)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Kashiwa Yoshie c1927 Autographed Postcard
Kashiwa Yoshie c1927 Autographed Postcard

大正期のショートボブ流行のさなかに和製ルイーズ・ブルックスの評判を呼んだのが柏美枝さんでした。1927年の数作のみで引退した幻の女優さんで、出演作のひとつ『海浜の女王』の現存フィルム一部発見に愛好家が狂喜していました。

直筆サインはインクが劣化して読みにくくなっています。文面は To Mrs Matsumoto/With my best wishes/Yoçie Kaçiwa でしょうか。名前のアルファベット書きで「sh」を使わずにフランス語のセディーユ付「c」(ç)を用いているようです。若き日の鈴木伝明と並んだ一枚です。

[IMDB]
nm2298042

[JMDB]
p0323200

[出身]
日本

[誕生日]
2月20日

[コンディション]
B-

鈴木 傳明/伝明 (1900 – 1985)

日本・男優 [Japanese actors]より

Suzuki Denmei 1935 Autographed Postcard

Suzuki Denmei 1935 Autographed Postcard

スポーツ俳優の第一人者でフアンの人氣を一人で背負つて立つ彼。素人しては驚くべき成功といはねばなるまい。

彼は下谷區上野櫻木町の炭屋に生れたチヤキチヤキの東京ツ子。明治三十三年生れ、往年明大の経濟科に通學の傍ら神田神保町に『すゞき』といふ喫茶店を從妹と經營したという變り者。元来映畫が好きなところから學業の餘暇小山内氏の松竹キネマ研究所で映畫を研究し第一囘試作映畫『路上の靈魂』で主役を振られたを皮切りに大正十一年に模範活動寫眞が創立され『大親鸞』で善鸞に扮して大に天才を發揮して好評を博した。超えて大正十三年明大商科を卒へて商學士の肩書付となつたが算盤の桁を外して遂に京都の日活撮影所に現はれ『塵境』『我等の若き日』『金色夜叉』に主演して好評を博す。後松竹に轉じて『海人』『受難華』『海濱の女王』『海の勇者』『森の若者』に主演し益々人氣を高め、蒲田の最高幹部俳優として一般フアンから騒がれ就中若き男女の共鳴を享けてゐる。最近の人氣投票では見事に最高點を獲ち得てゐる。

趣味は運動、有らゆる競技と讀書。

(『玉麗佳集』、1928年)


彼も今年(昭和八年)三十四歳。まつたくの男盛りになつた。

五尺九寸、十七貫の強靭な偉躯。その容貌は日本人として稀な泰西的現代味を持つ。明大出身で学生氣質の抜けない彼は常に明朗快活だ。その演技は青空高く千貫を巻き上ぐる起電機の溌溂さ、唸る發電機の壮烈さを見せる。

水泳は彼の本技だがその他あらゆる競技に理解と經驗とをもつ。スポーツ俳優として彼は實に空前である。『陸の王者』『若者よなぜ泣くか』『熊の出る開墾地』は傑作中の傑作だ。かうして今、彼は、『金色夜叉』に於る荒尾譲介にまで扮するやうになつた。彼が現在の苦闘は彼を鞭打つて更に幾多の佳作を世に送り、デンチ・フアンを満足せしめるに違いない。(不二映畫)

『東西映畫 人氣花形寫眞大鑑』
(1933年1月、『冨士』昭和8年新年號附録)


[JMDb]
鈴木伝明

[IMDb]
Denmei Suzuki

[出身地]
日本(東京・上野)

[誕生日]
3月1日

柳さく子 (1902 – 1963)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Yanagi Sakuko Autographed Postcard

Yanagi Sakuko Autographed Postcard

本名畔柳千代、東京市淺草區に生る。幼少より藝道に精進、常磐津、踊は最も得意。永らく舞臺に活躍し大正十一年一月蒲田スタヂオに入社して現在。主な近作は『戀愛序曲』『黎明の世界』等。身長五尺一分。体重十一貫八百目。趣味は長唄。三味線舞踊。。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)


映畫界に、彼女の名はもうかなり古い。-が、あの、涼しい瞳は、いつも同じ幻を追ふやうに、ウツトリと開いてゐる。さうして夕顔の哀愁を持つた彼女の容姿は、少しも年齢によつて蝕まれてゐない。

純日本製の、内気と羞恥をもつた彼女の役々-淚につゞる義理人情を、圓熟な藝はシミジミと見物の胸に滲み込ませる。

だが彼女は所謂萬年娘と呼ばるべき女優ではない。風姿に嫋々たるを失はないの川田みで、いづれの階級、いづれの職業の女も確実に仕こなす。たゞ、彼女は飽くまで日本舊型の女性以外に扮し得ないと云ふだけである。(松竹下加茂)

