1928 – Super8 『放浪三昧』 (千恵プロ、稲垣浩監督) 東映/サングラフ版

「8ミリ 劇映画」より

Hôrô Zanmai (« The Wandering Gambler », 1928, Kataoka Chiezo Productions, dir/Inagaki Hiroshi)
Toei/Sungraph Super8 Print

片岡千恵蔵がマキノから独立して立ち上げた千恵プロ初期作のスーパー8版。VHSやDVDでも市販された記録がありますがVHSは松田春翠氏の語り付きで60分版、DVDは無声の40分版と内容に異同があります。サングラフ版スーパー8は上映時間12分ほどで光学録音に竹本嘯虎氏、カセットに花村えいじ氏の語りが収録されていました。

江戸詰めの職務を終え、山道を越えて故郷へと戻らんとする武士たちの列に伊達主水の姿があつた。妻のつゆと一人息子の小太郎との再会を目前に主水の心は躍るのであつた。

その頃、自宅にて留守を守っていたつゆの元に怪しげな来訪者があつた。以前からつゆに横恋慕していた関口荘六である。荘六は江戸で主水が勤王派の志士と知己になつたのを知り、「この一件が明るみになればお前の夫の将来はないぞ」と脅しにかかる。主水が勤王派とやりとりした手紙と引き換えに自分のものになれと云ふのであつた。

自宅に帰り着いた主水であるが、家は奇妙なほどに静まりかえっていた。仏間に入った主水は驚きのあまり凍りつく。仏壇の前には自害してこと切れた哀れなつゆの姿があつた。残された書置きから全ての経緯を知つた主水は関口荘六の家に乗りこみ、妻の仇を容赦なく切つて捨てるのであつた。

脱藩し一子小太郎との流浪の旅に出た主水。やがて二人は京都へとたどり着く。折しも京の町は佐幕派と勤王派の抗争に血なまぐさい空気を漂はせていた。

主水が勤王派と繋がつていると信じた新選組が主水をつけ狙う。近藤勇は配下の者に小太郎を誘拐させ、主水を屯所におびき寄せる。

主水の危急を知った勤王派の志士たちが駆け参じ、佐幕勤王入り乱れた死闘が繰り広げられる。果たしてこの死地を逃れることが出来るのか、小太郎を胸に抱きかかえた主水の運命や如何に。

内容は前半「復讐編」、後半「幕末京都篇」の大きく二つに分かれています。流浪の武士と子供による二人旅の設定は前年の『忠次旅日記 第2部』(伊藤大輔)と重なってきますし、新選組が暗躍する京都を舞台にした作品としては同年の『坂本龍馬』(枝正義郎)があるため、比較していくと色々発見がでてきます。

9.5ミリ版紹介で触れたように『坂本龍馬』では三点照明法を採用することで薄暗い室内でも人物の髪の輪郭がくっきり見えるようになっていました。『放浪三昧』にそういった発想はなく、室内撮影ではスポットの当たった中央一点が極端に明るく周囲が減光、なおかつ頭の輪郭の黒が背景に埋没してしまっているショットが目立ちます。枝正義郎氏との技術力・経験値の差が出てしまっている部分なのかなとは思います。

酔いで視界がぶれて像が4重に見える場面

Rhythm 21 (Hans Richter, 1921) from MoMA Collection

一方で『放浪三昧』は自然描写や静物(屋台の鍋や囲碁盤)を合間に挟み流れにリズム感を生み出すセンスが光っています。また屋台で酔っ払った主人公が店を出た時、視界がブレて通りの光が4重になって見える場面がありました。ハンス・リヒターの前衛アニメーション作品『リズム21』(1921年)と強くリンクした動的・抽象的表現です。稲垣浩氏にとって二回目の監督作品ながらも新人離れした才能、そして野心は見え隠れしている訳です。

しばしば指摘されているように初期千恵蔵の殺陣は軽快で明るさを湛えています。傅次郎の豪胆や妻三郎の壮絶は欠けているものの、テンポの良いスポーティーな立ち回りは見ていて心地良いものでした。

脇を固める俳優陣にも注目。小太郎を演じた中村寿郎は本作が子役デビュー作。以前に16ミリを紹介した1931年日活作品『殉教血史 日本二十六聖人』にも山本礼三郎と滝沢静子の子供役で出演していました。主人公の妻・つゆを演じたのは衣笠貞之助の実妹・淳子さん。戦後までコンスタントに活動されておりますが現存作品が少なく今回初めて動いている姿を見ました。写真では物静かで地味な印象を受けましたが和服姿で髪を上げると品の良い香りが立ちます。

[JMDb]
放浪三昧

[IMDb]
Hôrô zanmai

[公開]
1928年8月1日

[8ミリ版製作]
東映/サングラフ

[カタログ番号]
807

[フォーマット]
60m×1、18コマ毎秒、白黒、光学録音、語り:竹本嘯虎&花村えいじ

大正14年(1925年) – 『日活映画』 9月号(映畫世界社)

Nikkatsu Eiga 1925 September Issue (Eiga Sekai-Sha)

「映画往来」「劇と映畫」「キネマ旬報」誌への寄稿で知られる淡路浪郎氏らを中心に編集された日活専門のファン雑誌。表紙は岡田嘉子さんで巻頭に西條香代子、澤村春子、岡田嘉子らのグラビアを収録。画質は並ながらも雰囲気の捉え方が上手ですね。

グラビアと新作紹介がメインで論考は少な目。書き手がお気に入りの俳優を推す内容が目立ち、対談もリラックスした調子が目立ちます。内輪ノリが強く好き嫌いの割れる内容ですが、小泉嘉輔の礼賛記事のように面白い視点を含んだ記事も含まれています。

新作紹介欄では松之助版『鞍馬天狗』(脚本は水島あやめと並ぶ女流脚本家先駆者の一人林義子)、浅岡信夫のデビュー作『母校の為めに』、砂田駒子・渡辺邦男・斎藤達雄を配した『妖怪の棲む家』。伯爵令嬢(西條香代子)の婚約者が殺された事件を探偵(南光明)が追っていく探偵活劇『闇の中の顔』などが紹介されています。

