スーパー8 『邦画名作抄 美人女優列伝 サイレント時代・草分けの美女たち』

8ミリ 劇映画より

« Legend of The Shochiku Beauties, Chapter 1 : Pioneers from The Silent Era »
1970s Super8 Anthology


1) 伊豆の踊子(1933年、五所平之助監督) 田中絹代、若水絹子ほか [JMDb]


2)松竹スタジオ紹介他


3)不壊の白珠(1929年、清水宏監督) 及川道子、八雲恵美子ほか [JMDb]


4)与太者と海水浴(1933年、野村浩将監督) 井上雪子、光川京子、高峰秀子ほか [JMDb]


5)夜ごとの夢(1933年、成瀬巳喜男監督) 栗島すみ子、飯田蝶子ほか [JMDb]


6)金色夜叉(1937年、清水宏監督) 川崎弘子 [JMDb]

2018年初頭に入手したスーパー8版アンソロジー。トーキー篇の紹介にあわせてこちらもスキャンしました(前回は映写した画面をそのまま撮影)。

田中絹代さん主演の『伊豆の踊子』で始まり、松竹スタジオの外観などを挟みながら井上雪子さん主演の『与太者と海水浴』へ。浅瀬に着衣のまま飛びこんでしまう大胆な展開に。

名作『不壊の白珠』を挟んで『夜ごとの夢』。栗島すみ子さんキャリア後期の作品で子供に頬をつけて泣いている時の表情が圧倒的。最後に『金色夜叉』での寛一お宮のやりとりが紹介されています。どの女優さんも雰囲気ありますね。

[発売時期]
1970年代

[発売元/製作/提供]
テレキャスジャパン/大沢商会/松竹

[フォーマット]
スーパー8 白黒200フィート 磁器録音(24コマ/秒)

c1930 – 9.5mm 『日本八景 泉都別府』(伴野商会)

c1930-sentobeppu-banno-9-5mm-m

「日本八景」は昭和二年(1927年)、鉄道省の後援の下に大阪毎日新聞社と東京日日新聞社が選定したものです。
・ 華厳滝
・ 上高地
・ 狩勝峠
・ 室戸岬
・ 木曽川
・ 別府温泉
・ 雲仙岳
・ 十和田湖

官界や学会などの有識者の協力のもと以上の八か所に決定。小型映画ブームと重なったこともあり、伴野商会からそれぞれの見どころをピックアップした9.5ミリ動画版も発売されていました。こちらは別府温泉を扱った20mフィルムです。

ちなみに1928年に公刊された書籍版は国立国会図書館の電子アーカイブで閲覧可能。幸田露伴、高浜虚子、北原白秋、泉鏡花など錚々たる作家が寄稿し企画を盛り上げていきました。高浜虚子による「別府温泉」から一部を抜粋してみます。

先ず龜川温泉を過ぎて血の池地獄を見た。十年に一度大活動をはじめるさうで、今年が丁度その十年目に當たり、大荒に荒れるさうである。今朝も大活動をやつたとのことである。ほとりの樹木など澤山に枯死してゐるのはその熱泥を吹き上げた處である。赤い泥の佛々と煮え立つてゐる光景は相變らず物すごい。[…]

芝石温泉といふ、湯瀧のある、谿谷に臨んだ温泉を過ぎて、紺屋地獄を見た。これは紺色をした泥池の底から、同じく怒るが如くつぶやくが如く熱氣を吐いてをるのである。驚くべきことには近所の靑田の中にも數ヶ所同じやうな處がある。一歩誤ればその中に落ち込んで命を落さねばならぬのである。現に誤つて死んだといふ人も澤山あるのださうである。鶏卵をその泥土からわく湯氣に置くと二三分で半熟になり殻が眞黒になる。その眞黒な鶏卵を一つ食べてみた。

高浜虚子「別府温泉」『日本八景』(鐵道省/大阪毎日新聞社、1928年)

9.5ミリ版は船と飛行機ふたつからの町の眺めを示したのち、地獄めぐりを進めていきます。温泉玉子作りの様子が映し出された後、名物砂風呂で幕を閉じています。

[タイトル]
日本八景 泉都別府

[原題]
日本八景 泉都別府

[メーカー]
伴野商会(大阪毎日新聞社主催)