『東西映画 人氣花形寫眞大鑑』
(1933年1月、冨士新年號附録)

「大正十四年三月、大阪毎日新聞が、初めて映画俳優の人気投票をやり、松竹下加茂の柳さく子が百三十万票を得て第一等になり、俄然映画女優のプロマイドが売れ出して来た」(『最新映画大鑑』)

一時期の人気には破竹の勢いがあり、また松竹の監督であった野村芳亭に気に入られたことで出演・主演本数も増えていきました。

「でもうんと苛めてやつたから胸がスーツとした。いい気味だ泣いていたもん」

大正十四年の『劇と映画』(「キネマ花形物語」)には花川環、五月信子、英百合子が集まって、柳さく子をいじめたエピソードが紹介されています。「彼女の凄腕は動いて容易に芳亭をまんまと恋の虜としてしまったのである。猫を被ってゐた丈に幹部連の反感はあんなに迄猛烈だったのである」。真偽の程ははっきりとしませんが、熾烈なポジション争いを続けていた女優に対立構造が生まれるのはありえる話かな、とも思います。

[JMDb]
柳さく子

[IMDb]
Sakuko Yanagi

[出身]
日本(東京・浅草)

[生年月日]
11月3日

岡田 嘉子 (1902 – 1992)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Okada Yoshiko 1927 Autographed Postcard


Okada Yoshiko in Tokyo no Yado (1935)
『東京の宿』(1935年)より

筑波雪子やマキノ照(輝)子と共にキネマ界三人女として浮名を流した嘉子の人氣は相變わらず大したもの。何も女優がラヴシーンを實演しやうと駆落ちしやうと騒ぐだけ野暮ではあるまいか。結局行りたくとも相手のない意氣地なしの岡ヤキフアンの餘計な心配である。

兎に角女優としての嘉子は素晴らしい演技と人気を有して居る。彼は純粹の東京ッ兒で明治三十六年四月生れといふから確か二十八歳の筈。大正七年東京女子美術學校洋畫科を卒業、幼時素人劇に出演したこともあり、同八年二月新藝術座が有樂座で開演の時初舞臺を踏む。後舞臺協會の山田一派に加はり更に同志座へも参加する。舞臺協會の提携映畫『髑髏の舞』を撮影し十四年の春日活へ復歸して『街の手品師』を主演して次で『日輪』で滿都の喜ばせいやが上に人氣を煽つた。後竹内良一と手を取つて道行と洒落れ若いフアンをあつと言はせた。罪な女ではある。現に所屬なし。

(『玉麗佳集』、1928年、中央書院)


演劇に、映畫に、彼女の經歴はかなり古い。が、その美しさは少しも衰へない。たゞ近來彼女には以前の純眞さよりも、肉感的なものが多分に備はつて來た。さうして賢明なる彼女はこの武器を利用することによつて、更に一倍の喝采を勝ち得てゐる。鋭い棘をかくして微風に揺れる眞紅の花 – それが今の彼女である。洗練されたその藝は、與へられた如何なる役でも十分こなしおほせる。が、ことに呪はしい戀に爛れた妖婦型の女性は彼女にうつてつけの役柄だ。長年舞臺で苦しんだだけに、トーキー女優としても一流だ。藝能に彼女は圓熟し切ってゐる。しかも彼女は求めてやまぬ覇氣を失はない。(松竹蒲田)

(『東西映畫 人氣花形寫眞大鑑』
1933年1月、『冨士』昭和8年新年號附録)


[JMDb]
岡田嘉子

[IMDb]
Yoshiko Okada

[出身地]
日本(広島)

[誕生日]
4月21日

1930年代前半 – 六櫻社 さくらスコープ 16mm サイレント映写機

六櫻社 さくらスコープ 16mm サイレント映写機 00

Early 1930s Rokuo-sha Sakurascope 16mm Silent Projector

六櫻社による最初の16ミリ映写機。1931年に発売された初号機は16ミリのみに対応していました。電源はモータ部にあり、ランプハウスは円筒型、レンズは「Sakura Kine Lens E.F. 2″」を採用していました。

1932年と33年にモデルチェンジが行われ8/9.5/16ミリの3形式に対応します。電源スイッチが土台部に移りランプハウスが角型に変更。手元にあるのはこの後期型で本体シリアルが1664。レンズの名称が「Sakura Projection Lens E.F. 2″」に変わっています。

