アルマ・ルーベンス Alma Rubens (1897 -1931)

合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]より

Alma Rubens Autographed Postcard

Alma Rubens03

Alma Rubens 1926 Autographed Postcard

孃は今を去る二十有餘年以前米國加州桑港に生れた。さうして同地で女子教育を受けた孃は暫く家庭生活をなして居たのであつた。その當時加州は映畫の都として花の樣な女優は四方八方から寄り集ふのであつた。上は日ごろから愛活の心が殊に深かつたが、やがてその映畫上の華やかさに憧憬して、一九一五年の頃斯界にと志し、少しの舞臺上の經驗もなくトライアングル會社へと入つたのであつたが、忽ちその素質を認められ、それから後は只管映畫界の女優として專心努力勉強し、翌年は既に一方の主役となつたのである。さうして始めてドーグラス・フエアバンクス氏と『快漢ブレーズ』『火の森』等に共演し、尚『家の主人』『タウ・ラツクの螢』『心の花』『ジユヂス』『幽靈の花』『答』『戀の破壊者』その他數多のトライアングル特作映畫に主役を演じ、一九一八年まで同社主腦女優として在社し、ト社の解散と共にロバートソン・ゴール社に轉じ、更にホドキンソン映畫社に主演して居たが、昨年秋自社を樹て映畫撮影に從ひ、其映畫はホドキンソン社等の手に發賣されて居る。

「活動新人紹介 アルマ・ルーベン孃」
『活動画報』1919年4月号


ここで一言触れておいた方が良いと思うのですが、薬物を使用していた5年間を通じて入手に苦労したことは一度もありませんでした。買うだけの金が手元にあれば、の話ですが。

ひとたび「お薬仲間」として名が知られてしまうとそうなってしまうんです。どんな街、どんな村に行こうとどの地方にいようと、その話が独り歩きして自分より先に、あるいはほとんど同時に行く先々に知れ渡っている。

薬物癖で仕事に差支えが出たことは今までありませんでした。体が薬を欲し、リー[夫リカルド・コルテス]は構ってくれず、身も心も悲鳴を上げていましたがそれでも『ショーボート』の撮影を無事終わらせることができました。私にとっては最後の映画出演となった一作です。

『マイ・ライフ・ストーリー』アルマ・ルーベンス
ロチェスター・イヴニング・ジャーナル紙 1931年3月4日付

It might be fitting here to mention the fact at no time, throughout the five years I have been using dope, have I ever had any real difficulty in obtaining it – that is, as long as I had the money to pay for it.

Once a person gets the reputation of being « a dope friend », it is that way. No matter what city or village you may go, in whatever section of the land. your reputation either travels ahead of you, or else arrives almost simultaneously.

Up until this time the habit had never interferred with my work. Despite my suffering, physically, because of the craving for dope, and mentally, because of Rie’s apparent indifference, I managed to successfully complete « Show Boat », the last picture in which I starred.

My Life Story, Chapter XXVI / Alma Rubens
Rochester Evening Journal, Mar 4, 1931


1929年1月(医者に切りつけた事件)から1931年までの新聞記事

彼女の名を初めて知ったきっかけは高校生の時に読んだ『ハリウッド・バビロン』でした。薬物禍で自滅していった俳優たちが紹介されている章段で、決して大きく扱われていた訳ではなかったものの妙に印象に残ったのを覚えています。

アルマ・ルーベンスはグリフィス作品の端役で経験を積み、フェアバンクス初期短編で花形女優のチャンスを掴んでいきました。フェアバンクス初期作では数少ない「黒目黒髪」のヒロインでもあります。

1920年代、コスモポリタン映画社でキャリアを積みあげていった時期の写真を見ると多くが視線をカメラに向けておらず、伏し目がちだったり視線がやや泳いでいたりします。夢見がちでダウナーな雰囲気はこの時期のハリウッドには珍しいもの。他の女優との差別化を図るキャラ設定・演出も含まれているのでしょうが、演技や自伝から伝わってくる孤独感は性格の深い部分と間違いなくリンクしているものです。

