1927 – 仏モン・シネ誌 1927年11月3日付 第298号 「来るべき新作『ジャンヌ・ダルクの殉教』」 スタジオ訪問記&ドライヤー監督ミニインタビュー

ファルコネッティ [Renée Jeanne Falconetti] より

Les Films de demain : Le Martyre de Jeanne d’Arc
Jean Kolb
Mon Ciné Magazine, 1927 November 3rd Issue

昭和2年(1927年)末、ファルコネッティを表紙に据えた仏モンシネ誌の通巻298号より。撮影クランクアップ後、編集が始まったタイミングでプロモーションも本格化。ビランクール撮影所を訪れ、ドライヤー監督直々に撮影現場を案内してもらったジャン・コルブ氏の体験談を記事で読むことができます。凝った表現を多用した文章ですが、日本語のそれらしい言い回しに置き換えて訳出していきます。


ジャンヌ・ダルクの映像化が大きな流行を見せている。扱いの難しい、この全国民的なプロジェクトに幾人もの監督が名乗りを上げている。

他にもいくつかの予告を耳にしているが良い話がたくさんあって困る訳ではなし、怒涛のような愛国心の発露を心から歓迎したいものである。しかもこの怒濤をもたらしている監督には国外に籍を持つ者が少なくない。ド・ボルニエ氏の言葉を借りるなら「人は誰でも二つの祖国を持っている、自身の生まれ育った国とフランスだ」。あえて言わせてもらうなら、ジャンヌ・ダルクは現在誰もが参加できるパブリック・ドメインの扱いに落としこまれている。この領域(ドメイン)にはフランスの輝かしい歴史と英雄たちが含みこまれているのだとしても。

カール・テオドア・ドライヤー氏は金色の髪を有した鋭い眼つきの青年である。彼の瞳はしばしばキラキラとした輝きを放つ。この目に見据えられるとまるで二つの青いカメラレンズで撮影されている心持ちになる。

好奇心一杯で人懐っこいこの視線の向うに多くの技芸が見え隠れしている。ひとたび話し始めると、彼の言葉に頷かざるを得ず、魅了され、その虜(とりこ)となってしまうのだ。

「小金を持った人たちが当たり前と思っているものを苦手にしているんです」、開口一番、ドライヤー氏はそう切り出した。

「芸術では他の誰かがすでに成し遂げたことを再度乗り越えるよう不断に努めていかないといけません。私の座右の銘とでも言うのでしょうか。それでも理性で歯止めをかけるようにしていて、完全に未知な表現に挑戦したい欲望は抑えるようにしています。王道から道を踏み外したりはしませんのでその点はご安心を。セットデザインに驚きましたか?ずいぶんと驚いていたようですね。私の意図が反映されたもの?それとも当時の姿の再現?信じてもらうしかないのですが、ローマ建築やゴシック建築の細部を忠実にセットに反映させ、ジャンヌの生きていた中世の時代をはっきりと示そうというこだわりはありませんでした。私のセットは様式化された単色のもので、人目につくディテールを排し、できるかぎり何もない状態になっています。セットに気づいてもらわないといけないのですが、そこに気を取られ過ぎるようではいけない…伝わりますかね?」

ビランクール撮影所を隅まで案内してもらった。

「教会の礼拝堂です。コーション司教によって、そして偏った物の見方に囚われ是が非でも断罪しようと待ち構えている聖職者一党によってジャンヌが裁きを受けた場所になります。聖職者席とベンチが置かれているだけですけれどね」

ジャンヌ・ダルクの幽閉されていた監獄も同様に簡素な作りであった。塔の一角も同様、ここは教会の人たちがジャンヌの夢、祈り、思考を監視し、見てはいけないものを見た彼女を不意打ちで捕らえ「魔術を用いました」の自白、あるいはちょっとした弱気な発言を捉え、聖女に対する恐ろしい告発を正当化しようと目論む舞台となった。

「衛兵たちの使用していた一室です。壁に弓と袋がかかっています。こちらが拷問室。水銀の蒼白い光の下で禍々しさを漂わせています。水責めの準備は万端、ベッドには棘が生えていて、歯車責め、棍棒、木馬責め、くさびを押しこむ足責め、溶けた鉛をいれるための桶まであって偉大な殉教者ジャンヌを待ち構えています」