大正期らしい手描きのデザインフォントが良い味を出しています。雑誌サイズは縦22.1×横14.5cm。後半は紙の劣化・腐食が見られ角が削れたようになっていました。

9月号ということもあって夏に撮りためた写真が多く掲載されており後半は水着特集。水泳帽がファッションの一部になっていた様子も伝わってきます。

大正14年(1925年) – 『フアンの友』(太陽社)

« Fan no Tomo » (1925, Taiyo-Sha) 8-page booklet featuring still shots from « Rakka no Mai », « Nanimono? » « Aru Tonosama no Hanashi » and « Kunisada Chuji »

牧野氏の獨立はやがて多數の契約館を喪失するに至かも知れぬ。そこで東亜は躍起となつて牧野氏と交渉を始め、その結果愈よ圓滿に解決を告げて、五月三十一日を以て完成せる『落花の舞』(全二編、沼田紅綠氏監督)は東亜に引渡して、牧野氏單獨にて身を引くことゝとなつた。かくして完全に撮影所の引渡を終り、八千代生命の宣傳部長たりし小笹正八氏が等持院撮影所長に任命された。[…]

「東亞對マキノ紛爭」
『欧米及日本の映画史』石巻良夫、プラトン社、1925年、360-361頁

太陽社から公刊された縦13.3×横9.7センチの小冊子。内容は1925年前半の東亞マキノ等持院作品スチルや撮影風景写真をまとめたもの。時期的にはマキノ省三氏が東亞を離れた直後に当たると思われます。

大正8年(1919年)『活動之世界 新年特別号』

Katsudou no Sekai (Moving Picture World)
1919 January New Year Special Issue

故鐵處は良き種子(たね)を播きました。併しそれを今後なほ偉きく培ひ育てなければなりません。私の雑誌は今日迄我國映畫界の爲に幾分かの貢獻をして來たと思ひます。けれども歐州対戰の終りを告げた今日、斯界の現状は、今後の趨勢は、本誌の大努力と大發奮とを必要として居ります。私達の爲すべき仕事は愈々多く、私達の負うべき責任は益々重う御座います。私は這の重大なる秋に際し、故人の遺志を體し、本誌の主義を翳して、自分の有てる力の總てを抛つて、何處までも、我國映畫界の爲、本誌のためそして亦敬愛せる愛讀者諸兄姉の爲に竭す所存で御座います。

おゝ這の榮えある新春に -年頭及び就任の辭に代えて-
活動之世界社新社主 鈴木百合子

1918年11月、活動之世界の創設者である井手正一氏が病気で亡くなりました。同氏の未亡人・鈴木百合子氏が新たに社主となった新生「活動之世界」の第1号がこちら大正8年新年特別号です。百合子氏による決意表明「おゝ這の榮えある新春に」、井手氏の功績を振り返る追悼記事が掲載されています。

新年ということもあり、各界(映画界、出版社、ブロマイド制作会社)から謹賀新年の広告が寄せられています。後年の映画雑誌と違っていて、俳優やスタッフ陣が個人名義あるいは連名で出している挨拶も多く含まれていました。

表紙イラストはクララ・キンボール・ヤング。1918年末に公開されたモーリス・トゥールヌール監督作『モデルの生涯(トリルビー)』が人気を博していたのを受けたものです。巻頭グラビアにはマルガリータ・フィッシャーが登場、その他ビリー・ローズやドロシー・フィリップス、モリー・キングらの写真が並んでいます。邦画部門では旧劇界より澤村四郎五郎、新劇界から山本嘉一のポートレート写真を掲載。

活動之世界には読み物として脚色された粗筋が幾つか含まれています。グラビアと連動する形で『トリルビー』、新派劇『不知火』(衣笠貞之助主演)、旧劇『神宮左馬之助』(澤村四郎五郎主演)が紹介されていました。

新年号としてお祝いムードを演出しようとしているものの、実はあちこちに訃報が含まれていて不穏な雰囲気も漂っています。1918年11月には新派の女形で日活や天活で活躍した立花貞次郎氏が病没。また当時猛威を振るっていたスペイン風邪の影響が顕著になっていた時期でもあります。

米國政府各地の市衛生局にては、公衆の集合は非常に風邪の傳染を容易ならしむる事を愁ひ、各州各都市の活動常設館主に對して、暫く閉館す可き事を嚴命せり。

西班牙風邪に襲はれたる米國活動寫眞界の大混亂

ブルーバード社の花形として活躍していた女優マートル・ゴンザレスやメトロ映画社の人気男優ハロルド・ロックウッドが相次いで亡くなり、映画の上映・撮影が次々と中止され、その余波を受け映画雑誌がページ数を縮小せざるをえなくなった…という流れも見えてきます。

以前にハンガリーの初期映画史を追っていた時、1918年秋にスペイン風邪関連の記録を見つけました(女優セントジョールジイ・マールタとバンキー・ユディットが相次いで病死)。他の国々でも同様の状況が発生していたはずですが被害の全体像や影響をまとめた論考は存在していないようです。この辺りも深堀りすると面白い発見が出てきそう。

また以前に紹介したようにこの号からの新企画として通年の読者人気投票が告知されています。4月号まで中間報告が続くもそこで廃刊となり最終結果まで辿りつくことができませんでした。その後「活動花形」誌が鈴木百合子氏の許諾を得て1921年に「活動之世界」再興を試みていきます。

ヘルガ・モランデル Helga Molander (1896–1986) 独

Helga Molander 1920s Autographed Postcard

1896年、現在はポーランドに位置しているドイツの町ケーニッヒスヒュッテで生まれる。舞台で演技の経験を積んだ後、1910年代末に映画女優としてデビュー。着実に出演作を増やし1920年にはハノーヴァーに設立されたフェリー映画社の花形女優に迎え入れられます。

キネマトグラフ誌1920年6月号より
フェリー映画社広告

1921年『名花サッフォー』(Sappho)より

1921年には『名花サッフォー』に出演。ポーラ・ネグリ演じる妖婦に婚約者を奪われるマリア役を演じていました。

1925年『待乙女三人』(Die drei Portiermädel)より
左から二番目にヘルガ・モランデル

1923年頃から活動拠点をテラ映画社(テラフィルムクンスト)に移し、同社の大物監督&プロデューサー、マックス・グラス氏の作品で主演を務めるようになります(1923年『鉄仮面の男』『ボブとマリー』)。1920年代中盤がキャリアのピークとなり、トーキー到来と共に銀幕を離れています。

