1926 – 9.5mm 『ファウスト』(F・W・ムルナウ、英パテスコープ版、4リール)

「9.5ミリ 劇映画」より

獨ウーフア映畫『フアウスト』

「最後の人」を發表したフランク・W・ムルナウ氏は又、昨年、この驚嘆すべき特作映畫を物した。

原作は文豪ゲーテの不朽の藝術たる事は人既に知る所。ムルナウは今、卓抜した才能を縦横に發揮して、この大作品を完成したのである。

キヤストは次の通り。ファウストに扮するのは北歐コペンハーゲンの名優ゲースタ・エクマン、フアウストを誘惑するメフイストフヱレスには有名なエミール・ヤニングスが扮し、可憐なグレチヘンは、新たに見出された年若き名花カルミラ・ホルンがつとめ、マルテ夫人をイヴエツト・ギルベルトが巧にこなしてゐる。とまれ、映畫「フアウスト」は万人を驚倒させるに足るだけの内容なり表現なりを具へてゐる事に間違はないのである。

『日本映画年鑑 第三年版』(1927年、朝日新聞社)

ムルナウ作品で唯一9.5ミリ化されたのが本作。4巻構成で上映時間は50分弱、オリジナルの半分ほどに切り詰められた短縮阪となります。第一巻はメフィストフェレスを召還した老学者ファウストが若さを手に入れるまで。第二巻はイタリア滞在を経て地元に戻ったファウストがグレッチェンと恋に落ちるまで。第三巻はファウストとグレッチェンの逢瀬が家族に見つかるまで。第四巻でその後の展開と最後の救済を描いています。

『日本映画年鑑』はグレッチェンの叔母マルテを演じるイヴェット・ギルベールに言及していました。

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マルテを演じるイヴェット・ギルベール(Yvette Guilbert)

19世紀末~1900年代初頭のパリで活躍した歌手で、不倫などの背徳的なテーマや下品なコミックソングを得意としていました。独特の存在感があって当時ロートレックやピカソ等が彼女をモデルに絵を描いています。美術の授業で見た覚えがあるのではないでしょうか。

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ロートレックによるイヴェット・ギルベール、1894年

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ホモセクシュアルだったムルナウは男女のピュアな恋愛(ファウストとグレッチェン)をどこか完全には信じていない節があります。メフィストフェレストとマルテの生々しい肉欲を楽し気に描いている件もそうで、キリスト教社会の「正しさ」に細部で抵抗していく姿勢は『サンライズ』から『タブウ』でも再登場してきます。最後に愛は勝つ風の美談は市場向けの綺麗事で、表現者ムルナウの本質はこういった場面にチラチラと見えているのかな、と。

[原題]
Faust – Eine Deutsch Volkssage

[公開年]
1926年

[IMDB]
Faust – Eine Deutsch Volkssage

[Movie Walker]
ファウスト

[メーカー]
英パテスコープ版

[メーカー記号]
SB740

[9.5ミリ版発売年]
1933年

[フォーマット]
9.5mm 無声 4リール(49分)

1924 – 9.5mm 『氷島の漁夫』(ジャック・ド・バロンセリ、仏パテ版)

「9.5ミリ 劇映画」より

Pêcheur d'Islande (1924,  Jacques de Baroncelli) 9.5mm French Pathéé
Pêcheur d’Islande (1924, Jacques de Baroncelli) 9.5mm French Pathé Version
Pêcheur d'Islande (1924,  Jacques de Baroncelli) 9.5mm French Pathéé 01

フランス西部、ブルターニュ地方で遠洋漁業を営む漁師たちの物語で、19世紀末に出版された同名小説の二度目の映画化となるものです。

タイトルにある「氷島」はアイスランドを指しています。2月から8月にかけ港町パンポルからタラ漁の船がでるのですが、当時は危険と背中合わせで命を落とした漁師も多くいたそうです。パンポル港を見下ろす丘には「未亡人の十字架」が建ち、映画版はこの十字架を含むブルターニュの風景が多く使用されています。