[フォーマット]
9.5mm 30ft(無声、ノッチ有)

シモーヌ・ジュヌヴォワ Simone Genevois (1912- 1995)

「『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』[La Merveilleuse vie de Jeanne D’Arc, 1929]」より

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡(1930年頃)

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡・全体
c1930 Simone Genevois Lettre Dedicacée

ご質問への回答以下となっております。お気に入りの役はジャンヌ・ダルクです。撮影所の思い出は…多すぎてここでは語れない位なのですが一つ言えるのはどの撮影も心地良かったですし今の人生を満喫しています。

今後の計画としては沢山の映画に出てみたいです。しっかり作りこまれた役柄、モダンな役を演じたいのです。映画業界の未来は…素晴らしい未来が待っていると思います!

シモーヌ・ジュヌヴォワ

Monsieur, Voici les réponses que vous me demandez. Mon rôle préféré est celui de Jeanne D’Arc. Mes souvenirs de studio, mon Dieu, je ne peux pas vous en raconter j’en ai

tellement, mais je puis vous dire qu’ils sont presque tous agréables et que j’adore cette vie-là. Mes projets, faire beaucoup de films mais des rôles de composition, des rôles modernes. L’avenir du cinéma je crois qu’il est merveilleux!

Recevez Monsieur mes sincères salutations, Simone Genevois


1930年頃と思われるシモーヌ・ジュヌヴォワ直筆の書簡。アンリ・デュブリ氏に宛てた物でサイズは19.2×30.2センチ。雑誌アンケートに回答する内容となっています。

ジュヌヴォワは1910年代に子役としてデビュー。アンリ・プークタル監督の『労働』(1920年)などにも出演し、レジーヌ・デュミアンと並ぶ人気子役として活躍しました。

『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
[ゴーモン・パテ・アーカイヴ(Gaumont-Pathé Archive)より]
学業を理由に一旦は映画界を離れるのですが、その後程なくしてカムバック。アベル・ガンスの『ナポレオン』ではシチリア島に住むナポレオンの妹役として登場しています。

その後ガスティーヌ監督の『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』のオーディションに応募し、見事ヒロインに選ばれました。同作が彼女の代表作となりましたが、その後もガスティーヌ監督と縁が続き1930年代初めまで活躍、結婚と同時に女優業を離れています。

19270618-Le Journal
1927年6月18日付「ジュルナル」紙より。主演がジュヌヴォワに決まったニュース

上の新聞記事は1927年6月に主演オーディションの結果が発表された時の物です。最終選考に残った22人の中からジュヌヴォワが満場一致で選ばれた、との内容。ただし一説では元々主演の条件を満たしていなかった彼女を俳優フィリップ・エリアが監督に強く推して選ばれたとされています。また1927年7月31日のレコー・ダルジェ紙には当時まだ未成年だったジュヌヴォワの契約を巡り周囲の大人の間でトラブルのあった話が触れられています。この手のドロドロした話題は映画雑誌では触れられないのが常でしたが、見えない所で色々あるのは今も昔も変わらない訳です。

Simone Genevois c1930 Autographed Photo

こちらは1929年前後と思われるロレル撮影所の直筆サイン入り生写真。サイズは15.8×21.2センチ。

[IMDB]
nm0312810

[出身]

[誕生日]
2月13日

1934 -『處女作・出世作・代表作 映画花形大寫眞帖』 冨士新年號附録

『處女作・出世作・代表作 映画花形大寫眞帖』 表紙January 1934 Fuji Magazine Additional Issue
« Movie Stars : Film Debut and Breakthrough Performance »

1930年代前半に活躍した俳優の名鑑で1~2頁を使ってキャリア節目の作品を紹介していきます。要領を得た記事に「観たい!」が一度ならずありました。リアルタイムの評価も分かる内容で重宝しそうです。

[発行年]
昭和9年1月

[発行者]
大日本雄弁会講談社

[フォーマット]
128頁 26.2cm×18.9cm

[定価]
本誌と共に六十銭

[内容]