「ドライヤーさん、先に進みましょうか。寒気がしてきました!」

セットの訪問はおしまいだった。

「ロケ撮影はあまりしませんでしたね」の説明があった。「火刑台と墓地の場面くらいでしょうか。オー=ド=セーヌ県のクラマールの一角をお借りして撮影したものです。うってつけの場所があったんですよ」

「それでは」、ドライヤ―監督が言葉を続けていく。「俳優陣の一人一人にしかるべき賛辞を送っていきましょうか。ウジェーヌ・シルヴァン氏は自信を比類のない映画俳優であると証明してみせました。素晴らしい演劇的知性の持ち主ですし、あの単純明快さときたら!他の男優陣も自らの役柄に相応しい働きぶりを見せています。ラヴェ氏、シュッツ氏、ジャン・ディド氏、ベルレイ氏、リュルヴィル氏、ダラン氏、パウル・ジョルジュ氏にミシェル・シモン氏…男優陣には激賞の言葉しか見つかりません」

「女優陣は?」

「登場する主要な女優はたった一人、ファルコネッティ孃だけです。数多の女優で最も勇敢かつ誠実で、プロ意識を備えた一人。幼い少年のような、小学生にしか見えない丸刈り姿を臆せず引き受けていただきました。またこの作品の成功(あくまで成功すればの話ですが)に多大な貢献をもたらしたスタッフが他にもいます。助監督のラルフ・クリスチャン・ホルム。撮影カメラマンのルドルフ・マテとコッチュラ。セットデザインを担当したヴァルムとユーゴ―。もう一人の [ヴァレンティヌ・] ユーゴーは大詩人のお孫さんに当たられる人物で衣装の全デザインを担当しています。マルロフ教授には出演者探しでお世話になりました。最後に歴史考証を担当していただいたピエール・シャンピオン氏」

「一言補足してもよいですか。このセットは私個人の想像力から生み出されてきた訳ではないんですよ。15世紀に制作されたミニチュアに発想を得たものです」

「メーキャップせずに演技していたとの話を聞きましたが」

「そうなんです。映画撮影の現場で行われているメーキャップは水銀燈の光では台無しになってしまうものです。ある種の感情表現の細やかさが化粧で消えてしまうんです。生命感そのものがね。出来るかぎりリアルな人生に寄せていかないといけない、そう考えています」

「貴方の人生訓とでも呼べるものでしょうか?」

「辿りつくべき目標地点、でしょうかね」

セット訪問からの帰途、カール・ドライヤー氏は「『ジャンヌ・ダルク殉教』はまだ暫定的なタイトルで」と教えてくれた。それどころか日々新たな仮題が生み出されているそうである。最新版は『或る聖女の受難と死』とのこと。

「題名なんて些細な問題ですけれどね」、ドライヤー氏のそんな声が聞こえてきそうである。

Tourner Jeanne d’Arc est à la mode. Plusieurs metteurs en scène de l’écran ont entrepris cette tâche délicate et… nationale. On en annonce d’autres, mais étant donné qu’abondance de biens ne nuit jamais, réjouissons-nous de tant de patriotisme déchainé… déchainé souvent par des cinématographistes étrangers. Mais, de Bornier l’a dit : “Tout homme a deux parties : la sienne et la France!” En outre, Jeanne d’Arc est, si j’ose dire, tombée dans le domaine public, le domaine de gloire et de l’héroisme s’entend.

M. Carl Th. Dreyer est un jeune homme blond à l’oeil vif. Ses yeux brillent souvent en éclairs et quand ils vous regardent, il semble que deux objectifs bleus viennent de vous photographier.

Il y a beaucoup d’art derrière ce regard curieux et sympathique. Dès les premières phrases M. Dreyer vous a convaincu, séduit, conquis.

– J’ai horreur de la banalité bourgeoise, me dit-il tout d’abord. En art, on doit toujours essayer de dépasser ce que d’autres ont réalisé de nouveau. C’est mon principe. Mais la raison met en frein à la fureur de mon désir de percer l’inconnu artistique et, rassurez-vous, je ne crois pas tomber dans l’excentrique. Mes décors vous étonnent? Oui, oui, je vois qu’ils vous étonnent… Je les ai voulus ainsi? Sont-ils d’époque? Il faut le croire, mais je ne me suis pas attaché à préciser la période médiévale qui vit Jeanne par un détail plus ou moins exacte d’art architectonique roman ou ogival. Mon décor est stylisé, d’une seule teinte, sans détails qui frappent, nu le plus possible. Il faut que le public voit qu’il est là, mais pas au point d’en être gené. Vous comprenez?

