スーパー8 『邦画名作抄 美人女優列伝 サイレント時代・草分けの美女たち』

8ミリ 劇映画より

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1970s Super8 Anthology


1) 伊豆の踊子(1933年、五所平之助監督) 田中絹代、若水絹子ほか [JMDb]


2)松竹スタジオ紹介他


3)不壊の白珠(1929年、清水宏監督) 及川道子、八雲恵美子ほか [JMDb]


4)与太者と海水浴(1933年、野村浩将監督) 井上雪子、光川京子、高峰秀子ほか [JMDb]


5)夜ごとの夢(1933年、成瀬巳喜男監督) 栗島すみ子、飯田蝶子ほか [JMDb]


6)金色夜叉(1937年、清水宏監督) 川崎弘子 [JMDb]

2018年初頭に入手したスーパー8版アンソロジー。トーキー篇の紹介にあわせてこちらもスキャンしました(前回は映写した画面をそのまま撮影)。

田中絹代さん主演の『伊豆の踊子』で始まり、松竹スタジオの外観などを挟みながら井上雪子さん主演の『与太者と海水浴』へ。浅瀬に着衣のまま飛びこんでしまう大胆な展開に。

名作『不壊の白珠』を挟んで『夜ごとの夢』。栗島すみ子さんキャリア後期の作品で子供に頬をつけて泣いている時の表情が圧倒的。最後に『金色夜叉』での寛一お宮のやりとりが紹介されています。どの女優さんも雰囲気ありますね。

[発売時期]
1970年代

[発売元/製作/提供]
テレキャスジャパン/大沢商会/松竹

[フォーマット]
スーパー8 白黒200フィート 磁器録音(24コマ/秒)

1928-29 – 羽衣館 しおり 4点

「阪東妻三郎関連」より

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1928年末から29年前半に東京牛込の羽衣館で宣材として配布されていた栞4点。

1)1928年12月『鳥辺山心中』(松竹下加茂)林長二郎主演
2)1928年12月『喧嘩安兵衛』(阪妻プロ太奏)阪東妻三郎主演
3)1929年3月『花骨牌(はなかるた)』(阪妻プロ太奏)阪東妻三郎主演
4)1929年5月『浮世小路』(松竹蒲田)栗島すみ子主演

『花骨牌』と『浮世小路』の二枚には穴が開けられ紐がついています。スタイリッシュにロゴ化された映画館名からもデザイン感覚の洒脱さが伝わってきます。

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2018年4月30日 栗島すみ子墓参 [東京・池上本門寺]

東京旅行の初日に池上本門寺にお邪魔してきました。

栗島すみ子さんのお墓参りは2度目となります。五重塔にほど近い一角、伴侶であった池田監督のお墓と向かい合うように栗島家の墓が立っています。やや風の強い一日でしたが、気持ちよく晴れあがった空の下、若葉が静かに揺れていました。

香を焚き、両手を合わせていると通りかかった地元の方から声をかけられました。墓石の裏面に刻まれた「栗島澄子」を指して「本名は漢字なんだよ」と仰られていました。

血縁の方はすでに東京を離れておりお参りに来る機会も少ない、とのこと。それでもこの2018年に自分以外に彼女を覚えている人がいると分かって少し嬉しい気持ちになりました。

また何年後かに顔出しますね。

大正14年(1923年)頃の松竹俳優ブロマイド(手彩色版)

大正時代の終わり(1923年頃)と思われる5.6 × 8.2 cmの小型ブロマイド20枚。

手彩色による色付けは写真の細やかな陰影を消してしまう欠点があるとはいえ、モノクロでは伝わってこない艶やかな色遣いを窺い知ることができます。これより数年後に市販された一回り小さな(4.6 × 7.0 cm)ブロマイドは古本屋さんなどで時折取り扱っているのを見かけますが、このサイズの物は初めてでした。

入手した20枚の内訳は:

1)栗島すみ子11枚
2)川田芳子1枚
3)東榮子1枚
4)歌川八重子1枚
5)英百合子1枚
6)五月信子1枚
7)井上正夫1枚
8)岩田祐吉1枚
9)寺島榮一1枚
10) 井上正夫&栗島すみ子(1923年の『嗚無情』より)1枚。

このうち栗島すみ子、歌川八重子、川田芳子、東榮子、五月信子さんの5人についてはサイン物のコレクションにて直筆を紹介しております。

2016年5月1日 栗島すみ子墓参 [東京・池上本門寺]

新宿到着。あまりに久しぶりすぎて土地勘がない。人の流れに乗ってそのまま移動。朝は肌寒いくらいでまだスプリングコートの人も多かった。山手線始発で五反田へ、メトロに乗り換え西馬込まで。坂の多い閑静な住宅街。