表紙:市川春代
口絵:入江たか子/飯塚敏子/伏見信子/夏川靜江

逢初夢子 『蝕める春』『昨日の女今日の女』『戀の勝敗』
青木富夫 『突貫小僧』『奢って頂戴』『二つ燈籠』
阿部正三郎磯野秋雄三井秀男『令嬢と輿太者』『戦争と輿太者』『輿太者と藝者』
嵐寛壽郎 『大忠臣蔵』『右門捕物帖』『磧の霧』『剣鬼三人旅』
淡路千夜子 『銭形平次捕物控』『涙の世渡り』『磧の霧』
飯田蝶子 『おかめ』『戀のままごと』『嵐の中の處女』
飯塚敏子 『淑女と髭』『白鷺往來』『二つ燈籠』『鯉名の銀平』
五十鈴圭子 『寛永豪傑總進軍』『戀慕吹雪』『半次月夜の唄』
市川右太衛門 『鳴門秘帖』『一殺多生剣』『天一坊と伊賀亮』『敵への道』
市川春代 『浅草悲歌』『受難華』『戯れに戀はすまじ』
入江たか子 『けちんぼ長者』『元祿十三年』『白蓮』『瀧の白糸』
歌川絹江 『一粒の麥』『團十郎の安』『敵への道』
江川宇禮雄 『七つの海』『暴風帯』『嬉しい頃』
及川道子 『不壊の白珠』『戀愛第一課』『頬を寄すれば』
大河内傳次郎 『續水戸黄門』『新版大岡政談』『月形半平太』
岡譲二 『上陸第一歩』『応援團長の戀』『いろはにほへど』『東京音頭』
岡田時彦 『紙人形春の囁き』『美人哀愁』『瀧の白糸』
岡田嘉子 『大地は微笑む』『日輪』『忠臣蔵』『泣き濡れた春の女よ』
尾上菊太郎 『踊子行状記』『流轉の雁』『左門戀日記』
大日向傳 『戀の長銃』『椿姫』『出來ごころ』
海江田譲二 『沓掛時次郎』『新藏兄弟』『關の佐太郎』
片岡千恵蔵 『萬華地獄』『源氏小僧』『逃げ行く小傳次』『元禄十三年』
桂珠子 『曙の歌』『ふらんす人形』『霧の夜の舗道』
川崎弘子 『女性の力』『壊けゆく珠』『不如帰』『嬉しい頃』
河津清三郎 『首の座』『益満休之助』『十二階下の少年達』
栗島すみ子 『虞美人草』『水藻の花』『嘆きの孔雀』『真珠夫人』『いろはにほへど』
小杉勇 『この太陽』『生ける人形』『警察官』
琴糸路 『青春散歩』『涙の渡り鳥』『新釋加賀見山』
小林十九二 『俄か馭者』『花嫁の寝言』『想ひ出の唄』
齊藤達雄 『珍客往来』『生れては見たけれど』『夜ごとの夢』
佐久間妙子 『嬢やの散歩街』『もだん聖書』『南地の女』
澤田清 『鬼鹿毛若衆』『龍造寺大助』
澤村國太郎 『影法師』『七人の花嫁』『平十郎小判』
杉山昌三九 『砂漠に陽が落ちて』『港の雨』『白浪れんじ格子』
鈴木澄子 『いろは假名四谷怪談』『旋風時代』『鏡山競艶録』
鈴木傳明 『塵境』『陸の王者』『熊の出る開墾地』『東京祭』
鈴村京子 『無憂華』『仇討二番ケ原』『仇討兄弟鑑』
高田浩吉 『街の勇士』『女性の切札』『鼻唄仁義』
高田稔 『快走戀を賭して』『大學は出たけれど』『アメリカ航路』『感激の人生』
高津慶子 『何が彼女をそうさせたか』『刺青奇偶』『彼女のイツト』
竹内良一 『兄さんの馬鹿』『天國に結ぶ戀』『琵琶歌』
伊達里子 『マダムと女房』『陽気な嬢さん』『三萬兩五十三次』
田中絹代 『戀と捕繩』『海國記』『絹代物語』『花嫁の寝言』
田村道美 『受難華』『彼女の道』『未來花』
千早晶子 『鬼あざみ』『十字路』『泣き濡れた春の女よ』
月田一郎 『街のルンペン』『榮冠涙あり』『結婚快走記』
坪内美子 『涙の渡り鳥』『島の娘』『女人哀樂』
中野英治 『大地は微笑む』『摩天樓』『間寛一』
中野かほる 『丸の内お洒落模様』『愉快な惡漢』『碁盤縞の女』
夏川靜江 『椿姫』『灰燼』『結婚二重奏』『東京祭』
南部章三 『愛の風景』『戀の踊子』『靑春よいずこ』
花井蘭子 『提灯』『新藏兄弟』『靑春よいずこ』
林長二郎 『稚児の剣法』『お嬢吉三』『不如帰』
原駒子 『鳴門秘帖』『嘆きの女間諜』『紅騎隊』
坂東好太郎 『生き残った新撰組』『兄貴』『蝙蝠の安さん』
阪東妻三郎 『鮮血の手形』『雄呂血』『神變麝香猫』『燃える富士』
伏見直江 『坂本龍馬』『一本刀土俵入』『女國定』
伏見信子 『春と娘』『十九の春』『東京音頭』
藤井貢 『白夜は明くる』『戀愛一刀流』『僕の丸髷』
水久保澄子 『蝕める春』『嵐の中の處女』『僕の丸髷』
水原玲子 『女給君代の巻』『モテルの女』『青島から来た女』
森静子 『異人娘と武士』『妻吉物語』『燃える富士』
八雲理惠子 『霧の中の灯』『多情佛心』『昨日の女今日の女』
山縣直代 『光・罪と共に』『ふらんす人形』
山田五十鈴 『孔雀姫』『白夜の饗宴』『月形半平太』
山路ふみ子 『満州娘』『己が罪・環』『港の雨』
羅門光三郎 『薩南大評定』『浪人の群』『紅騎隊』
若水絹子 『黒手組助六』『有憂華』『伊豆の踊子』