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物語は首都パリから生まれ故郷に戻ってきたヒロイン(サンドラ・ミロワノフ)と、彼女をめぐる二人の男性(シャルル・ヴァネル、ロジェ・サンジュアン)のぎこちない恋愛模様を軸に進んでいきます。

地方色溢れる衣装や景色、建物、地元民の表情など興味深いショットが多く含まれています。絵としては綺麗。ただ監督バロンセリにはメリハリをつけたストーリーを語る力が不足していて、本作も曖昧な鬱展開の物語が淡々と進んでいくだけで終ってしまいます。個性派女優ミロワノフ、演技派ヴァネルを配しているだけに残念。

何にせよエキストラとして登場してくる地元民の皆さんが良い味を出しています。Vimeoに35ミリデジタル版の抜粋がありますがフィルムの再生速度を誤っていて(24コマ毎秒?)動きが早くなってしまっています。

[タイトル]
Pêcheur d’Islande

[公開年]
1924年

[IMDB]
Pêcheur d’Islande

[Movie Walker]
氷島の漁夫

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
952

[9.5ミリ版発売年]
1926年

[フォーマット]
9.5mm 無声 10m×12巻

ジェーン・ノヴァック Jane Novak (1896–1990)

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Jane Novak Autographed Photo
Jane Novak Autographed Photo

ジェーン・ノヴァックはミズリー州のセントルイスで生れ、同地で名高いノートルダム高校の卒業生である。父親はセントルイスの新聞編集員で、うら若きジェーン孃が女優になりたいと聞いた時にも反対をしなかった。最初の出演機会はボードヴィルで、その後喜劇調のミュージカルに進出していく。ロスアンゼルスからの招きで孃は映画デビューを果たし、『流転する罪業』で大きな成功を収めた。遂に孃はウィリアム・S・ハート氏作品のヒロイン役を射止め、自力でスターダムへと辿りついたのであつた。映画界での多年に渡る活動も嬢には何の変化も及ぼさず、デビュー当初に見られた甘えの無い魅力を今も尚持ち続けている。水泳を得意としゴルフの達人で、一人娘がいる。丈は五尺七寸、體重は十五貫十両、金髪と表現豊かな碧眼を有す。

『銀幕著名人録』(ジョージ・H・ドーラン社、1925年)

JANE NOVAK was born in St. Louis, Missouri, and is a graduate of the famous Notre Dame Convent of that city. Her father was a newspaper editor in St. Louis and offered no objections when youthful Jane suggested she become an actress. Vaudeville offered her the first opportunity, and later she entered the musical comedy field. Los Angeles beckoned and beautiful Jane made her debut in pictures, appearing with great success in « Eyes of the World. » Finally she became leading lady for William S. Hart, and then graduated to stardom in her own right. Years of picture work have left no mark upon her, she still possessing that unspoiled charm which characterized her first public appearance. She is a splendid swimmer, plays golf excellently, is the mother of a wonderful daughter, and is 5 feet 7 inches tall. She weighs 125 lbs., has blond hair and expressive blue eyes.

Famous film folk; a gallery of life portraits and biographies (New York; George H. Doran company, 1925.)

ヴァイタグラフ社で1913年に女優デビュー、ユニヴァーサル社~クリューン映画社へと移っていき、1918年頃にはモンロー・ソールズベリー、トム・ミックス、トム・ムーア主演の西部劇で重用されていました。1919年にウィリアム・S・ハートとの共演が始まり『猛虎』『大金を護りて』『開拓者』など5作で実力を発揮していきます。

ハート作品の多くは「弱みを抱えながら大事なものを守るために立ち上がる主人公」が活躍する物語で、家族や生まれ故郷、一家の名誉などが守られるべき存在として登場してきます。ジェーン・ノヴァックは主人公が守りたくなる「はかなげな(fragile)」空気感を出すのが上手い女優さんでハート作品の世界観によく馴染んでいました。

Jane Novak in Wagon Track (1919)
『開拓者』(Wagon Track、1919年より)