その私生活は波乱に満ちたものでした。

映画界でのデビュー前に舞台俳優と結婚。1916年に長男のハンス・ユルゲンが誕生するも結婚生活が上手くいかず1918年に離婚しています。母方にユダヤの血が流れていたため1930年代にはドイツを離れパリに向かいます。このとき同行したのが先に名前の上がったマックス・グラス氏でした。ドイツを離れることを拒んだ母親は強制収容所で亡くなったそうです。

グラス氏はパリで映画会社を立ち上げたのですが、親独政権が誕生すると身の危険を感じブラジルに脱出。ヘルガさんもまた同地で合流します。戦後、グラス氏が離婚した1957年に正式に再婚しグラス夫人となりました。テラ映画社時代から事実婚の状態だったそうで、カトリックで離婚が認められていなかったためこのタイミングになったとのことです。

母親について?例外的なまでに美しく、とても知的で、そばに寄ってくる男たち皆を魅了してしまう女性でした。天賦の才を備えていたとは思わない。でも美貌と知性が噛みあい、生れもっての才能に欠けていたものを埋めあせていたのです。

『理由ある反抗』
ハンス・ユルゲン・アイゼンク

What can I say about my mother? She was exceptionally beautiful, highly intelligent, and fascinating to every male who came near her. I don’t think she was a natural actress, but her combination of beauty and intelligence made up for her what nature had failed to give her in talent.

Rebel with a Cause, Hans Eysenck
(Transaction Publishers, 1997)

最初の結婚で生まれた息子とは早くから疎遠になっていました。ハンス・ユルゲンはイギリスに留学後心理学を学び、著名な学者となります。現在でも性格診断の分野で言及されることの多い「アイゼンク性格検査」を提唱したハンス・ユルゲン・アイゼンク(1916 – 1997)氏で、同氏は回想録に母親の思い出を書き残しています。

[IMDb]
Helga Molander

[Movie Walker]
ヘルガ・モランデル (Helga Molander)

[出身地]
ドイツ (ケーニッヒスヒュッテ、現ポーランド・ホジュフ)

[誕生日]
3月19日

[データ]
Karl Schenker phot.

[サイズ]
8.6 × 13.2 cm

ヘルマ・ヴァン・デルデン Herma van Delden (生没年不詳) 蘭

Herma van Delden 1922 November Autographed Postcard (with message on the back)

1920年代初頭に主にドイツ映画で活動していた女優さん。ツェルニーク=マラ映画社でリア・マラ主演作に脇役として登場しつつ、フレート・ザウアー監督作などで幾度かヒロイン役を任されています。

名前からオランダ系ではないかと思われ、キャリア後期には同国の無声映画にも出演。現存作品は確認できていませんが、オランダのEYE映画博物館のホームページに1922年作品「黒幕(De man op den achtergrond)」出演時の集合写真が紹介されていました。

2列目右端の椅子に座っている女性がヘルマさんだと思われます。

もう一枚、オランダ初期映画のデータをまとめた『喜びと悲しみと』(Of Joy And Sorrow、ジェフリー・ドナルドソン、1997年、オランダ映画博物館)には「黒幕(De man op den achtergrond)」のスチール写真がありました。

入手した絵葉書は1922年11月23日付チェコスロバキアの消印がある一枚で、女優さん自身の手書きのメッセージが含まれています。宛先はウィーン在住のハンス・ルドルフ・ヘーニッヒ氏(Hans Rudolph Hönig)。フレンドリーな口調で書かれた文章で、最後には「1923年にウィーンにお邪魔する機會があるかも(Vielleicht komme ich 1923 noch nach Wien)」の追伸が残されていました。

1924 – 『靑春の歌』(日活京都、村田實監督) 鈴木傳明&高島愛子 絵葉書

Suzuki Denmei & Takashima Aiko in « Seishun no Uta »
(A Song of Youth, 1924, Nikkatsu Kyoto, dir/Murata Minoru) Postcard

村田實氏の「運轉手榮吉」に次ぐ作品は新加入の高島愛子孃と鈴木傳明氏共演になる學生ローマンス劇と決し、目下脚本選定中である。

撮影所通信
『キネマ旬報』 大正13年(1924年)11月1日付第176号

村田實氏は既報の如く高島愛子孃第一回作品として田中總一郎氏原作脚色になる戀愛詩劇の「靑春の譜」と決し愈々監督を開始した。俳優は高島愛子孃鈴木傳明氏南光明氏東城坊恭長氏等にて、技師は横田達之氏擔當である。

撮影所通信
『キネマ旬報』 大正13年(1924年)11月11日付第177号

村田實氏の監督中なる高島愛子孃鈴木傳明氏共演の第壹回作品は「靑春の歌」と改題されて近日完成される筈である。尚既報出演俳優の外近藤伊與吉氏がリューコデー張りの敵役で出演して居る。ロケーションは阪神沿線の芦屋へ出張した。

撮影所通信
『キネマ旬報』 大正13年(1924年)11月21日付第178号

畧筋 – スポーツマンとして其名を知られた工科大學生瀨戸は歴史学を専攻して居る津田とは親友で、津田の師たる原文學博士の令孃美代子とは淡い初戀の仲であつた。四年の後、米國へモーターの研究に留學して居た瀨戸は歸朝して來て、彼の發明したモーターをもつてオートバイ競爭に現はれ、優勝の月桂冠を戴いた。彼は絶ゑて久しく美代子と再會したが、美代子は今や父博士の助手たる津田に戀されて居る身であつた。瀨戸は親友たる津田が美代子を戀して居ると知つて、戀を諦めやうとしたが、美代子としては初戀の儚忘れ難く瀨戸を愛して居たのである。

近作映畫紹介
『キネマ旬報』 大正13年(1924年)11月21日付第178号

比較的に短いので倦怠を來さないといふ事が唯一の取柄である所の情ない映畫である。あの原作とあの俳優では少し位監督が氣を効かした所で全然無駄である。表はす可き事を少しも摑まずに、本筋とは無關係な御説教や饒舌やで好い氣になつてゐる脚色は特に笑止である。[…]