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昭和7年(1932年) 川島実市氏の絵葉書帳

1932 Postcard Collection
(formerly owned by Jitsuichi Kawashima,
a Saitama-based household goods dealer)

1932年(昭和7年)、埼玉県羽生市の川島実市氏が作成した絵葉書帳。表紙に「日活・松竹 寫眞」の文字が墨書きされ、裏表紙見返しに同氏が経営していた会社の印(« 萬荒物 »)が押されています。

屋号入会社印
屋号入会社印
(埼玉縣羽生町 川島…[一部不明])

絵葉書は30枚ほど。1920年代後半~30年代初頭に人気のあった男女優が集められています。梅村蓉子と松井千枝子が複数枚見られ、綺麗な和服姿が多いのも特徴だと思います。

1931 – 9.5mm 『ジョッフル元帥葬儀』 (Funérailles du Maréchal Joffre)

「9.5ミリ動画 05c ニュース&ドキュメンタリー」より

1931年初頭に亡くなった仏軍人ジョッフル元帥 [wiki] の国葬の模様を記録した動画。同氏は第一次大戦で指揮を執ったことで知られており、戦後も外交で活躍し1922年には家族と共に来日、「現代の偉将」としてメディアでも大きく取り上げられていました。

国葬は1931年1月7日に執り行われています。ノートルダム寺院を出発した葬列がコンコルド広場経由で移動していきます。

1931 - 9.5mm 『ジョッフル元帥葬儀』 (Funérailles de Maréchal Joffre) 02

今年のGWに国立映画アーカイヴで『明治天皇 御大葬餘影』『藤田男爵 葬式の實况』『小林富次郎葬儀』を見る機会に恵まれました。初期映画における「葬列/葬儀」の役割や意味合いを考えるようになっていて、この動画もそういった流れに含まれていくのだろうと思われます。

1931 - 9.5mm 『ジョッフル元帥葬儀』 (Funérailles du Maréchal Joffre) 03

[タイトル]
Funérailles du Maréchal Joffre

[公開]
1931年

[IMDB]

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
3058

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m *1リール

クリスチャン・シュレーダー Christian Schrøder (1869 – 1940) デンマーク

「国別サインリスト 北欧諸国 [Nordic Countries]」より

Christian Schrøder Autograph/autogramm/autographeChristian Schrøder in Pat und Patachon