戦前のハリウッドにはこういった俳優を生かした映画を作る能力はなかったと思いますし、その意味で真の代表作を残すことなく表舞台から姿を消していきました。1950年頃のフィルム・ノワールで見てみたかった、というのが偽らざる本心です。

[IMDb]
Alma Rubens

[Movie Walker]
アルマ・ルーベンス

[出身地]
合衆国(サンフランシスコ)

1919 – 9.5mm 『百萬長者の娘ッ子』(ジョージ・アーチェインバウド監督、米)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

1919 - A Damsel in Distress 00

マルジヨリイは氣まぐれな不思議な而して可愛いゝはすつぱな小娘でありました。それでこの娘の理想する男は今様の火の神様で鍛冶屋場の烈しい爐の上にある晩彼女に現はれたのであります。所が或る日、兄の監視を逃れるため、彼女は自動車の中へ輕率にも飛び込みました。と、其處には彼女を喜んだ顔つきで眺めてゐる一人の若い男が居りました。。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

1910年代の雑誌で時々姿を見かける女優さんにジューン・キャプリスがいます。彼女が仏パテ社と契約を結んで主演した作品が『百萬長者の娘ッ子(ダムゼル・イン・ディストレス)』でした。

お金持ちのお嬢様が偶然出会った美青年と繰り広げる軽めの恋愛劇は(当時パテ社のスタジオがあった)ニューヨークでのロケ撮影。乗用車、タクシー、街並み、ファッションや髪型など時代の雰囲気を満喫できる作品となっています。

[タイトル]
Mam’zelle Milliard

[原題]
A Damsel in Distress

[製作年]
1919年

[IMDB]
tt0010042

[メーカー]
仏パテ社

[仏パテ社カタログ番号]
739

[字幕]
仏語

[フォーマット]
9.5mm 10メートル×6本 仏語字幕 12476フレーム(約15分)

1917 – 9.5mm ベッシー・ラヴ主演 『ソウダスト・リング』(The Sawdust Ring)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

ワードプレスの某映画サイトに英映画史家・フィルム蒐集家のケヴィン・ブラウンロー氏(Kevin Brownlow)のインタビューが掲載されていて、興味深い逸話が紹介されていました。

1954年、舞台巡業でベッシー・ラヴが英国を訪れた際、ケヴィン氏は女優宛に手紙を書いたそうです。同氏が初期作品の9.5mmフィルムを所有していると伝えると「観たい」とのこと。家にベッシー・ラヴが来るという話になって大騒ぎに。若い頃の作品を久しぶりにみたベッシーは大喜びだったとか。

件の映画は1916年公開ということで『シスター・オブ・シックス(Sister of Six)』ではないかと思われますが、彼女が主演した作品でもう一つサーカス物の『ソウダスト・リング』が9.5ミリ化されています。

現時点では両作とも16ミリ、35ミリプリントが見つかっておらず9.5ミリ形式でのみ現存。ハルポディオン社が9.5ミリ版を元にデジタル化を行っていて2ドルでストリーミング視聴可能です。

[タイトル]
The Sawdust Ring

[製作年]
1917年

[IMDB]
tt0008539

[メーカー]
米パテックス社

[カタログ番号]
D-2

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m*3リール(第3最終リールのみ)

1918 – パール・ホワイト主演 『家の呪い(The House of Hate)』 DVD

「パール・ホワイト連続活劇 [Pearl White Serials]」より

連続活劇専門のDVD発売を手掛けている米シリアル・スカドロン社から2015年に発売されたDVD-r。資産家の遺産を受け取ることになった主人公パールが謎の覆面男に命を狙われる王道の物語です。本来は7時間に及ぶ作品ですが、現存するフィルムは半分の3時間半程となっています。