現代物もこなし第一次大戦を背景にした情念物『扉の蔭』(1919年)やヒッチコック脚本による『ブラックガード』(1925年)が現存しています。

またアンソニー・スライド氏の『サイレント・プレイヤーズ』に晩年のインタビューを元にした思い出話が多数収録されています。決して悪口を言わない、柔和で温かい言葉が彼女の性格をよく伝えています。唯一の例外がモーリス・トゥルヌール。戦前名監督の一人ながらパワハラ体質だったようで、スタッフに怒鳴り散らしているのに腹を立てたジェーンさんが「私にそれしたら速攻辞めますからね」と啖呵を切って黙らせたそうです。彼女のタフで逞しい一面を垣間見せるエピソードでもあります。

[IMDb]
Jane Novak

[Movie Walker]
ジェーン・ノヴァック

[出身地]
合衆国(ミズリー州セントルイス)

[誕生日]
1月12日

[撮影]
Hoover Art Co.

[データ]
18.5 × 23.8 cm

エリノア・フェアー Elinor Fair (1903–1957)

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Elinor Fair 1920s Autographed Photo
Elinor Fair 1920s Autographed Photo

エリノア・フェアー嬢は1903年ヴァージニア州リッチモンドに生を享け、幼少時に家族と共に加州ロスアンジェルスへ引っ越し、同地でセントメアリーズ高校に入学した。一時はシアトルのセントラル高校の生徒でもあつた。品のある孃は一度はバイオリン奏者になろうと思い独ライプチヒに留学している。大戦のため母国へと戻り舞台の輝きに魅せられロスのアルカザール劇場で踊り子として初めて衆人の前に登場した。嬢の美しさと才能は忽ちにして映画製作者の目に留まり、ウィリアム・ファーナム氏の「長旅の終わり」で女優デビューを果たし、「ミラクルマン」では体の不自由な富豪妹役を演じた。嬢は優れた踊り子で、ピアノの名手である。丈は五尺五寸、體重は十四貫五十両、褐色の髪と瞳を有す。

『銀幕著名人録』(ジョージ・H・ドーラン社、1925年)

1925 - Elinor Fair in Famous Film Folk
1925 – Elinor Fair in Famous Film Folk

ELINOR FAIR was born in Richmond, Virginia, in 1903, and in childhood moved with her family to Los Angeles, Cal., where she attended St. Mary’s Academy. For a time she was also a student in the Central School at Seattle. At one time dainty Miss Fair thought she would be a violinist, and went to Leipzig, Germany, to study. The World War brought her back to America, and the lure of the stage brought her before an audience for the first time on the stage of the Alcazar Theatre, in Los Angeles, where she appeared as a dancer. Her beauty and talents attracted the attention of motion picture producers, and she was cast with William Farnum in « The End of the Trail. » She was in the cast of « The Miracle Man, » playing the invalid sister. Miss Fair is a splendid dancer and pianist. She is 5 feet 4 inches tall, weighs 120 lbs., and has brown hair and eyes.

Famous film folk; a gallery of life portraits and biographies
(New York; George H. Doran company, 1925.)

Elinor Fair in Big Stakes (1922)
『ビッグ・ステイク』(1922年)
Elinor Fair in Yankee Clipper (1927)
『メリケン波止場』(1927年)

1910年代後半にフォックス映画社で活躍し始めた女優さん。当初は本名のエリナー・クロウ名義でクレジットされていました。濃い褐色の目と髪を活かしてエキゾチックな役柄も得意としており、ルイ・J・ガスニエの名作『キスメット』(1920年)でアラブのお姫様役、『ビッグ・ステイク』(1922年)ではメキシコ女性を演じるなどしています。20年代になってフォックスを離れ映画会社を転々としていきますが、20年代中盤にデミル作品ヒロインに抜擢され1926年の『ヴォルガの舟唄』と翌年『メリケン波止場』で役者としての成長を見せました。

[IMDb]
Elinor Fair

[Movie Walker]
エリノア・フェアー

[出身地]
合衆国(ヴァージニア州リッチモンド)

[誕生日]
12月3日

[データ]