先日北欧物のサインをまとめ買いした中から一枚。デンマーク出身の男優クリスチャン・シュレーダー氏によるもので、1937年3月29日の日付が付されていました。

1910年代初頭、北欧映画の創始期から活躍し、舞台と並行しながら多くの短編喜劇映画の主役を務めました。20年代になると大ヒットシリーズ「フュー・オ・ビー」常連となります。「二重あごで恰幅の良いおじさん」役を得意とし、しばしば名女優スティナ・ベウとペアを組みながら作品にユーモアと温かみを加えていきました。

[IMDb]
nm0775725

[出身]
デンマーク(ミゼルファート)

[誕生日]
7月13日

[データ]
[1937年3月29日、リーフカット・オートグラフ]

[サイズ]
16.8 × 10.8cm

1930年代中頃 – 9.5mm短編 『高等馬術』(伴野商店)

日本の伴野商会による9.5mmフィルムは現存数が極端に少なく、タイトルによっては十本も残っていないのではないかと思われます。こちらは陸軍の協力を得て作成されたと思われる馬術の紹介動画。

冒頭、障害物を飛び越えていく颯爽とした馬が登場。その後は「高揚歩調」「スペイン常歩」「短縮駈足運動」「三脚駈足」など難易度の高い歩法が披露されています。

以前に紹介した別フィルムにも「不燃性フヰルム」のクレジットが見られましたが、今回は同じ文字が左から右への表記に変わっています。

昭和14年(1939年)『リボンを結ぶ夫人』 撮影風景(入江たか子、丸山定男、山本薩夫氏)

プロの写真家さんが撮影した写真をまとめたアルバムで、北海道を舞台にした1939年の映画『リボンを結ぶ夫人』の撮影風景、スタッフのバックヤードショットが一部に含まれています。

映画の途中でヒロインは離縁され実家に戻ります。父親が温かく迎え入れ、家の白樺林を売却して娘のために使おうとするのですが、この場面の白樺林を撮影したのが右の写真。

横長の写真に監督の山本薩夫氏。もう一枚は撮影カメラが回っているところ。左に見えるのはドイツ人建築家マックス・ヒンデル氏が設計した鉄板葺の家屋(現存せず)で、戦前の札幌がモダン化している様子も伝わってきます。

和服姿の入江たか子さん。

父親役を演じた丸山定夫氏。戦中は移動演劇桜隊の中心メンバーとして活動、1945年8月に劇団の拠点がある広島で被爆、終戦の翌日に亡くなられています。

『リボンを結ぶ夫人』に関係する写真は以上の7点。他に別のロケで撮影された山田五十鈴さんの写真も含まれていました。

アルバムそのものを北海道から送ってもらったのですが、撮影者さん自身が道在住の方で、スチル写真の撮影で現場に呼ばれた感じではないかと思われます。漁村風景のような日常のスナップにも魅力があります。

尾上 紋弥

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

嵐寛の右門捕物帖で、アラカンたちに嫌がらせを加える悪徳役人(あばたの敬四郎)役を演じていた役者さん。

芸歴は長く1923年からの出演歴があり、東亜を離れた後も嵐寛寿郎プロで堅実なキャリアを積み重ねていきました。怪老人の役を多くこなすなど異形感もありますが、こちらの達磨の墨絵は左上に「不倒」の文字。禅の教養を備えていた趣味人だったようです。

[JMDB]
p0331000

[IMDB]
nm2359749

[誕生日]
6月24日

嵐橘右ヱ門(橘右衛門)

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

名字を外して「橘右ヱ門」とだけ書いたのではと推定されるサインです。

1920年頃から帝キネ製作の時代劇に出演を始め、町人・武家どちらもこなせる年配の俳優として重宝されていきます。1928年、嵐寛寿郎が『鞍馬天狗』シリーズを開始した際は天狗を助ける「黒姫の吉兵衛」役を務め、以後も『右門捕物帖』などの嵐寛作品を中心に脇役として活躍していきました。