コレクター所有の16ミリをデジタル化したと思われ画質はあまり良くありません。『ポーリンの危難(1914)』や『拳骨(1915)』が一話一話の盛り上がりを重視していて全体では無理や破綻が見られるのに対し、『家の呪い』は流れを丁寧に作ってあって後半に向けてジワジワと盛り上がっていきます。

Helene Chadwick in The House of Hate

脇を固める役者としては美丈夫のアントニオ・モレノが安定した演技を見せ、後半に登場するヘレン・チャドウィックの個性も光っています。パール・ホワイト自身も自身のそっくりさんとして登場する死刑囚を巧みに演じていて、アクションにとどまらない展開で物語を豊かにしていました。

1916 – 9.5mm ダグラス・フェアバンクス主演 『ドーグラスの飛行』 スペイン語字幕版

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

アメリカでは丁度何處の國でも同じ事ではあるが金は最大の力で金あらば何事も爲し得るのであるキャセアスグレゴールは彼れが一生をウヤムヤと只黄金のあとを追ふてのみ葬むる事を欲しなかつた。彼れは有意義に生きたかった瞑想 實現 且又戀に然るに機會は来た強き誘惑の力と眞実の心とを以て 陥し入れんとする密謀 移りかわり此の編中にダグラスフエーヤバンクスは独得の妙技を振つて大活躍をするのである見落すべからざる大傑作。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

昆虫学者の主人公(フェアバンクス)がひょんなことからビジネス界大物と縁を持つようになり、業界にはびこる犯罪一味を一掃し、麗しい令嬢(ジュエル・カーメン)と結ばれるまでを描いた短編作。

日本では『ドーグラスの飛行』として知られているフェアバンクス初期の主演作品。

タイトルクレジット、題、字幕などスペイン語仕様。振られているカタログ番号は英パテスコープ社の連番と同一。同社がライセンスを取ったプリントをスペイン語字幕に置き換えたようなのですが、フィルムの製造は仏パテ社が行っています。

[タイトル]
Aristocracia Americana

[原題]
American Aristocracy

[公開]
1916年

[IMDB]
tt0006357

[メーカー]
仏パテ社?

[カタログ番号]
10.049

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m *3リール

1919 – 9.5mm メイ・マレー主演『戀のいろは』(レオンス・ペレ監督)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

うつうつと居睡りする馬の上に跨つて若い娘が或る意地惡い惡魔が一つの運命を彼女に投げつけたがやうまた眠りながら狭い橋の上で自動車と衝突しかけました。而してその馬の俄かの停止から彼女は眠りの神様の御手より自動車上の人の手の中へ滑り落ちたのであります。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

ブライアント氏は車を運転中、馬に乗って彷徨っている家出少女を発見。疲れ果てた彼女を連れて帰り、話を聞いているうちに恋に落ちて結婚。しかし舞踏会で恋敵となる過去の女が現れて…

メイ・マレー(Mae Murrey)主演のロマンチックなコメディー。当時話題となった小説を原作とし、同時期にアスタ・ニールセン主演のドイツ版も制作されました。メアリー・ピックフォードとも並べて語られる1910年代の人気女優ですが演技に大袈裟さがあって好みが分かれます。本作では監督の手腕で手堅くまとめた感じ。

オランダのEYEが1時間強の完全版を公開しています。

[タイトル]
L’ABC de l’amour

[原題]
The ABC of Love

[公開年]
1919年

[IMDB]
tt0009858

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
745

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 10m *6リール

ジョン・マーケル John « Wilmuth » Merkyl (1885 – 1954)

「国別サインリスト 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Walmuth Merky Autographed Postcard
Walmuth Merky Autographed Postcard

映画業界が大手に独占されていなかった1910年代初頭、カレム社(Kalem)という小さな映画会社が健闘を見せていました。同社を含む様々な会社の作品に主演として登場したのがウィルマス・マーケルでした。次第に脇役が増えていくもののトーキーを乗り越え戦中まで俳優活動を続けていきます。

1918年頃に改名しジョン・マーケル名義の出演となりますので、それ以前と思われる初期のサイン絵葉書です。

[IMDB]
nm0580961

[出身]