[サイズ]
24.0 × 18.5 cm

ビヴァリー・ベイン Beverly Bayne(1894 – 1982) 直筆メッセージ

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

ビヴァリー・ベイン、直筆メッセージ
1930s Beverly Bayne Handwritten Message (Byron’s Poem)

初めて映畫劇と云ふものに興味を持つたのは、一千九百十一年、十七歳の時に、女學校の暇を盗んでシカゴ市のエッサネイ撮影所を訪れて實地の模様を觀察した事に始まると傳へられて居る。その時、ある舞臺監督は嬢の映畫劇俳優としての有望な素質を見抜いて、無理に勸めて「借金倒し」と云ふ映畫の女主人公たらしめた。ところが、その結果が頗る優れて居たので、話は愈々進んで、到頭エッサネイ撮影所の嘱望に依つて、女學校を卒業すると同時に、同撮影所に雇はれる事になつた。そして、フランシス・ブッシュマン氏の相手女優となつて幾本かの映畫を撮影した。

ブッシュマン氏が同撮影所を去つてメトロ會社のクォリチー撮影所に轉ずるに及んで、嬢も共に同社に移つたが、その後ブッシュマン氏と結婚して、二人とも同社の爲めに働いて居た。昨年キネマ倶樂部に上場された連續寫眞「大秘密」は同社同撮影所の作品で、ブッシュマン氏との共演に成つたものである。

『活動名優寫眞帖』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

Beverly Bayne (Who's Who on the Screen, 1920)
『銀幕名鑑』(1920年)の紹介ページ

1910年代にエッサネイ~メトロ映画社の娘役で活躍、20年代になって夫フランシス・ブッシュマンが立ち上げたFXB映画社を挟みワーナーに転じていきました。その後30年代にスクリーンを離れ、戦後に極短期のカムバックを果たした他は舞台の活動に専念していきました

こちらは彼女がシカゴ市のアンバサダー・ホテルの便箋に書き残した直筆メッセージです。内容はバイロンの詩「かのひとは美しくいく」(She Walks in Beauty)の第一節を写したもの。

雲無き邦國、星多き天空の
麗はしき夜の如く、彼女(かれ)は美に於て歩む、
而して明暗の最善なる万物は、
彼女の容貌と彼女の眼に會し、
斯くして天の祝日に拒むなる、
その優しき光明に融合するなり。

『バイロン詩集:短編』(児玉花外訳、明治40年、大学館)

She walks in beauty, like the night
Of cloudless climes and starry skies ;
And all that’s best of dark and bright
Meet in her aspect and her eyes :
Thus mellow’d to that tender light
Which heaven to gaudy day denies.

She Walks in Beauty by George Gordon, Lord Byron

バイロンの代表作として良く知られた一作で、1920年代に人気のあった女性大衆作家ファニー・ハーストが同名の短編小説を残すなど戦前の人にも親しまれていました。

日付が打たれていないためいつの物か断定はできませんが戦前30年代ではないかとの話でした。彼女の筆跡は小文字の「y」と「t」が×のように交差する癖があって真贋判定しやすいです。

Beverly_Bayne-Handwritten-Poem02

[IMDb]
Beverly Bayne

[Movie Walker]
ビヴァリー・ベイン

[出身地]
合衆国(ミネソタ州 ミネアポリス)

[誕生日]
11月11日

[データ]
シカゴ・アンバサダー・ホテルの便箋を使用

[サイズ]
15.0 × 24.0cm

1960年代 ベル&ハウエル社 Filmosound 7302 16mm映写機と真空管ギターアンプ

Filmosound 7302 16mm sound projector 01

1950年代後半に合衆国で発売されたフィルモサウンド302型を日本が60年代にライセンス契約して発売した一台。型名の先頭についた「7」で区別されます。パーツは日本製とアメリカ製が混ざっていて組み立てを日本で行っています。1960年代にベル&ハウエルはキャノンと業務提携しカメラを発売していましたが、やや先立って大沢商会とも資本・技術提携して日本映画機械株式会社(後の日本べルハウエル)を設立しており、後者が製造したメイドインジャパンの映写機が「ベル&ハウエル」として国内発売されていた、という形の様です。