[JMDB]
p0369890

[IMDB]
nm1772474

原駒子(1910 – 1968)の鏡文字サイン

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

東亜キネマの初期から同社でトップクラスの人気を誇ったのが原駒子さんでした。この時期の俳優としては唯一人の鏡文字サインの持ち主です。

艶のある表情、動きに露出度の高さ。松竹や日活の女優にないある種の下品さを漂わせ、B級の毒っ気が人気につながっていました。

東亞の方を見ると、何と云ってもそのミチの大家は原駒子で、彼女の荒行は映画界の名物の一ツ。その愛欲行脚は各雑誌各紙に競争の様に発表されたから今更此処に描かなくともご承知であろう。

『デカメロン』

当時から噂話や憶測に尾ひれをつけた下種なゴシップが広まっていた様子も分かります。それだけの妄想を掻きたてる魅力を持った女優さんでもあったのでしょう。

[JMDB]
p0096660

[IMDB]
nm0361677

[誕生日]
2月26日

木下 双葉 (1910 – 1938)

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

本名光田貞子。明治四十三年東京市本所區に生る。舞臺より映畫に轉じ、昭和四年東亜キネマに入社す。主なる近作は「競艶刺靑草紙」「悲戀比翼塚」等。身長五尺二寸、體重十二貫八百目。趣味は讀書と映畫。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』(1931年)

サイン帖の最終ページに残されたもので、1931年元旦の日付が残されています。

東亜キネマの後期、同社の大型時代劇『美男葛』でデビューを果たした女優さんです。2作目は『右門捕物帖』と着実にキャリアアップ。凛とした和装が良く似合っており、東亜ですぐに原駒子に次ぐ人気女優となりました。

若手人気男優の阿部九洲男と結婚、大都映画に夫婦で合流し多くの作品で共演を果たしていきますが、1938年に撮影中に倒れそのまま若くして亡くなっています。

戦後まで生きていれば別なキャリアも開け映画史に名を残したのではないかと思われる女優さんです。

[JMDB]
p0358640

[IMDB]
nm2488797

[誕生日]
8月9日

久世 小夜子(1904 – ?)

「昭和4~5年 (1929-30年) 東亞キネマ サイン帖」より

『楽園に泣く女』でカフェのマダム、『カポネ再現』でルンペン女、『跳躍天国』で下宿のおばさんを演じるなど、一癖ある役を得意とするユニークな女優だった。

劇団座長である松尾二郎の子として生まれ、子役経験を積んだのち、19才で映画界に転身。帝キネの『一躍大家』でヒロイン役を務めるなど順調にキャリアを積んでいきます、その後松竹~東亜~東活へと映画会社を転々としていきます。

東亜キネマには1930年半ばから参加しており、このサインは同社に合流して間もない時期のものと推察されます。

[JMDB]
p0079060

[IMDB]
nm1550189

[誕生日]
3月26日

ミュジドラ Musidora (1889 – 1957)

「国別サインリスト フランス [France]」より

Musidora

1930年代中頃と思われるメッセージ&サイン入りの家族写真。

メッセージはエティエンヌ・ミシェル氏に宛てたもので、「一家の « 強き » 母である、ミュジドラ (Une « brave » mère de famille…. Musidora)」の文言になっています。先行するやり取りに同様の表現が使われていたと推察されます。

隣に写っているのは愛息のクレマンJr君、愛称「ザズー」。映画界を離れ、執筆に精を出す中で息子さんは精神的な拠り所となっていて、写真からもその溺愛ぶりは伝わってきます。1938年に出版された女性誌にも近況を伝える記事で同じ写真が掲載されています。

Musidora 01

Musidora with « Zazou » Inscribed & Autographed Photo

パイヤール・ボレックス社 DA-37型 9.5mm/16mm両用 サイレント映写機(1937年)

「映写機」より

別に紹介している1933年のDA型のアップデート版として1937年に発売されたのがこちらの通称DA-37です。

外観が一部変更され、筒型のランプハウスの横に半円状のせり出しが見られます。内部に羽が格納されていて、映写中に回転しながら光源のオン/オフを繰り返すのですが羽の大型化に伴ってこのようなデザインとなっています。その他スイッチなどに細かな仕様変更有り。