[誕生日]
6月2日

[コンディション]
B+

リリアン・ウォーカー Lillian Walker (1887 – 1975)

「国別サインリスト 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Lillian Walker Autographed Postcard
Lillian Walker Autographed Postcard

1918年に米雑誌で開催された人気投票で110位を獲得した女優さん。明朗で健康的なイメージを武器とし、身近な女の子(ガール・ネクスト・ドア)の役柄を得意としていたようです。

サイン物は時々市場に出てきますが筆跡に揺れがあります。大文字「L」や「W」のヴァリエーションは許容範囲と思われますが小文字「n」に紛れがあり、時期の違いなのか代筆者がいるのか判明しておりません。

1912年のヴァイタグラフ社作品『義理の娘はややこしい(The Troublesome Step-Daughters)』ではノーマ・タルマッジやエディス・ストリーと共に、姉妹で組んで義母をいじめるおしゃまな女の子を演じていました。

[IMDB]
nm0907973

[出身]

[誕生日]
4月21日

[コンディション]
B+

大正6年(1917年) ルース・ローランド主演 『ネグレクティッド・ワイフ』 宣材 印刷メッセージ付きダイレクトメール

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パテ社が自社作品の『ネグレクティッド・ワイフ』宣伝のため直々に製作した絵葉書で、1917年6月12日に投函された消印があります。受取人はロンドン、ブロックリー在住のエイミー・リチャードソンさん。

「新作の『ネグレクティッド・ワイフ』をご覧にはなられましたか。必ずやお気に召すものと信じております。これまでに自分の主演した連続物で一番の出来映えと自負しております」

などなど、メッセージ面には主演ルース・ローランドの「手書き風」メッセージが印刷されており、その下に青のインクで「1917年5月13日公開」のスタンプあり。

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当時の映画会社の宣伝活動については十分な研究は残されていないようです。届けられたファンレターなどから住所氏名をリストアップしていき、この種のDMを送ることで効率の良い宣伝をしていたのではないか、と思われます。

葉書の縁に一か所大きな欠けがあって、ピンで留めていた跡から破れたものではないか、と。見えるところに留めていた位ですので、費用や労力をかけるだけの宣伝効果はあったようです。

1915 – 9.5mm 『思ひ出(アルト・ハイデルベルク)』 (ジョン・エマーソン監督、米)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

古い大学町に遊学でやってきた皇太子と旅館の看板娘の恋と別れを描いたメロドラマ。19世紀末に戯曲として出版され人気を博しました。

サイレント映画としては1927年のハリウッド版が有名ですが、その12年前に最初に映画化されたものがこちら。人気絶頂だった美形俳優のウォーレス・リードとギッシュ姉妹の妹ドロシーが主演を務めています。

後年ドロシー・ギッシュは喜劇作品に多く主演するようになり、姉(リリアン・ギッシュ)のように悲劇に出たいとこぼしていました。ただ本作でも表情や動作がやはりコメディ風なんですよね。また、薬物中毒で早世したウォーレス・リードの貴重な主演作でもあります。

[タイトル]
Alt Heidelberg

[原題]
Old Heidelberg

[製作年]
1915年

[IMDB]
tt0005823

[メーカー]
独パテックス社

[フォーマット]
9.5mm

ナンシー・キャロル Nancy Carroll (1903 – 1965) 米

「国別サインリスト 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Nancy Carroll Autographed Postcard

1920から30年代のハリウッド作品には女性の自己主張が強くなった社会を反映したものが多く見られます。痴話喧嘩の末、クラーク・ゲーブルをグーで殴り飛ばすバーバラ・スタンウィック(『ナイト・ナース』1931年)などがその典型で、20年前は想像できなかった女性がスクリーンに登場してくるのです。

一方ではそういった強さへの疲れと反動の動きもあって、小柄で愛嬌ある妹タイプの女優さんが目立つようになったのも同時期でした。『第七天国』(1927年)でのジャネット・ゲイナーがその筆頭で、今回のナンシー・キャロルもその流れに位置づけられるのではないかと思われます。