俳優は皆駄目。元來活劇專門たる可き人達をかういふ所に使ふのが間違ひである。近藤氏はも少し重味があつたらと思はれる。

どうせあの顔觸れである以上、も少し活劇味をふんだんに盛らなければ成功しないことは初めから判り切つた事である。映畫全躰としての弱點は茲にある。

主要映畫批評 岩崎秋良
『キネマ旬報』 大正14年(1925年)1月1日付第181号


高島愛子日活入社第一回作品として新人鈴木傳明其他素晴らしい配役で自働車、馬を飛ばしての大活劇。

『映画と劇』 大正14年(1925年)新年号

さて「靑春の歌」は良いのかと云はれると誠に困るのである。名監督の評ある村田實だつて、如何に大家の作でも内容の貧弱さと空虚なのは救はれやうがない。それでも此の監督だから、あれだけ興味のあるものとして觀られたのだ、部分ゝゝに良い味が出てゐた、小手先の利いていることが特に目立つていた。[…]

批評家は口を揃へて傳明も愛子も演技が下手だと誹してゐる、が傳明も愛子もあのタイプだけで今の人氣は湧いて來たのである、二人の演技はこれからの問題なのである。それ程に今の映畫俳優の演技は役者じみた極りきつたものになつてしまつていて、どれも、これも、時代離れのした性格の表現しか出來ないのである。この物足りなさの中へ、フアンの生きてゐる時代のある一面を代表した、清新なタイプの人間がスクリーンに現れて來た。そこに彼等の人氣の根據がある。

「高島愛子と鈴木傳明 – 『靑春の歌』を觀て」東四郎
『映画と劇』大正14年(1925年)2月号

日活に転じた高島愛子さんの第一回主演作品『靑春の歌』スチール写真をあしらった絵葉書一点。

『靑春の唄』は前々から気になっていた作品でもあって今回上映前後の情報をまとめてみました。1924年11月のキネマ旬報で企画から製作の流れが丁寧に追われており、日活による広告も二度挟まれています。ただし公開後の同誌批評欄は酷評と呼べる内容でした。キネ旬のみならず批評家筋の評価はのきなみ低かったようで、それに対し東四郎氏が『映画と劇』に擁護の一文を寄稿した…という流れになっています。

東氏にしても作品が「貧弱」で「空虚」な点や、両主演の演技力に問題のあることを否定している訳ではありません。それでも現在という「時代」につながった「清新」な人物像(タイプ)が登場してきている、という点を強調したがっているのです。こういう議論って往々にして古い形式や価値観と新しいそれが入れ替わる端境期に見られるものですよね。旧来の表現や形式が停滞を見せる中、若い感性が(ヌーヴェルヴァーグ的な)一瞬の切り込みを見せたとも解釈できる流れで、その切れ味の怜悧さは絵葉書の写真からも伝わってきます。

[JMDb]
青春の歌

[IMDb]
Seishun no uta

1920年代 東南~南アジア旅行記 03 『マレーシア、ペナンヒルのケーブルカー登頂とジョージタウンの水上住宅』

« Penang And Up The Peak » (Malaysia late 1920s) Penang Hill & George Town
from US 9.5mm Home Movies shot in South and South East Asia

1920年代後半に東南アジアを訪れた米国人観光客が記録した7本のフィルムより、現在マレーシアの一部となっているペナン島周辺で撮影された映像をまとめたもの。フィルムケース側面には「Penang And Up The Peak」の手書き文字があります。

冒頭に宗教建築物の遺構が映し出され、手前に立っている旅行者の姿が見えます。次いで川下りとなり、ボートを操舵している男の後ろ姿。跳ねる水に迫力があります。

その後、ペナンヒルを登っていくケーブルカーが登場。上りと下り列車がすれ違う個所だけ複線になっています。現在は高速ケーブルカーとして人気を呼んでいますがその開通は1923年。初期の車両を捉えたものと思われます。

ケーブルカーから山麓を見下ろし、おそらく中間駅(左下)で働いている地元民を捉えた後に動画は船上視点に切り替わり、海岸に密集する集落、船を追走してくるボートを映し出していきます。

湾岸に小さな家が立ち並ぶ風景は京都伊根町の舟屋にも似ていて趣があります。

ペナン島の玄関口に当たるジョージタウンの湾岸部には、華僑の一族が暮らす水上住宅があったことで知られています。

現在のジョージタウン(クリエイティヴ・コモン:ソース Flickr

ウィキに転載されていたジョージタウンの近影。背景の丘や木立の感じから見てこの画像の赤枠で囲った部分とその少し左側、見切れている部分が動画に映っています。

1920年代 東南~南アジア旅行記 02 『 サイゴンのフンヴーン廟/雄王庙 』 (Golf at Saigon)

« Golf at Saigon » (Vietnam late 1920s) The Temple of Hung King
from US 9.5mm Home Movies shot in South and South East Asia

1920年代後半に東南アジアを訪れた米国人観光客が記録した7本のフィルムより、ベトナムのホーチミンで撮影された映像をまとめたもの。フィルムケース側面には「Golf at Saigon(サイゴンでゴルフ)」の手書き文字があります。

フィルム前半はゴルフをしている姿が記録されています。地元の子供さんがキャディーを務めているようです。コース内の移動に使用されれている馬車がカメラの前を横切っていきます。フィルム半ばで木々が鬱蒼と茂る川辺の映像に切り替わり、しばらくすると中華風の宗教建築物が映し出されました。

カメラを引いていくと龍の欄干を配した石段。往来を繰り返しているのはお参りしている人たちでしょうか。紀元前にこの地を統治したとされるHùng王(雄王)にまつわる霊廟、フンブーン廟です。

こちらはグーグルマップに登録されている現在の外観。元々はヴェトナムが仏領だった1926年に大戦の死者を弔うため建立されたもので、1975年にフンブーン廟と改名されています。隣接しているサイゴン動植物園も一瞬ですが登場していました。

1920年代 東南~南アジア旅行記 01 『アユタヤ、バンコク』 (Aryudhya, Bangkok)

