エヴェリン・ホワイト嬢旧蔵サイン帖 & サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリアより
誰しもが認める米劇界トツプ俳優の一人、ジョン・バリモア氏は一八八二年二月十五日に生を受けた。高名な父モーリス・バリモアに倣い舞台俳優に道を踏み出し、若干二十歳にして『マグダ』でデビユーを飾る。瞬く間に成功を収め『いじっぱりなシンデレラ』『アンクルサム』『フォーチューン・ハンター』に出演、他にも多くの成功作で記憶されている。映畫界でも亦、初の作品となる『義侠ラツフルズ』主演でたちまちの成功を収めている。この作品以来、氏は無声映畫と舞台とを行き来している。多才で知られ、氏の手による漫畫は各方面から評価を得ている。既婚、身長五尺八寸七分、褐色の目と澄んだ青の眸を有する。
『銀幕著名人録』(ジョージ・H・ドーラン社、1925年)
JOHN BARRYMORE, one of the recognized leaders of the American stage, was born on February 15th., 1882. Following the footsteps of his illustrious father, Maurice Barrymore, he embarked upon a stage career, making his debut in ”Magda” at the age of twenty. His success was instantaneous, and he was starred in “A Stubborn Cinderella,” “Uncle Sam,” “The Fortune Hunter,” and many other well remembered successes. His success in motion pictures was immediate, too, when he appeared in “Raffles, the Amateur Cracksman,” his first screen production. Since that time he has been alternating between the silent drama and the stage. Mr. Barrymore’s talents are many, his cartoons having attracted wide recognition. He is married, is 5 feet 10 inches tall, and has brown hair and light eyes.
Famous film folk; a gallery of life portraits and biographies(
(New York; George H. Doran company, 1925)
『海の野獸』の時に、ジヨン・バリモアのお相手を勤めさせて戴きました。 […] あの大怒濤をジヨン・バリモアと私とでかぶりまして。濡れ鼠になりますと、時は恰度寒さに向ふ頃でございまして、誠に南の海と雖も身慄をする寒さでございます。一波かぶつて下へ行つて濡れた着物を脱ぐと、また『草人!』と呼ばれます。とても寒くて縮み上りました。ジヨン・バリモアもそんな目に遭ひますので、二人で『ゴツデムゴツデム』と言ひながら、艱難に堪へて撮影を致しました。 […] そこでまた寒くなりますと、ジヨン・バリモアが秘蔵の酒を出して『おい、草人!一杯飲め』といふので、私はよくジヨン・バリモアから、ウヰスキーを貰つて飲みました。
『素顔のハリウッド』 上山草人
(実業之日本社、1930年)
一八八二年二月十五日生る。一九〇三年劇界に入り、「マグダ」に出演、後「アナトール」「一夜泥棒」「ピーター・イベツトソン」「贖罪」「ジスエト」「リチアード三世」「ハムレツト」を演じ、英米劇界に君臨す。映畫界はラスキーに入り、「デイクチエタア」「キツクイン」その他に主演し、ウオーナー・ブラザーズ專屬。一九二九年ドロレス・カステロと結婚す。宛名 Warner Bros. Studio Santa Blvd., Hollywood, Calif. 主演映畫「義侠のラツフルズ」(ローレンス・ウエバア)「狂へる惡魔」「愛の試練」(パラマウント・アートクラフト)「洋上の樂園」(F・N)「シヤロツク・ホームズ」(ゴールドウヰン)「ボウ・ブラメル」「海の野獣」「ドン・フアン」「マノン・レスコオ」(W・B)「我若し王者なりせば」「テンペスト」「山の王者」(ユナイテツド・アーチスツ)「クラツク將軍」(W・B)
『世界映画俳優名鑑 昭和6年版』
(映画世界社編輯部編、映画世界社、1930年)
姉エテル、兄ライオネルと共に舞台及び映画界で活躍、いわゆる「バリモア俳優一家」の一員として名を馳せたのがジョン・バリモアでした。『エクソシスト』の子役として知られるドリュ-・バリモアの祖父でもあります。
1920年代ハリウッドを代表する美形俳優の一人。同世代のヴァレンチノやラモン・ノヴァロが優男の系譜に属しているのに対しジョン・バリモアは稜線のそびえる鷲鼻に鋭角の顎、強い目力を兼ね備えた風貌で米国人離れした雰囲気を湛えています。欧州にルーツを持つ作品と相性がよく、例えばシャーロック・ホームズを演じても(ジェレミー・ブレッド並とはいきませんが)良質の「ホームズ感」を醸し出すことができたりするのです。
映画俳優としてのピークは1920年代中盤、メアリー・アスターと共演した『ボー・ブラムメル』『ドン・ファン』。後者はパートトーキーとして公開され日本でも評判の高かった一作です。バリモアとメアリー・アスターのやりとりに独特の魔法があって、特に『ボー・ブラムメル』で二人の感情が絡みあい解きほぐれていく流れは見事なものがありました。
トーキーの時代となり、齢50を控えたバリモアはシフトチェンジを図りある種の狂気をはらんだ中年役を積極的に受けていくようになります。マリアン・マーシュを相方に配した『悪魔スヴェンガリ』と『狂へる天才』(いずれも1931年)はそんなエキセントリックな怪演が展開された作品です。
さらに1930年代前半のバリモアはもうひとつ見るべき作品を残しています。1933年の『トパーズ』です。


パール・ホワイト活劇や『キスメット』を残したルイ・J・ガスニエ監督作品です。
同作はマルセル・パニョルの同名仏映画(1931年)のリメイクとなっています。偏屈で冴えない老教授を主人公とした物語で、派手なアクションや恋愛劇などパッと感覚に訴えかけてくる見せ場は一つもありません。『人形の家』や『三文オペラ』に近い社会派劇、役者にとっては非常にハードルの高い内容になっています。仏オリジナル版でルイ・ジューヴェが成功させたこの役柄にジョン・バリモアが挑戦。オリジナルを超えてはいないものの、負けてもいないんですよね。バリモア後期の名演として記憶されるべき一作だと思われます。
[IMDb]
John Barrymore
[Movie Walker]
ジョン・バリモア