サイレントがトーキーへと移り変わる端境期に現れ、スポーティーで快活なキャラが人気となり、30年代終わりまでトップ女優と思われます。

今回入手したのは1928年作品(『アビーの白薔薇』)の雑誌切り抜きを台紙に貼付けた一枚。名前が知れ渡り始めた頃の初期のサインがほどこされています。

[IMDB]
nm0007216

[誕生日]
11月19日

[出身]
米国

[コンディション]
B

アイリーン・プリングル Aileen Pringle (1895- 1989) 米

「国別サインリスト 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

1920年代の米ハリウッドで活躍された女優さん。ファッションリーダーの役目も担い、モード誌にも数多く登場、髪型や衣装で話題を呼んでいきます。

1925年にトッド・ブラウニングの『The Mystic』に出演して悪女役を演じていたのが印象に残っています。

[IMDB]
nm0697800

[誕生日]
7月23日

[出身]
合衆国

[コンディション]
B-

ポーリーン・カーリー Pauline Curley (1903 – 2000) 米

Pauline Curley 1920 Autographed Photo
Pauline Curley 1920 Autographed Photo

ポーリーン・カーリー嬢はマサチューセッツ州ホルヨークで生を受けた。舞台女優としてのキャリアは劇団に入った5才で始まっている。寄席演芸で一幕劇の寸劇『ダディ・バイ・エクスプレス』を披露しながら全米を回り、1914~15年にかけては「ポリガミー」で評判を呼んだ。映画女優のキャリアはハーバート・ブレノンが製作した『ロマノフ朝の最期』(1917年)が皮切りとなった。その後『ドグラスの跳ね廻り』でダグラス・フェアバンクスと共演。その他の出演作としては『故郷への道』『男の血』『孤独な罪』『愛の林檎』などがある。最新出演となった連続活劇『見えざる手』ではトニー・モレノ氏との共演となった。身長は五尺三寸、體重は十四貫、金色の髪にヘイゼルブラウンの瞳を有する。

ボストン・ポスト紙1921年4月2日付の紹介記事より

Pauline Curley was born in Holyoke, and her stage career began at the age of five, when she entered stock. She made a coast-to-coast tour in vaudeville in an one-act playlet, « A Daddy by Express. » She scored a hit in « Polygamy » during 1914 and 1915. Her screen carrer started with Herbert Brenon’s production, « The Fall of the Romanoffs. » Later she played with Douglas Fairbanks in « Bound in Morocco. » She has also appeared in « The Turn in the Road, » « The Man Beneath, » « The Solitary Sin » and the « Love Apple. » Miss Curley plays opposite Tony Moreno in the latest and last serial « The Invisible Hand. » She is five feet four inches tall, weighs 115 pounds and has blond hair and hazel eyes.

« Pauline Curley » Boston Post, April 2, 1921.

芸人一家の子として生まれ早くから舞台を踏み1913年から映画業界にも進出。滑り出しは上々で、フェイマス・プレイヤー・ラスキー社を拠点とし、ダグラス・フェアバンクスや早川雪洲作品でヒロイン~準ヒロインを務めていきます。また1919年、キング・ヴィダー監督が『故郷への道』で長編デビューを飾った際、知人の勧めでポーリーン・カーリーをヒロイン役に招いています。

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『男の道』(1919年、上)と『国境の掟』(1923年、下)

やや特殊な家庭環境で育ち、母親の監視、拘束が強い中で1922年にカメラマンと結婚。この前後を境に大手会社の庇護を離れ、レオ・マロニーやキット・カーソン主役のB級西部劇への出演にシフトしていきました。夫のキャリアが安定したこともあり、1930年には映画界を離れ家庭に専念しています。