« Aryudhya, Bangkok » (Thailand late 1920s) Ayutthaya/Viharn Phra Mongkol Bopit
from US 9.5mm Home Movies shot in South and South East Asia

1920年代後半に東南アジアを訪れた米国人観光客が記録した7本のフィルムより、タイのアユタヤとバンコクで撮影された映像をまとめたもの。フィルムケース側面には「Aryudhya, Bangkok」の手書き文字があります。

フィルムの冒頭、まずは巨大な仏像が映し出されます。あまりの大きさに全身が収まりきらず頭から足元にカメラが下りてくるとそこには指の長さ程の観光客が立っています。座仏像の周辺に立つ卒塔婆のような塔。

後半、通りの場面に切り替わり歩いている人々が映し出されていきます。市街地ではなく小さな町のような感じです。最後にまた仏教寺院の映像。剣を掴んで仁王立ちになった鬼神像の前で観光客が何かを話しているとことで動画が終了。

名の知れた遺跡だろうと予測できたものの、画像を検索しても似たような大仏、廃墟は出てきませんでした。動画そのままの姿では現存していないようなのです。やりかたを変えて調べたところ修復される以前のウィハーン・プラモンコンボピット(Viharn Phra Mongkol Bopit)とその周辺と判明しました。

戦前のウィハーン・プラモンコンボピット(Viharn Phra Mongkol Bopit)を
撮影した古写真

修復された礼拝堂(左)と金箔をほどこされた現在の姿(右。いずれもグーグルマップより)。

プラモンコンボーピットはタイ国内では最大級の大きさ(高さ13メートル)を誇る大仏です。18世紀のビルマ軍攻撃により寺院は一部を残して破壊されていて、1950年代中盤に礼拝堂を再建。1990年代に仏像に金箔がほどこされたそうです。

動画途中に登場してくる塔はプラモンコンボーピットの北に位置する仏教寺院(ワット・プラ・シーサンペット)で、3基の仏塔に王の遺骨を納めたもの。

仏像は複数アングルから撮影されており、また台座周りを歩き回っているショットもあって1920年代当時の状態を確認する資料として貴重ではないかと思われます。地元民の信仰の対象としては修復された姿が正しいのでしょうが往時の廃墟感にも魅力があります。

1980年代 – 復刻版・中国初期映画女優絵はがき(協興隆老廣告) その二

協興隆老廣告明信片
(Old Advertisement of Xiexing Long)

以前に紹介した上海製の絵葉書「協興隆老廣告」の別セット。8枚組で紙ケース入り。「良友」「新華画報」「婦人畫報」といった一般誌・女性誌と「上海影壇」の表紙をポストカードサイズに復刻したものです。

陳波兒 1930年『良友』
(陈波儿, 1907 – 1951)Chén Bōer [IMDb]

阮玲玉 1934年12月『良友』
(1910 – 1935)Ruǎn Língyù [IMDb]

李霞卿 1936年9月『婦人畫報』
(1912 – 1998)Lǐ Xiáqīng [IMDb]

陳雲裳 1939年4月『新華画報』
(陈云裳, 1919 – 2016)Chén Yúnshang [IMDb]

談瑛 1946年 雑誌名未詳
(谈瑛, 1915 – 2001)Tán Yīng [IMDb]

王丹鳳 1943年10月 『上海影壇』
(王丹凤、1924 – 2018)Wáng Dānfèng [IMDb]

周璇 1943年11月 『上海影壇』
(1920 – 1957)Chow Hsuan/Zhōu Xuán [IMDb]

胡楓 1944年3月 『上海影壇』
(胡枫)Hú fēng

陳雲裳や周璇、談瑛は複数枚に登場。上海出身あるいは同地を拠点に活動していた女優・歌手を中心にピックアップされています。また後に監督業にも進出、中国アニメ界の先駆者として活躍した陳波兒、中国初の民間女性パイロットでもある李霞卿など中国の文化・社会に影響を与えた女性にも配慮が払われています。

今回調べていてたまたま発見。3週間ほど前(2021年10月11日)にインターネット・アーカイヴに「上海影壇」誌全巻のデジタル版がアップロードされていました。現物を手に入れるのは難しい雑誌だけにこういった形でデータが公開されるのは助かります。

9.5ミリ個人撮影動画をマッピングする


Googleマップのマイマップ機能を使い、手持ちの9.5ミリ個人撮影動画のマッピングに挑戦してみました。

今回は日本で撮影された動画を対象としています。通常のGoogleマップ同様、画面左下の「+」「-」のクリック、またはマウスのホイールで縮尺を変えたり、地図内を検索したりすることができます。ただ、この地図ではマークの入っている部分は9.5ミリ個人撮影動画に対応しています。

たとえば大阪の八尾市には2個のマークが付されています。クリックするとその場所に対応する個人撮影動画のサンプル画像とフィルムの基本データが見れる、という形です。

マークの色分けについては同一撮影者の映像が同色になるよう設定してあります。

スキャンできていないフィルムが多いため現時点ではデータ数が全然足りていません。それでも叩き台としては悪くないかなと。また今回は静止画のみを登録しましたが動画を見れるようにすることもできるようです。

1925 – 9.5mm 『江戸怪賊伝 影法師』 (東亜マキノ等持院、二川文太郎監督) 伴野商店プリント

Edo Kaizokuden Kagebôshi (1925, Tôa Makino Tôjiin, dir/Futagawa Buntarô)
Episode 1 – 3, Late 1920s Banno 9.5mm Print

1925年に公開された阪東妻三郎主演作の9.5ミリ版。同作は国立フィルムアーカイヴ、マツダ映画社、プラネット映画資料図書館が16ミリまたは35ミリ断片を所蔵、VHSとDVDで発売されたこともあり阪妻初期作としては名の知れた一作となっています。

以前に紹介した『坂本龍馬』(1928年)伴野版9.5ミリは1930年代のプリントで120m×2本、ノッチ無しで市販されたものでした。『影法師』は1920年代末のプリントで、長編から5つのエピソードを抜粋した5作(ノッチ有)を独立して市販する形をとっていました。伴野社のナンバリングに従うと171、173、175、177、257番の5本で、それぞれ20m×2本の構成です。