1930年代初頭に大阪の写真店が粗品で配っていたレンズクリーナーにさくらスコープ広告を見つけました。250Wと400Wの2種類のランプに対応していたのが分かります。

また、さくらスコープは海外向けに輸出されており110V対応機種も現存しています。海外ユーザーさんがSNSで紹介している実機が少なくとも3台見つかりました。1番目と2番目はオーストリアのコレクターの所蔵品、3台目はスリランカ(!)の映画博物館です。

https://www.flickr.com/photos/heritagefutures/8582173692/
http://reeldeals.com.au/sakurascope/sakurascope.htm
https://www.facebook.com/177254236061821/photos/a.177716846015560/625863461200894/

瀧花 久子 (1906 – 1985)

日本・女優 [Japanese actresses]より

瀧花久子

明治四十年京都で生れる。女學校を卒へて大正十四年六月に日活へ入社。時代劇を踏んで新劇部に移る。岡田嘉子主演の『日輪』に女中に扮してから認められ、續いて『水戸黄門』廣瀬第二囘作品の『鐵腕記者』で主演して、一躍日活のスター女優となる。最近『しやぼん娘』『魔の沼』『喧嘩』等に主演し村田實演出の『結婚二重奏』といふ現代劇では彌生に扮し岡田時彦と共演の『屍は語らず』では池内みつ子に扮して何れも人氣湧くが如しである。現に日活の幹部女優。

『玉麗佳集』(1928年)

[JMDb]
滝花久子

[IMDb]
nm0847654

[出身]
日本

[誕生日]
3月4日

伊井 蓉峰 (1871 – 1932)

Ii Yoho

映画畑ではマキノ雅弘の自伝『映画渡世・天の巻』に登場してくる傲慢で物分かりの悪い新派俳優としてつとに有名。

とはいえ『実録忠臣蔵』(1927年)を見る限りそこまで酷い演技ではなく、(『浪人街』の生き生きした人物に比べると型通りですが)存在感はあったと思います。新時代の映画製作にはなじめなかったということなんでしょう。

「蓉峰」ではなく「蓉峯」とサインしていると思われる一枚です。

栗島すみ子 (1902 – 1987)

日本・女優 [Japanese actresses]より

Kurishima Sumiko Autographed Postcard

Kurishima Sumiko Autographed Postcard

嘗て栗島狭衣が有樂座に根城を構へ、惡戦苦闘の興行を續け、宴會の餘興にも顔を出せば、また今では銅座の名物になつていゐる子供日にまで出演して、不惜身命の働き振りを示せてゐた時代から、一座にすみ子といふ雛のやう可愛い女優がゐた。[…]親にも優る非凡な天才を認められてゐた。時代物でござれ西洋物でござれ、喜劇でも何んでも達者になつてのけるので、斯界の麒麟児とまで云はれたが、本人は其様な世間の評判などには頓着なく、樂屋でも自宅でも駄々を捏ねたり、女チャメの本領を發揮してゐた。

『女優総まくり』(紅鳥生著、光洋社、1917年)


時は『日本の戀人』と映画界にうたはれた人だけあつて、あの澄んだ眼差は、名前通りに美しい。大正十年松竹入社。『虞美人草』に出演以来、幾多のスクリーンに表れて、純日本の女らしい、懐かしさと慕はしさをフアンの胸にやきつけてゐる。

『世界のキネマスター』(報知新聞社、1925年)


今ではさうでも有りませんが、一時日本俳優の人気を一人で背負って居たのは栗島すみ子でした。

『映畫藝術』 (『キネマと芝居』臨時増刊号、1925年)


大正十年松竹キネマに入社してから、あの淋しい悲劇的の顔の表情が見物に受けて、メキメキと映画界の人氣者となつたが、しかし、映画女優としての彼女の天才は松竹に入つてから偶然に表れたのではなく、映画女優としての演技派疾の昔から経験があつたのである。即ち、銀座の吉澤商会の目黒撮影所と、新宿のエム・パテーの撮影所に於て活躍しお伽芝居の『桃太郎』を上州玉川畔で寫し、社会劇『海上王』を相州江の島で撮影し、その桃太郎と燈臺守の娘に扮したのが、抑々映画界に足を踏み込める第一歩となつたのである。

『裸にした映画女優』(泉沢悟朗著、日本映画研究会、1925年)