Pauline Curley on Who's Who on the Screen (1920)
『銀幕名鑑』での紹介ページ

興味深いことに、彼女の出演した1920年代の低予算ウェスタンは型通りの演技をしていた10年代以上に生き生きとしたものでした。大手西部劇では当たり前だった「かよわい女性」を離れた役柄に挑戦した女優として再評価されて良いと思われます。

[IMDB]
nm0192763

[誕生日]
12月19日

[出身地]
米(マサチューセッツ州ホルヨーク)

マーゲリット・クラーク Marguerite Clark (1883 – 1940) 米

Marguerite Clark Autographed Photo (1921)
クラークは19世紀最後の年(1900年)に舞台デビュー、映画女優の契約を結んだ時にはすでに15年のキャリアを積んだベテランでした。1916年に映画『白雪姫』に主演。年齢的には三十台半ばでしたがそうは思えないほど見事に少女役を演じきっています。

1918年モーション・ピクチャー誌による人気投票ではメアリー・ピックフォードに次いで堂々の2位を獲得、1920年に引退しています。こちらのサイン入り写真は仏コレクターのジュール・デロルム氏の旧蔵品で、裏面に「1921年7月4日受領」のメモ書きが残されていました。

[IMDB]
nm0164244

[誕生日]
2月22日

[出身]
合衆国

モリー・マローン Molly Malone (1888 – 1952) 米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Molly Malone c1920 Autographed Photo
Molly Malone c1920 Autographed Photo

コロラド州のデンバーで一千八百九十七年二月二日に生れ、加州と南アフリカで初等教育を受ける。一千九百十六年ラスキー社に合流し、後ユニヴァーサル社とロバートソン・コール社にてハリー・カレイ氏と共演す。現在はゴールドウィン社に所属、「素晴らしい人生」で見事な演技を見せた。戸外活動の実力は折紙付きで水泳を得意とする。部屋の飾りつけを研究しては実演し、ハリウッドの自宅は手作り品で煌びやかに飾られている。身長は五尺二寸、體重は十二貫で褐色の髪と瞳を有する。

『銀幕名鑑』(ロス出版社、1920年)

Molly Maolne was born in Denver, Colorado, Feb. 2, 1897 and received her early education in California and South Africa. She joined Lasky in 1916 and later played with Harry Carey in Universal Pictures and in Robertson-Cole Comedy Productions. She is now with Goldwyn where she did splendid work in « It’s a Great Life. » She is a confirmed out-door girl, and excels in swimming. Her hobby is the study and execution of interior decorating and her pretty Hollywood home is resplendent with her own handwork. She is five feet one and a half inches high, weighs a hundred pounds and has brown hair and brown eyes.

Who’s Who on the Screen (Ross Publishing Co., Inc. New York, 1920)

[IMDB]
nm0540485

[Movie Walker]
モリー・マローン

[出身]
合衆国(コロラド州デンバー)

[誕生日]
12月7日

[サイズ]
20.0 × 15.0 cm

ダグラス・フェアバンクス Douglas Fairbanks Sr. (1883- 1939) 米

Douglas Fairbanks Autographed Photo

1910年代末~20年代の合衆国で最も人気のあった俳優がダグラス・フェアバンクスでした。

陽気で不屈のスポーツマンの明快なキャラ設定は老若男女に関わらず受け入れられ、並み居る美形俳優たちを押しのけてフェアバンクスをハリウッドのトップスターへと押し上げていきました。

今回入手したのは四隅がカットされ、ピンホールがあるなどコンディションに難の多いサイン入り写真です。時期が明記されていませんがキャリア初期、1910年代の一枚と思われます。

[IMDB]
nm0001196

[誕生日]
5月23日

[出身]
US

[サイズ]
16.4 × 20.7 cm

[コンディション]
C-

1924 – 9.5mm リン・ティン・ティン主演 『義勇の猛犬』

1929年に米アカデミー賞が初めて開催された時、審査員投票で最初に男優賞に選ばれたのはリン・ティン・ティンという名のシェパード犬でした。

栄えあるイベントの初代男優賞が果たして犬でいいのか…審査結果は一旦キャンセルされ、再度の投票で『嘆きの天使』主演のエミール・ヤニングスに付与されることが決まりました。