今回入手したのは当時のコレクターが全巻をつなぎ合せて120mリールに再マウントしたものです。第1~第3エピソードまでを一巻にまとめ前編とし、第4~第5エピソードを後編にまとめたようで、入手できたのはその前編。伴野カタログの171、173、175番に相当します。

9.5ミリ化に当たり伴野商店はそれぞれのエピソードに独自の副題をつけています。171番は「活躍篇」、173番は「任侠篇」、175番は「出沒篇」となっていました。エピソード毎に画質の差があって、最初の「活躍篇」が一番綺麗なプリントで、「出沒篇」がそれに続き、「任侠篇」は粒子感の強い粗めの画面になっています。

「影法師 第一篇活躍篇」(伴野商店、171番)20m×2本

 影法師…阪東妻三郎
 流星十太…高木新平
 お美江…生野初子

「活躍篇」は現行DVD版の12:38~17:53の流れをまとめたもので、旗本の娘お美江(生野初子)がスリに簪(かんざし)を盗られたのを影法師が取り上げて返したところ、巡回していた岡っ引きが影法師の姿を認め詰問~チャンバラに展開していきます。

幾つかのフレームをDVD版と比較してみました。

DVD版は情報密度は高いもののかすれた感じが強く全体的に低コントラスト。9.5ミリ版は逆にコントラストが高めで暗い部分が黒飛びしています。また9.5ミリ版の縦のアスペクト比が若干狂っていてDVD盤と比べ2.5%ほど縦に圧縮されています。同一フレームでも印象が変わりますね。

「影法師 第二篇任侠篇」(伴野商店、173番)20m×2本

 影法師…阪東妻三郎
 流星十太…高木新平
 盲権次…中根龍太郎
 似非影法師…美浪光

「任侠篇」はDVD版24:21~26:59に対応している部分で、民家に強盗に入った「似非(えせ)影法師」を本物が退治するエピソードです。ただしDVD版はエピソードの冒頭部が欠落しており、いきなり少女が影法師一党に助けを求める場面から始まっていました。

上のキャプチャ―画面のように似非影法師が夫婦を脅し、それに気づいた子供が逃げ去る一連の流れが冒頭にありました。この点に関しては2012年に神戸映画資料館で「江戸怪賊伝 影法師」が上映された際、「欠落部を京都のコレクター田渕宇一郎が入手した9.5ミリプリントから補完した」の記録が残されています。

9.5ミリ版「任侠篇」にはもう一つ重要情報が含まれています。似非影法師を演じた俳優名です。「美浪光(みなみひかる)」は以前に東亞キネマのサイン帳で紹介した尾上紋弥の初期芸名だそうです。右門捕物帳で「あばたの敬四郎」を演じた名脇役です。

JMDb(およびそれを下敷きにした「影法師」のウィキページ)には似非(えせ)影法師を演じた俳優名は記載されていません。国立映画アーカイブマツダ映画社の作品紹介ページに美浪光の名前が見つかりましたが「鴉の仙太」役として登録されています。「鴉の仙太」は第一エピソード「活躍篇」に登場したスリの名前です。

本当だ、どちらも尾上紋弥です。

「かんざし泥棒のエピソード」で懲らしめられた悪役・鴉の仙太が後に「似非影法師」として再登場、今度も本物に見つかって斬られて果てる…という流れになっていることが分かります。『江戸怪賊伝 影法師』の理解・解釈で見過ごされてきた要素です。

「影法師 第三篇出没篇」(伴野商店、175番)20m×2本

 影法師…阪東妻三郎
 盲権次…中根龍太郎
 赤鬼喜蔵…中村吉松

「出沒篇」はDVD版の23:21~24:21に対応するエピソードです。DVD版では短い断片しか残っておらず、影法師(阪東妻三郎)と権次(中根龍太郎)が囲碁をしている所に誰かがやってきた場面でフェードアウト。

この場面は岡っ引きの喜蔵を中心としたエピソードで、影法師の所在地を突き止めようと「編み笠」を頼りに捜査を進めていきます。聞き込みで浮かんできたのは「碁會所・金鷹」。配下の者とともに捕縛に向かうも影法師が動きを察知、如何にして喜蔵たちから逃れるか…が描かれていきます。

DVD版では脈略を欠いた場面に見えていたのは独立したエピソードが隠されていたことになります。

お茶目さを備えた権次(中根龍太郎)、くせ者の気配を漂わせた十太(高木新平)、端正な正義漢の喜蔵(中村吉松)、憎々しい仙太(尾上紋弥)…3つのエピソードには脇役のキャラを立てる発想が強く出ています。『影法師』第一作時点で既にシリーズ化が念頭に置かれていたと思われ、次作以降も使いまわしの効く世界観、人間関係を第一作で組み立てておこうとしたと考えられます。

1929年8月19日 – 9.5ミリ個人撮影動画 『ツエ伯号着の三井より望む』

c1929 Japanese 9.5mm Home Movies including
« The Graf Zeppelin, watched from the Mitsui Building »

この前の伴野版『君戀し』(1929年)の所有者が撮影、保管していた7本の個人撮影動画。全て手書きのタイトルが付されています。

『ツエ伯号着の三井より望む』
『格納庫内のツエ号及利根渡り』
『ツエ号の雄姿 1929.8.19-20』
『国立公園大觀峰』
『嵐山(1)』
『嵐山(2)』
『宮島と岩国』

4本は観光地(富山、京都、広島&山口)での映像ですが、それに加えて昭和4年、世界一周航行の折に日本に寄港したドイツの飛行船グラーフ・ツェッペリン号(通称「ツエ伯号」)を記録した動画が3本含まれていました。

1本目の動画『ツエ伯号着の三井より望む』は昭和4年8月19日に飛来したツェッペリン号と、それを見守る観衆を日本橋の三井のビル屋上から捉えたものです。

屋上に「エムプレス食堂」の看板が設置された向かいのビル(三越?)に人が集まっている様子。カメラがそのまま視点を左に移動させていくと、通りを挟んで撮影者のいるビル屋上が写り込んできます。

その後空を写した映像がしばらく続きます。フィルムにダメージ(湿度による細かな割れ)が多いのですが、飛行船を先導している複葉機の機影が捉えられていました。

市街地の俯瞰からカメラは三井ビル屋上へと戻り、ツエ伯号飛来を一緒に見ている友人たちの映像がさしはさまれます。カメラがそのまま再び空を捉えると、今度は三角形のフォーメーションを組んだ3機の複葉機が飛んでいます。

そしていよいよツエッペリン号の登場です。

万国旗で飾られた尖塔の先、画面の中央部上側に飛行船が写っています!