蒲田の女王としての彼の藝は日を経るに随つて益々圓熟して來る。素顔はさして美人といふ程でもないがカメラフエースが素敵に好い。彼は人も知る栗島狹衣の娘で明治三十五年三月東京澁谷に生れ、幼にして父の下で舞臺に立つこと七年、有樂座に出たこともある。踊りを能くし水木歌香の名取、大正十年二月松竹に入りスターとなる。映畫としては小谷ヘンリーの『虞美人』が處女出演で『なすな戀』『船頭小唄』『歎きの孔雀』『マアチヤン』『受難華』『緋紗子の話』『妖婦五人女』最近では『珠を抛つ』『天國の人』等の出演がある。相当永い間のスターではあるが人氣は益々高く昭和三年初頭の人氣投票では映畫女優として最高點を獲得してゐる。

『玉麗佳集』(中央書院、1928年2月)


本名栗島澄子、明治卅五年栗島狭衣の子として東京澁谷に生る。七歳にして初舞臺を踏み、續いて劇團にあつたが大正十五年松竹蒲田へ入社。主な近作は「麗人」「女は何處へ行く」「女心を亂すまじ」等々、趣味は唄、三味線、殊に舞踊に堪能。池田義信監督の夫人。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』(『冨士』昭和6年新年號附録、1931年)


餘りに有名である。明眸皓歯 – 暮れゆく初夏の空に煌めき出づる太白星の淨さを思はしむる。聰明さ彼女の如きは稀だ。城戸蒲田撮影所長をして、男に生れさせたかつたと歎じしめた、その才略 – 大正十年春『虞美人草』に出演以来『嘆きの孔雀』『眞珠夫人』『緋紗子の話』『今年竹』『相思樹』など、一作毎に盛名を持してゐるのは、栄枯盛衰の甚だしい女優の生涯にあつて全く珍しい。

舞踊に長じ、音樂を好み、しかも家庭的に刺繍の巧者、玄人を凌ぐと聞けば、フアンはいよいよ讃歎するだらう。- 藝は圓熟の一語に盡きる。トーキー俳優としても、舞臺俳優としても十分成功すべき素質に惠稀てゐる。(松竹蒲田)

『東西映畫 人氣花形寫眞大鑑』(『冨士』昭和8年新年號附録、1933年)


[JMDb]
栗島すみ子

[IMDb]
Sumiko Kurishima

[出身地]
日本(東京・渋谷)

龍田静枝 (1903 – 1962)

Tatsuta Shizue Autographed Postcard 01

Tatsuta Sizue Autographed Postcard 02

Tatsuta Shizue Autographed Postcard 02

Tatsuta Shizue Autographed Postcard 03

本名鈴木静江。明治卅九年山形市に生る。山形縣立女學校を卒業して「小笠原プロダクシヨンに入り後マキノを經て昭和二年三月松竹蒲田に入社。主として妖婦型に出演。主な近作は『愛して頂戴』『己が罪作兵衛』等。身長五尺一寸、體重十二貫。趣味は讀書、散歩、スポーツ全般。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)


小笠原プロダクシヨン、高松プロダクシヨン在所當時はいざ知らず蒲田入社以來の彼女の進歩は素敵に目醒ましい。最初、島津保次郎氏に抜擢されて「真珠」の難役蘭子を消化した時の龍田の出來は、老練島津氏のトレイニングよろしきを得た結果かとにかく豫期以上の優秀さを示してゐたので、實はフアンの方でも驚いたものであつた。それが「女の影」「戀を拾った男」「海の勇者」「モダン・ガールと村の醫者」と來るに從つて世間は最早聊かの危惧も彼女に対して抱く事を止めた。つまり龍田静枝は『物になつた』のである。

『日本映画年鑑 昭和二年昭和三年 第四年版』
(朝日出版社、1928年4月)


彼女が出現した時は、新時代のフラツパアとして、また、明る味をもつたヴアンプとして恐らく第一人者だつただらう。今こそ、やや不遇であるが、『新珠』に初演して以来、『弱き人々』の會心の作を出すまで、彼女の活躍と人氣は素晴らしかつた。

豊滿な肉體と、その外國趣味をもつ緋薔薇の如き目鼻立ち。-そしてその性質には妙に氣弱で淚もろいところがある。だから妖婦型と云つても、魔性を帯びない、どこまでも女性としての善良さをもつた役柄に適してゐる。まだまだ彼女には活躍すべき餘地がある。フアンも十分將來を期待してゐる。(松竹蒲田)

『東西映画 人氣花形寫眞大鑑』
(1933年1月、冨士新年號附録)

[JMDb]
竜田静枝

[IMDb]
Shizue Tatsuta

[出身]
日本(山形)

[生年月日]
2月11日