映写機の流れで言うならば、フィルモサウンド7302型はB&H社の戦前の名機「129型」の血を受け継いでいます。

B&H Filmo 129D silent projector (late 1930s)
ベル&ハウエル社 129型 16ミリ映写機(1930年代後半)

1930年代後半に発売された129型はひっくり返した「凹」字型の土台に湾曲した一対のアームを配した美しいデザインの映写機でした。「凹」の字の左側の突き出した部分にスイッチが置かれています。

戦後、箱型の映写機が主流になるに従い、デザインのコンセプトはそのままに矩形のケースに収め、アームを外付けにし、光学/磁気サウンド双方に対応したアンプシステムを土台に組みこんでいきます。

弱点はケース内部に貼ってあるスポンジが経年劣化でボロボロになりやすい所。今回入手した一台もその状態で機体を外して掃除機で取り除く作業が必要でした。

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映写機ケースの内側全体がこんな感じ

本体やレンズのフレームの傷以外はまずまずのコンディション。手持ちのコリーン・ムーアで試写、真昼間に壁に向かって映してこの解像度はなかなか。モーター音が結構大きいです。

また、戦後のフィルモサウンドはギターアンプへの転用で知られています。特にフィルモサウンド385型のアンプは有名で、米ウォーラス社のオーバードライブ「385」の名前の由来になっています。

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映写機の底板を外していくとマイナスのネジが4つ見えます。これを外すとアンプを取り外すことができます。ベル&ハウエル社の真空管アンプとしては最後期のもので、この後トランジスタアンプに移行していきます。

7本の真空管を使用。
プリアンプ管12AX7 × 2
プリアンプ管12AY7 × 1
パワー管6V6 × 2
パワー管6AR5 × 1
整流管6CA4 × 1

この辺の話はあまり詳しくないのですが、ギターアンプ自作派垂涎のシステムになっているようです。

302/7302型のアンプは光学/磁気サウンド両方に対応した特殊モデルだったため385のアンプと構成が違います。385型アンプでは本体左上に変圧器が置かれていましたが、302型ではスペースがなかったため映写機ケースの内側に固定されています。また整流管用に6CA4真空管を採用していますが。385型アンプでは5Y3gtが使用されていました。ギターアンプとして使用する際に音の違いが出てくるようです。トレブルとベースのつまみが独立して動くのも個性になっている模様。

ユーチューブの実演を聞いてみるとあら素敵な歪み。普段無声フィルムしか扱っていない人間は「映写機にこのスペックのアンプ必要!?」と驚かされ通しでした。

] 映画の郷 [ 電子工作部:戦前9.5mmアルマ映写機のパーツを3Dプリンターで自作する

1月から3Dプリンターを使い始めていて、ようやく何ができて何ができないか分かるようになってきました。そこで先日、国産のアルマ9.5ミリ映写機のランプハウスのフード自作に挑戦。ふたつのパーツを別々に印刷して接着剤で貼りつける形になっています。

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成形が完了したのが上の写真。傾斜の部分に凸凹が見られます。

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パテで穴埋めした後に黒で塗装。左がデザインの下になったオリジナルのフード。右が今回自作したものです。オリジナルは一部に金属が使われています。

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完成品をランプハウスに乗せてみました。

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裏側から見るとこんな感じ。

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元々フードがあったアルマB型(手前)と今回自作パーツで補完したアルマA型(奥)。思った以上にデザインが複雑だったため完全コピーとはいきませんでした。違和感はそこまでないかな、と。戦前映写機のパーツを自作できるとリストアがはかどりそうです。

◇◇◇

合間に9.5mmフィルム用ホルダーも作ってみました。

フィルムが増えてくると管理が難しくなってきて、時に行方不明者も出てくる事態に。紐を通してまとめることが多いのですが、それだと真っ直ぐに並ばずに今度はケースの中でごちゃごちゃしてしまうのです。タグをつけて内容が分かるようにしつつ、整理しやすいようにとこの形になりました。フィルムケース穴に棒を通して端を円形パーツで留めるだけですがとても便利です。