最初は後尾が見えていて、進路をゆっくりと左に変えて進んでいきます。観衆の反応なども記録しつつ、ちょうど飛行船の半身がこちらを向いたところでフィルムが終了しました。

ツエ伯号飛来は当時国内で大きな話題を呼んだ出来事でした(リアルタイムの反応については国立国会図書館HPの「本の万華鏡」が詳しいです)。ニュース動画としての需要もあり伴野商店から複数の9.5ミリ動画が市販されていました。

『ツエ伯號霞ケ浦到着』(178番)
『ツエ伯號霞ケ浦出發』(180番)
『訪日のツエツペリン伯號』(205番)

今回入手した動画は個人撮影で手振れが目立ちます。それでも周囲が盛り上がっている中で撮影された臨場感は十分伝わってくるものです。

また撮影場所が三井ビルの屋上でそこからの眺望が多く含まれていたのも興味深いところです。

本サイトでも9.5ミリ動画で追ったことがあるように東京が関東大震災(大正12/1923年)から復興していく様子は帝都復興祭(昭和5年/1930年)で記録されていました。今回の映像はその半年前に当たっておりアップデートされたばかりの首都が記録されていることになります。三井と向かいの三越の屋上を撮影した戦前動画はそう残っていないはずで都市開発や都市計画、建築の側面からも面白い発見が出てきそうです

1929年8月 – 9.5ミリ個人撮影動画 『格納庫内のツエ号及利根渡り』

ツエ伯号関連フィルムの2本目『格納庫内のツエ号及利根渡り』です。

飛行船の到来を東京で見た後に撮影者さんは家族と共に格納庫の位置する霞ケ浦に向かいました。利根川を渡って茨木県に移動。フィルム前半は小舟を使って乗用車を渡す様子(「利根渡り」)を記録したものです。

利根川の河畔、「取手病院」の看板を出した建物の前に乗用車が並んでいます。車から降りてくる日傘の女性陣は撮影者さんのご家族ではないかと思われます。車のナンバーは黒地に白文字で「2-863」となっていました。

もう一台の車が到着するのを待っていたようです。小舟が到着、上陸した車がカメラの前を通り過ぎていきます。制服姿で一般人ではなさそうな感じ。

この後格納庫に収まったツェッペリン号の姿が映し出されていきます。

格納庫からはみ出さんばかりの後端部、機体に書かれた「GRAF ZEPPELIN」の文字。カメラはゆっくりと船体外観を捉えていきます。

タラップ近辺に集まっている観衆とスタッフたち。そして複雑に入り組んだ格納庫の構造物…

後半、薄暗がりの中に飛行船の機体が大写しにされる流れが非常に素晴らしい一本です。

格納庫の位置する土浦市では現在でも土浦ツェッペリン倶楽部を中心にゆかりのある品の収集・保管・展示が続いています。先週、土浦市商工会議所を通じて同倶楽部にデータの一部をお渡しさせていただきました。以前の『沖縄』もそうでしたがこのレベルの専門性の高いトピックは詳しい人に見てもらうのが一番ですね。

また1920年代後半に首都近郊でも舟で車を渡していたのは初めて知りました。水運史の観点からも貴重な映像ではないでしょうか。

「神戸発掘映画祭2021」が始まりました

Kobe Descovery Film Festival 2021

すでにご存じの方もおられるでしょうが10月16日より2021年度「神戸発掘映画祭」が始まりました。昨年はコロナ禍で中止となっていたもので2年ぶりの開催となります。

好企画が目白押しのラインナップには「9ミリ半フィルム特集」も含まれており、目玉作品の一つである『海の宮殿』(1927年、政岡憲三)を筆頭に歌右衛門の『浄魂』、高木新平の『怪傑鬼』、廣瀬恒美&夏川静江主演『漕艇王』など1920年代の重要作が上映予定となっています。

1980年代 – 復刻版・中国初期映画女優絵はがき(協興隆老廣告明信片)

協興隆老廣告明信片
(Old Advertisement of Xiexing Long)

かつて上海で発売されていたレトロ広告の復刻絵葉書セットより映画女優をあしらった6枚。18×12センチと日本の絵葉書より2回りほど大きなサイズ。正式商品名は「協興隆老廣告」。90年代位まで上海市中で普通に市販されていて、当時在留していた邦人や観光客が土産に持ち帰ってくることも多かったそうです。現在は絶版となり入手が難しくなっています。

オリジナル雑誌の発売順に並べてみました。

陳玉梅 1934年『電影画報』
(陈玉梅, 1910 – 1985)Chén Yùméi [IMDb]

陳雲裳 1939年6月『新華画報・号外』
(陈云裳, 1919 – 2016)Chén Yúnshang [IMDb]

白光 1944年11月『上海影壇』
(1921 – 1999)Bái Guāng [IMDb]

談瑛 1946年 雑誌名未詳
(谈瑛, 1915 – 2001)Tán Yīng [IMDb]

周璇 1947年1月 『藝海畫報』
(1920 – 1957)Chow Hsuan/Zhōu Xuán [IMDb]

周璇 1947年4月 『中国電影畫報』

服の柄や色使い、デザインにお国柄が出ていますし、文字のフォントも洗練され質の高いものです。

陳雲裳は李香蘭との共演作(『万世流芳』)があり、同作は昨年末に国立映画アーカイブで企画された「生誕100年 映画女優 山口淑子」で上演されていました。白光は『蕩婦心』(1949)『一代妖姬』(1950)、談瑛は『粉紅色的夢』(1932年)が現存。周璇は代表作のひとつ『馬路天使』(1937年)が知られていますが、それ以上にミステリアスな夭折ぶりが人々の想像力を掻きたてるようで現在でも様々な論議を呼んでいます。陳玉梅は歌手としての音源は残っているものの出演映画作は見つかっておりません。