池上本門寺でお墓の見当をつけたもののなかなか見つからず一苦労。栗島家の墓は池田家の墓と向かうように並んでいた。池田家の墓の手前には黒い碑が一つ。

「栗島すみ子 ここに 眠る」

昭和63年、池田義信氏と栗島すみ子の長男に当る義一氏が建立したもので、碑に刻まれた文字は9代目松本幸四郎のものだそうである。香華を手向けて墓地を離れた。

栗島すみ子 (1902 – 1987)

「日本 [Japan]」より

Kurishima Sumiko Autographed Postcard

Kurishima Sumiko Autographed Postcard

嘗て栗島狭衣が有樂座に根城を構へ、惡戦苦闘の興行を續け、宴會の餘興にも顔を出せば、また今では銅座の名物になつていゐる子供日にまで出演して、不惜身命の働き振りを示せてゐた時代から、一座にすみ子といふ雛のやう可愛い女優がゐた。[…]親にも優る非凡な天才を認められてゐた。時代物でござれ西洋物でござれ、喜劇でも何んでも達者になつてのけるので、斯界の麒麟児とまで云はれたが、本人は其様な世間の評判などには頓着なく、樂屋でも自宅でも駄々を捏ねたり、女チャメの本領を發揮してゐた。

『女優総まくり』(紅鳥生著、光洋社、1917年)


時は『日本の戀人』と映画界にうたはれた人だけあつて、あの澄んだ眼差は、名前通りに美しい。大正十年松竹入社。『虞美人草』に出演以来、幾多のスクリーンに表れて、純日本の女らしい、懐かしさと慕はしさをフアンの胸にやきつけてゐる。

『世界のキネマスター』(報知新聞社、1925年)


今ではさうでも有りませんが、一時日本俳優の人気を一人で背負って居たのは栗島すみ子でした。

『映畫藝術』 (『キネマと芝居』臨時増刊号、1925年)


大正十年松竹キネマに入社してから、あの淋しい悲劇的の顔の表情が見物に受けて、メキメキと映画界の人氣者となつたが、しかし、映画女優としての彼女の天才は松竹に入つてから偶然に表れたのではなく、映画女優としての演技派疾の昔から経験があつたのである。即ち、銀座の吉澤商会の目黒撮影所と、新宿のエム・パテーの撮影所に於て活躍しお伽芝居の『桃太郎』を上州玉川畔で寫し、社会劇『海上王』を相州江の島で撮影し、その桃太郎と燈臺守の娘に扮したのが、抑々映画界に足を踏み込める第一歩となつたのである。

『裸にした映画女優』(泉沢悟朗著、日本映画研究会、1925年)


蒲田の女王としての彼の藝は日を経るに随つて益々圓熟して來る。素顔はさして美人といふ程でもないがカメラフエースが素敵に好い。彼は人も知る栗島狹衣の娘で明治三十五年三月東京澁谷に生れ、幼にして父の下で舞臺に立つこと七年、有樂座に出たこともある。踊りを能くし水木歌香の名取、大正十年二月松竹に入りスターとなる。映畫としては小谷ヘンリーの『虞美人』が處女出演で『なすな戀』『船頭小唄』『歎きの孔雀』『マアチヤン』『受難華』『緋紗子の話』『妖婦五人女』最近では『珠を抛つ』『天國の人』等の出演がある。相当永い間のスターではあるが人氣は益々高く昭和三年初頭の人氣投票では映畫女優として最高點を獲得してゐる。

『玉麗佳集』(中央書院、1928年2月)


本名栗島澄子、明治卅五年栗島狭衣の子として東京澁谷に生る。七歳にして初舞臺を踏み、續いて劇團にあつたが大正十五年松竹蒲田へ入社。主な近作は「麗人」「女は何處へ行く」「女心を亂すまじ」等々、趣味は唄、三味線、殊に舞踊に堪能。池田義信監督の夫人。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』(『冨士』昭和6年新年號附録、1931年)


餘りに有名である。明眸皓歯 – 暮れゆく初夏の空に煌めき出づる太白星の淨さを思はしむる。聰明さ彼女の如きは稀だ。城戸蒲田撮影所長をして、男に生れさせたかつたと歎じしめた、その才略 – 大正十年春『虞美人草』に出演以来『嘆きの孔雀』『眞珠夫人』『緋紗子の話』『今年竹』『相思樹』など、一作毎に盛名を持してゐるのは、栄枯盛衰の甚だしい女優の生涯にあつて全く珍しい。

舞踊に長じ、音樂を好み、しかも家庭的に刺繍の巧者、玄人を凌ぐと聞けば、フアンはいよいよ讃歎するだらう。- 藝は圓熟の一語に盡きる。トーキー俳優としても、舞臺俳優としても十分成功すべき素質に惠稀てゐる。(松竹蒲田)

『東西映畫 人氣花形寫眞大鑑』(『冨士』昭和8年新年號附録、1933年)


[JMDb]
栗島すみ子

[IMDb]
Sumiko Kurishima

[出身地]
日本(東京・渋谷)