『義勇の猛犬 (Find Your Man)』はそんなリン・ティン・ティンの初期作。カナダを舞台とし、婚約者と会うために山村にやってきた青年が材木の密売事件に巻きこまれていく物語です。

閉じこめられていたリン・ティン・ティンが助走をつけて檻に突進、しがみついて乗り越えてしまう場面、蒸気機関車との並走場面など見どころ満載。当時の子供たち、そして大人たちまで魅了されたのがよく分かります。

[タイトル]
Rintintin, redoutable témoin

[原題]
Find Your Man

[製作年]
1924

[Movie Walker]
mv2543

[IMDB]
tt0014901

[メーカー]
仏パテ社

[カタログナンバー]
918

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m *6リール

1919 – 9.5mm 早川雪洲主演 『蛟竜を描く人』

早川雪洲青木ツルを主演に配したハリウッド作品。ここでは雪洲氏は天才画家に扮しており、その噂を聞きつけた東京の絵師の婿となるのですが、奥さんとの幸福な生活に画家としての責務を忘れてしまいます。それに対して妻の取った行動は…

縮約版で作品そのものの判断は難しいのですがドラマの起伏に乏しく仕上がりは並程度。それでも偏見が厳しかった当時のハリウッドで道を切り開いた二人にどれほど賞讃を送っても足りないと思っています。

[タイトル]
Le Peintre de Dragon

[原題]
The Dragon Painter

[製作年]
1919

[IMDB]
tt0150388

[メーカー]
仏パテ社

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有)

コリーン・ムーア Colleen Moore (1899 – 1988)

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Colleen Moore Autographed Card
Colleen Moore Autographed Card

「燃えさかる靑春」や「完全なフラツパー」頃を境目としてそれ以後はコリーン・ムーアは專ら喜劇に精進した。亭主にジヨン・マコーミツクを得た。必然的に人氣が出た。フラツパー卽ムーアの時代が出現した。「娘新舊兩面鏡」「思ひ叶ふて」「戀は異なもの」等の昨年の諸作品は日本のフアンにこの觀念を確然と植え付けた。然り、「フラツパー卽ムーア」は本當である。だが「霧の裏町」の彼女は何とつゝましくもゴールヰンの昔を回顧させた事だつたらう。去年の春のシーズンにこの一篇を得た吾等は依然として悲劇役者でもあり得る彼女に今更の樣に感心した事だつた。

『日本映画年鑑 昭和二年昭和三年 第四年版』
(朝日出版社、1928年4月)

20年代初頭のハリウッドでおかっぱ頭をブームにした立役者。左右の目色が違うオッドアイですが白黒映画の時代に語られることはありませんでした。

根にあるのは喜劇女優。1927年の『想い叶うて』(Orchids And Ermine)の伸びやかな演技に真骨頂があります。

こちらは切り抜きを貼った手製の台紙にサインされたもので「Sincerely」の「S」の書き出しが写真隅に微かにかぶさっています。

[IMDB]
nm0601067

[誕生日]
8月19日

[出身]
米国

1917 – Standard8『二重十字の秘密 第8章』

巨額の遺産の謎を追い、ブリジェイ一味の悪行を暴こうとしているピーター。新聞記者のディックの協力を得て悪党一味の拠点へと侵入するが見つかって小部屋へと閉じこめられてしまう。覆面男の手を借りて魔手を逃れ、金庫の書類を狙ったブリジェイを阻止しようと向かうのだが逆に返り討ちにあい、警察に捕まって留置されてしまう…

15話物の半ばまで差し掛かり、登場人物も一通りそろう形で物語は佳境へと進んでいきます。

[原題] The Mystery of the Double Cross Ch. 8 : Stranger Disposes

[製作年]
1917

[IMDB]
tt0008355

[メーカー]
Blackhawk

[フォーマット]
standard8