上海にはトランスラピッド(上海磁浮示範運營線)が完成する少し前に行ったことがあります。建てかけの高層マンションの足元に古い長屋が残っていて、ブルドーザーでガリガリ削られていたのがとても印象的でした。あの時に絵葉書や古雑誌を買い漁っておけば…そのために時計の針を戻したい気分です。また2013年に完成した上海電影博物館は観光名所の一つにもなっています。戦前~戦中期の資料も充実しているようなのでいつか足を運べたらなと思っています。

1915 -『ロマンチシズモ/國よ若き國よ』(カルロ・カンポガリアーニ&アッリーゴ・フルスタ監督、アンブロージオ映画社) ノート4種

Romanticismo (1915, Società Anonima Ambrosio,
dir/C. Campogalliani & A. Frusta) Early 1920s? Notebooks

1915年に公開されたイタリア映画『ロマンチシズモ』のスチル写真をあしらった未使用のノート4種。

以前にDVDを紹介した『さらば靑春』でヒロインの恋敵を務めていたエレナ・マコウスカがその3年前に主演デビューを果たした記念すべき一作、相手役にはデビュー直後のトゥリオ・カルミナティが配されています。『活動画報』のエレナ・マコウスカ紹介記事には「『ロマンチシズモ』(國よ若き國よ)」の言及があり、後者の邦題で日本でも封切りされていたと思われます。

縦20.2×横15.1cmとほぼA5版。表紙には映画原作となったジェローラモ・ロヴェッタ戯曲の引用が付されていました。裏表紙はメーカー名「GGB」のロゴ入り。イタリアの「ノート博物館」のオンラインサイトは発売時期を1920~30年代と見ておりアンブロージオ社が1924年に倒産した事実を踏まえると20年代前半と絞りこんでよさそうです。

『ロマンチシズモ』についてはマコウスカが戦後に出演した『夢のカバン』(La valigia dei sogni、1953年)で結末を含めた3分弱の映像が引用されており、少なくともこの時点までフィルムが残っていたと分かります。ただし近年の修復や上映の記録はなし。この時期のイタリア映画らしい熱量を湛えたもので埋もれさせるには惜しく、どこかの倉庫に眠っているフィルムがいつか見つかると期待したいです。

2021 – 『ティーミン』(1919、ゴーモン社、ルイ・フイヤード監督) DVD/ブルーレイ先行予約開始

2021年10月第1週、ルイ・フイヤード監督による連続活劇『ティーミン』のデジタル版先行予約が始まりました。正式な発売は12月8日。併せて『ジュデックス』のブルーレイ版も発売されます。ひとまず予約を済ませたので後は粛々と到着を待ちます。

1929 – 9.5mm 小唄映画『君戀し』(伴野プリント、断章) 河合映画版?

「伴野商店」より

Kimi Koishi (1929)
Banno Co., c1930 9.5mm Print, 2nd reel

先日、1920年代末にパテベビー映写機と撮影機を使用されていた方のフィルムコレクション一式を入手しました。そのうちの1本に伴野商会から発売されていた『君戀し』の後半部(2巻構成の第2巻のみ)が含まれていました。

宵闇せまれば 悩みは涯なし
みだるる心に うつるは誰(た)が影
君恋し 唇あせねど
涙はあふれて 今宵も更け行く

唄声すぎゆき 足音ひびけど
いずこにたずねん こころの面影
君恋し おもいはみだれて
苦しき幾夜を 誰がため忍ばん

去りゆくあの影 消えゆくあの影
誰がためささえん つかれし心よ
君恋し ともしびうすれて
臙脂(えんじ)の紅帯 ゆるむもさびしや

二村定一歌唱による「君戀し」は昭和初期の流行歌としてよく知られたもので、楽曲のヒットにあやかり昭和4年の3~7月にかけて複数の映画会社による映画版が公開されていました。

 3月2日公開:松竹蒲田版(島津保次郎監督、島田嘉七&八雲恵美子ほか出演)
 3月6日公開:森本プロ版(光田比登志監督、夢路小夜子ほか出演)
 3月8日公開:マキノ版(川浪良太監督、松浦築枝&沢田敬之助ほか出演)
 3月8日公開:河合版(丘虹二監督、環歌子&松村光夫ほか出演)
 3月8日公開:日活太秦版(三枝源次郎、滝花久子&島耕二ほか出演)
 7月6日公開:東亞版(仁科熊彦監督、雲井竜之助ほか出演)

物語は美也子という名の女性と2人の男性の恋模様を追っています。美也子は地方のカフェバーで女給をしていて、そこで客である学生・柏木に思いを寄せられます。一方お店の常連客である吉之助は許嫁のある身でありながら美也子に惚れてしまい、強引に口説こうとするのでした。

美也子と吉之助が話している様子を見た柏木は二人が仲睦まじいと勘違い、思いを断ち切って東京に帰ろうとします。やけ酒を食らい、店に足を運んだ柏木は「君戀し」のレコードが流れる店内で美也子に別れを告げます。

柏木の想いが真実であると知った美也子は港に向かいます。東京へと向かう最終便の船に乗りこもうとした柏木に追いついき、自分も一緒に東京に帰ると告げるのでした。

今回入手した第2リールの内容は以上です。9.5ミリ版の断章からも脚本やセット、衣装に贅を凝らした作品ではないと伝わってきますが途中に挿入された蓄音機の場面など小唄映画の「見せ方」を知る上で良い資料です。

制作会社や出演者・スタッフ名は明記されておらずフィルムからではどの会社の版なのかは不明。美也子を演じているのは目の輪郭や涙袋の感じからして…環歌子?吉之助を演ずる顎のほっそりした青年は葉山純之輔氏と思われるためおそらく昭和4年の河合映画版ではないか、と。

記憶違いでなければこの時期の環歌子主演の現代劇は残っていないはず。『火の車お萬』(1928年)の女侠客のように時代劇の印象が強く正直現代劇のイメージが沸かないです。この9.5ミリが河合版だとするなら、しっとりしたメロドラマ的な表情を見せる対応力も備えていたことになりますね。

映画版『君戀し』については紙資料があまり残っておらず不明な点が多いためもう少し調べてから続報をお伝えいたします。