M. Dreyer me conduit dans tous les coins du studio de Billancourt.

Les décors se suivent, se tiennent, se ressemblent par la simplicité voulue de leur architecture et la tonalité uniforme de leur murs.

Ici, c’est la chapelle, l’immense chapelle où Jeanne a été jugée par l’évéque Cauchon et tout le clergé décidé à sa perspective excessive, des stalles, des bancs, c’est tout.

Voici la salle des gardes. Au mur, des arbalètes et des sacs. Ici, la salle de torture qui, sous la lumière verte de mercure, a un aspect sinistre. Tout est prêt pour le supplice de l’eau. Le lit semé de pointes, la roue infernale, les verges, le chevalet, les brodequins qu’on rétrécira à l’aide de coins, la cuve qui contiendra le plomb fondu, attendent la grande martyre.

– Allons plus loin, monsieur Dreyer, j’ai froid dans le dos!

La visite des décors est d’ailleurs terminée.

– Nous ferons peu d’extérieurs, explique le metteur en scène; le bûcher et le cimetière. Nous avons choisi pour cela la petite localité de Clamart. Il y a là les coins qu’il nous faut.

Et maintenat, poursuit M. Dreyer, rendons un juste hommage à l’éffort de chacun. M. Silvain s’est révélé du premier coup artiste de cinéma hors ligne. Quelle belle intelligence dramatique! Quelle simplicité! Les autres aussi sont à la hauteur de leur tâche et je n’ai que des compliments à adresser à MM. Ravet, Schutz, Jean d’Yd, Berley, Lurville, Dallen, Paul Jorge et Michel Simon.

– Et vos vedettes féminines?

– Une seule femme dans ce film : Mlle Falconetti, qui est la plus courageuse, la plus sincère, la plus consciencieuse des artistes. Elle s’est fait couper les cheveux à la supergarçonne et à l’air d’avoir douze ans. Mais j’ai d’autres collaborateurs qui mériter ont également une bonne part du succès, si succès il y a. Holm, mon assistant ; Mathé et Kottula, mes opérateurs ; Warm et Hugo, mes décorateurs ; le même Hugo, le petit-fils du grand poète, qui a dessiné tous les costumes, l’actif Dr Martof, mon régisseur et enfin M. Pierre Champion chargé du contrôle historique de cette oeuvre.

– N’a-t-on pas dit que vos artistes tournaient sans maquillage?

– En effet. La lumière au mercure rend ce maquillage inutile. Le maquillage étouffe la finesse de certaines expressions. La vie!… Il faut se rapprocher le plus possible de la vie.

– Est-ce votre dévise?

– C’est mon but.

Et, me reconduisant, M. Carl Dreyer dit encore que Le martyre de Jeanne d’ Arc n’est pas un titre définitif. In en trouve d’ailleurs un nouveau tous les jours. Le dernier imaginé c’est celui-ci : La passion et la mort d’une sainte.

Mais le titre : détail! … dirait M. Dreyer.


記事冒頭、第一段落では奥歯に物の挟まった言い回しが目立ちます。これは国民的英雄とされるジャンヌ・ダルクを国外監督が扱うことに対する、一部のフランス人の複雑な思いを反映したものです。当時の仏映画雑誌で最もナショナリズム色濃かったのがモンシネ誌だった(特にドイツ映画に対する敵意や侮蔑が散見されます)ので驚くには当たらないのですが、単純に「外国人監督がジャンヌ・ダルクを扱うな」ではないんですよね。国外の優秀な若手監督が制作に関わってくるのは満更ではないという感情と、それでもどこかで生粋のフランス人に担当してほしかった…の思いが混じりあった感覚が記事にはっきりと出ています。

一方で冷静に理詰めで思考していく側面と、好奇心に満ちた人懐っこさを兼ね備えた若きドライヤー監督の独特な雰囲気(フランス人監督にあまりないもの)をこの記者は良く捉えています。

記事は前半が撮影所訪問記、後半は簡単なインタビューとなっています。個人的に興味深かったのは記事の最後で触れられている作品名の件でした。「作品タイトルなんて些細な問題」と記者の想像による冗談めかした言い回しで結ばれているものの、作品内容を完璧に体現する題名探しを延々と続けていたと見る方が正しい訳で、納得のいくまでテイクを繰り返し撮影していたのと同質の完璧主義がこんな逸話からも伝わってきます。