レンズは1:1.9のF=45mm、フレームのデザインが簡素化されています。最も大きな変更点は、ランプが以前の250Wから400Wに変更されたことです。

スペック、デザイン的な変更があるためDA IIとして売り出しても良さそうなものですが、実際には当時DAとして発売されており、シリアルも以前からの連番を踏襲しています。現在メーカーの公式ページではDA-37の名前で紹介されています。

シリアルナンバー: 12398
対応フィルム: 9.6/16mm
製造国:スイス
製造時期: 1937年~
レンズ: Hermagis Magister F=40mm 1:1.9 (シリアル無)
対応電圧: 110-125v
ランプ: 400w

『最新映画大鑑』 (1934年/昭和9年、 冨士9月号付録)

企画の充実した一冊で、前半60ページ程は「同役腕くらべ」「名コンビ集」「私の写真日記」「名兄弟(姉妹)」などモノクロでのグラビアが続きます。

後半は記事メインとなり「噂のスター今何處?」「スターの財産しらべ」「剣戟百話」「映画俳優芸名由来記」「映画界元祖物語」「俳優募集漫談」「日本映画界夫婦物語」などこちらも読みごたえのある内容が満載。

統計や用語辞典、住所録など挟みこまれていて調べ物でも活躍中。当時物の広告(化粧品、蓄音機、カメラ)も中々の趣があります。

[出版者] 大日本雄辯會講談社
[出版年] 1934(昭和9)年
[定価] 本誌とあわせ60銭
[ページ数] 122

飯塚 敏子 (1914 – 1991)

雑誌のコンテストで注目を浴び小津安二郎の『淑女と髭』(1931年)で銀幕デビュー。

当初は現代物の喜劇路線で売り出していましたが、雰囲気の良さを評価され時代劇に転身、林長二郎や高田浩吉、坂東好太郎らのトップスターと共演していきました。1935年に坂東好太郎と結婚、この後女優としての活動はセーブしていきます。

こんな恰好のコンビも珍しい。『街の颱風』もそれで、この美男美女一對の美しさには、互いの氣持がひとつに通ひ合つて、銀幕上の創られたもの以上の力を見せている。敏子がヘチマコロンを手離さぬ如く、コンビとして好太郎は常に彼女を手離してはならぬ。

1934年『最新映画大鑑』

ヘチマコロンは天野源七商店の化粧品で、当時彼女が宣伝に出ていたためこんな文章も残っています。

Toshiko Iizuka (1914 – 1991)

[JMDB]
p0328030

[IMDB]
nm0407376

[誕生日]
6月8日

[出身]
日本

[サイズ]
13.5 × 8.5 cm

[コンディション]
B

[入手年月日]
2017年10月

昭和6年、『第七天国』の早川 雪洲 (1889 – 1973) と 尾上菊枝 (1913 – 1947)

「日本 [Japan]」より

Sessue Hayakawa & Onoe Kikue Autographed Postcard
Sessue Hayakawa & Onoe Kikue 1931 Autographed Postcard from « Seventh Heaven »

スクリィンの名優、早川雪洲は、「せりふ」の点にかけては、さすがに難色が見える。工夫に余つて、当てずつぽうな調子さへ処々出て来る。勿論自分でも気がついてゐるに違ひない。あの堂々たる美声をもつてすれば、普通に話をするだけで、普通以上魅力ある「せりふ」となるだらう。

岸田國士 「抽斗にない言葉」 (初出『都新聞』1931年1月17日)

トーキーの時代となり日本へと戻った早川氏は舞台劇に挑戦。昭和5年(1930年)に『天晴れウオング』に出演、翌6年(1931年)に『第七天国』で尾上菊枝嬢と共演。こちらの絵葉書はその『第七天国』と思われる一枚で、両主演の連名サインを見ることができます。

本名近藤冨志、大正四年神田佐久間町に生る。精華女學校現在學中、大正十四年十二月市村座にて『戻り籠』の禿(かむろ)が初舞臺。菊五郎門下。踊は若柳吉三郎踊について教はる。趣味は水泳と料理。鏡獅子の彌生、紅葉狩の鬼女などは當り役。現在菊葉會の首腦。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』(1931年)

尾上菊枝さんは近代歌舞伎で初めて名題となった女性で1931年に狂言師の九代目三宅藤九郎氏と結婚。お孫さんにやはり狂言師の和泉元弥さんがおられます。